メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第293回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2014. 1.17
■ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 5
あるメルマガ読者から「ゲンさんの深イイ話の続編はいつになるのですか? 楽しみにしているので、なるべく早くお願いします」というメールが寄せられた。
このシリーズは定期的に行っているつもりで、前回の『第247回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 4』(注1.巻末参考ページ参照)から1年近くになるさかい、もうそろそろやと思うてたので、近いうちに掲載すると、その読者にはそう伝えた。
メルマガ編の場合は1年50回程度を一区切りとしているので、今回は第201回〜第250回までの間のものを公開しようと思う。
それでは始める。
ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 5 67撰
いかに利権が絡んでいるとはいえ、金のためにそこまでできる神経を疑うし、怖い。(第202回より)
新聞勧誘とは商品説明をまったく必要としない希有な営業や。(第203回より)
正義を標榜して貫くつもりなら目先の利益に飛びついたらあかん。(第203回より)
正義の旗よりも生き残ることの方が大切やというのなら、所詮は営利目的でやっとる企業として、そうすればええが、それやと新聞は終わる。新聞の使命を果たすどころの騒ぎではなくなるさかいな。(第203回より)
机上の計算、理論は現場では役に立たんことが多いさかい、簡単に論破できる。(第204回より)
ワシは、その人間を信用するかどうかを計る場合、そのことで利益を得ようとしているかどうかで判断するようにしとる。要するに、金のために動いているか、どうかやな。(第204回より)
どうも新聞は、ええ事も悪い事も自らに関する情報を報道する力に欠けとるようや。(第205回より)
理念や理想を貫くのは難しい。それをそれと伝えることもや。見る人の角度、立ち位置次第でええようにも悪いようにも受け取られるさかいな。(第205回より)
良い考え、方法には学べばええし、悪いと思えるものは反面教師にして貰えればええ。活かし方は人それぞれや。(第206回より)
新聞はタブーを新聞紙面に掲載しないというだけやなく、身内がそのことに触れるのを極端に嫌う性質がある。(第209回より)
隠し事からは何も生まれない。いずれはその隠し事により身を滅ぼす。もっとも、今の時代、どんな隠し事も隠し通せんようにはなっとるがな。(第209回より)
誘惑されてコトにおよびましたというのは男の身勝手な理屈で、誘惑されようが、どういう状況になろうが、結果として不倫するようなことになれば責任を負うしかない。
それが嫌なら逃げれば良いだけの話だ。逃げない者に不可抗力でしたという言い訳は通用しない。(第211回より)
人をいじめて喜ぶという人間は精神がどこか歪んでいるのが普通やから、まともな方法で対処してもあまり効果は期待できん。却って、陰湿ないじめに移行するだけやと思う。(第213回より)
動かなければ動くようにすることや。その方法ならいくらでもあると知っていて欲しい。(第213回より)
いじめた側も、そうしたことで同級生が自殺したという事実は、その後の人生に重い十字架を背負うことになるさかい、何のブラスにもならん。いじめられる方は死を考え、いじめた方は一生悔いを残す。こんな割に合わん話はないと思う。
社会全体が、いじめは立派な犯罪行為やと認識することを望む。悪ふざけ、遊びの域を越えた行為やと。(第213回より)
人は言いたいことを言える機会にすら恵まれないのが普通やと思う。せいぜいが仲間内で愚痴る程度で終わる。
それではいくら立派なことを言おうが、正論を吐こうが、天下国家を論じようが、その声はどこにも届かん。犬の遠吠えにすらならない。(第214回より)
偏った見方からの情報では、その真偽は分かりにくい。(第215回より)
ネットの世界では大企業のサイトであろうと、個人のサイトであろうと、その内容次第では対等に争える。(第215回より)
人というのは欠点を見つけることは上手いが、長所を探すという点においては、もう一つという者が多い。特に下の立場から上を見る目に、それが言える。下の者に寛容の精神を期待するのは無理やと知っておいた方がええ。(第216回より)
話を聞くだけで「寒く」なれるというのは、ある意味、究極のエコやさかいな。昔から夏場に怪談話が多いのは、それで説明がつく。(第217回より)
