メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第32回 ゲンさんの新聞業界裏話
     

発行日 2009. 1.16


■映画「クライマーズ・ハイ」に見る新聞報道の現場 後編


局長室の中では、まだ主立った面々が、明日の一面の記事をどうするかで揉めている真っ最中やった。

そこに勢いよく入って来た悠木が、テーブルの上に一枚の写真を置き、力強く「日航トップでいきましょう」と進言する。

それは、日航犠牲者の遺体安置所に飾られた、中曽根、福田両者の名前入りの大きな花輪が映っている写真やった。

中曽根、福田の両氏とも総理大臣経験者で、群馬県が生んだ超大物政治家やった。

ちなみに、中曽根氏の方は、このとき現役の総理大臣でもあった。

群馬県の地方紙、北関東新聞としては、当然のようにその取り扱いに苦慮してたわけや。あちらを立てれば、こちらが立たずになるさかいな。

「これなら、中福、両方の顔も立って、日航を一面から外さないで済み、地元紙の面目も保てます」と、悠木。

たった一枚の写真で、すべてを解決させた。

これは、誰もが認める大ファインプレーとなった。

玉置から事故調査委員会の確認が取れそうやという連絡が入る。

悠木は、それに備えて、密かに信用のおける部員に、その準備をさせた。

そんな折り、目に隈(くま)を作り憔悴(しょうすい)しきった神沢が自身の書いた現場雑観を悠木に見せ、これを載せてほしいと渡す。

それを見た悠木は、新聞社の裏手に神沢を連れていく。

「これは何だ。死体の内臓がどんなだったとか、読まされる人間の気持ちになってみろ!!」と、悠木が怒鳴りつける。

「それはちゃんと考えました。でも遺族は読まんでしょ。みんな他県なんだから。それに、本当のことを書いて何が悪いって言うんですか」と、開き直る神沢。

悠木は、尚も悪態をつく神沢の口を押さえ「いいか、良く聞け。お前を調子づかせるために520人が死んだんじゃないんだ」と言う。

新聞は、事実を書くことが使命やとワシも思う。その意味では、神沢の言うてることにも一理ある。

事故直後の壮絶な現場を見れば、それが脳裏にこびりついて離れず、それを書いたというのも分かる。

実はハカセも同じような経験をしていた。

『第18回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■長かろうと短かろうと、それが人生』(注1.巻末参考ページ参照)の中で、阪神大震災で行方不明になっていたお父さんを捜しに、神戸市の長田区に行った際、幾つかの死体安置所を廻ったこ
とがあった。

