メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第316回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2014. 6.27


■新聞の不思議 その2 日本の新聞宅配制度について


先日、ある読者から、


初めて相談させていただきます。

私は新聞の宅配制度というものに疑問を感じています。

私はA新聞のH新聞販売店と契約のことで揉めたので、H新聞販売店との契約を解除しました。

しかし、A新聞は昔から読んでいるので読み続けたいと思っています。そこで、同じ市内にある他のA新聞のT新聞販売店に購読を申し込んだところ、断られました。

私の家にはH新聞販売店からでしか新聞を配達できないということでした。

新聞以外では、こんなことはないと思います。なぜ日本の新聞だけがこんなことになるのでしょうか?

世界はどうなのでしょうか?

H新聞販売店以外からA新聞を購読する方法はないのでしょうか?

教えてください。お願いします。


というメールを頂いた。

ワシら業界人にとって新聞の宅配制度というのは当たり前のことやが、一般の人の目線に立って、改めて考え直してみると不思議な制度、システムやと思う。

世界でも類を見ないほどの高い日本の新聞購読率は、全国津々浦々に至るまで新聞販売店、および販売所があり、そこから毎日宅配されるシステムが構築されているためやと言うても過言やない。

しかも、どんな僻地や離島であっても新聞は、その日に届くし、料金もすべて同じや。実によくできた制度やと言える。

それなら外国に新聞の宅配はないのかというと、外国にもある。

最も有名なのが、アメリカや。これについては、サイトの『ゲンさんのお役立ち情報 その2 ロスでの新聞事情』(注1.巻末参考ページ参照)というで話している。

ここにはアメリカに住んでおられる、また住んでおられた人たちから寄せて頂いた情報を掲載している。

その中の記事に、


日本と違いアメリカで新聞配達といえば小学生や中学生の仕事です。

小さな自転車に30部程度の新聞を抱えて、家の庭先に投げ入れる姿は微笑ましくもありました。


というのが、アメリカの一般的な宅配のようや。

これについては、旧メルマガ『第96回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ボクは新聞配達員になるのが夢なんだ……ヘンリーくんの挑戦』(注2.巻末参考ページ参照)というのがあるので興味のある方は読んでみて欲しいと思う。

これは書籍の感想も兼ねているので、物語としても面白く読んで頂けるはずや。

その一部抜粋する。


アメリカには日本のような販売店組織というものはなく、宅配は新聞社に雇われた地域毎の地区監督員がアルバイトの少年を雇ってさせている。

たいていは地区監督員の車庫に新聞社のトラックで新聞が運ばれる。敢えて言えば、それが「販売店」ということになる。

早朝や夕方、そこに少年たちが集まって、肩から提(さ)げたズック袋にそれぞれ思い思いに投げやすく折ったり、丸めたりした新聞を30部〜50部程度入れて自転車で配達するわけや。

アメリカ映画で少年が新聞を投げ入れるシーンをよく見かけることがあるが、それが普通の光景で、日本のようにいかつい「おっさん」が配達することはまずない。


というものや。

ただ、これは1960年代の話で、先の『ゲンさんのお役立ち情報 その2 ロスでの新聞事情』の情報も10年以上も前のものやから、現在とはかなり様子が違うてきとるようやがな。

上記の中で『日本のようにいかつい「おっさん」が配達することはまずない』と言うてたが、アメリカでは所によればアルバイトで配達する子供が少なくなっているために、大人が車で配達しているケースが多いという。

それにはアメリカでは夕刊が殆どなくなっていて早朝だけの配達になっているということもあるらしい。

そのため早朝、車の窓から、ビニール袋に入った新聞を各家に向かって投げ込んでいるのやと。

アメリカに限らず、カナダ、イギリス、オーストラリア、ブラジル、香港、ベトナム、インドといった国に新聞の宅配サービスがあるのは知っている。

それらの国では、日本のようにポストの中に丁寧に入れるのやなく家の前や庭先に投げ込むことが多い。

中でもインドの新聞配達風景(注2.巻末参考ページ参照)は凄い。自転車で走行しながら、顧客の2階のベランダに寸分の狂いもなく新聞を投げ込んでいる様は芸術的ですらある。

