メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第44回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2009. 4.10
■新聞報道とネット社会の今 その2 実名報道の功罪
前回で、現在のネット社会において実名報道されることの驚異、危険について触れたが、今回は、もう少し突っ込んで話してみたいと思う。
ただ、先に断っておくが、ワシらはメルマガやサイトにおいて基本的に実名の記載を避けとるからと言うても、それに対して批判的な見方や姿勢があるというわけやないさかいな。
そのええところもあれば、悪いところもあると考えとるので、その点、誤解せんといてほしいと思う。
ワシらがそうしとるのは、単に暴露を目的としたものやないというだけのことや。
それ以外に他意はない。
罪を憎んで人を憎まず。その考えが根本にある。
悪事は正したい、なくなってほしいと考えるから、その事例について否定的に話すことはあるが、悪事を働いたとされる人間を名指しで責めようとは思わん。
もっとも、責められても仕方のない極悪非道な人間が世の中に存在しとるのも事実やけどな。
しかし、それをするのは新聞などのメディアに任せる。また、その方がはるかに効果もある。
彼らもそれが使命、仕事と承知しとることでもあるからな。
実名報道に対する新聞協会の信念というのがある。
国民の「知る権利」が全うされるためには実名は欠かせない。実名こそが、国民の知るべき事実の核で、社会の不正を追及し、告発する役割を担っている。
というのが、それや。
とは言うても、すべての不正や事件、事故において新聞紙上で実名報道するのかとなると、必ずしもそうはなっていないがな。
そのための基準も、あやふやで怪しい部分が多々あり、明確なものが示されていないのが実状やと思う。
少なくとも、ワシには良う分からん。
「こんなものが実名報道されていて、何でこの事件が実名報道されてないねん」と、首を傾(かし)げたくなるような事案が山ほどあるさかいな。
唯一、明確な基準として守られているのが、少年犯罪についての匿名報道くらいなものやないかと思う。
多くの新聞社では、微罪の被疑者については匿名を原則としとるとのことやが、それが厳密に守られているとは、とても言い難い。
というより、どこまでを微罪とするのかという確かな線引きすらないようやさかいな。
例えば、2007年6月15日、ある新聞販売店の人間が犯した事件の報道記事がある。
http://www.sanspo.com/sokuho/0614sokuho023.html より引用(現在はリンク切れ)
Y新聞販売店に赤ペンキぶちまけたA新聞配達員逮捕
大阪府警は14日までに、Y新聞販売店にペンキをまき散らしたとして建造物損壊と器物損壊の疑いで、A新聞配達員O容疑者を逮捕した。
O容疑者は「自分の配達区域で、配った新聞が引き抜かれることが多い。Y新聞販売店の仕業だと思い、許せないのでやった」と容疑を認めている。
調べでは、O容疑者は5月18日午前2時20分ごろ、量販店で購入した赤色のペンキ約3リットルを、Y新聞の販売店で、シャッターや外壁、近くに止めてあったバイクなどにまき散らした疑い。
というものや。
このメルマガでは、その容疑者名やそれと関連した新聞販売店名はアルファベット表記を原則にしとるので、この引用記事もそれに倣(なら)っているが、実際の新聞記事では実名報道されていたと承知して頂きたい。
その後の報道が一切ないから、どうなったのかという確かなことは分からんので想像するしかないが、この程度の事件は微罪で済んだのやないかと思う。
それには、シャッターや外壁、および単車が約3リットルペンキで汚された程度なら、比較的簡単に復旧可能やなかったということがある。
その補修費用も数万円程度から、かかってもせいぜい数十万円程度までで済むはずや。少なくとも弁償可能な額なのは間違いない。
確かに、これをやった人間が悪いというのは認めるが、この程度の事案なら、おそらくは罰金刑で済んだのやないかと思われる。
一般的に言うて、罰金刑で済むような事件は微罪の範疇(はんちゅう)と考えるのが普通や。
それからすると、「微罪の被疑者については匿名を原則」に反するのやないやろうか。
もっとも、それを報じた新聞社にすれば、他紙販売店の事件ということで、何か別の思惑があってそうしたことなのか、あるいは、単にニュースバリューとして面白味があったからと考えただけなのかは、定かやないがな。
たまたま、そのときに、その新聞紙上で掲載できるような他のネタの持ち合わせがなかったというのも考えられる。
