メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第41回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2009. 3.20
■マイナーワーカー同盟座談会 その2 新聞の闇と戦う人々
その日、『カポネの店』に着いたのは夕方の6時30分頃やった。
『カポネの店』というのは、ワシらが勝手にそう呼んどるだけで、実際の店の名前とは違う。
今から7年近く前、オープンして間もない頃、勧誘のために入ったのが、きっかけでその店の存在を知った。(注1.巻末参考ページ参照)
大柄でスキンヘッドのいかつい感じの男が、そこの店主やった。
ワシは、この店主をカポネと命名した。
1987年のアメリカ映画に『アンタッチャブル』というのがあった。
その悪役で、ギャングのボス、アル・カポネを好演してた ロバート・デ・ニーロに風貌と雰囲気が酷似しとるからというのが、その大きな理由やった。
また、この店主がアメリカのシカゴ帰りやというのもあった。
ただ、アメリカの禁酒法時代、その酒の密売をしていて捕まった人間の名前を、飲み屋の店主のニックネーム(あだ名)にするというのは、皮肉ではあるがな。
「カポネのマスター」。ワシがそう呼ぶことで、いつの間にかそれが通り名になった。
本人もそれを嫌がっとる風でもない。
店は、5、6坪ほどで小さい。カウンター席しかなく、椅子は8席あるが、詰めて座るには狭い。
たいていは、5、6人も入れば満員になる。まあ、滅多にそういうことはないようやけどな。
これは、狙いやと思うのやが、内装は、古い西部劇に出て来そうな雰囲気の造りにしとる。
全体が古ぼけた感じや。何も知らずここに入ると何年も内装も変えずに営業しとる古い店と勘違いするやろな。
それなりに趣があると言えば言える。
店内には、スナックとしては当然とも言えるカラオケ設備というものがない。
加えて、若い娘もおらん。その代わり、胡散臭そうな、いかついおっさんがカウンターに一人ポツリとおるだけや。
それで商売になると考える神経は、ある意味、驚嘆に値する。その驚嘆に値する店が7年も続いとる。
裏に何かある。
闇の殺し屋。最近、テレビドラマで「必殺仕事人」が復活して好評を博しとるが、その手の類のことを連想させる。
それをカモフラージュするために店がある。それが故に、流行る店は却って都合が悪いから、敢えてそうしとる。
十分、考えられる話やと長くそう噂されていた。また、その噂を否定する者も皆無やった。
そうでもなければ、こんな店が、このご時勢に生き残れるわけがないというのが、ここを訪れたことのある人間の一致した見方やった。
「テッちゃんは?」と、ワシ。
テツというのは、15年ほど前、京都で拡張してた時に知り合うた古紙回収業をしとる男や。
今は立派な社長さんやが、その当時は、まだ一匹オオカミの「ちりこ」にすぎんかった。
京都では、古紙回収でちり紙交換員を縮めて「ちりこ」と言う。どこか侮蔑の含んだ言い方やと、テツは自嘲気味に良くそう言うてた。
ワシは、その当時、テツと組んで仕事をすることがあった。
拡張員とちり紙交換が、どう絡んで仕事をするのかということを説明すると長くなるから、サイトの『新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第6話 危険な古紙回収』(注2.巻末参考ページ参照)を見て貰うたらええ。
その詳しいことが分かる。
これは、ワシのエピソードの中でも面白い方の部類の話やと自分でも思う。
何しろ、その仕事中、ヤクザの撃った流れ弾に当たりそうになって、あわやという目に遭うたさかいにな。
本人にはたまらん経験やけど、そういう話を聞いて喜ぶ人は多い。
「もうすぐ来られると連絡がありました」と、カポネ。
ワシらは、2006年の1月に『マイナーワーカー同盟』というのを、ワシとハカセ、テツ、カポネの4人で旗揚げした。(注3.巻末参考ページ参照)
サイトでその拡がりを期待したが、それほどの反響がなかったということもあり、しばらくなりを潜めていた。
それが、去年、2008年9月に不定期やけど、ワシらだけで『マイナーワーカー同盟座談会』(注4.巻末参考ページ参照)というのをやろうとなった。
今回がその2回めということになる。
