メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第25回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2008.11.28
■店長の想い出 その4 その詐欺にご用心
タケシタは、新聞業界をリタイヤしてから、このところ良く新聞を読むようになった。
新聞販売店に20年近く勤めていて毎日、新聞とにらめっこの生活をしていながら、読む機会がほとんどなかったように思う。
毎日、その新聞に追いかけられ、それを配るだけの日々やったさかいな。
一般では、新聞販売店というと早朝と夕刊の配達を終えたら、それで仕事のほとんどが終いで後は暇やろうと考えとる人が多いようやが、それは違う。
すべての職業中、もっとも長時間労働を余儀なくされる仕事やないかと思う。
配達だけやったら、その準備も含めて、朝刊時4時間30分、夕刊時2時間程度というのが多いから確かに知れてると言えば言える。
しかし、新聞販売店にはそれ以外にも重要な業務として勧誘と集金がある。
勧誘に関しては、その販売店次第というのはあるが、たいていは厳しいノルマが課せられている。
その成績が悪ければ、のんびりすることなどできんから、僅かな時間の空きがあればその勧誘に走り廻る。
また、そうするように強要されるし、そうせなあかん雰囲気にもなる。
さらに集金ということになると、この新聞業界は未だに手集金というのが主体ということもあり、より過酷な業務と言える。
たいていの販売店では毎月25日〜翌月5日くらいまでをその集金日に充てている。
月のうち、ほぼ3分の1強がそうや。
その過酷さについては、旧メルマガ(注1.巻末参考ページ参照)でも何度か話したことがあるから、詳しくはそれを見て貰えばある程度、分かって貰えるのやないかと思う。
それら勧誘にしろ、集金にしろ、その客が不在では話にならんから、どうしても客側の都合が優先される。
配達業務は深夜に起床するから、遅くとも前日の午後9時には就寝しておきたいのやが、客の帰宅時間がそれをすぎれば、それに合わせなあかんことになる。
そうなれば、当然やがその分、寝る時間が少なくなり、長時間労働になるということや。
加えて、日々の空き家チェックや順路帳の書き換え、バイクの調整など他にも仕事はいくらでも山積みしとる。
全国平均で、新聞販売店の従業員の労働時間および拘束時間は15時間前後やという。
その労働に見合う給料が支払われているとは、とても言い難い状況にあると嘆く者も多い。
また、交通事故などに遭遇する確率も他の職種より、はるかに高く、台風や大雪、地震といった自然災害に見舞われる危険もある。
それで毎年のように亡くなられとる人が後を絶たんさかいな。
それでいて、新聞販売店従事者の労働環境が改善される望みも限りなく低い業界や。
今のタケシタは、比較的のんびりと新聞を読むことができるようになったから、自然とそんな感慨に浸ることができる。
その新聞には、一向に減らない「振り込め詐欺」に関した記事が載っていた。
「若者の声で高齢者に電話をかけ、子や孫を装って困窮した状況を訴え、金が必要やと言うて騙し取る」という手口が、その発端やった。
俗に言う「オレオレ詐欺」というやつや。
その後、いろいろなパターンが増え、弁護士や警察官を装って「不倫」や「痴漢」、「交通事故」などが起きたとニセの話を持ちかけて示談金を振り込ませるという劇場型のものまで登場しとる。
現在は、年金の還付金を支払うと称して、高齢者を言葉巧みに騙して銀行やコンビニのATMまで誘導し、現金を振り込ませるというのが多いという。
また、麻生総理大臣が「全国民に一律に給付金を配る」とブチ上げた直後、それが決定されていないにも関わらず、早くもそれに因んだ詐欺事件まで起きとるという。
「何でこんなアホな手口に引っかかんねん」と、タケシタは不思議に思う。
