メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第230回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2012.11. 2


■新聞とは何か その3 これで良いのか日本の新聞報道


ハカセが、また一冊の本を読んで欲しいと言ってきた。

本の題名は『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』。著者はマーティン・ファクラーというニューヨーク・タイムズ東京支局長とのこと。

例によって、ハカセは本の内容については何も言わない。良いとも、悪いとも。ただ、ワシの感想だけが聞ければ良いと。

本の題名、外国人ジャーナリストによる著書ということからして、日本の新聞に批判的な内容のものだろうとは思う。

目次をめくってみると、案の定、「情報寡占組織・記者クラブ」、「かくもおかしい新聞」、「ジャーナリトがいない国」などといった見出しが目に飛び込んでくる。

「記者クラブ」については、当メルマガ『第209回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の実像 その6 新聞第3のタブー、記者クラブ問題について』(注1.巻末参考ページ参照)で取り上げたことがある。

その回のメルマガでも触れたが、ここでもう一度、「記者クラブ」について簡単に話しておく。

記者クラブとは、公的機関や業界団体などの各組織から継続的に取材することを目的に大手新聞、テレビメディアを中心に、法人としての登記が為されていない私的な組織のことを指す。

日本新聞協会では、記者クラブの目的を「国民の『知る権利』と密接にかかわる」ものとして、「公的情報の迅速・的確な報道」、「公権力の監視と情報公開の促進」、「誘拐報道協定など人命・人権にかかわる取材・報道上の調整」、「市民からの情報提供の共同の窓口」と定義している。

しかし、加盟社以外に記者会見を開放しないなど独占的な活動によって、記者クラブ以外のジャーナリストによる取材活動が差別、制限されてきたという実態がある。

しかも、公的機関は記者クラブに対してのみ特別に記者室を提供していて、そこで使用される光熱費なども、その公的機関がすべて負担している。総額で年間110億円、全国紙1社あたり数億円の利益供与になるという。

それらの出所は当然、税金からということになる。そのため「便宜供与に当たるのではないか」といった批判があっても、大手メディアは、一切その事実には触れていない。触れようともしない。

取材対象である警察を含めた公的機関、政治家側から同じ情報提供を受けているということもあるのか、加盟している新聞各社の紙面は、ほぼ同じ内容の記事になっている場合が多い。

記者会見の殆どが記者クラブ主催となっていて、参加者は加盟社の記者に限られ、仮に加盟社でない記者が参加できても質問はできないという制限がある。

加盟新聞社以外の報道機関、ジャーナリストたちが記者クラブへ入会するのはは極めて難しいと言われている。

入会審査するのは各記者クラブやが、審査過程は不透明で、加盟社が1社でも反対したら入会は認められないことになっている。

実際に加盟新聞社以外の報道機関、ジャーナリストたちが入会を認められたケースは殆どないという。

この本の著者、ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏も例外ではなかったと語っている。

もっとも、取材への参加は報道により認められるケースもあったとは言うが。

ちなみに、世界中のメディアに記事を配信しているAP通信社の記者でさえ、3.11(東日本大震災)に関しての取材ができなかったこともあるという。

世界中の人が注目して関心を寄せる大災害、原発事故でありながらである。そんな非常時であっても頑なに「記者クラブ」制度の優位性が守られていたと。

そのため、参加を認められていた数少ない記者のマーティン・ファクラー氏は、取材が終わると同時に、AP通信社に携帯電話で口述記事を送ったという。

公的機関の方でも記者クラブ以外の記者には便宜を図らないケースが多く、加盟社でないと十分な取材が行えない、行わせないと言われている。

これではいくら「公的情報の迅速・的確な報道」、「公権力の監視と情報公開の促進」というスローガンを掲げても、そのとおりに実行できるとは、とても思えない。

どうしても公的機関におもねった報道になる可能性が高い。そう見込んでいる、期待しているからこそ、公的機関の方でも記者クラブに便宜を図っているわけやろうしな。

それを問題視したOECD(経済協力開発機構)やEU議会などから記者クラブへの改善勧告が出されているが、未だに何の改善もされていない。無視し続けている。

大手メディアが、その事実を一切報道していないため、国民に記者クラブの持つ閉鎖性が知られる機会は殆どない。

かろうじてネットの一部で取り上げられ問題視されている程度や。

この「記者クラブ」制度は日本特有のもので外国メディアでは絶対考えられないことやという。

そのため「記者クラブ」に相当する英訳がなく、「kisha club」がそのまま英語として通用している現実がある。他に訳しようがないということでな。

ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏が著書の中で「情報寡占組織・記者クラブ」と題したページに、