「ところで、どや、マスター景気の方は?」
「あまり良くないですね」
まあ、当たり前と言えば、当たり前の言葉が返ってきた。
これで、「景気はよろしいですよ」とでも言うてたら、「何人殺して?」と、すかさず突っ込みを入れるつもりやったがな。
「それでも、(店を)閉めるほどでもない?」
「ええ、おかげさまで、常連の方に支えられていますので」
確かに、マニアックな面の多い店やから、そういう一部のファンが通い詰めるというのも良く分かる。
ワシらが、そうやさかいな。
こういう、ご時勢には、不特定多数を狙って大儲けを企むより却ってその方がええのかも知れんという気はする。
そう言うてたところに、大柄のテツがドアを開けて入ってきた。
「おっ、ゲンさんにハカセさん、もう来てたのか」
「ああ、ワシらも今、来たところや」
「そちらが、例の?」と、ハカセ。
「ああ、この人が電話で言うてた、スヤマさんや」
テツの後ろから入ってきた、ワシよりも少し年輩やと思える細身の男を、テツがそう紹介した。
「まさか、本当に、ゲンさんやハカセさんにお会いできるとは思っていませんでしたから感激しています。今日はよろしくお願いします」
スヤマがそう言うて恐縮した素振りを見せながら頭を僅かに下げた。
「こちらこそ」と、ワシらも、同じように軽く会釈を返す。
ワシは、極力、「ゲン」として業界関係者には直接会わんことにしとるのやが、テツのたっての願いということもあり、今回だけということで仕方なく承知した。
サイトにも、時折、ワシにぜひとも会いたいという人からのメールが寄せられることがあるが、たいていは丁重にお断りしとる。
それは、そうすることにより、ワシの正体が知れて困るというリスク以上に、その人の夢を壊したくないという思いの方が強いからや。
有り難いことにサイトへは日々「ゲンさんのファンです。頑張ってください」と、多くの激励メールが届く。
サイト上の「ゲン」という人間は、それを見る人の数だけ存在する。
100人ファンがいれば、100人の「ゲン」、1000人には、1000人の「ゲン」が存在する。
しかも、その想像上の「ゲン」は、その人たちの中で、素晴らしくええ人間に美化されとる場合が多い。
会えば、確実にその夢を壊す。それを恐れる。
想像上の人間は、やはり想像上の世界に止まるべきや。そこらをそれと触れ回りながら徘徊するべきやない。その思いが強い。
「会うて、がっかりされたやろ?」
「いえ、そんなことはありません」
気のせいか、ワシにはそう言うスヤマの口元が少し強張って見えた。
スヤマは、ある新聞販売店の店主やった。
過去形なのは、つい最近、廃業したからや。正確には、廃業させられたということになる。
今日の集まりの発案者はテツやった。
そのスヤマの話を聞いて、何とか力になってやれんものかというのが、その動機やったと言う。
テツは、古紙をその販売店から定期的に回収していた関係で、もうかれこれ20数年も前から、そのスヤマとは付き合いがあった。
そのスヤマと話をするうちに、新聞社のえげつないやり方に義憤を覚え、つい、ワシらのことをスヤマに話したのやと言う。
スヤマは、スヤマで、古くからのファンでHPを良く見てくれていたらしい。
何度か、相談したいこともあったそうやが、いかんせんスヤマは文章を書くのが苦手で、結局、メールを1通も送ることはなかったという。
現在、パソコンや携帯電話の著しい普及により、メールを書くこと自体、当たり前という風潮にあるが、まだまだハードルが高いと感じる人も多い。
サイレントマジョリティ(静かな多数派)と呼ばれる人たちの中には、このスヤマのように、そう考えて何のアクションも起こせん人も多いと思う。
ただ、スヤマは、文章は書けんでも話をするのは得意やったから、ぜひとも、ワシらに聞いてほしいという思いもあったので、今回のテツの話は渡りに舟やったと話す。
「実は……」
早速という感じで、スヤマが話し始めた。
今から25年ほど前、スヤマはある新聞販売店の、「のれん分け」という形で、500部ほどの小さな販売店の経営をすることになった。
当時、その辺りは片田舎で家も少ない辺鄙(へんぴ)な地域やったが、スヤマがその販売店を引き受けてから、3年ほどの間に急激な宅地造成により住宅が建ち並び、それに伴って部数も2000部近くにまで増えた。
ただ、その後は住宅が増えることがあまりなく、ほぼそのままの部数で推移していったという。
