メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第34回 ゲンさんの新聞業界裏話
     

発行日 2009. 1.30


■店長の想い出 その5 恐怖の新聞配達


人の寝静まった深夜の午前2時頃から3時頃にかけて、朝刊の配達が始まる。

丑三つ刻というのがある。

江戸時代から語り継がれている古典的な怪談話で最も幽霊の出る時刻が、それやと言われている。

現代の時間で言うと、およそ午前2時から2時半頃になる。

何でそんなアバウトな時間になるのかと言えば、江戸時代の時間が「不定時法」というもので決められとるからや。

この「不定時法」とは、太陽の動きをもとに決められ、日の出と日没を堺に1日を昼と夜に別け、それぞれをさらに6等分し、十二支の干支名がつけられた時刻で現したものをいう。

昼と夜の時間がまったく同じなら、一刻は2時間ということになって問題はない。

しかし、当然のことながら季節により日の出、日没時刻が変化するから同じ時刻名であっても、実際には同じ時間ではないということになるわけや。

つまり、現代の1時間が江戸時代では、その季節毎に1時間未満であったり1時間以上であったりしたということやな。

まあ、そんなウンチクはさておき、幽霊の出没時刻と言われている丑三つ刻というアバウトな時間帯が、新聞の配達時間と重なるということが分かって貰えれば、それでええ。

それが理由かどうかは分からんが、新聞配達には怪談話というのが昔から結構豊富にある。

むろん、作り話もあれば与太話の類も多い。勘違いや思い違いもある。笑い話になるようなものもな。

そして、それだけでは説明のつかん話も、また存在する。

今回は、店長のタケシタが過去に経験した、そんな新聞配達時の話を3編ほどオムニバス風に紹介しようと思う。

言えば、新聞配達版「奇妙な物語」というところかな。

「せやけど、何で今時分にそんな怪談話なんかすんねん。季節外れやないのんか」てか?

