メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第30回 ゲンさんの新聞業界裏話     

発行日 2009. 1. 2


■一年の計は元旦にあり、人生の計は今、この時にあり


「おめでとう」

元旦、つまり昨日の朝、そう言うてワシからハカセに電話をした。

「おめでとうございます。あの……、今年は年賀状は……」

「そんなことくらい分かっとるから気にしなさんな」

ハカセのお父さんが去年の10月に亡くなられた。(注1.巻末参考ページ参照)

そのため、年賀状を出すのを自粛しとるというわけや。

昔から日本には1年以内に不幸(親族の死去)のあった家からは年賀状を出さんという風習が定着しとる。

これを「喪中欠礼」という。

これは、ハカセのように不幸にあった側が、他者に対して気を遣うためにすることで、知人などがその家に年賀状を出しても正式には失礼には当たらない。

個人的な正月の挨拶もそうやとワシは思うとる。

日本人にとって、正月の「おめでとう」は普段の「おはよう」と言い合うのと大差ないさかいな。

やはり、年が変わったという、けじめの意味でも新年の挨拶くらいはあった方がええと思う。

もっとも、年賀状も含め、それらの挨拶も失礼に当たると考えておられる人もいとるようやから、それはそれぞれで判断して頂ければええことではあるがな。

ただ、ハカセは毎年、サイトでお世話になった方々には年賀メールというのを送っていたのやが、今年はそれができんため不審に思われる人がおられるかも知れんということで、敢えて、このメルマガ誌上でこういう話をしたわけや。

分かって頂ければと思う。

一年の計は元旦にあり。

これは世間一般に知られている、今年一年の計画は元日に立てるべきやという昔から言い伝えられとる諺(ことわざ)や。

類似したものに『一日の計は朝にあり』というのがある。

つまり、ものごとは最初が肝心やという意味やな。

ものごとを計画立ててするということはええことやと思う。

そこで、ワシらも今年一年の計について考えてみることにした。

まず、サイトやメルマガやが、基本的なスタイルの変更はなく、このまま続けることで意見は一致した。

但し、今年の7月3日にはHPを開設して丸5年を迎えるということもあり、その頃にはサイトのトップページのリニューアルでもしようかとハカセが言うてたがな。

少しずつ変化はしとるが基本的なデザイン、レイアウトは開設時とほとんど変わってない。

ただ、そのリニューアルをどの程度にするかというのは具体的にはまだ何も決まってないという。

「一つ、新しい試みとして私の昔の作品(小説)をサイトに公開したいと思うのですが、どうでしょうか」

これは、読者の中に、ハカセが以前、小説家を目指していたときの作品を読みたいという方がおられたことをきっかけに考えていたものやという。

ワシも幾つか読ませて貰ったが、テンポも良く、文句なく面白いものばかりやった。

ジャンルとしては、サスペンス物、ハードボイルド、SF調のものが多かったな。

まあ、ワシが言うのは、半分身内みたいなものやから身びいきな評価やと思われても仕方ないやろうがな。

「サイトの本筋とは大きく違うと思うのですが……」

確かに、その頃はワシとの付き合いはなかったわけで、この業界に関してのものはほとんど何もない。

サイトの趣旨として違うと言われれば違うわな。

「別にええのやないかな」

何物にも縛られず自由にできるのが個人サイトの利点やと思う。

フィクションの小説と断ってさえおけば、特に問題もないやろう。

それに、今まで長年続けてきたことで、それなりに世間からの評価も注目度も高まってきたことやし、それを掲載すれば、多くの人にその作品を知って貰えるチャンスが増え、サイトのさらなる人気アップも期待できるかも知れんさかいな。

