メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第331回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2014.10.10
■苦境を乗り切るために……その1 「元気を出しなさい」ヘレン・ケラー
ワシがまだ小学生の頃、『奇跡の人』という映画を観て、強烈に感動したことを今でも覚えている。
これは実在の人物、ヘレン・アダムス・ケラーの伝記映画や。
ヘレンは生後19ヶ月で、高熱により目が見えず、耳も聞こえず、言葉も喋れなくなってしまった。
そんなヘレンに両親は愛情を持って育てるが、それが却ってヘレンを我が儘な子供にしていったという側面があった。
この映画の舞台となった1880年代頃のアメリカには、まだヘレンのような子供を受け容れる小学校はどこにもなく、両親はやむを得ず家庭教師を招くことにした。
やってきたのは20歳の女性教師アニー・サリヴァン先生やった。
サリヴァン先生自身も盲学校出身の視覚障害者だったが、見事にそれを克服して教師になられた人やった。
目が見えず、耳も聞こえず、言葉も喋れないと文章で書いたり、人に話したりするのは簡単や。
しかし、その状態に我が身を置いたと仮定して想像するだけで、それがどれほど恐ろしいことか。
少なくともワシには想像すらしたくないというのが正直な気持ちや。
それでも敢えて言うとすれば、真っ暗闇の静寂な空間にいて誰にも話すことのできない状態にあり、周りに誰かいて何かあることは感じられるのやが、どうにもできないもどかしさに包まれているといったところか。
そんな世界にあるのは絶望でしかない。ワシを含めて多くの人が、そう考えるのやないやろうかと思う。
ヘレンは当然のように何も分からず育った。ただ可愛がられ大事にされて生きているだけの人形のように。
サリヴァン先生が家庭教師としてケラー家を訪れたのはヘレンが7歳の時やった。
ワシらがヘレンの置かれた状態を想像することが困難なように、普通の人が目が見え耳が聞こえ話すことができるといった感覚が7歳の女の子に分かるわけがない。
しかし、それで済ませてはヘレンの人生は終わる。意味のないものになる。
人は哀れみや同情だけでは生きていけない。
どんなに辛かろうと苦しかろうと理不尽であろうと、自分自身の力で切り拓いて生きていくしかない。
守護者である両親にしても、いつまでもヘレンと生き続けることなどできないのだから。
そう考えたサリヴァン先生は心を鬼にしてヘレンにきつく教育するようになった。
手のひらにアルファベットを書いて英語の綴り方や行儀の躾けをする際、時には頬をぶったり手を叩いたりもした。
ヘレンに分かるのは、手で物を触った時の感触と熱い、冷たい、痛いといった感覚くらいだったからだ。
今だと、この場面は児童虐待とかと言われて非難の対象にされるかも知れんが、綺麗事でヘレンのような子供を救うことなどできんかったやろうと、ワシは思う。
その結果、我が儘だったヘレンも次第にサリヴァン先生に従うようになっていった。
しかし、サリヴァン先生は、ヘレンのそれはペットの犬猫を従わせるような強制の結果でしかないことに気づいた。心の中では自分を嫌っていることも。
それでは何にもならない。自分自身で、理解してそうすることの重要性に気がつかなければいけない。
ヘレンにあるのは言うことを聞けば叱られないという思いがあるだけや。それではペットの犬猫と同じにしかならない。
サリヴァン先生は、ヘレンを一人前の人として独り立ちさせたかった。
僅かではあるが、ヘレンには何かを求めているという姿勢だけは感じた。ヘレン自身、このままではいけないと子供心に感じているのだと。
サリヴァン先生は悩んだ末に、両親にある提案をした。
両親に自分とヘレンの2人だけにしてくれと。
肉親に同情と燐憫の思いを注がれて生きていく弊害を説いた。
その熱意に負けた両親は2週間だけという約束で了解した。
二人は森の中の山小屋で生活を始めた。
サリヴァン先生を嫌うヘレンもやがて慣れ、食事の支度、散歩、手でのアルファベットでの綴りも上手くなった。
約束の2週間が過ぎ、さらに後1週間の延長をサリヴァン先生は頼んだが、両親は聞き入れずヘレンを家に連れ帰ってしまった。
家に帰ったヘレンを再び甘やかすであろう両親たちを前にして、サリヴァン先生は自分の無力感をかみしめていた。
夕食の帰宅祝の席、家に帰ったことを知ったヘレンは2人だけの生活の時とは逆にフォークやスプーンを使わず、あえて手掴みで食べ、テーブルの上に置いてあった水差しをわざと倒した。
サリヴァン先生と、もっと一緒に暮らしたかったヘレンの抵抗だった。
しかし、その態度に怒ったサリヴァン先生はヘレンを外に連れ出そうとした。
母親が、今日は特別な日だからと、それを阻止しようとするが、その手を振りほどいて庭の井戸の前にヘレンを強引に引き出した。
そして、こぼした水を水差しに汲ませた。
その時、手にかかった井戸の冷たい水がヘレンを変えた。まだ障害のなかった幼児の頃に知っていた「水」の記憶がヘレンに甦ったのである。
ヘレンは、「ウォーター」という言葉を初めて口にした。
それは目が見えず、耳も聞こえず、言葉も喋れない少女の奇跡の瞬間だった。
これは映画やから、多少の演出や感動的な場面を加えてはいるが、元になった話、出来事は実際にあったことやと言われている。
実在のヘレン・アダムス・ケラー氏は、その後もサリヴァン先生の支えを受けて勉強を続けている。