本当のところ事実か事実でないかは当事者にしか分からんと思う。ワシらは、それが事実やと言われれば「そうか」と頷くし、「そんなのはウソや」と言われれば、その意見も尊重する。(第217回より)
人にとって役に立つ事、役に立つ物というのは、人それぞれで違う。同じ物でも利用の仕方、役立てる方法はいろいろある。(第218回より)
真実に蓋をしたままでは如何なる真実も暴くことはできん。(第220回より)
どんな名言、人生訓があっても、「ええこと言うなあ」で終わってしもうたんでは、それまでや。そんなものは、すぐに忘れ去られてしまう。その本を書いた人が偉いのは確かやが、それ以上に、それを評価、利用できる人の方が、もっと偉いとワシは考える。(第221回より)
物事というのは、良い評価より批判的な部分の方が印象に残りやすいから、対象にされている方は公平に記述されているとは考えない。五分五分の記述なら間違いなく批判されていると受け取る。(第223回より)
どんなに些細な揉め事であっても、当人にとっては大きな出来事だと考えるのが普通である。しかし、事件事故に慣れきっている警察官にすればたいていの事は日常茶飯事で、よほどのことでもない限り「その程度の事」でしかない。(第223回より)
ごく稀に、事件をでっち上げて被害届けを出す輩がいるというが、時系列にその日の本人の動きと加害者の行動を聞くことで、その矛盾は簡単に暴ける。ウソをつけば必ず綻(ほころ)びが出て、辻褄が合わなくなる。(第223回より)
真実は何よりも強い。事実に綻(ほころ)びなどない。(第223回より)
所詮、自分より弱そうな人間にしか手を出せんような者は、自分より強い者の前では弱い。(第223回より)
人には信用というものが必ずついてくる。それは拡張員といえども一緒や。世の中、信用されん人間は何をやっても成功しない。(第227回より)
最も効果があるのは、その客に気に入られることやと思う。「あんたには負けた」、「あんたやから契約するんや」と言わせられるくらいにな。(第227回より)
金を要求した時点で、その正義は消える。少なくともワシらは、そう考えている。悪いが、そういう人に荷担することはできん。(第228回より)
弱みを握ったからといって、それを金に換えようと考えるとロクでもないことになる可能性が高い。(第228回より)
人の命と法律を秤にかけることになれば、ワシらは人の命の方を優先したい。(第228回より)
そういう連中は食い物にできるとなれば、とことん食らいついてくると相場が決まっとる。それがヤクザのヤクザたる所以やさかいな。
その場合は徹底して戦うしかない。絶対に弱みを見せたらあかん。弱みを見せたら負けて食い物にされる。無法な輩には毅然とした態度ではね除けるしかない。(第229回より)
取材する側は情報をそのまま記事にするだけで良いから楽で、取材される側は意図する情報を報道してくれるから都合が良いとなる。お互いの利害関係が一致したわけや。その結果生まれたのが「記者クラブ」制度ということになる。(第230回より)
「記者クラブ」問題をはじめ、押し紙問題や悪質な勧誘問題といった新聞のタブーを、自らの手で報じられるようになる日が果たして来るのやろうかと思う。その日が来ない限り、日本の新聞に明日はない。(第230回より)
正しい報道、嘘のない報道、人に後ろ指を指されない報道を貫くという新聞メディア本来の姿に立ち帰れば済む話やと思う。忘れかけている姿に。(第232回より)
政治を変える、動かすのは政治家やない。ワシら国民、一人一人や。(第232回より)
政治に金がかかると言われとるが、そんなものは、やり方次第で何とでもなる。要はやる気があるかないかの問題やが、既存政党の連中にそれができるわけがない。特に政治家がおいしい仕事と考えとるような輩にはな。(第233回より)
実行できるか、できんかは結果で判断することであって、その結果の出ていない時点で部外者があれこれ言うべきことやない。それでは単なる罵倒、批判にしかならん。(第234回より)
責任ある職を放り出した人間に言えることなど何もない。(第234回より)
人を罵倒、批判して得られるものなど何もない。せいぜい、その人間の鬱憤晴らしができるくらいなものや。(第234回より)
言葉は人に通じなければ意味がない。意味の通じない、分かりにくい表現は、すべて稚拙や。(第234回より)
人は誰でも、これだけは譲れないというものがあるはずで、一般国民が政治に求めるのは、それだけで良いと考えます。あれこれ考えるから分からなくなるわけで、シンプルに「これだけは許せない」というものがあるのなら、それで判断すれば良いのではないでしょうか。(第236回より)
その人の人生はその人のものでしかない。助言やアドバイスは迷っている者に対してするべきで、すでにその人が決めている事に対して、例え親であっても異を唱えてはならない。(第237回より)
男はどんな贈り物をすれば女性に喜ばれるかを考えるが、女性はどの男に贈り物をされたら嬉しいかを考える。