スヤマは、それで十分満足していたのやが、数年ほど前から赴任してきた新聞社のカケイという担当員が、「それでは困る」と難色を見せ始めた。
「何とか、注文部数を少しでもいいですから増やして貰えませんか」と。
それでないと、担当員としても立場がないと言う。
普通の企業の感覚やと、500部から2000部へ、4倍も伸ばしたというのは、それだけで十分評価される業績になる。
しかし、新聞社には部数至上主義という考え方が根強いから、常に部数が伸びてないことには評価の対象にはなりにくいとされとる世界なわけや。
新聞社にとって減紙(新聞の部数減)という言葉はないと言われとるほどやさかいな。
どの時点からであっても減紙になるということは、すなわち、その販売店の能力のなさを物語るものとされていた。
その頃、スヤマの販売店では、毎月、数部から20部くらいの間で契約切れなどによる関係から減紙というのが続いていた。
そのことを販売部長から責められていたカケイは、スヤマに「形だけでもいいですから、注文部数を増やして貰えませんか」と口説いた。
当然のように、「そうして貰えないと……、分かるでしょ?」と、はっきりとは言わんが、「改廃」を臭わせているというのは良う分かったから、スヤマもそれに応じるしかなかったと言う。
最初は月10部程度の水増しやったのが、数年のうちに、いつの間にか500部を越えるまでになっていた。
その水増し部数は、タダやない。当然のことながら仕入れ代金として新聞社に支払わなあかんものや。
売ることのない新聞の仕入れを続けていれば、いずれは経営を圧迫していくことにつながる。
もっとも、それを補うかのように、いろいろな名目の補助金を貰えるようにはなったが、そのマイナス分が完全にカバーされるわけやない。
長年に渡るそれは徐々にではあるが、確実にボディブローとして効いてきたと言う。
「それが俗に言われる、押し紙ですね?」と、カポネ。
「ええ、形の上では、私の希望注文部数ということになっていますが、それを断われる雰囲気ではありませんでしたから……」と、スヤマ。
このあたりが新聞社の狡猾なところで、販売店の店主に面と向かって「これだけの部数を余分に注文しろ」と言うことは、まずない。
言ったとしても、書類などの証拠に残るような手段でそれと伝えることもない。
「そうして頂けないと、困ったことになりますよ」と言うくらいや。
それが効く。
新聞社と専属販売店は、業務委託契約書というのを交わしている。
それには、営業努力についての項目があり、成績不振を理由に、新聞社が一方的にその契約を解除できる条文が記載されているケースが多い。
または、法に触れる行為をした場合も、同様の措置を執(と)るというのも盛り込まれている。
業務委託契約書の解除というのは、業界で「改廃」と呼ばれとるもので、店がつぶれることを意味する。
新聞を卸すのを停止するということやから、必然的にそうなる。
また、カケイのような担当者が、そんな含みのあるような言い方をするのは、新聞社が販売店に対し表立って「押し紙」を強制できん、あるいはその証拠を残せんという理由もあるからや。
新聞業における特定の不公平な取引方法について、1999年7月21日、公正取引委員会で告示されたものがある。
俗に、「新聞特殊指定の禁止行為」と呼ばれとるものが、そうや。
その第3項に、『発行業者が販売業者に対し、正当かつ合理的な理由がないのに、次の各号に該当する行為をすることで、販売業者に不利益を与えること』というのがあり、それには、
一、販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること。販売業者からの減紙の申し出に応じない場合も含む。
二、販売業者に自己の指示する部数を注文させ、当該部数の新聞を供給すること。
とある。
それらに新聞社が違反すると、その「新聞特殊指定」が見直され廃止される可能性がある。
2006年にその問題が物議を醸したことがあった。
旧メルマガ『第85回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞特殊指定について』(注5.巻末参考ページ参照)というので詳しく話しとるから、それを見て貰うたら分かると思う。
