メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第47回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2009.5. 1


■映画『社葬』による新聞への負のイメージについて 前編


ワシは、映画が好きで良く観る。

今はもっぱら、レンタルのビデオ、DVDが多いが、若い頃には、映画館に出向いて年間200本以上、観たこともある。

それなら、3日に2日のペースで観とることになるやないかと思われるかも知れんが、さすがにそこまではできん。

そんな無理をせずとも、昔はそれが比較的簡単にできた。

ワシらの若い頃には、毎週土曜日の夜にはオールナイト上映というのが、多くの映画館で普通に行われていた。

加えて、今は一つの映画館で一作品というのが当たり前やが、その頃は、3本立ての上映というのが主流やった。少なくても2本はあった。

それを、土曜の夜に朝までハシゴするわけや。

例えば、夕方から映画を見始めたとする。

大体、5時間で3本が見終わるから、2つか、3つの映画館を廻れば6本ないし9本は見る計算になる。

それを30週強続ければ、その200本に到達することになる。

しかも、金はそれほどかからん。

1975年頃の映画代は、その3本立てで500円ほどやった。オールナイトの最終上映回になると、300円という所すらあった。

舞台裏を話せば、そうや。

せやけど、よほど好きやなかったら、その当時の映画館では当たり前とされていた、恐ろしく座り心地の悪い座席に何時間もへばりついて、ケツの痛さに耐えながら観ていられるもんやないがな。

好きでもない者にとって、それはある意味、拷問ですらある。どんなことでもそうやが、好きやからこそ、できるのやと思う。

それだけ観ていれば、秀作も多い反面、それに倍する駄作に接することにもなる。

ただ、どんな映画であっても、客にアピールしようとする姿勢は必ずある。

そのため、当然のように、その題材であるテーマを誇張して、面白おかしく見せることを最優先に作られた作品が多い。

その評価の善し悪しは別にしてな。

せやから、そこには誇張した内容があると承知して鑑賞せなあかんわけや。

それが、SFとかオカルトなんかやったら誰もが、架空の世界、出来事と承知しとるさかい問題は少ないが、リアルな内容の社会派作品と呼ばれるようなものは、そうはいかん場合がある。

その作品が秀逸であればあるほど、見る人に強烈なインパクトと説得力を与え、それがあたかも真実の姿と錯覚させることがままあるということや。

いくら実際に起きた事件を取り入れたリアルな作品の場合でも、完全なドキュメント以外はフィクションを交えて構成されるのが普通や。

作っている側の主な目的は、客を楽しませることで映画館に足を運ばせ興行収入を上げるためなのやが、ときとして、それが一人歩きし、人々に多大なイメージを刷り込むことがある。

そこが、映画の面白さでもあり、怖さでもある。

これから紹介する、映画『社葬』も、その典型的な作品の一つやと思う。

この映画の冒頭付近で、


日本の新聞はインテリが作りヤクザが売る。


というあまりにも有名なテロップが流れていたが、映画が放映されて20年経っても、新聞を批判する格好のフレーズとして、今尚、使われ続けている。

特に、ネット上にそれが多い。

それを見て、その言葉どおりやと信じる、あるいは納得する人も少なくない。

それにより刷り込まれたイメージが本当に正しいのかというのは、いささか疑問ではあるがな。

いくらエンターティメントとして、面白さを追求するために誇張されたものであると知ってはいても、現実の姿と大きく乖離(かいり)している部分が多いと、昔から常々感じていた。

まったくのでっち上げとまでは言わんがな。

実際、この映画を観た人の多くが「新聞社は信用ならんな」と考えるやろうなというのも想像に難くないさかいな。

それが、どうしようもない駄作なら、放っておいてもどうということはないが、なまじ希有な秀作として今に語り継がれているから、よけい始末に悪い。

その負のイメージが先行して、そのフレーズだけが使われているのは、この業界に携わる人間にとって、著しく不利益なことには違いない。

本来なら、ワシなんかよりもっと早くに著名な新聞人、あるいは名のある新聞擁護派の人が、それに対して反論を展開するべきやったと思う。

もちろん、中立の立場の見解なら、さらにええ。

公平にさえ見ることができれば、「ナンボなんでも、そこまでのことはないやろ」というくらいは分かるはずやさかいな。

しかし、そうは言うても、この映画に示された新聞業界の描写について批評するには、多少なりとも業界のことを知ってなかったら難しいと思うから、誰でもというわけにはいかんやろうがな。

