メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第254回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日  2013. 4.19


■自民党憲法改正案の是非 その1 憲法第96条、および第9条の改正について


以前から憲法改正論はあるにはあったが、過去の政府において本気で、憲法改正に踏み込むことはなかったように思う。

あっても、せいぜいポーズ程度のものやった。

しかし、自民党安倍政権になってから、急速にその方向性を打ち出していて、両院の憲法審議会の議論も国民の知らんところで着々と進んでいる。

今年の参議院選挙前までには、その大綱を示し、近い将来、憲法改正にまで持ち込みたいというのが現政府の狙いのようや。

戦後、日本が主権を回復したサンフランシスコ講和条約から60年以上もの長い間、憲法の改正がなされていないから、そろそろ時代に即したものに変えるべきやという議論が出るのは構わない。

現在の日本国憲法は、戦争放棄を柱とした戦勝国の押しつけが強いため、中国や北朝鮮などへの軍事的な脅威に対抗できる憲法に変える必要があるという意見が増えつつあるのも理解できる。

反対に、現在の日本国憲法は、戦争放棄を謳った平和憲法である故に、日本は平和を60年以上も維持できたのだから、今後も今の憲法を守り続けるべきだという主張も日本国民の間には、まだまだ根強いものがある。

そういった憲法の改正論議を交わすのは良い。大いに戦わせるべきやと思う。そして、すべての国民が、そのことの是非について深く理解する必要がある。

その機運が高まり、大半の国民の意思が反映されるのなら、憲法を改正しても構わんとは思う。

もちろん、どの部分をどのように変えるのかというのは大きな問題にはなるがな。

最終的に国民投票で決められることについては誰も依存はないはずや。

しかし、安倍政権は、それに至るまでのハードルを低くして憲法を改正しやすくしようと画策しとる。一見、もっともそうな理屈をつけて。

それについては警鐘を鳴らしたいと思う。大きな欺瞞と絡繰りが隠されていると。

それが、今回テーマの一つに掲げた憲法第96条の改正ということになる。

4月16日の新聞報道に、


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130415-00001266-yom-pol より引用

安倍首相、憲法改正「まず96条」…発議要件


 安倍首相(自民党総裁)は15日、憲法をテーマに読売新聞の単独インタビューに応じ、改正の発議要件を定めた96条をまず見直す方針を表明した。

 夏の参院選で公約の柱とする考えも示した。成人年齢の引き下げなど国民投票法に盛り込まれた課題に結論を出すとしたほか、集団的自衛権の行使を認めない政府の憲法解釈に関し、年末の「防衛計画の大綱」の決定までに変更できるよう検討を進めるとした。

 インタビューは首相官邸で約40分間行われた。

 首相は、衆参各院の「3分の2以上」の賛成を必要とする96条の発議要件について、「2分の1に変えるべきだ。国民の5割以上が憲法を変えたいと思っても、国会議員の3分の1超で阻止できるのはおかしい」と述べた。

