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第29回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2008.12.26
■新聞業界大激変の予感
100年に一度の大不況と言われるほどに、日本のみならず世界中の経済が悪化しとるというのは、様々な報道に触れる限り否定できん事実やと思う。
この状態がどの程度続くのか、また拡大していくのかは予測しづらいが、しばらくは辛抱せなあかん状態が続くのやろうな。
もっとも、新聞業界に関しては、この世界大恐慌が訪れる以前からすでに危機的状況に直面していたと言えるがな。
新聞社は、企業からの紙面広告獲得に四苦八苦し、新聞販売店は、無読者の増加、徐々に進行する少子化による人口減、折り込みチラシの減少、相変わらずの勧誘の悪評などにより、その購読部数の減少に歯止めがかからん状況になり
つつあった。
事、新聞業界だけに限って言えば、この世界大恐慌が訪れようが訪れまいが、逃れようのない厳しい環境にはすでに陥っていたわけや。
ワシらも、このサイトをやっていて、それを痛感することが多い。
特に今年に入ってから、それが顕著に表れとる。
具体的には、長年業界に携わって来られ、このメルマガやサイトに情報や意見を寄せて協力して頂いた方々が、相次いで辞めていかれるという事態になっているのが、それや。
多くは、個人的な理由からやと言われとるが、それにはこの業界の先行きを悲観して、あるいは見切りをつけてというのが相当数あるものと思われる。
また、拡張団の廃団や販売店を廃業したという報告もある。
全国的にもその傾向が強い。
数字として、3、4年前までは22000店舗以上は常時あった新聞販売店が現在は、20000店舗切る勢いで減少傾向に向かっているのが、それを如実に表していると思う。
新聞拡張団の実数は掴めんが、それでもかつてないペースで激減しとるのは間違いない。
もっとも、新聞販売店に関して言えば店舗の大型化というのも進んどるから、あながち店舗数の減少が、部数減だけの影響によるものやないとは思うがな。
拡張団もしかりで、組織が大型化しつつあるから同じようなことが言える。
ただ、いずれにしても、「共に頑張ろう」、「頑張って」、と励まし合った仲間が業界から離れていくというのは、やはり一抹の寂しさがあるわな。
そうは言うても、それぞれの人生やから、その決断は尊重するしかないがな。
そんな状況のところに持ってきて、この大不況の嵐や。
その深刻さの度合いが、さらに加速するのは必至やという気がする。
ただ、それらがすべて悪い方に転がるかと言えば、あながちそうとばかりは限らんのやないかとは思うがな。
何でもそうやが、悪い面、悲観的な面ばかり論(あげつら)えばキリがない。
さらに気持ちが落ち込むだけや。
果たして、この大不況は新聞業界にとって救いようのない事態になるのか。
今回、それを検証する意味も込めて、『新聞業界大激変の予感』と題して今後の新聞業界の進むべき道、あるべき姿について話すことにしたわけや。
ただ、ここから先は、あくまでもワシの個人的な予測に基づくものやというのを先に断っておく。
もっとも、予測とは言うてもそれなりの情報、データを元にしとるから、当たらずとも遠からずとは思うがな。
今回の不況の根底には、実際以上の風評不安というのも加わっていると考えられている。
それには、新聞やテレビなどのマスコミが必要以上に不況の深刻さを煽るからやという意見もある。
それにより、消費者の購買意欲を削ぎ、買い控えを増長することにつながり、企業の業績の悪化を招き、さらなる経済不安に陥るのやと。
群集心理というのがある。
皆が同じ方向を見て走り出すと人間は歯止めが利かんようになる。
不安要素が、その群集心理を駆り立てる。
その中に埋没することを避けるには冷静に物事を捉え、判断するしかない。
日本はある意味、企業国家と言うてもええと思う。
企業の存続そのものが、国に与える影響には計り知れないものがあると言われている。
そして、それは多くの場合、正しい。
日本の都市や町の至る所に、「企業城下町」というのがある。
その企業なくしては、その町は存続し得ないと言われとるほど、その影響力には絶大なものがある。
