メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第40回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2009. 3.13


■「悪法も法」と言うけれど、それって守る必要あるの?


久しぶりにハカセの家に行った。

ワシが到着したとき、ハカセは近所に用事で出かけていて留守やったが、すぐ帰るということやったので、その間、居間で待つことにした。

そこに、つい先日、高校を卒業したばかりのハカセの長男シン君がいた。

「シン君、大変やったんやてな」と、ワシはシン君にそう声をかけた。

10日ほど前、ハカセから高校のラクビー部の送別試合で右手の薬指を骨折して、鋼線と呼ばれるピンを2本埋め込む手術をしたと知らされていた。

全治1ヶ月。指先がギプスで固定されていて巻かれた包帯が痛々しい。

「大したケガじゃないですよ」

大きな身体を揺すりながら、シン君は涼しい顔で笑ってそう答えた。

シン君も弟のコウ君と同じで、旧メルマガ時代(注1.巻末参考ページ参照)から頻繁に登場しているので、古い読者の方は知っておられる方も多いと思う。

ワシが初めてシン君を見たときは、中学1年生になったばかりで、あどけない顔をしたかわいい子やったが、中学3年生あたりから、ぐんぐん大きくなり、ついには見上げるほどにまで成長していった。

身長185センチ、体重98キロというのが自主申告やが、もっとあるように見える。

その身体のでかさ(大きさ)だけやなく、無精ひげも伸びていて、どこから見ても立派な一人前の大人の男や。

とても、18歳になったばかりには見えん。もっとも、それは見た目の年齢だけやなく、人間的にもそう感じさせる。

性格は、ハカセと違うて至って温厚で、包容力と懐の深さがある。

よく言えば、大人物。悪く言えば、若さがないという印象を人に与える。

「そうか、せやけど来月から社会人やろ。早よ、治さなあかんな」

「ええ、でも後、2週間もあったらギプスが取れると先生(医師)が言ってましたから、入社式までには大丈夫だと思いますよ」

シン君も、以前は一応、大学に進むことも考えたようやが、結局、働く方を選んだという。

その理由は二つあると話す。

「僕は、コウほど勉強もできないから、大学もロクなところに行けそうになかったですし。それに今の世の中、大学出てもまともな勤め口はないでしょ」というのが、その一つやと言う。

もう一つは、その高校の先輩が所属している会社のラクビー部に誘われたということがある。

「君なら、将来、うちの主力になれる」と、先輩と一緒にやってきたチームの監督にそう説得された。

それを真に受けたわけやないが、そうまでして誘われたというのが嬉しかったと言う。

それもあってか、すんなりと、その会社の内定が貰えたらしい。

「でも、去年の暮れ、高校生でも内定の取り消しがあるというニュースを見たときは少し慌てましたね」と、シン君。

「確か自動車関係の会社やと言うてたな」

「ええ、H自動車の関連会社です」

自動車業界は、去年、派遣切りやら期間工の首切りやらで大きな騒ぎになっていた。

このメルマガ『第27回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■人の恨みを買う怖さを知るべし』(注2.巻末参考ページ参照)でも、それについて触れた。

