メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第242回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2013. 1.25
■考えさせられる話………その2 顧問教師による体罰問題について
常連の読者の方から、
いつも楽しくメルマガを拝見しています。
「桜宮高体育系の入試中止決定=高2体罰自殺、橋下市長要請―大阪市教委」というニュースが今日(1月21日)の夕方ありましたが、この橋下大阪市長のやり方について、ゲンさんはどう思われますか?
また、運動部の体罰問題について、どう思われますか?
できれば、この話をメルマガで取り上げていただけませんか。
というメールを頂いた。
ワシらは問われれば、どんな質問にも答えたいという気持ちはあるが、この体罰問題というのは正直、どう話してええのか迷うし、難しい。根の深い問題やとも思う。
どんな問題についても言えることやが、それぞれの立場に立てば、それぞれの正義、主張があるさかいな。
ワシは教育の専門家やないし、当事者でもない。一般の人と同じく報道されている内容を見て判断するだけやから、どこまで実情に迫れるのか怪しい。そのため的外れなことを言うかも知れん。
それを承知して貰い、ワシの個人的な意見ということで良ければ話す。
まず、その記事を紹介しとく。
桜宮高体育系の入試中止決定=高2体罰自殺、橋下市長要請―大阪市教委
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130121-00000088-jij-soci より引用
大阪市立桜宮高校2年の男子生徒(17)が顧問から体罰を受けた後に自殺した問題で、市教育委員会は21日、臨時会議を開き、同校体育系2科の入試中止を決定した。
橋下徹市長が中止を強く求めていた。受験科目や試験日程、学区はこれまでの体育系2科と同じにし、受験生に配慮した措置も取った。
会議では5人の教育委員のうち1人が反対を表明したが、賛成多数で中止を決定した。
中止となるのは同校の体育科(定員80人)とスポーツ健康科学科(同40人)で、計120人分を普通科に振り替える。
ただし、新たに普通科となる120人は、従来ある普通科(同160人)と分け、スポーツに特色あるカリキュラムを組んでいく。受験科目や学区など募集要項についても、体育系2科のものを引き継がせた。
唯一反対した長谷川恵一教育委員長は、体罰経験についての同校生徒へのアンケート結果で、普通科でも体罰があったことを指摘。「看板の掛け替えにすぎない」と主張した。しかし、他の委員からの「これまでの科目で受験できるのは中3の負担が軽減される」などの意見で、中止が決まった。
また、同アンケートでは、これまで体罰が判明していたバスケットボール部とバレーボール部以外での部活動でも、体罰を受けたとの回答があったという。
入試実施の場合、市教委にかかる予算の凍結を辞さない構えを示していた橋下市長は、入試中止について「素晴らしい決定」と歓迎。加えて、看板の掛け替えとの指摘について、「今までの体育科として募集するのではないから、決定的な違いだ」と否定した。
というものや。
同校体育系2科の入試について『橋下徹市長が中止を強く求めていた』ために中止になったというのが、この記事の内容や。
そのため橋下徹市長に対する批判的な論調がマスメディア、ネット共に多い。これはやりすぎやと。
橋下徹市長一人が悪者になっている印象が強いが、果たしてそうやろうか。
確かに、一部の受験生のことを考えれば、何で今頃になって入試を中止にするんやと思わんでもない。
しかし、まだ後戻り、受験先の変更ができる入試前の今だからこその決定やったと考えれば、それなりに評価できる。
考え直すチャンスが与えられたという点で言えば、むしろ受験生にとってもラッキーやったと。
何の事件も起きていない状態であれば桜宮高校の体育科およびスポーツ健康科学科に入学することには意味があったやろうと思う。
入学できれば、その先の大学進学も約束されているようなもんやと言うしな。
また、大学に進学せず、社会人としてスポーツに関係する仕事に就いていれば、社会的な評価も高く、卒業したことで得することも多いと聞く。