確かに。

ただ、その季節外れであるが故に、その恐怖心もいくらか和らぐのやないかということで理解して頂けたらと思う。

今、思い出しても……。

そう考えただけで、タケシタは背筋に寒いものが奔るのを禁じ得なかった。


第一話 闇にうごめく老婆


その日、前日の夜から雨が降り続いていた。

「ただでさえ、配達しにくいていうのに、イワタの奴、なんちゅう話を聞かせんねん」

そうボヤキながらタケシタは、雨で濡れるのを防ぐために一紙ずつビニール袋に梱包した新聞をバイクに積んでいた。

雨の日の配達はかなりの危険が伴う。

原付バイクの最大積載量は法律で30キログラムまでと決められているが、出発時にはそれをオーバーすることも、ままある。

もっとも、原付バイクの積載オーバー程度の違反で捕まるケースというのはまずないがな。

それより、もっと現実的な重量オーバーによる転倒やスリップ事故の方が怖い。

特に雨の日には、そのスリップ事故が多発するさかい、要注意ということになる。

タダでさえ、そんな状態の悪い日やのに、いらん話を聞かされたことでよけいな気を使わなあかんようになったと思い、ボヤいていたわけや。

その話をしたイワタというのは新聞奨学生として働いている、どこかおっちょこちょいなところのある落ち着きのない男やった。

ただ、仕事は真面目でウソのつける男やないのは確かや。

本人はその話を本気でそう信じとるようやった。

それだけに始末が悪い。

その話は前日に聞かされた。

「店長、僕、明日休みなんですけど」とイワタ。

「分かっとる。ゆっくりしとけ」

「代配は店長が?」

「ああ、せやけど」

「あのそれなら、ちょっと伝えておきたいことがあるんですけど……」

イワタは、なぜか言いにくそうにしていた。

「何や?」

「実は、僕の区域に、お婆さんの幽霊が、ここのところ毎日のように出るんですよ」

「ほんまかいな、ウソやろ、それ?」とタケシタは笑って返したが、当のイワタは至って真面目な顔をして続けた。

「本当ですよ。真っ暗闇の畑の横を、老婆の幽霊がゆっくりと乳母車を押してるんです」

「……、それはお前の何かの見間違いか勘違いやろ」と言うてはみたものの、この業界に幽霊話が存在しとるのはタケシタも良く知っている。

日頃、ええ加減なことばかり言う人間なら、担ごうとしとるなで済むが、イワタが店長のタケシタにそんな冗談を言うとも考えられんし、またその必要もない。

「そうですか。それならいいんですが……。まぁ、とりあえず、気をつけてくださいね」

その言葉が、タケシタの脳裏にこびりついた。

大きな声では言えんが、タケシタは幽霊話というのが大の苦手や。

無条件に怖い。

日頃から、その手の映画やテレビドラマなんかでさえ見ることは絶対にない。

ただ、そのことは誰にも気取られないように注意はしてた。

それを気取られたら最後、その噂はあっという間に拡がる。

この業界は、そんなところや。ろくなことはない。

店長として弱みを見せるわけにはいかんという思いも強いから、イワタからその話を聞かされても強がった素振りをするしかなかったわけや。

しかし、その話を聞かされてから、タケシタは一睡もできずにいた。

必要以上にナーバスにもなっていた。

できれば、誰かに配達を代わらせたかったが、手一杯の人員しか店にはおらんから、物理的にそれもできん。

配達の準備が終わると、タケシタは雨合羽を着込んで仕方なく出発した。

十数分ほどで、そのイワタの配達区域に着いた。

いつの間にか小雨になっていた。

配達も進んで、ついに、イワタの言うその「ゴースト・ゾーン」とやらに近づいてきた。

「どうせ、あいつの幻想か何かやろ……」

タケシタは、そう思い込むことにした。

そうに違いないと。

その刹那、「あっ!」と、小さく声を洩らした。

闇夜の向こうの薄暗い外灯に人影が動くのが見えた。

気のせいやない。

まだ遠くやが、確かに老婆に見えんこともない人影や。

その老婆らしき影は、小雨になったとはいえ、この雨の中、傘も差さずにイワタの言うたとおり乳母車らしきものを押している。

どう考えても尋常やない。

「ほんまやったのか……」

タケシタの背筋に悪寒が奔(はし)り、全身に鳥肌が立った。

それでも、タケシタには配達を途中で放り出すわけにはいかんという思いのみで、必死に踏ん張り、その人影を気にしつつも、配達を続けた。

しかし、いつの間にか、その人影が見えなくなっていた。

この辺りに、隠れられそうな場所や横道、抜け道の類など見当たらない。

民家は数軒点在しとるが、タケシタが近寄ってきたというだけで、その人影がその民家に隠れる必要も理由もない。

消えたとしたら、忽然と、ということになる。

そんなことはあり得ん。

「何や、紛らわしいな。やっぱり気のせいやったんか」

そう考えた方が理論的やと無理に思い込もうとして、何気なく後ろを振り返った。

「わっ!!」

短く絶叫を放った。

いつの間にか、タケシタの後ろから、その老婆がこちらに向かって乳母車を押していた。