『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』。著者 マーティン・ファクラー。発行出版社 株式会社双葉社 双葉新書。

第2章 情報寡占組織・記者クラブ 
世界でも希に見る「記者クラブ」  P.52 より引用


私が日本で取材をするようになって最も驚いたこと、それは、「kisha club(記者クラブ)」の存在だった。

新聞や通信社、テレビといった日本の主要メディアの記者たちは、その大半が何らかの形で記者クラブに所属し、取材活動を行っている。

新聞やテレビから流れてくるニュースが似たり寄ったりである第一の理由は、当局からの情報を独り占めする記者クラブの存在にある。

一方、そこに所属できない雑誌メディアやインターネットメディア、海外メディアの記者やフリーランスのジャーナリストたちは、独自の取材により情報を発信している。

3.11の報道を契機に少しずつ知られるようにはなっているが、メディア関係者やメディアに対して特別な問題意識を持っている人以外、記者クラブとは何かを正確に理解している日本人は少ないのではないだろうか。


とある。

ワシが先ほど『大手メディアが、その事実を一切報道していないため、国民には記者クラブの持つ閉鎖性が知られる機会は殆どない』と言うたが、逆に日本人以外の外国人、世界ではすでに周知の事実になっているものと思われる。

それはニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏が日本の「記者クラブ」制度について熟知しているということは、取りも直さずアメリカのニューヨーク・タイムズ紙が熟知していると見て間違いないからや。

アメリカを始めヨーロッパのメディアは権力を監視する役目を報道が担うのは当然という意識が高い。

それからすると、日本の「記者クラブ」のような国家権力に擁護された組織、優遇された報道機関など絶対に考えられない、あってはならないわけや。

日本の新聞社でも、公には「報道は国家権力を監視する目的がある」と謳っているが、本当にそう考えているのなら、公的機関から記者室まで提供され多額の利益供与を受け続けるというのは、その主張とは大きく矛盾しとるわな。

監視する相手に優遇され利益供与、もてなしを受けているという事実は、懐柔されているとしか言いようがないさかいな。

懐柔されている者が、その相手を「監視しています」と言うてるわけや。

普通は、そういうことがあれば馴れ合いになって監視するどころではなくなると考えるもんやがな。

新聞は不正があれば、その公的機関でも叩く使命がある。しかし、そんな優遇を受けている相手を本気で糾弾して叩けるのかということになる。

普通に考えたら分かるが、すべての報道機関に対してオープンにしないような情報が信用に値するとは、とても思えん。

そこに記事への疑惑が生じても仕方がないと思う。そのことがおかしいと気づかん神経を疑う。

欧米の報道機関は何よりも、読者への信用を重んじるということやさかい、そういった癒着構造のもとになる、あるいは読者にそうと疑われるような「記者クラブ」制度など絶対に考えられんし、あり得んわけや。