それに、このメルマガやサイトは、何もワシの話が面白いというだけで読者が集まってきとるということでもないみたいやしな。

「まるで小説を読んでいるみたい」という評価は、開設当初からあったが、ハカセのメルマガの文章作法はまさしくそれやと思う。

読者を飽きさせず一気に読ませる技術に長けている。

ワシにしても、話しているときはそれほどとは思えんような内容のものでも仕上がると面白いものになっとる場合が多いのにはいつも感心しとる。

これは、あくまでもワシの個人的な感想なんやが、このまま、ハカセの才能を業界の話だけで埋もれさせるのは如何にも勿体ないと思う。

むろん、業界の話が無駄で意味がないと言うてるわけやない。

話の内容自体は、ワシの体験の他に読者から寄せられる話がもとになっとるということもあり、ノンフィクションとしての価値も高いと思う。

また、他のどこにも類似のものがないという点では希有な存在やというのも間違いない。

これはこれで、今までどおり変わらず続けて行くつもりやから、まったく問題はないと考える。

「まあ、これが私の今年の計画というか、わがままですね」

具体的に決まればこのメルマガ誌上で発表するという。

「ゲンさんは?」

「ワシか? 特にこれと言うてないが、しいて言えば……」

現在、新聞各社が軒並み赤字になったと発表しとることもあり、ワシらの業界は去年以上に相当きついことになるのは間違いないと思われる。

今年はその対応に追われる一年になるのやないかという気がする。

その状況に応じた営業法を考えるということが、今年の目標と言えば言えるかな。

幸いワシは苦境とか苦難、災難というのは慣れとるし、そういう状況を楽しめるという図太さもある。

また、ピンチはチャンスになると常に考えとるから、その発想がある限り何とかなるやろうとは思う。

ただ、通り一遍の対策だけではしんどいのは間違いないやろうがな。

何か新しい発想が必要になる。

それでないと、この100年に一度と言われとる大不況が原因のピンチをチャンスに変えることなんかできんさかいな。

以上が、ワシらの今年の抱負と心構えや。

それとは別に、人生の計はいつ考えたらええんやという疑問が湧く。

いくら、初めが肝心やと言うても、まさか生まれた瞬間に人生設計するわけにはいかんさかいな。

物心のつく年頃にならんと夢を語るのも難しい。

もっとも、人生の計画は決めたら、絶対それに従わなあかんというもんでもないがな。

人生、一寸先は闇や。何が起こるか分からん。また、何が起こっても不思議やない。

それが面白いところでもあり、怖いところでもあるわけや。

ただ、現状がいつまでも続くことは絶対にないとだけは言える。

しかし、多くの人は現在の状況がこれからも長く続くと考える。

それがために、数十年の住宅ローンを組んで後悔したという人もいれば、先の世を儚(はかな)んで自ら死を選択する人もいる。

もちろん、数十年の住宅ローンを組んで良かったという人も多いから、そうすることが悪いわけやない。

自殺するしかないほどに追い込まれた過酷な状況というのも、世の中にはあるやろ。

しかし、その自殺を思い止まったことで、その過酷な状況が好転して、今は幸せになったという人が多いのも事実や。

世の中は常に変化する。

それが時代の流れであり、人生やと思う。

人生の計に関してだけは、それぞれが、それぞれの岐路で考え選択するしかないと思う。

何事においても、考えるのは、今、まさにこの瞬間なわけや。

もっとも、綿密に計画を立てるか、大雑把に考えるかは、その人によるがな。

