メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第426回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2016. 8. 5
■新聞の怪談 その8 幽霊屋敷の住人に貰った契約
また暑い夏がやって来た。今年は、いつ梅雨が明けるとも知れないまま、いつの間にか夏になっていたという感がある。
もっとも、梅雨入り、梅雨明けの定義自体が曖昧ということもあるがな。
一般的に、沖縄は4月下旬から5月中旬、九州、四国は5月中旬から6月上旬、近畿から関東にかけては5月下旬から6月中旬、東北、北海道が6月上旬から下旬あたりが梅雨入りの目処とされている。
その時期に梅雨前線が発生し、その後、1週間の天気予報で5日以上雨または曇りの日が続くと予想される場合、気象庁から「梅雨入りするものと見られます」という発表がある。
梅雨明けは梅雨前線が北上し、その後、1週間の天気予報で5日以上が晴れ、または曇りの日が続いた後、「梅雨明けしたものと見られます」との発表がなされるというのが気象庁の基準になっているらしい。
梅雨の間、晴れたり、天気予報が外れて雨が降ったりして難しいということもあり、判断を迷っているうちに梅雨明けを発表せずに夏になっていたケースも、それほど珍しくはないという。
今年が、まさにそんな感じやな。
いずれにしても現時点で、日本全国で夏になったことだけは間違いないようや。
そこで夏恒例の「新聞の怪談話」を始めようと思うたわけや。
新聞配達時の怪談話というのは、一般的には、あまり知られていないが業界内では結構多い。
江戸時代から語り継がれている古典的な怪談話で最も幽霊の出る時刻が「丑三つ刻」やとされている。
現代の時間で言うと、およそ午前2時から2時半頃で朝刊の配達が開始される頃と重なる。
そのためかどうかは定かやないが、新聞に纏わる怪談話が昔から豊富にあると言われている。
その情報が、時折、読者から寄せられて来る。それが真実か否かはワシらには分からん。
ただ、そういうこともあるやろうなという話だけを厳選して、今まで読者に伝えて来たつもりや。
今回話すのも、その一つということになる。それでは、そろそろ始めさせて頂く。
これは、タダシという拡張員が数年前に経験したという、ある地方での話である。
その日、タダシが団に出勤すると机の上に「崩れカード」と書かれた付箋が貼り付けられている契約書のコピーが置いてあった。
「崩れカード」とは、様々な理由により契約が取り消された契約のことで、新聞販売店から団に届けられるのは、拡張員の不法行為や販売店の指示違反によるものが多いとされている。
つまり、その「崩れカード」がタダシの机の上に置かれているのは、タダシが不法行為、あるいは販売店の指示違反をして取って来た契約だという意味になる。
それが確定すれば、担当の拡張員、この場合、タダシが拡張報酬を全額返還した上、その内容次第では、かなり重いペナルティを科せられる場合がある。
「何で、このカードが崩れなんや?」
タダシは、その「崩れカード」の内容を見て訝しげに、そう洩らした。
そのカードは、10日ほど前に「キンジョウ」と名乗る女性客から貰ったものや。珍しい名前やったので、よく覚えている。
その日、タダシは、M県Y市の「緑が丘」という住宅地で叩いていた。古い建物が建ち並ぶ閑静な住宅地である。
夜の7時過ぎ頃だった。
タダシは、まだ1軒の契約もあげられず焦っていた。拡張終了時間まで1時間を切っていたからだ。
その日、坊主(契約0)なら3日連続ということになる。タダシは、それだけは避けたかった。
班長のヤマギシから小言を言われ続けていて鬱陶しいということもあるが、それ以上にタダシはプライドが許さなかった。
一瞬、「てんぷら(架空契約)」でも作ろうかと迷ったが、それは思い止まったという。それには、ワシらのサイトを知って、その愚に気づいたからだと。
特に、ワシが「不法行為をしてまで契約を取るくらいなら拡張員なんか辞めた方がええ」と言うたのが心に響いたからやと。
人は不法行為に一度手を染めると、それが普通になる。その普通が、さらなる不正を呼び、麻痺する。そして、やがて、その行為を自身の中で正当化するようになる。
