メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第237回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2012.12.21
■恋人にクリスマス・プレゼントをする意味とは
「ゲンさん、女の人にクリスマスプレゼントをあげたことある?」
久しぶりに会ったコウ君が、そう聞いてきた。コウ君というのは、ハカセの次男で、ワシのお気に入りの子である。
もう、そんな時期になったのかというのが、ワシの正直な気持ちや。
光陰矢の如し。年寄りが実感する時間の流れの早さを的確に表している言葉である。年々、それは加速度的に早まってくる。
毎年、メルマガでこの時期になるとクリスマスに因んだ話をするのが恒例になっている。人気の高いシリーズ(注1.巻末参考ページ参照)の一つでもある。
新聞業界の話と殆ど何の関係もないのにもかかわらず、毎年、楽しみにして頂いている読者も多い。
ちなみに、クリスマス前の金曜日に、その話をメルマガでするキッカケになったのがコウ君やった。
彼がまだ小学3年生の頃から始めて、今年で9回目になる。
いつの間にか、そのコウ君から、今年もまたクリスマスに関する質問を受けるような季節になったわけや。
ただ、今年の場合は、いつにも増してクリスマスの季節になるのが早いと実感している。何の心の準備もないまま、やって来たと。
それには、どこかのトチ狂った、時の総理が「解散や」と喚いたおかげで、ワシらも先週まで選挙絡みの話ばかりする羽目になり、あっという間に時間が過ぎてしもうたという感が強いからやと思う。
ちなみに、選挙自体は戦後の衆議院選挙史上最低の投票率だったこともあり、新聞テレビメディアの予想どおりの結果に終わった。
それについての話は次回のメルマガで、これも恒例になっている年末の総括の中でしたいと思う。
「さあ、そんなことをした記憶はないな。クリスマスのプレゼントというのは子供にするもんやというのが、ワシらおっさんの常識やさかいな」
いつの頃からか、恋人にもクリスマス・プレゼントを渡す風習が定着しているというのは知っていたが、ワシらの若い頃には、そういうのはなかった。
少なくとも、ワシは過去に付き合った彼女たちはむろん、別れた妻でさえクリスマス・プレゼントなど渡したことはない。
「彼女へのクリスマス・プレゼントに何をあげたらええのか、迷っとるのか?」
「そ、そんなんじゃないよ。ただの友達やから」
ただの女友達にクリスマス・プレゼントを渡す男がいるとは信じられんが、コウ君がそう言うのなら、そういうことにしとこう。
いつやったか、ハカセからコウ君に彼女ができたらしいというのは聞いて知っていた。相手は並のアイドルタレントそこのけの可愛らしい女の子やと。
「私の若い頃に似ているから、コウはモテるんですよ」と、あまりにも自慢げに言うさかい、ワシは愛用の手鏡をハカセの顔の前に、そっと差し出した。
さすがのハカセも、それで時間の残酷さに気がついたようや。そこには、どこからどう見ても、ただの「おっさん」しか映っていないさかいな。
青春真っ盛りのコウ君とは比べものにならない姿がそこにある。もちろん、それはワシについても言えることやから、ハカセとは「同類相哀れむ」関係ではあるがな。
まあ、そんな見苦しいおっさんたちの話は、この際置いといてコウ君について少し話す。
コウ君は中学生になってからサッカーを始めた。多くの子が、そうであるようにコウ君も有名なサッカー選手に憧れたからやった。
その選手の名前は、リオネル・メッシ。サッカーファンであれば知らない者はいないと言われるスーパースターである。
コウ君が憧れたのは表面的なプレーだけやなく、メッシは先天的な成長ホルモンの分泌異常の症状(低身長)のため身長が低いというハンデがあるにもかかわらず、そこまでの選手になったということも大きい。
今では世界最高のサッカー選手になっている。いやすでにサッカーの歴史上最高のサッカープレイヤーと言っても過言やないと思う。
コウ君は中学入学当時、身長が150センチほどしかなく小柄だった。それが劣等感になっていた。
兄のシン君は大柄なのにという思いもどこかにあった。なぜ自分はチビなのかと。
ただ、ハカセもどちらかというと小柄な方ということもあり、コウ君には「心配するな。お前はお父さんのDNAを強く引き継いでいるんやから、もっと自信を持て」と励ましていた。
ハカセは、それが励ましになると勘違いしていたようやが、当時のコウ君は、ハカセのようにだけはなりたくないと思っていただけに、よけい落ち込む結果になったという。