しかし、現実には、自分だけは絶対に騙されんという自信のある者ほど、その詐欺の被害に遭うケースが多いという。
「そう言えば……」
この「振り込め詐欺」とは違うが、昔、カトウが詐欺に引っかかったことがあったというのをタケシタは思い出していた。
カトウというのは、このメルマガの『第22回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■店長の想い出 その3 カトウがやってくる』(注2.巻末参考ページ参照)で話したことのある男や。
現在は、ある新聞販売店の経営者でもある。
仕事ができ頭も切れる、タケシタが一目も二目も置くやり手の後輩やった。
およそ、詐欺に遭うとは考えられんような男やったが、それでも騙されることがあるわけや。
もっとも、正確には騙されたというより利用されたと言うた方が正しいやろうがな。
カトウはワダ販売店に勤め出して5年ほど経った頃、一度退社したことがあった。
理由は聞かされてなかったが、不満があったとか揉めてということではなかったようや。
形の上では円満退社やったさかいな。
ワダ販売店を辞めたカトウは、比較的近くにある同じY新聞社系列のイガワ販売店に勤めることになった。
もともと、カトウは、ワダ販売店の兄弟店であるハナオカ店から来た男やった。
せやから、また別の店に移るというても、それほど奇異な話でもなかったわけ
や。
ただ、この新聞業界は、料理人の世界とは違うて、店舗を転々としてもそれほ
どメリットはない。
やはり、一箇所に腰を据えた方が出世という面では有利や。
後年、カトウは再び、ワダ販売店に舞い戻ってきたわけやが、新店舗出店の際、タケシタとカトウのいずれを店長に据えるかで迷ったワダが、タケシタを選んだというのは、それが影響していた可能性はある。
この業界は、シビヤなほど実力優先の世界やさかい、同じような条件やったら、カトウが店長に抜擢されていてもおかしくはなかった。
タケシタ自身、カトウの仕事ぶりにはとても適わんと思うてたさかい、例えそうなったとしても仕方ないと納得してたはずや。
しかし、それでもワダがタケシタを店長に選んだのは、一度、店を離れた事が大きなマスナス要因やったのやないかと、タケシタは未だにそう考えている。
ただ、世の中、何が幸いするか分からんもので、今になってその頃の経験が役に立っているとカトウから、つい最近になって聞かされたところやった。
強烈なスパルタ方式のワダ所長の元から一度離れて、別の販売店で「修行」した事が良かったと。
もしかすると、カトウ自身、その頃から将来の独立を考えとったのかも知れんという気がする。
もっとも、口数の少ないカトウがそこまで話すことはないから、あくまでもそれはタケシタの想像にすぎんことやけどな。
A市のイガワ販売店に移り、1ヶ月ほどかかって、カトウもようやく店の雰囲気に馴染じむようになってきた。
店や経営者が違えば、その仕事内容も大きく異なる。
また、バンク(地域)が違うと、Y紙のシェアもかなり違うてくる。
勘のええカトウでさえ、その違いに順応するのには1ヶ月を要したわけや。
仕事のできるカトウは、当然のように、経営者のイガワからもすぐ信任されるようになった。
そんなある日、「明日、新入社員が入るから頼むぞ。とはいっても専業経験者だけどな」と、イガワからその新人の面倒を見てくれと頼まれた。
カトウ自身、入社してまだ1ヶ月ほどやから、一般の会社では考えられん話かも知れんが、実力社会のこの業界では、そういうのもそれほど珍しいことでもない。
「お前の隣りの部屋に入るから、仲良くしてやってくれよ」
カトウの部屋はその当時で築10年ほどのアパートやった。
ワダ店にいたころの寮は、築30年は悠に経っていそうな小汚い狭い部屋やったから、それからすれば新築同然のその部屋にカトウは満足していた。
風呂とトイレも別れていて、収納スペースも充分ある。
唯一難点を挙げれば、エアコンがついていなかった事やが、そこは多少無理してでも取り付けることにした。
