メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第311回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2014. 5.23
■ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 6
このシリーズは比較的評判がええようやが、ここに抜き出した言葉や話がどれだけの人に役立っているのかとなると、正直、ワシにも良う分からん。
その時々で思いついたことを言うてるだけやからな。
ただ、「ためになった」、「勇気づけられた」、「へえー」、「なるほど」という声があるうちは続けていきたいと思う。
それに、このシリーズがあるために、その都度、過去の話を見直すことができるさかい、別の意味でワシらにとっても意味のあることやと考えとる。
それでは始めさせて頂く。
ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 6 82撰
密告社会になると予想される場合は、自身を守るためにも、なるべく知られて損な情報は表には出さんことや。そのためには人との付き合いも限定的にならざるを得ない。
そう心がけることが、自分の身を守る最善の方法やと思う。まったく嫌な世の中になりつつあると言うしかない。(第251回より)
どんなに最悪な状況が生まれようと、方法は必ずある。そう信じて生きることや。安易に死を選ぶべきやないと再度、念を押しとく。どんなに美化しようと自ら死を選ぶというのは人生の負けを意味するものと知って欲しい。(第251回より)
結果の出ていないものに対して殊更、否定するつもりはないが、そんなものに浮かれるつもりもない。こう見えてもワシは現実主義者やから、結果でしか、その善し悪しの判断はせんさかいな。(第254回より)
いつの時代であろうと為政者のすべてに言えることやが、そういった法律を作る者たちが死地に趣くことなどないというのも怒りを覚える。
自分たちは安全な場所にいながら「若者に死ね」と平気で言える法律を作ろうとしとるわけやさかいな。(第255回より)
当たり前やが、議論を戦わせるには正しい情報を知っておく必要がある。知らずして事の是非の判断などできるはずもないさかいな。(第255回より)
法律全般に言えることやが、条文に書いてない事は「あり得る」可能性があり、条件付きの場合は、それ以外は「適用する」ケースもあるということを意味するわけや。本当の狙いは条文に書いていない事の正反対、裏側にある。(第255回より)
人を一括りにすることなど、誰にもできん。十人十色、百人百様、千差万別が人の本質やさかいな。(第255回より)
人は考えるという武器を持ち得たからこそ、生き物としては弱者の部類でありながら地上最強の生物になれたんや。(第256回より)
民主主義というのは大勢の意見だけで成り立つ社会では絶対にない。少数といえども、その意見、考えは尊重されてしかるべきや。(第259回より)
一方の方向だけしか見ない人間が集まると、それが絶対の正義やと勘違いしてしまう。(第259回より)
人は真実よりもイメージの方を信じやすい。(第261回より)
「継続は力なり」とは言い古された言葉やが、その意味は深い。物事を続けるというのは口で言うほど簡単なことやない。(第262回より)
おかしな話やが、新聞など必要ないと声を大にして批判している者こそ新聞を必要としているという大きな矛盾がある。
新聞があるからこそ、新聞を読むことで、その記事なり論調なりの批判ができるわけやさかいな。(第262回より)
物事はマイナス面だけに囚われると、それしか見えんようになる。ネガティブな情報に接すればするほど、それだけを信じるようになってしまう。それでは物事の本質など見えるはずがない。(第262回より)
止める理由は、いくらでも思いつく。続けるよりも止める方が楽やさかいな。(第262回より)
まあ、何でもそうやが、恥ずかしいと考えれば格好悪いとなるし、堂々としとれば、それが個性となって光り輝くもんや。文字どおりに。
要は、その人それぞれの考え方一つで世界は違うて見えるということやな。他人がどう思うかやなく、自分がどう考えるかやと。(第262回より)
続けることによって道が開かれ、物事が好転していくケースが世の中には多い。成功者と呼ばれる人たちの大半がそうや。あきらめたり、止めてしまったりすれば、そこですべてが終わる。
続けることの先にあるものを見ようとしない限り、絶対に目の前に現れることなどないと思う。(第262回より)