しかし、現在は、バスケットボール部の顧問教師による体罰によって一人の生徒が自殺に追いやられた事件で、日本全国から非難を浴び、学校の名声や値打ちは地に落ちている状態やと言える。
したがって、以前のような恩恵が今後も継続するという保証はどこにもない。
今やと桜宮高校の体育科およびスポーツ健康科学科に入学して卒業しても、その事が却ってマイナスに作用することすら考えられる。
また橋下大阪市長は、教員の総入れ替えを要望しとるようやが、この件に関して言えば、教育委員会もその意向を仄めかしていたから、橋下大阪市長に言われるまでもなく校長をはじめ教員の大幅な入れ替えは避けられん状況にあったようや。
今までにも不祥事の発覚した学校の人事の多くで、そうなっているさかい、橋下徹市長の意向にかかわらず、そうなるものと思う。
要するに責任という名のトカゲの尻尾切りをするだけの話や。
これは教育委員会に限らず、多くの巨大組織の常套手段でもある。
まあ、それでも橋下大阪市長の圧力があったからということで、それが行われるとして、多くのマスメディアやネット、および一部の受験生たちは、氏を悪者に仕立て上げとるようやがな。
ちょっと考えて欲しい。この問題がここまで大きくなっている状態で、今までと同じ学校の形態で受験が行われた場合どうなるかということを。
今は一部の受験生に配慮しなければいけないという意見の方が強いが、そのまま受験が行われれば、一人の生徒が死に追いやられているにもかかわらず、学校の体質は何も変わらないのかという印象を一般に与えてしまう。
当然、その批判を教育委員会が浴びることになる。それを避ける意味で取ったのが今回の措置やと考えれば納得がいく。
橋下大阪市長に屈したと見せかけることで、氏をスケープゴートに使うこともできるという判断もあったと。
ワシは冷静に見て、橋下大阪市長の言うてることの方が、より多くの受験生や社会のあり方に警鐘を鳴らしている分、納得できるし評価できると思う。
誰かが、「このままでは桜宮高校ではなくなる」と言っていたが、評判が地に落ちている事で、すでにそのとおりになっている。
ただ一人、この決定に反対した教育長は『看板の掛け替えにすぎない』と主張している。
『新たに普通科となる120人は、従来ある普通科(同160人)と分け、スポーツに特色あるカリキュラムを組んでいく。受験科目や学区など募集要項についても、体育系2科のものを引き継がせた』となっているから、確かに内容的には『看板の掛け替えにすぎない』と言える。
しかし、この看板の掛け替えをしたことが大きな意味を持つのも確かや。その事により、以前の状態の桜宮高校ではないと明確に示しているわけやさかいな。
今の若い人たちの言葉を借りれば、「もう終わっている」という感じに近い。
ほとぼりが醒めれば、また体育科およびスポーツ健康科学科が復活する可能性もあると言う者もいとるようやが、そんな事は期待せん方がええと言うとく。
学校を含めた行政すべてについて言えることやが、そんな融通性などは殆どないのが行政の組織というもんや。
一度決まった事は梃子でも変えようとはせんのが普通やさかいな。
もし変えることがあるとすれば、今回のように保身に迫られた時くらいなものや。
元に戻すには、それ相当の抵抗と批判を浴びることを覚悟せなあかんやろうから、そんなリスクを冒してまでそうしようという者は、教育委員会、および学校関係者にはおらんやろうと思う。
また、現在の校長および教師の大半が入れ替えられるとあっては尚更や。新しい教師たちにとっては赴任した先のシステムに則ってやっていくというのは当たり前のことやさかいな。
そんな教師たちにとっては、以前のことを言われても困るはずや。却って混乱を招く。
加えて、『スポーツに特色あるカリキュラムを組んでいく』とは言うても、実際にそれを行える教師を集められればええが、この時期にそれは期待できんやろうと思う。
断言はできんが、今のような状況で名の通った専門家および教師に、それを依頼しても応じる者は少ないはずやさかいな。できるのは形だけの人数合わせでしかない。
名実共に以前の桜宮高校体育科およびスポーツ健康科学科ではなくなったと言うのは、そのためや。
