メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第295回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2014. 1.31


■考えさせられる話……その3 TVドラマ「明日、ママがいない」について


あるメルマガ読者から、


最近、話題になっているテレビドラマ「明日、ママがいない」のクレームについて、ゲンさんは、どう思われますか?

私はこういったドラマがあってもいいと思います。親に捨てられ恵まれない環境で育つ子供たちが力強く生きていこうとする姿に感動します。

制作者側が描きたいのもそうだと思います。病院の取り組みや養護施設を貶めようという意図は感じません。

気にくわないからといってテレビ局に文句を言って番組を止めさせようとしたり、CMスポンサーに圧力をかけてスポンサーを降ろさせて放送中止に持っていくようなやり方は、やりすぎだと思います。

昔も番組批判はありましたが、ここまでやる人たちはいませんでした。今学校で問題になっているモンスターペアレントと同じ思考なのでしょう。

何かあったらすぐにな文句を言って止めさせようとする人たちが多すぎます。日本はいつから、こんなクレーマーだらけの国になったのでしょうか?


という質問を頂いた。

この問題については、知っておられる方も多いと思うが、念のため下記のページに詳しい経緯の説明があるので紹介しとく。


明日、ママがいない ウィキペディア より一部抜粋引用


番組への反応

初回放送後、国内唯一の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を運営する慈恵病院が「フィクションだとしても許される演出の範囲を超えている」として、番組の放送中止や内容の再検討などを求めた。

また、赤ちゃんポストに預けられていた子供が「ポスト」と呼ばれることについては、「精神的な虐待、人権侵害にあたる」と批判した。

養護施設の描き方についても「職員が子どもに暴言を吐き、泣くことを強要するなど現実と懸け離れたシーンが多すぎ、誤解や偏見、差別を与える」として、子どもたちや職員への謝罪を求めた。

劇中では施設長が「泣いた者から食べていい」「おまえたちはペットショップの犬と同じだ」などと言うシーンがあった。2014年1月22日にはBPOの放送人権委員会に審議を求める申立書を送付した。

これに対し、日本テレビ総合広報部は「慈恵病院が会見を行われたことは承知しております」とした上で、「ドラマは子どもたちの心根の純粋さや強さ、たくましさを全面に表し、子どもたちの視点から『愛情とは何か』を描くという趣旨のもと、子どもたちを愛する方々の思いも真摯に描いていきたい」として第2回以降も予定通り放送を続けるとし、「ぜひ最後までご覧いただきたいと思います」とコメントした。

関係者は「全話を見ていただくとわかってもらえると思う。そういう受け止め方をされたのは残念」と話した。

2014年1月21日には全国児童養護施設協議会と全国里親会が会見を開き、「視聴者の誤解と偏見を呼び、施設で生活している子どもたちの人権を侵害しかねない」と批判した上で、子どもへの差別や偏見を助長するような表現を改めるよう求めた。

これに対し、日本テレビ総合広報部は「制作にあたっては、児童養護施設の子どもたちの尊厳を冒さぬよう配慮するとともに、偏見を助長することのないよう留意しています。

しかしながら、このたび『子どもたちへの配慮が足りない』などのご指摘をいただいたことも真摯に受け止め、今後とも内容には細心の注意をはらってまいります」とコメントした。

2014年1月27日に開かれた日本テレビの定例会見では、当初の予定通り全9話を放送し、脚本や演出の大幅な変更は予定していないことが発表された。

大久保好男社長は「抗議やご意見を重く受け止めるが、そのこととストーリーを変えることは必ずしもイコールではない。重々承知の上でドラマ作りが続けられていくと思う。最後まで見ていただければ、理解をいただけると思う」と語った。

佐野譲顕制作局長も出席し、「ストーリーは完成している。各団体から指摘いただいていることは真摯に受け止めているものの、ストーリーなどを変更することはなく、最後までいけると確信しております」「子供たちの視点で愛情とは何かを描きたい。

3、4、5話を見ていけば、制作の意図が分かっていただける、支持者が増えていくのではないかと思う」とコメントした。

スポンサーがCM放送を見合わせていることについて大久保社長は「スポンサーが社名提供表示をやめるという事実はあります。我々の意図を理解してもらいたいということで、(スポンサーに)理解を求めている最中です」と話した。