その死体の悲惨さは、言語を絶するものやったという。

ちなみに、そのときハカセは、


全部死体やという。

まだ、身元が判明しない死体が置かれていた。

その中から、捜せと言う。

さすがにハカセは躊躇したが、安否を確かめにきて、それはできませんとも言えなんだ。

合掌して、最初の死体と対面する。

半分焼けこげた中年の男性の死体やった。

ここでの詳しい描写は避けるが、その目は未練たっぷりに虚空に向けられていた。

地獄絵図という形容があるが、このとき、まさしくそれやとハカセは思うた。


と、表現するに止めた。

それが、このメルマガでの限界やと後に語っていた。

「書く方が陥りやすい間違いに、自分の目で見た事すべてを表現しようとするというのがあると思うんです」

それだけではあかんとハカセは言う。

「当たり前ですが、書いたものはそれを読まされることになる読者が必ずいます。その読者が、どのように感じ、どのように思うのか、書く側はそこまで考える必要があります」

つまり、読者に嫌悪感を抱かせるような文章は書くべきやないということや。

そういう記述を期待して読む小説や物語のようなもの以外はな。

それと同じで新聞にこそ、書けん事、書いたらあかん事があると知らなあかん。

そう自戒して書くべきやと。

多くの新聞記事はそれを厳格に守って書かれとる。好き放題に書いてるわけやない。

もっとも、その線引きをどこで誰がするのかという問題はあるやろうがな。

ただ、それでも新聞紙上で遺体の生々しい描写なんかはすべきやないと思う。

そこまでせずとも、あの佐山の現場雑観のように、その悲惨さは美しい表現を使ってでも書き表すことができる。

その本当の悲惨な状況は書き手自身が知っていればええことや。

直接的な表現をせんでも、それと知って書けば自然とその悲惨さと思いは伝わる。

また、それができな一流の新聞記者とは言えんのやないやろうか。

少なくとも、自己主張を交えた現場雑観を書くのであれば、そうあるべきやと思う。

その直後、その凄絶な死体を数多く見たことにより精神を病んだ神沢が発狂して車道に飛び出し、車に撥ねられて死亡する。

8月16日。午後4時3分。

神沢の葬式が行われていた。

その霊前にトランプのスペードのエースが置かれてあった。

神沢が事故現場近くの御巣鷹山で発見した、乗客の持ち物やった可能性のある例のものやった。

それに、悠木は少なからず衝撃を受けた。

その葬式の帰り、悠木は佐山に言う。

「生まれて初めて観た映画は新聞記者の話だった。その映画に、チェック・ダブルチェックという台詞があってね。それがとても印象的で格好良かった。その台詞が言いたくて、俺は新聞記者になったようなもんさ」

「それが、スペードのエースと何か関係があるんですか」と、佐山。

「映画の題名だよ。エース・イン・ザ・ホールと言うんだ。最後の切り札という意味さ」

チェック・ダブルチェックとは、念には念を押して調べろということや。

不確かなことは記事にはしない。

それが、悠木の信条になっていた。

編集会議の席上、悠木は待機場所にいる遺族のために無料で新聞を配達することを提案する。

会議では賛成多数で決まるが、販売局に許可と協力を取りつける必要があるため、悠木自ら、販売局長の伊東康雄(皆川猿時)の所に行く。

「明日の朝刊から、藤岡市内に500部落とします」と悠木。

「あ? 聞いてないよ」と伊東。

「遺族の待機場所に無料配布するというのが編集局の意向です」

「困るなあ、販売店の配達員はぎりぎりの数でやってんだから、そんなもの配
る余裕ないよ」

「うちの発送部のトラックが落として行きますから」

「それじゃ、販売店に着くのが遅れらぁ」

「5分、10分の事じゃないですか」

「その5分、10分が大問題なんだよ。毎日、午前1時や2時に起きて、社員総出で指にゴムサックはめてさ、一部一部に折り込み入れて、配達の方面毎に仕分けして日々、戦争だよ。10分遅れたら怒りの電話が殺到だ。編集に締め
切りがあるように、こっちだってデッドラインがあるんだ」と伊東が矢継ぎ早に喚く。

