メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第39回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2009.3. 6


■ある拡張員が語る刑務所残酷物語


犯罪者、前科者、刑務所帰り。

そんなレッテルを貼られて、それと知られるとまともな働き口にありつくのは困難を極める。

自業自得と言うてしまえばそれまでやけど、刑に服して罪を償っても尚、世間の目は冷ややかやし、理解を示して受け入れられることなど、ほとんどない。

犯罪者はどこまでいっても犯罪者やと。

当然のように、その仕事も限られたものになる。

ワシらのような拡張員というのも、その限られた数少ない仕事の一つで、行き場を失った者が、再起を期すことのできる最後の砦、受け皿のようなものやった。

過去形で言うたのは、新聞拡張団も以前ほど、そういう職場ではなくなりつつあるからや。

現在は、どちらかというと、そういう人間の雇い入れに慎重な拡張団の方が多い。

犯罪歴がある者とか暴力団関係者と知って雇う新聞拡張団は極端に減ってきとる。

拡張員イコール、ヤクザという感覚を持たれている一般の人も多いようやが、新聞各社は公には、拡張団が暴力団と関わっていると知れたら、その業務委託契約を解除するということになっとる。

現実に、それを理由に業務委託契約を解除され、つぶれた新聞拡張団もある。

せやから、表面的には本物のヤクザは拡張団にはおらんとされとるわけや。

また、シノギ(稼ぎ)の面でも、現在は拡張団の経営そのものが苦しくなり、昔ほどの旨みもなくなったということもあって、かなり数のヤクザ組織が業界から撤退し、激減しとるのが実状やと思う。

まあ、それでも皆無になったというわけでもないがな。未だに昔ながらの拡張団が存在するのもまた事実や。

ただ、ヤクザは大ぴらに排除できても、犯罪歴があるからという理由だけで雇うなとまでは、新聞社として拡張団に言えんし、干渉することもできん。

罪を償えば、例え犯罪歴のある者といえども一般市民やさかいな。

公器を謳う新聞社が、そういう人間の除外を公に指示することはできんわな。

もっとも、当の拡張団によれば体裁のため、それと知れた者を雇わんケースはあるという。

旧メルマガに『第62回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ それぞれの事情 Part3 犯罪者と呼ばれし者』(注1.巻末参考ページ参照)というのがある。

この話に登場するアズマという男は、ある飲み屋でカラオケの順番をめぐり、そこに来ていた中年の男と喧嘩になって殺してしまい、傷害致死罪で5年間、刑務所に服役したことがあった。