視聴者センターへ寄せられる声については「数は控えたいが、かなりの声があることは事実。非難の声もある一方で、推奨の声もある。2話目の放送以後は初回放送後より推奨の声が多い。施設で育った方からも『続けてくれ』との声が多い。賛否両論という状態」とコメントした。


というものや。

なかなか難しい問題やと思う。

正直言うて、問題になった初回の放送を見ていないので何とも言えんが、それぞれの立場に立てば、いずれの主張にも、それなりの理があるように思える。

テレビドラマに対して批判的な見解を持つこと自体は問題ない。

見方は、人それぞれ自由やさかいな。批判する人は批判すればええし、評価する人は評価したらええ。

普通は批判するほど面白くないと思うものは見ないという選択をして終わる。

ドラマはフィクションなんやから、どんな過激な表現があろうと所詮は作り話という前提に立って観る必要があると思う。

大半の人は、ドラマを見て事実と思い込むことはない。

それを敢えて「フィクションだとしても許される演出の範囲を超えている」ということで異を唱え、放送を中止に追い込もうとするのは、何かあるのやないかと勘ぐられても仕方ないと思う。

その中に隠したい真実が含まれているからやないかと。

少なくとも、物事の裏側ばかりを見る癖のついたひねくれ者のワシには、そう見える。

『養護施設の描き方についても「職員が子どもに暴言を吐き、泣くことを強要するなど現実と懸け離れたシーンが多すぎ、誤解や偏見、差別を与える」』としているが、果たしてそうやろうか。

ワシには、そうは思えんがな。

実際に養護施設での児童虐待事件は多い。Yahoo!Japanなどの大手ポータルサイトで『養護施設での児童虐待』のキーワードを入力して検索すれば、かなりの数の事件がヒットする。

その中には『職員が子どもに暴言を吐き、泣くことを強要するなど』というのは生ぬるい方やというのが、よく分かる。

暴力沙汰は日常茶飯事で酷いのになると養護施設職員による入所児童への性的虐待というのまである。

そういった養護施設職員が養護施設内に実在したという事実を、今回テレビ局を批判している養護施設関係者が知らんはずはないと思う。

それを知っていながら、どうして『現実と懸け離れたシーン』と言えるのか。

むしろ実際の事件に比べれば、ドラマの方が控えめな演出やと思えるくらいや。

養護施設に預けられる児童は養護施設の職員に頼るしかない。その養護施設の職員に虐待を受けたら逃げ場がないわな。

彼らには訴える場所などないさかいな。例え訴えても子供言うことやからと無視され、更なる虐待を受けるのがオチやと思う。

子供心に「生きるためには何をされても耐えるしかない」という気持ちにならざるを得ない。独りで生きていけない以上、時期が来るまで今はじっと我慢するしかないと。

ワシやハカセも、子供の頃から親のいない環境で育ったから、その気持ち、思いはよく分かる。

助けてくれる人などいないのが普通やった。甘ったれた考えなど持ってはいけない。周りはすべて他人で厳しい存在。

理不尽やが、そういう環境で生まれた以上、仕方のないことやと常にそう考えて生きてきた。

それはドラマ『明日、ママがいない』に登場するような養護施設の子供たちにも言えることやと思う。

普通の子供たちなら親に甘えていればええが、親のない子らには甘える対象などないわけや。他人の目が厳しいのは当然として生きるしかない。

まあ、これに関しては実際にそういう環境で育った経験がないと分からんかも知れんがな。

ワシらも子供の頃には悩んだ。何でワシらだけ不幸なんやと。

しかし、そのおかげでいろんな意味において強くなれた。少々のことではへこたれん精神力が子供の頃から鍛えられてきたさかいな。

『施設で育った方からも『続けてくれ』との声が多い』というのも、その経験のある人からすれば切実な願いやというのも、よく分かる。

世の中に養護施設の実態を知らせる良い機会だと。ドラマを続けることで世の中の人に分かって欲しいと。

残念ながら、入所児童をいたぶる職員が養護施設内に実在したのは事実や。今もいる可能性は高い。その事実から養護施設関係者は目を背けたらあかん。

もっとも、その認識があれば『養護施設の描き方についても「職員が子どもに暴言を吐き、泣くことを強要するなど現実と懸け離れたシーンが多すぎ、誤解や偏見、差別を与える」』などとは言えんやろうがな。