何でもええから、取り敢えず載せとけと。
新聞社には、そうしたボツになるかどうかの線上にある記事が幾つか存在するのが普通やさかいな。
そのため新聞協会では「新聞紙上で記事にするかどうかは我々の判断に任せてほしい」と常に言うてることでもある。
その責任はすべて、その記事を掲載した新聞社が負うからと。
しかし、そうした記事には追加取材やその信憑性に疑問符がつくものが多い。
この新聞記事には「シャッターや外壁、近くに止めてあったバイクなどにまき散らした疑い」となっているが、ハカセが見つけたネット上の実際の被害写真を見る限り、それらの形跡は見当たらんかったという。
それからすれば、ガラス張りの玄関窓の半分くらいと、その前に置いてあった残紙らしき括りの新聞およびエアコンの端の一部、植木の一部だけに、その赤いペンキがかかっているようにしか見えんと。
少なくとも「シャッターや外壁、近くに止めてあったバイク」に汚れた形跡はないように、ワシにも見えた。
約3リットルのペンキなら写真に映っている範囲しか飛び散らんと思うさかいな。
その新聞社の確かな取材に基づく報道なのかとなると疑問符がつくと言うしかない。
おそらくは、その警察の発表のまま記事として掲載したのやろうと思われる。
穿った見方をすれば、この被疑者の容疑が「建造物損壊と器物損壊の疑い」やったから、警察発表もそうした方が都合が良かったのかも知れんがな。
もっとも、それから2年近くも経った今となっては、その真偽のほどは確かめようもないが、見る者に疑念を抱かせる記事であることは確かや。
そうした警察発表を鵜呑みにしたと思われる記事の掲載が、よけいに実名報道についての基準というものを分かりにくくしとる要因なのやろうという気がする。
ただ、それにしてもこの事件については、その事件そのものの報道はしても構わんが、被疑者の実名報道まではするべきやなかったと思う。
違うやろか。
それをする報道価値、公共性というのが、どれくらいあるかということを考えた場合、理解に苦しむ判断やと言うしかない。
加えて、それを報じた新聞社も新聞販売店を抱えている、または配達を委託しているケースもあるのやから、同じ業界人としてこの事件の背景くらいは知ってなあかんし、想像できたはずやと思う。
その想像もできんというのでは新聞記者として、あまりにもお粗末と言うしかない。
配達員にとって、この被疑者の味わった「抜き取り」行為には、相当に辛いものがある。そのために怒ったというのも良く分かる。
何度も言うが、例えそうやとしても、やったこと自体、悪いというのは百も承知や。それなりの罰を受けるのも仕方ないと思う。
しかし、せめてその心情くらいは察して匿名での報道にしてやってほしかったというのが、ワシの正直な気持ちでもある。
そうする権限や判断は、その新聞社にあるわけやさかいな。
後にも触れるが、その実名報道されたがために、どんな微罪であっても、その罪を償っても尚、半永久的にそれが残り、その配達員はずっと、その重荷を背負って生きていかなあかんことになるわけや。
これは、ある意味、かなり残酷なことやと言える。
特に最近、サイトのQ&Aでも『NO.668 見張って問いただすしかないでしょうか?』や『NO.709 抜かれ不着が多く大変困っています』(注1.巻末参考ページ参照)というので、その辛さを訴えてこられる配達員の方がおられるから、よけいそう思うてしまう。
これなんかは、ほんの一例で、他にも微罪で実名報道されたケースはいくらでもある。
それに比べて、つい先頃起きた次の事件は、何で実名報道せえへんのやと疑問に思うものの一つや。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090403-00000043-mai-soci より引用
<暴行教諭>バレー部顧問が中2の顔けり、前歯折る 千葉
千葉市立M中学校(同市若葉区)で3月、練習中の2年生男子バレー部員(14)が、顧問の男性教諭(35)に顔をけられ、前歯2本が折れるけがをしていたことが分かった。男性教諭は自宅謹慎中。市教委が懲戒処分を検討している。
市教委教職員課によると、教諭は3月8日午前、練習中に呼び止めた男子部員の返事の声が小さかったことに腹を立て、顔を殴り、倒れた部員の顔をけったという。男子部員は治療を受け、現在も部活動を続けている。教諭は即日、顧問を外された。
2009年4月3日12時33分配信
これは、誰が見ても傷害罪が摘要される事件やと思う。
傷害罪には、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金という法定刑があり、比較的重い罪や。