「じゃ、500部は受けないってことですね」

「そんなこと言ってねぇよ。編集が早め早めに版を卸してやってくれればいいんだよ」

「それじゃ、やってくれるんですね」

それでも煮え切らず、尚も愚痴(ぐち)る伊東に、悠木は安西の手帳を手に入れたことを明かす。

「安西が書いてるよ。接待には湯水の如く金使って、年間、いくらの無駄金ばらまいてんだ」と、悠木。   

さらに、「だから、黒田美波にも金で何とかなると社長に持ちかけたんだろ。販売局のブラックホールが!!」と、語気を強める。

「そう力むなよ」と、弱みを握られたと感じた伊東は、ニヤついて虚勢を張ってごまかそうとする。

その伊東を尻目に「今夜の降版もかなり遅くなりますので、そのつもりで」と言い残し部屋を出て行く。

安西は伊東につぶされた。

安西は、元は販売店の従業員やった。そのバイタリティを見込んだ伊東が北関の社員として引き抜いた。

安西はそのことを恩義に感じていて伊東の命令なら何でも従った。伊東はその安西を利用した。

いや、もともと、汚れ仕事をさせるために引き抜いた。

悠木は、そう見ていた。

結果、安西はいつ目覚めるとも知れない植物状態になった。

この映画では、この販売局の伊東は悪役的存在として描かれているが、言うてることは、結構、的を射たものが多いと思う。

販売局の人間が、いくら局長という立場とは言え、新聞社の中では絶対の権力を誇る編集の意向に楯突くというのは、普通はなかなかできることやない。

それだけ、自分の仕事に誇りを持ち、販売店を思いやっているからこその言い分やと思えんでもない。

その行為には男気すら感じるものがある。

ただ、その演技があまりにも上手いため、いかにも胡散臭い雰囲気を醸し出しすぎて、その正当な主張がどこか嘘くさく感じられてしまってるがな。

ただ、ワシのつたない経験から、そこまでして販売店の肩を持ち編集局と喧嘩までする販売局の人間が本当にいとるのかなというのが正直な気持ちやった。

ワシの知る限りの新聞社の販売局の担当員は、上に弱く、下に強いというタイプばかりやったさかいな。

ワシの単なる偏見か、もしくは、たまたま出会ったその手の者たちがそうやったというだけなのかも知れんがな。

その頃、上野村に乗り込んだ佐山と玉置たちは、必死になって事故原因とされる隔壁破壊についての裏取り調査をしていた。

スクープを抜く。

これは、すべての新聞記者の望みであり、目標でもある。

そのためには何でもする。そういう風潮が新聞社にはあるという。

このメルマガやサイトに時折、協力して頂いている元全国紙の新聞記者BEGIN さんから、以前、スクープについての考え方を教えて頂いたことがある。(注2.巻末参考ページ参照)

その部分を抜粋する。 


「特ダネで新聞が売れているわけではない」という点について、記者の側の思いをゲンさんに是非知っていただきたいと思い、再度筆をとりました。

新聞が購読される理由は、ゲンさんのおっしゃる通り、読者の惰性と勧誘員の営業手腕の賜物です。

編集部門は特ダネ至上主義ではありますが、大多数がそれをよく理解しています。

では特ダネは何なのかといえば、「売る」ためにあるのではなく、ジャーナリストの本質に応え、その能力を磨くために求められているという感覚です。

販売に関してはというと、「あまり関心がない」という他ありません。

会社の根幹の部門が、収入面を第一に考えるというのは一般常識であって、「特ダネが売上に直結してると勘違いしてるのではないか」と考えられるのはもっともなわけですが、新聞編集は全く別の次元で動いているといえます。

日々行われる記事作成の主眼は、「紙面を埋めること」「間違えないこと」「他社とのネタ勝負に負けないこと」であって、「売上げを伸ばす=読まれる紙面を作る」という観点が飛んでいるのは否めません。