ただ、それらの国での宅配は限られた地域、顧客のみに行われている場合が多く、日本のそれとは大きく違うがな。

今回の投稿者が『私の家にはH新聞販売店からでしか新聞を配達できないということでした』というのは外国にはない。

それには申し込んだ顧客に直接配達するというのが、外国では当たり前になっているからや。

宅配はしても日本のように新聞社毎に厳格な地域分けによる宅配制度があるわけではないさかいな。

アメリカの場合、配達料金が別途必要になるので配達所から遠ければ、それなりの価格になるということで客も納得しているため、それで成り立っている。

その点、日本の宅配制度による区分けは徹底している。日本の場合、市町村などの地図上の住所による区分けは、ないこともないが少ない。区域の広さもまちまちや。

たいていは、道路、河川、鉄道といったもので区切られているケースが多い。

極端なことを言えば、道路を挟んだ向かい側に同じA新聞の販売店があったとしても区域外ということで、そのA新聞の販売店から配達して貰えない場合もあるということや。

そのため、日本の宅配制度のもとでは、『同じ市内にある他のA新聞のT新聞販売店に購読を申し込んだところ、断られました』ということが起きる。

こういった質問をされる方には、「申し訳ないが、それが新聞宅配制度の決まり事なんや」と説明するしかなかった。

顧客にとって釈然としない気持ちになるのはよく分かるがな。

ただ、その宅配制度があるために、どんな僻地、離島であっても同じ新聞料金で、その日のうちに配達されるというのも一方ではある。

都心も僻地も同じ料金ということは、簡単な地域であっても、困難な地域であっても配達コストを新聞社全体のものとして考えているということやさかいな。

実際、一軒配達するのに1時間もバイクで走らなあかんような場所でも日本の新聞は、その日のうちに何とか届けようとするからな。

こんなことは世界では考えられんことやと思う。

ただ、その宅配制度が機能しているために高い購読率を誇っているという点に、最近になってアメリカの新聞社が注目し出した。

アメリカでの新聞減少率は日本の比ではないくらい落ち込んでいる。10年前と比較して半減以下になった新聞社も多く、廃業した新聞社も珍しくはない。

そんな中にあって、アメリカでも宅配が新聞部数を維持するのに大きな役割を担っているということに今更ではあるが、気がついたということやと思う。

現在のアメリカでの宅配率は、名の知れた大都市の都心部で日本の80〜85パーセント程度。その周辺部やと、50パーセント前後になるという。

宅配の重要性に気づいたアメリカは、日本の宅配制度に近いシステムを採用しようとしている。

中でも、日本の月極め定価というのが一番の秘訣になると考えているという。

以前まではアメリカやヨーロッパでの定価設定は、1週間単位、あるいは2週間単位というのが主流やった。

現在は、それが月極め定価に移行している新聞社が多くなっている。

アメリカの場合は自由価格やから、日本のような景品表示法での「6・8ルール」のような法律の縛りはなく、長期の月極め契約すれば、いくらでもディスカウントやサービスができるということで、少しずつではあるが新聞の購読率が上昇傾向に転じていると聞く。

このあたりも、ちょっと前までの日本のやり方に学んでいるということらしい。

ちなみに、アメリカでも新聞の拡張員がいて、こちらの方は日本とは違い、これから増えることが予想されているという。

洋の東西を問わず、新聞は売り込まな売れんということが、これでよく分かる。

ここで世界の新聞社が羨む日本の宅配制度が、いつできたのか。そのルーツを探ってみようと思う。

現在の新聞の起源は瓦版で、江戸時代以前から存在していたと言われている。字と絵で書かれた木製の版画やな。

現存する最古の瓦版は1614年〜1615年の大坂(おおざか)の役を記事にしたものや。

ちなみに、大坂(おおざか)の役というのは、大坂冬の陣、大坂夏の陣のことで、江戸幕府が豊臣宗家を滅ぼした戦いを指す。

歴史の上では、あまり表に出ていないが、当時の一般庶民の間でも関心が高く、その瓦版は飛ぶように売れたという。

この瓦版のおかげで一般庶民たちが、刻々と変わる戦況を知ることができたというさかいな。まさに新聞の役目そのものやったと思う。

そのことがあって江戸時代に入って瓦版が定着したと言われている。

現在のような紙媒体の新聞は明治時代になってから作られるようになった。

ちなみに「新聞」という言葉は明治時代に作られた造語だとされている。

紙に印刷された日刊紙としての新聞で最も古いのは、明治3年に横浜で発行された毎日新聞である。

これは現存の同名の新聞とは関係がない。単に横浜で毎日発行する新聞という意味で、そう名付けられたものやという。

当時、横浜は日本の文明開化の最先端やった。そのため欧米の影響を真っ先に受けたということもあり、新聞発行もその流れで持ち込まれたものやった。

ただ、これはすぐに廃刊になっているがな。その原因は定かやないが、他の商品(本や薬)と一緒に売られていたこともあり、積極的な売り込みをしていなかったからだと考えられる。