 そのうえで、「参院選の中心的な公約として訴えたい」と強調した。「公明党の理解を得ながら、日本維新の会など広い基盤の支持を得て発議できればいい」とも語った。


とある。

安倍首相の言う『衆参各院の「3分の2以上」の賛成を必要とする96条の発議要件』とは、

日本国憲法第96条第1項で、憲法の改正をするためには、

『各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする』

と規定しているもののことや。

安倍首相は、この法律があるために『国会議員の3分の1超で阻止できるのはおかしい』と言うてるわけや。

何がおかしいと言うのか、その方が理解に苦しむがな。あまりにも思慮が足らなさすぎる発言やないかという気がしてならん。

安倍首相の言う『2分の1に変えるべきだ。国民の5割以上が憲法を変えたい』との主張の方が、よくよく考えて検証すれば、よほどおかしいということに気づくはずや。

憲法というのは国民にとって心の拠り所であり、根幹となる絶対的なものでなかったらあかん。それはすべての国民に共通した思いやと確信する。

そうであるなら、大多数の国民が望んでいる場合のみ憲法を変えることが許されるようにするべきやと思う。

単純な多数決で簡単に憲法が変えられるような事態になったら、日本は終わる。

極端なことを言えば政権が変わる度に憲法を改正できるという理屈になるさかいな。

そもそも政権交代とは、過半数の衆議院議員を獲得すれば成立するものや。

『2分の1に変えるべきだ』という安倍首相の発言は、政権が交代する毎に憲法を変えても構わんと言うてるのと同じことになる。

そんなことが許されるべきやないというのは誰にでも分かるわな。

最近の「アベノミクス」というものが上手くいっていて、自身にとって追い風になっている、国民からの人気があると考えてやっているのやとしたら甘いと言うしかない。

冷静に考えたら分かるが、「アベノミクス」とやらは希望的観測により景気が上向きになると予想されているだけのもので、実質的な効果はまだ何も現れていないわけや。

現状では景気が回復したとは、とても言えるような状態やない。

一部の投資家、企業経営者の中には、それを実感しとる者もおるかも知れんが、大半の国民には何の恩恵もないのが実態やと思う。

結果の出ていないものに対して殊更、否定するつもりはないが、そんなものに浮かれるつもりもない。

こう見えてもワシは現実主義者やから、結果でしか、その善し悪しの判断はせんさかいな。

結果が良ければ成功、悪ければ失敗。ただそれだけのことでしかない。結果が伴って初めて評価されることやと。

話が少し脇道に逸れたようやが、いずれにしても憲法の改正は慎重にするべきやと言いたかったわけや。

その慎重論で言わせて貰えれば、現行の『各議院の総議員の3分の2以上の賛成』程度の規定で憲法の改正発議ができるのは、まだ足らんくらいやと思う。

なぜなら、昨年の総選挙で与党となった自民党、公明党の得た議席は325議席で3分の2を超えたが、その得票率は有権者の約32%でしかなかったという事実がある。

つまり、議員の3分の2以上の賛成であっても、実際には有権者の3分の1の支持すら得ていないということになるわけや。

これを2分1以上の国民の意志を反映させるためには、投票率の関係もあるが、最低でも議員の4分の3以上の賛成が必要になるものと考えられる。

もっと言えば、『この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする』という国民投票の定めがあるが、『過半数の賛成』が必ずしも過半数の国民の意志が反映されるとは限らんわけや。

現行の選挙制度では投票率による選挙無効の規定がない。極端なことを言えば例え10%の投票率であっても成立するわけや。

その2分の1超の賛成、つまり有権者の5%超の人たちの賛成があれば、憲法が変えられることになり、残りの95%は、その決められた憲法に従わざるを得なくなる。

まあ、実際には、そんなことにはならんやろうが、憲法改正議論の難しさ、煩わしさから、常の国政選挙よりも投票率が下がるのやないかと予想する。

前回の国政選挙の投票率が約60%やから、その比率で計算すると、実質的な有権者の過半数の賛成を得るためには84%超の賛成票が必要になる。

それからすれば、国民投票での『過半数の賛成』という規定の方を『3分の2以上の賛成』、もしくは『4分の3以上の賛成』に変える必要があるのやないかと思う。

安倍首相が、そんな程度のことも分からずに、本気で『2分の1に変えるべきだ。国民の5割以上が憲法を変えたいと思っても、国会議員の3分の1超で阻止できるのはおかしい』と言うてるのやとしたら、ホンマもんのアホやと言うしかない。

まあ、すべてを承知の上で敢えて言うてるのかも知れんがな。

単に『国会議員の3分の1超で阻止できるのはおかしい』と数字上の盲点を突けば自身の主張が際立つと考えて。

『国民の5割以上が憲法を変えたいと思っても』と、自身が言うてる意味が分かっとるのやろうかと思う。

ただの仮定話にしても、国民の5割以上の意思が、どれほどのものかを理解した上での発言とは、とても思えない。

さらに言えば、安倍首相は何を以て、『国民の5割以上が憲法を変えたい』と思っているとするのかという問題がある。

一般的には世論調査というものが考えられるが、新聞やテレビなどでは護憲派と改憲派の違いがあり、憲法改正の世論調査をしても、どこまで正確な数字が出るのか分からん状況やと思う。

