メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第245回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2013. 2.15
■拡張の群像 その11 還暦の新人拡張員
「仕事が見つからず、新聞のセールスを始めました」という方からのメールが数年前から増えている。
何かの質問とか、相談というのやなく、近況を述べられたり、愚痴をこぼされたりしておられるだけなので、特にメルマガやサイトのQ&Aで取り上げることはなかった。
ワシらに話すことが主な目的で、それによりそれら方々の気持ちがいくらかでも晴れる、紛れるのなら、良いかなと思っていたからや。
それが、少し違うのではないかと気がついた。やはり何らかの答え、意見を求めておられるのやないかと。
今年、還暦(満60歳)を迎えられるというヤマシタも、そういった方々の一人やったように思う。
過去のええ加減な生き方、考え方をしてきた結果、貰えるとばかり思っていた年金が後4年、厚生年金の払い込みが足りないために貰えないと知ったヤマシタは焦ったという。
65歳までに何とかその厚生年金が支払える仕事に就かんと、その先の未来がなくなると。
それでも身体の動けるうちは仕事なんかナンボでもあるとタカを括っていた。
何せ誰でも知っている某有名私立大学を出ているし、中堅商社にも在籍したことがあるくらいやからと。並の者と一緒にしてくれるなという思いが強かった。
還暦を迎えた世代には、仕事口がなくなるという恐怖を持つ者は少ない。
仕事をしていないのは、その人間に仕事をする気がないからやと考えている。その気になって探せば、仕事などいくらでもあるはずやと。
そんな甘い考えを抱いてハローワークに行くようになって、やっと現実の厳しさをヤマシタは知ったという。
高齢者の再就職先など皆無に近かったと。
かろうじて年齢制限のない派遣社員か警備員の募集はあるものの、その僅かな働き口に多くの就職希望者が殺到する。
採用されるのは、当然のように若い者順からである。昔のように学歴や経験、経歴などは殆ど意味をなさなくなってきている。
そんな時、目に留まったのが新聞営業社員募集の広告やった。それには社会保険などの福利厚生が完備されていると謳っていた。当面の目的である年金の支払いはそれでできる。
その会社の面接を受けた結果、採用された。
商社での仕事は営業が主で高額な契約を取っていたから、僅か3千円程度の新聞を売るくらいのことは簡単やと思っていた。造作もないと。
それがとんでもない思い違いだと知った。営業とは言っても、まったく種類の違うものやったと。
その思いはワシも経験しとるので良く分かる。
「こんにちは、A新聞ですが……」
「新聞屋か、いらん。帰れ」
「あんた、こんな仕事ようやるな」
「他の新聞をずっと取っているので無理です」
そんな断り文句の連続やった。
噂には聞いて、ある程度は知っていたつもりだったが、実際にその現場で経験すると想像以上に厳しいものがあると感じたという。
そのヤマシタから届いたメールを紹介する。
はじめまして。いつもメルマガを拝見しています。拡張の営業を始めて数週間が経ちました。
過去、新聞はインテリがつくってやくざが売る、なんて言われたそうです。この仕事を始めて、その意味が何となく分かりました。
固定客には殆ど何もないくせに、ころころ変える客には2ヶ月無料とか拡材もいろいろとサービスします。
大体、書店で本を買うのにサービスするということがあるのでしょうか? 12冊買ったら2冊サービスするとか。そんなことはありませんよね。
では、なぜ新聞はそんなことをするのでしょうか?