そうなれば人として終わる。事の善悪がつかんようになるだけやなく、自身の心の荒廃に気づかんようになるからや。
もともと、不法行為、不正行為に対して、然(さ)したる引け目や後悔の念を抱いていない人間は別やが、タダシのように、どちらかと言うと正義感の強い方の人間にとっては辛いことになる。
日々、悩み続けることになるさかいな。
そうならんためにも是が非でも1軒の契約が欲しかった。焦る所以だった。
そんな時、比較的大きな家の門扉の前に佇んでいる若い女性を見かけた。白いワンピース姿の長い黒髪の持ち主で、なかなかの美人だった。
ただ、どこか寂しそうで病的なまでに痩せ細った容姿と生気のない白い貌がきにかかったが、契約の欲しいタダシにとっては、そんなことに構っていられなかった。
門の前に出ている家人は、タダシにとっては絶好のターゲットだった。
タダシは、いつも、そうしているように、気軽な調子で、その若い美女に声をかけた。
「こんばんは。陽が落ちるのが早くなりましたね。つい最近までなら、この時間はまだ明るかったんですが」
いくら契約が欲しいといっても、いきなりガツガツと勧誘するのは拙い。まずは相手の心を和ませ、用心させないように雑談に持ち込むことが鉄則だと心得ている。
たいていは、その季節毎の状況で声をかける。この時は、9月に入って本当に陽が短くなっていたので、そう言うたわけや。
「ええ、そうね……」
若い美女は、力なく、そう答えた。
「誰かのお帰りをお待ちですか?」
「ええ、主人の帰りを待っています……」
「そうですか。羨ましいご主人ですね。若くて綺麗な奥さんに、そこまで心配して帰りを待って貰えるなんて」
「まあ、お上手だこと……」
若い主婦は、そう言うと、少しはにかんだような笑みを浮かべた。
「いえ、これはお世辞ではありません。僕の本当の気持ちです」
「お世辞でも嬉しいわ……。あなた、ご結婚は?」
「僕は独身です」
「そうなの? だったら早く誰か見つかると良いですね」
「ところで、ご主人は、いつ頃、お帰りなんですか?」
若い主婦が、こうして待っているところを見ると、すぐに帰って来るだろうという思いで、そう訊いた。
「もう、とっくに着いていなけりゃいけないんです」
「着いてとは?」
タダシは、その若い主婦の言い回しに違和感を感じ、そう尋ねた。
「実は、私たち、つい最近結婚したばかりで、今日が引っ越しの日だったんです。主人は引っ越し業者と一緒に来るというので私だけ、こうして先に来て魔っていたんです」
「そうだったんですか」
タダシはチャンスやと思った。思わぬ、引っ越し客との遭遇だと。
拡張員が、引っ越し客と遭遇する確率は低い。たいていは地の利を活かした現地の新聞販売店員が先に見つけるものと相場が決まっている。
また、常に「空き家チェック」というのも行っていて、ぬかりがないというのもある。そのため、すぐに引っ越し客にアプローチできるのである。
引っ越し客というのは、電気やガス、水道といったライフライン、子供の学校の手配や準備などは手抜かりなくやって来るが、新聞の手配というのはあまりしない。
それには、ほっといてもすぐに勧誘にやって来るからだ。その時に契約すれば良いと考えるのが普通である。
「それでは、新聞は?」
「まだ、どことも契約していません」
「それは良かった。実は僕は新聞の勧誘をしている者でして、是非、うちの新聞を取って頂けませんか。チラシなども、このたあたりの新聞では一番多いですし」
「そう、だったら契約しようかしら」
「それでは、よろしくお願いします」
簡単に成約になった。その後、サービス品の洗剤を奮発し、その若い主婦から契約を貰った。
当然やが、これについては何の不正行為もない。正当な契約行為である。
ただ、その若い主婦に「まだ、ここに来たのは初めてで、住所も分からないから、その契約書には、あなたが書いてくれないかしら」と言われた。
ちなみに、契約者の名前は旦那の「キンジョウ マサル」にしてくれしいうことだった。若い主婦は「キンジョウ サトコ」と名乗った。
代筆したことが不正だと言われれば、そうなるかも知れないが、このくらいは業界では、ありがちなことだったから、タダシは特に意識せずに応じた。
変に「それはできません」と言って、その契約をなくすのを恐れたからだ。
それで問題はなかった。実際、その日の販売店の監査でもOKを貰っていた。