その自動車業界にあって、H自動車は、その派遣切りというのを比較的してない数少ない企業やったのを覚えている。

「そうか、ラグビーを続けるのか」

「ええ、本当はバドミントンをしたかったんですけどね」

シン君は、中学の3年間、バトミントン部に所属していた。

そのでかい身体に何かそぐわんような気がせんでもないが、それは人の好みの領域やから他人がどうこう言う問題でもない。

ちなみに、そのバトミントンでも中学当時、かなりの実力者やったらしい。

それを高校でも続けたかったのやが、その高校のバトミントン部の男子部員は極端に少なく、団体戦にも出られんような状態やったという。

それで悶々としていたところに、その体格に目をつけたラグビー部の顧問から誘われたのがきっかけでラグビーを始めることになったらしい。

もともと運動神経もパワーも抜群やったから、短期間のうちに、めきめきと頭角を現したということのようや。

「それは、そうとゲンさんにちょっと相談があるんですけど」

「何や、改まって」

「実は、僕の友人のことなんですが……」

同じラグビー部に所属していたマサト君という友人が、ある事で停学処分を受け、その影響で留年が決まり、それで学校を辞めると言い出したという。

そのマサト君というのは、シン君曰く、学業も部活も頑張っていた真面目な正義感溢れる生徒らしい。

その停学処分を受けた理由というのが理由だけに、どう言うて励ましたらええのか、また声をかけたらええのか分からんと言う。

その高校の校則に、「3ない運動」というのがある。

単車通学を規制するためのもので、「乗らない」「買わない」「(免許を)取らない」というのがそれや。

全国的にも、その運動が行われていて、校則でそう決められとる高校も多い。

表面的には「運動」で保護者には「お願い」という形を採っとるようやが、実質的には強制力の強いものらしい。

これに違反して免許を取得したり、単車を買って乗ったりすると、謹慎や停学、または退学処分まで受けることもあるという。

酷いのになると、ある高校では実際に単車を没収した上、勝手に売却し、強制的に廃車したケースまであったという話や。

これはさすがに行き過ぎで、行政代執行法に基づく手続きに従って行なわない限り、学校側のその行為は強盗罪や窃盗罪などに当たる可能性が高い。

どんなに正当に思える言い分があろうと、個人の財産物を勝手に没収した上、それを処分するというのは法律で認められとらんさかいな。

しかし、それにも関わらず現実にそうするケースもあるということや。

マサト君は、その校則に反発して免許を取り、原付バイクを買って高校の近くの知人宅まで乗って行き、そこから徒歩で登校していた。

それがバレた。

当初は、学校側も親を呼んで「二度と単車通学はしない」ということを条件に穏便に済ますつもりやったようやが、その席上、マサト君は、「そんな校則は違法です」と言うて、その学校側の注意と諌言(かんげん)を突っぱねたという。

その理由として、「学校に乗って行ったわけやない」、「原付免許は16歳になったら誰でも自由に取得できると法律で決まっているもので、それを学校側が一方的な校則で規制するのは違法や」、「学校は高校生が危険な乗り方をするものと決め込んでいる。僕は暴走族でも何でもないし、安全第一を心がけて乗っています」などを挙げたということや。

マサト君の親もそれに同調したという。

その後、さらに学校側との話し合いを2、3度続けたようやが、結局、校則無視を理由に1ヶ月の停学処分が言い渡された。

学校側の言い分は、「3ない運動に対しては、高校の入学時の説明会でもしていて、その誓約書を父兄から提出して貰っている」、「校則順守は生徒の義務であるから、それに従わず違反した生徒を罰するのは違法ではない」というものや。

マサト君側はそれを不服として、その停学処分が明けてもしばらく通学せず、結果として出席日数不足になり「留年」が通告されたというわけや。

「マサトは、それまで学校も部活もほとんど休まず出ていて、テストの成績も良かったから卒業くらいはできると思うてたようですけど」と、シン君。

それを見越して、大学進学の準備をしていたのやが、留年というのは卒業できんということやから、その大学への進学の道も閉ざされて落ち込んでいるという。

「そうか。それでどう言うて慰めたらええのかということか」

「ええ」

「シン君は、どう思う?」

「僕も、3ない運動というのはおかしい規則だとは思いますけど、入学時にダメだと言われていることですし、それを承知で入学したんだから、それがバレて罰を受けるのは仕方ないと思います。でも……」

マサト君がそうした気持ちも良く分かると言う。

その高校への通学は、恐ろしく交通の便が悪いという。大袈裟に言えば、陸の孤島と呼べるのような所にあると。

シン君自身、私鉄線に乗って6つ先のS駅で降り、そこからバスに乗り換え15分ほどのN停留所に着き、さらに徒歩で20分以上歩いて通っていた。

朝は、通学の時間帯ということもあり電車、バスともにそこそこ本数もあり乗り継ぎにそれほど支障はないが、それでも片道、1時間以上は悠にかかるという。

帰りは、部活を終えると、午後6時をすぎていて、その頃になるとバスも1時間に2本ほどしかなく、乗り継ぎが悪いというのも手伝って、早くて夜の7時30分、遅いと8時すぎに帰宅することも珍しくない。

