メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第45回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2009. 4.17


■新聞への批判について


新聞の購読契約が取れにくくなった。

現在、これは多くの業界人にとって深刻な悩みのタネになっている。

どの新聞も確実に購読者が減ってきとるのは紛れもない事実やさかいな。

サイトのQ&Aにも、それに関連した相談がここ最近、急激に増えとることでも、それが推し量れる。

実際にも、2002年以降、それまで部数減などほとんどなかったとしていた新聞各社からの申告、およびABC部数の総計でも、毎年数十万部という単位での部数減に転じたというデータの公表もあるさかいな。

押し紙や積み紙などの余剰新聞もあり、実際にはもっと多くの部数減になっているとは思うが、それについての確かな数字までは分からんから、ここでは単に新聞社自ら下方修正せなあかんほどの状況になっているとだけ解して貰えたらええ。

その理由として、インターネットの著しい普及、100年に一度と言われる大不況、相変わらずの無法な勧誘や客対応の悪い販売店の存在など、いろいろ挙げられる。

それらを一言で片付ければ、新聞に対する評価の下落ということになる。

世の中に必要とされないものは滅ぶしかない。それが世の習いであり、それに一切の例外はないと考える。

しかし、新聞がそれに当て嵌まるかとなると、必ずしもそうとばかりは決めつけることはできんやろうと個人的には思うが、そういった見方があるのは事実や。

特に、ネット上でそういうのが多い。その大半は、新聞に対する批判的な見解で占められている。

今回は、その「新聞に対する批判について」少し考えてみたいと思う。

もっとも、その「批判」は、それが当然のことでもあるかのように一方的なものばかりで占められとるがな。

すべての物事には、異なった相対する立場からの見方というのが必ず存在する。

あるいはそれらとは何の利害関係もない、第三者的視点というのもある。

新聞もそれと同じで、作る側、売る側、買う側という立場の違いがあり、さらに、買わずに見る、あるいは無視するというのもある。

それらにより、否定的な見方をする人もあれば、肯定的に捉える人もいる。

たいていの意見というのは別れる。

そして、多くの場合、どちらの意見が正しくて間違いというのはない。

それぞれの立場から見れば、それぞれに理があり、それぞれに問題がある。

作る側は、それを社会の使命と捉え、売る側はそれをいかにして売るべきかを考える。

買う側は、それらに関係なく、単に買うに値するかどうかの判断を下すだけや。

買わずに見るというのは、ネット上で無料公開している新聞記事や図書館、学校などの施設に置いてある新聞を読むケースなどが、そうや。

喫茶店や銀行、ホテルなどのそれも、その範疇に入る。

新聞の記事は見たいのやが買うまでのことはないという人や単に目の前にその新聞があるから暇つぶしに読むという人など様々や。

見る人によって、それが良くも悪くも見え、必要であったり不要であったりして、その価値が決まる。

物の価値とは、そんなもんやと思う。

加えて、ネット上での新聞に対しての否定的な見解には、それ以外に社会悪として新聞を捉えているというのがある。

それらの意見の趨勢(すうせい)は、近い将来、新聞は滅び、ネットがそれに取って代わるというものや。

ネット上では、それに異を唱える人の方が圧倒的に少ない。

ワシもいずれはそうなるやろうとは考えている。

しかし、今はまだその時やない。

確かに、新聞に否定的な見方や意見があるからこそ、その部数が落ち込んでいると考えられるわけやが、その反面、全世帯の約8割以上の人が、今以て新聞の購読を続けているのも、また紛れもない事実でもある。

救いはそこにある。

もっとも、今後、それがどこまで落ち込むかは不透明な状況にはあるがな。

ただ、それでも、新聞を必要としている人が皆無になることは絶対にないと断言はできる。

新聞に対して否定的な見方をするネット愛好者たちですら、その情報に頼っているのが実状やと思うしな。

裏を返せば、その新聞があるからこそ、その否定的な見解も成立するわけで、新聞がなくなれば最早、その発信すら無意味なものになる。

言えば、その人たちにとっての主張の根源を失うわけや。

その新聞社が消滅して、どこからもその情報が得られなくなった場合、最も困るのは、そのネット愛好者自身のような気がするんやけどな。

その滅びを願っていながら、実際そうなると困るという矛盾に気がついてないだけでな。

それでも彼らは、その新聞の非を指摘する。

これから、その主なものを列挙しながら、それについてのワシの意見も加えていくことにする。

1.新聞には偏向記事が多い。

新聞社により偏った記事が数多く見受けられるというものや。

それにより、言論や民意が誘導されやすいと。また、そう仕向けていると。

確かに、政治面の記事などでは政府寄り、あるいは野党寄りの論調記事というのが存在し、その考えに誘導気味やとワシも思うことがある。

俗に言う、右寄り、左寄りというやつや。

しかし、それらの新聞記事、報道によって果たして本当に言論や民意が誘導されるかとなると、はなはだ疑問ではあるがな。

テレビの報道番組などで人気の高い司会者やアナウンサー、およびコメンティターの力説する話や講演会などでの著名人による演説なら、それに誘導される、あるいは共感する人が多いというのは、そのとおりやろうと思う。