監査というのは、その契約が正しいかどうかを契約者に電話して確認するのが主で、若い主婦から訊いた携帯番号に販売店の当時の責任者が確認を取っていたのは知っていた。
そんな契約が「崩れカード」になるなどあり得ない。タダシは、その思いで「何で、このカードが崩れなんや?」と訝んだわけや。そんなはずはないと。
翌日、たまたまその販売店への入店日だったこともあり、そのことについて店長のヨシワラに「どういうことなのですか?」と訊いた。
「結局、あの家には誰も引っ越しなんかして来んかったんや」と、ヨシワラ。
「引っ越して来なかった?」
その契約は「即入」ということで翌日から新聞の配達を開始したという。
しかし、2日目の配達時、前日に入れた新聞が取り込んでいなかった。配達員から、その報告を受けたヨシワラは、念のため、サトコと名乗った若い主婦に電話した。
すると、「ごめんなさい。手違いがあって、引っ越しは一週間先になったので、配達は、それ以降にしてください」との返事が返って来たと、ヨシワラが言った。
それならと、その後、一週間経って配達を開始したが、また同じように新聞が取り込まれていなかった。
再度、サトコに電話をすると「ただいま、おかけになった番号は、お客様のご都合により、繋がらなくなっています」というアナウンスがあったので、「崩れカード」として団に送り返したということやった。
「あんた、その若い女に担がれたんと違うのか?」と、ヨシワラ。
「担がれた……」
タダシには本当に、そうなのかという気がしないでもなかったが、反論するだけの根拠もなかった。
拡張員を長く続けていると、これに類似したケースを経験することが希にあるからだ。
拡張員に良い者と悪い者がいるように、契約者の中にも、良い人間もいれば悪い人間もいとるさかいな。それが世の中というものやと心得ている。
それでも、さすがにタダシのような事例は少ないがな。
タダシは、現場の家に行った。その家には誰も住んでいないということやから行ったところで何がどうなるものではないとは承知しているが、このままでは納得がいかないと思ったからや。
一般人の女性客に担がれた、騙されたというのは屈辱以外の何ものでもない。
店長のヨシワラの言うとおりだとしたら、サトコと名乗った女はサービス品をただ取りするためだけに嘘をついたことになる。
だとしたら許せない。必ず見つけて騙したことを後悔させてやる。
サトコが、そういう人間だとしたら、そんなに遠くには住んでいないはずや。
近くに住んでいて、たまたま拡張員であるタダシが近所を勧誘している姿を見て、あの家に先回りして、一芝居打った。
そうとしか考えられない。それなら、あの家の周辺を叩けば、必ずサトコを見つけることができるはずや。
タダシは、そう考えた。
現場の家に行って見ると、あの時は薄暗くて気がつかなかったが、相当に古く荒れ果てた空き家だった。築50年くらいは悠に過ぎていそうだ。
門扉の横に小さな看板があり、それには「売り家」とあった。確か、その場所にサトコが立っていた。だとすると、その看板を隠すために、その位置に立ってタダシを待ち受けていたことになる。
サトコは『引っ越しをする』と言っていたから、その古家を買ったとしてもおかしくはない。
しかし、それなら不動産屋は、売れた家の「売り家」看板など撤去しているのが普通や。拡張員ならその程度のことは誰でも知っている。
その看板を見つけていれば少なからず不審に思ったはずや。もしかしたら、サトコはタダシが来る前に、その看板を外していたのかも知れない。
そこまでするかと考えて、タダシは「ふざけるな」と思わず口走った。
「売り家」の看板に不動産名と連絡先が書いてあったので、タダシは携帯をかけた。すると、「ただいま、この電話番号は使われていません」というアナウンスが流れた。
タダシは、仕方なく当初の計画どおり近所を叩いて、サトコを見つけることにした。
ただ、新聞の勧誘だと知られると、住人の多くが玄関口にはなかなか出て来ないので「お隣の空き地についてお尋ねしたいのですが」と言って聞き込みをした。
ちなみに「お隣」には、向こう3軒両隣、裏3軒の計8軒が該当するさかい結構使えるトークである。
叩き始めて3件目の家から50歳前後と思われる主婦が出てきた。狙いはサトコだから、すぐに違うと分かったが話をしないわけにはいかない。