そんな所に何の魅力があると言うのやろうか。
そうなる事に危機感を抱いたという在校生8人が大阪市役所に行き、「大人たちから一方的に体育科を奪われ、部活動を奪われようとしている」と橋下市長や市教委への不満を涙声で訴えたという報道があった。
在校生の声届かず「大人たちから一方的に奪われようとしている」…桜宮高入試中止
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20130122-OHT1T00004.htm より引用
「本当に残念で、言葉が出ない」。入試中止決定を受け、同校の運動部の元主将ら男子生徒2人、女子生徒6人の3年生計8人が市役所で会見。
「大人たちから一方的に体育科を奪われ、部活動を奪われようとしている」と橋下市長や市教委への不満を涙声で訴えた。
桜宮高が「勝利至上主義」と指摘されたことに女子生徒は「礼儀やマナーなど人として大切なことを学んできた。桜宮高の伝統は正しいと思っている」と力を込めた。
会議前のこの日午前、橋下市長は桜宮高を訪れ、入試中止決定を確信していたように、在校生や教職員を前に“事前通告”。「生徒に責任はないがクラブ活動よりもっと大切なことがある」と約1時間、直接説明した。
一方、生徒側は代表2人が「体育系学科があっての桜宮高。人生の一部である新入生の受験の機会を奪ってほしくない」などと切実に訴えたが、発言時間は計15分間だけ。橋下市長の心には響かなかった。女子生徒は「声を十分に聞いてくれなかった」と話した。
下校途中の体育科3年の女子生徒(17)も「将来の夢まで考えて準備している子もいるのに、本当にかわいそう。橋下さんが思っているように学校が変わるか分からない」と残念がった。
と。
一見、可哀想で、何とかしてやりたいと思われる方がおられるかも知れんが、残念ながら彼らは何も分かっていない。厳しいようやが、やはり子供やと言うしかない。
なぜなら、彼らは自分たちの立場だけしか考えていないからや。自分たちや受験生には罪はないのに、なぜこんな辛い仕打ちを受けなければならないのかと。それしかない。
彼らの中から自殺した生徒の無念さや心情について、憐憫の情を示した者は一人もいないということが如実にそれを物語っている。
教育という名のもとで行われた体罰、暴力によって追いつめられて死を選んだ仲間、しかも同じ運動部のキャプテンをしていた生徒に対しては、何をおいてでも真っ先に哀悼の意思を示すことが、何よりも優先されるべきやないかと思う。
残念ながら彼らから、その姿勢が見えて来ない。それを言い出せば自らの主張に整合性がなくなるとでも考えているのやとしたら、それまでや。救いがない。
生徒の自殺と入試は別やと、したり顔で言う者たちがいとるが、それは違う。
この問題は、明らかにそこから出発しとるわけや。顧問教師の体罰、暴力による生徒の自殺があったことで、それを不祥事として教育委員会が入試の中止を発表したわけやさかいな。
自殺した同級生への哀悼の気持ちがないばかりか『桜宮高の伝統は正しいと思っている』とさえ言い切っている。なぜ、そんなことが言えるのか。それほど仲間の命は桜宮高校では軽いのか。
結果として、その指導の過ちから、生徒が一人亡くなっているわけやから、これはどう見ても桜宮高の伝統は間違っていたと言うしかないと思うがな。
人命は何よりも重いと教えるのが教育やと考える。人命を軽んじたら、その時点で人ですらなくなる。
そんなことすら分からず、自分たちの立場しか考えんような生徒を育てた今の桜宮高校は、学校としての体をなしていないと、ワシは考えるがな。
根本的な部分が間違っていると。
まあ、これは今の学校教育そのものの間違いで、特に桜宮高校に限った問題ではないやろうがな。
「生徒に責任はないがクラブ活動よりもっと大切なことがある」と橋下大阪市長が言うたのは、人命の尊さをもっと真摯に考えろという意味やが、自分たちのことで頭がいっぱいなのか、そのことが何も理解できていないのやろうな。
まあ、ワシはひねくれとるから、誰かが後ろで、それらの生徒たちを焚きつけたのやないかと穿った見方をしとるがな。
生徒を前面に出して涙の一つも流させれば世間の同情を引けると考えた上での作戦やないかと。