「特ダネを書かなきゃ紙が売れない」とか、「読者視点の記事の充実」なんて公には言ってますが、現場記者からすれば言い訳みたいなもんで、全く実情が伴っていません。

再販制度と販売の丸投げで上手く回っている以上、それでやっていけたわけです。

ただ、現場の記者(特に若手)はこれに疑問を感じることも少なくありません。

「どうせ仕事をするなら、多くの人に読んでもらいたい」という素朴な思いと、「このままでは紙媒体は廃れる」という危惧感が根底にあるのだと思います。

記者仲間で酒を飲むと時々でてくる言葉があります。それは、「特ダネはオナニーみたいなもんだ」というものです。

汗水たらして特ダネを書き上げたとしても、それを読む読者はわずか。

ましてや、それで新聞が売れるわけでもない。残るのは他社に勝ったという自己満足の世界。

気持ちいいのは一瞬だけで、次の日からは何事もなかったかのように業務が始まる。

品のよい言葉ではありませんが、一言で言い表そうとしたら、これに尽きるのです。

逆に言えば、大都市の事件担当などは、日々の業務が相当過酷なので、システムの上で働く以上、そんな疑問を感じていたのでは仕事は続きません。

馬鹿にならなければやっていけないのです。

特ダネを打てば会社から評価されますので、それをモチベーションにやっている人も多いかもしれませんが…。

特ダネを追いかけるという作業は非常に重要で、記者の根幹ではあるのですが、それは主に新聞の「公益性」を果たすためのものです。


それが、特ダネ、スクープの本質ということのようや。

悠木は、昨日、声をかけていた部員に社内電話で「昨日の話、今夜、決行する。間に合うか」と確認する。

「楽勝です」と、答が返ってくる。

現場の玉置から締め切り時間を聞いてきた。

「午前1時。そっちの状況次第で、午前1時半まで待つ」と伝える。

悠木は、社会部部長の等々力の力を借りるため、こっそりとその打診のため小声で話しかける。

この映画の前半ではぶつかり合う場面が多いから反目した関係と誤解されやすいが、この二人は若い記者時代の頃、名コンビとして他紙から一目置かれる存在でもあった。

実際、この映画の中でも、大手全国紙から引き抜きの話まであったというエピソードが紹介されている。

立場の違いでぶつかり合ってはいるが、お互いプロとしての自覚も強い。

どんなに立場が違おうと反目していようと、協力し合う所は協力する。それが本物のプロやと思う。

隣の最も妨害される可能性のある次長の追村には、他の部員が競輪の話題を聞きにいきその気を逸(そ)らす役目を担う。

追村は無類の競輪好きで話し出すと止まらないというのは、社の人間なら誰もが知っていた。

「中野浩一は、ああ見えてもまだ、29だ」

「へえー。そうなんですか」と、その部員も心得たもので感心して相づちを打つ。

当然のように、追村は、横の席で話し合っている悠木たちの動向に気づいてない。

「部長、今夜、抜きネタを打ちます」と、悠木。

「モノは?」と等々力。

「事故原因」

「堅いのか」

「ほぼ。これから裏を取ります」

「段取りを言ってみろ」

「締め切りは1時。それでも間に合わなければ1時半まで待ちます。現場には、そう伝えています」

「二版制を組むってことだな」

二版制というのは、二種類の新聞紙面を作るということや。

同じ新聞社の新聞であっても、その日の朝刊の記事が地域により違うということは実際にもざらにある。

特に、大事件、大事故が勃発したときは、刻一刻と新たな情報が入るから、その度毎に新しいニュースを差し替え、あるいは挿入して印刷し直すわけや。

まあ、それもたいていは一面のみの場合が多いから、できることではあるがな。

「第一版は予定稿の版を降ろします。裏が取れた段階で差し替えます。スクープの載った記事が配られるのは、県内の3割程度です」

その差し替え用の紙面も確認部分を除いて出来上がっている。それが、昨日からの悠木の隠密行動による仕込みやった。

「それだと刷り上がりが2時か。販売と全面戦争になるぞ」

「望むところです」

「分かった。1時半がデッドだ。だが、配送のトラックはどうする。引き止めておく必要があるぞ」

「昔の手を使います」

昔の手。それは、販売部に忍び込みトラックの鍵を盗って隠し、一時的に配達不能にして遅らせることやった。

悠木はそれをある部員に命じ実行させた。気の利くその部員は、そのスペアキーまで盗み出してきた。

8月17日。

午前0時15分。

販売局の伊東とその部下たちが編集局に怒鳴り込んで来た。

「トラックの鍵はどこだ」と喚く伊東。

双方が入り乱れて暴れ出し、収拾がつかん騒然とした状態になる。

結局、編集局側が多勢だったということもあり、伊東たち販売局の人間を部屋の外、階段まで押し出す。

悠木たちは局長室に立て籠もった。

そこに佐山から最終報告が入る。

「藤波(主席事故調査官)に当たりました」

「結果は?」

「サツ感ならイエスです」

県警キャップの佐山は常に警察に張り付いている。