ただ、それは、そのテレビ番組を見たり、講演会に出向いたりする人の多くが、もともとその彼らのファンというケースが多いからやと考える。

それは新聞を否定する人が、その意見だけを最上のものとして見聞きしてそれを信じ、心服するのと同じ構図やないかと思う。

誘導されるというのは、その本人に最初からその下地があるからやないかと、ワシは考えるがな。

新聞に対して批判的な人は、その新聞記事は言うにおよばず、例えそういった番組や講演会などを見たり聞いたりしたとしても、それに誘導されることなどほとんどないはずや。

何のことはない。

それに誘導される人間ばかりやないということを、その批判的な人自らが実証しとるわけや。

それにも関わらず、「言論や民意が誘導されやすい」と指摘しとるということになる。

その矛盾がある。

自分と異なる意見や考え方は危険やという思い込みが強すぎるとそうなる。

ワシは、偏向記事は、その記事の内容にもよるが、別にあっても構わんと思うとる。

そういった記事には、普通、それと相対した論調の他紙の記事もあるやろうからな。

それが言論の自由やとも考えとる。また、そうであって健全やと。

それに対して、共感するのか批判するのかは、それぞれが判断すればええだけの話やさかいな。

考えてもみてほしいが、世の中すべてが同じ論調や考え方に統一されたものばかりの方が却って不気味で怖いことやと思うがな。

世の中、いろいろな意見や考え方があるからこそ、健全なんやないやろうか。

2.誤報、ねつ造記事が多い。

これに関しては、あってはならんことやが、現実にはどこの新聞社でも抱えとる問題やと思う。

少なくとも、ねつ造記事はともかく、誤報のない新聞などないと断言できるさかいな。

ただ、誤報の多くは、新聞特有の締め切り時間に制約されてというのがある。

新聞を作る人間は、当たり前やが、紙面を埋めるということが最重要課題となる。白紙の新聞を発行するわけにはいかんさかいな。

いくらめぼしい事件や事故、話題のない日であっても新聞の発行を、その都合で止めることはできんわけや。

それが使命と考える。

そこに無理が生じることが、まれにある。

見切り発車、取材不足、勘違い、チェックミスなど様々な要因で誤報が掲載される。

ワシは、人間が携わる限りは、そういうミスはあり得ることやと思うとるが、それが許せん者にとっては格好の批判材料になる。

新聞社の多くもその誤報に気づけば謝罪し、その報道もする。

それでも、その非を追及する者は、その手を緩めることはない。

しかし、その動きとは裏腹に、一般購読者の大半は至って寛容やし冷静やと思う。

その誤報があったからと言うて、即座にその購読を中止することは、ほとんどないさかいな。

それには、新聞の購読契約が数ヶ月から数年という期間があるためか、日々の新聞記事に一喜一憂せんということがあるからやとは思うがな。

いずれにせよ、誤報記事は、ちゃんと謝罪すれば、それで済む問題やとワシは考える。

しかし、ねつ造記事というのは、いかなる理由があろうとあかん。これは、次の項目でも言及するが、不祥事と同じ類やと思う。

言い訳のできることやない。

3.新聞社には不祥事が多い。

どの業界と比べて多いのかという問題はあるが、新聞社に不祥事があるのは事実や。

メルマガでも『第8回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■MDN醜聞の波紋』や『第38回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞社の不祥事が引き起こす影響について』(注1.巻末参考ページ参照)で、ワシもそれについては厳しく言及しとるさかいな。

それらを批判されると、ワシとしても弁護するつもりも擁護するつもりもないから、「ごもっとも」としか答えようがない。

先に挙げた、ねつ造記事同様、あってはならんことで、それが防ぐことのできんかった不可抗力によるものとは、とても考えられんことやさかいな。

これについては、ワシらも直接的な被害を受けることも多いから、よけいにその思いが強い。

先の誤報記事の場合は寛大な読者が多いと言うたが、この不祥事の類は別や。

その事の重要性にもよるが、それが原因で「解約や」「お前のところの新聞なんかいらんわい」と言われることも珍しいないからな。

『第8回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■MDN醜聞の波紋』のケースでは、その新聞社に対する告発組織ができ、企業への広告不掲載の働きかけや不買運動まで展開したということや。

