メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第37回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2009. 2.20


■もしも、新聞拡張員が裁判員になったとしたら


「何、怖いこと言うてんねん」という向きがあるかも知れんが、可能性としてはあり得ん話やない。

周知のとおり、裁判員制度が、今年の5月21日から施行される。

今から、ちょうど3ヶ月後や。

実際には7月の下旬頃から、くじ引きで選ばれた裁判員の参加する裁判が開始される予定やという。

これは新たに創設された法律と捉えられる向きも多いかも知れんが、その原型は古くから存在していた。

刑事陪審制というのがそれや。

1928年(昭和3年)10月1日から1943年(昭和18年)4月1日までの約15年間、アメリカ同様、裁判官の裁判か、陪審裁判かを選択できる制度が日本にもあった。

それにより、448件が実際に陪審制で裁判されたという当時の記録が残っている。

しかし、それは戦争の激化のため徴兵業務が忙しく陪審員名簿の作成ができんということで停止となった。

廃止されたわけやないから、現在でも「陪審法」という法律が日本には存在する。

「陪審法の停止に関する法律」で戦後、復活することが法律で決まっていた。

そして、実際にも戦後間もない1946年(昭和21年)3月5日、当時の政府において陪審制度を復活するとという閣議決定をしていた。

また、1947年(昭和22年)5月3日施行された裁判所法でも、法律で刑事事件の陪審制を設けることを妨げないとも規定されている。

しかし、政府や裁判所は、その後、実に63年もの長きに渡り、その陪審制を放置したままにしていた。

陪審法がありながら、その理由が定かにされないまま復活期限が先延ばしにされ、その結果、63年間もの間、裁判官による裁判だけが行われてきたことになる。

おかしいと言えば、こちらの方がよほどおかしいんやが、今まで多くの人に忘れられていただけのことで、この裁判員制度というのは何も突然降って湧いた特別な話やないわけや。

もっとも、多くの人にとっては「いきなり何でやねん」という思いがしとるやろうがな。

それがええか悪いかは別にして、とにかく、その裁判員制度が否応なくスタートすることが決まったということだけは確かや。

その裁判員は、選挙権を有する市民の中から無作為に選ばれる。

裁判員として除外されるのは、義務教育を修了していない者、禁錮以上の刑に処せられたことがある者、一定の公務員、法律関係者、事件に関連する被告人および被害者の関係者などとある。

そのいずれとも新聞拡張員は該当しない。

事件の関係者になるかも知れんやないかという意見もありそうやが、それは、何も新聞拡張員に限ったことやないから論じる必要はないやろ。

もっとも、個人の不適格事由として、禁錮以上の刑に処せられたことがある者に該当するケースなら、拡張員は一般の人間よりその比率が多い可能性はある。

現実に、そういう人間を何人か知っとるさかいな。

あるいは、義務教育を修了しとるとはとても思えんようなアホな者もいとるやないかと指摘する人もおられるかも知れん。

それについては明確な否定はできんが、それを言い出せば、おバカタレントに代表されるように、そういう者は世間にはごろごろおるから、単にアホやというだけの理由で特別に新聞拡張員だけが除外されるいわれはないわな。

そういう人間を裁判員に選ぶのは怖いやろうという意見がいくらあっても、法律で線引きすれば、それらのすべて皆、一緒にひっくるめて一山ナンボとするしかないということや。

その一山ナンボが判決を下すことになる。

その中に含まれる新聞拡張員が裁判員になる可能性があるというのは、そういうことや。

ネット上では、拡張員を嫌う人間は多い。毛嫌いしとる者、人間のクズとこき下ろす者、平気で死ねと掲示板などに書き込む者すらおるという。

言うとくが、そういう人は、裁判制度に該当するような死刑又は無期の懲役や禁錮に当たる罪に関する事件、 例えば、殺人罪、強盗致死傷罪、傷害致死罪、現住建造物等放火罪、強姦致死罪、危険運転致死罪、保護責任者遺棄致死などの犯罪は絶対に犯さんことや。

