メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第314回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2014. 6.13
■逆もまた真なり……消費税増税から2ヶ月が過ぎた現場の実情
消費税増税による大幅な部数の落ち込みが予想されるということで、日本新聞協会は総力を結集して「新聞の軽減税率」の適用を画策してきたが、結果は不調に終わった。
もっとも、未だに、日本新聞協会はさらなる消費税増税率が10%になった時、元の税率5%に戻す軽減税率を獲得すると広言しとるがな。
それについては、望み薄やと思う。そんな例は過去にない。
一度、決められたことを遡ってナシにすることなど、この日本では考えられんさかいな。
日本を牛耳っているのは認めたくはないが、官僚機構や。その彼らのモットーは一度決めたことは、どんなことがあっても貫くという姿勢や。
その姿勢は、過去から現在に至るまで延々と受け継がれて行われてきている。今のままの官僚機構が続く限り、この先も変わりはないと考える。
物事は決まる前に、望むようにできな負けや。決まったことをひっくり返すには、今の日本の官僚、行政機構では、よほどの理由と出来事がなければ無理や。
自民党の国会議員207名と多くの地方議員を使ってまで、「新聞の軽減税率」を獲得しようと画策したが、結果としてそのすべてが無駄になった。
それ以上の打てる手があるとは思えん。もっとも、国民の知らんところで裏取引でもあるというのなら別やがな。
そもそも新聞協会が軽減税率を望むこと自体が、大いなる矛盾を抱えていると言うても過言やないと思う。
なぜなら、日本新聞協会は、消費税が初めて導入された1989年(税率3%)時はおろか、増税されて税率が5%に引き上げられた1997年でさえ、他の商品と同じように新聞1部について、しっかりと税金分が付加されて販売されていた。
それは宅配分についても同じで、税込み価格として上乗せされて消費税分を購読者から徴収していた。
『欧州では民主主義を支える公共財として新聞などの活字媒体には課税しないという共通認識がある』と言うのが、新聞協会の軽減税率を求める根拠になっている。
新聞代が上がると、『知識への課税強化』になり、新聞の購読者が減って『国の力を衰退させかねない』からやというのが、その理屈のようや。
そうであるなら、消費税導入時の最初の段階で、そう主張して軽減税率を求めるべきやなかったのかと思う。
しかし、日本新聞協会は結果として大した反対もせず、消費税導入を受け入れていた。
消費税導入時、および税率が5%に増税された時には一切反対せず、8%になるにおよんで新聞だけは欧州などの各国がそうやから同じように「税率を据え置いて軽減税率にするべきや」というのは明らかに矛盾しとるのやないかと思う。
まあ、それがなぜかというのは分からんでもないがな。
消費税が初めて導入された1989年当時、また増税されて税率が3%から5%に引き上げられた1997年頃は、まだ新聞の購読部数は高水準で維持されており、消費税分の値上げがあったところで部数に、さほどの影響はないやろうと考えていたからや。
また実際にも直接的な影響は少なかった。
むしろ、その頃の方が新聞の発行部数は増え続け、1998年当時、5,400万部を突破し、新聞業界として過去最高の水準に達していたくらいやった。
ところが現在は、すべての新聞社で年を追う毎に購読部数の減少が顕著になっている。
そんな時に、これまでのように消費税増税分の上乗せをすれば、例えその額が僅かであっても、さらに部数の減少は避けられないと、新聞各社は考えたわけや。
それが軽減税率を求める運動につながった。
消費税増税後、2ヶ月経った現在の状況はどうか。
サイトに寄せられてくる情報には、思ったほど悲観的なものは今のところ少ない。
「消費税が8%になると相当な部数が減ると店では覚悟していましたが、今のところ目に見えた減り方はありません」
「契約が取れにくいだろうと考えていましたが、4月、5月とあまり成績は変わっていません」
「消費税増税分の値上げなら仕方ないと言ってくれるお客さまが大半です」
といった販売店関係者からのメールが多い。
地域的な事情や販売店毎で客からの反応も違うやろうが、新聞業界が考えていたほどの影響はないのやないかという気がする。
もちろん、せやからと言うて、今後部数が落ち込まないという保証はできんがな。
ただ、すでに落ち込むべき部数がそれほどないということも一方ではある。