もちろん、ワシも他の大多数の養護施設の職員たちが真面目に仕事に取り組んでいる、子供たちに対して真剣に接していると知った上で言うてることや。

例えそうであっても、ごく一部にでも養護施設の職員による虐待の事実があれば「何もない」とは言えん。業界全体として考えなあかんことや。

それはワシら新聞勧誘員にも言えることで、ごく一部の不心得者のために、他の新聞勧誘員全体が悪く見られとるということがあるさかいな。

しかし、それは仕方ないと思うとる。人は一事が万事と考えやすいさかいな。

そして、ドラマなどでは、そのごく稀でレアなケースを誇張するのが普通や。

見る人にインパクトを与えるためにな。フィクションとは、そうしたものやと思う。真に受けるもんやない。

本当に養護施設の児童のことを考えるのなら、その事実をまず認識した上でないとあかんわな。

『現実と懸け離れたシーン』やと考えとる限り、養護施設の児童が酷い目に遭うとるという認識に立つことはない。というか、そんな事実はないものとしか考えんやろうからな。

その構図は「いじめ問題」が発覚した際の学校や教育委員会の対応に似ている。

その姿はワシには「臭いものには蓋」をしとるようにしか見えんがな。

このままでは養護施設の児童たちに救いはなかったが、騒ぎになったことで僅かながら、そのことについて世の中に知られる機会が増えたように思う。

これからのことやから何とも言えんが、ドラマの視聴率は上昇するのやないかという気がする。

番組に興味のなかったワシですら、見てみようという気になったさかいな。

そして、実際に一昨日の夜、「明日、ママがいない」の第3話を観た。

視聴者の大半が眉をひそめるとか不快感を抱くような表現でもあるのかという点に着目して観ていたが、特にそういうものはなかったように思う。

一般的な反応としては、Yahoo!Japanの意識調査『ドラマ「明日、ママがいない」の放送、中止すべき?』(注1.巻末参考ページ参照)では、1月30日21時現在、「放送を続けるべき」が54.5%、「放送を中止すべき」が36.2%、「どちらでもない/わからない」が9.3%という結果になっている。

ウィキペディアの記事にもあるとおり、『賛否両論という状態』やな。

ただ、読者のメールに『気にくわないからといってテレビ局に文句を言って番組を止めさせようとしたり、CMスポンサーに圧力をかけてスポンサーを降ろさせて放送中止に持っていくのは、やりすぎだと思います』とあるのは、ワシらもそのとおりやと思う。

そんなことをすれば、いくら苦情を言い立てる側に正当性があろうと、第三者からは、タチの悪いクレーマーにしか見えんさかいな。

それが『Yahoo!Japanの意識調査』で「放送を続けるべき」が54.5%もあるという結果になっているのやと思う。しかも、この数字は日を追う毎に増えている。

クレームを言い立てた人たちは世論も味方につくと踏んだのかも知れんが、どうやら裏目に出たようや。

CMスポンサーは当然やが評判を気にする。評判を上げるためにCMのスポンサーをやっていると言うても過言やないさかいな。

そこにクレームが殺到すればCMスポンサーを降りるという選択をするのも理解できる。純粋に番組の内容がどうのと言うより、評判を落としたくない一心でな。

しかし、今後の世論次第では、またCMスポンサーの復活ということもあり得る。

その兆候が、すでに表れている。報道ではCMスポンサー8社がすべて降りたということやったが、実際の番組では数社のCMが流れていたからな。

ただ、「放送を中止すべき」という人も36.2%おられるので、そのすべてをクレーマーと片付けるわけにもいかんがな。

今回、最初に問題提起した熊本市の慈恵病院の主張があるので、その検証をしてみたいと思う。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140129-00000111-spnannex-ent より引用