その罪を犯して被告人になって、裁判員になった新聞拡張員に裁かれた日には目も当てられんやろうからな。

それで死刑でも言い渡された日には、それこそ死んでも死に切れんやろうと思うで。

ここから得られる教訓としては、「人をこき下ろすのなら、犯罪は一切犯さんというくらいの心構えを持て」ということやな。

まあ、そんな犯罪を犯さんというのは人として当たり前のことやから、わざわざ言う必要もないけど、念のため言うとく。

そう考えれば、少しくらい犯罪の抑止力になるかも知れん……かな。

「それにしても、この制度は問題が多すぎますね」と、ハカセ。

「ああ、矛盾だらけやな」と、ワシ。

2007年(平成18年)3月に、最高裁判所の委託を受けた「株式会社NTTデータ研究所」が国民の意識調査のアンケートを取った記録がある。(注1.巻末参考ページ参照)

このアンケートは全国の20歳以上の男女が対象で、8300人に対して行ったものやという。

それによると、「あまり参加したくない」が28.4パーセント、「参加したくない」が33.3パーセントの計61.7パーセントが参加否定の割合ということや。

それに対して、「参加したい」が8.2パーセント、「参加してもよい」が19.4パーセントの参加是認派は、計27.6パーセントおるという。

ちなみに、「わからない」は10.8パーセントという結果が示されている。

しかし、これは、まだ今ほど問題視されてなかった頃の2年ほど前の話で、現在では、ある新聞社のアンケートによると、反対は80パーセント以上にもなるということや。

「つまり、国民のほとんどの人が反対を表明しているわけですよね。これじゃ、国民無視の悪法と言われても仕方ないでしょう」

「せやな……、さすがのワシも今のままやと賛成できんな」

ワシは、基本的には、悪法も法やから従うべきやとは思うとるけど、その当事者になる大多数の国民の意志を無視して、法律で決めたから強制的に呼び出すというのは行きすぎやと思う。

しかも、その裁判員の呼び出しを拒否したら、10万円以下の過料が課されることがあるという罰則付きや。

加えて、裁判員には過度な守秘義務というのが課せられていて、それは、裁判終了後も生涯に渡って負わなあかんものやという。

しかも、裁判員の守秘義務は裁判官より重いというから驚く。

ちなみに、裁判官の守秘義務は範囲が限られ、終身のものやないということや。

それに違反すると、6か月以下の懲役又は50万円以下の罰金に処されるとある。

司法に対する国民の理解を深め、その信頼を図ることを目的とした裁判員制度の裁判員に選ばれた国民に、何でそこまでの義務が課せられなあかんのやと思う。

これは、極端なことを言えば戦時中の「赤紙」、徴兵令状に匹敵するくらい、無茶苦茶な制度、法律やないかと考えるがな。

「少なくとも、これを守る拡張員はおらんと思うで」

拡張員は、基本的に喋りたがりの人間が多い。

「一切、口をつぐんで黙っとれ」というのは、喋り好きの拡張員にしたら、海の底で息をせずに我慢せえと言われてるようなもんや。

窒息して死んでしまう。それくらい無理な話やと言える。

もっとも、営業の仕事をしてて無口でやっていけるわけはないから、自然とそうなるんやが、その営業の中でも群を抜いて喋り好きな人間の集団が拡張員なわけや。

普通の人でも絶対に喋るなと言われると、むずむずして、つい喋ってしまいがちになることが多いと思う。

事は密なるを以て成り、語は洩るるを以て散る。

という中国の戦国時代、今から約2400年前の有名な法家、韓非子の教えがある。

何かの企てをするのなら誰にもその事を知らさず知られるな。誰にも喋らんかったら成功するが、話したら失敗するという戒めや。

そういう戒め、教えが延々と伝え続けられとる背景には、秘密を守ることが、いかに難しいかを如実に物語っとるからやと思う。

内緒事を内緒にできるというのは、相当、精神力が強い人間やと言うてもええくらいや。

世の中、そんな人間の方が、はるかに少ないのと違うやろか。

とてもやないが、ワシには我慢できそうにない。

少なくとも、ハカセには洗いざらい喋るやろうし、拡張の雑談ネタに使うかも知れん。

いや、絶対にそうする。

それには、普通に考えて、文句なく人が面白がるネタやと思うさかいな。営業員として使わん手はない。

その法律で定められた守秘義務には、『裁判員は、評議の経過や、それぞれの裁判官、裁判員の意見やその他「職務上知り得た秘密」を漏らしてはならない』と定められとる。

今の世の中、ネットという誰でも簡単に自分の言いたいことを発信できるHPやブログ、あるいは掲示板などのツールがある。

記憶に新しいところでは、去年の11月末から12月初めにかけて裁判員候補者名簿が裁判所から送られたが、その際に法に触れる可能性があると知りつつ、ブログでそのことを公表した人が数多くいてたという報道もあった。