新聞販売店の仕事は一度にまとまって十分な睡眠が取りにくい分、何度かに別けて短時間のうちに熟睡する必要がある。
それには、夏の暑い日にエアコンがないでは辛いさかいな。
カトウの部屋は2階の角、201号室やった。
その隣りの202号室が空き部屋なのは承知していたが、イガワがその部屋も借り上げて寮にしていたとは知らなんだ。
新人のナカソネという男が予定通り入店してきて、その部屋に入った。
今で言う「メタボ」気味の体型やったが、仕事はそこそこでき、特に問題を起こすこともなさそうな真面目な感じに見えた。
ただ、ちょっと変わったところと言えば、顔にできていた僅かな吹き出物を妙に気にしている素振りが目立ったことくらいやった。
もっとも、誰でもコンプレックスの一つや二つ持っているのが普通やから、カトウも特にそれがおかしなことやとは思わなんだがな。
とにかく、イガワから頼まれたということもあり、カトウとすれば珍しいくらい何かと親身になって教えるように心がけていたつもりやった。
ナカソネの方もそんなカトウを慕っていたようやが、カトウは本音の部分ではあまり深入りした付き合いをするつもりはなかったという。
あくまでも、業務命令の一環という程度の捉え方でしかなかったと。
それは誰に対しても同じで、カトウには、そんなクールな一面があった。
唯一、カトウとナカソネの共通の趣味と呼べるものがテレビゲームやった。
特にナカソネの方は、俗に言うゲームオタクと言えるほど、いろいろなゲームに精通していた。
カトウはそこまでの域までは達していなかったが、ゲームをするのは好きでソフトの貸し借りなどは良くしていた。
それ以外では、仕事上の同僚としての付き合い程度の関係でしかなかった。
それから1年ほど経ち、カトウは自力で部屋を借りる事になった。
引越し先は、いわゆる本格的なマンションと呼ばれる鉄筋コンクリート造の建物でエレベーター付の立派な所やった。
それまで住んでいたアパートに毛の生えた名前だけ○○マンションというのとは、えらい違いや。
家賃は高かったが、カトウにはそれなりの思惑があったようや。
そうなると、必然的にカトウの住んでいた部屋は空き部屋になる。
せっかく買って取り付けたエアコンも、新しいマンションがエアコン付きの物件やったので不必要になった。
そこで、ナカソネに話を持ちかけた。
「ナカソネ君。隣りのオレの部屋に引っ越さない? エアコンもあげるよ。その代わり引越し手伝ってくれよ」と。
もちろん部屋の借主であるイガワ所長にも了承を得てのことやった。
ナカソネは、「よろこんで手伝いますよ」と、二つ返事で応じた。
引越し当日、ナカソネは甲斐甲斐しく荷物運びを手伝ってくれた。
それもあり、早めに引越し作業は終わった。
「ホントにありがとう」カトウは、そう言うて、ナカソネに謝礼としてエアコンとは別に5千円を渡した。
「ありがとうございます!」と、ナカソネは心底喜んでいたようやった。
それから半年後、カトウはイガワ販売店を辞めることにした。
元の上司である店長のタケシタを通じ、ワダ販売店へ復帰することを決めた。
所長のイガワも納得した上での円満退社やった。
とにかく、カトウはその辺のけじめだけは常にきちんとつける男やった。
かくして、カトウはワダ店の主任として返り咲くことになった。
ワダを慕ってのことなのか、それともタケシタを頼ってのことなのかは、カト
ウがそれについて多くを語ることがなかったから、未だに定かやないがな。
結局、また、ワダ店のオンボロ寮に逆戻りしたのだけは確かなことやった。
ただ、借りていたマンションを解約するのは勿体ないということで、そのときちょうど大学受験のため広島から上京していた弟のソウスケにそのまま住まわせることにしたという。
タケシタとのコンビも復活し、仕事も軌道に乗り順調やった。
しかし、そんなある日、弟のソウスケから電話がかかってきた。
「兄貴、どうなってんだよ! 兄貴宛に請求書やら督促状が届いてるぞ」
「ハァ?」
