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第344回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2015. 1. 9


■美人拡張員アイちゃんのセールス奮闘記 その3 拡張乱売編


1994年。アイは滋賀県の大津市から兵庫県加古川市に流れてきていた。団を替え、扱う新聞もA新聞からY新聞に変えていた。

拡張員は団(会社)を替えることや扱う新聞を変えることに執着する者は少ない。

ワシも京都のA新聞に始まり大阪のS新聞、東海のY新聞と変え、所属の団もその数だけ替えた。今は某新聞販売店の専拡に収まっている。

それについて後悔などしていない。モラルや節操がないとも思わん。それぞれに事情があってのことで自然な流れやったと思うとる。

拡張員がそうするのは、それなりの理由がある。

多くの拡張員は、より稼げる団や地域、新聞を求める傾向にある。当然、ワシにもその思いはあった。むろん、それがすべてというわけでもないがな。

これが新聞社の社員やったら、他紙新聞社への移籍は節操がないと言われることが多い。

余談やが、過去に地方紙の新聞記者をされていた方が全国紙からヘッドハンティングされて移籍したという話をして頂いたことがあるが、やはり、やりにくかったと言っておられた。

前の会社に恩義を感じないのか。愛着はないのか。恥ずかしいとは思わないのか。

そんな陰口を叩かれていたらしい。

その人の場合は、最初から、そこそこの地位を与えられていたこともあり、単なる嫉妬、やっかみがあってのことやとは思うが、社会の風潮として歓迎されていなかったのは事実や。

そのためか、新聞記者を辞められた方の大半が他の職種に就くことが多いように思う。

新聞販売店の従業員についても同じようなことが言えた。新聞社の社員ほどではないが、他の新聞販売店に移籍するのは節操がないと思われているようなところがあったさかいな。

地域にもよるが、同じ営業エリアを共有する新聞販売店間での従業員の移籍を認めない、雇わないという協定を結んでいるケースもそれほど珍しくはなかった。

当時は終身雇用という考えが国民全体に根強く、それが当たり前のことのように考えられていた。愛社精神というものが崇高な考えだと賞賛されていた時代やったわけや。

今は、いつリストラされるか分からんとか、いつ倒産の憂き目を見るか知れたものではないといった不安を抱えている人が多いためか、当時ほど勤めている会社に思い入れをする人は少なくなっているようやがな。

愛社精神が色濃く残っていた時代に、拡張員がいとも簡単に団や地域、新聞を替えていたのは、それなりの理由があった。

一言で言えば、拡張員は愛社精神が育たない環境で仕事をしているからや。

それには、新聞社や拡張団が拡張員を使い捨て同然の扱っていたためやと思う。業界の仕組みがそうなっていたと。

当時の拡張員はフルコミ制といって個人事業者、請負事業者として雇われているケースが多かった。

個人事業者、請負事業者と言えば独立した事業者で、一段上の立場のように思われるかも知れんが、その実態は長時間拘束された労働者と何ら変わりがない。

労働者であれば、労働基準法で守られ、労災保険による労災事故も適用されるが、拡張員には労働者としての権利すらないのである。

いくら実態はタコ部屋に放り込まれた労働者と同じだと訴えても、どうにもならない。

個人事業者、請負事業者に労働基準法は関係ないから、労働者としての権利はまったくないし、例え長時間働いていたとしても残業代など出るはずもなく、使っている新聞拡張団は契約報酬以外の対価を支払う義務がないのである。

また、個人事業者、請負事業者は労働者ですらないと区分されているから労災保険に加入することもできない。業種によれば特別加入制度というものがなくはないが、拡張員は適用外とされている。