どこかには、それについて言及した作品なりコメントなりがあるのかも知れんが、残念ながら、そういうものを目にする機会が、少なくともワシ個人に限っては今までになかった。

それならと、このメルマガでその話をしようと思い立ったわけや。

このメルマガで、そのイメージの払拭ができるかどうかというのは怪しい限りやが、ワシなりの解説を加えて、この映画に描かれた内容と実態について話せば、分かって貰える人には分かって貰えるのやないか。

そう考えた。

尚、この映画の背景、ストーリーを知らない人にも、楽しんで貰えるように話すつもりにはしとるから、単なる読み物として期待して貰うてもええのやないかとは思う。

ワシらのメルマガも、そういう意味ではエンターティメントの要素の強いものやと考えとるさかいな。

この映画は、1989年に公開された。

世はまさにバブル経済全盛時やった。

新聞もその波に乗って安定成長を続け、新聞代もこの頃、順調に?値上げされていった時期や。

特に、この1989年は、2月にそれまでの価格から300円値上げをし、さらにその4月に90円と、二度も値上げが行われていた。

その後、バブルの崩壊が顕著になる1994年まで、ほぼ毎年のように値上げが繰り返され続けた。

1年に2度もの値上げというのは、今やったら大問題になるやろうが、世の中の大半が浮かれまくっていたから、どこからも、それに対して苦情や異論が出ることはなかった。

というか、誰にも気づかれてなかった、気にもされてなかったと言うた方が正しかったかも知れんがな。

バブル期は、一般サラリーマンの給料も景気よく上がっていたし、家や土地など年を追う毎に高騰していて、それが特段、不思議とも思われてなかった時代やから、新聞代の値上げ程度は誰も関心すら持ってなかったと思う。

1951年以来の暴挙に近いことが行われていてさえ、話題にすらなってなかったわけやさかいな。

加えて、世間ではゴミ捨て場に1億円、竹藪に2億円と、落とし主不明の金が相次いで発見されたというような時代でもあったから、よけいやわな。

皆が金に麻痺した時代。それがバブルというものやった。

そして、日本人の多くが、金さえあれば何でもできる、万能と考えるようになった一大転機の時代やなかったかとも思う。

それが、今尚、100年に一度と言われる大不況の時代まで尾を引いとるのは哀しい限りではあるがな。

新聞代は世相を反映して決められると、俗に言われている。

一般の商品は、原価プラス利益でその価格が決められるが、新聞の場合、その価格を決定する最大の要素は、それで売れる値段設定か否かというのが、もっぱらの定説や。

ちなみに、バブル崩壊後、つまり最後の値上げがされた1994年以降、現在に至る2009年までの15年間の長きに渡り、一度も値上げされていないという事実が、如実にそれを物語っていると思う。

値上げしたら売れんと。

特に、今は部数も落ち込み、原材料である紙の値上げ、昨年からのガソリン代の異常な高騰、100年に一度の経済危機、それによる他業者のような大ぴらなリストラもはばかられるという事情が新聞各社にあり、本当のところは値上げに踏み切りたいのやが、それができんかったわけや。

それをすることにより、さらなる部数の落ち込みを招くことを恐れた。

唯一、地方紙のY形新聞が、去年の7月1日から、月3007円の購読料を3300円に値上げしたが、他紙はその様子見に徹しているだけで、その値上げに追従する様子は今のところ、まだない。

さりとて、軒並み赤字経営に転落している新聞各社にとっては、値下げするような冒険を冒すこともままならんわけや。

もっとも、夕刊廃止という手段で、実質的な値下げを断行した新聞社はあるがな。

新聞業界にとって、攻めるに攻められず、引くに引けん進退窮まった状況やないかと思う。

それからすると、その映画『社葬』の時代は、新聞にとって、この世の春を謳歌した時代やったと言える。

今では当たり前となっている「クーリング・オフ」もなければ、消費者契約法などの法律もまだ整備されていなかった。

拡材を規制するための「不当景品類及び不当表示防止法」、縮めて「景品表示法」はあったが、その頃はまだ新聞社による自主規制というのがなかったから、ほとんど用をなしてなかったと言うてもええ。