ハカセ本人は、常に正義のために喧嘩をしていたと言うかも知れんが、誰とでも見境なく喧嘩ばかりしている親の姿を数多く見せつけられれば、そんな気にもなるわな。
ワシも子供頃の一時期は、そうやったさかいコウ君の気持ちは良く分かる。
そうはなりたくないと考えて当然なんやが、親であるハカセには、その事が分からんのやろうと思う。
ハカセに限らず親というものは、とかく子供を自分の分身のように考えやすい。自分がこうだから、子供もこうだろうと。
それが子供にとって、どれだけ迷惑極まりない事なのかとは気づかずに。
挙げ句にDNAが同じやと言われることで、背の低さもハカセのせいやと考えていた時もあったというから、尚更、事は深刻やった。
救いなど、どこにもないと考えて。まあ、それには少年期特有の反抗期やったということもあったとは思うがな。
いずれにしてもコウ君は身長の低さに劣等感を抱いていたのは確かやった。
しかし、メッシの存在を知って背が低くても超一流の選手になれる可能性があると勇気づけられ、中学に進学すると同時にサッカー部に入部した。
ただ、現実は厳しく、たいていの子はすでに小学校時代から少年クラブなどでサッカーをしていて、コウ君とは最初から力の差が歴然としていた。
それでもコウ君は頑張れば何とかなると考えて続けたが、結果は一度もレギュラーになれずに中学の3年間を終えた。
そのままでは終わりたくないという思いで、コウ君は高校もサッカー部の強い私立高校に進学して、当然のようにサッカー部に入部した。
ハカセもそれは賛成した。「やりたいことは、とことんやれ」というのがハカセの口癖でもあったからや。やらずにあきらめるより、やってあきらめる方が数段マシやからと。
ワシもその意見に賛成や。それで成功すれば、それなりの達成感を得られるし、失敗しても挫折という貴重な経験を積むことができる。
もっとも、親という立場で子供を見た場合、なかなかそうは考えられんもんやけどな。どうしても子供には安全な道を歩かせたがるのが親心でもあるさかいな。
しかし、その人の人生はその人のものでしかないのも確かや。助言やアドバイスは迷っている者に対してするべきで、すでにその人が決めている事に対して、例え親であっても異を唱えてはならない。
例え、それがどんなに傍から見て無謀、無駄な事に思えようともである。どのような結果になろうと見守る事が親の努めだとハカセは考えている。
結果的には、そこでもコウ君は現実の厳しさを知ることになった。
その高校のサッカー部は過去、何度も全国大会に出場した経験があるため県内からサッカー自慢の優秀な子たちが数多く集まっていた。
頑張ればどうにかなるレベルではないと悟ったコウ君は高校1年の1学期の終わり、サッカー部を辞めた。
目標を見失ったコウ君は塞ぎがちな少年になった。クラスでも、どちらかというと孤独で浮いた存在だったという。
正直、ワシもその頃のコウ君の変わりようには少し心配していた。ワシともあまり会話をせんようになっていたさかいな。
もっとも、コウ君はハカセに似て正義感の強い性格の子なのでグレるといった点での心配はしていなかったが。
そのコウ君が高校2年生になった頃から、突然といっても良いくらいの変貌を見せた。
また以前の明るいコウ君に戻って、ワシにも気軽に話しかけるようになった。
そして、その頃からなぜか、国立の難関大学に進学したいと言い出し、実際、猛烈な勢いで勉強に没頭するようになった。
どうも、その頃に、その彼女との付き合いが始まったらしいと、ハカセは言う。
コウ君たちのデートはもっぱら図書館が多かったようや。
初めの頃は休日になると、「友達と図書館で試験勉強をしてくる」と言って出かけ、夕方にはちゃんと帰ってきていたので、ハカセもチエさんも、それがデートだとはまるで気がつかなかったという。
教育委員会が聞けば泣いて喜びそうな模範的な高校生ということになるが、昔からコウ君を良く知っているワシにしたら特段、驚くほどのことではなかった。
何しろ彼は、未だにサンタクロースの存在を真剣に信じとるような純粋な子やさかいな。もっとも、そう吹き込んだのはワシやが。
いずれにしても若い頃の恋というのは、ええもんや。何を隠そう、ワシにもそういう時期があった。はるか遠い昔の話やけどな。
『第192回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ゲンさんの想い出 その1 40年前の恋』(注2.巻末参考ページ参照)にそれがあるので、興味のある方はどうぞ。
