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第264回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2013. 6.28


■現日本国憲法成立の真実とは


現在の日本国憲法は、終戦当時のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の主導により作られたものを押しつけられたというのが定説であり、大半の一般国民の認識やと思う。

そのためなのか、安倍首相が盛んに国会や街頭などの演説で「日本人自らの手で憲法を作らなければならない」と言って憲法改正の必要性をアピールしているが、果たしてそうなのか。

本当に巷間言われているように、GHQが作成した憲法を日本に押しつけたのか。日本側は誰も関わっていないのか。当時の日本政府は何の抵抗もなくそれを受け入れたのか。

今回は、その点について話そうと思う。

GHQは太平洋戦争の終結時、ポツダム宣言の執行のために日本において占領政策を実施した連合国軍の機関である。

ポツダム宣言は無条件降伏だったと戦後生まれのワシらは子供の頃からそう教えられて育った。

降伏する際には一切の条件も付けていないし、文句も言っていないと思っていた。

しかし、それは少し違っていた。

確かに、軍隊の無条件降伏という点についてはそのとおりやったが、日本国家の降伏については、ポツダム宣言の第5条に、

「吾等(連合国)の条件は左の如し。吾等は右条件より離脱することなかるべし。右に代る条件存在せず」

と明言されているというところからすると、条件付き降伏やったと解すことができる。

その『吾等(連合国)の条件』というのは、

第8条で「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に限られなければならない」、

第10条で「軍隊の解体」は絶対だが、その他に「民主主義的傾向の復活を強化し、これを妨げるあらゆる障碍(しょうがい)は排除されるべきこと」、「言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重は確立されること」、

第12条で「日本国国民が自由に表明した意志による平和的傾向の責任ある政府の樹立を求める」

と明記されている部分や。

日本は国の存続を条件にポツダム宣言を受け入れたというのが、正しい認識やったことになる。

また、連合国側も日本の国家の解体や永年占領までは考えていなかったものと思われるさかい、問題視すらされていない。

実際、GHQはそのポツダム宣言を背景に「軍国主義の一掃」、「政治犯の釈放」、「秘密警察の廃止」、「労働組合の奨励」、「農民の解放」、「教育の自由化」、「自由な新聞の育成」などの政策を素早く実行に移している。

特に、GHQのダグラス・マッカーサー最高司令長官は「民主主義とは、こんなことだと日本国民に示すため女性に参政権を与える」と意気込んでいたという。

当時の日本は男尊女卑の徹底した社会やったさかい、その実現が日本に民主主義を根付かせるための象徴的なものになると考えたようや。

そのためには既存の大日本帝国憲法を民主憲法に改正する必要があった。

GHQは、「連合国軍」とは言うものの職員の大半をアメリカ合衆国軍人とアメリカの民間人が占めていた。

少数のイギリス軍人も含まれていたが、それは連合国という体裁を維持するためのお飾りのような存在で、その発言は弱かったようや。

つまり、アメリカの意思が大きく働いた結果、生まれたのが現在の日本国憲法やったということになる。

当時の日本の政治家たちが「主権者は国民」、「言論、宗教及び思想の自由」、「基本的人権の尊重」というのを憲法に謳うことなど考えられんかったろうしな。

それは天皇が「現人神(あらひとがみ)」であり最高元首で、国家機関がその次、当時の国民は「臣民」と呼ばれ、天皇の名の下に発せられる詔に従うことが絶対とされていた典型的な封建社会やったからや。

180度変わった社会に合わせて上手く切り替えられる政治家は少ない。たいていは今までのやり方を踏襲しようとする。

しかし、現実に社会は180度変わった。日本は嫌でもポツダム宣言に沿ったGHQの政策に従う外はなかった。

ただ、GHQも自らが作った憲法を強制的に押しつけることまでは考えていなかったようや。

それには、連合国側に強要された憲法であることが日本国民に知れると、将来に渡り、日本国民がそれを受け容れ継続する可能性が薄いと判断したからやという。

できれば日本人の手による憲法草案が望ましい。GHQは、そう考え広く憲法制定に関するパブリック・コメント(意見公募)を募った。

その結果、民間草案が次々に持ち込まれ発表された。

その中の一つ、在野の憲法学者、鈴木安蔵を中心とした「憲法研究会」の憲法草案にGHQが興味を示した。

それには、「国民主権主義」、「労働者保護」、「国民投票制度」、「単年度予算」、「会計検査院制度」、「所有権の制限」といったところまで踏み込んでいた。

そのためGHQ内では、「この草案中に示されている諸条項は民主主義的で我々も賛成できる」という意見が大勢を占め、「憲法研究会」の憲法草案を参考にすることで一致した。