そのシン君より、マサト君の方がさらに20分ほど余分に時間がかかるような条件の悪い所から通っているという。

通学時間が、かかりすぎるということもあるが、それに伴う交通費もバカにならん。

シン君で私鉄線とバスの定期代で、月1万5千円ほど必要やという。マサト君の場合は月2万円近くになるらしい。

そのため、すべての親というわけやないが、毎日、その高校まで車で送り迎えするケースもあるとのことや。

それに加えて、公立高校でも毎月の授業料は2万円ほど必要になるから、親への負担も相当なものになる。

それを、バイク通学にすれば、要する時間は片道20分ほどになり、ガソリン代も月千円程度で済むという。

それなのに何でバイク通学を許可しないのか、そんなおかしなことはないとマサト君は主張しているのやと話す。

それも一理あるのかなと、シン君も思うと言う。

「うちも貧乏なので、親に負担かけたくなくて僕もそうしようかと思ったことがありますから」

シン君は就職する理由を二つしか言わんかったが、家計を助けたいという気持ちもあったのやないかと思う。

「お父さん(ハカセ)は?」

「父は反対しました。決まりは決まりで守るべきで、その校則がおかしかったら堂々とその撤廃を求めて抗議なり運動しろと。こそこそ隠れてそんなことはするなと言って」

予想はしてたが、ハカセの言いそうなことや。

「そうやな、ワシもそれが筋やと思う」

ワシは以前、確かA新聞の投書やったと思うが、これと良う似た話が掲載されてたのを見た覚えがある。

いつの記事やったかというのは、かなり昔の事で忘れたが、一時、それを営業の雑談ネタに使っていたこともあったから内容だけは、はっきり覚えとる。

後日、ハカセがその記事を探してくれた。

その記事の全文や。


A新聞 2002年5月16日 大阪版『声』の欄より引用

「悪法も法」か正直に生きる

高校生 T.H 17歳


 私は、単車の免許を取らない、買わない、乗らないという「3ない運動」に違反して停学処分を受けました。しかし私は、人として悪いことをしたとは思っていません。

 高校生は危険な乗り方をすると決めつけ、信頼しようともせず、21年間続けてきたことに驚きさえ覚えます。交通ルールを守り、むちゃな乗り方をせず、命を大切にすると親に約束し、許可を得て取得した免許です。取得後も、親の運転する車の前を走り、カーブの曲がり方、スピードの出し方など注意を受けました。

 今まで悪いことを一度もしたことないのが、私の自信の源です。先生は「悪法も法。従わねばならん」と申されました。私はそうは思いません。悪法に従えば、悪法と同じレベルの人間になると思います。
 
 憲法9条をなくす動きが感じられ、有事3法案が国会で議論されています。さまざまな戦争の為の協力が義務として強いられるかもしれません。しかし、私はどんな罰を受けることになっても、このような法律には従いません。これは悪いことでしょうか。

 この精神は永遠に持ち続けたい。自分自身の信念とモラルのもとに公然と正直に生きていきます。罰せられても、私は私らしく生きたいです。


学生さん相手に営業するとき、この話を良う引用したもんや。

その際、共感できるという意見が多かったと記憶しとる。

正しい考え方やと。

その場は敢えて反論めいたことは言わなんだが、果たして、そうやろうかという思いはあった。

営業の雑談で、こういう話をする場合、あまり自分の意見は言わず、相手に発言させた方がええ。

その際、相手の意見を尊重するという形で良く聴くという姿勢を示すことがベターやと思う。

たいてい、自分の意見、言いたいことを言うと人はすっきりするものやから、比較的営業がしやすくなるさかいな。

営業の雑談ネタにはそういうものを選ぶようにしとる。

この話の中で、教師が「悪法も法」と言うたのは、紀元前5世紀頃の哲学者、ソクラテスのものとされる言葉を引用したのやと思う。

ソクラテスは、古代ギリシャにおいて「国家の信じない神々を導入し、青少年を堕落に導いた」として告発され裁判にかけられたとある。

その自説を曲げさえすれば助かった可能性が高かったにも関わらず、信念を貫き通したため、結果的に死刑を言い渡され、それを甘んじて受けたときに発した言葉ということになっとる。

つまり、ソクラテス自身は、その裁判の決定は違法、悪法やと言いたかったのやと思う。

いかに、それが悪法かを世に知らしめるために敢えて、その法の決定に従い死を選んだ。それがソクラテス自身の闘い方と信じて。

ワシはそう見る。

ただ、その記事にあるとおり、その教師が本当に「悪法も法。従わねばならん」と言うたのやとすれば、その意味を良く理解していない発言やとは思う。

「悪法も法」と言うのは、当然やが、それが間違った法律と分かった上で吐く言葉なわけや。

少なくとも、その法(規則)を守るように強制する側の人間が言うべき言葉やない。

それで罰を与えるのなら、むしろ、その法(規則)の正当性を主張して相手を納得させなあかん。

それでないと筋の通らん話になる。

この手の規則というのは、その学校の判断、裁量次第でどうにでもなるもので、本当に教師や学校側が「悪法」と認識していたのなら、即刻、改めることもできたはずやさかいな。

