メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第358回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日  2015. 4.17


■新聞販売店物語……その15 自転車配達人の憂鬱


風の強い日だった。台風ではないが、感覚的には、それに匹敵する強風が吹き荒れていた。

その日もユウヘイは自転車で新聞を配達していた。

午前4時30分頃。商店街に入って、狭い路地の奥の家に配達するため表通りに自転車を停めた。

いつものように、荷台から新聞を一部抜き出して小走りで、その家に向かいポストに新聞を投函した。

自転車の所まで戻る僅か数十秒の間に自転車が倒れていた。おそらく突風に煽られたのだろう。

辺りの路上に停めてあった自転車の大半が強風のために横倒しになっているのは知っていたが、まさか、この配達専用の自転車が風如きで倒れるとは思っていなかった。

「何てこった」

ユウヘイは、やれやれという感じで、倒れていた自転車を起こした。

その時、自転車が店舗の前にあったと思われる移動式の電飾看板の上に倒れていたことに気づいた。

見ると、看板のアクリル部分が割れていた。おそらく自転車が倒れた時の衝撃で割れたのだろう。

ユウヘイが乗っているのは、日本新聞協会とB社が共同開発したと言われている新聞配達専用自転車で、かなり頑丈な造りになっている。

自転車の総重量が23キログラム。一般的な自転車の重量は16、7キログラムといったところが平均である。

それからしても、相当に頑丈な造りの自転車だということが想像つくやろうと思う。

頑丈な造りになっているのは新聞を多く積めるようにしているためや。

ただし、道路交通法で自転車の積載重量が決められている。

前後合わせて30キログラムまでや。正確には前かごに3キログラムまでで、その場合は後ろの荷台には27キログラムまでということになっている。

もっとも、それが守られているケースは殆どないがな。

新聞配達のアルバイトは、地域や新聞社、新聞販売店毎で多少違うがユウヘイの場合、1部につき1ヶ月250円しか貰っていない。100部としても月2万5千円。そんなんでは安すぎて仕事をする意味などない。

ユウヘイは本紙とスポーツ紙、業界紙などを合わせて全部で300部ほど配達していた。それで、やっと月7万円余り稼げる程度である。

それが、アルバイトとしては、ぎりぎり納得できる金額や。それ以下ならアホらしくてする気になれない。

新聞は紙で軽いという先入観があるためか、自転車に山積みしていても警察などから積載オーバーで咎められることはまずない。

300部の新聞の重量がどのくらいのものか。その重量を算出するのは、それほど難しくはない。

まず、配達時の折り込みチラシ込みの新聞を10部ほど括る。服を着たままで構わないから、手ぶらで体重計に乗って重量を量る。

次にその10部の新聞を持って同じように量る。その時の重量と手ぶらの時の重量の差が新聞の重さになる。

それぞれの新聞販売店毎で多少違うし、同じ新聞販売店でも日によって変わってくるが、ユウヘイの場合、その方法で量った時は、折り込みチラシ込みの新聞10部で3.2キログラムやった。

それを単純計算すると300部の新聞だと約96キログラム。法定積載量の3倍強になる。

新聞配達専用自転車であれば、その程度の重量は余裕で積める。大きな声では言えんが、そのように設計されているという。

大いなる矛盾やが、そういうのは自転車に限らず多い。

例えば乗用車にしても、高速道路での法定最高速度は時速100キロメートルまでと決められている。

しかし、実際には殆どの日本車であれば時速130キロメートル以上であっても余裕で出せる。時速200キロメートル近くに達する乗用車もそれほど珍しくはない。

それがためにスピード違反の検挙者が後を絶たんわけや。違反であれば設計段階から、それ以上のスピードが出せんようにしていればええわけやが、そうもいかんらしい。

それと同じで、殆どの車両が積載量の3倍程度の重量を積むことが可能になっているということや。

法律を守るかどうかは、その人間の良心に任されているということにされて。

それを大いなる矛盾と感じている者は少ない。

新聞配達専用自転車でもユウヘイが積んでいる程度の重量は特別多いとは言えない。人によれば、それ以上の部数を自転車で配達しているケースはいくらでもあるという。

もちろん、それによって大半の人間が、違反と認識して後ろめたい気持ちになることは、まずない。そんなことなど考えもしないのが普通や。

それどころか、人が積めない重量を積んで配達することを自慢する傾向すらある。

バイクについても同じようなことが言える。

それが、一般的な感覚やから、新聞配達開始時に積載違反をしていない配達員は皆無に近いと思う。

積載違反で捕まれば、自転車の場合5万円以下の罰金が科せられる。

ただし、新聞配達員がその積載違反に問われ、その法律が適用されたケースは殆どない。少なくともワシらは知らん。

理由は定かではないが、それについての取締りなど一切していないのが実情や。取締りをしていなければ摘発されることなどないわな。

まあ、それには新聞配達専用自転車の積載オーバーが原因の事故があまり起きてないということがあるのやろうがな。

その商店街で約半分の配達を済ませていたから、それでも新聞の重量は約50キログラムくらいはある。それに自転車の重量23キログラムが加わるから、計70キログラム以上の重量になる。