警察は、公式の記者会見、および記者クラブでの発表以外の具体的な事実を明かすことはまずない。

またそうするようにとの組織からの縛りが警察官にはある。

ただ、確定的な話やなくても、そうと臭わせる事を話す警察官がいとる。

新聞記者は、そういう人間に張り付く。

その感触で情報の正誤を見分け記事にする場合がある。スクープにそういうのが結構多い。

佐山は、それを聞き出す術に長けていた。

その佐山が、イエスという感触があったと言うてるわけや。

「認めたわけじゃないんだな」

「藤波とは初対面です。感触はイエスですが、事故調という特殊な役職もあります。どんなときにどんな反応を見せるのか不安が残ります」

「100パーセントのイエスじゃないんだな」と、悠木は念を押すように聞く。

「100パーではないです」と言って、すぐ佐山は「いえ、100パーなんです」と言い換え、さらに続けた。

「何かおかしくないですかね、これ。何て言うか、少しできすぎてませんか、この話」

一拍おいて、「分かった」と言って、悠木はその電話を切った。

「悠木、やるんだな」

「北関始まって以来の大スクープだろ」

「悠さん、やろう」

その場にいた連中は、皆、世紀の大スクープを目前にして興奮気味になっていた。

ただ、一人、悠木だけを除いて。

「チェック……、ダブル・チェック……」

悠木は、その言葉を噛みしめるようにポツリと洩らした。

そして、長い沈黙の後、「俺には打てねぇ」と言って、そのスクープ記事を放棄してしまった。

皮肉にも、その日の毎日新聞の朝刊には「事故原因は圧力隔壁」の見出しが一面に踊っていた。

その朝刊を悠木の家まで持って来たのは、玉置だった。

「済まない。俺が全権でなかったら、お前や佐山はスター記者になっていたのにな」と、力なく悠木が言う。

「いえ、悠木さんの判断は間違ってなかったと思います。それを誰よりも先に言いたくて、抜きたくて来ました」

本当は玉置自身、女性記者ということで日頃から社内で差別されているのではないかと感じていたから、その鼻を明かす意味もあり、このスクープは是が非でもほしかった。

しかし、一方で悠木の姿勢にも共鳴できるものがある。

そういった複雑な玉置の心情を察していたからこその「済まない」やった。

「俺は怖かっただけかも知れないよ」

悠木は、本音とも弱音とも知れない言葉を洩らした。

新聞記者であり、その総責任者の全権デスクという立場でもある以上、スクープ記事をモノにしたいという思いは強い。

しかし、完全に裏の取れていない情報、チェック、ダブルチェックのできてない見込み情報は、例えそれが感触的には100パーセントやったとしても、記事にするわけにはいかんという信念が悠木にはあった。

ただ、それが、正解なのかどうかの判断には自信が持てない。

誤報を掲載するリスクを恐れているだけなのかも知れないと思う。

おそらく、これから先もずっと、その葛藤が続くのやないかと考えた。

自身で、それが勇気なのか、怖さなのかも分からないままに。

社の編集局に戻った悠木に、デスクの田沢が「事故調が隔壁を公開した。運輸省(現、国土交通省)が毎日の記事を肯定したってことだ」と言ってその情報記事を手渡す。

ちなみに、事故調査自体は、「同機が尻もち着陸事故を起こした後の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が原因」とする航空事故調査報告書が1987年6月19日に公表され終了している。

一部には再調査を求める声も未だに根強いが、この航空事故調査報告書を否定するような新たな証拠が発見されていないとして、現在まで再調査は行われていない。

しかし、「航空事故調査委員会による結論」では、圧力隔壁破壊が発生した場合に起きる急減圧、室温低下などの現象が、当時の乗員、乗客の行動や生存者の証言などから窺えないという矛盾点が指摘されている。

高度7000メートルを超す上空で圧力隔壁が破壊された場合、機内の気圧は急激に低下する。

それによる減圧症で、乗員、乗客が意識をなくしてしまう可能性が高い。

それにも関わらず、遺書を残したり、機内を撮影したりしていた乗客がいたという事実を考えると急減圧が起きていなかったと推測した方が自然やないかという。

これが正しければ、圧力隔壁の破壊が直接の事故原因ではないという事を意味するわけや。

この公式発表の裏には政治的な判断、国際的な思惑があったのではないかと疑問視する向きも多い。

また、当時の群馬県警による刑事責任の追及から、逃れるためにでっち上げた事故原因との見方もあったとされている。

この映画の中で、いみじくも、佐山が「少しできすぎてませんか、この話」と言った言葉の裏には、それらの事が暗示されてたのやなかったかと思う。

もっとも、一応の区切りがつけられたことで、事故から20数年も経った今となっては、すべてが藪の中やけどな。

この映画では、そこまでは踏み込んでないが、ワシの私見としては、その可能性を訴える意味も込めて、敢えて、スクープ掲載に失敗したという設定にしたのやないかという気がせんでもない。