これなんかは、前歯2本が折れるほどドツ(殴る)いたということからしても、とても、その生徒のためを思っての指導とは言い難い、悪辣な傷害事件やったと思う。
その罪の大きさ、社会的影響力のいずれを取っても、先ほどのペンキをぶちまけた程度の事件とは程度が明らかに違う。
ところが、この事件は教師という理由だけで実名報道にはなっていない。
こういう事件こそ、実名報道がなされるべきやないかと思うがな。
こんな教師が、ほとぼりの冷めた頃合いを見計らって、またどこかの中学校に赴任し、そこの運動部の顧問にでも収まれたんでは、その生徒たちも不幸やし、子を持つ親としてもたまったもんやない。
社会に与える不安も大きいと判断する。
また、それが実名報道されれば、この手の事件の抑止力にもなるやろうが、このケースのように匿名というのがあるせいか、そういった事件を良く目にする機会も多く、後を絶たんように思えてならん。
それを見張るためにも、ぜひとも実名報道はするべきやったと。
そう、ハカセは力説する。
ハカセには、コウ君という、その事件の被害者と同年齢の子供がいとるから、よけいにその思いが強いと言う。
とてもやないが、看過できることやないと。
しかし、この教師の事件に限らず、官庁、役人、警察官などの公務員の引き起こした犯罪、事件でそういった匿名報道というのは多い。
すべてやないのかも知れんが、そういうのがあまりにも目立つ。
これについては、新聞などの報道機関の偏向と言うより、国の行政の姿勢が大きく関係しとると考えられる。
2003年11月10日、人事院が、事務総長名で、公務員の「懲戒処分の公表指針について」という通知を各省庁の事務次官宛てに送っている。
要するに、その不始末を起こした公務員をどう公表するべきかというガイドラインや。
その中の「公表の内容」という項目に、
事案の概要、処分量定および処分年月日並びに所属、役職段階等の被処分者の属性に関する情報を、個人が識別されない内容のものとすることを基本として公表するものとする。
と、示されている。
つまり、早い話が公務員の犯罪は匿名を原則に公開にしろということや。
実際にも、その壁に阻まれ、官庁、役所、警察、教師などの公務員の実名が報道されることが極端に減っているというわけや。
これは、前時代的な役人特有の特権意識が為せる所業以外の何ものでもないと思う。
「お前ら、平民とは違うんやで」という思い上がりが、ありありと見えるさかいな。
冗談やない。
公務員が公僕やというのは、幼稚園児、小学生でも知っていることや。そして、その公僕は、「広く公衆に奉仕する者」というのも常識や。
本来、守られるべきは、国民のはずやのに、実際は公務員だけが守られ、一般市民は実名報道されるという、いびつな構図になっとるわけや。
ワシは、以前から「個人情報保護法」は悪法の類やと言い続けてきたが、彼らにとっては、それを根拠にその実名報道が阻止できるわけやから、まさに「救いの法律」ということになる。
もっと言えば、法律を作る立場の国会議員も、大きく別ければ公務員やから、その「個人情報保護法」も、その自分たちのために都合良く作ったのやないかと思えるくらいや。
少々、穿(うが)ちすぎた見方かも知れんが、そう言いたくもなる。
ただ確かなのは、ワシら平民は、どんな微罪であっても法を犯せば実名報道されるというのと比較すると、著しくバランスを欠いているとしか言いようがないということや。
新聞協会もそのあたりのことは、一応、指摘して訴えている。
公務員の犯罪は実名公表を原則にしろと。
しかし、現実は、その未発表を理由に匿名報道になっているのが大半なわけや。
つまり、その意志や気持ちはどうであれ、結果として、権力側に屈していることになる。
少なくとも、ワシにはそうとしか見えん。
新聞協会の唯一とも言える拠り所は、日本国憲法第21条の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する」という条文のはずや。
それを根拠にすれば、そんな我が儘とも言えるような人事院の言い分や通達などに関係なく、例え未発表であっても、そんな犯罪を犯した公務員の実名くらいは簡単に探り当てられ報道できるはずやと思う。
新聞社の取材力とは、そうしたもんやろ。
その調べができんというのなら、同じ業界のワシら末端の者の協力を仰げばええだけの話や。
ワシら拡張員、新聞販売店関係者は、日本全国の、ありとあらゆる地域に密着して仕事しとる。その数も40数万人と半端やない。
それこそ、路地一本一本に至るまで知り尽くし、すべての家の表札すら覚えとるという人間も少なくない。
それどころか、どこの誰が、どんな仕事をしとるのかまで熟知しとる場合が多い。