当時、憲法学者の鈴木安蔵は、中央では殆ど無名に近い存在やった。

戦前、鈴木は左翼学生運動などで治安維持法違反で検挙され、2年間服役している。

その後、著書の発禁など不遇の時期を経て、憲法史、政治史などの研究を重ね、在野の憲法研究者と呼ばれるようになった。

主な実績には、大日本帝国憲法の成立過程の実証研究がある。そのさきがけとして、その道では知られた存在やったという。

第二次世界大戦後は「憲法研究会」の発足時から参加し、自らの憲法史研究をベースとして会による憲法私案「憲法草案要綱」をまとめる中心的役割を果たしている。

鈴木は、憲法私案「憲法草案要綱」を発表した翌日、新聞記者の取材に対し、起草の参考資料に関して、次のように語っている。

「明治15年に草案された植木枝盛の東洋大日本国国憲按や土佐立志社の日本憲法見込案など、日本最初の民主主義的結社自由党の母体たる人々の書いたものを初めとして、私擬憲法時代といわれる明治初期、真に大弾圧に抗して情熱を傾けて書かれた20余りの草案を参考にした」、

また外国資料としては「1791年のフランス憲法、アメリカ合衆国憲法、ソ連憲法、ワイマール憲法、プロイセン憲法などを参考にした」と。

生半可な知識量ではない。

当時の日本人としては異端と言っても良いくらい民主主義に精通し、国際感覚に長けた人物やったと言える。

この憲法私案「憲法草案要綱」がGHQに認められ、コートニー・ホイットニー准将らによる憲法案の作成に大きな影響力を与えたことから、鈴木氏は、日本国憲法の間接的起草者と言われるようになった。

この事実を知ると、あながち現日本国憲法は、GHQに無理矢理押しつけられたものではなかったという気になる。

日本人の手で作られた初めての民主憲法と言えるものやないかと。もっとも、国民の多くにはその事実はあまり知られていないがな。

ただ、背景にはGHQという当時の絶対的な権力が控えていたということもあり、その影響下で作られた憲法は、やはり押しつけられたものという見方も一方では根強く残っている。

当時の政府が何の抵抗もなく、そのGHQの草案を受け入れたのかというと必ずしも、そうやない。

かなりの抵抗があり、日本国憲法成立までには虚々実々の駆け引き、攻防が繰り広げられたという。

ちなみに、2007年に制作された映画『日本の青い空』(注1.巻末参考ページ参照)では、その時の様子が克明に描かれている。

当初ワシらは、日本国憲法成立の真実に近いものとして、その映画『日本の青い空』を紹介するつもりやった。

映画は自体は面白い。特に主人公の鈴木安蔵と、その妻、俊子との憲法の草案作成を巡って語り合うシーンは秀逸やと思う。

その一場面だけ紹介する。


「憲法研究会が国民主権の軍事条項を書けば、再び軍を作る政府を国民の中から支持することになってしまう。何と書けば良いんだろう」と、悩む安蔵。

「書かなければいいわ。書こうとして書けないことは書かなければ良いわ。空白はいつか書ける時がくる。そう思うの」と、俊子。

「……」

「8月15日の福島の空は真っ青だったわ。あの時、自分はこの空みたいだ。何一つない空白だと思った。だけど、あれから4ヶ月、あの青空は空虚じゃなくて希望の始まりだったのよ」