サイトの『拡張の歴史』(巻末参考ページ参照)でも言及したが、今ではとても考えられんような、テレビや洗濯機、果ては自動車までもが、その購読契約のサービス品として飛び交うていたさかいな。

この映画にも、それに関連した場面がでてくる。

古き良き時代やったと懐古して語る、その頃活躍していた拡張員たちも多い。

そんな時代背景があった。

前置きが少し長くなったが、それではそろそろ始めさせて貰うとする。

北陸富山の山深い雪の坂道を悪戦苦闘しながら必死に登る一台の新聞拡張団の車があった。

その車の前部には新聞社の小旗が見え、車体には『太陽新聞社』の社名が入っている。

こういう映画には良くありがちなことやが、これは架空の新聞社や。物語の設定としては、日本トップクラスの全国紙ということになっとる。

その当時でも、新聞社の旗をなびかせた社名入りの車はどちらかというと珍しい存在やったと言われている。

実際、新聞記者の多くは、取材するにも、そのバブル期ですら、もっぱらタクシーを利用していたと言うしな。

また、いかにも新聞社のそれと分かる車での取材では、そのメリットよりリスクの方が大きいのやないかというのも想像できる。

特に事件、事故の取材で関係者に歓迎されることはあまりないやろうしな。一目瞭然にそれと分かると具合悪いことの方が多いはずや。

ましてや新聞拡張団がそれを所有、使用していたというのも、ちょっと考えにくい。

その当時も今と同じく、いや、それ以上に、新聞の勧誘が世間一般に歓迎されることはなかったやろうしな。

新聞社は拡張団に対して、その業務委託契約書で、新聞社の社名を名乗っても構わんとされとるから、そういう車があったとしても不思議はないのかも知れんが、ワシ自身、そんな話は聞いたことさえなかった。

もちろん、そういうのを見たこともない。

新聞拡張団も新聞記者とは別の意味で、穏便に行動するのも旨としとるようなところがあるから、よけいや。

訪問してでさえ、新聞の勧誘であることすら、なかなか明かさんというのが多いくらいやさかいな。

それを、いかにも「新聞社の車ですよ。新聞の勧誘に来ましたよ」と宣伝するのは愚の骨頂ということになる。

その車を見たとたん、多くの住民が戸締まりを強化するのは目に見えとる。

時代劇の映画で、無法者の集団が現れると、そのあたりの住民がバタバタと戸締まりをするシーンがあるが、それに近いことが実際に起きる可能性が大や。

チャイムが鳴っても放っておけと。息を潜めて知らん顔しておけと。

それでは仕事にならん。

そんな車で勧誘するのは、オオカミが来たと触れ回るオオカミそのものと同じやさかいな。

事、新聞の拡張に関して言えば、ブランドはそれほど大きな力になることはない。

いくら有力な新聞やからというても、そう告げるだけでは「それなら契約しましょう」とは、ならんもんやさかいな。

新聞の営業はそんな甘いもんやない。

新聞は売り込まな売れん。

それが、ワシら拡張員の共通の概念であり真実やと思う。

しかも、山里離れた民家の勧誘に行くのに、その車を使う必要性となれば尚更ないという気がする。

まあ、これは、一目で観客にそれと分かる制作者側の意図のもとに演出されたというのが本当のところやと思うから、ケチをつけるほどのことではないかも知れんがな。

ただ、こういうのも一般に誤解を与える大きな要素になっとるとは思う。

これから、この拡張団の人間は、かなりええ加減な契約の取り方をするわけやが、それをいかにも新聞社そのものがやっている、やらせているかのような印象を植え付けとるさかいな。