ましてや、たいていの公務員は、それ専用の住居に集団で住んでいるケースが多いから、どこの役所のどの部署の人間がどこに住んでいかというような情報や、その名前くらいは手に取るように分かっとるはずやと思う。
今回のように教師にしても、その近所ではそれと知られているケースも多いわけやから、ワシら業界関係者も当然のように、知っている可能性は十分にある。
中には、それがどんな性格の人間かまで熟知しとるケースすらある。
余談やが、このサイトでは実名掲載はしとらんが、それでも、何かの事件があった場合、その関係者のことを良く知っているという業界関係者の方から、その人物に関連した情報を知らせて頂くことがある。
このメルマガやサイトで「という」、「と聞く」、「のようや」、「とのことや」と、少しぼかした表現で話とることがあるが、たいていは、その手の情報を元にしたものや。
せやから、該当する地域で仕事をしとる末端のワシらの仲間に、一言、それを聞けば終いやと思うのやけどな。
ワシらの力もそうバカにしたもんやない。
ただ、現実問題として、新聞記者からのそうした取材や依頼が、末端のワシらにあったという報告は未だに届いてない。
むろん、ワシ自身にも周りにも、そういうのはないし、聞くこともない。
おそらくは、そんなことなど考えたことすらなかったのと違うやろかと思う。
それもせず、お上の発表だけを鵜呑みにして、その公務員の実名が公表できんと言うのなら、一般人による同等程度の犯罪被疑者の実名公表も控えるべきやないやろうか。
それが、公平さを守るということであり、バランス感覚やと思うがな。
片手落ちの報道は、どんな事情があってもするべきやないし、許されることやない。
しかし、現実は、それがまかり通っているということや。
ついでに言えば、大企業の社員などの実名も、その公務員並に扱われることが多いということや。
例え実名になっていたとしても、その会社名が出ることは希で単に「会社員」とだけしか表記されないと。
まあ、それについては、確かに「会社員」には間違いないし、その犯罪がその会社と何の関係もなければ、その会社名を明かす必要がないと言うのも、そのとおりやけどな。
ただ、世の中、組織力が大きければ、それなりに守って貰えるという構図になっとるということなのやろうと思う。
ワシは実名報道が必ずしも悪いとも、匿名発表があかんとも考えてない。双方ともに、その功罪があると思うさかいな。
また昔から、その賛否については様々な見解がある。
それぞれに納得できる意見もあれば、それと同じくらい首をひねりたくなるようなものもある。
ここで、簡単に、その双方の「実名報道」についての主張に触れてみようと思うので、読者の方も一緒に考えて頂きたい。
まず、「実名報道する意義」からで、これは新聞協会の意見を参考にさせて貰った。
実名報道する意義
1.国民の「知る権利」の確保。
国民の「知る権利」が全うされるためには、実名は欠かせない。核だと考えられている。
2.不正の追及のため。
報道機関は、社会の不正を追及し、告発する役割を担っている。そのためには、実名がなければ話にならないという。
3.実名は事実の核心。
新聞記事は、「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「なぜ」「どうように」という5W1Hという情報をもとにして書かれている。
その中でも、特に「誰が」という点を重視しとるという。
それには、この「誰が」という部分がないと、それが情報として成り立たんと新聞各社は考えとるわけや。
匿名やとその情報の信憑性が損なわれる。それが実名でなくてはならん理由やと。
4.取材の起点。
実名が分かれば、普通、その住所も比較的簡単に分かる。
そこに行けば、本人、もしくは関係者と会え、その情報が得られる。
新聞協会は、警察、官公庁などの発表だけに頼らず、実名発表を独自に取材を深めていくスタート地点にしたいという。
5.真実性の担保。
取材の結果、事実が発表内容と食い違うというケースも考えられる。また、実際にそうした事例もあるという。
それには、単純ミスもあれば、意図的なものも含まれる。匿名やとミスや隠される事実があっても容易に発見できる。
また、その実名を発表する側も、それが容易に発覚するとなると、ええ加減な発表や情報操作が難しくなる。
故に、実名報道は必要やと説く。
次は、「匿名報道を望む理由」について挙げる。
1.推定無罪の原則に反し、著しく被疑者の人権が損なわれる。
警察に逮捕され、被疑者、容疑者になった段階で実名報道される。
しかし、被疑者、容疑者は、その犯罪を犯した疑いが強いと警察、検察から見られているだけで、その罪が確定したわけやない。