病気やゲガをした時、医者にかかる金がなければ、それまでの運命にある。

あまり知られていないが、実際、国民健康保険にすら加入していなくて病院にも行けず野垂れ死にした者もいたさかいな。

そういった死者を出しても新聞社に塁が及ぶこともなければ、そんな拡張員を雇っていた新聞拡張団ですら、どこからもお咎めを受けることなどないのである。

もちろん、ニュースにすらならない。どこかでホームレスが一人寂しく死んだだけの話で終わる。

つまり、拡張員を守る法律はないに等しいのである。

しかも、新聞社は新聞拡張団に対して拡張員の待遇を改善しろとは一切言わない。むしろ、拡張員を締め付ける対策しか講じようとはしないのである。

そんな状況下で新聞社や新聞拡張団に対して愛社精神を持てという方が無理や。

新聞業界において新聞拡張員の待遇は最下位に位置すると言うても過言やないと思う。

恩義は受けてこそ感じるもので、過酷な扱いから、そんなものが生まれるわけがない。

中には義理人情に篤い新聞拡張団の団長もいるが、そんな人は、ほんの一握りにすぎない。たいていの新聞拡張団は拡張員など使い捨てにするものだと考えている。

成績が良いうちは、ちやほやするが落ち目になると途端に冷たく扱われる。拡張員は、その日契約を上げられなければ一銭の金も手にできない。

契約の上げられない拡張員には地獄の生活しか待っていない。

ワシは拡張員とプロ野球選手とをよく比較することがある。どちらも成績の良いうちが花で、成績が悪くなると戦力外としてしか扱われないという点で似通っているからや。

基本的にプロ野球選手もプロ球団と請負契約をしている個人事業者、請負事業者やさかいな。

拡張員は自分で自分の身を守るしかない。保険も老後の備えも個人の責任でせなあかん。

そのためには、少しでもより多く稼げる所で仕事するしかないと考えるのは自然な流れやと思う。

拡張員は新聞社や新聞拡張団、新聞販売店のおかげで飯が食えているとは思わない。

むしろ、逆で拡張員が契約を取ってくるからこそ、新聞社の社員は高給を得られ、新聞販売店は存在できていると考えているくらいや。

新聞社の多くは自社のブランド力のおかげで契約が取れていると錯覚しとるようやが、そんなものは存在しない。そう思いたいだけの妄想にすぎない。

日本の新聞にノーブランドで無名というのはあり得ない。地方紙にしても、その地域ではすべて有名な新聞やさかいな。

関東、関西といった大都市部を除けば地方紙の方が全国紙を圧倒的に凌駕するシェアを誇っていることでも、それが分かる。

ブランド力ということで言えば、むしろ地方紙の方が上やと言える。新聞にブランド力がないとワシが言うのは、そういう理由からや。

拡張員にとって契約をあげられるかどうかは、あくまでも己の営業力だけが頼りなのである。

それ以外の恩恵やアシストはないに等しい。そう考えている拡張員は多い。

ワシ自身もそうやったが、他紙他団に移籍したからと言うて、極端に成績が伸びたり落ち込んだりするようなことはなかったさかいな。

もっとも、同じ地域で団や扱う新聞を変えるのは抵抗があったとアイが言う。ワシも、それは同じや。

ただ、それは新聞社や新聞拡張団に対しての負い目というより、その地域の顧客たちの手前、そうできないと考えたにすぎないが。

同じ地域の顧客たちに、昨日までA新聞の勧誘をしていて、明日からはY新聞の勧誘をするのでよろしくと言うて廻るのは、やはり抵抗がある。

それもあり、アイは大津の団を辞める時、躊躇(ためら)わず誘われた兵庫県加古川市の団に移籍することにしたわけや。地域さえ遠くに離れれば気にすることは何もないからと。

大津にいた時もそうやったが、その当時の拡張は「乱売」全盛時代で、今では信じられないような拡材が飛び交っていた。文字どおり乱れた常識外れの売り方をしていたわけや。

もっとも、「乱売」が一般的な時代に常識外れと言うのも変な話やけどな。

加古川では2年契約で、拡材サービスは2万4千円の商品券というのが多かった。

これは他紙新聞販売店も同じようなもんやったから、これだけで勧誘するのは厳しいものがあった。

それには現在、消費税5%が8%に増税して新聞の契約率が下がったのと似たようなことが起きていたからというのもあった。

その当時は、消費税3%から5%になろうとしていた時期やった。その頃はバブル経済が弾けたといっても、その余韻がまだ色濃く残っていたから、今ほどの不景気感はなかったと記憶している。

それでも、先行きの不安から一般家庭の財布の紐は堅くなっていた。それは現在でも同じやと思う。

その頃から、節約の第一位に挙げられていたのが新聞代の始末やったからよけいや。

普通に拡張していたんではカード(契約)はあげられないと判断したアイは、出入りの販売店の所長に頼んで、渡した商品券で新聞代を払えるようにして貰った。

「消費税あがったら新聞代も、その分上がります。でも今契約して頂いたら消費税分の値上げもなく千円引きで結構です。ただし、2年間だけの限定ですけど」と言って煽り、さらに、

「この千円の商品券24枚を玄関の引き出しにでも入れておかれて、新聞代の集金の時に1枚ずつ出して貰えれば良いので。本当はこんなことを店では認めていないんですけど、今回に限りこの方法を2年間だけOKという許可を店から貰っているので、私を助けると思ってお願いします」と続けた。