カトウは、ソウスケが何の話をしとるのか分からんかった。
まったく思い当たるフシがない。
「いったい、どこからそんな請求書が来てるんだよ?」
「通販の会社みたいで名前も聞いたことのないようなところからだよ。オレ、気持ち悪いよ。取立て屋が来るんやないかと思うて……」
「分かった。仕事が終わったら、そっちにすぐ行くけん」
その日の夜、マンションに着いてソウスケから渡された請求書を見てカトウは思わず絶句して目を疑った。
「……なんじゃこら?」
男性用の化粧品とかのようで、まったくカトウには心当たりのない請求書やっ
た。
その請求額の合計は約10万円にも達していた。
それらは三流週刊誌の広告にあるようないかがわしい商品のように見えた。
請求書を送ってきた化粧品会社名もまったく聞いたこともない胡散臭さそうな感じがする。
「いったい誰の仕業なんじゃろ……」
カトウはしきりに首をひねった。
首をひねりながら、請求書と一緒に紛れ込んでたパンフレットを何げなく見ていた。
その刹那、「美顔……、あっ!」と、ピーンと閃くものがあった。
あの男や。ナカソネに間違いない。
このマンションの住所を知っている者といえば、思い浮かぶのはナカソネしかおらんかった。
今にして考えれば、ゲームの貸し借りでナカソネの部屋に行ったとき、妙に化粧品の類が多かったのを思い出した。
単に顔の肌荒れを気にして揃えたにしては多すぎるなと思うてた。
点と線がつながった。
「あの野郎!! 勝手にオレの名前で注文しやがったな!!」
カトウの怒りが頂点に達した。
次の瞬間、「ちょっと落ち着けよ」と言うソウスケの制止を振り切り、元の職場であるイガワ店に電話をしていた。
午後10時近い時刻に新聞販売店へ電話をかけるには非常識な時間帯やったが、電話口に出たイガワは、カトウからと知るとそれを責めるでもなく話を聞いてくれた。
「ナカソネはあの後、すぐ辞めて、今はウチの系列のA市のB店にいるよ」ということやった。
イガワは、B店に行ったナカソネの住所をすぐに突き止め知らせてくれた。
ただ、翌日の朝刊の配達もあり、ナカソネの所に乗り込むのは明日ということにした。
何しろA市のB店までは、ここから車で悠に1時間半はかかる距離にあり、今から往復するだけでも朝刊の配達に間に合いそうもない。
それに、ナカソネは他店の従業員やさかい、乗り込んで締め上げるにしても、それなりに準備しとく必要がある。
翌日の昼前、店での朝礼終了後、カトウはタケシタに相談した。
前日までの事を細かく伝え、今からナカソネの部屋に乗り込むから、ついて来てくれないかと言う。
そうして貰わな元来が喧嘩早いカトウ自身、怒りに任せて暴れ出したら制御が利かんようになって何をするか分からず、ワダやタケシタ、ひいては元の所長のイガワにまで迷惑をかけるおそれがあるかも知れんと訴える。
「タケシタさん。頼みますよ」
「それは、構わんが、本当にそいつの仕業で間違いないのか? 手口もよく理解できんが……」
思わず渋るようなことを言うたが、カトウを一人でやるわけにもいかず、結局一緒に行くことにした。
仕事を早めに切り上げ、カトウと車に乗り込んだ。
念のため、ゼットンと愛称で呼ばれている筋肉隆々の若い店員も同行させた。
ゼットンはカトウとは同郷で、タケシタともウマが合い、よく食事やカラオケに行く仲だった。
「気は優しくて力持ち」という表現がピッタリな、実に性格のイイ奴だった。
車を走らせて1時間半ほどが過ぎた。
あらかじめゼットンにナカソネの住所を伝えて住宅地図をコピーさせておいたので、思ったより簡単にナカソネのアジトを探し当てることができた。
ナカソネの部屋からは照明が漏れ、テレビの放つ光もチラチラと薄いカーテンに映っていた。
「よし、突っ込むぞ!」
カトウは玄関、ゼットンは裏口、タケシタは道路側という万全の体制を敷いた。
まるで、刑事ドラマの捕り物そのままやった。
コンコン、コンコン。
カトウがドアをノックした。
反応がない。
コンコン、コンコン……、ドンドン!!