訴えたという生徒が『同校の運動部の元主将ら』だけやったというのに引っ掛かるものがあるのはワシだけやろうか。
如何にも扱いやすそうな連中だけを集めて抗議させたという風にしか見えんがな。まあ、違うと反論されれば、そうかと答えるしかないが。
もし、彼らの主体性に基づいてやったことやと言うのなら、その彼らには、もっと現実を見て考えろと言いたい。
誰かを責めることで現状から逃げようとするな。甘えるなと。
バスケ部に限らず桜宮高校では多くの運動部で体罰と称する暴力が、はびこっていたのは日を追う毎に明らかになっている。
今回、苦情を言い立てにきた運動部のキャプテンなら、その事実を知らんかったはずがない。
『桜宮高の伝統は正しいと思っている』と言えるのは、その体罰と称する暴力を肯定していることになる。
そうであるなら、それにより引き起こされた結果も甘んじて受け入れるしかないのと違うやろうか。
この高校が異常なのは、生徒の中から学校や顧問教師に対する批判的な発言が殆ど出て来ない点や。
現在のような状況に不満があるのなら、その原因を招いた顧問教師や学校側の体制に、その矛先を向けるべきやと思うがな。
それをせず橋下大阪市長に対して苦情を言うのは筋違いやと言うしかない。
橋下大阪市長にしても、これほどの悲惨な事件がなければ、そこまでのことは言うてないし、してなかったわけやさかいな。
もっとも、生徒たちの顧問教師や学校側に対する批判的な意見をマスメディアが拾い上げていないだけなのか、あるいは学校全体にそれを言い出すことが、はばかられる雰囲気にあるのかも知れんがな。
そういったことも校長および現在の教師が総入れ替えになることで、追々明らかになっていくものと思う。
この件に関して言えば、市役所に苦情を言いに来た『同校の運動部の元主将ら』の言い分の方が、おかしいと言うしかない。
仲間の死より、自分たちのことしか考えてないのやさかいな。
ワシも、これが個人の考えでそう言うのであれば、ここまでのことを言うつもりはなかった。どのような意見、考えを持っていようが好きにすればええと思う。
しかし、事の善悪、正否を客観的に判断するためには、おかしなことはおかしなことやと言うしかない。明らかに苦情の矛先が違うのやないかと。
いずれにしても、以前のような桜宮高校には当分の間、戻れないのが現実やと思う。これからしばらくは、好むと好まざるにかかわらず、好奇な目で見られることになるやろうしな。
去年の大津の中学校でのいじめ自殺事件のように。
口の悪い連中の中には、「何やお前、あの体罰問題で有名な高校の体育科(スポーツ健康科学科)に在籍していたのか」と言うて好奇な目で見る者も十分考えられる。
何かで悪い評判が立てば、それがいつまでも尾を引くのは世間では珍しいことやない。
時が経てば忘れられると良く言うが、その名前を聞けば人はまた思い出すもんや。
今回のような大事件に発展すれば特に、それが言える。人々の記憶の中で完全に忘れ去られることなどないと。それが世の中というものやと。
その中でナンボ「真面目でええ教師、顧問もいとるんや」、「悪い学校やない」と声を大にして叫んでも誰も聞いてはくれん。言うだけ無駄や。
それだけ人に与える評判、印象の悪さは怖いわけや。
ワシら新聞拡張員は、一部の不心得者がしでかした悪評により、数十年もの長きに渡って苦しめられ続けてきたさかい、それが良う分かる。
新聞拡張員というだけで、何もしていなくても悪く見られるさかいな。
言えば一種の風評被害やが、そうした批判的な人たちの心を変えることができん以上、それが世の中やと割り切るしかない。理不尽この上ないことではあるがな。
今までの名声は地に落ちたと。そして、一度落とした信用を取り戻すのは生半可な事では無理やと。世の中、それほど甘くはないと。
つまり、今この時点で桜宮高校の体育科およびスポーツ健康科学科に入学しても、今まで得られていたようなメリットは望みにくいということや。
その選択肢を事前に提示された分、救われたと考える受験生もいとるはずや。
さも桜宮高校の体育系2科(体育科、スポーツ健康科学科)への受験だけしか考えていない生徒ばかりのように新聞やテレビのメディアでは報道されとるが、実際には募集定員120名に対して、問題発覚前の志望者は213人やったということやから、約半数はいずれにしても落とされることになるわけや。