結果的には、2年契約で2万4千円の商品券という拡材サービスに変わりはないのやが、このトークが当たった。

「なるほど」と考える顧客が相当数いたのである。

顧客の中には「2年契約で2万4千円の商品券」というサービスが餌で釣っていると考える人もいる。そういう人は、そんなものに釣られるほど安っぽい人間ではないと反発する。バカにするなと。

しかし、それが値引きのためのカモフラージュだと聞かされると「新聞販売店もいろいろ大変なんやなあ」と同情する人も現れる。

男性客なら、美人のアイに頼まれた手前断りにくいという気になり、主婦の場合は「なるほど実用的ね」と納得しやすくなる。

また、その方法を提示することで拡材で釣られたという意識がなくなるのである。それが結構大きい。

本音のところでは少しでも得をしたいと考えていても体裁上、なかなかそうできない人もいるわけや。目の前の勧誘員に足下を見られたと思うんやな。

そこへ持ってきて「私を助けると思ってお願いします」といったアイの低姿勢が功を奏したということもある。

本当に新聞代の集金の時にその商品券を1枚ずつ出しているか、どうかまでの確認はしてなかったが、契約することへのハードルが下がったのは事実やった。

本当に、そうすることが人助けになると錯覚させることに成功したという。

拡張のような対面営業では、ちょっとした言葉のチョイスで納得させられるトークを使える者が好成績を残せる。

アイは極自然に、それを身につけていた。アイは、その手法により大津の時と同じように契約をあげまくり一躍有名になった。凄腕の美人拡張員が現れたと。

これはアイの天性とも言うべきキャラクターとトーク力があってこそのもので誰がやっても成功するとは限らんのやが、この業界は誰かが成功したやり方をすぐに真似する、パクるということが日常的に起きる傾向にある。

アイが3千円で売って成功していることが評判になると、朝夕セット版で3,925円の新聞代が他紙販売店でも3千円で入れるようになったというのも、その一つのええ例や。

当時の加古川周辺では朝夕セット版の新聞代が3千円やと本気で信じていた人もいたというさかいな。

それは最近の正常化の流れが始まるまで続いたという。

それにプラス洗剤などの景品も別に渡していたというから、アイの残した足跡というか、影響は相当なものやったことになる。

たった一人の拡張員が、新聞代金や地域の勧誘システムそのものまで変えてしもうたわけやさかいな。

アイもその事には心を砕いていたらしく、今回の話をする際には「当時の加古川の新聞屋さんには、すみませんでした、と謝っておいてください」とメールでワシらに言うてるしな。

この頃、アイは同じ兵庫県の淡路島でも仕事をしていたという。

淡路島は瀬戸内海最大の島で、北東から南西へかけて細長く伸びる淡路島は南北約53キロメートル、東西約22キロメートル、周囲約203キロメートルと広い。

人口も島全体で14万人強と多く、そこそこの市場と言えた。

アイが訪れていた頃は洲本市と10ほどの町で構成されていたが、2005年の市町村合併政策により、現在は北から、淡路市、洲本市、南あわじ市の3市体制になっている。

淡路島全島で一市構想もあったようやが、それは実現せんかった。ただ、それに替わるものができた。

淡路県民局というのが、それや。島の中央に位置する洲本市にあり、3市合同の行政が行われている全国でも希有な地域だと言える。県庁ならぬ島庁といったところやな。

アイにとっては、この淡路島も美味しい所やった。

通常の勧誘に加えて、喫茶店などの飲食店に、その地域を管轄する新聞販売店の契約書の束を置いておくと、翌日には数枚のカード(契約)が自動的にあがっていたため、かなり稼げたという。

これは当時の乱売により見返りが大きかったということもあり、店主たちが積極的に訪れる客に売り込んでくれたからやった。

当時、淡路島で多くの新聞販売店を経営しているモリシタ会長と呼ばれていた男がいた。

多くの新聞販売店の総帥をしているからなのか、地域の販売店協力会の会長をしているから、そう呼ばれているのかアイには分からなかったが、モリシタ会長というのが通り名のようになっていたさかい、そう呼んでいた。

本店は神戸にあるとのことで、アイが来る数年前から淡路島に進出しているということやった。

アイから見てもモリシタ会長は、とんでもない常識外れなことをする男やった。信じられないようなエピソード、伝説が幾つも残っている。

ある時、モリシタ会長は、たまたま乗ったタクシーの運転手に、いきなり「お前、この仕事でどれくらい稼いでいるんや」と訊いた。

「手取りで月、25万程度ですかね」と、そのタクシーの運転手が適当に答えると、間髪入れず、「そうか、それなら月給50万やるから、うちに来い」と言って、その場で引き抜いて経営する販売店の従業員にしたという。