断言できるが、気がつかんうちにその老婆を追い越したということは絶対にない。

間違いなく、忽然と消え、忽然と現れた。

そんな芸当ができるのは幽霊しかない。

「あれっ?」

タケシタは、卒倒しそうになりながらも、ある事に気がついた。

その老婆は傘を差している。

確かさっきまでは傘も差さず乳母車を押していたはずや。

それが変やと思うて見ていたんやから間違いはない。

「あのう……」

タケシタは勇気を振り絞って、その幽霊に話しかけた。

「あ、新聞屋はん、毎朝ご苦労さん」と、しっかりとした声が返ってきた。

「お婆さん、傘は?」

「いややわ、お兄ちゃん、見てはったん?」

その老婆は、この時間いつも散歩しているのやと言う。

今日も同じように散歩を始めたら小雨が降っていることに気がついた。

そのまま続けようとしたのやが、途中で思い直し、引き返して家から傘を持ち出してきた。

その家の前を、タケシタがタイミングよく通りすぎたところやったというのが事の真相やった。

その老婆の出てきた家の表札には「ハセガワ」とあった。

「何や……」

タケシタは、安心すると同時に笑いが込み上げてきた。

人間、怖い怖いと思うてると、何でもそう見えてしまう。

乳母車と思うてた物も、よく見れば手押しのショッピングカートやった。

おそらく、あのイワタも相当な恐がりなのやろうとタケシタは考えた。

もっとも、こんな草木も眠ると言われる丑三つ刻近くの深夜から散歩を始めるという老婆も老婆やけどな。

何も知らずにその光景をいきなり見れば、そら誰でも怖いと思うはずやで。

タケシタには、そのイワタの気持ちが良く分かる。

翌日、イワタにそのことを伝えた。

すると、イワタはさらに恐怖に顔を引きつらせながら言った。

「ハセガワさんという家のおばあさんなら、一週間前に亡くなって葬式してましたよ」と。

「……」


第二話 吸い込まれる新聞


ほとんどの新聞販売店には、配達員と同じ数だけの配達コースというのがある。

たいていは第○区という呼び方をする。ちなみに、タケシタの店では第13区まであった。

キタムラという専業の配達している第8区には、昔、おじいさんの水死体が発見されたと噂されている小川が流れていた。

その区内のあちこちには同じような小川が流れていて、真夏の暑い季節にはそのせせらぎの音が、何とも言えん風情と涼感を醸し出してくれる。

しかし、配達時の漆黒の闇夜では、その風情が一変する。

闇夜に聞こえる「チョロチョロ」、「ザァーザァー」という水の音は慣れん者にとっては却って不気味な物音にしかならん。

その上、ただでさえ老人の溺死体があったという噂があるのに、水のあるところに霊が集まりやすいなどというのが、まことしやかにテレビで放送されていたのを見たばかりやったから堪ったもんやない。

少なからずあった恐怖心がよけいに増幅された。

その日の配達も中盤に差しかかった頃やった。

キタムラはいつものように児童公園の脇を抜けて、古い住宅街に入った。

車は一台も通っていない。というより、この時間、車がこの辺りを走っているのは見たことがない。

耳にするのは自身の乗ったバイク音と、虫の鳴き声、そして小川のせせらぎだけやった。

空を見上げると満月が不気味に輝いて見える。

僅かな恐怖心でもあると、人は何を見てもそれと連想させやすい。

「さぁ、次はと。ヤダさんとこか……」

一際(ひときわ)薄暗い路地にバイクを止め、ヤダという旧家の門を走り抜けて玄関に向かおうとした。

そのとき、「うわぁっ!!」と、キタムラは小さく声を発した。

その驚きが何やったのはのかは、すぐ分かった。

顔に「クモの巣」が覆いかぶさってきたからやった。

早朝の新聞配達の経験者なら、誰しもありがちなことやと納得して貰えるのやないかと思う。

そして、この「クモの巣」は、配達人にとっては結構やっかいなものの一つでもあることを。

暗闇で、まったくそれと気づくことがなく、一瞬のうちに顔面がその「クモの糸」で覆い尽くされる。

驚きと気持ち悪さが同時に襲って、軽くパニック状態に陥ることもある。

キタムラは気を取り直し、顔にまとわりついた「クモの巣」を掃(はら)って、玄関ドア脇にあるの新聞入れへと三つ折りにした朝刊を差し込む。

その瞬間。

「ズボッ」という鈍い音を発し、あろうことか新聞がその新聞入れの奥深くに吸い込まれていった。

恐怖映画に、これと似たようなシーンがあったのをキタムラは思い出した。

「ギャッ!」とキタムラは叫んだつもりやったが、実際には声は出てなかった。

腰を抜かしかけたが、それでも必死にバイクの停めてあった場所へと走って戻った。

「どういうこっちゃ?」

誰かが内側から新聞を引き抜いたのは間違いない。

それにしても……。

玄関に灯りが点いていたわけでもなく、人の気配も感じられなかった。

第一、朝の5時前から新聞を待ち伏せしていたかのように抜くようなことをする人間が果たしておるのやろうか?