いろいろな疑問を抱えて営業に行っている状態なんです。
1週間ほど営業に出て、3年縛りの新規勧誘と5年の留め置きが取れましたが、見知らぬ方の好意に感じいっている次第です。
わが所属する組織は最低日給保証、それに保険、年金が付与されます。
同じ地区に別の「団」の方も販売店からの招聘で活動しておられるようですが、彼らは日給保証もなく、取れたらその分だけで生活されているようです。
その代わり、歩合給が倍ほど違うようですが、私には彼らはすごい精神力の持ち主だと感じています。
先日、日本海の寒村で叩いていました。風は強く吹雪です。みぞれ、粉雪などが舞い寒さは半端ではありません。
ただ、固定日給を頂くわけですから、8時間は働くことが義務です。
しかし、その日は体調が悪く、7時間半で販売店に電話しました。
「余りに寒いので30分早いですが撤収させていただけませんか?」
「いや、それは大問題です」
「そうですか。ではあと30分、頑張ります」と言って実はクルマのなかで時間を過ごしました。
あとで販売店に行くと、「はじめのうちはそういうこともあるだろうけど保証日給を払っているんだから気をつけてください。今回は私の胸にしまっておきます」とのことでした。
しかし、次の日、大問題になっていました。世間の厳しさを教えてくれた一件でした。
ワシは、この話を聞いて、ヤマシタという男は真面目すぎるなと思った。
もっとも、還暦世代の人間は気持ちの中でズルがしにくいという特性もあるのやがな。
若い頃は企業戦士と呼ばれ、寝食を忘れて仕事に没頭することが当たり前とされていた。
仕事が第一で次が家庭。趣味が仕事という人間も珍しくはなかったほどや。そのためもあり、無趣味の者が最も多いのが還暦前後の世代やと言える。
周りの人たちすべてがそうやから、仕事をしていない者は何か悪い事でもしているのやないかと見られ、また本人もそんな引け目を感じながら生きて行かなあかんかった。
そういう世代の人間には『固定日給を頂くわけですから、8時間は働くことが義務です』というのは良く分かっている。正論だと承知もしている。
それでも体調が悪い時というのは誰にでもある。早めに仕事を切り上げたいと思う事もたまにはあるもんや。
そんな時、還暦世代の人間は律儀に『余りに寒いので30分早いですが撤収させていただけませんか?』と、つい言うてしまうわけや。勝手な行動やズルはできないと考えて。
ただ、『ハイそうですか、分かりました。それでは早めに切り上げてください』とは販売店の人間として言えんということも考えなあかん。
そんな話を聞かされた販売店の人間は当然のように、「決められた時間内は仕事をしてください」と言うしかないと。
もし、『余りに寒いので30分早いですが撤収させていただけませんか?』という申し出に対して「仕方ありませんね。それではそうしてください」と認めると際限がなくなるのではないかと考えるわけや。
その報告さえすれば、それでええということになり、ヤマシタ以外の拡張員もそう言い出す可能性が高くなると。
そうなると、電話を受けた販売店の人間は、販売店の上司、拡張団の責任者、ひいては新聞社の担当員から叱責や苦情を受けることになるかも知れない。
販売店はその日の成績が悪ければ、入店した拡張員を責める。責めないまでも、新聞社には拡張員が契約を上げて来なかったことを理由にする。
新聞社は、その拡張員が所属する拡張団を責める。ところが拡張団は、販売店の人間が時間内で切り上げるのを勝手に認めたのが成績不良の原因だと主張する。
実際、この業界で最も契約率の高い時間帯が最後の1時間だから、その時間帯に仕事を放棄させた販売店の責任は大きいと。
そうなると電話を受けた販売店の人間が、その責めを一心に受けることになるかも知れんわけや。そんな間尺に合わない話はない。
そこまで考えての返事だったのかと問われると、そうやと言うしかない。
過去にも、そういった事例はあったやろうし、事前に拡張団からは「時間まできっちりと働かせて欲しい」との要望もあったはずや。
もっとも、そんな要望がなくても規定の時間まで勧誘するのは、業界としての暗黙の了解事項ではあるがな。当然のことやと。
ヤマシタにとっては僅か30分くらいの事であっても、電話を受けた販売店の人間にすれば、そうとは受け取れんかったわけや。
そのため、その場では『今回は私の胸にしまっておきます』とは言うたものの、もし、そう言うたことがバレては困ると考え、その販売店の人間は、販売店の上司、拡張団の責任者にそのまま報告したのやと思う。
販売店の人間の多くは拡張員を信用していない。
ヤマシタは『そうですか。ではあと30分、頑張ります』とは言うていたものの、『実はクルマのなかで時間を過ごしました』ということもあるのではないかと考えて、誰かにその現場を確認させたか、もしくはヤマシタに、その時間どうしていたかを聞いて事実を把握した可能性がある。
さらに万が一、ヤマシタが『今回は私の胸にしまっておきます』と言ったことを他の拡張員に話されると困ると考え、怖くなったというのもあるのやないかと思う。
そうなると自身の立場がまずくなる。その先手を打った結果、『次の日、大問題になっていました』ということになってしもうたのやろうな。
ヤマシタの真面目な一面が仇になったわけや。
こんな場合、どうしたら良かったのか?