どういうことか。
ここ15年ほどの間、読者の新聞離れは加速度的に進んでいる。ABC協会発表では最も良かった1998年頃に比べて、実に500万部以上もの発行部数が減少したとのことや。
2013年度の発表だけでも、前年の2012年に比べて、朝刊で約54万部、夕刊で約48万部もの大幅な部数減に陥っているという。
1998年当時というのは、インターネットが驚異的に普及し始めた頃で、その年にインターネット人口が3,000万人に達し、2年後には4,700万人、7年後には8500万人を突破している。
2012年末では実に9,600万人を超えている。
インターネット人口の増加と時を同じくして新聞の部数が減り続けた。
ただ、ここ15年ほどで500万部の発行部数が減少したと言っても、新聞の総発行部数の1割程度でしかない。
この1割を多いと見るか少ないと受け取るかは、それぞれやとは思うが、ワシはその程度かというのが正直な気持ちや。
逆も真なりで、9割もの発行部数を維持できているのは新聞が、それだけ多くの国民に支持されていることを意味しとるからやないかと思う。
もっとも、この発行部数には配達されない新聞、押し紙や積み紙といった残紙が含まれているから、実際の購読者数はもっと少ないやろうが、それでも7、8割の人が確実に新聞を購読しとるのは間違いない。
新聞の売れ行きが悪いと言われて久しいが、どんなヒット商品であっても60年近くもの間、1日数千万部も売れ続けている商品など皆無やと思う。
今後も新聞以外で、そんな商品が世の中に出回ることは、まずないやろう。
現在、新聞販売店の多くではネットに依存していて新聞を購読しない、俗に「無読」と呼ばれる人たちが、15年前に比べて格段に増えている。
最初から「無読」を貫いているという人もおられるが、それよりも以前は新聞を購読していたのやが、ネットで新聞記事を見ることができるから新聞はいらないと考えた人が多いためやと思う。
そういう人たちが徐々に新聞の購読を止めた結果、現在に至っているとワシは見ている。
つまり、今はそういう人たちが減りきった状態、底にあると思う。せやさかい、これ以上の新聞の部数減はあったとしても少ないのやないかということや。
ある新聞販売店の調べでは、購読者の7割以上が60歳以上の高齢者やったという。
これなんかも、今まで新聞を購読していた人たちが減った結果やと言えなくもない。
この数字は、それぞれの地域、販売店毎で多少は違うかも知れんが、それでも高齢者が新聞の最大の顧客であることには変わりがないと思う。
現在の高齢者の多くは、物心ついた子供の頃から、新聞を読むのが当たり前という生活を長く送ってきている。生活の一部になっていると言うてもええ。
そんな高齢者にとって新聞の購読を止めるというのは、考えられんことなわけや。
よほどのことでもなければ新聞の購読を止めることはない。ネットで新聞記事を見ることができるからという理由程度では弱い。
新聞紙面のすべてがネットに掲載されとるわけやないしな。
普通、新聞の情報量は、朝刊の場合、単純計算で400字詰め原稿用紙に換算して約500枚程度になる。B6版の書籍にして300ページ分ほどもある。ちょっとした単行本1冊分や。
単に情報量の比較だけでも、WEBサイトの記事と比べても格段の違いがあるのやが、無読者は新聞紙面と同等の情報量が掲載されていると錯覚しているようや。
「インターネットで新聞社のWEBサイトを見ているから、新聞は必要ない」という人は、その情報しか知らずにそう言うてるわけや。
パソコンに馴染んでいる人には、有料ソフトの無料体験版がネット上の新聞記事に該当すると言えば分かりやすいのやないかと思う。
無料の体験版でも、そのソフトの内容は分かる。それを分からせて本ソフトを売るのが目的やから当然と言えば当然やがな。
但し、機能や情報は、本ソフトに比べて少ないし、制限もある。
ネット上の記事で満足している人は、その無料体験版で納得しとるようなもんやと思う。
もちろん、それが悪いということはない。それで、十分な人にとっては、何も問題はないさかいな。
ただ「そんな情報をなぜ金を出してまで買う必要があるのか」と言うのは、些か認識不足やないかと思う。
ネット上で公開していない新聞誌面の記事の方が圧倒的に多いさかいな。
紙面の最下位にケイ線で仕切られたベタ記事と呼ばれとるものも、その一つや。
ベタというのは、ありきたりという意味の隠語で、特殊性やスクープ性が少ない。
せやからと言うて、どうでもええというものでもない。ワシは、雑談のネタに使うのは、もっぱらこのベタ記事が多いさかい重宝しとる。