その人たちにとって見れば、この決定はあながち悪いとは言えんのやないかなと思う。
無理して受験するのは止めようとなるさかいな。そう思い切りがつく分、助かったと考え直すことができる。
まあ、そういう人たちの声を取り上げるより、桜宮高校の体育科およびスポーツ健康科学科一本の入試を考えていた受験生の声を拾い上げる方がインパクトが強い、つまり報道価値が高いということで現在のような報道ばかりになっとるのやろうがな。
合格が、ほぼ約束されている、確実視されている受験生やその保護者にとっては「とんでもない」と反論するのは当たり前のことや。「何で今頃になって」という気持ちにもなるのも無理もない。
しかし、それは何もない時にしか言えんことやと思う。
実際に、学校としてあってはならん体罰が原因で生徒が自殺に追いやられている事件が起きているわけやさかいな。
単なる学校側の不祥事として片付けられるべき問題やない、重大な不祥事を引き起こした学校や。
大津の中学校のいじめ問題を取り上げた『第213回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■子供がいじめにあって困っていますが、どうすればいいのでしょうか?
』(注1.巻末参考ページ参照)の中で、
『ここまでの事になったら、これは殺人事件にも等しいこと』やと言うたが、今回のことも、それと同様、いや生徒を教え指導する立場の教師が加害者やという点を考えれば、それ以上に悪質やと言える。
そして、『教育委員長は、体罰経験についての同校生徒へのアンケート結果で、普通科でも体罰があったことを指摘』ということからも、その根の深さは深刻やと思う。
教育委員長の言い分は、『体育科、スポーツ健康科学科』があるために体罰問題が起きたのやないと言いたかったのやろうが、ワシの意見は少し違う。
その『体育科、スポーツ健康科学科』があるということの背景には、それによりスポーツ強豪校を目指すという明確な目的があったはずや。
スポーツ強豪校とは何か。それは試合に勝つ、大会で優勝、もしくは好成績を上げることや。つまり勝利至上主義にならざるを得ないということを意味する。
本当に優秀な指導者なら体罰という安易な方法で、特定の部員だけを見せしめ的に殴り続けるという愚は犯さんやろうが、『普通科でも体罰があったことを指摘』ということでも分かるとおり、指導者として不適格な顧問教師が複数、桜宮高校にはいたことになる。
その根源には『体育科、スポーツ健康科学科』があったからやと思う。勝つことを義務づけられた人間は、そのためなら何でもするということが往々にしてある。
好成績を上げることがノルマとなり、成績の悪い者は外される。それを避けるためになりふり構わず、できることは何でもするわけや。
どこかで見た光景である。
新聞業界にも部数至上主義というのがある。契約を確保することが何より優先される。そのためにノルマがある。そのノルマが達成できない者には過酷な運命が待っている。
人間性を否定されるが如くの罵声や叱責は当たり前で、暴力をふるわれるというケースもいくらでもある。閉された世界やから、表には表れんだけでな。
それと似たような事が行われていたというのは容易に想像がつく。
橋下大阪市長は、現在、大阪府内に体育学科のある高校の募集枠を増やすよう教育委員会に要請しとるというから、それが実行されれば、今回のことは、受験生にとってもそう悪い話ではなくなると思う。
このまま入試に突き進めば、この問題はちょっとやそっとで下火になるとは思えんさかい、例え試験に合格して入学できたとしても、火中に飛び込むことになる可能性が高い。
校長は当然として教師も総入れ替えになるというのでは、そもそも受験生が考えていた高校ですらなくなるわけやさかいな。
それよりも、そのメリットがなくなった『体育系2科の入試中止決定』は、却って受験生に配慮したものと言えなくもないということや。
はっきり言うが、今のこの時点の桜宮高校の体育科およびスポーツ健康科学科
がなくなった方が、幻想を抱いた不幸な受験生が少なくなる分、ええやろうと考える。