また、出たとこ勝負やというのも、それはそれで一つの計であり考え方やと言える。

そう言う人には自信家が多いから、事において前向きに対処することができる場合が多い。

ワシもハカセも、どちらかと言うとそのタイプや。

特に、ハカセは絶望とも言える状況に置かれ、その出たとこ勝負に出て勝ちを得た希有な男やないかと思う。

ハカセは今から10年ほど前、心筋梗塞を引き起こし病院に担ぎこまれた。

心肺停止状態になりながらも、そのときは、かろうじて一命を取り留めた。

その担当医から、一年以内に心臓移植をせんと助かる見込みがないと言われる。

医師から余命一年の宣告である。

それが、どれほど絶望的なものかは経験せん限り分からんやろうと思う。

ワシにしても想像するだけで、現実として捉えようがないさかいな。

ただ、不思議と死ぬのはそれほど怖くはなかったとハカセは言う。

ハカセは、担ぎ込まれた病院の集中治療室で奇妙な体験をした。

人に話すと変に思われそうやからということで、ワシ以外には誰にも話してないという。

信じられないことに、そのとき、ハカセは治療を受けていた自分自身の姿を上から覗き込むように見ていたという。

それまで、ハカセは死とは、夢を見ないで寝ている状態が永遠に続くものだと思っていた。

どうもそうではないらしい。

その時の状態は今でもはっきり覚えている。

次の瞬間、何かの明るい光に導かれて体が、ものすごい勢いで引っ張られた。

気がつくと、そこは、のどかな草原のような所やった。

それは、夢うつつというようなものではなく、現実感の強いものやった。

そして、そのとき、体が嘘のように軽く、気分が異常に爽快やったことを覚え
ている。

それが、また次の瞬間、いきなり、奈落の底に引き込まれるように落ちて行き、気がつけば、病院のベッドやったということや。

一般的に、そいうのを近似死体験という。

その経験が、死後の世界というのを暗示していたということもあり、その死の恐怖を和らげたわけや。

ただ、疑問もある。

それは、あのとき、本当に死んでいたのかという疑問やった。

確かに、心肺停止状態にはなっていた。

しかし、脳波は正常やったという。

現在の医学では、脳波の停止を持って死と認定するというのがある。

その意味では、死んではなかったことになる。

近似死体験と言われる者の中には、心肺停止時に、そういう夢を見ることがあると書かれた文献がある。

しかも、その夢が多くの場合、非常に酷似している理由も説明できるという。

近似死体験者のほとんどは、死後の世界と思われる場所が、花畑であったり、美しい自然に囲まれた場所であったりするケースが多い。

そして、何より一応に気分が爽快やったと証言している体験者が大多数というデータがあった。

脳内麻薬様物質(オピオイド) というのがある。

人体が精神的、肉体的な危機状態に陥ったときに、精神活動に重要な働きをすると言われているGABA神経系から分泌されるエンケファリン、エンドルフィンなどがそれや。

これの大量分泌により、精神活動の麻痺や感情鈍麻といった状態に入り、快感
を感じるようになる。

マラソンをしているときに、ランナーズ・ハイになるというのは、広く知られたことやが、そのときに脳内にそのオピオイドが分泌されると言われている。

この症状の特徴として、離人症的な症状をもたらし、爽快感、現実感の喪失、自己と外界を隔てる透明な壁のある感じ、自分のことを遠くで自分が観察している感じ、自分の手足の消失する感じなどがあるという。