そのため、「記者クラブ」の英訳すら存在しない。もちろん、その他の言語でも「記者クラブ」に該当する言葉など、どこの国にもないという。

報道に関する言語で外国語に訳すことのできない言葉、名称など、おそらく他には存在しないだろうと考えられる。

それくらい世界から見たら「記者クラブ」の存在自体が特異なものに映っているわけや。

「李下に冠を正さず」やないが、それと疑われるような行為は報道関係者なら絶対にしたらあかん。それが世界の常識とされとる。

残念ながら、日本ではそうではないと欧米諸国から見られているわけや。世界の常識が通用しない国だと。

公権力にベタベタにすり寄り、公権力もそんな報道機関を必要以上に大切にし、擁護している。

取材する側は情報をそのまま記事にするだけで良いから楽で、取材される側は意図する情報を報道してくれるから都合が良いとなる。

お互いの利害関係が一致したわけや。

その結果生まれたのが「記者クラブ」制度ということになる。そんな特異な制度を外国人記者が世界に報道せんはずがない。

実際、世界では周知の事実になっている。

だからこそ、『OECD(経済協力開発機構)やEU議会などから記者クラブへの改善勧告』といった世界的な機関でさえ問題を投げかけとるわけやさかいな。

つまり、ワシが言いたいのは、知らぬは日本人ばかりなり、ということや。

「記者クラブ」制度以外でも日本の新聞のおかしな点が幾つもある。

同じくマーティン・ファクラー氏の著書の中から、その一つを挙げる。

その部分の抜粋や。


『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』。著者 マーティン・ファクラー。発行出版社 株式会社双葉社 双葉新書。

第3章 かくもおかしい新聞
批判記事を書いた私に「広告引き上げ」という圧力が P.104より引用


私もウォール・ストリート・ジャーナルで記者をやっていた当時、記事を書いたことで強い圧力をかけられた経験がある。

2003年、総額2兆円もの公的資金投入により、R銀行が国有化された。

前年の2002年10月から、竹中金融担当大臣は金融機関の不良債権処理を物凄い勢いで進めていった。

M銀行も巨額の不良債権処理を迫られ、2兆円を超える赤字決算により株価低迷が続いていた。

M銀行のこうした現状について、私はもう一人の記者とともに批判的な記事を書いた。

これに、Mファイナンシャルグループの広報担当者は激怒した。

彼は毎日のように私に電話をかけてきて、詰問口調であれこれ質問をぶつけてきた。

さらに、「ウォール・ストリート・ジャーナルから広告を全部引き上げる」と脅された。

ウォール・ストリート・ジャーナルの上司にその話をしたところ、「そうか。だったら広告なんてやめてもかまわないよ」と言って「ハッハッハッ!」と大笑いしてくれた。

広告がなくなれば、当然のことながら広告収入は落ちる。だが、長期的に考えればウォール・ストリート・ジャーナルが損をすることはない。

広告引き上げをちらつかされたからといって批判をやめてしまえば、読者の信頼を失ってしまう。

当たり前のことだが、新聞にとって最も重要な財産は読者からの信頼だ。

広告の引き上げは一時的な収入源のみの問題だが、信頼は情報という「形のない商品」を扱うメディアにとっては生命線そのものだ。

Mファイナンシャルグループの担当者から連日電話攻勢を受けながら、私は思った。

「こうやって脅かせば、日本の記者は企業に負けてしまうのかもしれないな」

私はひるむことなく、M銀行を批判する記事を書き続けた。広告引き上げでほのめかした私を脅かしたのは、M銀行にとって結果的に逆効果だったわけだ。


これは、マーティン・ファクラー氏およびウォール・ストリート・ジャーナル紙の上司の美談のように思われるかも知れないが、欧米の新聞、ジャーナリストの間では当然の対応で特別なことではないという。

もちろん中には企業のそうした脅しに屈するアメリカのメディアが皆無とは言わんが、極端に少ない。

企業の側でもそうする事は殆どないに等しい。メディアを脅すと逆に企業のイメージと信用が失墜しかねんからや。自殺行為になる。

ワシが、この記事で問題にしたいのは、マーティン・ファクラー氏の「こうやって脅かせば、日本の記者は企業に負けてしまうのかもしれないな」という発言や。

Mファイナンシャルグループの担当者のように「言うことを聞かないのなら、広告を全部引き上げるぞ」と脅す日本企業は多いのやろうと思う。

そして、多くの場合、日本ではその脅しが通用しているものと考えられる。

せやからこそ、そのMファイナンシャルグループの担当者は、同じような感覚でウォール・ストリート・ジャーナル紙に脅しをかけたのやろうしな。

残念ながら、マーティン・ファクラー氏の「こうやって脅かせば、日本の記者は企業に負けてしまうのかもしれないな」という指摘は当たっていると言わざるを得ないと思う。

日本の新聞やテレビには昔から「スポンサータブー」という言葉がある。

新聞、民法テレビ局、雑誌などのメディアの多くが企業からの広告収入に依存しているということもあり、スポンサー企業を刺激したくない、逆なでしたくないというのは良く聞く話ではある。