もっとも、雑談混じりのトークに持っていき、あわよくば成約に繋げたいという思いもあったわけやが。
「まことに申し訳ありませんが、お隣の空き家についてお尋ねしたいのですが……」
「警察の方?」
「いえ、○○新聞の者ですが……」
新聞拡張員は、最初にそう名乗らなくても、これだけでも構わないとされている。正規の拡張員は新聞社から社名を名乗ることを許されているからや。広義の意味で『○○新聞の者』に違いはないさかいな。
今やと、2009年12月1日に施行された『特定商取引に関する法律』の改正法第3条ノ2第1項の「勧誘の意志の確認」というやつで身分を明かさなあかことになっているが、この頃には、まだその法律はなかったから問題はない。
「そう……新聞記者さんなのね。ということは、あの事件のことを調べておられるのね?」
「ええ……、そ、そうなんです」
タダシは、とっさにそう答えた。この中年の主婦は何か知っている。
タダシを新聞記者だと誤解していることについては多少、後ろめたい気持ちがないではないが、ここは話を合わせておいた方が得策だと瞬時に判断したからだ。
「でも、あれから5年以上も経っているのに、どうして今更……」
「それは……、ちょっと……」
タダシは、本当に返答に詰まったのやが、その中年の主婦は勝手に察してくれたようや。
「やはり、幽霊が出るっていう噂は本当だったのね……」
タダシは驚いて思わず『幽霊?』と訊き返そうとした言葉を呑み込んだ。
「ええ、実は、そうなんです。知っておられることがあれば何でも良いので教えて頂けませんか?」
タダシは、そう言いながら手帳を取り出した。これはワシの真似で、サイトを見るようになってから常にバンク(拡張範囲)のデータ保存用に持ち歩いているのやという。
バンク(拡張範囲)には様々な情報がある。日によって留守宅が違えば、時間帯によっても在宅率が変わってくる。地域により新聞、および販売店の評判や人気度も違う。
客層も学生や若者の多い地域から高齢者の多い地域と幅が広い。当然、話しやすい客もいれば口も利いてくれない人もいる。新聞の嫌いな人や好きな人など実に多様を極める。
そんな情報をすべて覚えいれば、それでも構わないかも知れないが、手帳に書き残している方が何かと便利やと思う。
この時、それが意外な面で役立った。それだけで中年の主婦は完全にタダシを新聞記者だと思ったからや。
その中年の主婦の話によると、今から6年ほど前、空き家の家を買った若い夫婦がいた。
「それが、キンジョウ夫婦ですね」
「ええ、そうです」
これで繋がったと、タダシは思ったが、同時に気味の悪さも感じたという。
「ところが、引っ越しの日、旦那さんと引っ越し業者の乗ったトラックが交通事故に遭って、旦那さんが亡くなられたんです」
「奥さんは、先に来て待っておられたんですね」
「私は、直接見たわけではありませんが、白いワンピースを着ておられたとか……」
「髪の長い色白の痩せた奥さんだったと?」
「さすが、記者さん。よくご存知ですね」
間違いないタダシが見たサトコだ。
「その奥さんは……」
「ご存知のとおり、あの空き家で翌日、首を吊って自殺しました。当時、それは大騒ぎになったんですよ」
「その後、その奥さんの幽霊が出るようになったと?」
「ええ……、でもこのことを私が話したということは内緒にしてね。私は家を売るつもりがないから構わないけど、幽霊騒ぎが大きくなると資産価値が下がると言う人もいるので変に睨まれたくないしね」
「分かりました」
タダシは、その話を聞いて背筋に悪寒が奔ったという。
信じたくはないが、どうやら本物の幽霊を見たようだと。そして、その幽霊と契約してしまったと。
タダシは、怖くなって知り合いの人間に霊能者がいるというので紹介して貰った。
その霊能者の話では、自縛霊と遭遇したようだと知らされ、そこには二度と近づかないようにと言われという。
自縛霊は見える人と見えない人がいる。見える人には自縛霊の方から近づき、ごく普通の会話をしかけてくる。
あまり親しくなると取り憑かれ、命を落とすこともあると。
タダシからは、その後、しばらくして拡張員を辞めたという知らせがあったが、その後のことは何も分かっていない。
何事もないとは思うが、その後、どうしているのか連絡をして頂ければと思う。
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