日本国憲法は、権限、権力を維持しようとした日本政府にとってはマイナス面の強い押しつけやったかも知れんが、日本国民からすれば「自由と人権」が保障され、戦争から解放された素晴らしい贈り物と言えるのやないかと思う。
現在の日本は、完全に、その日本国憲法の精神が根付いた国になっているのは間違いない。その点で言えば、押しつけであろうとなかろうと関係のない事やと言える。(第264回より)
ネット上にリーダーはいない。言えば各個人、各発信者がリーダーということになる。
昔の封建社会であれば、反対運動、反乱分子のリーダーを捕らえて処分、あるいは改心させれば、たいていはその騒ぎを抑えることができた。しかし、ネット上で、それはできん。(第265回より)
政治を動かすのは政治家ではなく、有権者の投票行動であり、世論やということを多くの人に自覚して欲しいと思う。(第265回より)
知らんことは知らんと言う勇気も必要や。それが格好悪いとか、恥ずかしいと考える必要はない。
どんな専門分野の専門家であっても、そのすべてを知っているという人の方が圧倒的に少ないもんやさかいな。例えば、医者がすべての病気のすべての治療法を知っていることもないやろうし、弁護士がすべての法律を知っているわけでもないと考えるしな。(第266回より)
相談者は「自身がいかに困っているか」、「いかに迷惑を被っているか」という点を強調しがちやが、必ずしもその言い分が正しいとは限らない。
相談者に落ち度や勘違いがあるケースも多々ある。それを見極めて苦言を呈すべきと判断すれば、そうする。(第266回より)
人は誰しも悪く思われたくないという意識から、つい迎合したくなるもんやが、間違っても、それをしたらあかん。本当にその相談者のことを思い、役に立ちたいのやったら、例え嫌われようと苦言を呈するべきやと思う。(第266回より)
ワシは、どんな問題でも必ず解決方法はあると信じている。そう信じていると、不思議にその方法を思いつくし、閃いてもくる。もちろん、それは過去の経験や事例の積み重ねがあるからこそやがな。(第266回より)
「長いものには巻かれろ」とか「なるようにしかならん」と考えとったら、本当にそうなる。(第267回より)
希望的観測を頼りに生きる方が、悲観的な予想で思い悩むより数段マシや。希望は絶望に勝る。そう信じたい。(第268回より)
驚くべき情報収集力である。それを生業にしている新聞記者や雑誌記者というのなら分かるが、彼女らは、ただ集まって噂話をするだけで、いとも簡単にその結論を導き出したのである。
ワシは、そのことを熟知しとるから、何か事が起きた場合、なるべく、そういった感じで集まった主婦の輪の中に融け込むように心がけとる。(第268回より)
ワシら拡張員が勧誘トークで「新聞を読まんとアホになりまっせ」てなことを言うても、誰も相手にすらせんやろううが、その道の権威が同じようなことを言うと、それなりの説得力を持ち不安になる人も多いのやないかと思う。(第269回より)
新聞の記事の中身については、いろいろと批判的な意見もあるとは思うが、事、文章力、伝達力、読解力に磨きをかけるという意味では、これほど優れた教材は他にないと断言できる。(第269回より)
当たり前やが、犯罪は犯した者に責任があるわけで、それ以外の善良な人に罪はない。「罪を憎んで人を憎まず。罪を憎んで仕事を憎まず」やと考えて欲しい。(第271回より)
邪な心で書かれた文章は、どんなに良心的な業者を装うと、どこかで必ずその顔を覗かせているものや。(第272回より)
戦争の本当の怖さは兵器での殺し合いよりも、むしろその狂気を人間が纏うことやないかと考える。(第273回より)
子供には、どんに悲惨で無惨なことであっても真実を伝えるべきや。それで歪む子供などいない。なぜなら、純粋な子供は、それが非道なことやと分かるからや。(第273回より)
子供たちが歪むとすれば、それを伝える人間に責任があると言える。何事もそうやが、伝える人間次第で、良くも悪くも伝わるものやさかいな。(第273回より)
漫画の表現が、どぎついと考える世代の人は、おそらく本当の戦争体験など知ることなく、また聞かされることなく育っている人たちなのやろうな。
その事実を聞かされずに育てば、その事実があったとは考えられんさかいな。間違った歴史認識を持っているのは、むしろそういった大人たちの方やろうと思う。(第273回より)
純粋な子供の時にこそ、その事実を知るべきで、それがあれば、本当の意味で戦争の怖さも分かるし、核の脅威も実感できるものと考える。(第273回より)
隠し事から建設的な考えや思考は生まれない。生まれるのは疑心暗鬼でしかない。(第273回より)
世界で唯一の被爆国である日本で、原爆、核の脅威が軽んじられるようになったら終いや。(第273回より)