いくら法律でその守秘義務とやらが決められ罰則が設けられていても、必ずそれを破って公表する人間が現れることを証明したような出来事やった。

また、そこまで積極的やなくても、結果として漏らしてしまうということも十分、あり得る。

この裁判員に選定されると、勤め人は3、4日休まなあかんことになる。

その理由を当然のように勤め先の会社から聞かれる。いくらその本人が隠すつもりでも、それで何人かの人間に知られることになる。

裁判が終われば、その内容を身内や上司、友人、知人に話すかも知れん。その確率はかなり高い。

それでも、そこまでなら、まだ公にしてないと判断されその守秘義務に抵触せん可能性もあるが、それを聞いた第三者の中にネットでその話を公表する人間が現れんとも限らん。

話を聞いただけの第三者が、その裁判の内容を勝手に「裁判員になった人から聞いた話やけど」と言うてネットに流すのも守秘義務に触れるのかということになる。

その懸念はワシらにもある。

このメルマガやサイトには日々多くの情報や話が寄せられてくる。

その中には、去年、裁判員候補者名簿が送られてきたと教えてくれた人もおられる。万が一、その裁判員に選ばれたらその報告をして頂けるとのことや。

それをメルマガの題材として使うことになるかも知れん。その内容次第やが、可能性はある。

もちろん、このメルマガやサイトでは、例えそうなったとしても、その情報提供者の実名を明かすことは絶対にない。

本人のたっての願いがあれば別やが、それ以外では例え警察などの問い合わせや依頼があったとしても明かすつもりはさらさらないさかいな。

そうすることが何らかの罪になるのなら、ワシらが甘んじて受けるつもりや。情報提供者に迷惑をかけることはないと約束する。

ワシらなりのそれが守秘義務やと思うとるさかいな。

また、今まででも、その情報提供者が第三者に特定されるような記述はしてないし、個人名や企業名などの記載もよほど特別なケースを除いては避けてきた。

これからもその姿勢に変わりはないつもりや。

ただ、今までのメルマガがそうやったように、情報提供を受けた事実をもとに創作を加えたものでも、その守秘義務に抵触するのかという危惧はある。

その辺を、もう一度良く調べておきたいと思う。

いずれにしても、ネットで裁判員が関わった事件の審議内容が流されるのは、裁判員候補者通知がブログで大っぴらに知らされたことでも分かるように、避けられん状況やという気がする。

しかも、裁判の判決は裁判官と裁判員の合議制ということやが、全員一致が条件やなく時間がなくなったら最後は多数決ということになっとる。

それで被告人の死刑が決定した場合、それに反対した人間は耐えられんと考えるのも無理はない。

また、誤審が発生すれば裁判員の責任にされる公算が大きいとも言われている。

もともと、この裁判員制度の裏側には、現行の裁判官たちの判決への精神的負担を和らげるためという意図があるとの指摘もある。

裁判官でも死刑判決をためらうケースは多い。そのため被害者の数が基準になっとると言えるほどやさかいな。

最近になって、被害者が一人であっても死刑判決が出るようになったのは、この裁判員制度を見据えてということやとも言われとる。

つまり、裁判員にその負担を押しつけやすくなったということやな。

それが故に、殺人などの死刑判決を含む重大な刑事事件に限定されとるのやと。

それは大いに頷ける話やと、ワシも思う。

それに異を唱える人が、罰則を承知で、その裁判の全容を公開するというのは、その人なりの正義心、あるいは自己防衛としてはあり得ることやと考える。

それは法に触れることやから、ええか悪いかの言及はここでは避ける。

ただ、その守秘義務に従えば、裁判官が法律に疎(うと)い裁判員に容易に説得したり操作したりすることが可能やと思われるが、そこでのやりとりは表には一切出てこないということになる。