まあ、最近では新聞やテレビの世論調査そのものが信用されていないということもあるがな。

都合のええように編纂されていると。それに対して否定する根拠を残念ながら、ワシらは持ち合わせていない。

さりとて、ネット上の世論調査が絶対とも言えん。

ネット上では同じ考えの者が集まる傾向にあるため、そのページ、サイト、ブログ、ツイッター毎で意見が大きく違うということがあるさかいな。

つまり、『国民の5割以上が憲法を変えたい』とする根拠やデータはどこからも得られないと考えておいた方がええやろうということや。

もっとも、安倍首相の周りには改憲論者が数多く集まっているやろうから、国民の大半、少なくとも5割以上の国民は憲法改正を望んでいると錯覚しとるのかも知れんがな。

批判してばかりでも仕方ないので、ここらでどうすればええのかということに言及しとく。

いずれにしても最終的に国民投票で決めることについて異存はない。というか、それしか方法はないやろうと思う。

その決め方やが、現在の法律では「有効投票数の過半数」の賛成を以て改正が承認されると定められている。

これでは先にも言うたように不十分や。もっと多くの人の賛成が必要やと思う。せめて「有権者の過半数」にせなあかんのやないかと考える。

当初、「日本国憲法の改正手続に関する法律」の審議過程で、日本国憲法96条の「国民投票による過半数の賛成」について、「有権者数の過半数の賛成」、「総投票数の過半数の賛成」、「有効投票数の過半数の賛成」のいずれを選択するのかという議論があった。

結局、その審議過程や理由が示されないまま「有効投票数の過半数」の賛成を以て改正が承認されると定められてしまった。

そのことすら知らん国民が大半やないのかと思う。

事ほど、さように、どんなに重要な法律であろうと国民の目に触れにくいところで決められとるケースが多いわけや。

もっとも、政府からすれば関係部署で広報しとるさかい、それを見ない者が悪いという論理になるのかも知れんがな。

「日本国憲法の改正手続に関する法律」こそ、国民の意見を反映するように国民投票で決めるべきやと思うが、残念ながら、どこからもそんな意見は出てこない。

一旦決まった法律について、それがいくら悪法やと思うてても従うことを強いられるにもかかわらずにである。

ただ、決まる前なら、声を上げさえすれば、前々回の『第252回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■その時々の政府が悪法、秘密保全法案に拘る理由とは』の中で話したように、『共謀罪』、『国家機密法』、『スパイ防止法』などの法案の阻止をすることは可能や。

今回も、自民党政府が進めている『衆参各院の「2分の1以上」の議員の賛成で憲法改正案が発議が可能』というのが、おかしければ撤回させることはできると思う。

特に、安倍首相が『夏の参院選で公約の柱とする考えも示した』と言うてるわけやから、夏の参院選で自民党にノーを突きつければ、ゴリ押しできんようになるものと考える。

もっとも、秘密保全法のように、あきらめるということはないやろうがな。手を変え品を変え、頃合いを見て、再度法案を提出するのは間違いない。

ただ、そうであっても一旦止めたという意義は大きい。政府の憲法改正案が潰れたということは、それだけ国民の意識が高まったということの証明になるさかいな。

国民の意識さえ高まれば、誰が考えても分かるおかしな論法など通るはずがないと思う。国民はバカではないと、その時に気づくはずや。

安倍首相が『改正の発議要件を定めた96条をまず見直す方針を表明した』というのは、当然のことながら、その先の狙いがある。

国民投票の『成人年齢の引き下げ』を画策するのは、このままでは憲法を改正することが難しいから、少しでも投票可能な年齢を下げることで、それを可能にしようという意図が見受けられる。

それは『年末の「防衛計画の大綱」の決定までに変更できるよう検討を進める』という部分に表れている。

よく憲法改正議論の中心に「憲法第9条の改正」があると言われている。

関連の記事がある。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130413-00000815-yom-pol より引用

石破氏、憲法96条の改正は9条改正を視野に


 自民党の石破幹事長は13日の読売テレビの番組で、憲法改正の発議要件を定めた憲法96条改正は、将来的に9条改正を視野に入れたものであるとの認識を示した。

 96条改正の国民投票が行われれば9条も変わる可能性があるかと質問され、「国民はそれを念頭において投票していただきたい。9条はこのままだ、という思考停止がずっと続いていいのか」と述べた。