ちなみに、同じく『第87回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞特殊指定についてのアンケート結果』および『ゲンさんのお役立ち情報 その4 新聞特殊指定についてのアンケート結果情報』(注6.巻末参考ページ参照)では、その結果とこれについての多くの意見が掲載しているので、そちらも併せて見て頂ければと思う。
新聞社が、販売店に「押し紙を受け入れろ」という直接的な指示ができん理由がそこにあるわけや。
そのため、スヤマのようなケースは事実上の押し紙やと、ワシも思うのやが、その証拠を示すのが難しいということになる。
証拠がなければ、言うた言わんの水掛け論にしかならんさかいな。
また、新聞社だけのそうした「押し紙」だけが、販売店の余剰新聞やないというのもある。
販売店自らが望んでそうする「積み紙」というのも、その一つや。
新聞社に言わせれば、それは虚偽報告ということになる。
その「積み紙」については、前回の『第16回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■マイナーワーカー同盟座談会 その1 押し紙問題について』でも言うてた。
その部分や。
インターネットの世界では押し紙のみがクローズアップされることが多いが、新聞の余剰新聞の背景には「積み紙」というのもある。
これは、押し紙とは反対に販売店側の不正行為に属するもので、これに関しては新聞社はあまり関知することはない。
もっとも、見て見んふりくらいはしとるかも知れんがな。
「万紙」と呼ばれているものがある。
部数1万部以上がそう呼ばれ、その万紙以上を扱う販売店は、業界でも大規模販売店として認められることになる。
部数至上主義を掲げる新聞社は、当然のようにその大規模販売店を大事にするからその待遇や諸条件もその他の販売店より良くなるのが普通や。
また、それは一つのステータスでもあるから、それに届くところにある販売店は多少無理をすることがある。
例えば、公称部数9000部の販売店があったとする。後、1000部あれば、その万紙販売店の仲間入りができる。
言えば見栄のためにそうするケースもあるわけや。
しかし、この押し紙、積み紙などの余剰新聞というのは、そのすべてが販売店の負担ということでもない。
先にも言うたように、強制的な押し紙をして販売店を苦しめれば辞めていく者が増え、最終的には新聞社自身が困ることになる。
それを防ぐために、押し紙を引き受ける代償として新聞社はあらゆる名目をつけて補助金というのを出す。
これは、新聞社によりそれぞれで、販売店の店主ですら良う分からん名目ものがあるという。
ワシらが、一番身近なものに、拡張補助というものがある。拡張料の一部を新聞本社が負担しとるわけや。
他には経営補助、拡材補助、完納奨励金、販売店親睦会補助、保険・年金補助、果ては店主、従業員の家賃補助まで新聞社からの補助金として出とるという話や。
それ以外にもいろいろあるようや。
言い方は悪いが、補助金漬けになっとるわけや。現実に、補助金なしにはやっていかれん販売店が数多く存在すると聞くさかいな。
さらに、押し紙の場合は経営継続の保証もされるのが普通や。
逆に、それを断る、または減少を依頼すると、その経営継続の保証が危うくなる。
実際、それで目をつけられ改廃(強制廃業)に追い込まれる販売店も珍しくないさかいな。
それがある故に、たいていの販売店は多少不満があっても、その押し紙を引き受ける場合が多いわけや。
もちろん、その補助金で余剰分の仕入れ代金の補填がすべてできるとは限らんのやが、いくらか負担が軽減されるのは事実や。
積み紙の場合、それでステータスを得られるのなら安いものやと考えるケースもあるわけや。
もっと言えば、折り込みチラシの比較的多い地域の販売店なら、その積み紙1000部に対して余分に、折り込みチラシ代金が多く入るという計算もする。
それを望む販売店経営者は、その1000部を自らの意志で新聞社に発注をかけるわけや。
それが「積み紙」ということになる。
「確かに、以前はそれでもなんとかやっていけてたんですが……」
ここ1年ほどで、頼みにしていた折り込みチラシが激減したのが痛いと言う。
それまで、押し紙分の仕入れ代金の負担は、補助金とその折り込みチラシ代金でなんとかペイすることができていた。