「おい、ナカソネ! いるのは分かっとるんじゃ。出てこんかい!!」と、業を煮やしたカトウが怒鳴る。
おそらく、外の異様な雰囲気を察知したナカソネは、玄関ドアの覗き穴からカトウを確認して、居留守を決め込むつもりのようやった。
その後、裏から逃げるつもりやったのか、裏窓に向かったところを待ち構えていたゼットンに見つかった。
ナカソネは、それで観念したのか、今にも泣き出しそうな顔で玄関ドアを開け、カトウたちを招き入れた。
「ナカソネ君。久しぶりだね。何しにきたか分かるじゃろ?」
カトウの冷静な物言いに、ナカソネは無言で小さく頷いた。
はやる気持ちを抑えてカトウはナカソネを徐々に追い込んでいった。
すると「すみませんでした」と、あっさり認め、ナカソネはその場に泣き伏した。
心底、怖かったのか演技なのかは分からんが、少なくとも、こんな真似を平然とする男が悔いとるとはとても思えなんだ。
おそらく、こういうことをしたのは一度や二度やないはずや。
何とかこの場を凌(しの)げれば、それでええという考えが透けて見える。
「泣けば済む話やないで。どれだけのことをやったのか分かっとんのか」
それを見抜いたカトウは構わず、さらにナカソネを追い込んだ。
「正直に全部、謳(うた)えや」
観念したナカソネは、その手口を小声で訥々と話し始めた。
ナカソネは昔からニキビの多さにコンプレックスを持っていた。
そんなとき、学生時代の友人のヨダという男に、ある化粧品会社の説明会に誘われ連れて行かれた。
その化粧品はホメオスタシス(生体恒常性)という人間が本来持っている治癒力に作用して、アトピー性皮膚炎や吹き出物などを治す効能があるという、ふれ込みのものやった。
要するに、それを一塗りすれば、どんなに酷い湿疹や肌荒れも治せるというシロモノらしい。
その会場に連れて行かれたナカソネはすっかりその話を信用して、その友人の口利きということもあり、それを買った。
そのとき、その化粧品会社の講師をしていた人間に、「当社の製品は店舗売りは一切していません。そんなことをすれば多くの人が殺到して大変なことになりますから」と説明された。
「そこで、当社は限られた人だけに、その販売権を譲渡し売って頂くシステムを採っているのです」
そうすれば、半永久的にその化粧品が手に入るどころか、それで儲けることもできるのやと言う。
具体的には、その化粧品がほしいという人間を紹介するだけでええという。
今回で言えば友人のヨダの紹介でナカソネが買ったのがそれになる。
そうすることにより、ヨダはその紹介料が貰えるばかりか、ナカソネが誰か他の者を紹介し、その人間が買った商品代金の2割程度が自動的に貰える仕組みになっているのやという。
何のことはない、昔から良くある「マルチ商法」というやつや。
マルチ商法とは、加盟者が新規加盟者を誘い、その加盟者がさらに別の消費者を誘引するという連鎖により自己増殖する仕組みになっている形態のことを言う。
組織の加盟者は、契約上は独立した事業者になる。
加盟者の多くは、口コミ営業と説明会などにより、知識や経験の乏しい一般消費者がその勧誘のターゲットになる。
結果として自覚のないまま、欲と盲信により、そのマルチ商行為を行なうケースが多い。
つまり、引き入れる方もそれが正しいことで、人のためにもなると信じ込んでやるから、よけいタチが悪いわけや。
ダウンと呼ばれる配下の新規加盟者を増やすことで、その商品購入金額により、自分がランクアップし、利益が飛躍的に増える仕組みになっているというのも、積極的にそれに参加する動機づけになっている。
加盟者への報酬の原資は、組織内で流通する商品の中間マージンや新規加盟者の加盟料ということになる。
これが、商品でなく金銭になると「ねずみ講」となり違法行為になるわけや。
マルチ商法自体は、商品売買が基本にあるから必ずしも違法とは言い切れんが、実際には特定商取引法にある「連鎖販売取引違反」に該当しているケースがほとんどやから、それで摘発されることも多い。
その儲かるという仕組みも初期の段階では有効かも知れんが、人は無尽蔵に存在するわけやないから加盟者になる人間にも限度が生じる。
永遠に加盟者を増やし続けることなんか不可能やさかいな。必ずいつかは行き詰まる。
しかし、仕組みとしては、それが永遠に増え続けるということを前提にしてな成り立たんわけや。
ねずみ算式に子がどんどん増え続ければ、確かに利益も永遠に続くことになる。
その途中の一部分だけを抽出して言葉巧みに説明されると、なるほどと思う。
それが飽和状態になって破綻することにまで考えが及ばんのやな。