考えすぎかも知れんがな。

もっと、単純に、あくまでも、チェック、ダブル・チェックを重視した結果ということが言いたかっただけとも考えられるしな。

それが、新聞記者としてのあるべき姿、信念の表れとして。

編集局内には、明らかに落胆した空気が流れていた。

編集局長の粕谷隆明(中村育二)の「しかし、夕べのあれは惜しかったよねぇ。スパッと打っておきゃ、今頃、万々歳だ」という言葉が、そのすべてを物語っていた。

次長の追村から「おまえは根っからの臆病者じゃなかったか。大きな判断を任されるといつも逃げちまう。兵隊だった頃から何か書けって命じられる度、やれ、裏が取れてない、もう一日調べたい、お前それで何本、抜きネタ駄目にしたよ」と、詰られる。

「次長はどうです。裏も取らずに書いて何本誤報を飛ばした」と、やり返す。

当然のように険悪な雰囲気になった。

その場はすぐ収まったが、悠木の立場が風前の灯になったのは、誰の目からも明らかだった。

それでも、悠木は、とことん日航ネタで一面を押し通すことに決めていた。

特に被害者が墜落寸前の機内で書いた手紙の存在があると知るや、それを一面トップに掲載すると進言する。

次長の追村は「そんなこと社長が認めるはずない」と言って反対するが、局長の粕谷は「好きなようにやれ」と認める。

粕谷は悠木が局長室から出て行った後、「あいつは社長と対決する腹なんだよ」とポツリと洩らす。

翌日、8月18日。

社長の白河が直々に、編集局に現れる。

「こういうのなんて言うか知ってるか。恥の上塗りだ」と言って、この日の北関東新聞の朝刊を床に投げた。

それには一面に『「隔壁破裂原因説」有力か?』の見出しがあった。

「北関東と40年。こんな惨めったらしい北関は前代未聞だ。誰がやった」

「自分です。日航デスクの自分が決めたことです」と、悠木が進み出る。

「坊や、これは当てつけか」と、白河。

「自分は新聞を作りました」と、毅然とした態度で悠木が言う。

「新聞? これは塗り絵だ。塗り絵。なぞっているだけ」

白河が来たのは、せっかく大スクープを目前にしながら土壇場で止めてしまい、そのため全国紙に先を越されたにも関わらず、後追い記事を掲載したことへの悔しさからやった。

「それが分かりゃいい。山奥の通信部で飼ってやる。頭冷やして来い」

「いえ、覚悟は決まってます。今日は、そのつもりで出社しました」

悠木はそう言いながら、用意していた辞表を白河のいるテーブルの上に置いて、編集局から出て行こうとする。

それを見て慌てた白河は、「むろん、お前の心がけ次第で、すぐにでも本社に戻す。だから、辞めろなんて言ってないだろ」と、必死で取り繕うとする。

「こんな辞表は受け取らんからな」と、尚も喚くが、悠木は何も聞こえない素振りで自分の荷物を持って編集局から出て行く。

白河が、その悠木の後ろ姿に向かって、まるで飼い犬を呼び戻すかのように口笛を吹くシーンは、醜悪なほどの嫌悪感と共に白河自身の孤独な哀しさも滲(にじ)ませてさせていた。