しかし、その折り込みチラシが激減すると、押し紙分の仕入れ代金の負担だけが重くのしかかってくる。
このままやとじり貧になる。
そう考えたスヤマは、担当員のカケイに「注文部数を減らしてください」と頼み込んだが、「そうなると、上からは無能と判断されますよ」と、暗にそれは認められんと拒否された。
しかし、このままでは、やはりどうにもならんと考えたスヤマは、翌月の注文部数を100部ほど減らして申告した。
すると、烈火の如く怒ったカケイから、「スヤマさん、あんたどういうつもりなんですか」と、電話がかかってきた。
「ちゃんとした、注文部数をやり直してください」と、半ば強制的に迫られたという。
新聞社の言うとおりにこのままの状態を続けていたら、いずれ借金が膨らんで、行き着く先は廃業するしかない。
それなら、少しでもその負担を和らげた方がええ。例え、新聞社に逆らってでもそうした方が得策や。健全な経営に戻すのが先決やと。
スヤマは、そう考えた。
そこには、25年も続けているスヤマの店を新聞社が、そう簡単に潰すはずがないという信用と安心感もあった。
カケイの言うてるのは、単なる脅しではないかとタカをくくっていたわけや。
そうやなかったと、すぐにスヤマは思い知らされることになる。
カケイの要請を無視したスヤマに、新聞社から1ヶ月後に業務取引を停止するという文面の通告書が届いた。
スヤマは、即座にカケイに連絡を取ったが、「上の決定やから仕方ない」の一点張りや。
販売部長にも直訴したが、「業績を悪化させた経営者と業務取引の継続はできない」と、ニベもない対応をされて終わりやった。
その後の新聞社の対応は早かった。
本社から男が二人、引き継ぎのためと称して送り込まれてきた。
後に、それが通称「SAT」と呼ばれる改廃専用の人間やと知った。
「SAT」というのは、その新聞社の有力販売店の役職者クラス(店長や主任だけ)および専業などで構成されているエリート集団とされている。
本社の意向を聞かない改廃店の引き継ぎ業務を主な役目とする専門組織とのことやった。
スヤマのような、辺鄙な地域の販売店にその声がかかることはなかったが、噂では聞いて知っていた。
彼らの動きは素早く、スヤマの留守を狙って販売店に訪れ、言葉巧みに留守番をしていた、スヤマの奥さんに承諾書にサインさせて、その帳簿類とパソコンデータを押収したという。
気がつけば、僅かな引き継ぎ金だけを渡され、店から追い出されたのやと言う。
信じられんことに、その内訳の中に、軽自動車やバイク数台などの備品代一式が、僅か数万円という金額が記載されていたと話す。
それで否応なく買い取られるという契約書にサインさせらる羽目になった。
それが悔しくて、どうしたらええのかと相談したいということやった。
「それと良く似た話が、サイトにも寄せられたことがありましたね」と、ハカセ。
今回とまったく同じやないが、同じような経緯で改廃の憂き目を見た販売店経営者がおられ、相談してこられたことがあった。
「確か、ワシが回答して、保留になったんやったな」
「ええ」
その人の「今回の件をQ&Aに掲載との連絡を頂きましたが、まだゴタゴタが片付かずにいますので、もう少ししてから(1年位)にしてください。お願いします」、「備品の内容と金額も隠してください」、「どうか現在の私の置かれた状況を察してくだされますようお願いいたします」ということを尊重して保留扱いしたわけや。
その当時、新聞社に身元を特定されるを極端に恐れたのやと思う。
あれから一年以上が経ったから、公開しても良さそうなもんやが、後日、その相談者に確認を取ってから、いずれ機会を見て、このメルマガ誌上で話したいので、それについての詳細は、そのときまで待ってほしい。
ただ、この人の相談の中に、
はじめまして。わたしはメルマガ『第158回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■押し紙裁判の波紋』(注7.巻末参考ページ参照)の記事の内容にあったような残紙(押し紙)に苦しみ、結果、経営難に陥り、店を改廃された経営者の1人です。
もちろん自分の未熟さによる自己責任も否定しませんが、もっと早くにこのページをみていれば・・・とにかく新聞社と各都道府県担当者の裏は嫌というほど見てきました。
近年は便利な物もあって、小型で長時間録音できるレコーダーがあり、3年前から様々な会議や担当者、その他、会の役員の話が150時間分録音されてます。
