メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第363回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2015. 5.23


■ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 7


同様のシリーズに『Q&A編』があるのやが、今回の『メルマガ編』とは若干の違いがあることに気がついている人がおられるやろうか。

基本的に『Q&A編』は、個人からの相談や質問に対する回答やから、その人に特化した内容のものが多く、それに対して『メルマガ編』は、メルマガ読者全員のためになるような話を届けたいという願いが込められている。

簡単に言えば、特定の個人に対してのものか、大勢に向けたものかという違いやな。それによって同じような話題でも話す内容が微妙に違う。

話す内容が違えば使う言葉や表現も違ってくる。

それについては、どちらが良くて悪い、どちらが上で下かといったことはない。もちろん、ワシらの中で差をつけているつもりもない。

もっとも、メルマガは一週間に一度ということもあり、費やせる期間が長く余裕があるため、つい色々な話や情報を盛り込むあまり文書量が多くなってしまっている点でメルマガの方がより力が入っていると思われがちやがな。

当然のことながら、Q&Aではせんような話をメルマガですることもあるし、その逆もある。

その意味で言えば、同じ『ゲンさんの深イイ話』と銘打ったシリーズを2つに別けたのは、正解やったと思う。

ただ、どちらのシリーズの『深イイ話』がええのか悪いのか、感銘を受けるのか受けないのかというのは、これを見ておられる方の判断に委ねるしかないがな。

それでは始めさせて貰う。


ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 7 77撰


何でもそうやが、評判と信用を得るのは長い年月が必要になる。それこそ小さなことからコツコツと積み上げていくしかない。(第301回より)


何にせよ、座して滅びを待つのやなく、何とかしようという意識を持つことが大切やと思う。それが結果として、自身を救うことになり業界を復活させることに繋がる。(第301回より)


ネット中心の若者が、そんな掲示板サイトに書かれている文章に毒されているようであればボキャブラリー(語彙)が貧しくなるのも無理はないわな。稚拙な言葉が数多く並んでいる。

ネットばかりしているとアホになるとまでは言わんが、そんなものを読んで賢くなるとも思えん。(第302回より)


あんたにとっては常識的な知識であっても多くの人にはそうでもない場合が多い。(第302回より)


拡張員が減れば獲得する部数も減る。部数が減れば販売店が減る。販売店が減れば拡張員が減る。(第302回より)


値上げは、その額云々より、値上げしたという気持ちの部分の影響が大きい。(第303回より)


世間の評価が売り上げに直結するのは新聞も同じなんやが、如何せん新聞社の人間は直接、その新聞を売り歩くことがないから、その意味が実感として分からんのやろうと思う。(第304回より)


現在、与党の圧倒的多数を誇る議員数は、必ずしも国民から指示された結果とは言い難い。政治そのものに嫌気が差したといった理由で選挙に行かず低投票率になったというだけのことやさかいな。(第306回より)


常に正しい記事を掲載している新聞もなければ、いつも間違った報道をしている新聞もない。(第306回より)


やっていないことは徹底してやっていないと言って貫くことや。それが身を守る手段になる。特に犯罪者として扱われた場合は、やっていないのであれば絶対に認めたらあかん。(第307回より)


私もメルマガの執筆を予定期日の時間一杯まで書いていますので誤字、脱字は多い方だと思います。もっとも、書き手としては、それを言い訳にはできませんけどね。(第308回より)


間違いが許されないというのは正論やが、正論では評価されない、飯が食えないと考える者がいるのも事実なわけや。(第308回より)


如何なる事情と理由があろうとも誤報は誤報でしかないさかい、間違いが正当化されることは絶対にない。(第308回より)


新聞業界は、倒産しても、それで終わりやない。その販売店、拡張団の多くは名を変え、形態を変えて存続するのが普通である。

そのあたりが他の業界、業種と大きく違うところや。一般の会社では倒産すれば、多くの人が職を失うもんやが、新聞業界はそうはならんさかいな。(第309回より)


原発は国のくだらないメンツと電気事業者の利益のためだけに存在している言うても過言やない。(第312回より)


