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第48回 ゲンさんの新聞業界裏話

発行日 2009.5. 9


■映画『社葬』による新聞への負のイメージについて 後編


鷲尾は、徳永に高級料亭「穂積」に初めて連れて行かれた日、そこの女将、吉乃(十朱幸代)と知り合い、お互い惹かれ合うようになる。

何度か逢瀬(おうせ)を重ねるうち、ついに二人は不倫旅行するまでになりスキーに出かける。

その不倫旅行から帰ったばかりの鷲尾は、徳永から北陸三県の販売各店が添島の差し金より納金拒否の態度を取ったと知らされる。

納金というのは、新聞社が販売店に卸した新聞代金の支払いのことを言う。北陸三県の販売各店は、それを払わんと言うてるわけや。

まだ、今なら北陸だけやが、このまま放っておけばそれが全国に飛び火する可能性がある。

そうなれば添島が実権を握り、社長派は終いやと徳永は強調する。

「販売店を押さえられるのは、うちの人間には、お前しかおらん」と。

「うちの人間? そうか、それで無理矢理、俺を引き込んだのか」と、鷲尾。

翌日、鷲尾は不承不承ながら仕方なく、急遽、北陸に飛ぶ。

派閥争いに関係なく、本社の販売局長という立場からも看過することはできんさかいな。

鷲尾が現地の担当員に案内され「北陸太陽会本部」の看板が掲げられている北陸特有の古い趣のある民家の前に着いた。

「北陸太陽会本部」というのは、一般に「協力会」と呼ばれている新聞社専属販売店組織のことで、ここはその本部ということになる。

名称は、各地域の新聞販売店毎にそれぞれ違うが、たいていの新聞社系列の専属販売店にはこれに類似した組織がある。

但し、普通は、こういった組織の会合は、その辺りの中心的な販売店の事務所、もしくは店主宅でする場合が多く、この映画のように、その看板だけしか掲げられていない専用の本部が存在するというケースは、あまりない。

少なくとも、ワシはそういうのを知らん。

しかも、販売店店主の寄り合いにしては、あまりにも柄の悪そうな連中ばかりしか見かけず、実際とはかなり違う雰囲気に感じられる。

これは、多分に映画の制作サイドが、タチの悪い新聞拡張団と新聞販売店を混同し、勘違いしたためという気がせんでもない。

もっとも、映画の冒頭で「日本の新聞はインテリが作りヤクザが売る」としていたのを際立たせる意図があってのことやとも考えられるがな。

映画としても、こうした方が観客に分かりやすくて、面白いと考えたのやろうが、結果として、新聞販売業界の悪いイメージだけが誇張された格好になった。

実際の販売店店主の中にもヤクザと見間違うような者がいとるのは確かやが、そんな人間ばかりやない。

そんなのは、おってもごく一部で少ないと思う。

それを日頃、訴え続けとるワシからすると、一般からそう勘違いされやすい恐れのある、この場面には辛いものがある。

通常、この手のものは新聞社からの通達や指示を各販売店に知らせるための組織、あるいは販売店同士の親睦会という意味合いが強い。

この映画のように、新聞社の販売局長に対して販売店が一致団結して楯突くというのは皆無やないが珍しいと言える。

もっとも、楯突くとしたら、こういう感じで団体としてということになるやろうがな。

新聞社に集団で販売店が楯突いた有名なケースには、関西の全国紙S紙が夕刊の全面廃止を打ち出したとき、関西圏の販売店組織が結束して、それに反対したというのがある。

それが功を奏したのか、S紙は夕刊を全面廃止したと一般では思われているが、今以て、その地域だけは、他の全国紙と同じく朝夕セット版というのが存在する。

新聞社が販売店組織に屈した希有なケースやが、事実としてそういうのがある。

鷲尾に対して敵対意識丸出しの販売店店主やその関係者たちが集まっている中を掻き分けるように奥に入ると、囲炉裏端に胡坐(あぐら)をかいた、本部長の上野郷嘉市(北村和夫)がいた。

「お久しぶりです。以前の懇親会でお会いしてから2年ですか。まさか、こんな形でお会いするとは思っていませんでした」と、鷲尾。

「まあ、そこに座ってくれるけ」と、上野郷がそう言い、言葉を続けた。

「おらたち、ここにおる者のほとんどが、親の代から太田垣会長の世話になっとるがちゃ。ワシらにとっちゃ、太陽言うたら太田垣さんのことなんがよ。当然、太田垣さんの娘婿の添島専務が次期社長になるもんや、いや、なるべきや思うとるがよ」