トップ、それもワンマン経営者の多くが陥りやすい間違いに、自分の思いどおりにすべての事が運ばれるはずや、またそうなるもんやというのがある。

この場合、白河としては、悠木の「すみませんでした。以後、気をつけます」の返事と忠誠心が得られれば、それで良かった。

また、そうなると考え信じてもいた。

余談やが、現在のように不景気で雇用が減少し、労働者側の立場が弱くなると、こういう傲慢な経営者が増えて幅を利かすことになるのやないかという気がする。

もっとも、そんな経営者に先はないがな。

ちなみに、この映画では触れられてないが、原作では、この白河社長は、ほどなく失脚している。

後任の社長には、編集局長の粕谷が就いている。

洋の古今東西を問わず、傲慢なワンマンリーダーが長い年月に渡り君臨した試しは歴史上、ほとんど存在せんと言うてもええと思う。

傲慢さは、いつか必ず身を滅ぼすことになる。

それが世の常やが、残念ながら、それの分からん経営者があまりにも多い。哀しいことやがな。

白河の制止を聞かず、屋上の駐車場へと急ぐ悠木の後を、佐山が追いかけてくる。

「遺体から発見された遺書のコピーです」と言って、それを渡そうとする。

「手に入ったのか」と、一瞬、嬉しそうな表情を見せるが、すぐさま「俺にはもう関係ないか」と言って受け取らず後ろを向く。

「そうでしょうか」と、佐山。

「局長に渡せ」と、悠木。

「読みます」と言って、佐山がその原稿を読み始めた。


パパは本当に残念だ。きっと助かるまい。

原因は分からない。今、5分経った。

もう、飛行機には乗りたくない。どうか神様、助けてください。

煙がでて降下し出した。どこへどうなるか。

つよし、しっかり頼んだぞ。

ママ、こんなことになるとは残念だ。さようなら、子供たちのことをよろしく頼む。

今、6時半だ。飛行機は回りながら急速に降下中だ。

本当に今までは幸せな人生だったと感謝している。


事故機内は異常発生直後から墜落まで、搭乗員の献身的な活躍もあり、さほど混乱に陥ることはなく、多くの人たちが落ち着いて行動していたという生存者の証言がある。

乗客の中には最期を覚悟し、不安定な機体の中で懸命に家族への遺書を書き残した者が複数いた。

この遺書のコピーが、それや。

一般的に墜落事故では、異常の発生から数分の余裕も無く墜落に至る事が多い。

しかし、この事故では18時24分の異常発生時から30分以上にも渡って飛行を続ける事ができたため、遺書を書く時間があった希なケースということになる。

ただ、それにしても、そう覚悟を決めて、その遺書を書き残す被害者の心情には計り知れない無念さと哀しさがあったと思う。

悠木は、最後の『本当に今までは幸せな人生だったと感謝している』という箇所を、独り言のように復唱した。

果たして、自分がその場にいたとして、同じような文言が書けたか。

いや、おそらく無理だ。悠木には書けない。

悠木は、仕事第一の生活を長年送ってきたために、家族との絆が希薄やったと自覚していた。

とてもやないが、この被害者のような心境にはなれんやろうと考えていた。

それもあり、この遺書に敬意を表すると共に後悔の念にも囚われていた。

読み上げた佐山は、その原稿を再度、悠木に渡そうとする。

今度は、それを何も言わず受け取る。

そして、佐山は「一面トップでやってくださいよ」と言う。

その佐山を見やる悠木の顔には、心持ち笑みが浮かんでいた。

映画では、ここで、過去の出来事の話は終わっている。

ただ、そのまま、新聞社を辞めることはなかったのやないかとは想像できる。

ちなみに、原作では、その後、悠木は17年間もの間、片田舎の草津通信部で退職を迎え、嘱託となっても地元記者の道を選んだとある。

その間、社長になった粕谷から、毎年のように本社に戻らないかという打診を受けたが、その都度、悠木はかたくなにそれを拒否し続けていた。

本社に戻れば、それなりの役職が保障されていると知りながら。

悠木は「畑を耕しながら、村の小さな出来事を書き続けていけたらいい」と願った。

「下りるために登るんさ」という安西の言葉がある。

あれは、安西自身、あの日、悠木と衝立山に登った後に、北関東新聞社を辞職するつもりやったからこそ口に出た言葉やと、悠木は考えていた。

悠木は、それが分かって、自身もその引き際をあのときに求めた。

しかし、結局、それは考え直した。

その象徴的な箇所を原作から引用する。


下りるために登るんさ―。

だが、下りずに過ごす人生だって捨てたものでないと思う。

生まれてから死ぬまで懸命に走り続ける。

転んでも、傷ついても、たとえ敗北を喫しようとも、また立ち上がり走り続ける。