どんな事故が起きようと、原発事故のようなことはないと断言できる。たいていは事故直後から復旧作業に取りかかることができるし、必ず復旧できるからや。原発事故は、それができない。復旧したと呼べるようになるには数十年という途方もない年月が必要になる。(第312回より)


その経験のない人には分からないかも知れんが、客から胡散臭く、あるいは蛇蝎を見るが如きの視線には、どんなに強靱な神経の持ち主でも心が折れることがある。それも一人や二人やなく、日に数十人となれば尚更や。相当にきついものがある。(第313回より)


ただ、悲観的な見方をするより、例え希望的な観測であっても、それを信じて日々努力する方が新聞業界に生きる者として、より充実した人生を送れるのやないかと思う。(第313回より)


どのような結果になろうと、人には明日があり、未来がある。例え負けても悲観することはない。(第315回より)


新聞社は社会のためになる記事を掲載しているという自負があるのやろうが、ためになるかならんかを決めるのは新聞社やない。読者や。そこを間違えたらあかん。(第316回より)


要するに儲からん、利益になりそうもないものには模倣などないということやろうな。(第317回より)


いくら過ぎ去った過去は早いと言うても、10年間の足跡を振り返る作業は半端やなかった。(第318回より)


あんたへのクレームをなくすには、あんた自身の評判を上げることや。その一番の近道は、すべての人に笑顔で接することやと思う。(第320回より)


憲法は、為政者、政治家の行動を抑制するためにあるもので、政治家自らが勝手に都合良く解釈を変更してええわけがない。(第321回より)


人の意見は千差万別、様々にあって、自分とは違う、相容れないものがあるのが普通で、そんなものに一々反応してもキリがないと思う。

ただ、そういった口汚い言葉を吐く人間の程度は疑うがな。人を批判したり貶しめたりすることは、どんな愚か者にでもできることやと。(第321回より)


言いたいことや主義主張があるのなら、地道に訴え続けるしかないと思う。(第321回より)


政治は、所詮他人事、別世界の話と考えるから関心がないだけで我が身に降りかかってくる可能性のある問題の場合は、誰でもそれなりに考えるものや。(第322回より)


いつものことやが、こういった自然災害が起きる度に、大自然の力の前で人は、まったくの無力やということを痛感せずにはいられなくなる。

蟻の巣に水を注ぎ込まれて右往左往するアリたちと何ら違いはない。人は何でもできると自惚れてはいるが、所詮、か弱い生き物の一種族にすぎん。(第323回より)


結局、人は運任せ、天任せでしか生きられないということになる。(第323回より)


いかなる状況下であっても新聞を配達して当たり前という考えが支配する。一切のエクスキューズは存在しない。そこには仕事への義務感、使命感、プライドなどがある。

また、それぞれの新聞販売店の空気感というのもある。天候不良を理由に新聞を配達しないという選択は許されない、失職につながるといった危機感が、それや。(第323回より)


メルマガを発行し続けて10年。10年一昔とよく言われるが、一つのことをやり続ける期間としては長い。(第325回より)


その内容の善し悪しは、読者の判断に委ねるとして、10年間続けられたというだけで自らを褒めてやりたいと考えている。「継続は力なり」という言葉があるが、その意味を今噛みしめて今後も続けていくつもりや。(第325回より)


過去があるからこそ、今があり未来がある。当たり前のことや。その当たり前のことが10年の足跡を振り返ることで実感できた。(第326回より)


これから起きることを予想して、先に罰を下すというのは私刑に該当します。そして、日本の法律は私刑を認めていません。(第327回より)


日本の社会は、良くも悪くもムードや風潮に流される傾向が強い。(第328回より)


誰が何を考え、どのように主張しようが、それはそれでええ。否定も肯定もするつもりはない。この国は言論の自由が保証されとるわけやさかいな。(第328回より)


どのような主義主張、意見も尊重されるべきやと思う。相手の立場に立てばそれなりの主義主張、意見が存在する。立場の違いにより考え方や見方もいろいろある。論客を気取るのなら、その程度のことが分からな話にならん思うがな。(第328回より)