「明日ママ」問題 慈恵病院がHPで見解 子どもの心には刃物のように…


 日本テレビドラマ「明日、ママがいない」(水曜後10・00)をめぐり、「施設の子供や職員の人権を侵害している」として放送中止を申し入れている「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」を設置する熊本市の慈恵病院が29日、同病院のホームページで見解を示した。

「日本テレビによる「明日、ママがいない」放送に当たりまして当院のお願いが一種の論争を引き起こす形となったにも関わらず、皆様に十分な情報が伝わりにくくなっていることに対し、深くお詫び申し上げます。

記者会見では、今回のお願いを申し上げる背景についてもご説明させていただきました。

しかし、限られた紙面や放送時間では私たちの考えが十分に伝わらず、励ましのお言葉、お叱りのお言葉を頂く中で、誤解を招く状況が生じていることを心配しております。

そこで、少しでもご理解いただければと、私たちの考えをホームページ上に掲載させて頂くことに致しました」と理由を説明。

「今、私たちが問題にしているのは一般家庭のお子さんだけではなく、児童養護施設へ入所する前に家庭で虐待を受けたお子さんの、傷ついた心のケアの問題です。

虐待を受けた中には、トラウマ(心的外傷)の影響から脱却できないケースがあります。

友達が冗談で投げかけた『ポスト』『ロッカー』『ドンキ』などの言葉も、虐待を受けた子どもの心には刃物のように突き刺さり、フラッシュバックの引き金になりかねません」と問題点を再び明記し「全国児童養護施設協議会は放送以前から内容を問題視し、12月に内容変更の申し入れをしていました。

それにも関わらず第1回が放送され、実際に影響を受けたお子さんがいらっしゃいます。

第2回の放送内容では過激な印象が薄れて少し安心しましたが、差別的なあだ名で呼び合い、施設のお子さんがペットショップの犬扱いされる部分につきましては変化がなく、残念な思いです」とした。

さらに、同病院が挙げている問題点などを項目別に列記。特に「放送中止は、やり過ぎでは?」の項目では「放送中止をお願いすれば、テレビ局関係者、俳優さん、スポンサー会社にご迷惑をおかけすることは承知しております。

しかし、あだ名の設定や現実とかけ離れた虐待シーンが与える影響に対する危機感が大きく、今回のお願いに至りました。内容変更のお願いだけでも良いのかもしれませんが、あだ名が変更されない以上、今回のお願いは放送中止と同じ意味になります」と説明。

「今後の放送でも、施設のお子さん方が傷つくようなあだ名が連発されはしないかと心配でなりません。

その一方で、もしかするとテレビ局の方々が修正なさったものを放送してくださり、それが大きく問題にならない方向へ転換されるのではないかと期待もしております」と修正要望を記した。

「明日、ママがいない」は、番組を提供しているスポンサー全8社がCM放送を見合わせることにる異例の事態となっており、全国児童養護施設協議会は放送を見た女子児童が自傷行為をして病院で手当てを受けたり、別の児童がクラスメートから「どこかにもらわれるんだろ」とからかわれたりしたとして29日にも新たな抗議書を日本テレビに送っている。


と。

『友達が冗談で投げかけた『ポスト』『ロッカー』『ドンキ』などの言葉も、虐待を受けた子どもの心には刃物のように突き刺さり、フラッシュバックの引き金になりかねません」と問題点を再び明記』というのは、

『赤ちゃんポストに預けられていた子供が「ポスト」と呼ばれることについては、「精神的な虐待、人権侵害にあたる」と批判した』ことを指しているようや。

この『ポスト』というのはドラマの中のあだ名やが、そのあだ名が、なぜ『虐待を受けた子どもの心には刃物のように突き刺さり、フラッシュバックの引き金になりかねません』と言えるのか、『精神的な虐待、人権侵害にあたる』のかが、ワシにはもう一つ良う分からんのやがな。

まず、『ポスト』『ロッカー』『ドンキ』というのは差別用語でも放送禁止用語でもないから、あだ名で呼んだとしても問題はない。

『ポスト』というのが、『こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)』を連想させるというのは、そのとおりやろうと考える。