カラオケ殺人。当時、アズマの事件をそう新聞やテレビなどのマスコミが報道した。

アズマ自身は、元は真面目なサラリーマンやった。

ただ、酒癖が悪いことが徒(あだ)となってその事件を起こしてしもうたわけや。

その後、紆余曲折の末、ワシのいた東海の拡張団に入団してきた。

アズマは、拡張員にならそういう話をしても構わんという先入観でもあったのか、たまたま最初に心やすくなったワシにその話をしたわけや。

そのとき、ワシはアズマに諭(さと)すように忠告した。

「拡張員ということで、安心して、そういうことを言うとるのかも知れんが、そういう話はなるべく誰にも知られんようにしといた方が無難やで」と。

拡張員には、どんな過去があろうとも関係なく雇うというイメージがあるようやけど、実際はそうでもない所の方が多い。

世間から無法者の集まりと思われとる拡張員でも、さすがに過去に殺人を犯したことがあるという人間は少ないさかいな。

仲間内でそういう話をすると、間違いなく引かれて敬遠される。場合によればそれだけでは済まんようになる。

人は、それに至るまでの経緯よりも、その結果を重視する。

それが「人殺し」となれば尚更や。

特に、最近では、評判というのを気にする団が増えとるから、「あの団には人殺しがいとるで」と、噂されるのは拙いとなる。

例え、その人間が真面目であろうと、その噂があれば、排除されることも考えとかなあかん。

その意味もあり忠告したわけや。

「分かりました。軽率でした」と、アズマは素直に反省して納得しとったがな。

ただ、この業界は行き場を失った人間の最後の拠り所として、アズマのような人間が集まってくるのは確かや。

その際、刑務所生活での内情を聞かされることが多かったから、その手の話には自然と詳しくなった。

今回、その話をしようと思うたのは、ここ最近、「殺人者は死刑にすべきだ」という世論が大きくなっていて、無期懲役は軽すぎるという風潮に疑問を感じたからや。

それらの中には、「そんな殺人者を税金で食わせる必要ない」とか「無期懲役刑も何年か大人しくさえしていたら出所できる」という意見から、果ては「刑務所の中の食事や生活は規則正しく、医者もいて病気になってもちゃんと治して貰える」など、刑務所に入る方が却って得をすると言わんばかりのものまである。

しかし、実際に過酷、いや残酷とさえ言えるような刑務所の実態を知れば、その認識も少しは変わるのやないかと考える。

確かに、何の罪もない善良な人の命を奪うという凶悪な行為は、万死に値する。命で購(あがな)えとは思う。生きてる価値はない。

ただ、この世には死ぬより辛い「生」が存在する。そんな風に思わせる刑務所があるのもまた事実なわけや。

死刑になるのと、そんな刑務所に長期間放り込まれるのと、どちらがええのか。

それは、これから話す刑務所の実態で判断して貰うたらええと思う。

死刑賛成論者も犯罪を軽く考えとる者も、その考えがかなり変わるのやないかという気がする。

アズマは、Y刑務所に収監された。

まず、入所時教育というのが2週間あり、そこで軽作業をしながら刑務所生活のルールを学ぶ。

もっとも、それは建前のようなもので、要はその間に受刑者の処遇を決めるテスト期間のようなものやということや。

「そのテスト期間というのも、何のテスト期間か怪しかったですね」と、アズマ。

「地獄の沙汰も金次第」というのは良く聞く話やが、「刑務所の中も金次第」ということらしい。

刑務所に入るのに金は必要ないと考えとる一般の人は多いが、ある程度の金がないと、刑務官への袖の下も渡せんから、ろくな作業に回して貰えず、同部屋の囚人同士の格付けも下がり待遇も悪くなるという。