右傾も左傾もいてこそ健全な世界やと考える。もちろん、ワシらのように、そのいずれとも与しない考えの者も必要やがな。(第328回より)


どちらか一方だけの論調がまかり通る社会ほど、いびつで怖いものはない。主義主張はなるべく多い方がええ。自由にものが言える環境がベストやさかいな。(第328回より)


自分のしたことに間違いはないという思い込みの強い人がいる。相手は間違いを犯すが、自分は絶対に間違ったことはしないという変な自信があるわけやが、残念ながら、そういった人にいくら諭しても、その心に響くことはない。(第329回より)


苦言こそが本当に相手のためを考えて言っているということが分かって貰えないのは残念やと思う。(第329回より)


相手の失点で勝ちを得る。ええ悪いに関係なく、勝負事では常に起こることやと考えてなあかん。(第330回より)


労働者の常として、経営者の羽振りがええのは、自分たちから搾取しとるからやと思いがちや。そして、それには少なからず嫉妬心のようなものも加わっている。(第330回より)


周りに自分と同じ考えの人が多いと、世の中はそういう人たちで覆い尽くされているかのように錯覚する人がいる。(第330回より)


新聞の好きな人は世の中には多いはずやが、その人たちは「サイレント・マジョリティ(物言わぬ多数派)」に徹しているためか、ネットで発言することが少ない。(第330回より)


人は哀れみや同情だけでは生きていけない。どんなに辛かろうと苦しかろうと理不尽であろうと、自分自身の力で切り拓いて生きていくしかない。(第331回より)


人は苦しい時に、どれだけ踏ん張れるか、どれだけ頑張れるか、前を向けるかで、その人の真価が問われる。ただ、そんな時やからこそ頑張れと言うだけでは、なかなかその心には響かんやろうと思う。(第331回より)


人は、どんなに絶望的な状況に置かれても逆転することができる。必ずその方法がある。(第331回より)


こういった名言を紹介する度に言うてることやが、名言を言った人は確かに偉いが、それ以上に偉いのは、それを素晴らしいと受け止め、自身の糧にできる人やと思う。(第331回より)


いずれにしても『新聞の知られざる事実』について知っていて損はない。(第332回より)


専門家やからといってええ考えやアイデア、提案が思い浮かぶとは限らん。素人目線やからこそ、気がつくことも多い。(第333回より)


業界への苦言は、その立場で仕事をされている方にとっては耳が痛い、面白くないことかも知れんが、大きな目で見れば必ず業界のためになると信じて話しているつもりや。(第334回より)


如何なる圧力があっても正しいと信じてしたことを曲げるつもりはない。ワシらは、そうして生きてたきたし、これからもそうして生きていくつもりや。(第334回より)


一人の人間が国家に刃向かっても、ただの灯籠の斧にしかならんが、国民すべてが国家に対抗したら国家も折れるしかない。(第334回より)


問題の大きな時に、それを打ち消そうと必死になって動いても多くの場合、逆効果にしかならん。(第334回より)


暴風の時は、じっと物陰に潜んで、その風が止むのを待つというのも立派な策や。『無策の策』に徹することで、いつか事態が好転すると信じて。(第334回より)


批判をするのは構わない。自由や。しかし、そうすることで自らの心が荒(すさ)んでいく危険について考えて欲しいと願わずにはいられない。(第335回より)


個人的な制裁は私刑になり、そのこと自体が犯罪になることも多い。犯罪者を責めて自らが犯罪に手を染めるほど馬鹿げたことはない。しかし、そんな単純なことが分からん者が、ネットの世界には、あまりにも多い。(第335回より)


犯罪者、とりわけ刑務所に服役している人間の視野は狭い。置かれた環境もあって多くのことを考えられんわけや。一つのことだけに固執しやすい。それが復讐の執念と化すことも多い。(第335回より)


脅すつもりはないが、私刑まがいのことをするのなら、その相手に復讐されても仕方がないくらいの覚悟を持ってやって欲しいと思う。(第335回より)