いつも、その家には同じように新聞を入れていたが、今までそんなことは一度もなかった。 

キタムラにとっては摩訶不思議、理解不能な恐怖に満ちた出来事やった。

配達も最後の方になると、日も昇り辺りが明るくなるにつれ、キタムラのその恐怖心も次第に薄れていったがな。

「まあ、そんなこともあるやろ」と、自分なりに自分自身を変に納得させて忘れようとした。

どのみち、こんなことを誰かに言うたところで、誰も信用せんやろうとも思う。

バカにされるのが関の山や。

少なくとも、キタムラが逆の立場なら、そうや。

「そんなアホなことがあるかいな」と、間違いなく言う。

そして次の日。

キタムラは言い知れぬ恐怖心と戦いながら配達を続けていた。

そして、いよいよ例の旧家。

「今日はクモにやられへんで」と軍手をつけた左手で顔をガードしながら玄関に向かった。

昨日と同じく玄関に灯りは点いていない。

新聞を差し込んだ。

「!?」

「ズボッ、ズボッ」と、またもや音を立てて新聞が吸い込まれていった。

キタムラは今度は注意深く聞き耳を立てたが、物音一つしない。

ただ、闇夜の静寂があるだけやった。

キタムラは、ゾクッとしたが、配達を中止するわけにもいかない。

何食わぬ顔を装いながら、その後の配達を続けるしかなかった。

それから1週間。毎日同じことが続いた。

さすがに気持ち悪くなったキタムラは、8区の営業と集金の担当である専業のササキに尋ねた。

答えは簡単に分かった。

ヤダという家には老夫婦が住んでいた。

おじいさんは、大の新聞好きで、朝刊も夕刊も毎日心待ちにしていた。

そして、新聞を受け取るのはお婆さんの役目やった。

いつも新聞を引き込んでいたのはお婆さんの仕業やったわけや。

一度でも、キタムラはそれを確かめれば良かったのやが、その勇気がなかった。 お年寄りは動きが遅いということもあり、音も気配もないと感じただけやった。

ヤダ夫妻は、午前5時前には起床するのが日課やったという。

そして、ある日、お婆さんが、いつも決まった時間に新聞が配達されていることに気づいて、そこで待ち構えるようになったというのが真相だった。

「何や。そうやったんですか」

キタムラは少しがっかりしたような、ほっとしたような複雑な気持ちになった。

ただ、これで朝の配達には何も怖いものがなくなったのだけは確かやった。

それから2ヵ月後、ヤダ宅のすぐそばの家で変死体が発見される事件が起きた。

その発見者はキタムラやった。

偶然以外の何ものでもなかった。

とは言うても、新聞配達員が偶然にそういった変死体を発見するということはそれほど珍しいことでもないがな。

ワシが昔、奈良の販売店で専拡(専属拡張員)をしていた頃、バラバラにされた死体があちこちに捨てられるという事件が起きた。

その販売店の配達員が配達の途中、何気なく道路際に目を向けたとき、その事件の被害者の首を発見したということがあった。

それは、当時の新聞にも大きく報じられた。

まさか、また恐怖におののきながらの配達が続くことになろうとは。

キタムラは自身の不幸を嘆き、地域を呪った。

やはり、この8区には何かあるのやないかと。

キタムラは幾度か店長のタケシタに区域替えを頼んだが、聞き入れては貰えなかった。

このとき、キタムラは頼む相手が悪かったとは知る由もなかった。

小川のせせらぎが流れる中、青い顔をして今日もキタムラは配達を続けているという。


第三話 まちぶせ 


午前2時。

タケシタは顔をしかめながら朝刊にチラシを差し込んでいた。

「どうしたんですか、店長」

主任のカトウが、その様子に心配して声をかけてきた。

「ああ、昨日から奥歯が痛うて薬飲んでも効かへんねん」

「大変っすねぇ」

カトウは他人事のように答えた。まあ、所詮は他人事やから仕方ないがな。

タケシタが逆でも、そう言うやろうから怒ることもできん。

新聞配達員たるもの、多少歯や頭が痛かろうが、熱があろうが、そうそう容易(たやす)く休むことは許されん。

それが新聞販売店の常識でもあり、不文律でもある。

実際、配達人がひとり急に休むと大変なことになる。

週に一度のせっかくの休みを貰っている誰かがその犠牲になるしかない。

休みと思って寝込んでいる者が叩き起こされ、その配達の穴埋めに使われる。

安眠を妨害されることほど、この業界の者にとって嫌なものはない。

そんなことも頭にあって、奥歯の激痛に耐えながらタケシタも配達の準備をしていた。

個人の体調だけやなく、台風や地震、大雨などの自然災害が発生してでさえ、配達を中止するという発想が新聞販売店にはほとんどない。

何とかその配達を完遂することしか考えん。

実際、その悪条件下で命を落とされた新聞配達員の方は多い。

過酷な仕事や。 

タケシタはバイクに新聞を積み終えて、目的の区域に出発した。

時刻は4時ジャスト。

その日は楽な部類に入る5区の配達で、タケシタにとって2時間以内に終える
ことができる唯一の区域やった。

10分ほどでその5区に辿り着き、配達を開始した。