コウ君に彼女ができていたと知ったのは、コウ君がお風呂に入っていた時、奥さんのチエさんがコウ君の携帯電話に出た時やった。
電話をかけてきたのは、その彼女やった。チエさんは女の直感で、すぐにそれと分かったという。
コウ君が急に勉強をする気になったのは、その子が原因やった。ある時、その女の子がコウ君を図書館に誘ったようや。
男が女の子をデートに誘うのに図書館を選ぶというのは普通は考えにくいから、まずその線やろうとワシも思う。
おそらく、その女の子は難関の国立大学を目指していて、コウ君もその気になったのやろうと推測する。本人に確かめた話やないが、状況から見て、それにほぼ間違いないはずや。
ここまでなら、何の問題もない小さな恋の微笑ましい話で終わる。
この後、ちょっとした問題が起きた。
「お父さん、僕、学校でストーカーみたいに担任の先生から言われたんや。もう、学校に行かれへん……」と、コウ君が力なくハカセにそう訴えてきた。
「どういうことや、それ?」
コウ君の話によると、期末試験の初日、担任教師に呼び出され、いきなり「お前、○○にしつこくつきまとっているそうやな」と言ってきたという。ストーカー行為をしていると。
○○というのは彼女の姓である。
「僕、そんなことはしてませんよ」
「いや、その事実があると他の生徒から報告があった。二度とそんなことをするなよ。そうでないと退学だぞ」
いくらコウ君がその事実がないと言っても、その担任教師は取り合ってくれなかったという。
「そうか、分かった。お父さんに任せろ」
ハカセは、すぐにその担任教師に電話をした。これは放置できない問題だと判断した。
こういった一部の人間の決めつけで、事実でない事が、さも事実であるかのように扱われてしまうというのは世の中にはありがちな事やからや。
それも教師と生徒という立場からすると、多くの場合、教師の言う事の方が信じられやすい。悪いのは生徒として片付けられる。
そうなってから、ひっくり返すのは、並大抵のことやないさかい、こういった事は早めに決着をつけておいた方が良い。
ハカセはコウ君の言うことなら100%信じる。今までウソをついたり、ええ加減な話をしたりした事など一度もなかったからや。
親心というのもなくはないが、それよりも一人の人間として信用していると。
そう結論づけると、どう考えても、その担任教師の側に非があるとしか思えない。
ただ、相手の話、言い分はきちんと聞かなければいけない。感情的になってもいけない。それだけは自分自身にきつく言い聞かせていた。
「白塚ですが、先生はうちのコウがストーカー行為をしているから止めろと仰ったそうですね?」
「ええ、そういった噂を耳にしたもので、本人には注意させて頂きました」と、その担任教師。
「噂? その噂の裏は取られたんですか?」
「裏と言われましても……」
最初は、その担任教師は自信ありげな対応だったが、ハカセにそう突っ込まれて声のトーンが一気に落ちた。
「その事が事実かどうかは、ストーカーされているという女の子に、お聞きになれば簡単に分かる話ではありませんか? それは確認されたんですよね?」
「確認は取っていません……」
「それはどうしてです? 普通、ストーカー行為というのは被害者からの訴えがあって初めて成立する犯罪ですよ。先生が、コウに弁解の余地も与えず、そう決めつけられているからには、それなりの確たる証拠があったからとは違うのですか?」
「コウ君が○○さんをつけ回しているという噂を聞いて、その事が心配になったという生徒からの報告だったものですから」
「すると、何ですか? 先生がお聞きになった噂話とやらも、その事実を直接目撃した生徒からではないということですか?」
ハカセは、その担任教師の言い分に半ば呆れた。
話どおりとするなら、噂話を信じた生徒の話をさらに信用して、ストーカー行為をしたと決めつけたことになる。
ストーカー行為は犯罪である。その事実があれば、警察沙汰にすることもできるだろうし、退学にもできる。ちょっと注意しておこうといった程度で済むような軽い話ではない。
警察であっても一方からだけの話で、それと決めつけるようなことは絶対にしない。例え、それが被害者だという女性からの訴えであってもである。
少なくとも相手の言い分くらいは聞いて、事実関係を確かめた上でないと、それなりの処置はしない。またできない。
コウ君の場合であれば、その噂話とやらの話を聞いた段階で、その担任教師はまず「その事実があるのか」と問わなくてはいけない。
コウは「そんな事実はない」と言うてるわけやから、その事実確認、調べをした上で、その事実に間違いないと分かった場合のみ、「そんな事は止めなさい」と言うべきである。