言えば、その時点では洗脳状態になっとるわけや。
そこらあたりが、ねずみ講が危険やと言われる所以(ゆえん)でもある。
満足できるほどの報酬を得られるのは、加盟者全体のごく僅かにすぎん。
たいていは、その仕組みを考え出した連中が初期の段階で儲けられるくらいなものや。
そして、その連中の多くは、そういうことばかり常に考えとる詐欺師やさかい、無知な人間を騙すくらいは造作もないわな。
なんでもそうやが、踊らされるような人間に上手い話など舞い込むわけがない。
しかし、盲信して洗脳された人間にはそんな簡単なことすら理解できんわけや。
そのため、加盟者によって、虚偽説明、威迫(脅迫)行為などの法律違反を含む勧誘をしたり、購入実績を維持すべく過剰な買い込みのための購入資金捻出に借金を繰り返したりという愚を冒すという悪循環に嵌ってしまう者が多い。
それが、そういったマルチ商法の怖さでもある。
ナカソネは、そうとは知らず、それに飛びついた。
最初は、身内や友人、知人に売りつけ、それなりに上手くいっていたという。
しかし、儲かるという話が、そのとおりになることはなく、次第にトラブルケースが目立ってきた。
身内や友人、知人は、当然のようにその損害をナカソネの責任やと言うて請求するようになる。
その総額はいつの間にか百万円以上にもなっていたという。
結局、それに耐えられず、ナカソネは逃げた。
それで止めれば、それ以上は自身も他の誰にも被害が及ぶことはなかったんやが、ナカソネはさらに続けた。
ナカソネ自身、儲けようという思いもあったのは確かやが、それ以上にコンプレックスになっている肌荒れを治したいという気持ちも強かったのやという。
もっとも、普通はそれだけ長く使い続けて効果がないと、その商品自体を疑うものやが、それは考えなんだと話す。
それを使い続ければ、いつかは治るものやと信じていたと。
救いがない。
行く先々で、そこで知り合った人間を勧誘し、それが上手くいかん場合は、商品だけを騙し取るという手口を使った。
そこで知り合った同僚の名前を使い、さもナカソネが勧誘したように見せかけて加盟者に仕立ててたわけや。
使うのは名前と生年月日だけで、その受け取り住所は、ナカソネの部屋にしてた。
その商品が送られてくる前に契約書が届き、それに偽造して署名捺印する必要があるし、商品の受け取りもあるから、自分の部屋やなかったらあかんわけや。
当然やが、商品が届くとその入金が必要になる。
ナカソネにそれを支払う意志も金もないからほっとく。そうなれば、その組織や化粧品会社から名義の契約者に催促の手紙が送られてくる。
それでもほっとくと、その名義の契約者の職場に電話がかかる。
それで、発覚しそうになると察知したら、その仕事を辞め、また他へ行くということを繰り返していた。
そして、行き着く先が新聞販売店やった。
ナカソネにとって、新聞販売店は格好の職場やと言えた。
新聞販売店を転々としていも不思議には思われんし、過去の職場での行状もそれほど調べられることもない。
特にこの業界は、業界内での不正や借金の踏み倒しには厳しいが、それ以外ではそれほど頓着せんという風潮がある。
ナカソネは、今回のカトウのケースもその一環やったと白状した。
「でも、カトウさんには迷惑かけるつもりではなかったんです」と泣きながらに訴える。
今回の事は、最初から計画したのやなく、カトウが引っ越しするというので急遽思いついた事やった。
その化粧品もかなりの量、ストックしていたから当分の間、それをするつもりもなかったと話す。
実際、実行に移したのはナカソネが店に来て1年半ほども経ってからやったから、最初からその気がなかったというのも頷ける話ではある。
さらに、その組織にしても、契約者が引っ越してしまえば追いかけてまで請求はせんやろうとナカソネは踏んでいた。
カトウは、新しい引っ越し先のマンションの住所を知っていたのはナカソネだけやから、その疑いの目を向けたが、ナカソネはその住所では契約書を偽造していなかった。
それも話を聞けば当然で、もし、その引っ越し先のマンションを偽造の住所に使っていたら、その商品もそこに届いていたはずで、それではナカソネには何の得にもならんことになる。
実際に、その商品はナカソネの手にあるわけやから、以前のアパートの住所で契約してたという方が話の筋としては通る。
その後、払う意志もない請求書の送付先の住所としてナカソネがカトウの引っ越し先をその化粧品会社に知らせたというのも不自然な話や。
ナカソネにすれば、うやむやになることが一番なわけやさかい、わざわざ知らせる必要は微塵もない。