裁判員はそこでの経緯を口外できんから、実際に裁判に参加した裁判員と社会全体が、その経験や参加意識を共有するのは難しく、司法に対する国民の理解を深めるという本来の目的とは遠くかけ離れるということになると思われる。

それでは、密室裁判以外の何ものでもないのと違うやろか。

ワシが思うに、その裁判員の個人情報以外はすべて公開するという風にせな、この裁判制度そのものの意味がないと思うのやがな。

この裁判員制度には、その守秘義務の他にも問題は多い。

この裁判員制度のために公判前整理手続というのをするわけやが、それは非公開のため、裁判員はどのような論点があって、どの問題が除外されたのか知らされずに判断を下さなあかんことになる。

それで果たして、正しいジャッジができるのかとなると疑問やと言うしかない。

決められた日数での公判中に新たな争点が出てくるということも考えられる。

これは、検察側、弁護側双方に言えることやけど、その裁判を有利に導くために、それがあたかも公判中に分かった証拠やと言うて出してくる可能性がある。

そうなると、その審議を優先するのか、無理矢理その期間内に判決を出すのか、あるいはそれとも裁判員を入れ替えてするのかということになる。

それを法廷戦術として証拠を小出しすることにより、早まるはずの裁判が却って長引くという事態も考えられるわけや。

裁判員に選定されると仕事を休まなあかんという問題もある。

裁判員法第100条で、労働者が裁判員であったことを理由に解雇や減給を禁止しとる。

但し、有給休暇を除いて、経営者が休職している労働者に給与を支払わないことは違法ではないとされとるから、日当8000円では割に合わんと考える者も出てくると思う。

自営業者が裁判員に選任された場合、審理が終了するまで全く営業ができないとか、経営者が選任された場合、会社の運営に影響を及ぼすおそれも出てくる。

それの端的なものとして、このメルマガで身近な存在でもある新聞販売店の店主が裁判員に選ばれた場合例にとったら分かりやすいと思う。

店主が配達しているという販売店はいくらもあり、その補充の手当に苦労するのは目に見えとる。

他の組織から代配、臨配を雇ってとなると、その日当が2、3万円かかることもあり、8000円では話にならんと当然考えるし、不満にも思う。

それは、そこの従業員が選ばれても同じことが言える。

しかも、新聞販売店というのは、結構、日々大なり小なりトラブルの多い仕事や。店主がおらんとその対応も難しいわな。

店主が他の裁判に関わっていて、それがために販売店が訴えられたと言うんでは洒落にもならんさかいな。

介護や育児、仕事などで都合が悪い期間を2ヶ月しか申告できないという制限がある。

この制限によって申告期間外に裁判員に選任された場合、介護や育児に支障をきたすのは確実や。

人の命にすら関わることやさかい、万が一、そういう事態になれば深刻な問題になるやろうと思う。

一応、裁判員法第16条第8項により、証拠を提出すれば辞退の申し立てが可能やとはされとるが、それも実際にそうならな何とも言えんのやないやろか。

そういうのは、すべて書類審査で決めるもので、実態調査まではせんやろうしな。役所のやることに融通性を期待するのは難しい。

その判断次第では、とんでもない悲劇を招きかねんと思う。

根本的な問題として、この裁判員制度そのものが憲法違反のおそれもあると指摘する向きも多い。

意に反する苦役を禁じる日本国憲法第18条に反するおそれがあるというのが、それや。

63年もの長きに渡り、それが封印されてきたのは、その憲法との矛盾があったからやと考えると、ある意味、納得できるものがある。

それが、衆議院で圧倒的多数を占めた政府によって強引に推し進められた。

現在、政府が頻繁に使うとる衆議院での3分の2の再可決さえすれば、思いどおりの法律が通せるということでな。

裁判員制度に踏み切ったのも、そういうことやないのかと思う。

そういう見方をすれば、国民の多くが反対していると知りながら強引にその法律を制定させたというのも頷ける。

法務省は、憲法には抵触せんと強気な解釈をしとるようや。

しかし、裁判員になる義務は、教育、納税、勤労といういずれの国民の義務にも該当せんから、憲法に存在せん義務を国民に課す法律は憲法違反やと指摘されても仕方ないと、ワシも思うがな。