被疑者、容疑者は、その罪が裁判で確定するまでは「推定無罪」なわけやから、その刑が確定するまで実名報道は控えるべきやという法律関係者の主張がある。
無実の罪で起訴されたが、後に、えん罪やったというケースも実際にあり得るからと。
故に、実名報道は、被疑者の人権を著しく無視した行為やとなる。
2.報道機関の過激報道による二次的被害。
犯罪容疑者が実名報道されることで、その家族のプライバシーが損なわれ、誹謗中傷される危険が高い。
特に昨今は、ネット上で犯罪者の家族に向けた異常なまでのバッシングが、半ば当然という風潮もあり深刻な状況やと言える。
それに耐えきれず、自殺者まで出しているケースも実際にあるさかいな。
被疑者への裏付け取材と称して、早朝、昼夜を問わず、被疑者宅に報道関係者たちが殺到し、家族等の行動を詳細に報道する。
例え、その被疑者が無罪放免となった場合でも、先に挙げた自殺者に加え、その間に、被疑者の身内の婚姻が解消されたり、職場を失ったりするケースもあり、疑いが晴れ名誉が回復されたとしても、それらはすでに手遅れになっているという場合も少なくない。
あるいは、「大山鳴動して鼠(ねずみ)一匹」というケースもある。
騒いだ割には、大した罪に問われず、執行猶予付きの温情判決が出ることも、それほど珍しくはない。
この報道被害については、新聞協会も「当事者や関係者のプライバシーを不当に侵害し、社会生活を妨げ、多大な苦痛を与える状況を作り出してしまう取材があることに疑いはない」と、一応は公式に認めとる。
もっとも、せやからと言うて、実名報道や取材攻勢を止めるとまでは言うてないがな。
むしろ、これからもそれは続けると強気の姿勢ですらある。
3.被害者のプライバシー侵害。
殺人事件などの重大事件の報道では、真っ先に犯罪被害者が実名報道される。
新聞記者は「面取り」と称して、悲しみに沈む事件直後の被害者宅、あるいは葬儀に押しかけ、その写真を入手しようしたり、その家族構成まで公開しようとしたりするケースがままあると聞く。
挙げ句には、その犯罪被害者の態度が協力的でないと、それを咎め、あまつさえその被害者の身内がさも犯人でもあるかのような報道をしたケースすらあった。
記憶に新しいところでは、2007年11月、香川県坂出市で祖母と孫の姉妹の計3人が殺害された事件のケースが、それや。
当初、その父親が報道関係者と揉めたことから、一部の新聞、テレビ局などが連日に渡り、あたかも犯人がその父親かのように錯覚させるような過激な報道があり、そのため事件とは何の関係もない父親が、世間、とりわけネット上でかなり辛辣に叩かれるということがあったと指摘する向きもある。
結果は、祖母の義弟が逮捕されて一件落着となったが、これなんかは、その最たるものやったという。
この実名報道についての見解で、いずれを是とするか非とするかは、それぞれで意見の分かれるところやろうとは思うが、残念ながら現時点では両者の主張に妥協点が見出せそうもないというのが現状やと思う。
この議論の根は深く、今までにも延々と続けられてきて、未だに解決しとらんし、これからもその糸口すら見つけにくい状況にあると言うてもええ。
極論すれば、「基本的人権の尊重」と「報道の自由」という、いずれも憲法で保障されとる権利をバックにしての主張やさかい、お互い譲り合うことができんのやと思う。
「基本的人権の尊重」を重視すれば「報道の自由」が制限され、「報道の自由」が幅を利かせれば「基本的人権の尊重」がないがしろにされるということでな。
加えて、物事はどちらの立場で考えるのかということでも大きく違ってくる。
この立場の違いから、実名報道に拘(こだわ)る報道機関は、さしたる明確な基準を設けずそれを推進しようとしとるし、組織力と権力を握っている行政側は、それに対抗して匿名化を計ろうとしとるということや。
その間(はざま)で、一般市民だけが煽りをくらって貧乏くじを引かされるという図式になっている。
その一般市民の味方とされる、権力とはほど遠い有識者の擁護論だけでは、残念ながら現在まで何も変わることがなかったわけや。
それが現況やと思う。
しかも、その現況には、さらなる続きがある。
前回のメルマガでも触れたが、そうして実名報道された事件の記事が、インターネット上に長期間に渡り残るというのが、それや。
前回でも話したように、それにより過去の実名での犯罪歴が知れたことで、罪を償ったにも関わらず住居を追い出され、仕事も解雇されたという事案が現実として起きとる。
表には出にくいとは思うが、全国では相当数、それに類似したことが起きているものと考えられる。
また、報道されたときには、「容疑者」「被疑者」となっていたものが、その後、「えん罪」と分かったり、「不起訴」になったりするというケースも珍しくない。