それにしても歯がズキズキと絶え間なく痛い。

歯の痛みには終わりがない。いつ終わるとも知れん痛みが延々と続く。

一時だけ辛抱して、その痛みから解放されるのなら少々の痛みは我慢できる。

しかし、歯の痛みは我慢すればするほど痛みが増すだけで辛抱のしがいがない。

ワシもその歯の痛さには散々悩まされたことがあるから良う分かる。

そのあまりの痛さのため、旧メルマガ『第40回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■コーヒーブレイクは歯医者で』と『第43回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■たかがマンガ、されど漫画……』(注1.巻末参考ページ参照)で、それをネタに話をしたくらいやさかいな。

タケシタは、昨日の夜、ほとんど何も口にできんかった。

痛む歯に正露丸を詰め、歯痛の薬を2錠飲んで出勤した。

それでも、どうにも歯痛が気になって仕方がない。

階段を上り下りするだけで、痛みが増幅する。

タケシタの病院嫌いが裏目に出た。

痛い思いをしてでも歯医者には行っとくんやったと悔いた。

配達も半分に差しかかろうとしていた。

角の酒屋を曲がって、おんぼろアパートの2階へと上る。

「ここは、ヤクザが住んどるから気ぃつけなあかん」

タケシタは、そろり、そろりと泥棒猫のようにつま先を立てて階段を下った。

そのとき、タケシタの目の前に人影がぼんやり見えた。

「まさか、ヤクザのおっさんか?!」

一瞬、びびった。

しかし、意外にもタケシタの耳に響いたのは女の声だった。

「タケちゃん! おはよう」

「えっ? まさか!」

目の前にいたのは、そのアパートの向かいに住むエミやった。

タケシタの恋人やった。

それにしてもこんな時間になぜ?

外はまだ暗い。時計を見ると午前5時前やった。

「どうしたの?」

「タケちゃんが奥歯の痛みで辛そうだったから、何も食べてないんじゃないかと思って……」

エミは、そう言いながら、紙包みをタケシタに手渡した。

「サンドイッチ作ったの。これなら食べれるでしょ?」

「そのために、待っててくれたのか?」

「うん。このぐらいの時間だろうなぁと思って。バイクの音がしたからすぐ分
かったよ」

「ありがとう。そうか、昨日の夜の電話で心配してくれたんや」

タケシタは前の日の晩にエミと電話していた。

奥歯の痛みで何も食べられないことも話していた。

それを心配し、夜中にサンドイッチを作り、タケシタが自分の家の配達であることも知っていて、「まちぶせ」していたというわけやった。

タケシタは感激した。

それから間もなく配達へ戻ったタケシタには、不思議と奥歯の痛みが、それほど感じられんようになっていた。

愛が虫歯を治した。そんな気がした。

とにかく嬉しかった。そして配達を終えた後にサンドイッチが食べられると思うと、自然にその足も弾む。

6時前には配達を片付け、家に戻りエミの作ってくれたサンドイッチをほうばった。

美味い。こんなことなら、ずっと歯が痛ければいいのにとさえ思った。

タケシタは、こんなにやさしいエミを一生大事にすると心に固く誓った。

4年後、エミはウェディングドレスを身にまとい、幸せいっぱいの笑顔でチャペルで式を挙げた。

隣りにはタケシタ……ではない違う男が立っていた。

「おめでとう、エミ。そして想い出をありがとう」

陰でタケシタはそっとつぶやいていた。

タケシタがエミの幸せを願った気持ちにウソはない。

しかし、同時に、このときタケシタは、女心の変わりやすさというのも嫌というほど思い知らされた。

愛は必ずしも普遍ではないと。

そして、それはある意味、どんな幽霊やお化けよりも怖いのやないかとさえ思えた。


どうやったかな。楽しめて貰えたやろうか。

人には、それぞれの怖さというのがある。

今回紹介した、三つの話にそれが集約されとるのやないかと思う。

最後に言うとくけど、ここに紹介した話はすべて真実やさかいな。

もっとも、このメルマガでの話は、ワシとハカセ、そして読者の方々から寄せて頂いた出来事、真実をもとにしたものばかりやから、今更、それを強調するまでもないことやけどな。



参考ページ

注1.第40回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■コーヒーブレイクは歯医者で
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-40.html

第43回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■たかがマンガ、されど漫画……。
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-43.html


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