入学してから「こんなはずではなかった」と悔やむより数段マシやと。
選択肢には、ええ事ばかりを示すのやなく、マイナス面も提示せなあかんと考えるさかいな。
おそらく、その意味で橋下大阪市長は『素晴らしい決定』やと言うたのやろうと思う。もっとも、一般にはその真意はあまり伝わってないようやがな。
ただ、今回の事を足がかりにして教育行政に踏み込んで行けるという、政策的な打算があったのも確かやとは思う。
その意味では、今回の事件を利用したと言えなくもない。もっとも、それが責められる値するとは思えんがな。
『運動部の体罰問題について、どう思われますか?』ということやが、一般には学校内のクラブ活動の指導において多少の体罰は認めてもええという雰囲気が根強いようやが、ワシは絶対にあかんことやと断言する。
元プロ野球投手の桑田真澄氏の談話がある。
「体罰は自立妨げ成長の芽摘む」桑田真澄さん経験踏まえ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130111-00000042-asahi-soci より引用
体罰問題について、元プロ野球投手の桑田真澄さん(44)が朝日新聞の取材に応じ、「体罰は不要」と訴えた。殴られた経験を踏まえ、「子どもの自立を妨げ、成長の芽を摘みかねない」と指摘した。
私は中学まで毎日のように練習で殴られていました。小学3年で6年のチームに入り、中学では1年でエースだったので、上級生のやっかみもあったと思います。殴られるのが嫌で仕方なかったし、グラウンドに行きたくありませんでした。今でも思い出したくない記憶です。
早大大学院にいた2009年、論文執筆のため、プロ野球選手と東京六大学の野球部員の計約550人にアンケートをしました。
体罰について尋ねると、「指導者から受けた」は中学で45%、高校で46%。「先輩から受けた」は中学36%、高校51%でした。「意外に少ないな」と思いました。
ところが、アンケートでは「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%にのぼりました。「あの指導のおかげで成功した」との思いからかもしれません。
でも、肯定派の人に聞きたいのです。指導者や先輩の暴力で、失明したり大けがをしたりして選手生命を失うかもしれない。それでもいいのか、と。
私は、体罰は必要ないと考えています。「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか?
スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。殴られるのが嫌で、あるいは指導者や先輩が嫌いになり、野球を辞めた仲間を何人も見ました。スポーツ界にとって大きな損失です。
指導者が怠けている証拠でもあります。暴力で脅して子どもを思い通りに動かそうとするのは、最も安易な方法。昔はそれが正しいと思われていました。
でも、例えば、野球で三振した子を殴って叱ると、次の打席はどうすると思いますか?
何とかしてバットにボールを当てようと、スイングが縮こまります。それでは、正しい打撃を覚えられません。「タイミングが合ってないよ。どうすればいいか、次の打席まで他の選手のプレーを見て勉強してごらん」。そんなきっかけを与えてやるのが、本当の指導です。
今はコミュニケーションを大事にした新たな指導法が研究され、多くの本で紹介もされています。子どもが10人いれば、10通りの指導法があっていい。
「この子にはどういう声かけをしたら、伸びるか」。時間はかかるかもしれないけど、そう考えた教え方が技術を伸ばせるんです。
「練習中に水を飲むとバテる」と信じられていたので、私はPL学園時代、先輩たちに隠れて便器の水を飲み、渇きをしのいだことがあります。手洗い所の蛇口は針金で縛られていましたから。
でも今、適度な水分補給は常識です。スポーツ医学も、道具も、戦術も進化し、指導者だけが立ち遅れていると感じます。
体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう。
この談話には体罰することの無意味さが凝縮されている。日本トップクラスやったプロ野球選手の言うことやから、それなりに重みがある。