要するに目立たんかったわけやな。

瓦版などのように街頭で声を張り上げて売り捌いていたら、あるいは廃刊にならずに済んだかも知れんがな。

これは欧米を真似たためで、欧米と違い、新聞が自然に売れる土壌が日本にはなかったのやろうと思う。

いや、その後の動きを見ると、日本では新聞は売り込まな売れんというのは、この頃からすでに気づいていた可能性もある。

その後、明治10年前後に、まず東京日日新聞(現在の毎日新聞の前身)が発行され、読売新聞、朝日新聞などが、それに続いた。

発行部数が徐々に増える従い、新聞は各家庭に配られるようになった。当初の新聞配達は豆腐屋とか八百屋が、ご用聞きの一環として副業的に配っていたという。

そのうち、多くの新聞が発行されたことで新聞を複数取り扱う「売捌所」なるものができた。初期の新聞販売店やな。ただ、この頃は「合配店」が主流やった。

創成期の頃の新聞は新聞社の社員が、宅配希望者に直接配達していたということのようや。これが日本の戸別配達の起源とされている。

明治の中頃になって新聞社が直営する「専売店」が登場し、徐々に現在のように各家庭に配達するシステムに変わっていった。

その頃には「専売店」の従業員による戸別配達が一般化されていたという。

初期の瓦版が大坂(おおざか)の役で売れたように、新聞もまた、その創成期において人々の関心をひく事件が起きた。

明治10年の西南戦争というのが、それや。

当時、明治維新の立役者として人気の高かった西郷隆盛が明治政府の方針とぶつかり反乱を起こした。

政府軍7万人対西郷軍3万人が、数ヶ月に渡って戦い、それぞれ政府軍6400人、西郷軍6800人の戦死者を出すという激闘の末、政府軍が勝利した。

この時、新聞社の人間が命がけで取材したというのは想像に難くない。この頃の新聞記事を連続して読めば、その西南戦争の経緯がよく分かるさかいな。

この時、まだ鉄道も全国規模で整備されていなかったため、最も新聞を欲しがっていると思える九州の熊本、鹿児島に住む人たちに、大阪で印刷した新聞を船で運搬して届けたという。

当然のように、その頃の新聞は売れに売れた。各新聞とも新聞の月極め購読希望者が殺到して驚異的に部数を伸ばした。

このことが、新聞の認知度と必要性を飛躍的に増したのは間違いないものと思われる。

それとは別に新聞の必要性が高まったのは学校制度が整備されたことも大きな要因に挙げられている。

明治5年に、日本最初の近代的学校制度が定められた。

当時、江戸時代から続いている寺子屋というのが全国にあったこともあり、制度開始直後から、全国で53,760もの小学校を作ることができた。

今のように国民すべてとはいかんかったやろうが、相当数の子供が小学校に通っていたと思われる。

その当時、小学校に通い始めた人たちが大人になるにつれて、その識字能力の高さから情報としての新聞を欲するようになった。

それが、新聞の隆盛と時を同じくしていったということやな。

明治23年に国会の開設があり、新聞にその記事が掲載されるようになると、購読希望者が殺到したという。

新聞を読めば、一般市民にも政治のことが分かるさかいな。

その後、明治27年に日清戦争、明治37年の日露戦争と大きな戦いが続いたことで、さらに新聞の重要性が高まっていった。

そのため、現在の約2倍に当たる200を超える日刊の新聞社ができたと言われている。

それにより、新聞は全国津々浦々に至るまで配達されるようになったと。

しかし、第2次世界大戦中の昭和17年、政府や軍部による新聞の統制令が敷かれたことで一変する。

一県一紙制にするというのが、それや。新聞はそれまで地方の県で2紙以上あるところが多かった。それを一紙に統合するというものや。

発行本社が1社になるから、販売店も当然のことながら、一つの新聞社系統になった。これが現在の宅配制度を強固なものにしたと考えられる。

全国紙やブロック紙は、特別に並存が認められた。その経緯について調べても該当する新聞社では、その資料すら公開していないから詳細は分からんが、政治的な配慮、裏取引があったはずやと思う。