「いえ、私はコウ君のためを思って注意しただけですので……、何も決めつけて言ったわけではありません……」と、その担任教師は必死に取り繕うとする。
明らかに最初に言っていた事とは違ってきている。
「それでは納得できませんね。もし、先生が本当にコウのためと仰るのなら、何も期末試験中に、そんな話をわざわざするとは思えませんのでね」
コウのためなら、期末試験の初日でなくても試験が終わってから話しても十分間に合う。
考えられる理由は一つ。保身のためである。
コウ君のストーカー行為が事実やった場合、担任としての責任を問われることになるかも知れない。
そして、そうなる危惧が大やと、その担任教師は考えた。一刻を争う事態だと。
そのため自分に降りかかるかも知れない責任を回避するために先手を打ったと考えた方が、はるかに納得いく話だとハカセは言う。
「どうも私の配慮が足らなかったようで、すみませんでした……」と、その担任教師が謝ったことで、一旦、ハカセは矛を収めた。
その後、その高校の教頭や学年主任を交えた話し合いの中で、コウ君からその話を聞いた女の子が、そんな事実はない教師に伝えたことや、噂話そのものがなかったという事実が判明したため、コウ君にかけられた嫌疑は晴れた。
クラスの誰に聞いてもコウ君がストーカー紛いの事をしているという噂など微塵も立ってなかったからや。
そのことがあった一週間ほど前、コウ君に、その彼女と親しくするなと脅し気味に言ってきた同級生がいたという。
もちろん、コウ君は相手にせず、無視したということやが、その噂をその同級生が流したのかどうかまでは分かっていない。
いずれにしても、その担任教師の早とちりによる、根も葉もない話やったということで一件落着となった。
「雨降って地固まる」やないが、その後、コウ君とその女の子はクラス公認の仲になったということや。
もっとも、未だにデートは図書館限定らしいがな。コウ君曰く、「今は二人とも受験勉強が一番大事だから」ということのようや。
ただ、コウ君にも恋心が芽生えているのは確かで、「ゲンさん、女の人にクリスマスプレゼントをあげたことある?」と、ワシに聞いたのは、その女の子に何をプレゼントしたらええのかと迷っているからやと思う。
「お母さんに聞いたら、どうや。そんな質問は女性の方がええと思うで。それにハカセのことやから、お母さんに何かプレゼントでもしとるのと違うか?」
ハカセは記念日というのを大切にする男や。
奥さんの場合なら毎年、誕生日、母の日、バレンタインデー、結婚記念日などには必ずプレゼントをしているという。
当然、クリスマスにも何かプレゼントしているはずだと思い、そう言うた。
「あかん。お母さんにクリスマス・プレゼント貰ってる? て聞いたら、お父さんから、毎年、お金を貰っていると言うてたから」
どうやら、ハカセが買ってくるプレゼントは奥さんのチエさんには不評のようで、どうせなら「お金を頂戴」ということになったらしい。それで好きな物を買うからと。
ロマンの欠片もなく、何の参考にもならないとコウ君がぼやく。
それで、ワシに聞く事にしたらしい。ワシは博識やからということで、どんな贈り物をすれば女の子が喜ぶかが分かるのやないかと期待して。
「彼女へのプレゼントかい?」
「そ、そんなんやない。ただの友達や」
ただの女友達にクリスマス・プレゼントを渡す男がいるとは信じられんが、コウ君がそう言うのなら、そういうことにしとこう。
「そうか。無責任なようやが、何でもええのと違うか。コウ君が、これでええと選んだものなら」と答えた。
男はどんな贈り物をすれば女性に喜ばれるかを考えるが、女性はどの男に贈り物をされたら嬉しいかを考えるものやと、ある女性に聞いたことがある。
嫌な男、興味のない男から高価な物を貰っても心は動かんが、好きな男から貰う物なら、例えそれがどんなに安物であっても、その女性にとっては宝物になるのだと。
要は、その相手の女性にどう思われているかで決まるのやと。
「コウ君は、今まで毎年のようにワシらとクリスマスについて話をしてきているから、クリスマスについてのウンチクは豊富になったやろ」
1回目の『第20回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■サンタクロースは実在する?』では、
一般的なサンタクロースとは、白い髭、赤いジャケットにボンボリのついた帽子で、クリスマス・イブに8頭のトナカイの引くソリに乗り、煙突から入り暖炉の横に置かれている靴下にプレゼントを入れていくスタイルの老人のことや。