特に最後の『体罰を受けた子は、「何をしたら殴られないで済むだろう」という後ろ向きな思考に陥ります。それでは子どもの自立心が育たず、指示されたことしかやらない。自分でプレーの判断ができず、よい選手にはなれません。そして、日常生活でも、スポーツで養うべき判断力や精神力を生かせないでしょう』というのは、まったくそのとおりやと思う。
生前、自殺した生徒は顧問宛てに手紙を書いていたということが分かっている。
手紙には、
なぜ僕だけがしばき回されなくてはならないのですか。キャプテンをしばけば何とかなると思っているのですか。キャプテンとして頑張っても、先生の言うことが完璧にこなせない。他の部員と同じミスをしてもキャプテンの自分だけが怒られる。もう、こんな学校に行きたくない。
と書かれていたという。
結局、これは他の部員から「顧問に見せると怒られるから見せない方が良い」と言われて顧問には手渡していないと言うが。
この遺書を見ても分かるように自殺した少年は、顧問の体罰には納得していなかったというのが歴然としている。
『もう、こんな学校に行きたくない』と結んでいるわけやから、本当に学校に行かないという選択をしていれば、少なくとも死を選ぶことはなかったのやないかと思う。
それでもその生徒は学校に行き、クラブに顔を出し、そこでさらに30〜40発も顧問教師に殴られているという。
『しばき回されている』という関西では最悪の表現とも言える暴力行為があったと。
そして、それに耐えきれず死を選んでしまったわけやが、少年はなぜ、そうしてまでクラブを続けることに拘ったのか。
バスケが好きやったのか。それもあるやろうが、それ以上に桜宮高校の体育科に所属していたということが大きかったのやろうと思う。
自殺した少年は、大学に進学したいという思いがあった。だからこそ、過酷な顧問の体罰にも耐えていたという。
桜宮高校の体育科に所属していて名門バスケットボール部のキャプテンという実績が大学入試に生きると信じて。推薦入学も有利に働くからと。
その顧問教師も、それは知っていたはずや。そのため絶対に逆らえないという前提のもとで体罰という名の暴力を振るっていたことになる。
その事実は、絶対に赦されることやない。
人は肉体的苦痛を伴う暴力には弱い。暴力に耐えられるようにはなっていない。せやからこそ、大昔から「拷問」には暴力が使われてきたわけや。
今回の件は体罰とか暴力という言葉で片付けられているが『30〜40発も殴られている』というのは拷問に匹敵することやと思う。
それが日常やったということからも明らかに常軌を逸している事態やったと言える。
しかも、多くの教師や生徒たちが、それと知りながら誰も助けようとはしなかった。そんな雰囲気になかったということやが、その事一つ取っても、やはり異常な事態が桜宮高校にあったと言わざるを得ない。
それにより追いつめられた少年は死を選んでしまったわけやさかいな。ホンマに悲惨な事件と言うしかない。
それを考えれば、振り替え入試の件など些末なことやと個人的には思うがな。教師の総入れ替えもやむを得んことやと。
根本的に変えることでしか桜宮高校の再生など、このままではできんやろうしな。
少年の父親は、その顧問教師を少年の月命日である1月23日に刑事告訴したという。父親としての無念のほどが良く分かる。
ここで、どうしも理解できんことがあるのやが、これだけの事件を引き起こした容疑者とも言える、その顧問教師の実名が新聞紙面やテレビメディアにおいて未だに公開されていないのはなぜかと思う。
暴行罪が立証され起訴されるのは、ほぼ間違いなく、その容疑も本人がそれ認めとる発言をしとるわけやから無実ということはあり得んはずや。
傷害事件までにはなっていなくても悪質な新聞勧誘をしたとして逮捕され実名を晒された新聞販売店員もいるし、たった50円相当の新聞古紙を持ち去ったというだけで、同じく逮捕され実名報道された古紙回収員もいとるいうのにである。
いずれも罪の軽重で言えば、その顧問教師に比べると、それらの者たちの方がはるかに微罪であるのにもかかわらず、結果としてそういう扱いになっている。
しかも、その顧問教師は現時点では逮捕すらされていない。