制作者側もその意図で、そう呼ばせているものと考えられる。それについては制作段階で考慮するべきやったとは思う。

ただ、『ポスト』というのが、「いじめ」につながる呼び名なら、そういう受け取り方もできるやろうが、このドラマを観る限り、とてもそうは思えんかったがな。

むしろ『ポスト』というあだ名がヒーロー的な響きとしてワシには伝わってきた。

第3話を観る限りは、少なくとも番組内で『ポスト』と呼ぶことにより、他人が蔑むような箇所はまったく見受けられんかった。単なるあだ名という印象でしかない。

親に捨てられ赤ちゃんポストに入れられていたということで『ポスト』と言われているわけやが、それが卑下された呼び名やというのは微塵も感じられなかった。

実際に、そういった環境の子が、そう呼ばれてドラマの主役のような行動ができるかとなると難しいとは思うが、これはドラマや。

できそうにないようなことをするヒーローがいても何の問題もない。むしろ、物語を盛り上げるには、そうでなくてはならないと考えるがな。

そんな境遇の子供たちに勇気を与える意味で、敢えて『ポスト』というあだ名にし、ヒーロー的役割を与えているのやとしたら、このドラマの制作者の意図には奥深いものがあるように思う。

ワシは、そのドラマの後半部分になるにしたがって『ポスト』というあだ名が気にならなくなったし、心地良い響きとして聞こえてくるようにさえなった。

『ポスト』と施設の先輩『お局』が里親候補の家に「お試し」で行った先にはアズサという娘がいた。

父親と母親はそれぞれ仕事を持っていて家には帰らず、PCのWEBカメラで話すだけだった。

両親が『ポスト』と『お局』のどちらかを里子に望んだ理由は、歩けないアズサの話し相手が欲しかったからだと知る。

結局、『お局』は拒否し、『ポスト』だけが残った。

アズサは体操の競技中に怪我をして車椅子に乗ったまま歩けなくなっていたという。

ところが『ポスト』はそれが仮病で本当は足は治っていると見抜く。歩けないのは歩こうとしないからだと。

アズサも心を開き「本当は足は治っている。足が治ったら、またパパとママが私から離れていくんじゃないかって。それが怖かった。そしたら今度は本当に立てなくなっちゃった」と打ち明ける。

『ポスト』はアズサをリハビリに連れ出す。何回も挑戦したが、なかなか立つ事はできなかった。そんなある日、ついに立てるようになった。

その姿をPCのWEBカメラ越しに両親に知らせると喜んだが、その場で両親が離婚することを告げられ、アズサはショックを受ける。

翌日、ポストは再びアズサの家を訪れる。しかし、アズサは花瓶の破片で自らの足を刺し、出血を起こして救急車のストレッチャーに乗せられているところだった。

アズサは駆け寄って来た『ポスト』に「ポスト……。歩けるようになっても意味なんてなかったよ.」と力なく言って病院に搬送されていった。

その後を涙を流しながら『ポスト』が追いかけて行ったところで第3話が終わっている。

ワシが印象に残ったのは、アズサが最後に「ポスト」と呼びかける場面や。

アズサにとっての『ポスト』は、あだ名などではなく親愛の情を込めた呼び名やった。この場面を観た人の多くもそう感じたやろうと思う。

その番組を観た子供たちが、果たしてバカにしたり、いじめたりする対象として、そんな境遇で生まれた子供に対して『ポスト』と呼ぶやろうかと考える。

おそらく、そんなことはしないはずや。

スパイダーマンやバットマンがヒーローというのは誰でも知っている。

しかし、その呼び名は所詮「クモ男」であり「コウモリ男」にすぎん。普通、そんな呼ばれ方をされたら嫌なものやが、それがヒーローの名前となれば別や。

呼ぶ方も悪い意味で言うことはないし、呼ばれる方も嫌な気などしないはずや。

名前は、そのものの本質次第で良くも悪くもなる。

呼ばれる対象がヒーロー的行いをすれば、その名前は人から尊敬され格好良いものに聞こえる。

反対に悪辣なことをすれば、例え「聖人君子」という名前であっても蔑まされる対象になる。

それと同じで、表面的な呼び名だけで、『精神的な虐待、人権侵害にあたる』と決めつけるのは、どうかと思うがな。

まあ、それについては養護施設の子供たちを守りたいという思いからやろうが、それにしても始まったばかりのドラマを批判して、放送中止に追い込もうとしたのは早すぎたのやないかという気がする。