いつの時代も新聞社と政治は結びつくものらしい。

その後、新聞は暗黒の時代を迎え、軍部による大本営発表をそのまま記事にすることを強要され終戦まで、ほぼ嘘にまみれた記事を垂れ流すことになる。

そして、終戦後、その統制は解かれ、別の意味で一変する。

戦後、日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の管理下に置かれ、アメリカの意向が強く影響するようになる。

アメリカは競争経済、自由経済の社会ということもあり、それを日本にも求めた。当然のように一県一紙制は廃止された。

そのため雨後の筍の如く、多くの新聞社がまたできた。

それらが自由競争という名のもと、セーブの利かない価格競争になってしまい、新聞の存続自体が危うくなった。

それと平行して、日本経済は凄まじい乱高下に見舞われていた。

これではまずいということになり、昭和22年、新聞も含めてやが、すべての商品についてアメリカの主導で独占禁止法が作られた。

それにより、新聞の価格差は少なくなったが、それでも競争はなくならず、より激しくなっていった。

その競争が嵩じて、新聞拡張団が生まれたわけや。

もっとも、それが日本の新聞の部数を飛躍的に伸ばす結果になったわけやけどな。

終戦後の昭和20年には、新聞の総部数発行は1400万部ほどやったのが、昭和27年には2200万部にまで増えた。

その後、昭和40年頃には3000万部、昭和50年過ぎ、4000万部、昭和60年前後、5000万部と順調な伸びを見せることになる。

それに拡張員が大きく関わっていたのは間違いのない事実や。拡張員なしでは、現在の新聞の部数はあり得なかったはずや。その善し悪しは別にしてな。

いずれにしても昭和20年代後半には、現在の宅配制度、勧誘制度の基盤が出来上がっていたということになる。

現在では様々な法律の縛りや決まり事が増えているが、根本的な仕組みは、その当時と大差ない。

『新聞以外では、こんなことはないと思います』ということやが、実はつい最近まで、牛乳の販売にも宅配制度があり、新聞と似たような状況があった。

牛乳の場合は、新聞と違い、スーパーやコンビニでの売れ行きの方が多くなったため、宅配する業者が激減して目立たなくなっただけでな。

『なぜ日本の新聞だけがこんなことになるのでしょうか?』ということやが、確かに新聞は再販制度で守られ特別扱いされている。

ここで、新聞の再販制度について簡単に説明しとく。

再販制度に指定された商品は法律で、製造元が小売店に対して価格を設定できる。

新聞の場合なら、A新聞社がA新聞の販売店に対して、朝刊と夕刊の新聞を毎日届けて新聞社の決めた定価で顧客に販売させることができるということや。

そして、新聞社が決めた原価をA新聞の販売店はA新聞社本社に納めるというのが今の新聞の取引形態なわけや。

値段について、すべての決定権が販売元の新聞社にあるということになる。

一般の商品の場合、「メーカー希望小売り価格」と表示されることはあるが、商店は、その価格で売らなくとも特段、法律によるお咎めは受けないことになっている。

むしろ、価格を設定した製造元、卸元の方が法律で罰せられる。そのため「メーカー希望小売り価格」としか表示できんわけや。

しかし、新聞には、それが適用されない。反対に、小売り業者に該当する新聞販売店が勝手に値段をつけて売ることが禁じられているわけや。

それを法定定価と言う。

近年では、新聞社は新聞に消費税増税時の軽減税率を適用しろと声高に叫んでいる。まるで、法律で保護することが当然と言わんばかりに。

このあたりも再販制度で守られているために、法律で特別扱いするのが当然だと考えているのやないかという気がする。一種の奢りやな。

客観的に見て、新聞社の姿勢がおかしいと思うというのは、そういうことや。

新聞は公共性が高いからというのが、その理由のようやが、言うて悪いが、所詮は利益を追求する一企業にすぎんわけや。

新聞に載せる記事も新聞社の裁量次第で自由に決められるし、その内容も新聞社の人間だけの判断で書かれている。

そこに読者の感想なり、意見なりが反映されることはまずない。

読者の視点については多少考慮しているのかも知れんが、それでも編集者の意向の方が優先される。

新聞各紙に読者の投稿欄というのがあるが、それにしても新聞社に批判的なコメントを掲載することは殆どないしな。たいていは編集でボツにされる。

実際に、新聞社投稿欄に批判的なコメントを何度も書いたが、まったく掲載されなかったと嘆いていた読者の方もおられるしな。

新聞社は社会のためになる記事を掲載しているという自負があるのやろうが、ためになるかならんかを決めるのは新聞社やない。読者や。そこを間違えたらあかん。

