メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第416回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2016. 5.27
■それぞれの言い分……その1 大きなトラブルになる原因とは?
「くそっ、また入れてやがる」
トシオは、アパートの一階にある自転車置き場に停めている自転車の前かごに無造作に入れられている缶コーヒーの空き缶を見つけて、そう毒づいた。
トシオは、毎日、午前7時に起きて、自転車で30分程度の距離にある工場へ仕事に行っている。
「さあ、今日も一日頑張るぞ」、と意気込んで部屋を出るのだが、自転車に乗ろうとして、空き缶が前かごに捨てられることに気づくと、いつも気分が悪くなる。
犯人は分かっている。二階の真上に住んでいる某新聞販売店の若い男だ。
直接、その若い男が空き缶をトシオの自転車の前かごに入れているのを見たわけではないが、同じアパートの住人が、その若い男が空き缶を入れるのを目撃したことがあると言っていた。
前日の夜、12時頃、自転車でコンビニまで買い物に行ったが、当然その時には何もなかった。
空き缶が前かごに捨てられていたのは、それから朝7時までの間だ。
トシオの知る限り、このアパートに住んでいて、そんな早い時間に動いているのは二階に住む某新聞販売店の人間くらいのものだ。他には考えられない。
しかも、その男の乗っているバイクは、いつも隣に停まっている。状況的にも疑う余地などない。
その若い男に文句を言ってやろうかと思ったが、今のところ、又聞き情報と状況による推測だけしかないから、それは止めといた。
その日、トシオは仕事の帰り、自転車屋に寄って前かご用の防護ネットを買った。これで、もう空き缶が入れられることはないだろうと思っていた。
しかし、翌日、空き缶は防護ネットの上に、ちょこんと置かれていた。
トシオは頭にきた。舐めるのも、ほどとぼにせいよと。
こうなったら、意地でも決定的な証拠を掴んでやる。文句を言うのは、それからだ。そう決めた。
ただ、その前に、この件が、どの程度の罪になるのか調べてみた。それでないと、例え、その現場を押さえたとしても文句を言うだけで終わるからだ。
それでも相手が非を認めて謝れば、それでも良いが、謝らなければ喧嘩に発展する恐れが大きい。
その若い男と話したことはないが、顔を合わせた時の印象では生意気そうな相手だ。常識とは無縁に思える。
それを考えると、近所、それも上下の部屋同士という関係から気持ちが萎えるが、このままこんなことが続けられると、いつかは我慢の限界を超え、結局、爆発して喧嘩になるのは目に見えている。
喧嘩になった場合、それなりに正当性を主張できる方が良い。少なくともトシオ自身には非はないという理論武装をしておく必要がある。
今回の罪に該当する犯罪行為として、まず「ポイ捨て禁止条例」というのがあると聞いてネットで調べたが、トシオの住んでいる地域には、まだ、その条例は制定されていなかった。
「迷惑防止条例」というのはあるが、これは主に公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等を防止することを目的とした条例で、それに該当するとは思えない。
心情的には迷惑を被っているわけだから、その法律で罰せられても良さそうなもんやが。
「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」の第16条に『何人も、みだりに廃棄物を捨ててはならない』というのがある。
これに違反すると、『五年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する』とあった。相当に重い罪や。
ただ、空き缶1個を他人の自転車の前かごに入れただけで、その罪に問えるのかといった点については分からないが、廃棄するゴミの多寡に対する規定が見つからなかったので、そう主張することは可能だと、トシオは考えた。
トシオは、その若い男に罪を着せるのが目的やなかった。非を認めさせ、次から、空き缶の投棄がなくなれば良いだけの話だった。
それであれば、この「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」、通称「廃棄法」は使える。トシオは、そう思った。
その若い男が犯人なら、犯行時間は限られる。
トシオは、ネットで調べている時、『新聞拡張員ゲンさんの嘆き』というホームページを見つけた。
そこに書かれていることから、新聞販売店の従業員が出勤する時間は午前1時から遅くとも3時くらいの間で、帰宅は午前5時から6時くらいの間だが多いということが、わかった。
自転車の前かごに入れられた缶コーヒーの空き缶は、出勤前に飲んだものか、帰宅前に買って飲んだものかのいずれかだと思われる。
それであれば、そのいずれかの時間帯に張り込めば良いわけだが、実際問題としてそうするのは、かなり難しい。