「……」

「8月15日以来、日本中に言葉にできないくらい空白ができているわ。時代の転換点ですもの。だから空白は空白のままにしておく。何かが生まれてくるまでね」

「……」

「戦争はもうこりごり。だから一言も触れない。一言も触れないけど、みんなの思いは一つにつながっている。もう軍隊なんていらないって」

安蔵は、その俊子の言葉で意を決し、憲法研究会の了承のもと、軍事条項の部分だけを空白にすることにした。

やがてその憲法研究会の草案がGHQの草案に活かされ、最終的には政府案として憲法改正草案が発表された新聞を手にした安蔵に、俊子が目を輝かせて駆け寄る。

「憲法、載ってるのね」

「載ってる、載ってる。新しい憲法だ」

「空白が埋まったわ。私たちが感じて感じて言葉にできなかったことが書いてある」

新聞を読んだ俊子の言葉に安蔵が肯く。

「我々の無言の条項が完全に埋まった。この9条の精神を含めて、うちの研究会草案と内容は殆ど一致している」

さらに続ける。

「天皇の即位は議会の承認を得ることは削られたが、天皇は日本国至高の総意に基づき、日本国および日本国民統合の象徴たるべきこと。国民主権だ」と。


映画は、この瞬間からエンディングに向かっている。

この映画には、在野の一憲法学者の草案が取り入れられ、現在の日本国憲法が誕生したという意外性が面白く、ドキュメンタリー・タッチで描かれている秀逸な作品やと思う。

観る者を、なるほどと納得される説得力がある。

主人公の鈴木安蔵と妻の俊子にスポットを当て、不遇を囲った極貧生活の中で、偉業を為したというサクセス・ストーリーを交えた演出は観客の心を捉えるには十分や。

面白さプラス、歴史的価値の高い作品やと思う。

ただ、冷静に見ると、鈴木案は単にGHQの考えに近かったために数多くの草案の中から選ばれただけとも言えるわけや。

欧米的な民主主義を日本に持ち込もうとしたGHQと、その欧米の民主主義による憲法を研究し尽くしていた鈴木との間で一致したというのは、ある意味、必然やったと言える。

いずれにせよ、鈴木案を採用することで、表向きGHQは日本人の意見を取り容れたとすることができると踏んだのやないかと思う。

事実、GHQは自らの憲法草案は、憲法研究会の草案を参考にしたものだと日本政府に告げている。

当時、日本政府には松本烝治国務大臣が委員長となって進めていた「憲法問題調査委員会」というのがあった。そこで松本私案と呼ばれる憲法改正案が作成された。

当初、GHQは連合国の意向に沿う憲法草案であれば認めるつもりやった。

しかし、松本私案には、「天皇が統治権を総攬するという大日本帝国憲法の基本原則は変更しないこと」という拘りが強かったこともあり、結局、GHQは日本政府の出した松本私案を拒否し、見限った。

結果、憲法研究会の鈴木案を基にGHQ案を作り、「マッカーサー草案」として日本政府に突きつけたわけや。

鈴木夫妻が見た新聞記事は、その時に出された表向き日本政府としての日本国憲法の草案やった。

この時、鈴木安蔵は「日本国至高の総意」と書かれた箇所を「国民主権だ」と解したが、実は、この文言を草案に記載した事こそが、当時の日本政府の抵抗であり、GHQ案を将来的に骨抜きする狙いがあった苦肉の策やったと思われる。

日本の官僚たちによる姑息な文言によるごまかしの表現は、すでにこの頃から行われていたことになる。まさに油断も隙もないと言うしかない。

「至高」というのは「この上なく高く、優れていること。また、そのさま。最高」という意味で、それからすると、「日本国至高の総意」というのは「日本国最高の総意」ということになる。

「日本国最高の総意」が「国民主権」とはならないというのは文言の上からも明白で、時を経てGHQの力が及ばなくなれば、「国民主権」はおざなりにされ、政府を「日本国最高の総意」として国民を統治しやすくする狙いがあったものと思われる。