すべてを観終わってからでは遅いにしても、せめて制作者側の『3、4、5話を見ていけば、制作の意図が分かっていただける』と言うように、しばらく回を重ねてから判断しても良かったのやないかと考えるがな。

初回のドラマというのは、どんなものでも必要以上に誇張したものになりやすいということがあるさかいな。

『劇中では施設長が「泣いた者から食べていい」「おまえたちはペットショップの犬と同じだ」などと言うシーンがあった』と指摘していたが、第3話では、その施設長にも何か事情があり、口ほど悪質な人間ではない、もしかしたら本当は優しい人間やないかという部分を覗かせていたしな。

ただ、『放送を見た女子児童が自傷行為をして病院で手当てを受けたり、別の児童がクラスメートから「どこかにもらわれるんだろ」とからかわれたりした』という事実があるのなら、憂慮すべきやとは思う。

テレビ局側も何らかの配慮をする必要があるかも知れんが、それを放送中止の理由にするというのは、やはりおかしいと言うしかない。

『放送を見た女子児童が自傷行為をして病院で手当てを受けた』というのは、本当にその放送を見たことが理由なのやろうかと疑いたくなる。

一般的に自傷行為におよぶ人間は精神的な病に冒されている可能性が高いと言われている。

そういう人は他のテレビ番組を観てもそうなるのやないやろうか。

特に「うつ病患者」にそういう人が多いと聞く。そうであるなら、まず、その病気のケアをすることが大事やないかな。

それに放送は夜の10時からやが、その養護施設ではその時間帯に子供たちにテレビを見せているというのも疑問に感じる。

ハカセが調べたところによると、一般的な児童擁護施設の消灯時間は午後8時ということやった。

実際、ハカセは住んでいる近くに児童養護施設エスペランス四日市(注2.巻末参考ページ参照)というのがあるのやが、そのグループの養護施設すべてが消灯時間は午後8時とのことや。

他も調べたが、最も遅い児童養護施設でも午後10時には消灯するということやった。

番組は夜の10時から11時までやから、その時間まで消灯もせずにテレビを見せていたという事実の方が児童養護施設としては異常なことやないのかと考えるがな。

一般家庭の子供でも、たいていその時間には寝ているもんやけどな。

ひょっとすると報道では言及していないが、子供への影響を考慮して、その時間帯に放送していると考えられなくもない。

結論として、児童養護施設の子供が、その放送を観ることの方が少なく、一般家庭の子供も少ないというのが実態やないのかと思う。

ただ、ネットでこれだけの騒ぎになっているさかい、その放送があるということを知っている子供は多いかも知れんがな。

しかし、実際のドラマを観ないで、それで判断する子供がいるかも知れないと考えれば、今回の問題を大きくした方にも責任の一端があると言える。

第3話の視聴率は15.1%とのことやったから、その殆どは大人が観ているものと思う。

それを子供が観るからという理由にするのは、どうかという気がせんでもない。

まあ、子供を引き合いに出した方が説得力を生むということで、そうしとるのかも知れんが。

『別の児童がクラスメートから「どこかにもらわれるんだろ」とからかわれたりした』というのは、明らかに、からかったクラスメートに問題がある。

子供がからかいに使うような内容を放送するなと言いたいのかも知れんが、それは、ちょっと違うのやないかな。

そのからかいが「いじめ」に発展すると言いたいのかも知れんが、その「いじめ」をする者の方が悪い。

どんなに「いじめ」の材料があるにせよ、それがあるから「いじめ」られても仕方がないという論理は頂けない。

やはり人を傷つける言葉を吐く者の方が悪い。当たり前のことや。その当たり前のことに思考が向かないというのは残念としか言えん。

「どこかにもらわれるんだろ」と言われて傷ついたというのが本当なら、養護施設側はテレビ局を責める前にまず学校に知らせて、そういうことのないように持っていくよう努力せなあかんわな。