その場でそう突っ込めば、おそらく反論はできんかったのやないやろうかと思う。

もっとも、その投稿は学校側の反論や言い分のない一方的なものやから、その真偽のほどが、どうやったのかというのは分からんがな。

ただ、このT.Hという投稿者の『罰せられても、私は私らしく生きたいです』というのは、本当にその覚悟ができているのなら、ソクラテスばりの潔い生き方やとは思う。

もっとも、『しかし私は、人として悪いことをしたとは思っていません』と言うてるのは、どう見ても、その学校側の下した処分に不服やとしか受け取られん言葉やから、『罰せられても』とまで言うてるのとは矛盾しとるがな。

正義という概念は、一見、簡単なようで結構、難しい面がある。

それは、誰にとっての正義なのかということがあるからや。

立場や見る方向が違えば、その正義が違うということは、世の中にはいくらでもある。

この「3ない運動」についても言えることで、それに異を唱える側にとっては「悪法」と映るが、推進する側は生徒の安全が確保できる正しい行いと考える。

一般社会では、多くの場合、このT.Hのような考えは、独りよがりで自分勝手な主張と見られやすい。

正義は常に自分にあるという思い上がり以外の何ものでもないと。

「3ない運動」に反対して登下校の途中、バイクに乗って事故を引き起こしてケガをしたり死んだりしたとしても、その本人の自己責任、自業自得ということになる。

しかし、それにより、その事故に巻き込まれた相手は堪ったもんやないとなる。

もちろん、事故そのものの是非にもよるが、少なくとも、その規則を守ってさえいたら、事故を起こした場所にそのバイクが走行していることはなかったわけやさかい、事故の相手にすれば「とんだ、とばっちりを受けた」ということになる。