すでに、ある企業城下町では、その企業が派遣社員や期間労働者などの大量解雇を実行したことにより、人が減り半ばゴーストタウン化した所があるという。
単に一つの企業の業績が悪化したというだけで済む問題やないということや。
それらの企業は、その企業城下町と呼ばれるまでの繁栄を築くために、膨大な広告費用をかけてきた。
その多くが、新聞やテレビに流れていたわけや。
それが、今回のこの不況で激減するものと思う。
事実、ある自動車メーカーでは、この不況が表面化する以前に、新聞やテレビに対する広告費を3割ほど減らすと宣言した。
金額にして約300億円ほどにもなるという。
その発表当時、今年の8月末やったが、新聞業界においては、まだそれほど慌てとるという雰囲気でもなかった。
いくら、その自動車メーカーがそういうアドバルーンをブチ上げても、今までの長年に渡る業界同士の付き合いというものが強固にあり、そんなものを実行できるはずがないと甘く考えていた部分があった。
実行したとしてもタカが知れてると。
実際、新聞紙面、テレビCMでのその企業の広告宣伝が、その後、目立って減ったとも思えんかったしな。
それが、この12月になって、その自動車メーカーが赤字計上を発表したこと
で、そんな付き合い云々という甘いことも言えんような状況になった。
嫌でも、そう認識するしかない。
そして、実際に、その広告費が削減され始めたら、その経済状況に合わせて3割が4割、5割と進行していくのは自然な流れやと思う。
当然やが、そうなれば多くの企業が同様の姿勢を見せることになるのは必至や。
つまり、新聞、テレビ業界を含む多くのマスコミ業界が、確実にその煽りを喰らうことになるわけや。
現在、日本の新聞社の総収入のうち、その広告収入が占める割合は、4割〜5割程度の範囲やと言われとる。
少ない比率やない。
そして、その収入は新聞部数の多さに連動していた。
それがために、新聞各社は、その部数を増やすべく熾烈なまでの販売競争を長年に渡り続けてきたわけや。
そのため新聞の普及率が飽和状態になっても、尚、増紙を続ける必要性から、ついには「押し紙」というものまで現れる事態になった。
架空の部数を販売店に買わしてまでも、部数を増やすことを新聞社は選んだ。
新聞社も単にその押し紙を何の見返りもなしに押しつけていたわけやない。
その裏で、補助金と称して販売店に、それに相当する、あるいはその大部分の返還、穴埋めの意味合いを込めて、紙(新聞)の売り上げを削ってまで、それに充てた。
それはまるで、タコが自らの足を喰らう姿に似ている。
つまり、新聞社は新聞の売り上げ収入を度外視してまでも、広告収入の方をより重視するようになったわけや。
新聞各社の部数至上主義の背景にはそれがある。
しかし、今回のように広告収入自体が望めんような事態になれば、そのビジネスモデルは根底から覆(くつがえ)ることになる。
つまり、いくら表面的な部数を増やそうが、その広告収入の増収そのものが見込みにくい状況になるということや。
それでは、押し紙をしてまで部数増に拘(こだわる)る意味が新聞社にはなくなる。
押し紙のように、売りもせん新聞を印刷すれば、そのコストの分だけ経費が余分にかかりマイナスになるわけやさかいな。
この状況下で生き残りを計ろうと思えば、現在、多くの企業がそうしとるように、製造を縮小するしかない。
その結果、押し紙がなくなれば、新聞業界のタブーが一つ消える。
それで助かる販売店も増えるやろうし、アンチ新聞派の新聞を攻撃する理由も減るやろうから、業界のイメージという点では良くなる方向に向かうと思う。
ここで一つ、この大不況故の、ええ意味での業界の激変が期待できるわけや。
そうなれば、新聞を売ることで経営するという本来の姿に新聞社は立ち戻るしかなくなる。
もっとも、それが当たり前と言えば当たり前なのやが、その当たり前のことに長年背を向けてきたために、自らがタブーとせなあかんようなダーティな部分を数多く内包してきたわけや。
そうしたビジネスモデルは一体どこから来たのか。
それは、民間のテレビ局からやと思う。
民放のテレビ各局は視聴者から金を取らん代わりに企業からの広告料を得ることで成り立っている。
その民放のテレビ各局を傘下に持っている新聞社は多い。
もっとも、中にはテレビ局が新聞社を所有しているケースもあるがな。
いずれにしても、新聞社と民放のテレビ局のつながりは深い。