不祥事ということでの非難は、ワシら下っ端の業界関係者へも向けられる。

業界関係者の関与した殺人事件が多いというのが、それや。

その代表的なものが、2004年12月に発生した「奈良小1女児誘拐殺害事件」であり、2007年8月の「闇サイト殺人事件」やと思う。

前者の犯人は新聞販売店の従業員であり、後者の事件は3人の犯人のうち一人が新聞拡張員やったというものや。

事件そのものについては悪質極まるもので、弁解の余地など一切ない。いかようにも非難されてしかるべきやと思う。

ただ、ひと言、言わせて貰えれば、それらの犯人は、もともとそういった性情の人間やったというだけのことで、何もこの業界の仕事に就いたから、その事件を引き起こしたというわけやないということや。

当たり前やが、その人間たちは、初めからこの職業に就いていたわけやないさかいな。

彼らに共通しているのが、職を転々としていたということや。

単に、最終的な職業やっというだけにすぎん。

そういう人間は、他のどんな職業に就いていたとしても、その機会があれば同じような犯罪を犯していた可能性が高かったはずや。

事件と職業は無縁やと思う。にも関わらず、批判する人間は業界の人間を詰る。

また、この業界の人間だけが一方的に、そういう事件を起こしたというのでもなく、旧メルマガの『第118回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■四国、新聞配達員、殺害事件について』(注2.巻末参考ページ参照)にもあるとおり、新聞販売店の配達員がその犠牲になったケースもあるわけや。

加害者になることもあれば被害者の場合もある。そして、それは例外なく、すべての業界に共通して言えることでもある。

犯罪者のいない業界など、よほど特殊で少人数なものでない限り、まずあり得んと考える。そういうのがあれば、ぜひ教えてほしい。

それが正しい見方やと思う。

それにも関わらず、何か事があれば、その悪い部分だけを取り上げて非難する人がいるわけや。

そうは言うても、それは仕方ない。

それも言論の自由の範疇やさかい、そんなことをするなとは言えんからな。

しかし、その事だけを取り上げて、その業界すべてが悪いから、そうなるのやという論調は間違うとるとはっきり言うとく。

もし、それを言うのであれば、日本でここ毎年、年間1200件超も発生していると言われている殺人事件の何パーセントがその新聞業界関係者の関与している事件なのか、その他の職業と比較して如何に多いのかという根拠を示してから非難して貰いたい。

残念ながら、それをしているネット上の論調は、ワシらが見た限り皆無やった。

まあ、そうは言うても、公平な非難というものを期待する方が愚かなことかも知れんがな。

非難するというのは、所詮、その対象に対しての狙い打ちみたいなものやさかいな。悪いところしか見えんさかい非難するわけや。

4.不必要な実名報道や人権無視の過激な取材が多い。

このことについては前回のメルマガでも触れたが、日本新聞協会もその不必要な実名報道については、公平を期したいがそれができん背景があると「実名と報道」(注3.巻末参考ページ参照)という小冊子の中で言及しとる。

それには、個人情報保護法などの法律を盾にとった公務員などによる不祥事の実名公表がされにくい状況にあると記されている。

また、「人権無視の過激な取材が多い」というのは、日本新聞協会も素直に認めていて、人権に配慮しつつ善処する方向にあるとも言うてる。

それからすると、この手の非難は的を射たものやということになる。

それでも、「実名報道」自体は、これからも継続していく意向とのことやがな。

前回のメルマガでも言うてたとおり、極論すれば、「報道の自由」の実名報道か「人権重視」の匿名報道か、ということになる。

ただ、いくら論じ合おうが、その正しい答えを見つけて決着することを望むのは難しいと思う。

交わることのない平行線だけが延々と続くだけという気がする。

5.押し紙問題に代表される隠蔽体質がある。

これは、現在、ネット上において盛んにブロガーたちの間で問題視され、取り上げられることの多い話題でもある。

この押し紙については、旧メルマガ『第158回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■押し紙裁判の波紋』や『第16回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■マイナーワーカー同盟座談会 その1 押し紙問題について』(注4.巻末参考ページ参照)などでも話したことがあるが、その非を責められても仕方のない部分があるのは、ワシも認める。

実際にそれで難儀しとる、あるいはその裁判を係争中やという販売店経営者からの話を聞く限り、新聞社のやり方が、如何にえげつないかというのも良く分かっとるしな。

新聞社には、他企業の不正は徹底的に叩くという姿勢があるが、身内の問題になると、途端にトーンダウンするというのは昔からあったことや。

ワシは、その都度、折に触れ「隠し事からは何も生まれん」と言うてるが、新聞が不正を暴くというのを命題にしとる以上は、身内の不正も報道せなあかんというのが、道理であり正論やと思う。

したがって、隠蔽体質があるという批判については、あまり反論する気にはなれん。そのとおりやと思うとるさかいな。

ただ、新聞社と言えども、営利企業である限りは、その売り上げに影響するような事実は隠しておきたいというのも分からんでもないが、支持する気には到底なれんということや。