ちょっとした雑学ネタも多いので、ワシに限らず、このベタ記事のファンという人も多いと思う。
エッセイやコラム、新聞小説、あるいは4コマ漫画の好きな人も多い。それぞれの地域特有の情報というのもバカにならんものがある。
それらは、いずれも新聞を購読することでしか知ることのできんものばかりや。
もっとも、売れっ子作家のコラム記事や小説、マンガは単行本になることも多いから、それを買って読めると言えばそれまでやがな。
それにしても新聞紙面は鮮度が高い。真っ先に読めるからな。それに価値を見い出す人には、それなりの値打ちがある。
つまり、無読の人を説得する材料、または反論する根拠は、いろいろあるということやな。
しかし、その事実が一般読者や無読者に届いていない。それに対して新聞業界はあまりアナウンスしていないし、新聞勧誘員が、そのことに触れるケースも殆どない。
もっとも、そのアピールをしたとしても、無読者の心を打ち、新聞を購読するようになるかと言えば、かなり怪しいとは思うがな。
興味のない、あるいは無価値と考えている人の気持ちを変えさせるというのは、何であれ至難の技やさかいな。
高齢者に目を向ければ、最近、パソコンやスマホを器用に扱う高齢者が増えてきたとはいえ、まだまだ使えない人の方が多いのが実情やと思う。
パソコンというのは使える者にとっては何でもないが、扱えない者にとっては、とんでもない代物なわけや。
特にワシらくらいの年代になるとその操作を一から覚えるのはきついし、大変な労力を要する。
ワシら以上の高齢者では、使えん者やその気になれん者の方が圧倒的に多いやろうと思う。
その気になっても、よほどの必要性がなければ、覚えて使いこなせるものやないしな。
今の若い人たちには信じられんことかも知れんが、ワシらの年代はパソコンを操作できるというだけで人から羨望の眼差しで見られていたくらいや。
その点、新聞は人を選ぶことはない。字さえ読めれば、それでええ。
初期費用は一切かからない。支払うのは高くて月4千円程度の新聞代だけや。
ネット上の新聞記事を見るのはタダやと言うたが、その環境を得るためには、ある程度の投資が必要になる。
パソコンの場合は、そのハードの購入とインターネットへアクセスするためのプロバイダーへの加入が最低限必要になる。
それにかかる費用はピンからキリまであるが、少なくとも数万円から高ければ数十万円以上かかる場合もある。
今は携帯電話でネットを見ることができる機種もあれば、スマホのようにネットに特化した携帯端末もある。
スマホやと、最低でも月に1万円近くかかると言うし、持っている者の多くは、それ以上の金を毎月支払っているのが普通やという。
しかも、パソコンやスマホなどのハードは壊れたり古くなったりすると買い換えなあかんようになる。
特にパソコンにそれが言える。今年の4月9日、ウインドゥズXPのサポートが終わったとかで買い換えをせなあかんように利用者の多くが追い込まれているのが、そのええ例や。
パソコンは昔から、そうやが新しく買っても使える時期が短い。
常に新しい機種を買い替えさせる手法で肥え太ってきた業界やと言うても過言やないと思う。
使う者から、できるだけ多額の金を絞り取ろうとする姿勢がミエミエやさかいな。やり方が、えげつない。
スマホの場合も似たようなもので、たいていは4、5年もすれば古くなり、新機種を買い替えるのが当たり前のような風潮を作り出している。
また、それに振り回される人が多い。
付随するソフトも常に新しいものが要求される。
なぜ同じ機種、同じソフトを長く使えるようにせんのか理解に苦しむが、それに嵌った人間を食い物にしようとしているのやと考えれば、それも納得できる。
それらのことを考え合わせるとコスト面ではかなりの負担を強いられることになるということや。
場合によれば、それで身の破滅を招く者すらおる。
携帯貧乏、スマホ貧乏という言葉がある。
今はネットのし放題というサービスが携帯各社にあるから、まだマシやが、ちょっと前までは携帯代に月数万円〜数十万円払うとる者も珍しくはなかった。
特に、その傾向は若者や子供に強く、携帯代が支払えず借金漬けになったという話も多い。
新聞にそういうことはない。新聞を購読したからと言うて、借金まみれになることなどあり得んさかいな。
新聞には、そんな初期投資はいらないし、面倒な操作もいらない。手に取った瞬間から見ることができる。
新聞を読むためのアイテムもほとんど必要ない。敢えて必要なものと言えば、老眼になった場合の眼鏡か拡大鏡くらいなものやと思う。