時を超越した不老不死の白い髭の老人。クリスマスには子供たちにプレゼントを配り、フィンランド、ラップランドのコルヴァチュンティリに帰る―。
それが、サンタクロースの伝説の姿や。
その伝説に呼応するように、実際に、フィンランド、ラップランド州ロヴァニエミ市にサンタクロース村というのがある。
ここには、サンタクロース専用の事務所もあり、サンタクロースと称する老人も実在する。その存在も、全世界に知られている。
ここの郵便局には、世界中から、毎年、そのサンタクロース宛に数十万通もの手紙が届く。サンタクロースからは、それ以上の手紙が世界中の子供に送られる。
中略。
確かに、サンタクロースの存在の多くは商業利用されているもんや。件の、サンクロースの手紙と称するものも、しかりや。子供へのプレゼントも、親が買い与えている。
そういう意味で言えば、サンタクロースは確かに実在せんし、ただのおとぎ話の一つに思える。
しかし、その親が、なぜクリスマスの日に子供にプレゼントを贈るのかということを考えて欲しい。
単に、そういうイベントが根付いただけのことやからやろうか。ワシにはそれだけやとは思われん。
親が、寝た子の枕元にそのプレゼントを置く瞬間は、誰でも間違いなく、心はサンタクロースに変身してると思う。親の子を思う心がサンタクロースを生んだ。 ワシはそう信じとる。
つまり、真のサンクロースは、子供を愛する親の数だけ存在している。実在のそういう親たち、総てがサンクロースやと思う。
その心が失われん限り、サンタクロースは滅ぶことはない。未来永劫、不老不死の老人として存在し続ける。愛の心が生んだものが、サンタクロースの姿になった。
これが、ワシのサンクロースは実在するという理由や。
と言い、2回目の『第72回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■サンタクロースは何歳ですか?』では、ある小学低学年と思える女の子から「サンタクロースは何歳ですか? おしえてください」という質問が寄せられ、それにハカセが、
サンタクロースの歳を知りたいようだけど、カナちゃんはいくつに見える?
白くて長いひげをのばした、おじいさんだから、60歳? くらいかな。それとも70歳、80歳に見えるかもしれないね。
実はね、サンタクロースは、歳をとらないんだよ。不老不死(ふろうふし)ということばは、聞いたことがあるかな。歳をとらないで死なないということだよ。
そんなの人間じゃない? そうだね。おじさんも、サンタクロースは人間じゃないと思うよ。
こども好きな神様という気がするね。だから、歳もとらず死なないんだよ。だって、神様が死んだら、アクマの世界になっちゃうだろ。
どうしても、サンタクロースの正体を知りたいなら、多くの人に知られていることがあるよ。
西暦(せいれき)270年から西暦342年まで、生きていた人で、トルコという国にニコラスという、こどもの好きなえらい人がいたんだけど、その人がサンタクロースだといわれているんだ。
その人の死んだ歳が72歳だから、サンタクロースの歳はその72歳ということになるかな。
それとも、今も生きつづけているのなら、1735歳(2005年当時)ということになるね。
と返信した。
第3回の『第124回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■真っ赤なお鼻のトナカイさんの話』では、小学生のお子さんを持たれている読者の方から「真っ赤なお鼻のトナカイさんの名前は何だっけ? すべてのトナカイに名前がついてたはずなんだけど・・・息子に聞かれて困っています」というメールを頂いた。
それに対して、ハカセは、
……………………………………………………………………………………………
真っ赤なお鼻のトナカイさんの名前はルドルフです。これが一番先頭です。
以下、左列前から順番に、ダッシャー(突進者)、ダンサー(踊り手)、プランサー(踊り跳ねる者)、ヴィクセン(口やかましい)と列び、右列前から後ろに、コメット(彗星)、キューピッド(恋愛の神)、ドンダー(雷)、ブリッツェン(稲光)となります。
因みに、ダンサー、プランサー、ヴィクセンはメスのトナカイで、他はオスです。全部で9頭ですね。
と回答した。
尚、そのメルマガの中に、赤鼻のトナカイという歌についてのエピソードがあるのやが、その話に感動されたという方が多い。
その部分を抜粋する。
「真っ赤なお鼻のルドルフ」というのは、今から42年前の1964年、アメリカNBCテレビで制作されたアニメの題名で、歴史的なヒットとなったものが最も有名や。
今でもアメリカの子供たちは、クリスマスになると、このアニメを楽しんでいるという。