それが突風で煽られて移動式の電飾看板の上に倒れたわけやさかい、看板のアクリル部分が割れて壊れるのも無理はない。

「何で看板を出しっぱなしにしとんのや」

ユウヘイは以前、居酒屋でバイトをしていたことがある。その時には仕事が終わると常に看板を店内に終い込んでいた。出したままにしておくと通行人が悪戯して壊す場合があるからや。

その程度のことは常識だとユウヘイは思っていた。

だからと言って、看板を出したままにしている方が悪いとも言えない。

どんな事情、状況であったとしても直接手を下す、あるいは不注意による過失で被害を与えれば与えた者に損害賠償の責任が発生すると日本の法律ではなっている。

法律的には、ユウヘイがその看板の弁償をしなければいけなくなる。

居酒屋でバイトをしていた時、移動式の電飾看板の値段を聞いていた。確か10万円前後したと言っていた。

目の前の物が、それだけするかどうかは何とも言えないが、それくらいは覚悟しなければいけないだろう。

そうなると、1ヶ月分のバイト代が消える。

ユウヘイは迷った。早朝の午前4時30分ということもあり周りには誰もいない。逃げてしまおうと思った。

誰かに見られていれば仕方ない。素直に謝って弁償するしかない。

その場合は新聞配達員だと知れているから、逃げても無駄だ。ユウヘイの仕業だとすぐに分かるやろうしな。

この時、ユウヘイは逃げ切れそうに思った。このまま逃げれば分からないと。

悪いのは自分ではない。配達用の重いがっしりとした自転車が倒れるほどの突風が吹くなど想像もしていなかった。完全に不可抗力によるものだ。

それに、「こんな所に看板を出したままにしている方が悪い」と考えたということもあった。

人は自身の行為を正当化し始めると、それがどのようなものであれ正しいと信じ込むようになる。

挙げ句には、自分は加害者ではなく被害者だと考えるようになることも珍しくはない。ユウヘイがそうだった。

そう結論づけるとユウヘイの行動は早かった。

素早く、その辺りの配達を済ませ、他所へ移った。その間、その商店街では誰とも会っていない。時折、トラックやら乗用車が商店街に面した道を通行していただけだ。

これで逃げ切れる。そう考えると同時に疑念も湧いた。

今日び、どこにでも監視カメラが備え付けられている。現場で監視カメラの存在を確認する余裕などなかったが、取り付けられていた可能性は十分考えられる。

もし、そうなら、それを見れば現場から逃げたのがユウヘイだということは、一目瞭然ですぐ分かる。

そうなると、当て逃げしたことになる。物損であっても当て逃げの罪は重い。

1年以下の懲役又は10万円以下の罰金という規定がある。

どうしようかと考えながらユウヘイが店に戻ると、店長のオオガキがいた。

「店長、ちょっと訊きたいことがあるんですけど」

「何や?」

「うちの自転車、保険に入っているんですか?」

「自転車に保険? そんなもの入っとらんが、何でそんなことを訊くんや?」

「いえ、今日が風が強くて商店街でバランスを崩しそうになって、看板にぶつかりそうになったもんで、もし壊してしまった場合、保険がどうなっているのかなと思いまして」

ユウヘイは、とっさにそうウソをついた。自転車保険に入っているのなら、正直に看板を壊したことを言うつもりだった。

そうと違うと言われれば、黙っているしかない。

「その時は、お前が自腹で賠償するしかないやろうな」

店長のオオガキは、当然といった顔で、そう言った。

「そうですか。それでしたら、そうならないように気をつけないといけませんね」

「そういうことや。それが心配やったら、前から言うてるように原付の免許くらい取っとけよ。バイクなら任意保険に加入しとるさかいな」

「そうですね。考えておきます」

ユウヘイは、そう曖昧な返事をして家に帰ったが、不安な思いを払拭することができなかった。

いつもは配達した後は、すぐ寝るのやが、増大する不安に耐えきれず、ワシらにメールで相談してきた。


……というわけなんですが、ゲンさんは、どうしたら良いと思われますか?


と。

これについて、回答を送った。


回答者 ゲン


『ゲンさんは、どうしたら良いと思われますか?』ということやが、そう言われてほっとけとも言えんやろ。

ワシとしては、発覚する可能性があるのなら、その看板の持ち主に正直に言うて話し合いで解決するしかないとしか言いようがない。

それもなるべく早い方がええやろうな。遅くなればなるほど言い出しにくくなるさかいな。

やってしまった事、起きてしまった事は仕方ない。

問題は、その後、どう対処するかや。それでその人間の人間性が問われる。

あんたが、ワシらのもとに、こういったメールを送って来られたのは罪の意識と後ろめたい気持ちがあるからやと考える。

その看板の持ち主の性格次第ということもあるが、その行為が許せないと考えれば警察に被害届けを出して、本格的に犯人捜しをする可能性は高い。

その際、『監視カメラに、移動式の電飾看板の上に倒れている自転車を、あんたが起こしている場面』が録画されていれば否定のしようがない。

その時点で発覚すれば、ヘタをすると、そのアルバイトがクビになるだけやなく、悪質やと判断されて刑事罰が下されることも考えられる。

この程度の事案であれば可能性としては少ないとは思うが、近年、新聞業界関係者の引き起こした事件が他紙の新聞やテレビで報道されるケースが増えとるさかい、それも考慮に入れとかなあかんかも知れん。