つまり、近似死体験者が見たという情景や気分が爽快やったというのは、そのオピオイドが分泌された結果やないかというものや。

あれから、日も経ち、その記憶が薄れるにつれ、ハカセも自分の体験が怪しく思えるようになったという。

その文献のとおりかも知れんが、それだけでは説明のつかん事があるのもまた確かやから、その真偽のほどは何とも言えんがな。

ただ、いずれにしても、人がいつか必ず死ぬという事には変わりがない。

それは、万人が避けることのできん絶対的な事実やさかいな。

ハカセには、死ぬことの怖さはなくなっていたが、死ぬことで、妻や子供たちと暮らせなくなるのが、無性に辛いと思うようになった。

ハカセは、ええ夫やったとは言い難い。

わがままが服を着て歩いとるような男や。その上、短気やからすぐどなり散らす。

悪いのはすべて妻のせいにする。結婚して15年、それまでやさしい言葉をかけた覚えがない。

子供たちにとっても、ええ父親とは言えんかった。

子供は可愛いいが、だからといって甘やかすのは子供のためにならんと思うて
た。

子供には厳しい父親やった。

ハカセは、死ということを考えると、それらのことを後悔する。

妻には、もっとやさしくするべきやった。

子供は大らかに育てることが必要やと。

甘やかしてもええやないかとも思うようになった。

考えれば考えるほど後悔の念しか湧いて来ない。

そして、ハカセは今まで何をして来たのかということを考えた時、更に愕然とした。

ハカセの人生は、人のために何かをしたというものが何もない。

自己中心的な生き方しかしてない男やった。

何かの足跡を残したい。

人のために何かしたい。

妻や子のためになることをしたい。

特に子供たちには父親の生き様を見せておきたい。

ハカセは、真剣にそう考え始めた。

しかし、仕事だけに没頭してきたハカセに仕事以外でそれを探すのは難しかった。

その当時のハカセの仕事は、日本全国の一流企業の工場メンテナンス専門の現場監督やった。

化学薬品タンクとか薬品貯蔵庫、脱硫装置などの点検と新設がその主なものやという。

その頃の流行(はやり)で、スーパーバイザーという肩書きが名刺にあった。

現場監督とは言うても、ハカセは技術屋やから、のんびりと仕事の指図をするだけに止まらず、実際の作業も自ら率先してやっていた。

その仕事は、北は北海道から南は沖縄まで、日本全国を短期間に移動し続けるという健康な人間にとってもかなりハードなものやった。

あるときなどは、作業機材を積んだライトバンで、大阪から川崎、川崎から新潟、新潟から福井までの3つの現場、約1500キロもの距離をたった2日で移動して、仕事をやり遂げたこともあったという。

当然のように、肉体的にもその仕事が続けられんようになった。

何かを遺したいという気力はあるが、何もできないまま時間だけがむなしく過ぎて行く日々が続いた。

何度か入退院を繰り返すうちに、医師から宣告された一年が過ぎた。

しかし、ハカセはまだ生きていた。

後に知ったことやが、医師の余命宣告というやつは多少短めに言うらしい。

一年やと言うて、半年ほどで死なれると何かと問題があると考えるようや。

ただ、二年経っても、相変わらず入退院はするものの、病状の悪化は見られなかった。

その頃になって、やっとハカセは、その医師に不信感を抱くようになった。

その後、いろいろツテを頼って病院を変わり、最終的に現在治療中の大学の付属病院に落ち着いた。

ここで、本格的な検査を重ね、心臓移植するまでのことはないという診断結果が出た。

むろん、余命いくばくもないという話も消えた。

ただ、最初の病院の名誉のためにも言うが、その担当医師がヤブやったというわけやない。

診断は、けいれん性の狭心症ということやった。

これは、その症状が出たときにしか分かんもので、すぐにはそれと判断し辛く、その症状が出たときに診断すると非常に危険な状況に見えるという、やっかいなものらしい。

その最初のときには、実際に心臓の4分の1が壊死していたということもあり、長くは持たないという診断を下しても、それほどおかしくはないという話や。

今は、薬さえちゃんと飲んでいれば、その危険は少ないと知った。

結果的に、余命一年と宣告されてから、今年で10年も生き延びている。

単に運が良かった、あるいは誤診やったと言えば、それまでの話かも知れんが、ハカセは、その余命一年の宣告を受けても前向きに生きようとしたことが、その運を引き寄せたという気がする。

「病は気から」と言うのは事実で、その気力が萎えたりあきらめたりしたら多くの場合、その命も潰(つい)えるのは間違いないと思う。

医師から余命一年と宣告されたら、普通はそうなる。

それが、ここ5年近く検査入院すらしていない。

正確には、その間、一度入院はしとるが、それは肺炎でやから、心臓病との直接の因果関係はない。

それは、くしくもこのメルマガやサイトを始めたときと符号する。

今やハカセにとって、メルマガやサイトはライフワークにすらなっとる。

それが病状を好転させた大きな原因やと思う。

つまり、ワシの言いたいことは、今、この瞬間にさえ生きていれば、『人生の計は今、この時にあり』と考えればええということや。

それが、若かろうと年を食っていようと関係ない。

人生の計画を立てるのに、早すぎることも遅すぎることもない。

例え、明日死ぬとしても、その明日の計画は立てられる。

思い立ったが吉日。

少なくとも、ワシやハカセはそう信じて日々を生きとる。それは、これからも変わりがないと思う。



参考ページ
注1.第18回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■長かろうと短かろうと、それが
人生
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage19-18.html


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