そのためもあるのか、マーティン・ファクラー氏およびウォール・ストリート・ジャーナル紙で行われたような美談が日本のメディアに存在したという事実をワシらは知らん。

大企業、大スポンサーにおもねった記事、俗に「提灯記事」と呼ばれているものがそうやが、そういうのなら山ほどあるがな。

新聞の場合は名目上、総収入の半分が広告収入と謳っているが、実際はそれ以上の比率があるものと思われる。

新聞紙面の売り上げだけでは、やっていけないやろうというのは様々な状況から考えて分かるさかいな。

1994年以降、現在までの間に紙やインクなどの原材料が相当な勢いで高騰しているにもかかわらず、殆どの新聞で値上げがされていないという事実が一つ。

今や新聞社に押し紙が存在するというのは周知の事実になっているが、そんなタコが自分の足を食えるような状況にあるのは、その売り上げに依存していないからこそやというのが、その理由の二。

それらの事があっても経営が可能になる理由は一つしかない。広告収入で、その大半が賄われているからや。

そのため、昔から大口スポンサーの不祥事とか、スキャンダルは、日本のメディアではあまり大きく報じられて来なかったという歴史がある。

もしくは報道されても一過性で終わる程度でしかなかった。また、その場合でも当該の企業本体にダメージがおよぶような報道は避けてきたと思われるフシがある。

去年の今頃話題になっていた、ある製紙会社の元会長のスキャンダルなどについても、それが言える。

あくまでも個人的な失策、犯罪という部分を強調して茶を濁すような報道で幕引きを図り、その後の報道は殆どされていない。

なぜその元会長が、そうしたのか、そうしなければならなかったのかといった点には、ほとんど言及されていない。

それだけならまだしも、「今のところ、その製紙会社の主力商品の売り上げには影響は出ていません」といった内容が、当時のテレビニュースで放送されていた。

そのスキャンダルが発生して、まだ数日しか経ってない時期にである。

どんなに優秀な調査機関が調べても、そんな短期間の間に影響が出る出ないということなど分かるはずがない。

これなんかは、大口スポンサーの意向を第一に考える茶坊主的なもので、テレビ局の姿勢が如実に表れた、ええ例やないかと思う。

ワシは、過去のメルマガ『第182回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方 その2 消された「原発国民投票」CMについて』(注2.巻末参考ぺージ参照)の中で、


確かに新聞やテレビにとって大口スポンサーは大事かも知れんが、一般読者を敵に回したらメディアの存在意義そのものがなくなる。

いずれその愚に気付く時が来ると信じとる。


と言うたが、それはいみじくも、マーティン・ファクラー氏の言っている事と符号する。

もっとも、肝心の新聞社やテレビ局には、1年前、ワシがそう言うてた事などまったく届いとらんようやし、今のところ『その愚に気付く時』も来そうにはないがな。

残念ながら、現時点において日本の新聞の報道意識は、欧米のそれには遠く及ばないと認めるしかない。

欧米どころか、共産党の一党独裁で報道規制ばかりしていると思われている中国にさえ及ばないのではないかとマーティン・ファクラー氏は指摘している。

著書『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』の中に「中国よりも閉鎖的な日本のマスコミ」という小見出しがある。

その見出しを見た時は、「そんなアホなことがあるかいな」と思うたが、じっくりその箇所を読むと、なるほどそういう見方もあるのかと納得できる。

そのページや。


『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』。著者 マーティン・ファクラー。発行出版社 株式会社双葉社 双葉新書。