必然的に金を持っている人間が「旦那」「兄貴」と持ち上げられ、何かと優位な状況を得ることができる。

金のない人間は、そういう者の下につくことが処世術となる。

どの世界でもそうやが、金のある者ほど幅を利かす仕組みに世の中はなっとるということや。

「中(刑務所内)でいろいろ知りました……」

「受刑者は税金でタダ飯を食っている」と考える一般人が多いようやが、それは実態とはかけ離れた、大いなる誤解やとアズマは言う。

懲役刑の受刑者は、「工場」で刑務作業することが義務づけられており、これを拒否することはできん。

禁固刑の受刑者には作業の義務は特にないが、たいていは、「請願作業」というのを申し出て作業をすることを望む。

実際、作業を拒否する禁固受刑者は部屋で1日中、正座することを強いられるというから、そっちの方が却って苦痛になる。

働けば仮釈放が貰える可能性があるさかい、ほぼ全員の受刑者が作業をすることを選ぶというわけや。

つまり、日本の刑務所では、受刑者は働くしかないというのが実情ということになる。

その作業をする受刑者には作業報奨金というのが給与として支払われる。

その作業報奨金は作業の内容や熟練度に応じて違うが、平均で月4000円程度の金額にしかならんという。

ただ、受刑者は、それが給料のすべてやと思うとるようやが、その考えは少し違う。

受刑者は食事、住居が確保され、医療費や風呂など、それらに多少、問題と難があるにしても一応はタダやさかい、それも給料のうちに計算せなあかんと思う。

一般人でも、働いて得た給料で食事や家賃、衣服代、光熱費、医療費などの生活費をそこから支払うわけやさかいな。

つまり、その給与として支払われる月4000円は、その生活費を差し引いて残った金額ということになる。

それと似たような構図は住み込みの拡張員にもある。

サイトのQ&Aに『NO.60  拡張員の、給料って、どんなふうに、誰が決めるんでしょうか』(注2.巻末参考ページ参照)というのがある。

その相談者が、「ヒドイ時は10000円もない給料だった」と、訴えていたのが、それや。

その回答でワシの見解として、


あんたの言う「ヒドイ時は10000円もない給料」ということやが、その認識も何かの誤解があるのやないやろか。

普通、住み込みの拡張員は、1ヶ月の経費として、寮費、光熱費、団諸経費が給料から天引きされる。

手持ちの金がなければ、上げたカード料の半額程度に当たる「定期」と呼ばれる前渡し金をその都度受け取っとるのが一般的やから、その分も給料から差し引かれとる。

不良カードが出てれば、その分もマイナスとなる。

即入というて、翌月からの購読契約には1本につき500円〜1000円程度のプレミヤが別に即金で貰えるのが普通や。

当然、それは給料にはカウントされていない。

「10000円もない給料」と聞けば、そんなひどいことがと思うかも知んが、それは、すべて差し引かれた残りやと思う。

普通、仕事をして給料を貰えば、そこから、家賃や光熱費を支払う。前借り金もその給料のうちや。

実質の給料というのは、そのすべての経費と貰った金額ということになる。


と言うてた。

こういう勘違いは世の中、結構多い。

一般の人でも、税金や保険など諸々の諸経費を差し引かれた「手取り」を給料の全額と勘違いするというケースがあるが、それに似とる。

もっとも、「えぐい(ひどい)」というのを強調したい気持ちが勝ちすぎるために、そう主張するというのもあるやろうがな。

しかし、物事は正確に捉えて事実を訴えんと聞く側を説得させることはできんもんなんやが、それが当事者本人には分かりにくいのやと思う。

話を戻す。

受刑者の1ヶ月の生活費を計算するのは、収容先の刑務所の事情などにより難しい面も多いが、敢えて算出するとすれば、その食事の内容や居住条件から判断して1人当たり、ええとこ月3万円程度やないかと思われる。

その内訳を言う。

俗に「臭い飯」と言うのは、刑務所では受刑者に出される主食の比率が、米7割、麦3割の混合と決められているため、それに含まれている麦独特の臭いによるものや。

昔から麦は米に比べて安かったということもあり、刑務所で混ぜて出されるようになった。

昔のある通産大臣の吐いた有名な暴言に「貧乏人は麦飯を食え」というのがあったが、それを如実に物語った逸話やと言える。

ちなみに、その大臣はその発言で辞職に追い込まれたがな。

しかし、今は麦の方が総合的には米より高くつくケースが多いから、それには当て嵌まらんようにはなっとるけどな。

麦を混ぜん方が、今なら安くつく場合が多い。

それでも尚、今以てその慣習が続いとるというのは、役所すべてについて言えることやが、一度決まった事、実行されている事は変えられんというのがあるからやと思う。

それが、いくら高くつこうと、時代に合ってなかろうと、無駄であろうと、まったく関係ない。

融通性のカケラなど微塵もない体質がそこにあるわけや。

米は、政府備蓄米の古米と呼ばれるものを使う。これは、流通前の値段になるからかなり安い。

それらの事情を考慮すると、その混合米での主食代は、3食で1日150円から200円程度と見積もることができる。

「菜代(さいだい)」と呼ばれている、「おかず代」も国に予算を計上する必要上、あらかじめ決められた金額というのがあり、その範囲でしか出ない。

ただ、その刑務所の地域の物価というものもあるから全国一律とはならんが、たいていは、調理人(多くは受刑者が担当)の人件費込みで1人1日350〜500円程度のものやという。

したがって、その1日の食費は高く見積もっても、主食代200円+菜代500円=700円ということになり、1ヶ月30日として、月21000円という計算になる。

居住については、多くが雑居房での生活になる。

約8畳の広さに6人というのが基本や。

但し、現在は過剰収容気味のため、ベッドを入れて一部屋8人というのも相当数あるとのことやが、ここではその基本の6人で計算する。

一般的なワンルームマンション8畳の家賃は、都会で月8万円台、地方やと月2万円台くらいが相場とされている。

しかも、それは多くの場合、風呂、台所、トイレ付きやが、刑務所の場合はトイレこそついているものの、その他は室内にはない。

それら諸々の条件を加味して平均値を出すとすると、高くても一部屋、月4万円程度が妥当な家賃設定やろうと思う。

それを6人で割ると、一人月、約6700円という計算になる。

受刑者には、衣類が支給される。皆同じ服で薄いブルーの上下と帽子や。

これに良く似た作業服と帽子がホームセンターあたりで5000円ほどで売られているから、1年で2着分支給されるとして10000円、月に換算すると800円程度になると見込む。