嫌な男、興味のない男から高価な物を貰っても心は動かんが、好きな男から貰う物なら、例えそれがどんなに安物であっても、その女性にとっては宝物になる。(第237回より)
クリスマスが何のためにあるのか、ワシには分からんが、それにより誰かが誰かを愛して、思いやる心で世界中が満たされるのなら、例えその1日だけであっても理屈抜きに祝いたいと思う。(第237回より)
私は文章の達人と言われるより、分かりやすい文章を書く人間と言って貰う方が嬉しいです。目指しているところは、そこですので。(第238回より)
文章というのは生きています。どう書けば良いのかという正解も実はありません。人によって違って当然なのです。それが個性でもありますから。(第238回より)
高価な薬を用いずとも、「笑い」で病気を予防、改善できるというのやから、笑わな損やわな。(第239回より)
ワシは人生に無駄な時間はないと信じている。例え暇つぶしに読む漫画本からでも、読み方次第ではいろいろな情報、教訓、感動が得られることも多い。(第241回より)
知識は生かしてこそ値打ちがあるわけで、知っているだけでは、ただの自己満足にしかならん。(第241回より)
その昔、大人たちから眉をひそめられる存在で悪書の代名詞のように言われていた漫画やアニメが、今や日本を代表する文化にまでになったわけや。(第241回より)
漫画、アニメは基本的には勧善懲悪やさかい、子供の心を正しく導くための、ええ指標になるのは間違いないと信じている。子供たちが心から楽しめて、まっすぐ育ち、夢を見ることができるのなら、こんな素晴らしいことはない。(第241回より)
人命は何よりも重いと教えるのが教育やと考える。人命を軽んじたら、その時点で人ですらなくなる。(第242回より)
時が経てば忘れられるとよく言うが、その名前を聞けば人はまた思い出す。(第242回より)
人は肉体的苦痛を伴う暴力には弱い。暴力に耐えられるようにはなっていない。せやからこそ、大昔から「拷問」には暴力が使われてきたわけや。(第242回より)
言うとくが、暴力で得られるものは相手の屈服でしかない。それは指導やなく、単に命令に服従させるための手段にすぎんと思う。植え付けるのは恐怖と憎しみ、それしかない。(第242回より)
新聞の最大の矛盾は、どこまでいっても営利目的の一企業体でしかない組織でありながら、まるで日本の国家を背負っているかのごとくに振る舞い、法律も我が身に荷担せなあかんという思い上がりにある。(第243回より)
きついようやが、人に知られては困るような言動、人を傷つけるような言葉を吐いた者が悪い。「秘密録音」した相手を責めるより、そんな自分を反省するべきや。(第244回より)
現代は、「秘密録音」に限らず、街に出れば、そこら中に防犯カメラが設置されていて、犯罪を犯した者は、たちどころに逮捕されるような世の中や。
まさに「壁に耳あり障子に目あり」と考えて日々生活せなあかんようになったと言える。それがええか悪いかは別にして、そういう社会になったと理解して生活するしかない。(第244回より)
人が最も好感を持つ相手というのは、自分に対して感謝してくれる人間やさかいな。(第245回より)
その善し悪しにかかわらず、他人のやり方や考え方を知るというのは、それなりに意義のあることやと思う。(第248回より)
ワシは色々な意見があってええと思うとる。絶対に正しいという考えもなければ、間違っていると言い切れる主張もないさかいな。(第249回より)
どんな問題でもそうやが、相手の立場や考えが理解できん限り上手く解決することなど無理や。裏を返せば、相手を理解できれば解決するのは早いということを意味する。(第250回より)
一歩下がるというのは、何も卑屈になれと言うてるのとは違う。人使いのテクニックの一つやと考えればええ。持ち上げて上手く人を使えるのなら、迷わずそうすべきや。この先、有能な経営者を目指すのならな。(第250回より)
以上や。
何か心に残る言葉があったやろうか。なければ、ごめんなさいと言うしかないが。
もっとも、どんな言葉であれ、生かすも殺すも受け取る側次第やから、ワシらが、どうこう言えるものでもないがな。
ただ、人は一つの言葉で変われることも多いさかい、ワシらの言葉に限らず、この手のものに触れといて損はないと思う。
参考ページ
注1.第247回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 4
白塚博士の有料メルマガ長編小説選集
月額 210円 登録当月無料 毎週土曜日発行 初回発行日 2012.12. 1
ゲンさんの新聞勧誘問題なんでもQ&A選集 電子書籍版パート1
2011.4.28 販売開始 販売価格350円
書籍販売コーナー 『新聞拡張員ゲンさんの新聞勧誘問題なんでもQ&A選集』好評販売中