生まれつき真っ赤な鼻をしていたルドルフは、他と違うその鼻のせいでいつもみんなに、いじめられて馬鹿にされ、悲しくて泣いてばかりいた。
あるクリスマス・イブのこと、8頭のトナカイがサンタクロースを乗せて出発しようとしたところ、突然、深い霧が辺り一面に立ち込めてきた。
「こんなに暗くては煙突を探すこともできない……」
サンタクロースは暗闇の中では出発することもできず、困り果てていた。
その頃、毎年世界中を駆け巡ってすでに英雄になっていた8頭のトナカイたちを一目見ようと多くのギャラリーが集まっていた。
その彼らが、何やら騒いでいた。
注目されてたのはルドルフやった。なんと、その赤い鼻がピカピカと光っていて目立ったからや。
「これだ!」とサンタクロースは思った。
サンタクロースがルドルフに近づいていくと、その赤鼻をいつものように、みんなに笑われていると思ったルドルフは悲しくて泣いていた。
サンタはルドルフに優しく言った。
「君は他のみんなとは違う。でも、だからこそ、すごいんだよ。君のそのピカピカの赤い鼻は、暗い夜道を照らすことができるんだ。どうか、それでわたしを助けてくれないか」
その夜、先頭を走るルドルフの活躍によって無事に多くの子供たちにプレゼントが届けられることになった。
そして、ルドルフは、一躍みんなの憧れるもっとも有名なトナカイになったということや。
あんなに嫌で、コンプレックスでしかなかった赤い鼻のお陰で、世界中の人気者になった。
この年から、9頭でソリを引くようになり、ルドルフは、クリスマス・イブの夜、常にその先頭で世界中の子供たちの夢を運ぶために走っているという。
そんなストーリーがあった。
これが、なんでいじめの教材になるのかは、もう説明せんでも、分かるわな。
これも、ワシが普段から言うてることと重なるが、欠点は必ずしも欠点にはならんということや。
マイナスも捉え方によればプラスになるという、ええ教訓が含まれとるわけや。
どんな人間でも、その長所は必ずある。
子供らに、それを教えれば、人を尊敬する心も芽生え、バカにしたり、いじめたりすることはなくなるのやないかと思う。
実は、この話が生まれた背景には、次のようなことがあったという。
今から、183年も前、1823年にサンタクロースと8頭のトナカイの話は、すでに出版されいた。
その話が、一般にも定着した1939年の12月。シカゴ在住のロバート・メイにより「真っ赤なお鼻のルドルフ」の話が発表された。
ロバートは、妻のエバリン、娘のバーバラと3人で幸せに暮らしていた。
娘のバーバラが2歳になったころ、最愛の妻、エバリンが病に倒れた。
ある会社のコピーライターをしていたロバートの収入はその治療費と薬代に消え、生活は苦しくなるばかりだった。
やがて、4歳になったバーバラがロバートに言った。
「どうして私のママは、みんなと違うの?」
この質問に、ロバートはショックを受けた。
ロバートは、幼い頃から体が小さくて良くいじめられていた。また、家も貧しいため進学することもできず、良い仕事にもつけなかった。
やっと得た仕事も薄給で、治療費のために借金だらけや。ロバートは、娘の質問にどう答えたらええのかと窮する。
そのとき、娘を喜ばせたいという一心で閃いたのが「真っ赤なお鼻のルドルフ」の話やったというわけや。
それは、ロバートの即興やった。
自分の思いとコンプレックスを赤鼻のルドルフという存在を創作することで、神様に創られた生き物はいつかきっと幸せになれるということを、幼い娘、病と闘う妻、そして自分自身に言い聞かせたかったからやという。
その後、娘にせがまれて毎晩この話をするようになったロバートは、クリスマスプレゼントとして、それを手製の本にまとめ始めた。
プレゼントを買う余裕のないロバートにとって、それは娘や妻への心のこもった贈り物やった。しかし、完成を目前にして最愛の妻、エバリンがこの世を去ってしまう。
失意に打ちのめされたロバートは、それでも、本を完成させ、愛する娘を喜ばせた。
数日後、所属する会社のパーティーでロバートが「真っ赤なお鼻のルドルフ」の話を朗読すると、会場から割れんばかりの拍手が湧き起こった。
それがきっかけで1939年、その会社でもある大手デパートのモンゴメリー・ウォードから実に240万冊もの本が宣伝用として無料で配られることになり、この物語が一躍世界中に広がっていった。
やがて、その10年後の1949年にロバートの義兄弟、ジョニー・マークスによってお馴染みの歌が作られ、クリスマスの定番として愛され続けているというわけや。
「コウ君、この話を聞いてどう思う?」