もっとも、ネット至上主義の人たちからすれば、新聞の記事を見るためだけに、パソコンやスマホを持っているわけやないと反論するやろうが、少なくとも、その環境がない者には、それらのハードを揃える必要がある。
パソコンやスマホなどの弱点は、電気がなかったら役に立たんということと、そのハードの存在にある。
停電や故障という問題もあるが、有事の際に用を為さんということも考えられる。その典型的なケースが、地震や台風、洪水などの自然災害時やろうと思う。
その場を逃げるのがやっとという状態のときにパソコンなどのハードを持ち出すことは難しい。
スマホは、その点、小型やから持ち出しに苦労をすることは少ないが、それにしても電気がなかったら長時間は使えない。
また、災害の度合いによれば、つながりにくいということも起きる。
いずれにしても、ハードが壊れたり使えなくなったり、あるいは停電になったりするというのは災害にはつきもので、そうなれば使い物にならん。
しかし、そういう有事にこそ、人は情報を欲するわけや。その点でも、新聞は手にできさえすれば情報を得ることができる。
そして新聞業界は、その努力を惜しまない。
過去、このメルマガでも地震の被災者に新聞を届けているということを幾度となく紹介したが、新聞配達員は、どんな状況下であっても配達を中止するという発想がない。
困難な状況になればなるほど、使命感を持って命がけでも配達する。それが、人の介する情報の利点であり、美点やと考える。
新聞紙をただの紙として捉えても、これほど様々な用途に使える紙は、他には見当たらんと思う。その使い方次第では、新聞代金も安いと思えるのやないやろうか。
それについては『第31回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■古新聞の利用法?』(注1.巻末参考ページ参照)に詳しい情報があるので見て頂ければと思う。
もっとも、それらは、本来の新聞の目的とはかけ離れとるから、利点と呼べるのかどうかは微妙やがな。ただ、新聞は本来の利用目的以外でも、役に立つものやというのだけは間違いない。
若い人たちには理解しにくいことでも昔から新聞を購読している高齢者は、そのことをよく知っている。
つまり、その高齢者が新聞から離れる確率は限りなく少ないというのが、ワシの結論や。
ただ、その高齢者のお子さんたちの中には、新聞を否定している人たちが多く、親御さんである高齢者の契約を何とか止めさせようとしているという動きはあるがな。
そういう相談なら、サイトのQ&Aには数多く持ち込まれている。
そのお子さんたちの価値観を、親御さんに強要するべきやない、親御さんの意思を尊重すべきやと、その都度、回答で言うとるが、そのお子さんたちに、どれだけそれが届いているかは疑問や。
人は、自分の信じたことが正しいと思い込むものやさかいな。新聞の購読を止めさせることが親御さんのためになると信じて疑わないわけや。
そのお子さんたちの働きかけによって、高齢者の契約が減るということは考えられる。
もっとも、それも独り暮らしの高齢者が多いのが実情やから、どこまでその力がおよぶかは未知数やがな。
結論として、消費税増税分の値上げ程度では大きな部数の落ち込みは今のところないということになる。
もっとも、今後どうなるかは分からんがな。
ただ高齢者に依存するだけのビジネスモデルでは先がないのは明らかや。さりとて現状の「無読者」を取り込むのは不可能に近い。
世の中、高齢者から順番に亡くなられて行くのが常やさかい、このままでは新聞業界は衰退の一途を辿るしかない。
それならどうすればええのか。答は一つしかない。
現在の高齢者が新聞を止められん理由の多くに、子供の頃から慣れ親しんで読んでいたからやというのがある。
それならば、今の子供たちに、その習慣をつけさせれば、ええということに理屈ではなる。
そのプロジェクトは、学校教育の場で新聞が使われ始めているということで現実のものになりつつある。
ただ、今はその子供たちの親の世代が、新聞に対して否定的な見解を持っている人が多いさかい、その取り組みが、どこまで功を奏するかは何とも言えんがな。
いずれ、そのことについて話してみたいと思う。
参考ページ
注1.第31回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■古新聞の利用法?
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