それなら、なぜ、その請求書がその新しいマンションに届いたのかというのが疑問として残る。
もっとも、それも簡単なことで説明がつくがな。
最初はその請求書はそのアパートに届いていたはずや。
それを放置された組織は、契約者のカトウの勤め先であるイガワ新聞販売店に電話を入れる。
そこで辞めて引っ越ししたと知らされる。
その程度のことで、この手の業者があきらめるわけはなく、住民票の異動をしとれば、それを追いかける。
カトウには、何もやましいところはないわけやから、普通に住民票は移していた。これは免許証との兼ね合いもあるさかいな。
単に、それから新しい住所が知れて業者が請求書を送ったというのが本当のところやろうと思う。
ちなみに、その頃やと、新聞代を踏み倒した人間についても、その証拠となる証券(新聞代の請求書兼領収書)を役所の窓口で示せば、その異動状況もすぐ教えて貰えたくらいやったから、その気になれば簡単なことやと言えた。
ただ、現在は個人情報保護法の関係でその頃のように簡単にはいかんようにはなったが、それでも、それなりの法的手続きを踏めば住民票の異動程度は造作もなく分かる。
それすらできんようになったら、世の中、踏み倒しのし放題ということになるさかいな。
もっとも、カトウが勘違いしたために、一気に犯人がナカソネやと思うに至ったわけやけどな。
ただ、これが、カトウがそのナカソネの部屋でその化粧品を見ることもなく、その引っ越しの手伝いをさせることもなかったら、おそらく分からず終いやった可能性の方が高かったと思われる。
実際、今回のようにしてバレたのは初めてのことやったとナカソネも言うしな。
「分かった。それにしても、大それたことをしでかしてくれたな」
そう言うと、カトウはタバコの煙を大きく吐き出した。
「カネは払えるのか? 今すぐに」
「すいません。全然払えません」
「そうか。じゃあ。B店の所長さんに話して、立て替え払いして貰うしかないけどええな」
「……はい」
その後、B店の所長を交え話し合いした結果、ナカソネへの貸し付け金ということで、その被害額約10万円をその場でカトウが受け取って一件落着となった。
警察に突き出すという手もあるが、そこまでしたんではこの業界でこれからもメシを喰うつもりのカトウにとっても、あまりええ選択とはならん。
もっとも、B店の所長が立て替え払いに納得せんかったら、それもやむを得んかったやろうがな。
ただ、その約束を反故にしたら詐欺罪で警察に通報すると言うて脅かしたのが功を奏したのか、その後、ナカソネはその支払いが完済するまでは、そのB店で大人しく仕事を続けていたということや。
その「マルチ商法」と「振り込め詐欺」の違いはあるが、人を騙さな成り立たんという点では根は一緒やと思う。
まあ、盗人と詐欺師は、人間の社会が確立した太古の昔から存在し続けとるものやから、これからもなくなることはないと断言できるがな。
特に、これから不景気になるにつれ、よけいその傾向に拍車がかかるような気がしてならん。
騙す者と騙される者を比べれば、騙す人間の方が悪いのは決まりきっとるが、騙される人間にもそれなりの隙と落ち度がある。
そう考えて日々暮らしていかな、人間の社会では生き抜いていけんということなんやないやろか。
「ふーっ……」と、タケシタは大きくため息をついて、その新聞記事の中から、何か明るい話題はないかと探してみたが、残念ながらそれらしきものは何も見つからんかった。
参考ページ
注1.第189回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞販売店員奮闘記 そ
の1 集金秘話
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-189.html
第195回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■店長はつらいよ Part4 恋と
集金……そして、店舗荒らし
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-195.html
注2.第22回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■店長の想い出 その3 カト
ウがやってくる
http://merumaga.yahoo.co.jp/Backnumber/17487/256531/p/1
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