一言で言えば、無理をせず適当に休みながら仕事をしていれば良かったということになる。
ワシは昔、畑違いの建築屋の営業していたこともあるし、他業種の営業員とも交流がそれなりに深いさかい、営業員の行動パターンというものを熟知しているつもりや。
総体的にできると言われる営業員ほど適当に息を抜くというか、時間をコントロールするのが上手い。
早い話が適度にサボりながら仕事をするわけやな。サボるという表現がまずければ、メリハリをつけた仕事ぶりと言い換えてもええ。
特に真冬の寒い日や真夏の暑い日に根を詰めて外回りするといった愚は、絶対に冒さない。肝心の身体を壊しかねんさかいな。
適当に身体を休ませながら仕事をする技術が自然と身についているもんや。
それでいて成績は常に上位をキープしとる。それが一流と言われる営業員の真骨頂でもある。
ワシは冬の『日本海の寒村』での拡張というのは知らんが、それでも沖縄などの暖かい南方地域を除いて日本全国どこにいても冬の外回りは相当に寒いし、きついというくらいは分かる。
風の強い日や吹雪きの日もあるし、みぞれ、粉雪などが舞うのも日本国内ではどこにいても珍しい光景やない。
ワシはバイクに乗ることも多く、冷たい風や雪で身を切られるような寒さは半端やないというのも良く知っている。
もちろん地域による程度の違いというのはあるやろうが、寒さに長時間耐えられんというのは誰であれ同じやと思う。
冬の寒い最中に1日中、真面目に外回りだけに徹していたら誰でも身体が持たんわな。人間の身体は、そんな悪条件に長時間耐えられるようにはなっていない。
それでも、ヤマシタの場合は『実はクルマのなかで時間を過ごしました』というくらいやから、単独での車移動と思うので、まだ救われているという気がする。
そういう環境があれば、適当に車の中で暖を取りながら叩く(訪問)ということをすればええ。例えば10分営業してアタリがなければ5分間程度、暖を取るために車の中で休むといった具合やな。
頻繁にその繰り返しをしていれば、少々の寒さは凌げるやろうし、例えその現場を誰かに見られたとしても、サボっているかどうかは分からない。また堂々と仕事中やと言えるしな。
ワシの場合は、大半がバイクやさかい、そういうわけにはいかんので、百貨店やコンビニやスーパー、ホームセンター、商店街といった暖房の効いた商業施設に移動を兼ねて飛び込むということを繰り返すようにしとる。
場合によれば、その商業施設内で勧誘もする。他にも喫茶店や散髪屋、洋服屋などの商店も探す手もある。銀行やホテル、官公庁、病院ですら新聞の勧誘対象になる。
その気になれば、寒さを凌げて勧誘も可能な場所はいくらでも見つけることができる。
それらの場所で契約が上がるかどうかというのは、その時の状況次第ということもあるので何とも言えんが、例え成果がゼロやったとしても暖を取るという最低限の目的は達成できる。
また、そういった商業施設では一般家庭のように、インターフォンキックがないから、勧誘の初心者であれば勧誘トークの練習にもなると思う。
ワシには、その必要はあまりないので、そこで十分身体を温めてから、本来の目的地に移動するわけや。
身体が冷えれば、またそういった場所に飛び込むということを繰り返す。
まあ、ワシの場合は、それに加えて一般家庭でも会えて話さえできれば雑談をして長居をするように持っていくがな。
雑談に応じるような人なら寒い日は玄関口を閉めて話を聞くことも多いさかい、それだけでも外の寒さから逃れることができる。
雑談には客と心やすくなるという外に、そういった効果もあるわけや。
場合によれば暖かい飲み物を出してくれる客もいる。そういう場合は本当に有り難いから感謝の度合いも並とは違うてくる。心から「ありがとうございます」と自然に言える。