結局、目先の隠蔽をすることで、信用という大きなものを失っていることに気づいてない愚を冒しとるのやけどな。

6.無法な勧誘に迷惑している人が多い。

これについては、メルマガやサイトで嫌というほど話しとることやから、今更の感が強いが、現実問題として、そういう無法な勧誘をする業界人がいとるのは事実や。

ワシらは、それについては、ごく一部の人間だけやとは言うてるが、例えそうであったとしても、そういう体質が業界にあることに変わりはない。

そう批判されれば、甘んじて受けるしかないとも考えとる。

ただ、そういう人間の存在を快く思っていない業界人の方が圧倒的に多いということも分かってほしいという思いはあるがな。

ワシも、そういう連中が許せんからこそ、サイトのQ&Aで、その対抗策を示し、アドバイスを5年近くに渡り続けとるわけや。

この無法な勧誘というのは、戦後から現在に至るまで延々と続けられていたことで、ネットの普及による新聞離れ、不況による経済的な面からの新聞離れと同等か、それ以上の部数減の原因になっているものやと思う。

それと気づいている人は少ないかも知れんが。

例えば、そういう無法な勧誘を続ける人間の共通した思考に、学生さんや若い人には脅して契約させるに限るというのが、半ば公然化されとるというのがある。

ちょっと考えたら分かることやけど、その学生さんは、いつまでも学生さんやないわけや。若い人も同じで、いつまでも若くはない。

その彼らは10年もすれば、皆、立派な社会人になる。その中から社会的に発言力を持ち、影響力の強い人間も当然のように現れる。

その彼らが新聞に対して、ええ印象を持つわけがない。

その彼らの中から、ネット上での新聞批判を展開する人間が数多く現れとるのも当然やと思う。

無法な勧誘は、単に一人の購読者を失うというだけに止まらず、その怨嗟から新聞批判者となり、それを繰り返すことで、さらにその賛同者を増やすことにもなる。

ワシが、事ある毎に「そんな無法な勧誘は、自分で自分の首を絞めるのと同じや」と言うてることが、現実となって表れとるわけや。

現在、全国的にこの業界は厳しい状況にあるが、とりわけ、そういう無法な勧誘が数多く存在していると言われている地域では壊滅的になったと嘆く人が多い。

救い難い状況にあると。

しかし、それとは反対に、そういうことのない地域では、まだそこまで深刻な状況にまではなっていない。

楽観的と言われれば、それまでやが、悪い状況というのは長続きするものやない。いつかは必ず好転する。

ただ、状況が好転しても、簡単に人の恨みが消えるということはない。

ワシらの営業というのは、ただでさえ人に嫌われる仕事なわけや。その上、恨みを買うてたんでは話にならんわな。

そのことに気づいてほしいとは思うが、目先のことを考えるしかないという観念に囚われとる人間に、いくらそれを言うても無駄やけどな。

それを言い出せば、この業界の根本的なシステムを見直すしかないというところまでおよび、途方もない話になるさかいな。

以上や。

結論として、新聞への批判は致し方ないものと、いわれのない偏見に満ちた思い込みによるものがあるということが良く分かった。

しかし、それを止め得る有効な手段がない。

その輪がさらに拡大していくやろうというのは予想できるがな。

その結果……。

長年、この道に携わってきた者として、新聞が滅びるなどということは考えたくもない。

また、そうあって貰っては困る。

しかし、このままやと、いずれそうなる日が来るのは間違いないという気がする。

それも意外に早いのかも知れんとも思う。

現在、新聞各社は、新聞の部数減の落ち込み、広告の減少などにより、その経済力の減退から急激に力を失いつつある。

今までは、その力故の影響力もあり、新聞は再販制度の指定品目に指定され続けてきた。

しかし、その力が弱まれば、それも危うくなる。

人間の社会とは、所詮、その力のバランスでどうにでも転ぶ世界やさかいな。

力の失った者の末路は、いつの時代でも悲惨なものや。

新聞が、その力を失い、再販制度の指定品目から外されれば、それこそ、外国並みに一気に坂を転げ落ちるように衰退の道を辿るしかないはずや。

今がその正念場であり、最後の踏ん張りどころやないかと思う。

新聞社は、その過信を捨て謙虚になって、押し紙などの身内の不正にも毅然と報道する姿勢を示し、勧誘員は一刻も早く無法な営業を止めることで、人心を掴むことに徹することや。

それしか新聞が生き残る道はないと、ワシは考えるのやけどな。



参考ページ

注1.第8回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■MDN醜聞の波紋

第38回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞社の不祥事が引き起こす影響について

注2.第118回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■四国、新聞配達員、殺害事件について

注3.日本新聞協会「実名と報道」

注4.第158回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■押し紙裁判の波紋


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