その実名報道された事件のすべてで、その後の追跡取材が行われ、そのことが報道されとるというのなら、それもネット上に残るから、まだ救われる。
しかし、たいていの微罪事件の続報でそこまでするケースは少ない。
ほとんどが、最初の報道のみで終わる。
それやと、例え後に「えん罪」、「不起訴」になったと、いくらその本人が訴えたとしても、ネット上の情報、データには「容疑者」、「被疑者」としか残ってないわけから、それと信じて貰えることは少ないやろうと思う。
それにより、その後、著しく不利益な人生を送らなあかんような悲劇に見舞われる可能性もあると考えられるわけや。
そうなった場合、どうしたらええか。
「要するに、前回のメルマガのケースでは、賃貸物件を所有している家主さんたちが、犯罪者の入居を防ぐために、その検索をネットでしているということでしたよね?」と、ハカセ。
「ああ」
前回、その情報提供者からの相談に対して、ワシの回答を伝えた。
その中で、
あんたのような人には気の毒な話やが、今の世の中、それが苦もなく分かる方法というのがあるという話や。
現在、マンションのオーナーたちの間で、入居者の犯罪歴を確かめるというのが流行ってるらしい。
ワシは顧客に、そのマンションオーナーがいとるのやが、彼らからそう聞いたことがある。
それも簡単に分かる方法やという。
具体的には、大手ポータルサイト、および新聞社のWEBサイトにおいて『○○容疑者』というキーワードで検索するだけで、それに該当する新聞報道記事が表示される。
それを調べる人間は、○○の部分に入居者の氏名を入れるだけでええわけや。
その名前が過去の事件報道記事に載っていれば、検索でそれがヒットする可能性が高い。
試しに、あんたから聞いた名前をそれに従って打ち込んでみたが、それで、あんたの言うてるような事件の報道記事が見事にヒットした。
と言うてた。
「それを逆手に取るわけです」と、ハカセ。
「どういうことや?」
ワシには、ハカセの言わんとしとることが即座には理解できなんだ。
「つまり、その人が本当に、えん罪だったり、不起訴だったりした場合、その被疑者、容疑者にされたことで失った名誉の回復を同じネット上でするのです」
ここからが、前回の終わりに「この問題に関して、ハカセにええ提案がある」と言うたことの核心になる。
「具体的にはネット上に、その実名報道の継続記事を書くんですよ」
ハカセの発想は、報道機関がその続報を掲載せんのなら、自らがその事実を告白して記事にし、それをネットの検索にヒットさせるというものや。
そうすることで、少なくとも、その犯罪歴を調べようとしとる人間にもその記事が目に止まる可能性も増える。
また、「あんたは、○○事件の容疑者になっとるな」と疑われた場合でも、「いや、それは、無実ですよ」と言うて、その記事を示すことにより証明することもできる。
そうすれば、その疑いを晴らして誤解を解くことも可能やないかという。
但し、問題もある。
それは、個人でそうするのはブログやHPを書き慣れてない人にとっては、大変な労力を要するということや。
それが簡単なことなら、すでにブログやHPでそうした記事が掲載されとるはずやが、現実には、そういうものはあまり見当たらんさかいな。
もっとも、例え、そうしていたとしても、その個人のブログやHPが、検索の上位でヒットせんもんやったら気づかれにくいということもある。
「そこで、その希望があれば、私たちのサイトに新たにそういうコーナーを設置して公表したらどうかと考えたわけです」と、ハカセは言う。
確かに、そうすれば、このサイト全体が主要なポータルサイトで上位表示される可能性が高いから、それがあれば検索で引っかかるやろうとは思う。
「その場合は、例外的に実名掲載になりますが」
当然、そうなるわな。
まあ、ワシらのサイトにしても、基本的には実名での記載はしとらんが、まったくゼロというわけでもない。
その本人の希望と承諾のある場合、あるいは有名人など、その名誉が阻害されん内容の範囲内で実名の記載はしとるさかいな。
今回も、本人からそういう要望がある場合に限りということで、問題はないやろうと思う。
下記にその応募要領および条件を示すので、その希望があれば、早速そうさせて貰う。
間違った事件報道後記(仮ページタイトル)への掲載依頼について
1.ご本人の報道記事の内容、およびリンク先の明示。
2.その事件の結果(訴えたい内容が、えん罪、微罪、不起訴だったかなど)
3.その資料。具体的な事実の確認ができるもの。
4.その他、こちらで必要とするもの。
以上のことを承知された上で、ハカセ(Mail hakase@siren.ocn.ne.jp)まで、まずは相談されたらええと思う。