 憲法改正に慎重な公明党との関係については、「議論が一致しないかもしれないが、今すぐ連立をぶち壊すことにはならない」と語った。

 一方で、「連立は組まないが憲法改正には賛成だ、という勢力があっても少しもおかしくない」とし、日本維新の会など憲法改正に前向きな政治勢力との連携を模索する考えも示した。


自民党の石破幹事長の言う『将来的に9条改正を視野に入れたもの』というのは何か。

憲法第9条というのは、端的に言えば、「戦争放棄」を謳ったものや。これがあるために日本は平和憲法を有した国と言われてきた。

ワシら50代以上の年代の人間にとっては戦争というのは子供の頃から「二度と起こしてはならない」ものと教えられ育ってきた。

また、ワシ自身、子供頃、アメリカ軍の爆弾投下で骨組みだけしか残っていない工場跡でよく遊んでいた。

また爆弾の不発弾が、毎日のようにあちこちで見つかったというニュースがあり、戦後とはいっても生々しい戦争の傷跡を見かけることが多かった。

さらに、戦争体験者の方も多く、その話をよく聞かされていたもんやった。

それで戦争の何たるかが分かった。戦争はするべきものやないというのは当時の国民の大多数の願いやったと思う。

しかし、今の若い方たちにとっては、最早、太平洋戦争など歴史上の出来事という認識でしかないはずや。

その悲惨さを目にすることも、耳にすることもなければ無理はない。

唯一、中東紛争などで戦争の悲惨さが伝えられてくるが、その多くはテレビ画面を通してであって現実味がまるで湧かないのが実情やろうと思う。

それとて、単に平和な日本に生まれたというだけのことやさかい、彼らに責任はない。

しかし、その若い人たちを憲法改正論議に巻き込み、少しでも有利に事を運ぼうとする政府与党の姿勢には疑問を感じる。

分かりやすく言えば、政府自民党が目指している憲法改正とは戦争をしやすくするためのものやと思う。

それにより流されるのは若い人たちの血が大半を占めるのは、ほぼ間違いないのやが、そのことをどれだけ伝えとるのかは、甚だ疑問や。

政府は、その危険性は何も伝えていないままに若い人たちを煽っているという風にしか見えん。

若い人たちが、その危険を承知で「憲法改正」を唱えるのなら、それはそれで構わない。

しかし、実際には我が身に降りかかるかも知れない危険が潜んでいるとは知らずに、そうしているとしか、ワシには思えてならん。

その思いで、ネット上で若い人たちが「憲法改正」を声高に叫ぶ姿を見ていると哀しくなってくる。

何事もそうやが、事実を正しく認識した上で判断して欲しいと思う。

自民党の「憲法改正草案」(注1.巻末参考ページ参照)の中に、現行の憲法と改正案との対比があるので、その部分を抜粋して示す。


現行の憲法第9条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


自民党の憲法第9条改正案

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。

2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

(国防軍)
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。

5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

(領土等の保全等)
第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。


『現行の憲法第9条』と『自民党の憲法第9条改正案』の本文は、一見似たような文言やが、実はこれが大きく違う。

このあたりが、ワシらが常に言うてる官僚により作成された「霞ヶ関文学」の真骨頂やと思う。

『現行の憲法第9条』では『永久にこれを放棄する』となっているが、『自民党の憲法第9条改正案』になると『用いない』に変えられている。

さすがに「戦争をするかも知れない」とは書けないから、『永久にこれを放棄する』から『用いない』と弱めた表現にしたものと思われる。

これは法律文にありがちな表現で、例外を附則させる場合によく使う手法や。

『用いない』としておけば、附則で『例外として……』と付け加えやすいさかいな。

それと読み解く者は少ないが。

『現行の憲法第9条』では『永久にこれを放棄する』となっている手前、附則では『A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』としか書けない。

しかし、『自民党の憲法第9条改正案』になると『用いない』に変えられているために、附則で『2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない』とすることができ、これにより『自衛権』という名目で「軍隊」を持つことが堂々とできるようになるわけや。