光熱費については、ほとんどかかることはない。

電気は室内の明かりに使う程度とテレビの視聴も午後7時から就寝時の午後9時までくらいしか許可されておらん。

ちなみに、刑務所内の雑居房や独房には冷暖房は完備されておらんからその電気代も必要ない。これも完備されとると誤解されとる人が多いようやがな。

その他のガス器具やストーブといったものも当たり前やが一切ない。

それでも敢えて、光熱費を算出するとすれば、最低の電気基本料金、273円を6で割った約46円が、一人1ヶ月の光熱費になるのやないかと思う。

水もトイレの排水に使うくらいやが、これも制限されとるから最低の基本料金しかいらんと思われる。

それでいくと下水道料金の全国平均の基本料金は月1680円ほどやから、これを6で割ると、一人1ヶ月、280円となる。

それら食費21000円、家賃6700円、衣服代800円、電気代46円、下水道代280円を合わせると、刑務所内での受刑者一人当たりの生活費は1ヶ月、28826円という計算になる。

後は、風呂代などの諸々の雑費やが、それを含めても受刑者一人当たりの1ヶ月の生活費が、ええとこ3万円程度やと言うたのはそういう理由からや。

しかも、これは多少多めに見積もっての金額やから、これをかなり下回る所もあるものと思う。

それに加え、刑務所内での設備維持費、医療費や税金、月の手当4000円を含め多く見積もっても受刑者一人にかかる経費は月5万円までやろうと推測する。

つまり、受刑者には月5万円分程度しか、労働の対価が支払われていないということになるわけや。

但し、これには刑務所の職員の給料は含んでいない。それを受刑者の負担にするべきやないと考えるさかいな。

刑務所はなくてはならんものや。

そこの職員は受刑者の増減に関係なく決まった人数が配置される。

喩(たと)えて言えば、火事の多い少ないで消防士の数をその都度増減させたり、犯罪の発生数で警察官の増減をその都度決めたりすることがないというのと同じ理屈や。

それらの人員は、火事の発生、犯罪の発生に関係なく常に配備されてなあかんものや。刑務所の職員についても同じことが言える。

刑務所内での受刑者の基本的な労働は、1日8時間で周5日働くものとされている。

月22日が平均労働日となり、それで月5万の収入ということになると、284円の時間給という計算になる。

労働者には最低賃金というのが都道府県別に設定されいて、その最も低い最低賃金時間給額は、鹿児島県、沖縄県の627円やから、その半分にも満たない賃金で働いていることになる。

人権や労働法を論じれば明らかに違法や。

もっとも、受刑者と一般労働者を同一に考えてもええのかということになると意見の別れるところやとは思うが、それくらい安い賃金やということが言いたかったわけや。

ただ、ここに示したものはあくまでも机上の計算やから、その実態にどれだけ近いのかは何とも言えんが、少なくとも受刑者が税金で飯を食うてるわけやないことだけは確かやと言える。

ちなみに、刑務所内での作業収入はすべて国庫に入るというから、その意味では多少なりとも、受刑者は国に貢献しとるとも言えるわけや。

実際、刑務所で作られた様々な商品は広く一般にも流通しとるから、それなくしてはやっていけんという業界も多い。

これを国や刑務所の管轄やなく、一般企業に任せたらかなりの利益を上げることが可能やろうと思うがな。

現在、全国60ヶ所の刑務所の受刑者の総数は2006年で6万8千人超もいとるというから、相当な労働力になる。

この6万8千人超により、刑務所の収容率は116パーセントの状態になっていて、アズマが服役していた13年前と比べると1.5倍ほどにもなっているという。

その頃でさえ、過酷な状況にあった受刑者の生活環境はさらに悪化しとると考えられる。

但し、悪化した反面、受刑者1人当たりの生活費は確実に安くなっとるとは思うから、国庫はそのとき以上に潤っとるはずやということにもなる。

ただ、受刑者、刑務所の職員、双方にとって、この状況は有り難いことやないやろうがな。

この受刑者の増加は、ここ近年の犯罪に対する厳罰化傾向への影響でそうなっているだけで、犯罪自体の発生率は、10年前と比較してそれほど増えとるわけでもない。

ちなみに、10年前と現在を比較した場合、犯罪発生率は微増になってはいるが、2002年以降、毎年、減少傾向になってきていると法務省および警察庁の発表している統計にある。