紙、女、金、汚れたその内容は今回の裁判なんてママゴトに思える程、強烈で、新聞社にとって原爆投下ほどの威力があるものです。
故にどうしたものか悩んでおります・・・そんなものを世に出していいものかどうか・・・
という箇所があったのが、印象的やった。
その「爆弾」というのが、どれほどのものかは分からんが、そのすべてを録音したものがあるというのは、内容次第では大きな武器になるのは間違いない。
ただ、他にもこういう方は多いと思われる。
特に、サイトのQ&Aで、ワシがしきりに言うた言わんの水掛け論を回避するためには録音してた方がええとアドバイスしとるからよけいや。
それを実行しとるという報告も多いさかいな。
「押し紙による被害の弁済を求める裁判を起こした場合、どうなるでしょうか?」と、スヤマ。
「ワシらは法律家とは違うから詳しいことは言えんが、この手の裁判で勝訴するのは厳しいのやないかなと思うよ」
この押し紙裁判と呼ばれとるもので、限りなく勝訴に近い和解した事案が一件と、裁判で販売店の地位保全を獲得できたのも一件に止まっているというのが実状や。
多くは敗訴になっているという現実がある。それもあり、ワシらから「裁判をやれ」というような、ええ加減なことは言えんわけや。
しかも、前回の『第16回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■マイナーワーカー同盟座談会 その1 押し紙問題について』(注2.巻末参考ページ参照)でも言及したが、その裁判所の判決すら、新聞社は平気で無視するというケースも実際に起こっとる。
結局、その店主は強制改廃させられることになった。
もちろん、こんなことをすれば、司法への挑戦になるし、再度、提起されている裁判でも新聞社側が敗訴するのは目に見えとると思う。
それならなぜ、新聞社が、このようなあからさまな愚挙を敢えてするのか。
それは、その後も続発されることが予想される、この手の裁判に対して新聞社なりの意思表示やと考えられる。牽制の意味合いとして。
例えその後の裁判で新聞社が負けたとしても、一旦、改廃して、その店から客を取り上げてしまえば、いくら地位保全の決定が下されようと、実質的な販売店の復活は不可能になる。
その時点で、販売店そのものがなくなるわけやから、そこで働いていた者も解雇せな仕方ない。
それを一から始めるとすれば、膨大な費用がかかる。
また、こういう裁判まで起こした人間が敵対した新聞社と、また手を携えてやっていこうという気にもならんやろうから、結果として新聞社の狙いどおりになると考えられる。
そうなれば、例えその勝訴の判決が出たとしても、それこそ絵に描いた餅にしかならんと。
新聞社としては最悪の結果を招いたとしても、裁判で言い渡される損害金を払えば終いや。
あるいは、和解にこぎつけて円満解決を装うという手もある。
その計算が働いた。そういうことやないかと思う。
「それでは裁判を起こしても無駄だと?」
「そうは言いませんが、辛く長い戦いが待っていることは覚悟しなくてはならないでしょうね」と、ハカセがそう言いながら、一冊の本をカバンから取り出した。
本の題名は『新聞販売店の闇と戦う 販売店の逆襲』とある。
前回の座談会のときにも『押し紙を知っていますか?』と題したA4版の9ページほどのパンフレットが送られてきたと言って、それについて話し合ったが、今回も同じ送り主である弁護士の方から「献本」という形でハカセのもとに届けられたものやという。
「まだ、届けられて日が経っていませんので、すべてを読破したわけではありませんが、その裁判の厳しさ、難しさが良く分かる本だと思います」
その本の内容の引用は、まだ許可を取ってないので、ここでは差し控えるが、ワシらに参考にしてほしいということで送られてきたのは間違いないと思う。
「もちろんどうされるかは、スヤマさん次第ですが、以前にも同じような悩みをサイトに相談された方に、その弁護士さんを紹介したことがあるのですが、その方は、結局、何も連絡されておられないようでしたね」
「私も、その方の気持ちは良く分かります。正直言って、私も今はそれどころではなく、次の生活をどうするかが先決だと思っていますので」
実際問題として、そういう人の方が多い。