それが客からも喜ばれるため、話が進んで成約になるケースが多くなる。
人が最も好感を持つ相手というのは、自分に対して感謝してくれる人間やさかいな。
また、効果的な時間帯というのもあるので、どの時間に力を集中するかということも考える。
一般的には、夕方に在宅している家が多いから、その時間帯に集中できるように準備をしながら、適当に息を抜くわけやな。
この業界は実績さえ上げていれば、それで良しというようなところがある。
ヤマシタの言うことにしても、日頃から、人よりも契約を多く上げていれば、言われ方も違うてたやろうと思う。
また、同じようにサボって休憩していたとしても、どこからも文句が出ることはないはずや。
メールにはなかったが、おそらくその日、ヤマシタは契約を上げることができなかったか、販売店や拡張団の望むようなノルマに達していなかったのやないかと思う。
契約を上げていないのに早めに切り上げさせてくれと言うても、営業の世界では「何言うとんねん」となるだけやさかいな。
理解を示す者は、まずいないと考えといた方がええ。
どの業界でも言えることかも知れんが、営業員というのは取り替えが利くという風にしか考えられていない。
特に拡張員にそれが言える。誰でも雇う、採用する拡張団ほど、その傾向が強い。情けをかける下地が欠落しとるのが拡張員やと言うてもええほどや。
もちろん、そうではない拡張団も存在するが全体としては少数やと言うしかない。
そんな中で、拡張員として快適に仕事をしようと思えば契約を数多く上げることや。拡張員として生き残るには、それ以外に道はないと思う。
もっとも、そうは言うても契約を上げられない時ほど焦って無理して動くさかい、よけい辛くなるんやけどな。
一番大事なのは自分の身体やさかい、自分で自分を守りながら、上手く立ち回ることや。他人からの配慮を期待するのは止めといた方がええ。
ヤマシタは『世間の厳しさを教えてくれた一件でした』と言うてるくらいやから、そのことは良う分かったはずで、今更何も言う必要はないがな。
営業員は単に契約を取る方法だけやなく、そういった自己管理能力も必要な仕事やと自覚することや。
ヤマシタの場合は、「五十の手習い」ならぬ「六十の手習い」ということになるが、物事を始める際に重要な事は、その年齢よりも、やろういう人間がどこまでの覚悟を持って挑戦しようとしているのか、その姿勢やと思う。
仕事が見つからないから拡張員でもするしかないと考えて、この世界に飛び込むような人は殆どが、すぐに挫折しとる。長続きはせん。
きついようやが、甘い考えで物事を始めても成功するのは難しいということや。
もっとも、その実態を知っていれば、最初からその気にはならんかったかも知れんがな。
ただ、そうは言うても結果論として、やってみて初めてそれと気づくのが普通やさかい、その前にどんな警告をしても無駄やとは思う。
もっと言えば、この拡張の仕事は人により、あるいは所属の拡張団、地域などの諸条件によっても大きく違うてくるさかい、どんな人でも、やってあかんということもなければ、誰もが成功するというものでもない。
やってみな分からんというのが正しい答えや。
それもあり、ワシらとしては、ヤマシタのようなメールに対しては見守るしかないということになるわけや。
もちろん、相談として回答を求められれば答えるがな。その場合、どうしてもきつめのアドバイスになるのは仕方がない。
覚悟のない人に甘い話や無責任な誘いをするわけにはいかんさかいな。
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