その結果、1900年ラドクリフ女子大学(現ハーバード大学)に入学するまでになった。
1902年、書籍『わたしの生涯』を出版する。これが、その後の戯曲や映画として使われることになる。
1904年、ラドクリフ女子大学(現ハーバード大学)を卒業、文学士の称号を得る。
1906年、マサチューセッツ州盲人委員会の委員となる。
1909年、アメリカ社会党に入党。婦人参政権運動、産児制限運動、公民権運動など多くの政治的・人道的な抗議運動に参加する。
また、著作家としても活動を続けた。
ヘレン・ケラーは福祉活動のみならず、広範囲な政治的関心を持って活動した女性でもあった。
当時としては先進的な思想を持ち、男女同権論者として婦人参政権、避妊具の使用を主張した。
また、人種差別反対論者であり、過酷な若年労働や死刑制度、そして第一次世界大戦の殺戮にも反対した。
さらに日本とも関係の深い人やった。
1937年、初来日し、観桜会で昭和天皇に拝謁。この時、日本各地を回り、当時の日本国民に熱烈な歓迎を受けている。
1950年、二度目の来日の際、財団法人東日本ヘレン・ケラー財団(現東京ヘレン・ケラー協会)、財団法人西日本ヘレンケラー財団(現:社会福祉法人日本ヘレンケラー財団)が設立されている。
1968年6月1日、87歳没。
ヘレンは多大な福祉活動を行ってきたとして、その功績が大きく称えられ、世界中から評価された。
フランス政府からレジオン・ド=ヌール勲章、アメリカ政府から大統領自由勲章、日本政府から勲一等瑞宝章などが贈られている。
ワシが、何でヘレン・ケラーの話をここで持ち出したのかと言えば、ここのところ弱気で元気のない業界関係者の声が数多く聞こえてくるからや。
苦しい状況なのは、よく分かる。大変やとも思う。
特に現在、批判の的になっているA新聞の販売店関係者のご苦労と苦悩は想像に余りあるさかいな。
『第328回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方 その7 吉田証言、吉田調書に見る誤報報道の真実とは』(注1.巻末参考ページ参照)でも言うたが、新聞販売店関係者の方には今回の件での責任は、まったくない。
ゼロや。しかし、その責任のない方々がA新聞が責められることで苦況に立たされているのが現実なわけや。
実際、今回のことで廃業を考えたり職場を辞めたりされているA新聞販売店関係者の方々もおられると聞くさかいな。
落ち度があれば、ある程度の批判を受け責められても仕方ないとは思う。
しかし、ワシには責める側にも節度というものが欠落しとるように思えてならん。想像力が足らなさすぎると。
ネットのブログ炎上といった現象でも、よく見かけることやが、相手に落ち度があれば何を言っても許される、どんなに叩いても構わないという風潮が世の中全体に蔓延しとるように思えてならん。
そして、その先にある結果について考える者は少ない。
今回の場合は、A新聞販売店関係者の生活、生き方を奪う行為に外ならんのやが、そのことを考えて批判している人間は、おそらく皆無やろうと思う。
もっとも、責める側にとっては、そんなこと関係ないで済ますかも知れんが、何の配慮もなく叩く行為が正当化されることはないとワシは考える。
自分たちの批判する言葉、行為の先に生活の糧を奪われることになる人がいるかも知れないということを知らなあかん。
しかも、その人たちには何の罪もないということを。
まあ、そういった批判するだけの人たちにはワシらの言うことなど届かんのやろうがな。言うだけ無駄かも知れん。
しかし、それやから仕方ないとあきらめてしもうたら、それまでや。
人は苦しい時に、どれだけ踏ん張れるか、どれだけ頑張れるか、前を向けるかで、その人の真価が問われる。
ただ、そんな時やからこそ頑張れと言うだけでは、なかなか心には響かんやろうと思う。
メルマガの『ゲンさんの深イイ話』のファンの方々から、ワシの言葉に励まされたと言って貰えることがある。
あの中に収録されとる言葉は、それぞれのメルマガの文中で言うたことで、何も『深イイ話』を意識してのものやない。
ナンボ、ワシでも、ええことを言おうとしても、そう簡単に言えるもんやないさかいな。
流れの中で自然に出た言葉や。それやからこそ、そういった人たちの心に響くのやろうと思う。
それでも、苦しんでおられる人たちのために何かを言うてあげたい。
そう考えてた時、ワシ自身が子供の頃、両親を早くに亡くし、祖母と二人、貧乏のどん底にあった時に見た映画『奇跡の人』に励まされたことを思い出したわけや。
人は、どれだけの不幸、不運を背負い込もうと、あきらめさえしなければ必ず奇跡が起きるということを、その時に知ったさかいな。
後年、ワシはヘレン・ケラーの書いた書物を数多く読んで、さらに感動を深めた。
世の中には、どん底から這い上がって成功した偉人は数多くいるが、ヘレン・ケラーのような目が見えず、耳も聞こえず、言葉も喋れないといった三重苦を克服して世界中の人から賞賛を浴びた人は他にはおらんはずや。
読者の方も必ず感じられるところがあるものと信じて、ワシが感動したヘレン・ケラーの言葉を厳選してお知らせたいと思う。
人は、どんなに絶望的な状況に置かれても逆転することができる。
そんな風に考えさせられる言葉を。
それでは始めさせて頂く。
苦境に悩む人たちへ贈るヘレン・ケラーの名言集
元気を出しなさい。今日の失敗ではなく、明日訪れるかも知れない成功について考えるのです。
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。