さすがのGHQもそこまで気がつかないだろうとタカを括っていたようやが、その目論見は簡単に見透かされてしまった。

その文言に気がつき、「至高という表現は止めて、主権が国民にあるということを明文化しなさい」と強硬に迫るGHQに、日本政府は、盛んに「至高」と「主権」は同じような意味であると説明して、しぶとく粘り何とか逃れようとしたが、結局、日本国憲法の前文に「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」という文言が入れざるを得なくなった。

当時の日本政府の完敗である。

その屈辱から怨念にも似た思いが、教育の場や政治の場で形となって表れ、日本国憲法はGHQに押しつけられたという話が拡がっていったものと考えられる。

多くの国民は、それを信じた。

そして、それは今尚、政治の世界で延々と引き継げられ、事あらば憲法改正を虎視眈々と狙っているわけである。

その延長が安倍首相の「日本人自らの手で憲法を作らなければならない」という発言につながり、『自民党憲法改正案』(注2.巻末参考ページ参照)という形になって表れたのやと思う。

『自民党憲法改正案』というのは、国民の自由や基本的人権、言論の自由といったものを制限し、押さえつけようとしているのは明白で、今考えると、その内容も当時の松本私案に近い。

現日本国憲法第1条で『天皇は、日本国の象徴』とあるのを、『自民党憲法改正案』の第1条では『天皇は、日本国の元首』としているのが何よりの証拠やと思う。

当時の松本私案も、その点を拘り続けていたさかいな。だからこそ、民主憲法を求めるGHQに見限られたわけや。

現在、与党自民党が憲法改正論を声高に叫んでいるのは、何も安倍首相独自の考えや思いつきだけではないということになる。

その歴史は古く、長い。もっとも、今までは憲法改正を言い出すと選挙に負けるかも知れんということで、たいていはかけ声倒れに終わっとるがな。

それを安倍首相は敵失とも言える民主党の失策のせいで転がり込んできた政権を自らの支持率の高さによるものだと錯覚して、『自民党憲法改正案』なるものを成立させようとしとるわけや。

今の高支持率なら何でもできると考えて。

現在の日本国憲法が押しつけられたものやというが、誰にとっての押しつけかという点を考えれば、その意味合いは大きく違うてくる。

日本国憲法は、権限、権力を維持しようとした日本政府にとってはマイナス面の強い押しつけやったかも知れんが、日本国民からすれば「自由と人権」が保障され、戦争から解放された素晴らしい贈り物と言えるのやないかと思う。

現在の日本は、完全に、その日本国憲法の精神が根付いた国になっているのは間違いない。

その点で言えば、押しつけであろうとなかろうと関係のない事やと言える。

国民の中から、現在の日本国憲法を改憲する必要があるという意見は、今までのところ、どこからも出てきていない。

少なくとも自民党政府が喧伝するほど、憲法改正論についての国民世論は高まってはいないと確信する。

大半の国民は、現状の日本国憲法で十分満足しているものと考える。

改憲する必要があると言うてるのは、今のところ権力の中枢にある自民党政府と、それに追随する元自民党出身の野党勢力くらいなものや。

というても政治的には少ない勢力やないから始末に悪いがな。

つまり、安倍首相の言う『日本人自らの手で憲法を作らなければならない』というのは、権力側にとって都合のええ憲法に変えたいと言うてるだけのことやと思う。

『自民党憲法改正案』には国民の側に立った視点がなく、国民のためになる要素が何も見受けられない。マイナス面なら幾つでも挙げられるが。

自民党が憲法改正する最大の理由として挙げているのが、隣国の中国から尖閣諸島問題で攻撃される脅威に対抗するためには、憲法第9条を改正する必要があるというものや。

国防軍とやらを持つために。

現日本国憲法第9条と自民党憲法改正案第9条との対比では、


現日本国憲法第9条


日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


自民党憲法改正案第9条


日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。

2.前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

(国防軍)
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。

5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

(領土等の保全等)
第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。


となっている。

『現行の日本国憲法第9条』では『永久にこれを放棄する』となっているが、『自民党憲法改正案第9条』になると『用いない』に変えられている。

この違いは大きい。

これは法律文にありがちな表現で、例外を附則させる場合によく使う手法や。
『用いない』としておけば、附則で『例外として……』と付け加えやすいさかいな。

『現行の憲法第9条』では『永久にこれを放棄する』となっている手前、附則では『A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』としか書けないわけや。