ちなみに、ハカセに頼むときには、その掲載内容さえ間違いがなければ、文章などの細かい点は気遣う必要はないと言うとく。
新聞記事と同等程度か、それ以上の記事になるやろうというのは請け合う。
「どう思います?」
「そやな、まずは最初の一件やな。それがあれば、現実にネットで検索されるやろうから、後が続く可能性はあるやろうと思う」
ハカセは、基本的に人の役に立ちたいという思いが強いから、今更、それをする意義に触れるつもりはない。
やると言い出したら聞かん男やさかい、言うても無駄やし、悪いことやとも思わんしな。
ただ、「慎重にやりや」とは、一応、言い添えといたがな。
サイトのQ&Aなんかやと、相談者の言うてることを100パーセント信じるというか、それを元に回答するわけやから、何の問題もないが、この件に関しては、その確かな裏が取れずに闇雲に掲載するわけにはいかんやろうと思うさかいな。
それで、誤報記事の掲載でもあったら大変や。
まあ、その辺は、ハカセなら間違いなく対処するとは信じとるけどな。
本来、国民すべてで同一の基準により実名報道される、あるいは匿名扱いを受けるべきやと思う。
そして、報道された事件のすべてでその追跡報道があれば、それでええわけやが、そんな理想を言うても始まらんのは確かや。
現実は現実として認め、その中ででき得る限りの最善の方法、手段を見つけ講じるしか、一般市民にできることがないのも、また事実やさかいな。
その意味では、ハカセの試みは、そうした人たちの一助になるのやないかとは思う。
少なくとも、前回のメルマガで、ワシの言うた「それは同姓同名やと言い張れ」というその場凌ぎの方法よりかは実効性が高いという気はする。
ただ、問題は、その依頼があるか、どうかやけどな。
参考ページ
注1.NO.668 見張って問いただすしかないでしょうか?
NO.709 抜かれ不着が多く大変困っています
この件について、サイトのQ&Aの特別回答者をお願いしている元新聞記者のBEGINさんからご意見を寄せて頂いたので、それを紹介する。
特別寄稿 実名報道について
寄稿者 BEGINさん 元新聞記者 投稿日 2009.4.15 AM 1:38
ご無沙汰しております。BEGINです。実名報道に関するメルマガの記事を読みました。
少し指摘したい部分がありましたので、筆をとりました。
参考になれば幸いです。
メルマガには、大意要約すると、以下のような記述があります。
@実名と匿名の明確な基準として守られているのは、少年犯罪くらいではないか。
A微罪の被疑者については匿名を原則にしているようだ。
B警察発表を鵜呑みにし、追加取材やその信憑性に疑問符がつくものが多い。
C公務員の引き起こした犯罪や事件は匿名報道が多く、公務員の「懲戒処分の公表指針について」という通知も匿名原則である。
Dネットでえん罪や不起訴を公開し、容疑者にされたことで失った名誉を回復できるのではないか。
まず@とA(実名と匿名の基準)についてです。
大きな分かれ目は,「刑事事件」で「逮捕された」か否かです。
事件が微罪相当か否かはあまり関係がないと思います。最終的な処分は、被疑者の前科とも関係しますので…。
刑事事件で逮捕された場合、記事にする以上は原則として実名です。
例外は少年の場合。これは、少年法61条の規制によるものです。
もう一つの例外は、精神病で刑事責任能力に問題がある場合。
これは自主規制であり、その分かれ目はあいまいです。
もう一つは、性犯罪に関するもの。これは被害者保護の観点からです。
「逮捕されていない」すなわち、いわゆる「書類送検」事案の場合は、原則として匿名です。
しかし、被疑者の属性(社会上の地位)や事件の影響を勘案して、例外的に実名報道します。
この分かれ目はあいまいだと思います。
書類送検事案を記事にするというのは、その時点でそれなりに大きな事件だからです。
統計的に警察処理事件の大多数はこの在宅事件ですが、警察がいちいち広報することはありません。
なお、マスコミ用語の「容疑者」は「逮捕された被疑者」を指し、書類送検事案では使用しません。
法律用語の「被疑者」は、捜査機関が疑っている人を広く指し、身柄拘束の有無を問いません。
書類送検された人も起訴されれば「被告」(法律用語でいう「被告人」)の呼称となります。
「刑事事件ではない」場合、例えば懲戒処分などの場合は、ケースバイケースだと思います。
新聞社内で何か基準があるのかもしれませんが、この点について私は寡聞にして知りません。
私自身は、公務員であれば原則公開、民間であればよっぽど地位のある人でない限り匿名にしていました。
Cに関しては、刑事事件と懲戒処分の混同があるように思われます。