その10年前でさえ、住空間の悪化によるストレスから受刑者同士の暴行事件が絶え間なかったという。

アズマは、それが原因と思われる受刑者が病死と称されて人知れず葬られていたというケースを数多く見聞きしたと話す。

受刑者の増加により、定数の決まった刑務官1人当たりの負担は確実に増える。

それにより、受刑者への処遇の低下が起きるというのは容易に予想できることや。

それが、受刑者同士の暴行の見逃しであり、刑務官の反抗的な受刑者へのリンチという形で表れるのやと思う。

直接、間接を問わず、それが原因で死亡する受刑者もいとるという。

ただ、その事実は各刑務所にとっては恥部となり責任問題にもなりかねん事やさかい、外部に知られることはない。

そこには、すべての役所と同じ独特の隠蔽体質があるのやろうと思われる。

たまに、それが外部に漏れると大きな事件として報道されることがある。

それが、2002年11月25日のN刑務所の暴行事件であり、2007年11月16日に起きたT刑務所暴動事件(注3.巻末参考ページ参照)やと思う。

但し、それはあくまでも氷山の一角として発覚したものにすぎんとアズマは言う。

「実際、ボクのいた所もひどかったですが、その実態は、ほとんど世間には知られていませんからね」と。

例えば、こんなことがあった。

刑務所の食事にパンが出ることがたまにあるのやが、これがやたらと固い。

アズマと良く話をしていたある年輩の受刑者がこのパンをノドに詰まらせ死亡するという事故があったが、大して問題にされることなく処理されたという。

その後も、何事もなかったかのように、そのパンが食事として出され続けたというさかいな。

雑居房でのリンチなどの暴行行為は日常的にあり、それで死亡した者がいたというのも、それをやったという当事者の受刑者から脅し文句として言われたこともあった。

また、刑務所には「鎮静房」という問題を起こした受刑者の反省を促すための独居房があるのやが、そこに入れられる際、刑務官から袋叩きにあって殺されたというのも普通に受刑者の間で噂されとることやった。

加えて、その刑務所の医者の程度は最悪やったとアズマは言う。

横柄で、診察らしき行為は何もせず、薬なんかも滅多に貰えない。

それどころか「お前らのようなクズを治してやっても世の中のためにならんし、誰も喜ばん」と平気で言う医者さえおるのやという。

アズマは、同室のヤマギシという囚人から「官(刑務官)に寄ってたかって殴り殺された兄弟分の家に出所して行ったことがあるのやが、刑務所からはその家族には心不全で死んだと教えられだけやったらしい」という話を聞かされたことがあった。

心不全というのは、如何にも、もっともらしい病名やが、良う考えたらおかしなことやと誰でも気づく。

人が死ぬと誰でも心臓が止まる。それを心不全と診断しておけば間違いはないわけや。

昨年、大相撲の新弟子がリンチにより殺害されたという事件があった。

その被害者は明らかに見た目にも暴行の傷が生々しかったにも関わらず、最初にその死亡診断書を書いた医師が、「心不全」と記していたことで物議を醸した件は、まだ人々の記憶に新しいと思う。

それに似た、ええ加減で杜撰(ずさん)な処理が為された可能性が高いということや。

一事が万事。こんな調子で人知れず葬られた命は多いのやないのかという想像はつく。

ヤマギシは憤ったが、結局、その事実を家族には知らせず終いやったという。

医者の死亡診断書にそう書かれてあれば、証拠がない限り、いくらそう話しても、その家族を苦しめるだけやし、万が一、その家族が騒ぎ立て事が公にでもなれば、チク(密告)ったのがヤマギシやと刑務所の官に知れる。