ネットでの私刑は果てしない人の心の荒廃を生むものでしかない。そして、人の心の荒廃は、人そのものを滅ぼすかも知れない。一刻も早く、その事の愚を分かって欲しいと願わずにはいられない。(第335回より)


哀しいかな今は、そういう時代やと認識するしかない。金さえ稼げるのなら善悪の境界やハードルなどいくらでも低くし、簡単に飛び越える者がどこにでもいると。(第336回より)


『1回だけ利用したいのですが、どう思われますか?』ということやが、そんな闇金に手を出したら確実に身の破滅を招く。悪いことは言わん止めとき。闇金に手を出す人間に1回だけで済むはずがないし、闇金もそんな美味しい客を逃がすようなことはせん。とことんまでシャブリ尽くそうとする。(第336回より)


目先の小さなピンチを避けようとして、二度と生きて出られん底なし沼に嵌り込むようなもんや。もう一度言う。そんな闇金には絶対手を出したらあかん。(第336回より)


人は成功体験があればあるほど自信をつける。その自信がさらなる好結果を呼び込むのである。(第338回より)


子供に「サンタクロースなんかいないよ」と言うのと、「サンタクロースはいるよ」と言えるのと、どちらが素晴らしいか。夢があるか。ワシらの言いたいことの答が、そこにある。(第341回より)


笑いは健康と心の薬や。また営業職に携わる者にとっては強力な武器になる。さらに一般の人にとっても人との関係をスムーズにする潤滑剤にもなり得る。(第343回より)


ジョークと皮肉の違いは一つ。それは使う相手に対する思いの違いや。相手への心遣い、優しさがあれば、けっして皮肉にはならない。反対に、相手に対して敵意があれば、どんなジョークも皮肉に聞こえてしまう。そう心することや。(第343回より)


新聞社の多くは自社のブランド力のおかげで契約が取れていると錯覚しとるようやが、そんなものは存在しない。そう思いたいだけの妄想にすぎない。(第344回より)


トラブルの多くは、相手の立場を考える、思いやることで少なくすることができると考えるのやが、人はどうしても自分本位になるのやろうな。(第345回より)


料理を作るために欠かせない包丁も人を殺傷する凶器になるし、人や物を運ぶ便利な自動車も一歩間違えば殺人マシーンと化す。

その反対に、もともとは戦争目的に開発された人工衛星も今では大半が、通信機能の発達、気象観測やGPS機能の充実といった最早人類の生活になくてはならないほどの多大な貢献をしている。(第346回より)


生きている限り人生にリタイアはない。物語なら、いつ終わっても絵になるし、様にもなるが、人生はそうはいかん。どんなに格好良くても、どんなに無様でも、人生は死ぬまでの間、誰の身にも等しく続くからだ。(第346回より)


ネット上での文章は一度書いてアップしてしまうと、それが長期間に渡って残る。迂闊なことを書いたがために、取り返しのつかん事態になることも珍しくない。(第347回より)


暗殺を実行した者は、どこまでいっても殺人者や。それ以外の何者でもない。この件(安重根による伊藤博文氏暗殺事件)に関しては韓国以外の全世界の人が、そう考えるはずや。人殺しの暗殺者に正義など絶対にないと。(第348回より)


もうすでに日本には安全神話などなくなりかけていると認識することや。自然界の生き物と同じように一瞬の油断が死を招くと。

ホンマに嫌な世の中になりつつあるが、それを嘆いても仕方ない。人は何があっても生きていかなあかんさかいな。(第349回より)


どんなことでもそうやが、一旦、違法行為に手を染めてしまうと、そこからなかなか抜け出せんようになる。それが普通のことやと思い込んでしまう。そうなってしまうと救いがなくなる。(第350回より)


会得した知識とか経験、情報はそれ自体、その人固有の大きな財産となり得る。また簡単に他人に奪われることはない。(第350回より)


以上や。

この『メルマガ編』は50回で一区切りにしとるさかい、1年に1回のペースということになる。

まあ、若干の狂いはあるが、今後もそのペースで続けていきたいと思う。


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