ただ、それを苦役と思わず喜んで参加したい、参加してもええと考えとる人が27.6パーセントおるということやさかい、その判断が別れるところやろうがな。

次に大きな問題として、裁判員は法廷で提出される証拠を全て確認する必要ががあるため、殺人事件などの現場検証や遺体の写真などを直視しなあかんということがあるということや。

バラバラ殺人事件の場合やと、その首とか胴部、手足の切断部分の映像を相当数見せられることになる。

そこまでえげつない状態やないような普通の殺人事件でも、その殺害状況とか死体の写真は見せられるわけや。

それらをまともに正視できる者は少ないやろうと思う。

それで、重度の心的外傷(PTSD)などの精神疾患にかかる可能性が非常に高くなると言われとる。

それがトラウマとなり、普通の社会生活すらできんようになる者も出てくるのやないかと懸念されとる。

裁判員自身の問題もある。

無差別ということは、どんな人間が裁判官に選ばれるか分からんということになる。

面白半分の興味本位だけの人間もおれば、暴力団や右翼などの反社会的団体組織の構成員やその関係者も選ばれる可能性がある。

もちろん、ワシら新聞拡張員もその中に入る。

もっとも、その職業だけで判断されるのは異議があるが、一般の人たちからすれば、一緒にされたないという気持ちも分かる。

他にも、頭が爆発したような髪型の兄ちゃんとか、現在、高齢化しつつある暴走族も20歳さえすぎて選挙権があれば選ばれるわけや。

人の意見には一切耳を貸さん意固地な高齢者もなかなかやっかいや。

もっと、怖いのはその裁判員に選ばれたことで、その裁判の被告、被害者などの家族に金でその裁決を売り渡す輩が現れる可能性があることや。

もちろん、それは違法やが、その罪を逃れたい被告側の家族、被告に報復したい被害者側の家族にしたら、例え大金をはたいてでも、その申し出に応じる可能性は高いような気がする。

あってはならんことやが、必ずそういう事件は起きると思う。

実際、アメリカなどでは陪審員が金でその票を売ったというのは映画にもなっとるくらい一般に知られた事実やさかいな。

それが日本で起こらんという保障はどこにもない。

そして、現行の法律では、それらの人間を裁判員から排除する規定はないから、無法者の集まりで裁判員が構成されることすらあるわけや。

その彼らの判断で判決が下される。こんな怖い話はないわな。

僅かな救いとして、報復が予想される暴力団関連事件などは裁判員参加の除外事件として想定されとるくらいのものや。

先にも少し触れたが、性急な裁判を目指すが故に、どうしても誤審の可能性が排除できんというのもある。

それが、後日、実際に誤審と判明したら、その裁判に立ち会った裁判員自らが悩むだけやなく、世間からも一斉に責められることになる。

いくら、裁判員の個人情報は守られると言うても、少なくとも顔を傍聴人やマスコミの前に晒すわけやから、その正体を完全に隠し通すことは無理やし限界がある。

マスコミに追いかけ回されることになるかも知れんし、一般の人間からもその標的にされかねん。

例えば、心ない傍聴人の一人が裁判終了後、裁判所の外で裁判員を見つけて携帯電話のカメラなどでその画像を撮ってネットで流せば、あっという間にその正体が知れることになる可能性がある。

そうなれば、その裁判員本人だけやなく、その家族も格好の誹謗中傷の的にされかねん。

まさに悲劇と言うしか言いようのない事態になる懸念が大や。

考えれば考えるほど裁判員にとって不利な事、危険な事が山積しとると言える。

それらが何の解決もされないまま、今年の5月21日から見切り発車されようとしとるわけや。

ヨーロッパやアメリカなどの国々では制裁を覚悟で出頭を拒否する参審員、陪審員が多いという。

このままやと、日本でもそういう人が現れるような気がする。

裁判員制度が生まれた理由として、司法参加により国民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解を深め、その信頼を図ることが目的とされているという。