再度、刑務所に収監されるようなことにでもなった場合、それがもとで生きて出られんかも知れんという恐怖もあったと言う。

N刑務所の暴行事件やT刑務所暴動事件などが発覚したのは希有なケースであり、似たような事は多かれ少なかれどこの刑務所でも行われているはずやというのは、ワシの知る限り、刑務所に服役した経験のある者の一致した見解やった。

しかし、それが表面に出ることは少ない。例え発覚しても特別な事件、ケースとしてしか扱われんということや。

出所した受刑者が、その非人道的な現状を訴えるケースもあるようやが、所詮、犯罪者の戯言(たわごと)やとされ、誰にも相手にされずどこにも届くことはない。

アズマはそう嘆く。

長いものには巻かれろ。他人の不運は己の安全。そう考えてな刑務所では生きてはいけん。刑務所で人並みの人権を望む方が愚かやと。

ここで死刑の是非についても少し触れとく。

昨今の厳罰化の流れから死刑判決が増えとる。

その傾向は、おそらく裁判員制度が導入されても続く、いやもっと過激になるやろうと想像できる。

裁判員の多くは一般市民やから、どうしても被害者側の立場で判断することになりやすい。

被害者感情に流されれば、殺人を犯した被告人を憎むようになるのは無理もないさかいな。

その事件がセンセーショナルなものであればあるほど、新聞やテレビ、インターネットで大きく取り上げられ扱われるから、当然のように、それを裁くことになる裁判員も注目されやすい。

2月26日のY新聞に「裁判員が判決後に任意で参加する記者会見の実現に向け、裁判所の協力が得られることになった」というのが報じられた。

その記事の全文や。


http://www.yomiuri.co.jp:80/national/news/20090226-OYT1T00983.htm より引用

新聞協会、裁判員に取材協力呼びかけ…判決後に記者会見


 今年5月に始まる裁判員制度に向け、日本新聞協会(新聞・通信・放送の141社加盟)は26日、国民に対して、取材・報道への理解や、記者会見への協力を呼びかける「裁判員となるみなさんへ」を公表した。

 裁判員が判決後に任意で参加する記者会見の実現に向け、裁判所の協力が得られることになった。

 呼びかけは、「裁判員経験者に対する取材・報道は、新たな制度による司法権の行使が適正になされているかを検証するうえでも必要不可欠」と述べたうえで、「守秘義務の立法趣旨と裁判員経験者の意向を踏まえ、国民の知る権利に資する報道機関としての使命を果たしていく」としている。

 新聞協会は2007年5月以降、最高裁に対し、裁判員経験者の意向を尊重するという取材・報道姿勢などを説明して、記者会見への協力を要請。

 12回にわたる意見交換の結果、最高裁側も「制度の定着という点で、裁判員の声が広く伝わることは重要だ」と理解を示し、本人の了承があることを前提に協力することになった。


『本人の了承があることを前提に』ということやが、その事件が大きく、国民の関心事も高ければ、その記者会見を拒否するというのは普通の人では難しいのやないかと思う。

任意とは名ばかりで、結果として強制されるような感じになるのやないかと危惧する。

後で、その記者会見があるとなれば、裁判員の判断も、その時々の報道や世論に流されやすくなるのやないかとも思う。

その世論が、犯人に対して「死刑」を望むような風潮にあれば、裁判員の判決もそれに沿うものになるのやないかということや。

もちろん、そうなるのが正しいのか間違いなのかというのは、その事件により何とも言えんが、予断を挟んだ裁決が行われる可能性は高いと思われる。

ただ、ワシにしても、先に言うたように、「確かに、何の罪もない善良な人の命を奪うという凶悪な行為は、万死に値する。命で購(あがな)えとも思う。生きてる価値はない」という思いもあるさかい、その事の是非となると難しいと言うしかない。