この差は一体何なのやろうかと思う。これほど不平等な報道はないと思うがな。まあ、それは新聞社やテレビ局側の方針やと言われれば、それまでやけどな。
もっとも、ネット上ではすでに顧問教師の実名は、あちこちの掲示板、ブログ、ツイッター、フェイスブックなどで公開されとるようやがな。
ここで、その顧問教師を批判するだけでは、この問題の解決にはならんと思うので、なぜその顧問教師が日常的に生徒に対して、体罰という名の暴力で指導するに至ったのかという点について探ってみたいと思う。
当たり前やが、誰しもそうなるには、そうなるだけの事情と背景があるさかいな。その善し悪しは別にして、それを知る必要がある。
一方的な批判を避けるためにも。
今から約30年前の1984年に放映され大ヒットを記録した人気学園青春ドラマ『スクール・ウォーズ』でラグビー部の熱血監督のモデルになったA氏という方がおられる。
そのドラマでは大敗してふて腐れているラグビー部員を熱血教師が一人ずつ殴っていくというシーンがある。
ワシはドラマやから、そういう演出をしているのかと思っていたが、後にそれが実話に基づいた話やと知って、そのドラマを見る気がせんようになった。
当時はそれが「愛のムチ」としてもてはやされ、厳しい指導が素晴らしいと評価されていた。当時のスポ根ドラマの典型的なパターンでもあった。
ワシはそんな風潮は、その当時からおかしいと思っていた。
どうも、学校やスポーツの場で時には「愛のムチ」と称する体罰、暴力も時には必要やという風潮は、この頃から作られていたのやないかという気がする。
「愛のムチ」と言えば体罰や暴力を美化できるさかいな。
言うとくが、暴力で得られるものは相手の屈服でしかない。それは指導やなく、単に命令に服従させるための手段にすぎんと思う。
植え付けるのは恐怖と憎しみ、それしかない。
ワシは、それが事実に基づいた話と知りつつドラマを見ていて、熱血教師が生徒を殴っているのは単に負けて腹が立っただけやないのかと考えた。
ドラマでは、演出次第でいくらでも話を美化できるが、それが現実に起きた事やとなれば、そんな綺麗事でやっている者など殆どいないということを、ワシは子供の頃から知っていた。
綺麗事を言いながら人をドツく者に限ってロクな人間はおらんというのが、ワシの人生訓にもなっていたさかいな。
ワシが学生時代に、実際にそのラグビー部にいて、そんな体罰教師がいたら確実に反撃していたはずや。ワシは相手の暴力に屈することが死ぬほど嫌やさかいな。
ワシ自身、相手をドツくことがあっても、それを「愛のムチ」やと考えたことなど一度もない。
やむを得ず暴力を振るうということはあるが、その大半は怒りからくるもので、そこに綺麗事など存在しない。
暴力はどこまでいっても暴力でしかないと考えとるさかいな。
結果的にA氏は、そのやり方で全国制覇3回という偉業を成し遂げ、京都市のスポーツ政策顧問として活躍した伝説的な指導者になっている。
その事実だけを見ると成功者と言える。
そのA氏は引退後のある雑誌のインタビューで、「悪いことをしたら叱り、時には本気で殴るべき」と体罰を容認するかのような熱弁をふるっている。
また、別のところでは『「注意したらキレるんちゃうかな」と怖れてはいけません。子どもにビビって教育なんかできますか』という持論を展開しているという。
何もなければ、それはそれなりに評価される言葉ではある。
実は、今回、問題となっているバスケ部の顧問教師は、そのA氏の娘さんと結婚されているということや。つまりA氏とは義理の親子という関係になるわけやな。
バスケ部の顧問教師が、そのA氏の指導方針に心酔して影響を受け、そのやり方を受け継ぎ、模倣していたというのは大いに考えられることや。
もちろん、その顧問教師は自分なりの信念に従ってそうしていたとは言うやろうが、こういう結果が出た今となっては、そのやり方は間違っていたということを素直に認め、その償いをするしかないと思う。
それが人として取るべき道やと。
そして、今回の事を大きな教訓として全国の教育者、指導者は肝に銘じて貰いたいと思う。
体罰や暴力で人を指導できることなど何もないと。
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