第4章 ジャーナリストがいない国

中国よりも閉鎖的な日本のマスコミ  P.178 より引用


おもしろいことに、一党独裁の警察国家である中国の記者たちのほうが、日本の記者クラブメディアよりも体制を批判している。

中国広東省の週刊紙『南方週末』がその筆頭だ。同紙は、広東省共産党委員会機関紙の南方日報が出資して1980年代に創刊された。

香港に近く、オープンな空気が漂う広東省で発行されているだけに、政治的なバランスを取りながらも、突っ込んだ報道をしている。

もちろん中国においては、共産党批判などメディアが触れられないタブーも存在する。

そうした制限があるなかで、社会の不正や政治の腐敗などに憤る一部の気骨ある中国人記者たちががんばっている。

もし、中国で自由に取材・報道ができるようになれば、素晴らしいジャーナリズムが誕生すると思う。

中国には『財経』という優れた経済誌もある。独立系の雑誌で、中国版の『週刊東洋経済誌』と言っていい。

この経済誌は、『南方週末』とは違った切り口のスクープ記事を発表している。

同誌の名物女性総編集長、フー・シューリー氏はトラブルによって編集部を去ったが、2009年に「財新網」を新に設立している。

このメディアは週刊誌や月刊誌、ウェブサイトを活用しながら、反体制的な調査報道を展開している。

中国共産党の弾圧があるなか、中国のメディアのなかにはジャーナリズムを追及している記者たちがいるのだ。

日本でも現場の記者たちが声を上げ、それを受けた勇気ある新聞社が立ち上がり、記者クラブという日本版“一党独裁組織”に風穴を開けてほしい。


これは、あくまでもマーティン・ファクラー氏の見方ではあるが、日本、中国の両国と関係のないアメリカ人としての中立の立場での意見というのは、それなりに尊重すべきやと思う。

中国に報道規制があるのは多くの日本人が知っている。日本にはそれはないと思われている。

確かに日本では法律上、「報道の自由」や「言論の自由」は守られているかも知れん。

しかし、日本では報道規制をしているのは国家というより、今や「記者クラブ」という独裁組織が、その役割を担っているとマーティン・ファクラー氏は指摘しているわけや。

それに対して違うとは言えん悲しさがある。

日本にも、映画『クライマーズ・ハイ』や『社葬』(注3.巻末参考ぺージ参照)
に登場する気骨溢れる記者が現実に存在するとは思う。

それらの映画は新聞の現場に詳しい作者による原作が元になっているということもあり、ベースの話は実話に基づいているはずやさかいな。

実際、『第100回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の実像 その3  新聞業界、それぞれの使命とは』や『第146回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■情報を伝える人々の使命感と気概、そして新聞の存在意義について』(注4.巻末参考ぺージ参照)では、それらの映画に負けないくらいの崇高な「使命感」を発揮され活躍した記者の方々の話をしたことがある。

一部の記者を取り上げれば日本も負けてはいない。

しかし、それでも、今回ハカセから渡された書籍『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』を読むと、世界の中では、日本の新聞のモラルは低いと痛感するしかない。

国境なき記者団というのがある。

言論の自由(または報道の自由)の擁護を目的とした、世界のジャーナリストたちによる非政府組織や。

その国境なき記者団が毎年調査している「世界報道自由レベル・インデックス」の2011−2012年版で、日本は179カ国中、22位にランクされている。

これは先進国の中では最下位の部類に属するという。それくらい世界から認められていないということになる。

しかし、事実は事実として認識して受け入れるしかない。

その事実を新聞や既存のマスコミは知っているはずやが、報じようとしない。

もっとも、日本のマスメディアには自らの非を報道する姿勢が皆無なのはワシ自身、良う知っとるから、今更な指摘ではあるがな。

その姿勢が垣間見えるのは、誤報や捏造があった際の謝罪くらいなものや。

今回の「記者クラブ」問題をはじめ、押し紙問題や悪質な勧誘問題といった新聞のタブーを、自らの手で報じられるようになる日が果たして来るのやろうかと思う。

その日が来ない限り、日本の新聞に明日はない。自らの非を認める事が多くの読者の信用を勝ち得るのやと。新たな新聞のステージ、可能性に向かっていけるのやと。

その事が分かって欲しいと切に願う。



参考ページ

注1.第209回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の実像 その6 新聞第3のタブー、記者クラブ問題についてl

注2.第182回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方 その2 消された「原発国民投票」CMについて

注3.第31回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■映画「クライマーズ・ハイ」に見る新聞報道の現場 前編

第32回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■映画「クライマーズ・ハイ」に見る新聞報道の現場 後編

第47回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■映画『社葬』による新聞への負のイメージについて 前編

第48回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■映画『社葬』による新聞への負のイメージについて 後編

注4.第100回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の実像 その3  新聞業界、それぞれの使命とは

第146回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■情報を伝える人々の使命感と気概、そして新聞の存在意義について


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