また、観客の目には、そんな車の存在が特殊なケースとは映らんやろうしな。

このシーンの後、例の「日本の新聞はインテリが作ってヤクザが売る」というテロップが流れるわけやが、それがより強調された演出になっとるということや。

ある一軒の農家に拡張員が走って行き、赤ん坊を背負ったその家の主婦に、「おかぁちゃん、太陽新聞取って」と、いきなり馴れ馴れしく入り込んで新聞を差し出す。

「うちは北陸新聞取っとるから、またにしてよ」

「雪の中、えっちらほっちらして死ぬような思いをしてやっと来とるちゅうに、そりゃないぜよ。一月でもええがや。頼むっちゃ」

「そんなこと言うても読まんがっちゃ。ほなら、一月だけやよ」

「えらいねえ、おかぁちゃんは。さあさ、ハンコ出して」

言われるままに、その主婦が印鑑を取り出すと、「ああ、おかぁちゃん、ナベ、ナベが吹きこぼれよるで」と注意を逸らす。

主婦が台所に行った隙に、その印鑑を契約書に押しまくる。

これは、その一月の契約という約束やなく、勝手に長期の契約書に作り変えるためや。

ワシには、その面白さを際立たせるための演出というのは分かるが、観客の目にどう映ったのか気になる。

おそらくは、そういうことが普通に行われとると受け取る人の方が多いはずや。

これは、ちょっと、やりすぎな気がする。

それに近いことがあったとしても、どこかの文房具店や100円ショップで買った客の名前の印鑑を勝手に押すくらいのことが、本当のところやないかと思う。

そういうのなら、てんぷら(架空契約)にありがちなことや。

実際、てんぶらの常習者になると数本から数十本の名前の違う印鑑を持ち歩いとる人間もいてたさかいな。

もっとも、それにしても褒められたことやないがな。

万が一、その場面を演出として挿入されていたら、何と恐ろしい映画やと考えてたはずや。

そこまで確かなディテール(細部)に拘(こだわ)られていたら、他もケチのつけようがなかったと思うしな。

その拡張員たちがそこでの仕事を終えての帰り、対向車線から、競争相手である北陸新聞のジープが坂道を走って来る。

双方、道を譲る気配もなく一歩も退かん構えや。

そのまま、激しく車ごとぶつかって押し合い、その挙げ句、双方の拡張員同士で大乱闘になる。

そこにパトカーがやってくる。


本日、ごご2時過ぎ、本社拡販団と北陸新聞拡販団が富山市郊外山田村で衝突、パトカーの出動するところとなりも双方の責任者が警察に拘引された。


というテロップが流れる。

もちろん、こんな事件は現実には起きていない。

一触即発というのはある。

また、業界内では報道や事件にまでは至ってないが、それに近い小競り合いがあったというのは良く聞く話ではある。

この映画の制作サイドがそういうネタを仕入れた上での演出なら、やりすぎやとは思うが、まあ良しとする。

そうなった可能性があるということでな。それに、映画として観るなら、この方が面白いのも確かや。

場面が変わって、太陽新聞社内。

「販売拡張戦争で逮捕者の7、8人が出たところで何や。新聞はな書くのが仕事やない。中身なんかどうでもええのや。俺たちは売るのが仕事や。売って売って売りまくれ」と、この映画の主人公、販売局長の鷲尾平吉(緒方拳)が電話口でそう吠える。

さらに、「警察が怖くて新聞屋が勤まるか。他社が3年縛りで掃除機配っとるのなら、こっちは洗濯機や。5年縛りで対抗せい!! 負けたら、承知せんぞ!!」と、販売部の担当員らしき相手に、そう怒鳴りながら指示して電話を切る。

それが終わると、一転して猫なで声で秘書に「電気洗濯機500台、至急、送ったって」と、いとも簡単に言う。

「一応、経理局長の了解を取ってからの方がよろしいのでは」

「あかん、あかん、あんな奴に言うたら、予算がどうのこうのと、ぐだぐた言うて反対するだけで打つ手が遅れる」と、無視しろという仕草をする。

その指示書を持って走る秘書の背中越しに、「どうせタダで配るんや。二次製品の安物でええぞ!!」と、鷲尾。

この二次製品というのは、あらゆる製造工場に存在する。

製造段階で表面にキズやらカケなどがある製品のことで、品質的にはどうもないのやが、見てくれで売れんというだけの理由でB級扱いされる製品のことをそう呼ぶ。

当然、そういう商品は極端に安い。

余談やが、新聞販売店に洗剤が多いのも、そういうルートで安く仕入れられるからやという。

新聞の勧誘に使う拡材にはそういうのが多い。

性能や品質は、市販の商品と同じやさかい、ワシはどうという風には考えてないが、日本人の多くは、そういうことを気にするということもあり、一般にはその事実が隠されとるがな。