その広告料を得るというビジネスモデルが成功したことにより、テレビ各局は隆盛を誇るようになった。
今やほとんどのテレビ局は、その親会社である新聞社と比肩、あるいは凌駕するまでに成長している。
新聞社は、そのビジネスモデルに乗った。
そんなところやろうと思う。
ただ、新聞各社の経営陣の中には、そのビジネスモデルのままでは経営がいずれ行き詰まり立ち行かんようになると考える人もいてたと聞く。
しかし、それでも、どこかにテレビ局を所有しているから大丈夫やという思いがあり、新聞販売の現場で起きつつある危機的な状況に目を瞑(つむ)って、あるいは楽観視してきた向きがあるのは否めん事実やったと思う。
現在、その仕組み自体が根底から揺らぎ始めている。
企業の広告費削減は、新聞以上に民放のテレビ各局を直撃する。それしか収入源はないわけやさかいな。
しかも、テレビ業界は2年後には地上デジタル放送に完全移行するということが決まっていて、業界全体が大きな変革の時期を迎えている。
現在は、そのPRのためか、ええことばかりしか強調されとらんが、新たな参入放送局も増えると予想され、より厳しい環境に民放テレビ業界が置かれるのは必至やと言われている。
そこで起きるのが、広告料金の値下げ、安売り合戦や。
少ないパイを取り合うには、そうならざるを得んやろうと思う。
そうなると、新聞社の経営を支えるどころの話やなくなる。
テレビ局自体が危うい状況になるわけやさかいな。
新聞社の方でも頼りたくても頼れんようになるわけや。
それなら、どうするか。
新聞社本来の新聞を売って経営を維持するしかない。
そのためには、先にも言うたように押し紙のような無駄は、まず最初に省くことになる。
それに伴い新聞販売店への補助金も止めざるを得なくなる。
新聞社も販売店には、今までのように部数を増やせとばかりは指示もせんやろうし、部数の増減を理由に改廃するというようなことも少なくなるはずや。
ただ、新聞を購入する側の読者も厳しい、あるいは不安に駆られとる状況にあるから、単に経済的な理由で購読を止めたり、新たな契約を結ばなくなったりするというケースが増えると考えられる。
つまり、それは今まで以上の部数減の進行が予想されるということや。
それでも生き残れるのは、購読客との付き合いを大事にしている販売店やと思う。
残念ながら、新聞販売店の中には、客に対して横柄な態度で接し、トラブルを多く抱えとる所も少なくない。
消費者が家計を切り詰める際、もっとも最初にその候補に挙げられるのが新聞代や。
人間関係のでき上がっている販売店とは人情的にもなかなか購読を断りにくいが、評判の悪い所とかトラブルが多い所については、そういう配慮も必要なく切れる。
むしろ、それを理由として契約を拒否し、購読を断るのも可能や。
拡張員も同じで、悪質な拡張員を使えば、その分、信用を落とし客が逃げる要因になるから、必然的にそういう人間も排除される。
新聞社も部数増にそれほど拘(こだわ)らなくなれば、そういう拡張員を要する拡張団は必要やなくなる。
当然のように評判の悪い拡張団とは契約の更新をしないということになる。
それは悪質な拡張団の廃団を意味する。
廃団を避けるには、拡張団も新聞社への信用を上げるしかない。
そのためには、悪質かつ無法な拡張員を除外、辞めさせるしかなくなるわけや。
ちょっと以前までなら、この拡張員のなり手が少なかったから、少々問題があったとしても、そう簡単にはクビにできんという事情もあったが、今は違う。
この大不況により、派遣社員や契約従業員のクビ切り、雇い止めというのがあり、行き場を失った労働者が多くなっている。
しかも、今後、さらにその傾向が進むのは必至の情勢にある。
昔からこの業界は、身体一つで転がり込む者が多かったから、それらの労働者を受け入れる下地は十分にある。
3、4年前にもリストラ流行りのときがあったが、その頃にも拡張員志願者が多かったという経緯があるさかいな。
それと同じようなことが起きる可能性は大や。
当面の住居の心配がないということも大きな理由になるはずや。
今回は、そのとき以上の非常事態やから、その希望者が殺到すると思われる。
過去の問題の多い拡張員を切りやすい状況になってきたわけや。
拡張団の中には未経験者を積極的に雇うという所が、ここ2、3年、特に目立って増えてきとる。
もっと言えば、経験者を雇わんという風になったということでもある。