それは、心で感じなければならないのです。
世の中はつらいことでいっぱいですが、それに打ち勝つことも満ち溢れています。
うつむいてはいけない。いつも頭を高くあげていなさい。世の中を真っ正面から見つめなさい。
自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれないのです。
結局、真の知識を得ようと望むものは、誰でも艱難の山を一人で登らなければならず、頂上への王道がない以上、私は曲がりくねりながら登らねばならぬことに気付いたのです。
はじめはとても難しいことも、続けていけば簡単になります。
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。
もしも、この世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。
盲目であることは、悲しいことです。けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、もっと悲しいことです。
孤独な魂に出会うと、自由と知性のあふれる世界にかならず導いてあげる、それが愛。
自分の欠点を直視し認めることです。ただし欠点に振り回されてはいけません。
忍耐力、優しさ、人を見抜く目を欠点から学びましょう。
ありのままの自分の価値を認める。
いく先々で出会うみなさんの思いやりのおかげで、ものごとがいつもうまく進んでいきます。
目に見えるものは移ろいやすいけれど、目に見えないものは永遠に変わりません。
第六感は誰にもあります。それは心の感覚で、見る、聴く、感じることがいっぺんにできるのです。
もし幸福な生活を送りたいと思う人々が、ほんの一瞬でも胸に手を当てて考えれば、心の底からしみじみと感じられる喜びは、足下に生える雑草や朝日にきらめく花の露と同様、無数にあることがわかるでしょう。
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです。
人の苦しみをやわらげてあげられる限り、生きている意味はある。
物事を成し遂げさせるのは希望と自信です。
悲観論者が、星についての新発見をしたり、海図にない陸地を目指して航海したり、精神世界に新しい扉を開いたことは、いまだかつてない。
私は素晴らしく尊い仕事をしたいと心から思っている。
でも私がやらなければならないのは、ちっぽけな仕事をも素晴らしくて尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのだ。
闇と沈黙の中でさえ、すべてのものは、驚嘆すべきものを持っています。
私はどんな状況にあっても、その中に充足があることを学んでいます。
ベストを尽くしてみると、あなたの人生にも他人の人生にも思いがけない奇跡が起こるかもしれません。
ひとつの幸せのドアが閉じる時、もうひとつのドアが開く。
しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気付かない。
世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人だ。
何か素晴らしいことを達成するための努力というものは、決して無駄にならないことを覚えていなさい。
喜びとは、目的をあたため続け、知性を輝かせ続ける神聖な炎である。
個性は安らぎや静けさの中で生まれるものではありません。
試練や苦しみを経験することでのみ、魂が鍛えられ、洞察力が研ぎ澄まされ、野心が鼓舞され、成功が手に入るのです。
光の中を一人で歩むよりも、闇の中を友人と共に歩むほうが良い。
私は正義のために戦っている人すべてに共感を覚える。
あなたは困難な仕事を自分に課しましたが、あきらめずにがんばれば、うまく行くのです。
そして、成功への障害を克服することが喜びとなるでしょう
人生は胸おどるものです。そしてもっともワクワクするのは、人のために生きるときです。
私は、自分の障害を神に感謝しています。
私が自分を見出し、生涯の仕事、そして神を見つけることができたのも、この障害を通してだったからです。
以上や。
何か一つでも心に響いた言葉があったやろうか。
これらの言葉はヘレン・ケラーやからこそ重みと説得力があるのであって、ワシらを含めて他の誰が言うても、それほど伝わらんやろうと思う。
この他にもヘレン・ケラーの残した言葉は無数にあるが、ここでは『苦境に悩む人たちへ贈る』ということをテーマに拾い出してみた。
ただ、こういった名言を紹介する度に言うてることやが、名言を言った人は確かに偉いが、それ以上に偉いのは、それを素晴らしいと受け止め、自身の糧にできる人やと思う。
単に、「ええ言葉やな」で済ませていたら、それで終わり時が経てば忘れ去られるだけにしかならん。
人は心に響く言葉が一つでもあれば、それで生きていける。前を向いて進める。
その助けの一つにでもなればとの思いがワシらにはある。
参考ページ
注1.『第328回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方 その7 吉田証言、吉田調書に見る誤報報道の真実とは
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage19-328.html
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