そこに、学生時代からの親友で編集局長、コ永昭雄(江守徹)が、「北陸では、大分激しくやり合っているらしいな」と笑いながら鷲尾のオフィスに入ってくる。

「相手が汚い手でくるんやから、目には目、歯には歯。こっちもやるだけのことをやらにゃ」と、鷲尾も笑顔で答える。

「ところで今夜暇か」と、コ永。

「何か、美味いものでも食わしてくれるんですか」と、鷲尾。

しかし、鷲尾が連れて行かれた高級料亭「穂積」に、社長の岡部憲介(高松英郎)と専務の谷政明(加藤武)が後からやって来た。

太陽新聞社内は、会長の太田垣一男(若山富三郎)と社長の岡部憲介の間で、熾烈な派閥抗争が行われていた。

この映画のメインテーマがこの派閥の抗争にある。

その抗争による逆転、また逆転というストーリー展開が、この作品の面白さでもあり、見せ場ということになる。

鷲尾は、会長、社長の両方に引き立てられたということもあり、いずれの陣営にも荷担せず中立を保っていたが、それを社長陣営に引き込むべく、コ永が画策したわけや。

「嵌(は)めやがって」と、後で鷲尾はコ永に毒づく。

「貴様のためだ」と、コ永。

「お前が社長派のポン引きをするとは思わなかったよ。オレは誰かの子分になるとか、そんなのはでぇ嫌いなんだ」

「甘ちゃん言うな。ずっと重役でいたけりゃ、誰かの子分になれ。それが嫌だったら、一日でも早く親分になれ。どっちつかずにいたら爪弾(つまはじ)きされるのがオチだ」

翌日。

鷲尾は、専務の添島隆治(中丸忠雄)に呼びつけられる。

添島は会長、太田垣の娘婿やった。当然、会長派ということになる。

「お前、昨日、社長と一緒だったらしいな」

「コ永に飯に誘われただけですよ。そこにたまたま社長が来られただけで」

「何で、コ永なんかと飯食いに行ったんだ」

「コ永とは、高校時代からの朋友(ポンユー)ですよ。一緒に飯くらい食わせてくださいよ」

「高校時代と言っても、お前は大阪で、コ永は日比谷高から東大の口だろう。それが何で朋友になるんだ」

「一体、何を疑われているのか分かりませんけど、キナ臭い話なんか何にもありませんよ」

「会長と社長の対立は、言わば営業と編集の対立だ。お前も販売の人間なら営業の端くれだぞ。お前が地方の販売局でくすぶっていたのを拾い上げ、仕事のイロハを叩き込んだのは会長だ。その会長の恩義を忘れるなよ」と、添島。

「はい」と言いながら、いかにも「やってられん」という渋い表情を鷲尾は見せる。

太陽新聞社の定例会議が始まった。

その会議の冒頭、


新聞社は言論の自由を守るという趣旨から、株式は公開されておらず、株式の譲渡取得ついても役員会の承認が必要とされ、通常株式総会とされる権力斗争の主戦場が役員会という特殊性を持っている。


というテロップが流れる。

分かりやすく言えば、新聞社においては、その役員会での決定が、すべてに優先するということや。

ちなみに、多くの新聞社の正式名称には「株式会社」というのが付くが、呼称からそれを除外されているのは、その株式が非公開となっているということもある。

それに、多くの企業が信用のため「株式会社」と呼称しているのに比べ、新聞社の知名度はそのどこよりもあるから、今更、そういう信用を獲得するまでもないという意図が働いているためというのもある。