放送中止にして済むというものではないと思う。「いじめ」をする子供というのは、その材料があれば深く考えずに面白半分で使うケースが多い。

そのあたりのことを教育の場で子供たちに教えるようにせなあかんが、残念ながら、今回の問題から、そこまでのことを提案している人は誰もいない。

今回の経緯を見る限り、大元はどうも『国内唯一の赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」を運営する慈恵病院』が名指しでなくても特定されるというところにありそうや。

それは病院として困るということやろうと思う。

これについては、ワシらも常に投稿者や情報提供者が特定されんようにと配慮しとるから、そのクレームはよく分かる。

その点についての配慮が足らんかったのはテレビ局側も反省すべきやろうと思う。

あの主人公のキャラクターであれば、他のどんな、あだ名にしていても生きていたはずやさかいな。

おそらく、そうしていれば、ここまで執拗なクレームはなかったのやないかな。

もっとも、今となっては『ポスト』というのは主役の名前そのものになっとるから、これについての変更はドラマを続ける限り無理やろうがな。

クレームをつけた側は、

2014年1月21日には全国児童養護施設協議会と全国里親会が会見を開き、「視聴者の誤解と偏見を呼び、施設で生活している子どもたちの人権を侵害しかねない」と批判した上で、子どもへの差別や偏見を助長するような表現を改めるよう求めた。

とし、それに対してテレビ局側は、

「ストーリーは完成している。各団体から指摘いただいていることは真摯に受け止めているものの、ストーリーなどを変更することはなく、最後までいけると確信しております」「子供たちの視点で愛情とは何かを描きたい。

3、4、5話を見ていけば、制作の意図が分かっていただける、支持者が増えていくのではないかと思う」とコメントした。

ということで、この対立は平行線のまま最後まで続くと思われたが、昨日、1月30日の報道に、


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140130-00000107-spnannex-ent より引用


日テレ「明日ママ」内容変更へ “具体例抗議”に「改善を検討」


 日本テレビの連続ドラマ「明日、ママがいない」(水曜後10・00)の内容改善を求めていた全国児童養護施設協議会は30日、同局が番組内容を変更する方針であることを明らかにした。

 ドラマの影響が及んだ子どもたちの具体例を含んだ抗議書が前日29日に送られたことを受け、日本テレビの佐野譲顕制作局長らが東京都千代田区の同協議会を訪問。

「申し入れを真摯に受け止め、改善を検討したい」と説明したという。2月4日までに、具体的な変更点を提示するという。

 佐野制作局長は27日に行われた定例記者会見で「最終話までストーリーは完成している」と、脚本や演出の大幅な変更は予定していないと明言。

「子どもたちの視点から愛情とは何かを描きたい」と、あらためて作品のテーマを説明していただけに、変更点が注目される。

 子どもたちをペット扱いにするなど、舞台となった児童養護施設の描写をめぐり、同協議会は今月20日、同局に抗議書を送付。

しかし第2話(22日放送)でも改善が見られなかったとし、前日29日、新たな抗議書を送った。

 抗議書には、同協議会が全国の役員67人に「ドラマがもとで生じた問題」などについて調査したアンケート結果を添付。

 子どもたちが実際に苦しんでいる事例として「第2話の放送が近づくと女子児童が“死にたい”と繰り返した。放送終了後、自傷行為に及び、病院で治療を受けた」などの声を紹介した。

 27日に行われた定例記者会見で、大久保好男社長は「抗議や申し入れは重く受け止めるが、最後まで見ていただければ私たちの意図が理解していただける」とし、当初の予定通り全9話を放送する意向を明らかにしていた。


とあったことで、どうやらテレビ局側が折れる方向に傾いたようや。

それについてはテレビ局側の判断やからワシらが口を挟むことやないが、クレームに負けて安易な妥協をしたことで、つまらないドラマにだけはして欲しくないな。

今回の問題は読者の方々にもいろいろと意見がおありやと思うので、よければ知らせて頂きたいと思う。



参考ページ


注1.Yahoo!Japanの意識調査『ドラマ「明日、ママがいない」の放送、中止すべき?』

注2.児童養護施設エスペランス四日市


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