凶悪な殺人事件で、無罪以外やと死刑でなかった場合、無期懲役刑になるというケースが多いと思う。

この無期懲役刑についての実態を知っている人も少ないのやないかという気がする。

無期懲役刑を受けても、刑務所で真面目にしていたら10年が経過すれば仮釈放で出られるという、実態とはかけ離れた誤解をされている方も多い。

確かに、法制度上は、最も早くて10年で仮釈放を認めることができるとあるから、その点だけを見れば、そのように受け取られるのも無理はないと思う。

また、マスコミなどは、その辺を簡潔に説明しようとするあまり、その部分だけ強調するというのもある。

少なくともその実状を調べた上での報道ではないと思う。

実態は、それとはかなり違うさかいな。

無期懲役で仮釈放された者が刑務所にいた平均期間は、2000年までは、16年〜20年程度やったものが、現在では厳罰化の流れから2007年はおよそ32年になっている。

法務省の資料によれば、2008年4月現在、刑務所に入っている無期懲役囚のうち、30年以上仮釈放を認められていない者は87人で、最長は55年を超えるとある。

そして、それはこれからも年を追う毎に長引く傾向にあると予想されている。

同じく法務省の資料によると、1998年から2007年までのここ10年間で、合計120人の無期懲役囚が獄中で死亡したとある。

2007年末の時点で、無期懲役囚は1670人やから、約6.7パーセントに当たる。

その残りの無期懲役囚も生きて釈放される保証は今のところまったくない。

犯罪を犯した年齢にもよるが、最早、無期懲役囚で生きて外に出られるというのは奇跡に近いと言えるほどの可能性やないかと思う。

例え出られたとしても、完全に「浦島太郎」状態なのは間違いない。

これはこれで、ある意味、残酷な刑やと言えるのやないやろうか。

たまに、凶悪な殺人事件を犯した犯人が「死刑にしてくれ」と訴えるケースがあるが、あれは何も開き直って言うてるだけやなく、過酷な刑務所の実態を良う知っているがために、それなら「いっそのこと死んだ方が楽や」という思いからやないかという気がする。

むしろ、そういう人間には無期懲役刑を言い渡されることの方が辛い裁きやないかと思えてならん。

ワシが、死刑に疑問を感じるのはそういうところや。

死刑と無期懲役。果たしてどちらが過酷な刑罰なのかと。

加えて、微罪で刑務所に放り込まれた人間でさえ生きて出られんということが現実としてあるわけや。

それも、表面的には、ほとんどが病死扱いにされて。

自業自得とはいえ、犯罪を犯すことにより、これほどのデメリットを覚悟していたという人間は皆無やろうと思う。

たいていは、そこに放り込まれて初めてそれと知るわけや。

それでは遅いんやが、哀しいかな、実際にそうなってからでないと分からんのも事実やと思う。

もっとも、それと知っていて何度もその刑務所に出入りする弱い人間もいとるがな。

人は自らの行いにより、どんな結果を招いたとしても、どんな境遇におかれたとしても、死ぬまで生き続けなあかんことに変わりはない。

自らの業は自ら背負って生きていくしかないということや。



参考ページ

注1.第62回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ それぞれの事情 Part3 犯罪者と呼ばれし者

注2.Q&ANO.60  拡張員の、給料って、どんなふうに、誰が決めるんでしょうか

注3.47news N刑務所の暴行事件 T刑務所暴動事件


追記 本日のメルマガの感想です

投稿者 Jさん  投稿日時 2009.3. 6  AM10:55


今回の刑務所の話、興味深く読ませていただきました。

まず、なんという偶然でしょうか、今朝のA新聞に、次のニュースがありました。


水6リットル毎日飲ませる=同室受刑者がいじめ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090306-00000039-jij-soci より引用

3月6日9時54分配信 時事通信

 男性受刑者にコップ30杯(約6リットル)の水を約1カ月半、ほぼ毎日飲ませたなどとして、滋賀刑務所(大津市大平)は6日までに、傷害容疑で同室の20−30歳代の男性受刑者4人を書類送検した。
 同刑務所によると、4人は昨年12月22日から今年2月1日にかけ、同室の50歳代の男性受刑者にほぼ毎日、コップ30杯の水を強制的に飲ませ続けたほか、顔を殴るなどして1週間の入院を要するけがを負わせた疑い。4人は「部屋の掃除などの役割を全くしなかったから」などと述べているという。 