『(国防軍)』以下の記述を見れば、それは歴然としとる。

『我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する』というのにも、一見それと分からんように外国との戦争行為に及ぶことも可能としている。

『国民の安全を確保するため』という一文がそうで、これにより外国で邦人が拉致された場合、あるいは邦人が危険に遭遇している場合、その救出活動ができると解される。

また、その一文がある限り、今までのように、外国で拉致された人に対して「自己責任」とは言えんようになるわけや。

国の威信にかけて救助せなあかんようになる。

一見、それは当然で良さそうなことのように思えるが、それにより重大な結果を招く可能性が高くなる。

武器を持って、外国で邦人が拉致された場合の救出活動には、犯人側との交戦は避けられんようになる。

それにより相手方を殺し、味方に死者が出ることが考えられる。

『邦人が拉致された場合』の犯人とは、一般的にはテロ組織と呼ばれているグループが多い。

とのような結末になろうと結果として、日本はそのテロ組織と戦端を開かざるを得なくなる。

つまり、その事が起きた以降は、日本はそのテロ組織に狙われる危惧が高まるということを意味するわけや。

日本国内が、テロ行為の脅威に晒されることになる。

今までは、現状の憲法第9条があるため、「日本も集団的自衛権を有しているが、憲法第9条1項の規定上、その権利の行使は許されない」との日本政府の公式判断により、同盟国からの要請があっても事実上の戦争に巻き込まれないようにすることができた。

その端的な例がイラク戦争やったと思う。

当時、自衛隊が海外派兵した際、名目上は復興支援とすることしかできず、武器の使用が困難だったこともあり、結果として、自衛隊は交戦することはなかった。

そのためイラク兵を殺すこともなく、また自営隊員の死者も出さずに済んだ。

それにより現在、イラク国民をはじめとするイスラム社会からも日本は敵視されることもなく、友好的な関係を築くことができている。

イラク戦争以降、イスラム系の組織によるテロ行為を受けていないのも、それが理由として大きいと思う。

また、輸送などの後方支援をすることで、同盟国であるアメリカの顔を立てることもでき、それなりに評価されてもいる。

つまり、現状の憲法第9条でも十分に集団的自衛権の行使に貢献することができたわけや。

わざわざ正規の軍隊を作るまでもないと考える。

ワシは、『自民党の憲法第9条改正案』が成立すれば、それこそ戦前の危険な道を歩むことになるのやないかと危惧する。

『自民党の憲法第9条改正案』の狙いの中には「徴兵制」が含まれているのは歴然としている。

その法案が成立すれば必ずと言うてもええくらい「徴兵制」が実行されるものと思う。

今の若い子らが否応なく、望まぬ戦争に駆り出され死地に赴くことすら考えられるわけや。

ワシらのような老いぼれには、そんな声はかからんやろうが、子供や孫たちが、そういう憂き目に遭うかも知れんと考えただけで心が痛むし、腹も立つ。

いつの時代であろうと為政者のすべてに言えることやが、そういった法律を作る者たちが死地に趣くことなどないというのも怒りを覚える。

自分たちは安全な場所にいながら「若者に死ね」と平気で言える法律を作ろうとしとるわけや。

しかも何があっても責任を取らんという体質が、その法律を作る政府、国会議員、官僚たちのすべてに存在する。

残念やが、それが日本の実態やと思う。

ネット上では「国防のために9条の改正は絶対に必要である。集団的自衛権は同盟国なのだから派兵すべきだ」という意見をよく目にする。

「中国や北朝鮮が攻めてきた場合、今のままでは国は守れない」という人もいる。軍備を増強して備えるべきだと。

軍備を増強して対抗することだけが国防になるとも思えんが、そういう意見があってもええとは思う。

ただ、そうするには先に言うたようなことになるという覚悟があるのかと問いたい。

覚悟があって言うてることなら、それはそれで一つの意見、主張として尊重する。覚悟がないのなら、もう一度、よく考えることやと言うとく。

今回は、憲法第96条、および第9条に関して言及したが、『自民党の憲法第9条改正案』には、他にもまだまだ危険でおかしな点が多いさかい、シリーズ化して話すつもりにしとる。