人の幸せとは案外そんな道々出会うものではないだろうか。

クライマーズ・ハイ。

一心に上を見上げ、脇目も振らずにただひたすら登り続ける。

そんな一生を送れたらいいと思うようになった。


これについては、特にコメントの必要もないと思う。

ええ映画を観て、原作に触れたと、心から感じる。

このメルマガでは、航空機事故に関する新聞報道の主な現場を抜粋して話したので、その他のエピソードや悠木の家族事情、安西親子との関わり、またその他の人間関係にまでは触れていない。

また、実際の山登りのシーンでのあわやという場面もある。

むしろ、それらの方が素晴らしい、面白いと言う方もおられるのやないかと思う。

残念ながら、それらすべてを紹介するには、このメルマガの2回分程度ではとても無理な相談やさかい、それは分かってほしい。

何しろ、映画の本編は145分の大作やし、原作に至っては460ページを越える長編小説でもあるさかいな。

加えて、その映画や原作にはない背景について、ワシなりの考え、感じたことを多く盛り込んどるわけやさかい、よけいやわな。

それらの詳しい事をお知りになりたければ、映画を鑑賞され、原作を読まれることをお薦めする。

人には、様々な見方があるから、ワシなんかとは別の視点で、また違う発見があるのやないかと思う。

もし、そういうものがあれば、そのご感想なり、ご意見なりをワシらにまで寄せて頂けると非常に有り難い。

最後に、映画では、原作にもない意外なラストシーンが用意されているというのを言うとく。



参考ページ

注1.第18回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■長かろうと短かろうと、それが
人生
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage19-18.html

注2.NO.241 新聞社が販売店を直轄化するという方向性についてどう思われ
ますか
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage10-241.html


読者感想 本日のメルマガについて

寄稿者 Jさん 投稿日時 2009.1.16  AM 11:04


本日のメルマガの解説は、何度も、なるほどと思いながら読ませていただきました。

私も、「できすぎてませんか、この話」というセリフの件が、映画を見た後もずっと引っかかっていましたが、ゲンさん(ハカセさん)の説を読んで、それが最も有力な監督(脚本)の意図なのだと思えました。

さて、会社関係に限らず、どんな組織にも、表には決して出てこない恥部や醜い部分があるものです。

ある意味、小説や映画、テレビドラマは、それを一般人に、事例としてわかりやすく示してくれる先生でもあります。

新聞編集の現場の場合は、毎日がタイムリミットとの闘いであるがゆえに誰もがケンカっ早くなるのかなあ、なんて思っていました。

とにかく、決断のタイミングが難しい職種なんですよね。

だから私は、この映画の劇中の描写として、登場人物たちの「衝動的で機敏な動き」と「悩みながらのスローな動き」の対比にも注目していました。

早口でまくしたてるシーンがあったかと思えば、動きを全く感じさせないシーンがあったりと、新聞社の中に限らず、映画全体で、そのメリハリを感じました。

「善は急げ」という諺がある一方で、間逆の意味の「急いては事をし損じる」という諺があるように、私達の生活の中も、決断のタイミングが難しい場面には、それこそ無数に遭遇します。

この映画にも、決断のタイミングに対する人間の葛藤は多く見受けられます。というか、それ自体も、映画の見所の一つだったようですね。

とにかく、いつも映画は1回だけしか見ませんが、繰り返して見ることで次々と新しい発見があるものだということを思い知らされました。


読者感想 いろいろ考えさせられてばかりです

投稿者 Hさん 現役某新聞記者 投稿日時 2009.2. 4 PM 7:49


ハカセ様。

メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話を毎週楽しみに愛読しております。

同じ業界に記者として働いておりますが、いろいろ考えさせられてばかりです。

映画「クライマーズ・ハイ」の批評や、特ダネをめぐる現場記者の複雑な心境など、非常に核心を突いていると改めて感心しました。


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