学校側は、例え校則により規制していたとしても、登下校中の事故が発生した場合、その責任を問われるケースもある。

法的な責任や罰則云々はともかく、その違反行為を見逃した結果となれば道義的な管理責任を免れることはできんというのが、一般的な見方や。

公務員全般に言えることやけど、減点方式が評価の基準というところがあるから、それによりマイナス査定という形で表れるのは、学校側としては、極力避けたいとなる。

避けるためには、違反者に対して罰則を科すのは仕方ないとなるわけや。

そうしておけば、違反者は減るやろうし、例え、違反者が事故を起こしたとしても、その当人の責任として処理され、学校側が咎められることはないと考える。

また、その事故を起こすことで、身内や友人、知人をも悲しませる結果にもなりかねんというのもある。

つまり、その行為により、個人の自己責任だけでは済まんケースが多いということになる。

当たり前やが、人に迷惑や悲しみを与えるような行為を正義とは言わんわな。

サイトのQ&Aに、「自分は悪くないから、その契約には従えん」という類の相談が、たまにある。

たいていの場合、成立済みの契約については、それを守ることの法的根拠や拘束力を説き、契約者としての責任にも言及するようにしとる。

その時々の相談でも大きく違うが、でき得る限り、相談者がそういう行動を採った場合の結果も予想する。その是非について諭すことも多い。

但し、最後の決定は、相談者に委ねるようにはしとるがな。

「どうするかはあんた次第や。但し、そうするのならトラブルになるかも知れんということは覚悟しときや」と。

もっとも、それがサイトのQ&Aの限界でもあるわけやけどな。

アドバイスというのは、それを聞く側が参考になりそうやと思うことを言うべきで、自説を強要するもんやないと考える。

当たり前やが、その結果についての責任が取れるわけやないさかいな。

あくまでも、その責任の取れる当事者が判断して、どうするか決定するしかないわけや。

「それで、そのマサト君は学校も辞めると言うてるわけか」と、ワシ。

「ええ」

「そのアドバイスをしたいということなら、まず最初に、その本人にとって何が最も重要なことかというのを確認することやと思うな」

人は常に優先順位というものを持っとく必要がある。その人にとって何が大事かということや。

それが分かっていれば、たいていの悩み事には対処できるさかいな。

そのマサト君にとって、大学進学することが最も重要なのか、自身の信念を守ることが最重要課題なのかというのが、それになる。

大学進学することが最も重要ということなら、このまま留年を受け入れる、もしくは他校への編入という選択肢もある。

今年は無理でも、来年を期せばええわけや。

再度、高校3年をやり直すと考えると抵抗もあるやろうが、大学受験に失敗した浪人生と同じやと捉えれば、また違う気持ちになれるのと違うやろか。

そう考えれば、予備校に通うのと同じ感覚で勉強に打ち込むことができるはずやと思う。

済んでしもうたことは取り返しがつかんさかい悔やんでも仕方ない。

人生、誰しも一度や二度の失敗はあるもんやと割り切ることや。

自身の信念を守ることが大事やと言うのなら、それはそれで仕方ない。

それに殉じる覚悟があるのなら、それはそれで一つの生き方やと思う。

その場合は、その規則と、とことん闘うも良し、辞めるというのも潔い選択ということになる。

もっとも、高校を中退したとしても、それで大学への道が閉ざされるわけでもないがな。

高等学校卒業程度認定試験(高認)というのがある。昔の大検(大学入学資格検定)と呼ばれていたものがそうや。

昔の大検当時、その合格は難しいとされていたが、現在の高認では、それがかなり緩和されていて合格率も高いということや。

その気になって腹さえくくれば、人にはいくらでも生きる道が見えてくる。

人が壁にぶち当たり乗り越えられんと嘆くのは、その壁が存在するからやなく、その壁を自ら作ることによるものやと思う。

余談やが、木村拓哉主演の人気ドラマ「HERO」の主人公のモデルとされる今枝仁氏なども、高校を1年で中退したが、大検を受け上智大学法学部へ進学後、東京地方検察庁検察官(検事)を経て、現在は弁護士として活躍されておられるというケースもある。

他にも、同じように大検を受けて大学を卒業した有名人や著名人は数多くいとる。

「その選択は、マサト君自身にさせるということでええのと違うかな」

「分かりました。そうします。ありがとうございました」

そう言うシン君からは、すでに子供の頃のあどけなさは消えていた。

これからは、一人前の男として接しなあかんなと改めてそう感じた。

世の中には、悪法と言われている法律は多い。

現在、話題の裁判員制度も大多数が反対しているものやし、与野党を巻き込んだ企業のヤミ献金の温床となっている政治資金規正法というのも誰もがおかしいと感じとるものや。

悪法と呼べんまでも、個人情報保護法も難の多い法律やと思う。

他にも挙げたらキリがないほど多い。

ただ、それらの法律は一旦決まれば、たいていの人はそれを守る。

それが人としての義務と知っとるからや。

但し、それを悪法と知って容認するのは間違いやと思う。悪法は変えていく必要がある。そのための運動は必要や。

ワシらも、過去、旧メルマガ『第48回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■共謀罪について』(注3.巻末参考ページ参照)というのを、3回に渡りしたことがある。

ささやかな、ワシらなりの反対運動やったわけや。

幸い、その法律は、その時々の世論の声につぶされて成立されんかったがな。

つまり、法律は確かに、国民の知らんところで決められる事が多いが、それを世論が喚起することで廃案にしたり見直しや改正させたりすることは可能やと思う。

悪法やから無視して従わんというのやなく、それが悪法ならそれを変える努力をして、世論を高め、その風潮を作ることや。

それが本当に必要のないものなら、反対の声が高まり、いずれは見直しや廃止が余儀なくされるものやと思う。

少なくとも、ワシはそう信じとる。

「ゲンさん、お待たせしました」

そう言うて、ハカセが居間に入ってきた。

「もう、用事は終わったんか」

「ええ」

「それなら、そろそろ、カポネに行くか」

カポネというのは、ワシらが良く溜まり場にしとる飲み屋、スナックのことや。

と言うても、普通のスナックとは違うがな。店の名前も『カポネ』とは違う。

まあ、それについて説明し出すと長くなるから、着いたときにでも話すことにする。

「そうしましょう。テツさんは?」

「奴さんは、直接行くちゅうてたから、向こうで会えるやろ」

ワシが、今日来た目的は、そのカポネに行って、不定期に行っている『マイナーワーカー同盟座談会』(注4.巻末参考ページ参照)に参加するためや。

テーマは、『新聞の光と闇』やという。

ちょっと大層な感じやけど、内容的には豊富やから期待して貰うてもええのやないかと思う。

そんなわけで、申し訳ないが、その話は次回のお楽しみということにしといて。



参考ページ

注1.メールマガジン・新聞拡張員ゲンさんの裏話・バックナンバー

注2.第27回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■人の恨みを買う怖さを知るべし

注3.第48回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■共謀罪について

注4.第16回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■マイナーワーカー同盟座談会 その1 押し紙問題について


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