「それが何で、これだけ問題の多いことが分かり切っている殺人罪などの重大な犯罪についてだけ導入されることになるんですかね」

「さあな……」

普通に考えて、裁判を身近なものにするという理由なら、ストーカーや痴漢、窃盗事件の方がよほど国民の関心が集まりやすいと思うがな。

日常生活ともより直結しとる問題やしな。

それに、これなら、詳しい法律云々を知らんでも、直感的に「それはあかんやろ」と誰でも言えるし、それで刑を科したとしても負担に感じることも少ないやろうと思う。

また事件としても小さくニュースになりにくいから、この制度が施行された直後こそ騒がれるやろうが、すぐにその他多くの事件の中に埋没するはずや。

仕返しを恐れるのなら、現行の重大事件の方が深刻やと思うし、仕返し目的に元裁判員に対しての犯罪行為に走る輩を抑えるには、その量刑を重くしたらええことやと考える。

そして、そういう事件を裁くのも裁判員にしたら、仕返しするのは割に合わんとあきらめると思うがな。

また、アメリカなどのように民事事件というのもええのやないかと思う。

サイトの相談者に共通して言えることやが、新聞の勧誘という日常のトラブルでありながら、その法律に詳しいという人は極端に少ない。

新聞販売店の人間でさえ、その法律に精通しとる人は一握りしかおらんと言える。

本来、法律というものは、国民に広く知らせて守らせるためのものやが、実際はそうやない。

知らん者が悪いとされるのが法律や。それで罰せられても仕方ないとなる。

それに疑問の余地をはさむ法律の専門家はほとんどおらんと思う。

難しい重大事件をいきなり担当させるより、簡単な民事事件を扱わせた方が、よほど真剣に法律を学ぼう、知ろうとするのやないやろうか。

それと、国や行政に対して行っている行政訴訟というのもええのやないかと思う。

これこそ、市民感覚で取り組める問題やないかという気がするがな。

もっとも、それをされたら国や行政が負けるのは目に見えとるさかい、そんなことをするわけはないか。

ある行政の行っている公共工事などは、地裁が工事差し止め処分の判決を出したにも関わらず平気で工事続行をしとるケースもあるくらいやから、そんな事案に裁判員を入れたら、それができんようになって拙いというのもあるやろうしな。

いろいろ、この裁判員制度について、こき下ろしてきたが、どうするのが一番ええか、ちょっと前向きに考えてみようと思う。

まず、現状の半強制的というのは絶対にあかん。この制度の不評の第一理由がそれやさかいな。

裁判員への拒否理由はもっと広くてもええのやないかと思う。

嫌な者に裁判を担当させるべきやない。

そういう人間はええ加減に考えて、早く終わることを最優先する可能性が高いと考える。

当然、まともな審理など尽くせるわけなどない。逆に、まともな審理を尽くそうとする他の裁判員の足かせにならんとも限らんさかいな。

ワシは、先のアンケートにもあったように、やってもええと言う人間が27.6パーセントもおるのやから、応募制にしたらええのやないかと思う。

もっとも、それでも誰でもとというわけにはいかんやろうから、その候補者は同じように前年の11月末までにその名簿を作る。

その名簿の人員は、その27.6パーセントという数字を考慮して現行の4倍程度にする。

その中から、当該の事件について裁判員になってもええという人間を募る。

これなら苦役とは違うし、義務にも該当せんから憲法に触れることもないのやないかと思う。

それで集まった人間を、いろいろな条件に当て嵌めて篩(ふる)いにかけたらええのやないかと思う。

そうすれば、最初からその人たちはある程度の覚悟を決めとるはずやから、守秘義務は守るやろうし、審理を尽くすのも一生懸命すると思うがな。

その下す判決に対しても後悔することは少ないと考える。

少なくとも、そのときはそれで仕方なかったと割り切れるのやないかな。

何でもそうやが、自ら進んでやらん限り、ええ結果なんか望めるもんやないと思う。

もし、それで皆が嫌がって、人が集まらんかったらどないすんねん、てか?

そんな状態になったら、そんな制度なんか何の意味もないやろ。

即刻、廃止したらええだけのことや。

それが、取りも直さず、国民の意志であり選択ということになるわけやさかいな。

国の行政機関で働く連中の中に、何か心得違いをしとる者が多いように思うが、行政が国民を仕切るのやなく、国民の意思が国を作って行くもんなんやで。

国民の意志を無視した制度や法律は滅ぶべきや。それは国や政府、行政機関についても言えることやと思う。

主権在民。

この国には、こんな素晴らしい言葉があるわけや。それを忘れたらあかん。



参考ページ

注1.「裁判員制度についてのアンケート」の実施と分析


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