理不尽な改廃の憂き目に遭って、許せない、腹立たしいと考えても尚、新聞販売店経営者の多くの方たちが、あきらめるという選択をされているのもそういうことやと思う。
まずは、自身の生きる道を確保せなあかんと。
裁判というのは、自身の考える正義のための闘いという面があるのは確かやが、そのためには忍耐力と強靱な意志、そして時間と金を必要とするものや。
特に民事裁判では、それが求められる。
加えて、こういう新聞の販売絡みの裁判事案は、当の新聞社はおろか、他紙の新聞ですら報道されることはほとんどない。
新聞社の影響の強いテレビ局での報道も皆無に近い。
そのため、世間にこの事実が知られることは少ないと新聞社は考えとるわけや。
世論の力が借りにくいと。
「そんなことでいいのでしょうか」と、カポネ。
「ええはずはないわな」
ただ、この裁判による影響と思われる事態は、少しずつではあるが確実に進行しとるとは思う。
新聞社は、インターネットや週刊誌、書籍にその裁判のことが書かれたくらいでは大したことにはならんと考えとるようやが、それはあまりにも甘い見通しやとしか言えん。
現在、ほぼすべての企業がそうやと言うてもええくらい、ネット上にHPを開設し、ユーザーの意見に耳を傾けるようになっとる。
それらの意見の中には、新聞に対して怒りを示す意見も多いと聞く。
熱心なユーザーの中には、新聞の水増し部数や、それによる過剰な広告費を請求する実態などを知らせる人もいとるとのことや。
特定の新聞社の悪行の数々を並べ立て、組織立って不買運動を起こしとるケースも少なくない。
もちろん、それらが100パーセント正確な情報をもっているとは言えんかも知れんが、そう聞かされる側は、その数が多ければ、どうしても信じやすくなるもんや。
それにより、新聞広告の費用対効果に疑問を持つ企業も現れ、広告の掲載を手控える企業も増えているということや。
表向きは昨今の不景気を理由にしてな。
新聞社は、それに気づいているのかどうかは知らんが、昔ほど新聞紙面に掲載せんということで、何もなかったかのように装うことができんようになっとるということやと思う。
今や新聞の売り物であるはずの公明正大さに、疑問を抱いている人が確実に増えつつある。
他者の悪事を暴のはええ。
しかし、同時に自身の不正にも厳しくあるべきやと思う。
人の悪口や非難を平気で言う人間が、法を犯すような行為をしとるというのが知れたら、誰もその人間を信用することはないわな。
それと同じやと思う。
それで、あきらめろとは言いたくはなかったが、「でも、お二人に話を聞いて貰えただけでも良かったと思います」と言う、スヤマの笑顔に救われた思いがしたのも確かやった。
「前回のときにも疑問に思っていて言いそびれたのですが、その押し紙分というか、配ることのない新聞についても余分に折り込みチラシ代金を業者から取っているということですよね」と、カポネ。
このスヤマのような押し紙の被害者やという新聞販売店の経営者が口を揃えて言うのがそれや。
裁判やその本の中でも、それに触れられてはいるが、それが法に触れる行為やとまでは言及されていない。
その収入は当然なものやという捉え方をしとるしか思われん。
スヤマにしても例外やなく、その収入が減ったことで経営が苦しくなったと訴えとるわけや。
配ることのない新聞の折り込みチラシ代金を取る行為は、詐欺と断罪される可能性が高い。
もっとも、それで争われたというケースがないから、今のところ、裁判所での裁定はないから確定されとるわけやないがな。
「スヤマさんには失礼な言い方かも知れませんが、例え、新聞社からの押し紙があったにせよ、その分のチラシ代金を取っているというのはおかしくはないですか?」
本来なら、配る分だけの折り込みチラシの代金分を業者から受け取るのが筋やないかと、カポネは言う。
「確かに、仰るとおりです。私らはそれを当たり前としていたところがありましたが、言われてみれば、そのとおりですよね」
その業界に長くいてて慣習となっているものについて、例えそれが違法性の高いものであったとしても、それと指摘されんと気づきにくいということがある。
もっとも、それに気づいていたとしても、見て見んふりをしてしまうということもあるやろうがな。
いずれにしても、被害者やと訴える以上は、加害者になるべきやないというのが正論ということになる。