それにもかかわらず、新聞社自ら「新聞は公共性が高い」と広言するのは違うのやないかとワシは思う。

公共性の意味を履き違えとるとしか言いようがない。新聞社はどう見ても利益を追い求めている企業としか考えられんさかいな。

新聞の儲けの大半を社会に還元しとるのなら、まだしも数百億円もする自社ビルを平気で建てておいて、法律で保護しろ、税金を安くしろと声高に叫ぶのは、どう考えてもおかしいわな。

多少の福祉活動はしているようやが、それで社会に還元しているとは、とても思えるレベルのものやない。

それが一般人の感覚なんやが、なぜか新聞社の上層部は、そのことに気づこうとすらしない。

『H新聞販売店以外からA新聞を購読する方法はないでしょうか?』というのは現在の宅配制度がある以上、気の毒やが、この投稿者の家にH新聞販売店以外からA新聞が配達されることはないとしか言いようがない。

もっとも、あまり勧めたくはないが、裏技的な方法なら、ないこともないがな。

例えば、T新聞販売店からA新聞を購読したい場合、そのT新聞販売店の営業エリア内に住んでおられる身内の方や友人、知人に「新聞代金を支払うので購読をして欲しい」と頼む手もある。

ただ、そうした場合、毎朝、その家まで新聞を取りに行かなあかんし、その身内の方や友人、知人との間でトラブルが生じると面倒なことになりかねんということがある。

あるいは、『新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第1話 幽霊カード』(注4.巻末参考ページ参照)で紹介した、賃貸マンションの持ち主に頼んで使われていない郵便受けを借りるという方法もある。

賃貸マンションの中には、実際にはない部屋番の郵便受けが1階に設置されているケースがある。

賃貸マンションの建設に反対運動が起きるのはよくあることで、一番揉めるのが日照権の問題で日当たりが悪くなるというやつや。

その場合、建築基準法の斜線規制というもので、斜めに切り取られたような形にする場合がある。

単なるデザインでそうしていると思っている人もおられるようやけど、殆どがこのケースや。

つまり、日照権の問題により設計の変更を余儀なくされる場合が往々にしてあるということや。

最初の設計段階で斜めに切り取られた部分にあった部屋は、実際の建物には存在しないということになる。

ただ、郵便受けは設計時のまま部屋番順に作られることが多い。

なぜなら、存在しない部屋の部分だけをカットすると別注加工料が必要になるため余分に金がかかるので、そのままにしておく場合があるからや。

郵便受けが部屋数分なというのなら、問題やろうが多い分には誰からもクレームがつかんさかいな。

それもあり、実際にはない部屋番の郵便受けが1階のホールに設置されているケースがあるというわけや。

その話では、その郵便受けを家主に断って使わせて貰うという形になっているが、これは新聞代さえきちんと払らっていれば詐欺にはならないが、騙しには違いない。

これについても、毎朝、そこまで新聞を取りに行く煩わしさもあるし、その家主にもタダといわけにはいかんやろうから、余分な金がかかるかも知れん。

もちろん、そのことが発覚すればトラブルになることも考えられる。それもあり、あまり勧められんと言うてるわけや。

それに現在は、架空住所をそれで偽造している詐欺集団もいるさかい、下手をすると、それだけで警察に睨まれることになるかも知れんしな。

最も無難なのは、コンビニか駅売り、またはそのT新聞販売店の店頭、もしくは新聞の自販機で買うことやな。

後、考えられるのは、揉めた当事者である経営者、または担当者が辞めた場合に、そのH新聞販売店で再度購読契約をし直すことくらいかな。

いずれにしても、現時点でのT新聞販売店からの宅配は無理やと言うしかない。

今後、再販制度で新聞が守られるという状況が続く限りは、この宅配制度が変わることはないやろうと思う。

世界、および日本でも一般の人が、いくら不思議に思える制度であっても、法律でそう決められている以上は如何ともし難いということやな。



参考ページ

注1.ゲンさんのお役立ち情報 その2 ロスでの新聞事情

注2.第96回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ボクは新聞配達員になるのが夢なんだ……ヘンリーくんの挑戦

注3.インドの新聞配達風景

注4.新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第1話 幽霊カード


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