まさに、今回のメルマガの内容に符合した出来事だと思いました。

さて、次のニュース、ハカセさんもご存じだと思います。


男児投げ落とし 無期…微動だにせず 横浜地裁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090306-00000024-san-l14 より引用

「幸せな家庭を崩壊させたい」−。あまりに理不尽で身勝手な動機で幼い命を奪ったI被告(44)の判決公判。I被告は、横浜地裁の木口信之裁判長の「子供の冥福(めいふく)を祈る気持ちで今後の人生を過ごしてほしい」という説諭にも微動だにせず、一度も傍聴席の被害者らに目を向けることはなかった。

 殺害されたY君=当時(9)=の母親は昨年10月の公判で、「明るくてとても優しいあの子がいた家庭の雰囲気はもう戻ることはありません」と涙ながらに話していた。

 この日の公判で木口裁判長は「経済的に苦しいなどの理由から他人のことをねたましく思い、他人の家庭を崩壊させて鬱憤(うっぷん)晴らしをしたいと考えるようになった」と厳しく指弾し、無期懲役を言い渡した。

 さらに、「人を投げ落として殺害したときの達成感をまた味わってみたい」という動機から2度目の犯行に及んだと指摘。I被告に投げ落とされそうになった女性(71)は傍聴席で、I被告をするどい視線でみつめた。女性は閉廷後、「被告から反省や謝罪の気持ちが伝わったきたことは一度もありませんでした」と弁護士を通じてコメントを出した。

このニュースをテレビで見た後、私は、この男の罪の重さと刑の重さのバランスについて考えていました。

まず、検察の求刑は無期懲役でしたが、一瞬私は、「あれ、なぜ死刑が求刑されていないんだ?」と思ったのでした。

それまでの捜査の状況や、犯人の心神的な状況を全く知らないがために、「さしたる理由もなく子どもを一人殺す=死刑求刑」という図式を心の中に持っている私は無意識のうちにそのような発想をしてしまっていたのでした。

裁判員制度を考えたとき、もし、こんな自分が、こういった事件の裁判員になったとしたら、果たして、冷静に、かつ公平な判断ができるだろうか?と心配になりました。

そもそも、私たち一般市民は、何の落ち度もない被害者の境遇は手に取るように判っても、犯人たちの境遇は、自分が彼らと同じような異常な精神状態になったことでもなければ、想像することさえできないわけじゃないですか。

(殺された子どもの親御さんの気持ちを考えると本当に涙が出ますが、逆に犯人の心情はというと、想像しようと思っても何も思い浮かびません)

であれば、当然結論も、被害者寄りに傾くケースの方が可能性が高いと思えるのです。

ところで、今回のメルマガで、無期懲役に対する見方が変わりました。

こういう人間が刑務所に入ったら、待ちかまえている刑務官たち(特に家族持ちの職員)からどういう扱いを受けるか、だいたい想像がつくようになりました。自業自得と言えばそれまでですが。


今回の話に関連したニュースが、2010.11.22日にあったので、追加報告しとく。


追記 無期刑、仮釈放まで30年…厳罰化で長引く

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101122-00000082-yom-soci
 より引用


 無期懲役刑の受刑者で仮釈放を許可するかどうかの審査を昨年受けた24人のうち、不許可が18人と75%を占め、過去10年間の平均の34・6%を大幅に上回ったことが、法務省のまとめでわかった。

 許可された6人の受刑期間の平均は30年2か月で、10年前の1・4倍に延びており、厳罰化の影響で無期懲役囚の仮釈放は一層難しくなっている。

 法務省のまとめによると、昨年末時点の無期懲役囚は1772人で、このうち受刑期間が30年以上なのは88人。50〜60年にわたり服役している受刑者も7人いる。

 2005年以降、刑務所長の申請に基づいて仮釈放審査が行われた件数は年に1〜7件と少数にとどまっていたが、審査の透明化を求める声が高まり、昨年4月からは刑期が30年を過ぎた時点で必ず審査する新制度が始まった。これにより、昨年は審査数が24人に急増。ただ、許可されたのは4分の1にとどまり、30年目の審査は仮釈放の拡大にはつながらなかった。


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