「そんなことがあるとは知らんかった。すごいね」
「そうやな。ワシもええ話やと思う」
聞き慣れた、クリスマス・ソングに、そういう事情があったと知れば、子供たちの考え方も変わってくるやろうと思う。
少なくとも、この話を知った子供らからは、いじめというのはなくなるはずや。その意味でも、学校でも家でも、子供にこういう話を多く聞かせるべきやと思う。
ワシらの子供の頃には、その手の話が数多くあった。確か、教科書にも載っていたと記憶しとる。
レ・ミゼラブルの『ああ無情』、エクトーリ・アンロ・マロ『家なき子』、ウィーダの『フランダースの犬』というのを、小学校の低学年の頃に読んで涙したのを、今でも覚えとる。
もちろん、今もそういう本が読みたければ、学校の図書館や街の図書館に行けば、たいていの所にあるはずや。
ただ、今の子は、その同じ本を読んでも、感動というか共感することが少なくなっとるようや。
もっとも、それ以前に、そういう本すら手にすることが少ないというのを、ワシがよく行く図書館の関係者に聞いたことがある。
その当時、ワシらが子供の頃やった40年ほど前は、日本もまだ貧しい国やった。貧乏というのが、取り立てて珍しいことでもなかったからな。
車やテレビのない家庭は普通やし、1冊、30円の漫画週刊誌も買えん子供の方が圧倒的に多かった。
ワシらが、感動して同情した主人公たちは、いずれも、それよりもさらに貧しさの極致におるような人物ばかりや。よけいに、涙を誘うということになる。
それは、アメリカでも同じで、その「真っ赤なお鼻のルドルフ」の流行った1939年頃も、やはり多くの一般市民は貧しかったという。
せやから、この作者のロバートがおかれた状況というのは、極端ではなかったのやないかと思われる。
ただ、やはり、一般のそれよりも、少し過酷やったから、その話が爆発的にヒットしたのやと思う。
貧しさがあった故に、人々の心は却って思いやりに溢れていた。そんな古き良き時代やったわけや。
それが、今は失われつつある。
日本の社会から感動が減って、悲惨な凶悪事件やいじめ、自殺という問題ばかりがクローズアップしてきとるのと、世の中が便利になり裕福になったというのが、それと正比例しとるような気がしてならん。
どちらが、ええかくらいは誰にも分かることやけど、人は一度、極上のステーキの味を知り、それがいつでも食べられる状況になると、安い肉で我慢しようとは思わんものや。
今の日本人に、車やテレビ、パソコン、携帯電話のない生活が考えられんのと同じ理屈やと思う。いくら、その頃が人情に溢れた素晴らしい時代やったと力説してもな。
我欲、物欲は、人の心の荒廃を招く。簡単な真理やが、それを元に戻すことは、おそらく今の日本では無理やろうと思う。
それでも、その荒廃の徴候として現れとる凶悪犯罪やいじめに対しては「真っ赤なお鼻のルドルフ」のような話を学校で、あるいは家庭ですることで減るはずやと信じとる。
まだ、コウ君のようにそれで感動する子は多いはずやから、今なら、それで救われる。そんな気がするんやけどな。
といったようなクリスマスに因んだ話を、そのプレゼントに添えて恋人に語るとええのやないかと思う。
最後に、このメルマガのために、アメリカ在住の読者の方から、アメリカのクリスマス実情について知らせて頂いたので、それを紹介する。
ウンチクとしても十分使えるし、日本人のクリスマスに対する外国からの見方というのも、それでよく分かるものと思う。
毎年、クリスマスに関連するメルマガ楽しみにしております。
いつも提供してもらってばかりで恐縮ですので、たまには日米のクリスマスの違いを箇条書き風に少し書いてみます。
アメリカにはクリスマスケーキはありません。嘘みたいな話ですが、日本の習慣です。不二家かどこかが流行らした見事な営業戦略です。
日本で定番のブッシュ・ド・ノエルというケーキは、日本人が経営するケーキ屋以外では見たことが無いです。
アメリカ人はクリスマスにケンタッキーフライドチキンを食べません。もちろん食べる人もいますが、どっちかというと可哀想な人というイメージです。
言うならば、正月に日本料理を食べようということで家族で吉野家に行くようなものです。
クリスマス商戦はアメリカでも盛んですが、クリスマス(25日)は街はゴーストタウンのように静まり返ります。
宗教的な色合いが強いので、25日は原則として休むのがルールであり、家族でテレビを見て過ごすのが一般的です。
私はごく平均的な日本人でいわゆる「何となく仏教徒」という程度の無信心な人なので、クリスマス当日にラスベガスに行ったことがありますが、ガラガラでした。