ただ、その折り込みチラシについては、最近では、その情報が行き届いとるのか、販売店から納入指定された分に対して業者の方も最初から1割程度、減らしたチラシしか依頼せんになったというケースも増えとるとは良く聞く話やがな。
そして、これも当然やが、それと知れば、やはり、その折り込みチラシを入れるのを躊躇する業者も出てくるわな。
それが、この不景気と相俟って折り込みチラシが激減しとる理由やないかと思う。
新聞社の行為に比べればおよぶべくもないとなるのかも知れんが、罪は罪。それを忘れて、自らの正当性だけを主張するのは間違いということになる。
この手の裁判には、そういう面での難しさもあるのやないかと思う。
この後も、話題が変わり『マイナーワーカー同盟座談会』は延々と続いていったんやが、メルマガの掲載制限の関係もあるので、まことに申し訳ないが、今回は、ここで一旦、小休止とさせて頂く。
参考ページ
注1.第44回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■その名は、カポネ
注2.新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第6話 危険な古紙回収
注3.第75回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■我らマイナーワーカー同盟
注4.第16回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■マイナーワーカー同盟座談会 その1 押し紙問題について
注5.第85回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞特殊指定について
注6.第87回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞特殊指定についてのアンケート結果
ゲンさんのお役立ち情報 その4 新聞特殊指定についてのアンケート結果情報
注7.第158回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■押し紙裁判の波紋
読者感想 販売店の改廃
投稿者 Jさん 投稿日時 2009.3.22 AM 8:34
今週のメルマガも、興味深く読ませていただきました。
今回の話では、新聞社の販売店に対する改廃の姿勢や考え方に興味を持ちました。
新聞社と販売店の関係は、端からは、外食やコンビニ業界における、本部と出店側のフランチャイズ契約に似ているように見えます。
もしそこに大きな違いがあるとすれば、資本金の規模くらいでしょうか。
ところが、”中央本部”主導の改廃措置に関しては、新聞業界がダントツに行われているみたいな印象があります。
(そういった事態に関する統計を私は知りませんので、もしかしたら実際は、
業界別に比較したとしても、改廃の数は、新聞業界だけが突出しているわけではないのかもしれませんが。)
おそらく、資本金の工面と、労働力の専門性の問題が絡んでいるのではないかと思います。
新聞販売店の場合は、こういっては何ですが、調理師などの国家資格も要りませんし、資本金の額も数百万円程度で済んだかと思います。
「代わりは幾らでもいる」
そういう考え方が新聞社にあるために、たとえ数十年の付き合いのある販売店に対しても、冷徹な措置が取られるのではないかと思われます。
もしかしたら、改廃という措置は、新聞社の”思う壺”と言いますか、「最初から仕組まれているのではないか?」とさえ思えるほどです。
なぜなら、それによって反抗的な販売店主を排除することができるのはもちろん、次の経営者の経験値が、多少不足していたとしても、販売ノルマを一旦リセットして、純粋な販売部数からスタートさせれば、その後の経営に無理がないと考えられるからです。
新聞社の営業部においても、「販売店の経営者に問題があった」ことが部数減の原因だったと、経営側に対して合理的な言い訳もできます。
無理なノルマを配下の人間に課しながら、いざそれが表面化すれば、その人間を切って落とす・・・
商売の道徳として、この仕打ちは、やはり最低の部類だと思います。
この報いは、必ず自らに返ってくることでしょう。
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