そうなると、あんたの信用は失墜する。結局、その電飾看板の弁償はせなあかんようになる。

刑事罰の方は実刑にはならず執行猶予がつくか罰金刑で済むとは思うが、その近辺では多くの人にそのことが知れ渡るやろうから居づらくなるわな。

あんたの人生そのものが変わるかも知れん。もちろん、悪い方にや。

また、発覚せずに済んだとしても、あんた自身、その事が負い目になるやろうし、いつ発覚するかも知れないという怯えを感じながら生きて行かなあかんようになる。

少なくとも配達時、その場所を通りかかる度に、今回のことを思い出すはずや。

あんたはワシらに、こんな告白をするくらいやから、その罪の意識は相当なものやと思う。その思いを、これから先、ずっと抱き続けることになる。

それに耐えられるというのなら、それ以上は何も言うことはない。

ワシらは、どんな告白をされようと、それを曝露するつもりはない。もっとも、そう信じられたからこそ、知らせて来られたのやとは思うがな。

罪の意識に押しつぶされる、あるいは発覚した場合のリスクを考えるのなら、悪いことは言わんさかい、正直に告白して弁償するための話し合いをすることや。

例え、現在その金を全額払えないとしても、その交渉の方法はいくらでもある。そのアドバイスならナンボでもする。

そして、今回のことを教訓にして今後に活かせば、それはそれで、あんたにとってもマイナスにはならんやろうと思うしな。

今回の場合は弁償する程度のことで済むとは思うが、近年自転車事故による賠償額は物損に限らず対人についても高額になっとるさかい、取り返しのつかんことになる可能性も十分考えられる。

そうならんためには、個人で自転車損害保険に加入されておかれることを勧める。

そうすれば、その保険会社が上手く処理してくれるやろうし、今後自転車運転による何らかの事故で賠償責任が生じた場合でも安心できるのやないかと考えるさかいな。

自転車損害保険は、それほど高くはないようやから一考されることを勧める。

ただワシから一つ言えるのは、逃げたら、それ以上できることは何もないが、どんなに嫌で困難な事でも逃げずに対処すれば、それなりの方法が必ず見つかるということや。

それは間違いない。世の中、真摯に向き合って解決できん問題はないと信じている。少なくともワシらは、そう考え生きてきた。

できれば、あんたもそう心して欲しい。

もっとも、どうされるかは、あんた次第やけどな。


と。

後日、ユウヘイからメールが届けられた。


ゲンさんからメールをもらって、やっぱり正直に話した方が良いと考えましたので、その看板を出していた店に行きました。

すると、その店は現在、先月末で店じまいしているということで、そこの店主の行方は誰も知らないと言います。

その店先をよく見ると、看板の他にも備品のようなものがいくつか並べてありました。

念のため、警察に行って事情を話しましたが、「そういうことなら仕方ないんじゃないですか。被害届けも出ていませんし」ということでした。

こんな場合、どうしたら良いでしょうか?


と。

連絡が取れないのでは警察の言うとおり、それ以上は、どうしようもない。

『その店先をよく見ると、看板の他にも備品のようなものがいくつか並べてありました』 ということなら、店の中を空にするため看板を外に出していたのやないかと思う。

そういう状況なら、ほぼ間違いなく、近いうちにその店主の関係者か、廃棄処理業者が、その看板と備品を片付けに来るはずや。

行き場所は、かなりの高確率で産廃処理業者の所やな。

つまり、その看板は遅かれ早かれ壊されて捨てられる運命にあったということや。

ユウヘイには、そう伝えて何も心配することはないやろうと返事した。

しかし、それが分かったのは、正直にその事を話そうとしたからや。そうでなければ、ユウヘイはいつまでも罪の意識に苛(さいな)まされていたやろうと思う。

たまたまやったと言われれば、そうかも知れんが、逃げずに事に当たれば、案外簡単に解決つくことの方が多いのも、また事実や。

問題は、そう信じられるか、どうかやな。


白塚博士の有料メルマガ長編小説選集
月額 216円 登録当月無料 毎週土曜日発行 初回発行日 2012.12. 1

ゲンさんの新聞勧誘問題なんでもQ&A選集 電子書籍版パート 
2011.4.28 販売開始 販売価格350円
 

書籍販売コーナー 『新聞拡張員ゲンさんの新聞勧誘問題なんでも選集』好評販売中


ご感想・ご意見・質問・相談・知りたい事等はこちら から


ホームへ

メールマガジン『ゲンさんの新聞業界裏話』登録フォーム及びバックナンバー目次へ