限定的な人間でも集まれば群れを為すさかい、味方が多いと錯覚する。(第274回より)
ネツト上で一方的に誰かを攻撃して喜ぶ者は、いじめをして面白がる輩と何ら変わらない。(第274回より)
初めてやから許して欲しいと甘えることができるのはアマチュアだけや。金銭を貰ってやる以上は、常に最高の状態のパフォーマンスが出せるプロフェッショナルやなかったらあかん。(第275回より)
人は達成可能な目標を立てると、それだけは何とかクリアしようとする。その目標を少しずつ無理なく増やす。その小さな積み重ねが、とてつもなく大きな結果を生む。(第276回より)
期待は不安を消す。(第276回より)
人はできない理由を探しだすと際限なく見つける。それで安心するわけやが、それでは営業する者としては失格や。(第276回より)
何でもそうやが、言い訳をすると正当化できると錯覚しやすくなる。その錯覚は自分自身を蝕む。本当の意味で病気にもなる。(第276回より)
逃げたいのなら逃げたらええ。それも一つの方法や。他人から、とやかく言われる筋合いのことでもない。
しかし、人には、ここ一番踏ん張らなあかんという時が必ず来る。そんな時、言い訳する癖がついて逃げてばかりいたら、どうしようもないと思うがな。(第276回より)
話を聞いて頭で理解するのと、実践して克服するというのは次元の違う問題や。(第276回より)
誰にも分かるはずがないと考えてやっていることが、今の時代はいとも簡単に、知れ渡っていく。(第277回より)
良心というものは、どんな環境にあっても、どんな状況にあっても必ず存在する。(第278回より)
どんなに素晴らしい事が書かれていたとしても、どれほど価値のある情報があったとしても読んで貰えなければ意味がありません。(第279回より)
読んで貰うための努力を惜しまず書く人の文章は読みやすく面白いが、書けば読むはずやと考えて書く者の文章は鼻について、つまらないものが多い。(第279回より)
タイトルは、どんな思惑にしろ読者に読んでみようかと思わせることができれば、それでOKです。(第279回より)
物書きと呼ばれる人間は、最初の一文、一行に全神経を注ぎます。当たり前ですが、読み始めが面白くなければ、その先を読んで貰えませんから、ある意味必死です。(第279回より)
意味が通じなければ、理解して貰えなければ、すべて駄文です。低俗な文章と誹られても反論はできません。(第279回より)
物事には、どんなことにも違った見方、考え方というものが存在します。絶対に正しい、あるいは間違っていると言えるようなことの方が稀です。それぞれの立場に立てば、それぞれの正義と真実、言い分があります。(第279回より)
一方的な見方は独断と偏見を招きます。それでは人を説得して、納得させられる文章など書けるはずなどないと私は信じています。(第279回より)
何事も今が終着点と考え満足するのではなく、いつもこれから始まるという気持ちが、ワシらにあるからやと思う。過去にどれだけのことを成し遂げたかより、明日何ができるのかということの方が重要やと。(第279回より)
境遇を嘆くというのは人として一番みっともないことさ。人間が幸せになるためには、自分の置かれた環境の中でどうにかするしかないんだよ。今いる場所で幸せを見つけるんだよ。(第280回より)
ミスは後で謝れば済むが、無理して失った命は取り返しようがない。(第281回より)
新聞の最大の矛盾は、営利目的の組織でありながら、「公共の利益」という名の下、まるで国民の代弁者であるかのごとくに振る舞い、法律も我が身に荷担せなあかんという思い上がりにあるのやないかと思う。
その尊大な思い上がりが、自ら裡に「新聞勧誘の実態」、「押し紙」、「記者クラブ問題」といったタブーを生んでも、その事実に蓋をすることしか考えんようになったと言える。(第282回より)
相手の女性がどのような境遇にいようと純粋に愛せる人がいる。相手が振り返ってくれないと承知していても、その人のために徹底的に尽くす。純愛と呼ばれているものが、そうや。(第283回より)
新聞を読んだり、テレビのニュースを見たりして感じることは、日本はどんどん悪い方向に行ってしまうのではないかということです。戦争を体験した年代が消えていった後のことを想像すると、空恐ろしくなります。(第283回より)
平和を望むのなら、戦争をしないことに尽きる。そんな当たり前の事が、当たり前の事として長く受け継がれていって欲しいものやと思う。(第283回より)
揉め事が起きるというのも、あながち悪い事ばかりやない。その事が教訓になることもあるからな。(第285回より)
よくワシらのアドバイスで助かったと言われる人がおられるが、それは少し違う。