憲法の改正論議は国民にとって大事な問題やと考えるので、どのような意見でも構わんさかい寄せて頂ければ有り難いと思う。



参考ページ

注1.自民党のホームページ 「憲法改正草案」を発表


今回のメルマガに関する質問

投稿者 山賊乗りさん 男性 26歳  投稿日時 2013. 4.20 AM 0:41


メルマガ、毎回読んでおります。

今回のメルマガ、疑問に感じた点があります。

一つ、自衛隊、イラクの派遣についてなんですが、在職中に35人亡くなったということです。(死因 自殺16名 病死7名 不明12名)

不明というのはねぇ…解せない。

一つ、自衛隊の宿営地が13回攻撃され、安全の為に頑強な宿舎を建築したこと。

一つ、様々なリスクという側面はあるものの、日本のマスコミはイラクに記者を送らなかったこと。

後、日本「国土」ではテロ行為は無いものの警察白書によるとアルカイーダ関係者が不法に入出国を繰り返していたとのこと。

私は自衛隊の活動は全ては否定しません。外国に食糧やエネルギー、その他を依存する以上はこういう活動も必要なのではと思ってます。

イラク派遣についても自衛隊は現地に融和する為にも相当心を砕かれたことも分かります。

後、憲法改正に関して、日本の施政者もそうなのですが、国民一人一人は防衛に対してどう考えているのかということ(特に改正賛成論者)

後、今更なことではありますが日本の為に亡くなられた自衛隊員全ての方に哀悼の意を表して…

そしてゲンさん、白塚様の今後のご活躍、心より御祈り申し上げます。

質問のネタ元
www.npa.go.jp/hakusyo/h23/honbun/


a.wikipedia.org/wiki/自衛隊イラク派遣

www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b168182.htm


回答者 ゲン


本来、ここに寄せられた意見は、そのまま掲載させて貰い、口を差し挟まないのやが、質問ということなのでワシらの分かる範囲で答えさせて頂く。

『一つ、自衛隊、イラクの派遣についてなんですが、在職中に35人亡くなったということです。(死因 自殺16名 病死7名 不明12名)』というのは、文中に『イラク兵を殺すこともなく、また自営隊員の死者も出さずに済んだ』とあったから疑問に思われたのやろうと思う。

これに関しては前段の文章に、『武器の使用が困難だったこともあり、結果として、自衛隊は交戦することはなかった』と言っていたように『交戦』したことによるイラク、自衛隊の双方の死者が出なかったという意味やった。

ただ、『在職中に35人亡くなった』というのは、その原因が定かにされていない点が多いさかい何とも言えんが、少なくとも自衛隊のイラクの派遣時、および帰還直後に自殺されたとのことやから、イラク戦争の犠牲者と見なすことができると思う。

特に自殺者に関しては、警察庁の発表では、ここ10年ほどの自殺死亡率(人口10万人あたりの自殺者数)が25人前後で推移していることからすると、延べ2万人近い自衛官がイラクに派遣されて16人が自殺しているという事実は、平時の自殺死亡率の3倍強にもなるさかい、突出して多いと言える。

異常に多いかどうかは別にしても、イラク戦争に派遣されたことが何らかの原因になっているのは間違いなさそうや。自殺者の方の詳しいその状況や情報が分からんさかい確定的なことは言えんがな。

ただ、自殺者ではないが、イラク戦争に派遣されていた、ある自衛隊員により提起された民事訴訟が、その参考になるのやないかと思う。

▼イラク派遣隊員が国提訴 「事故隠しで治療不十分」
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20120927130724619

この中に、ある自衛隊員の方は大怪我を負ったとある。現地では十分な治療が受けられないため帰国を再三求めたにもかかわらず、その事実が明るみに出ると『対米支援』が失敗に終わることを恐れ、その方の帰国を認めなかったということや。

結果、その方には重大な後遺症が残り、今も流動食しか食べられないという症状に悩まされ「何度も自殺を考えた」という。

単なる一つの事例にすぎないと言われてしまえば、それまでかも知れんが、この事実で見えてくるものがありそうに思える。

自衛隊員も立派な日本国民のはずやが、現場ではその日本国民の健康や生命より、国の対面、およびアメリカとの関係の方を重視しているとしか思えない。

タカが一人の自衛隊員の怪我程度のことは、どうなろうと大した問題ではないというのが、その事実から見てとれる。

それと似たような扱いや待遇が、イラク戦争に派遣されて自殺を選んだ自衛隊員の方々の理由やったというのは十分考えられる。明るみに出ていないだけで、もっと酷いケースもあったのやないかと。