モリシタの経営する新聞販売店に毎日のように入店している拡張員にイマダという男がいた。

そのイマダは、お世辞にも契約を多くあげている拡張員とは言えなんだ。毎日、契約があげられなくても、なぜかモリシタの店にばかり入り続けていた。

ある日、不審に思ったアイが「どうしてイマダさんは、モリシタ会長の店ばかり入店されるのですか」と尋ねてみた。

すると、「家を買う金を貸して貰っているから仕方ないんや」という答が返ってきた。

それを聞いて、さすがのアイが絶句したという。一介の拡張員に家を買えるだけの金を貸すとはと。

ワシも、それには驚いた。この業界には豪気な新聞販売店経営者がいるのは知っている。

ワシも過去、奈良県のある新聞販売店経営者が、生涯契約で死ぬまで新聞を取り続けるという条件で拡材に乗用車1台を景品として渡したという話を耳にしたことがあるが、このモリシタは家やさかい発想の桁が違いすぎる。

モリシタが経営する新聞販売店に入店すると使える拡材も群を抜いて他より多かった。

店の裏側にある倉庫に行くとダンボールの箱やら木箱やらが山積みされていた。

中身は、洗剤、トイレットペーパー、柔軟剤、木箱は素麺セット、缶ずめセット、タオルケット、キッチンセットなどの拡材やった。

これだけなら、それほど凄いというほどでもないが、モリシタ会長はそれを「車に積めるだけ積み込め」と言う。「全部、捨て材にするから」と。

捨て材というのは、一般的には新聞社のロゴの入ったゴミ袋とか、いろいろなところからタダで入手できる映画や遊園地の割引券といったものが主で、まさに捨てるような感覚で客のご機嫌伺いのためだけに渡す物のことや。

通常の拡材にしている物を捨て材に使うという話はワシも聞いたことがない。

それをモリシタ会長は「断った客でも構わんさかい、サービスやからと言うて好きなだけ置いて来い」と命じていた。

アイが入店した時などは、断った客へ段ボールごとトイレットペーパー置いて帰ったことがあったという。

さらに驚くのが、加古川で一般的になっていた新聞代の月3,000円が、ここでは月1,500円やったことや。

もっとも、淡路島は統合版といって朝刊のみしかなく当時の新聞代が月3,007円やったから半額にはなるが、それにしても破格であることに変わりはない。

アイは、これほどの条件を出しているにもかかわらず、迷った素振りをする客がいることに対して苛立った。

新聞嫌いじゃなければ取れよと。こんな美味しい話は、どこにもないよと。何が気に入らないのかと。

もっとも、アイは喉から出かかったその言葉を呑み込んだというがな。

拡張員たる者、どんな時でも客に逆らってはいけないという思いが、かろうじてそうさせた。

ただ、それほどのサービスがあれば、強きの営業でも契約はあがった。

それにしても、これほどの拡材サービスの上に新聞代を半額にして儲かるのかと思った。

普通に考えて、新聞社に支払う新聞の納入代金だけでも、その半額分に相当するさかい、その上に過剰な拡材をサービスしていては利益など出るわけがない。

大赤字になるのは免れない。しかし、それでもモリシタ会長が、そうしていたのは、やはりそうするだけの理由があった。

それも計算された理由が。単に豪気なだけの男やなかったと後に知った。

モリシタ会長は、そうして拡張して大きくした店舗を売り捌いていたのである。

新聞販売店は部数によって売値が極端に違う。部数が多いほど売値も高い。

例えば、1千部の販売店が1千万円で売れる相場の地域やったとしたら、それを2千部にすれば2千万円で売れる計算になる。

そのため目に見える利益を度外視して部数を増やすことだけに専念していたのである。

それが気前が良いとか、豪気な性格、凄い人といった感じに傍からは見えたわけや。

その店を買わされた者は、とんだ災難である。買い取った店の大半が月1,500円しか払わん客ばかりやさかいな。

モリシタ会長、恐るべし。アイは、それまで、この業界には良い思い出が多かったが、この件で怖い部分もあると初めて知ったという。

人は外見だけで判断したらあかんと。人には裏があるもんやと。

ただ、それでも今と比べて新聞業界に活気があった時代だったのは間違いないとアイは言う。

現在は、新聞好きの一主婦に過ぎないが、それでも世話になった新聞業界に元気になって貰いたいと願っている。

心から応援したいと。そのためになる話なら、今後も喜んですると。


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