公務員の不祥事が刑事事件にまで発展して逮捕されれば、まず匿名ということはあり得ないでしょう。
懲戒処分段階で行政が記者発表するときは、だいたい通達の通り匿名で発表されます。
これは「個人情報保護法」の問題というよりは、「情報公開法(条例)」の問題ではないかと思います。
処分関連の文書を開示請求しますと、プライバシーを理由に、氏名等は黒塗りになりますので。
私の場合、処分がなされれば、氏名を割り出し、あとは事案を見て、匿名にするのか判断します。
氏名の割り出しに時間がかかるのであれば、締め切り時間の関係で匿名のままいってしまうこともあります。
取材が面倒で、安易に匿名でお茶を濁すという面があることも否定はしません。
メルマガの問題教師の事案は、処分前の段階ですので、匿名が普通だと思います。
Bに関連しますが、新聞報道で注意してほしいのは、「新聞社が、新聞社の調べで、ある事実を真実と判断し、事実として報道した」という体裁のものはほとんどないことです。
(以下はあくまで私見ですので、異論があるかもしれません)
メルマガの問題教師の場合は、体罰を確認したのは「市教委」であって、新聞社は、「市教委が体罰を確認した」という事実を報道したという体裁に過ぎません。
あくまで「市教委によると…」なわけです。
仮に、体罰が嘘と(裁判所で)判明しても、その責任を市教委に転嫁できるように見えるところがミソです。
実は警察による逮捕も同じことで、「警察が、○○という疑いを持ち、△△を逮捕した」という事実を報道しているのであって、「○○という疑い」がどの程度のものなのか、新聞社としての判断はほとんどしていません。
ここでも「××署によると…」「××署の調べでは…」なわけです。
あるべき報道としては、疑いに対して、被疑者の主張(言い分)を警察の主張と対比させて掲載し、場合によっては、それに対する新聞社としての考えを、独自の取材により判断し、掲載することでしょう。
現状は、認めなのか否認なのかを、警察に聞いてお茶を濁しているといった程度です。
追加取材が足りないのは、その通りだとは思います。
信憑性に疑いがあるという指摘もありますが、これは一方当事者(警察)の言い分に偏り過ぎているという指摘であれば、大いに賛成します。
大きい事件になると、「容疑者=犯人」という前提でいかなければ、取材合戦にならないというのが実状です。
しかし、「○○の疑い」が事実であるのか否かというのは、最終的には裁判所で判断されることであり、新聞社が丹念に取材をして独自の結論を導いたとしても、新聞社の一見解という域は出ません。
メルマガの器物損壊事案の場合、警察の主張のみを載せるのではなく、「ペンキはバイクなどには飛び散っていない」という容疑者の主張も載せなければならないのでしょう。(逮捕されている場合、直接容疑者に取材できないので、弁護人がいないとかなり難しいのですが…)
しかし、「どちらが正しいのか」というのは、かなりデリケートな問題です。
どちらか一方の言い分に利があると判断したとしても、よほどの自信と根拠がない限り、 それと異なる見解を「信憑性がない」と切り捨てるのは、それはそれで問題だと私は思います。
要は、新聞で報道されている「事実」というのが、「誰の」「どの時点での」判断なのかという面があいまいになり、少なくとも読者に伝わっていない。
これがもっとも大きな問題なのではないかと個人的には考えています。
最後にDに関してです。
無罪に関しては報道機関がカバーして記事にすると思います。
不起訴については、「嫌疑なし」の場合は、誤認逮捕くらいだと思いますので、これも記事にします。
ほか、不起訴の圧倒的多数である「起訴猶予」と、起訴された場合の判決内容については、ほとんどカバーされず、不十分であることは事実だと思います。
「起訴猶予」(刑訴法248条)は、検察官の判断として、被疑事実は事実と認められるが諸般の事情を考慮して公判請求(起訴)しないというものに過ぎませんので、メルマガ読者の方には注意していただきたいと思います。
また罰金刑の場合も、厳密には、略式起訴だったかどうかも、一つの判断要素だと思います。
あと書き忘れていたので、追加しますが、公務員や大企業の社員が優遇されているという指摘については疑問です。
社内処分などは、公務員であるからこそ、匿名ではあっても記事になるのであり、一般の人たちは記事にすらなりません。
逮捕事案の場合でも、公務員ゆえに記事になったり,扱いが大きくなったりします。
公務員や大企業の社員の場合は、ワンランクアップするというのが私の認識です。
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