『不明というのはねぇ…解せない』とあんたが言われるように、ワシも死因の『不明12名』というのは何なんやと思う。何を隠しとんねんと思う。

まあ、それも明るみに出せんのやろうがな。

『一つ、自衛隊の宿営地が13回攻撃され、安全の為に頑強な宿舎を建築したこと』というのも、『武器の使用が困難だった』ことで交戦できず、『頑強な宿舎を建築』して亀の如く甲羅の中に閉じこもるしかなかったのやろうと思う。

ただ、それが結果として交戦による『イラク兵を殺すこともなく、また自営隊員の死者も出さずに済んだ』ということになったわけや。

『一つ、様々なリスクという側面はあるものの、日本のマスコミはイラクに記者を送らなかったこと』というのはどういう意味なのやろうか。

イラク戦争では米英軍によって第一線部隊への同行、つまり従軍取材が認められ、欧米のメディアと同じく日本の新聞、テレビメディアも参加しとるから『日本のマスコミはイラクに記者を送らなかった』ということはないと思う。

その結果、テレビなどでは生々しい銃撃戦の様子が映し出されて、新聞紙面もイラク戦争時は連日その記事で埋まっていたさかいな。

ただ、軍隊の従軍取材は、「軍の広報」、「大本営発表報道」との批判が根強く、そんなものはマスコミの取材とは認められないという風潮が一部にあるさかい、正しい報道やったのかと言われると、ワシも困るがな。

とはいえ、どんな形であれ取材して報道しとるわけやから『日本のマスコミはイラクに記者を送らなかった』ということではないと思う。

『後、日本「国土」ではテロ行為は無いものの警察白書によるとアルカイーダ関係者が不法に入出国を繰り返していたとのこと』というのは、もしかするとテロの可能性があったのかも知れんが、結果として何もなかったわけやから『イスラム系の組織によるテロ行為を受けていない』としても問題はないと考える。

そして、『現在、イラク国民をはじめとするイスラム社会からも日本は敵視されることもなく、友好的な関係を築くことができている』というのも間違いないと。

「それは単に結果オーライだっただけ」と言われると、それを否定するだけの根拠も情報も持ち合わせていないさかい、「そうやな」と言うしかないがな。

『後、憲法改正に関して、日本の施政者もそうなのですが、国民一人一人は防衛に対してどう考えているのかということ(特に改正賛成論者)』というのはワシも知りたいところや。

以上が、あんたの質問に対するワシの回答やけど、これでええかな。


今回のメルマガに関して意見を書きます

投稿者 Nさん 新聞販売店専業員  投稿日時 2013. 4.22 AM 1:14


まず議論とか多数決は聞こえは良いですが愚衆政治になるのでいいことばかりじゃないですし、今回の憲法改正については役にたたないと思ってます。

例えばスーパーでヨーグルトを買うとき砂糖が入ってるものと入ってないものとでは売れるのは砂糖が入ってる方です。
砂糖の不使用を表記していても糖分を気にしてる人しか買わないからです(僕は後者ですが)。

砂糖は取りすぎると良くない。使用量や不使用の表記を義務付けよう! って考えるのが政治だからです。

義務付けよう! のところで国民全員参加の意味がありますか?

ケンポウ改正は確かに大事ですが、食品の表記だって生命にかかわる大問題です。

そんなことどうでもいいやとか、べしゃりの旨いほうになびくのがどうせ大多数ですので平等とか権利とかギロンとか耳障りがよいですが、どうでも良いです。

自分が選挙で投票しても、しなくても結果に関係ないですよね?

選挙権なんて底辺の民がグレないための幻想なので。大事なのは自分自身がその中でどう対応するかだけです。

つまり大きなこと、大事なことが決まろうと、決められようとしてますがなるようになるのでどっちでもよいです。

政治にかかわる時間がもったいないです。

変な意見でごめんなさい。


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