まず、『午前1時から3時くらいの間』と『午前5時から6時くらいの間』を見張るとした場合、その前後30分程度は待機しとかなあかんさかい、1日5時間程度、時間が取られることになる。
夜間に、そんなことをしていては寝る時間がなくなる。それで仕事に支障をきたしたり、体調を崩したりしたのではつまらない。
タカが空き缶1個のことで、そこまでするのはバカげている。
それに、その若い男が毎日、そんなことをしているというわけではないということもある。
多い時は週3日ということもあるが、週1日というケースもある。もちろん何も入っていない日が1週間以上続くということもある。
確実に、やる日がわからなければ、そうする意味がない。
加えて、アパートの駐輪場は狭くて外部からは見えにくい構造になっているため、その新聞販売店の従業員を見張ること自体が難しい。
近くで見張るしかないが、そうすれば気づかれる可能性が高い。誰かに見張られていると知って、そんなことをするアホもおらんやろうから、やるだけ無駄や。
ただ、このままにするのも気分が悪すぎる。何とか、すっきりさせたい。
そこで、トシオは多少金はかかるが、ワイヤレス防犯カメラを、その駐輪場に設置することを考えた。
トシオは、早速ネットでワイヤレス防犯カメラを買って、駐輪場に設置した。
その詳しい場所については、トシオの要望で、このメルマガ誌上では明かせんが、絶妙の位置に取り付けたとだけ言うておく。
効果は、その日のうちにあった。
ワイヤレス防犯カメラの映像に、その決定的な瞬間が映っていた。
時間は、午前6時すぎ。その若い男がバイクに乗って帰って来た。
トシオは、出勤時に出やすくするために、いつも駐輪場の出口に一番近い所に
自転車を停めていた。
その若い男は、トシオの自転車をずらして、その横にバイクを停めた。どうやらトシオと同じことを考えていたようだ。
そして、若い男はバイクの前かごに入っていた空き缶を取り出し、トシオの前かごに被せている防護ネットの上に置いた。
それがまるで日課でもあるかのように、ごく自然な仕草だった。悪いことをしているという後ろめたさのようなものは、その映像からは感じられなかった。
これで、決定的な証拠を掴んだ。トシオは、その思いで気持ちが高揚していた。これで勝ったと思った。
トシオは、その日の夜、若い男が帰って来るのを駐輪場で待った。帰って来る時間は、たいてい決まっていた。午後9時すぎくらいだ。
案の定、その時間頃に若い男が帰って来た。
「おい、お前、何でいつも空き缶を俺の自転車の前かごに入れてんねん」
いきなり、トシオが、そう文句を言ったことで若い男は一瞬、驚いた様子を見せたが、すぐに立ち直りを見せ、「何や変な言いがかりをつけて。何か証拠でもあるんか?」と予想どおり反論してきた。
「証拠は、これや。見覚えがあるやろ?」
トシオは、そう言いながら、ビニール袋に入れていた空き缶を見せた。
トシオはカメラ映像を見せようと思ったが、止めた。ワイヤレス防犯カメラで、現在のやり取りを録画している。それを知られたくなかった。
それにトシオは喧嘩が目的ではないから、揉めたとしても手を出すつもりはなかった。万が一、その若い男から手を出して殴りかかってくれば、それも証拠映像として使うつもりだった。
多少、やり方が汚いかも知れないが、もともとは、その若い男が空き缶を投げ入れたのが悪いのやから、やむを得ないとトシオは考えた。
「知らんな」
「今、知らんて言うたのか?」
「ああ、そうや。知らん」
「そうか。すると、この空き缶の指紋とDNAを警察に調べて貰うて、お前が飲んだものやと分かったら、どうするつもりや?」
「アホか。タカが空き缶一つを自転車のかごに入れたくらいで警察が、そんなことまでするか」
「そうとも限らんで。お前、廃棄法というのを知っているか?」
「知らん、何や、それ?」
「何も知らんやっちゃな。廃棄法というのは『廃棄物の処理及び清掃に関する法律』の略で、その第16条に『何人も、みだりに廃棄物を捨ててはならない』と決められている」
「……」
「その法律では捨てた廃棄物の量は規定されていない。法律上は、例え空き缶一つでも、廃棄法に触れると考えられているんやで」
これは、トシオのブラフ、はったりだった。確信があって言うてることやないが、説得力はあると自分でも思っていた。
トシオは続けて「廃棄法に抵触すると、『五年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する』という規定がある。お前が考えているような軽い罪やないということや。その罪で告発すれば、その証拠として、お前の指紋とDNAくらいは調べると思うがな」と言った。
「警察に通報するつもりか?」
「お前次第や」
「どういうことや?」
「俺は、空き缶の投げ入れさえ止めてくれれば、それでええ。事を大きくするつもりはない」
「分かった。止める」