しかし、『自民党の憲法第9条改正案』になると『用いない』に変えられているために、附則で『2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない』とすることができ、これにより『自衛権』という名目で「軍隊」を持つことが堂々とできるようになるわけや。

『(国防軍)』以下の記述を見れば、それは歴然としとる。

『我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する』というのにも、一見それと分からんように外国との戦争行為に及ぶことも可能としている。

『国民の安全を確保するため』という一文がそうで、これにより外国で邦人が拉致された場合、あるいは邦人が危険に遭遇している場合、その救出活動ができると解される。

また、その一文がある限り、今までのように、外国で拉致された人に対して「自己責任」とは言えんようになるわけや。国の威信にかけて救助せなあかんようになる。

一見、それは当然で良さそうなことのように思えるが、それにより重大な結果を招く可能性が高くなる。

外国で邦人が拉致された場合の救出活動に武器を持って臨めば、犯人側との交戦は避けられんようになる。

それにより相手方を殺し、味方に死者が出ることが考えられる。

『邦人が拉致された場合』の犯人とは、一般的にはテロ組織と呼ばれているグループが多い。

どのような結末になろうと結果として、日本はそのテロ組織と戦端を開かざるを得なくなる。

つまり、その事が起きた以降は、日本はそのテロ組織に狙われる危惧が高まるということを意味するわけや。現在の欧米諸国がそうであるように。

日本国内が、欧米諸国並にテロ行為の脅威に晒されることになる。

今までは、現状の憲法第9条があるため、「日本も集団的自衛権を有しているが、憲法第9条1項の規定上、その権利の行使は許されない」との日本政府の公式判断により、同盟国からの要請があっても事実上の戦争行為に巻き込まれないようにすることができた。

その端的な例がイラク戦争やったと思う。

当時、自衛隊が海外派兵した際、名目上は復興支援とすることしかできず、武器の使用が困難だったこともあり、結果として、自衛隊は交戦することはなかった。

そのためイラク兵を殺すこともなく、また戦闘による自営隊員の死者も出さずに済んだ。

それにより現在、イラク国民をはじめとするイスラム社会からも日本は敵視されることもなく、友好的な関係を築くことができている。

イラク戦争以降、イスラム系の組織によるテロ行為を受けていないのも、それが理由として大きいと思う。

また、輸送などの後方支援をすることで、同盟国であるアメリカの顔を立てることもでき、それなりに国際社会から評価されてもいる。

つまり、現状の憲法第9条でも十分に集団的自衛権の行使に貢献することができたわけや。

ワシは、『自民党の憲法第9条改正案』が成立すれば、それこそ戦前の危険な道を歩むことになるのやないかと危惧する。

『自民党の憲法第9条改正案』の狙いの中には「徴兵制」が含まれているのは歴然としているさかいな。

その法案が成立すれば必ずと言うてもええくらい「徴兵制」が実行されるものと思う。

なぜなら、『自民党の憲法第9条改正案』が成立すれば、自衛隊は正式な軍隊になり、いつ戦争が起きるか分からんようになるからや。軍隊には、そういうイメージがつきまとう。