どんな窮地に追い込まれようと、絶望的な状況になろうと、何とかそこから抜け出したい、道を切り拓きたいという、その人の強い思いがあるからこそ、一見、不可能に見えることでも可能になるのやと思う。
ワシらのアドバイスは、その背中をちょっと押しているだけにすぎんと考えとる。助かったと言われている人たちの大半は、実は自らの強い気持ちがあったからこその結果なわけや。(第288回より)
古代の人たちが、星々に神を見たとしても何の不思議でもない。その星の存在によって人類の文明が進歩したのは間違いのない事実やさかいな。
ひょっとすると、神とは人の心の中にだけ存在するものやなく、本当にそう呼ばれてしかるべき存在がいるのかも知れない。それを神と呼ぶか、宇宙人と呼ぶかは、それぞれやとは思うがな。(第289回より)
自然は恩恵も与えるが、同時に破壊ももたらす。それは宇宙全体の法則なのやろうと思う。(第289回より)
宇宙そのものが奇跡の存在であり、ワシら人間を含むすべての生物が奇跡の証しやないかと考える。(第289回より)
人命は何よりも重いと教えるのが教育やと考える。人命を軽んじたら、その時点で人ですらなくなる。(第290回より)
物事を原則という括り方をすると「例外」で崩され、やがてその「例外」が通常概念になるということやと思う。(第290回より)
多くの人がしていれば「別に悪いことやない」と人は考える。(第291回より)
例え相手が先に毒のある言葉で攻撃してきたとしても、それに反応した言動をするようでは、金を貰って商売している側としてはまずい。(第292回より)
ドラマはフィクションなんやから、どんな過激な表現があろうと所詮は作り話という前提に立って観る必要があると思う。大半の人は、ドラマを見て事実と思い込むことはない。(第295回より)
それを敢えて「フィクションだとしても許される演出の範囲を超えている」ということで異を唱え、放送を中止に追い込もうとするのは、何かあるのやないかと勘ぐられても仕方ないと思う。その中に隠したい真実が含まれているからやないかと。(第295回より)
助けてくれる人などいないのが普通やった。甘ったれた考えなど持ってはいけない。周りはすべて他人で厳しい存在。理不尽やが、そういう環境で生まれた以上、仕方のないことやと常にそう考えて生きてきた。(第295回より)
スパイダーマンやバットマンがヒーローというのは誰でも知っている。しかし、その呼び名は所詮「クモ男」であり「コウモリ男」にすぎん。普通、そんな呼ばれ方をされたら嫌なものやが、それがヒーローの名前となれば別や。(第295回より)
名前は、そのものの本質次第で良くも悪くもなる。呼ばれる対象がヒーロー的行いをすれば、その名前は人から尊敬され格好良いものに聞こえる。
反対に悪辣なことをすれば、例え「聖人君子」という名前であっても蔑まされる対象になる。(第295回より)
どんなに「いじめ」の材料があるにせよ、それがあるから「いじめ」られても仕方がないという論理は頂けない。
やはり人を傷つける言葉を吐く者の方が悪い。当たり前のことや。その当たり前のことに思考が向かないというのは残念としか言えん。(第295回より)
人は現在の状況が、これから先もずっと続くものと考えがちやが、実際には10年も経てば、かなり状況が違うてくるのが普通や。むしろ、変わらないことの方が珍しい。(第296回より)
人は何があろうと生きていかなあかん。目標のない人生、将来のない人生に意味がないという人は多いが、ワシはそうは思わん。
ワシは、何があっても、どんな困難な状況にあっても生き続けていることこそが、人生の勝利者やと考えとる。少しでも長生きした者勝ちやと。(第297回より)
危機に直面し究極の選択を迫られた場合、または窮地に置かれた場合、その人間の本性が分かる。(第300回より)
以上で、今回は終わる。
行きかがり上、このシリーズは『深イイ』と銘打ってはいるが、本当に深いかどうかは、これを読まれた読者がご自身で判断して頂くしかない。
その判断がすべてになる。
例え一つでも自分にとって役立つ、意味のあるものと感じて貰え、心に残して頂けたら、ワシらとしては、それ以上の喜びはない。
なぜなら、その言葉一つで、その人の人生を劇的に変えることになるかも知れんからや。もちろん、ええ方に。
過去、歴史上の偉人と呼ばれている人たちの多くが、たった一つの言葉でそうなったと言うさかいな。
その反対に、その言葉を信じたがために道を踏み外したという人がいるのも事実や。
それくらい言葉というのは重い。毒にも薬にもなるさかいな。
これからも、そのことを肝に銘じ、メルマガで話し続けていきたいと思う。
それでは、次回を楽しみに。
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