この場で、太田垣の会長解任の緊急動議が、専務の谷から出される。

社長派による会長追い落としが表面化したわけや。

それに対して、太田垣は逆に、岡部憲介に対して社長の解任動議を出すという泥沼の様相を見せる。

多数決による裁定になったが、どちらにもつく気のない鷲尾は、その場を退席する。

鷲尾は、当然のように双方の陣営から睨まれることになる。

特に、太田垣の娘婿、添島からは裏切り者として、最後まで毛嫌いされる。

12人の重役のうち、鷲尾が棄権したことにより11人での投票の結果、6対5で、かろうじて太田垣会長の解任が決まる。

その直後、その無念で気が昂(たか)ぶった太田垣が心臓発作を起こして病院に担ぎ込まれ、今日明日の命と医師から宣告される。

徳永は、「当然、社葬ということになる。内々、準備をしておくように」と幹部社員に通達する。

それにより、社長派は勝利を確信する。

その日の販売局長室。

鷲尾は、秘書から「西部本社から販売実績が届いています」と、言われ、そのファックスを渡される。

それを見た鷲尾は、怒って電話する。

「変な小細工しやがって。おい、舐(な)めてんのかい。よくもこんな数字、ぬけぬけと送ってきよったな。いくら水増ししたんだ。洗い直して報告し直せ!!」と、怒鳴る。

これは、部数の粉飾について言うてるわけや。

当時には、まだ新聞社による押し紙というのはあまりなかった。

と言うより、そんなことをする必要がないくらい部数も安定して伸びていた時期やったからな。

押し紙が顕在化するようになったのは、バブルが崩壊し、部数の伸びにかげりが見え始めたことで、企業からの広告収入が減ることを恐れたためやさかいな。

少なくとも、この映画が制作された頃には、そういうことをする必要すらなかったわけや。

部数の水増し行為は、その成績を粉飾することで担当者や販売店主の株を上げようと画策したからやという、鷲尾の怒りは、その当時の新聞社の姿勢を表しとるのやないかと思う。

その夜。

事態が大きく動き、大どんでん返しが起こる。

何と、死んだのは社長の岡部憲介やった。

死因は腹上死。若い芸者、金谷美津枝(井森美幸)と性交中の出来事やった。

真夜中に急遽、コ永に呼び出された鷲尾は、その現場である料亭「穂積」から、その社長の遺体を自宅に運ぶ手伝いをやらされる。

そのシーンも滑稽で面白いが、今回のメルマガの視点からは外れるので、申し訳ないが説明は省かせて頂く。

コ永の要請で、仕方なくとはいえ、その片棒を担がされたことになった鷲尾は、社長派陣営に否応なく引き込まれた形になる。

やっとの思いで自宅に社長の遺体を運び込み、医者を抱き込んで自宅での急性心不全による死亡診断書を作り偽装する。

これは、そういうことになったら、本当にそうするやろうなというのは分かる。

まさか、新聞社の社長が、芸者と関係を持って腹上死したという事実なんか絶対に公表できんやろうしな。

何のことはない。

太田垣用の社葬の準備が、社長の岡部憲介のそれに早変わりしたことになるわけや。

逆に、倒れた太田垣は一命を取り留め、小康状態になった。

そして、名目だけやが葬儀委員長にも選ばれた。それに伴い、会長職にも復権となった。

皮肉というしかない。

そして、これも皮肉なことやが、どちらの陣営にも与していないと見られていた鷲尾が葬儀の実行委員長に選ばれた。

しかし、これらのことがラストで大きな影響を及ぼすことになるとは、このときには誰にも知る由はなかった。

ただ、こういう状態になっても、尚、権力争いは止まず、社長派は、社長の息子の常務、岡部恭介(佐藤浩市)、会長派は専務の添島をそれぞれ擁立しての権力争いが再開されることになる。

結局、後任の社長選出は無記名投票ということになり、岡部恭介4票、添島隆治4票、白票3票で物別れとなった。

そんなおり、岡部恭介は、鷲尾に、父親の岡部憲介の相手をしていた芸者の美津枝に会わせてくれと頼む。

岡部恭介自身は、そんな社内の派閥抗争が嫌だった。その点で、鷲尾とは気が合った。

社長宅での葬儀の日、密かに、三友銀行の頭取がコ永にある条件と引き換えに頼み事をしていた。

翌日。

太陽新聞の編集部では三友銀行の不正融資というスクープ記事が朝刊の一面を飾ろうとしていたが、降版寸前で編集局長の徳永が編集部員たちの反対を押し切って、その記事の掲載を差し止めた。

もみ消したわけや。

このことについての真偽にはコメントできん。

あってはならんことやとは思うが、実際にそういうケースがあるのかどうかは、その当事者にしか分からんことやさかいな。

もっとも、多くの観客が、さもありなんと考えて観ていたというのは想像できるがな。

このことにより、映画の中では、岡部恭介や添島隆治ではなく、コ永が一躍、社長の最有力者となっていくことになる。

しかし、その事実は、この時点では、まだ誰も気づく者すらいなかった。

鷲尾も、この後、まさか親友のコ永に裏切られることになろうとは夢にも考えてなかったさかいな。


後編に続く。



参考ページ

注1.拡張の歴史


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