そうなれば軍隊への入隊希望者が激減するのは間違いないものと予想する。

現実にイラク戦争以降、自衛隊への入隊希望者は激減していると聞くし、幹部候補生の中途退学者も増えているという。

しかし、軍隊を維持するにはそれでは困る。軍人を増やすためには必然的に「徴兵制度」を採らざるを得なくなるということや。

今の若者たちが否応なく、望まぬ戦争に駆り出され死地に赴かなければならない事態というのは十分に考えられる。

ワシらのような老いぼれには、そんな声はかからんやろうが、子供や孫たちが、そういう憂き目に遭うかも知れんと考えただけで心が痛むし、腹も立つ。

いつの時代であろうと為政者のすべてに言えることやが、そういった法律を作る者たちが死地に赴くことなど絶対にないというのも、さらに怒りを覚える。

自分たちは安全な場所にいながら「若者に死ね」と平気で言えるわけや。また、そうしようしている。

しかも何があっても責任を取らんという体質が、その法律を作る政府、国会議員、官僚たちのすべてに存在する。

残念やが、それが日本の実態やと思う。

ネット上では「国防のために9条の改正は絶対に必要である。集団的自衛権は同盟国なのだから派兵すべきだ」という意見をよく目にする。

「中国や北朝鮮が攻めてきた場合、今のままでは国は守れない」という人もいる。軍備を増強して備えるべきやと。

「戸締り論」というのがある。「戸締りをしなければ強盗が入ってくる」という考え方から「暴力には暴力で対抗せよ」という理屈や。

果たしてそうか。ワシには、それは逆に思える。

暴力で対抗しなくても「日本を攻撃するのはリスクが大きいわりにメリットがない」と思わせることができれば防げることやと思う。

しかも、それはそれほど難しいことでもない。現に、今でも機能しとることでもあるしな。

日本が「戦争放棄」をしている国であるというのは全世界が知っている。

現在の憲法のままであれば、日本から他国に戦争を仕掛けるということは絶対にあり得ないし、できない。

その国を中国であれ、北朝鮮であれ軍事力で攻めれば、どうなるか。

国際社会から非難されるのは目に見えている。

中国は現在、経済大国になっているということもあり、他国に非難されてまで日本に対して戦端を開くとは考え辛い。

貿易相手国の日本を失うだけではなく国際社会からも孤立する可能性が高い。そう考えれば経済的リスクがあまりにも大きいということが分かる。

実際、現在中国は、あれほど強硬な姿勢に徹していた尖閣諸島問題を、先送りしようと躍起になっているためもあるのか、挑発行為もすっかり陰を潜めているる。最近では殆どニュースになっていないさかいな。

日本を相手にしてもリスクが大きいわりにメリットがないと、相手に思わせるというのは、実際の軍隊を持つ以上に、大きな力やと思う。

また、この憲法第9条があるが故に、アメリカも日本に対して他国との紛争において同盟国であっても日本に派兵を強要することができないでいるということもある。

何せ、その憲法はアメリカ主体のGHQの影響力の強いものやから、今更、それを改正しろとも言えんわな。

もっとも、裏で自民党政府を突いて、憲法を改正させようとしとるのかも知れんがな。ただ、表向きには、おくびにもアメリカはそういう姿勢を示していない。

逆に、アメリカ政府、議会とも『自民党憲法改正案』の内容には批判的やという話が漏れ聞こえているくらいやさかいな。

ただ、昔のGHQであれば『自民党憲法改正案』は松本私案同様、一蹴されていたのは間違いないと思う。

こうして見ると、憲法第9条により日本は守られていると言えるのやないかと考える。

それを無理に自民党政府は国民の世論を焚きつけてまで、現状の憲法を改正しようとしとるわけや。

それは歴史的な怨念によるものか、政府や官僚たちが今以上の権力を保持するためなのか、アメリカの圧力によるものかは分からんが、いずれにしても『自民党憲法改正案』が国民の利益にならんことだけは明らかやと確信する。

ワシらは憲法の改正自体を反対しとるわけやないが、変えんでもええものを無理に変える必要はないと考えとる。それも国民に不利益になるものなら尚更や。

しかし、そうは言うても、このまま自民党政府が議席を伸ばして行けば、必ず
『自民党憲法改正案』を成立させようとするはずや。

それを阻止するために、「次の参議院選挙で自民党に票を入れるな」とまでは言わんが、せめて選挙には行って欲しいとは思う。それだけでええ。

多くの有権者が選挙に行きさえすれば、自ずと国民の意志が反映されることになると思うさかいな。逆に低投票率やと自民党を利するだけにしかならんと思う。



参考ページ

注1.映画『日本の青い空』YouTube

注2.第254回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■自民党憲法改正案の是非 その1 憲法第96条、および第9条の改正について

第255回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■自民党憲法改正案の是非 その2 基本的人権が危ない

第259回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■自民党憲法改正案の是非 その3 公団でのペット飼育に関する考察


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