いくら休みでも、神聖な日にギャンブルの街に行くというのは不道徳なのだと思います。もちろん、ガラガラといっても観光客はそれなりにたくさんいます。人気がないためホテルは激安です。
11月中旬ぐらいからホームセンターやドラッグストアーの駐車場で生木のモミの木(カット済み)が色々なサイズで売られています。
何年か前に買ったのですが、2メートルぐらいで5000円ぐらいだったと思います。プラスチックのイミテーションより安いです。
専用容器にモミの木をさし、水をあげます。切花と同じで、切っても木自体はまだ生きているので水を吸い上げます。
本物の木でクリスマスツリーを作ると綺麗ですし、木の良い香りが部屋いっぱいに広がりますが、3週間ほど経つと葉が落ち始めます。最後はバラバラと落ちていき、掃除が大変でえらいことになります。
ゴミ箱に捨てに持って行くと、道中、葉をまき散らしていきます(神聖なシンボルの割に捨てるのはあっけないです。教会で焼いたりなんかはしないようです)。
日本でお正月に車にしめ縄をしているのを見かけますが、同じようにアメリカではクリスマスのリースを車につけている人が多くいます。
12月になるとラジオからはもう嫌になるほど一日中、クリスマスソングが鳴りっぱなしです。「そんなにあるの?」と思うほど色々なクリスマスソングが流れます。
日本の年賀状のようにクリスマスカードを配りまくります。特に会社はお客さん宛に送ります。でも、友達とか同僚みんなに送るというようなことはないように感じます。家族あてには送ります(手渡しも含む)。
アメリカでもハワイなんかは、かき入れ時とばかりに働きますし、移民の国なので、キリスト教徒以外の人もたくさんいるので、アメリカ全てに当てはまることでもないのですが、何か面白いと思えるものがあれば、使ってもらえたらと思います。
こういった情報などは本当に有り難い。少々調べたくらいでは分からん事ばかりやさかいな。
これもウンチクのうちに加えれば、「へぇー」と感心されるはずやと思う。その感心が尊敬に変わり、恋心に発展するかも知れん。保証の限りではないが。
「ありがとうゲンさん。参考にするよ。でも結局、何をプレゼントしていいのかゲンさんにも分からないということなんやね」
「そんな言い方をされると身も蓋もないが、要するにプレゼントというものは自分で考えて選んで渡す物が一番やないかと思うよ。それでないと心のこもった贈り物にはならんさかいな」
「そうだね」
もうすぐ、そのクリスマスがやってくる。今年は特に寒く、多くの地域でホワイトクリスマスになると予想されている。
クリスマスが何のためにあるのか、ワシには良くは分からんが、それにより誰かが誰かを愛して、思いやる心で世界中が満たされるのなら、例えその1日だけであっても理屈抜きに祝いたいと思う。
少し早いが、それぞれの愛のためにメリー・クリスマス。
参考ページ
注1.第20回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■サンタクロースは実在する?
第72回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■サンタクロースは何歳ですか?
第124回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■真っ赤なお鼻のトナカイさんの話
第176回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■天国からのクリスマスプレゼント
第28回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■クリスマスソングが歌いたい
第80回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■誰にでも訪れるクリスマス・イヴの小さな奇跡の話
第133回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■クリスマスに永遠の命の話を
第185回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■サンタさん、お母さんにあわせて
注2.第192回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ゲンさんの想い出 その1 40年前の恋
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