それには、この業界の経験者イコール悪質な営業に冒された人間というイメージが強いためや。
もちろん、経験者やからすべてが悪質ということやないんやが、地域や拡張団によれば、どうしてもそのイメージを払拭できんということなのやろうな。
一番間違いのない方法として経験者を雇わんと結論づけることやったわけや。
それくらい、この業界には悪しき伝統が色濃く存在しとるということなのやろうと思う。
喝勧、置き勧、ヒッカケをするのが拡張員やと言うて憚(はばか)らん連中が、今尚、存在しとるというのが、それを裏付けとる。
朱に交われば赤くなる。
悪いことにはすぐ染まるという意味で良く使われる諺(ことわざ)やが、残念ながら、その悪しき伝統が長年に渡って続いてきたのも確かや。
しかし、現在は、その受け皿となる要員が増え、また悪質な拡張団自体の減少とも相俟って、昔ながらの拡張しかできん拡張員は、この業界から弾かれつつある。
拡張団も生き残るには、その道しかないさかいな。
つまり、今まで幅を利かしていた無法とも言える拡張のやり方そのものが通用せんようになってきたわけや。
ワシは、このサイト、メルマガを始めた当初の4年以上も前から口を酸っぱくして『いつまでも、昔のやり方では通用せんということを知らなあかん』と言うてきた。
それが、今まさに現実になろうとしとる。
人は経験が大事やと言う。確かにそれも一理ある。
但し、それはその経験をええように活かせられる場合に限ったことで、過去のやり方を踏襲(とうしゅう)をすることとは違う。
そんな経験は必要ないという答が、すでに出とるわけや。
それは新聞販売店についても言える。
昔は、新聞を購読するということ自体が当たり前やとされていたが、今は取るか取らんか、買うか買わんかの二者択一になっとる。
昔ほど、新聞を取ってないことで、教養がないとか、貧乏くさいと言われることも少なくなった。
つまり、商売人として純粋に「買ってください」という姿勢で客に接しな買うて貰えんような時代になったと認識せなあかんわけや。
客を客とも思わんような店では誰も買わんようになったということや。
その認識ができ、尚かつ、客との人間関係の築ける販売店のみが最終的に生き残れるのやと思う。
それらのことから言えることは、自らの利益、立場のみにしか立って物事を考えられん、あるいは旧態依然とした過去の客を客とも思わん勧誘手法に固執しとるような販売店、拡張団に先はないということや。
これから、部数減に伴い、そういった販売店、拡張団は淘汰されていくのは間違いない。
これも新聞のタブーとして隠されてきた悪質な勧誘の減少につながるさかい、将来的に見て悪いことやないと考える。
新聞の部数減の中には、自然減少以外にも押し紙、積み紙という余剰新聞もあるさかい、それがなくなれば本当の意味での新聞部数が分かるものと思う。
それが、普及率80%になるか70%台にまで落ち込むか、あるいはそれ以下になるのかは定かやないが、いずれにしてもそこから始め直すしかない。
企業、組織は身の丈にあった経営をせなあかん。背伸びすれば無理が生じる。
その無理が矛盾を生み、タブーを作ってきた。
そして、そのタブーを隠すために、さらに無理が生じ、やがては滅びの道を選ぶことになる。
それが、未然に防げる。
あるいは是正できるのやとしたら、あながち、この大不況によるピンチもピンチと捉える必要はないのやないかと思う。
少なくとも、この新聞業界においてはな。
試練やと思えば、まだ道は残されている。
そんな気がする。
もっとも、それが新聞業界の預かり知らん世界的な大不況という外的要因での激変でそうなるのは、もう一つ、すっきりはせんものがあるがな。
自然界の掟は人間界にも通ずるものがある。
それは、必要でないもの、意味のないものは自然淘汰されていくということや。
ワシは、常々、拡張の営業において時代に取り残される者は滅び去るしかないと言うてきたけど、今まさにその時代が到来したということやと思う。
今年は、最後にきて厳しい状況になったけど、来年は、きっとすべてが好転す
るはずやと思う。
また、そう願いたい。
話は尽きんが、今年はそろそろこの辺で終わりたいと思う。
それぞれにとって、来たる2009年こそは良い年でありますように。
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