「分かったやと? その前に言うことがあるやろ? まず、ごめんなさいが先やないのか?」
トシオは勝ち誇って、つい高飛車に出た。それが後で、よけいなことやったと後悔することになるのやが、この時は間違っていたとは思わなかった。
人間、悪いことをした場合は、謝るのが基本だからだ。
「……、すみませんでした。もうしません」
その若い男が、か細い声で弱々しく、そう言った。この時、その若い男は恨みの念を抱いていたのやが、トシオには、それが分からなかった。
「そうか、それなら今回のことは警察には言わないでおこう」
トシオが、そう言うと、その若い男は部屋に引き上げて行った。
トシオは、完全勝利を確信して、ワイヤレス防犯カメラをアパートの駐輪場から取り外した。
しかし、その翌々日に事件が起きた。
トシオがいつものように、仕事に行こうとして自転車の跨るとパンクしていたのである。
トシオは、瞬間的に「あの餓鬼の仕業や」と思った。あの時、やり込められた仕返しに、こんな真似をしたのやと。
トシオは、その報復としてバイクのタイヤをパンクさせることを思いついたが、止めた。そんなことをすれば、その若い男と同レベルのつまらない人間になるだけやからや。
トシオは、すぐに二階の男の部屋に行って男を呼び出した。
「お前がしたんか?」
「何の話ですか?」
その若い男は、この前と違い、落ち着いた対応をしていた。言葉使いも妙に丁寧だ。
「とぼけるな。お前、俺の自転車をパンクさせたやろ?」
「知りませんよ。何か証拠でもあるんですか?」
「ぐっ、……」
トシオは、言葉に詰まった。
「この前のことは謝って終わりましたよね。だったら、証拠もないのに何でもかんでも僕のせいにするのは止めて貰えませんかね」
その若い男は、そう言うと口元が僅かにほころび、ニャっと笑ったようにトシオには見えた。
「そうか、そういうことか。それなら俺にも考えがある」
トシオは、完全にキレた。その日、会社には休みを貰い、その足で警察署に向かった。
若い男の名前は、勤めている新聞販売店に問い合わせて訊き出した。ショウヘイという。
加害者の名前を知らなければ告訴することができないからだ。
トシオは、警察署の安全生活課に相談するという形を取った。
「なるほど、それでは、あなたの自転車をパンクしたのは、その販売店に勤めるショウヘイという人だと言われるわけですね?」
「間違いありません。実は、先日、こんなことがありまして……」と、トシオは「空き缶投げ捨て事件」の詳細と、証拠の空き缶、および録画データを持参して説明した。
「よく分かりました。この件は、こちらで調べてみましょう」と、その担当刑事が言った。
警察の動きは、素早かった。
どうやら、ショウヘイに事情聴取したようだ。
そこでショウヘイは、素直に罪を認めたという。ただ、ショウヘイが、そうしたという理由を聞いてトシオは複雑な思いになった。
ショウヘイは、いつも午後9時過ぎに帰って来て仮眠を取っているらしいのだが、その時、下の階、トシオの部屋の物音、テレビやCDの音で寝付かれない日が多かったという。
何度も文句を言おうと思ったが、午後の9時から12時くらいまでの間にテレビやCDを聴くのは世間一般では非常識とは言えない。
それに大音響で聴いているというわけでもない。どちらかというと音は小さめだった。
しかし、人は一旦気になり出したら、どんな音でもうるさく聞こえてしまう。
その思いが講じて、自転車の前かごに空き缶を入れていたという。嫌がらせというより、ショウヘイの辛さを知らせたかったのだと警察に説明したと。
ただ、その事件が、きつかけで、その販売店にはいられなくなり、ショウヘイは、すぐに辞めたという。
そんな時、初めてトシオからメールを貰ったわけやが、事が殆ど終わった後では何のアドバイスをすることもできない。
トシオが、あの時、何でそんなことをしたのかと優しくショウヘイの話を訊けば良かったと反省したが、今となっては、どうしようもない。
トシオは、そんなことはないとは思ったが、万が一、ショウヘイが今回のことで恨みに思い復讐でもしてきたらと思い、すぐに別のアパートに引っ越したという。
そのすべてが終わり、誰も困らないということで、今回の一連の事件をメルマガ誌上で話すことにしたわけや。
人には、それぞれ言い分というのがある。自分は絶対に間違っていないと思っていても、人には何かしら迷惑をかけているケースがある。
最近、騒音問題で殺人事件が頻発しとるが、それなんかも案外、よく話し合って分かり合えれば、そんなことににはならずに済む場合が多いと思う。
心易い人間が何をしていようと、それほど気にもならないが、僅かでも気に入らない、あるいは知らない人間が同じことをしていても気になったり、怒りを覚えたりということがあるさかいな。
今の時代、ご近所同士、仲良くするというのは難しいのかも知れんが、それができな、どんな危険が待ち受けているか分かんのやないかと思う。
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