「それなら、添島専務が社長になるまでは納金ストップということですか」

「納金ストップだけやないがいや。それまで、北陸三県じゃ、太陽は一部たりとも売らしやせんがいちゃ」

「そうですか。仕方ありませんな。お宅たちで売ってくれんのなら、私が自分で売りましょう」

「何!! 喧嘩を売っとるのか」

鷲尾の言葉に周りの店主たちが色めき立つ。

「喧嘩を売っているのはお宅たちではないですか。私は売られた喧嘩を買っているだけです」

鷲尾は、そう言いながら周囲の店主たちを見渡し、上野郷に向き直って、さらに続けた。

「納金ストップについては法的手段を採らせて頂きます。太陽を一部たりとも売らないと仰るのなら、私どもも、お宅たちには一部も新聞を卸しません。私の手で販売店を作って売って見せます」

その言葉に上野郷は鷲尾を睨みつける。

鷲尾はその視線に怯むことなく、「そうなると、お宅たちは敵になって他紙でも売りますか。しかし、その先方にも販売店がある。売る物がなくて困るのはお宅たちじゃありませんか」と言う。

「おんどりゃー!! 太田垣のオヤジに逆らったばかりか、この裏切り者が!!」と、血の気のある店主の一人が鷲尾の胸ぐらを掴みかかる。

鷲尾は、その男の手を振りほどき、心得のある柔道技の背負い投げで素早く投げ落とす。

一瞬、周りの店主たちがその迫力に後ずさりする。

鷲尾は何事もなかったかのように、上野郷に対して一礼し、その場を去っていく。

納金ストップが脅しなら、鷲尾の新しい販売店を作るというのも脅しや。どちらも実際にそうするというのは簡単なことやない。

こういう争いで勝敗を決するのは、お互いのトップの器量に負うところが多い。

要するに、迫力に勝る方が勝つということや。

結局、上野郷たちは屈することになり、鷲尾は何とか事態を収拾することができた。

実際に、こういった事件があったかどうかは別にして、販売店主たちが新聞社の特定の実力者に傾倒し、義理立てするというのはあり得ることやとは思う。

この業界には、世間一般で廃(すた)れかけている義理と人情を重んじるという風潮が、未だに根強くあるさかいな。

それでも、実際には、いきなり納金ストップという強硬な手段は採らず、要望という形で声を挙げるくらいが精一杯やと思う。

それだけでも十分、添島陣営にすれば大きな力になるはずやからな。

加えて、自分の陣営を有利にするために、新聞社の首脳陣の一人であり、トップを窺う専務という要職にある人間が、背後から販売店主たちを煽って、新聞社の経営の根幹でもある納金ストップをけしかけるというようなことは、ないやろうと思う。

販売店主側は、次期社長の最有力候補と目されとる人間、さらに、その上に位置する世話になった恩人に報いるために、その指示があれば、そうするやろうというのは十分頷ける話ではあるがな。

しかし、その事が社内で明るみになれば、それを指示した人間が拙い立場になるくらいは誰にでも想像できる。

果たして、そんな愚を冒すやろうか。

それでも、絶対的な権力を持つ人間がそうするというのならともかく、こういった、どっちに転ぶか分からんような熾烈な権力争いをしている最中となれば、よけいやないかという気がする。

しかも、映画の中の流れで言えば、添島にそんな余裕などなかったはずや。

その頃、添島は、社の金を使った金融取引の失敗で多額の損失を出し、進退窮まったと悟り、それを苦に自殺未遂を図った。

その直後、妻に発見され一命を取り留める。

その事実を病床の太田垣は娘から知らされ、夫の添島を助けてくれと泣きつかれる。

太田垣は病室に、本来は敵であり嫌っていたはずの徳永を呼ぶ。

その後、徳永は鷲尾のオフィスに行き、「いや、ご苦労さん。良くやってくれた」と、北陸での労を犒(ねぎら)う。

「どうだ。一緒にメシでも食いに行くか」

「お前のメシはいらねぇ。物騒でしゃあない」と、鷲尾は断る。

「そうか」と言いながら、徳永はしばらく宙を睨んで考え込む仕草を見せた後、鷲尾に向き直り、真剣な顔つきで座っていたテーブルに両手をつき、深々と頭を下げる。

そして、「何も言わずに辞表を書いてくれるか」と一言発する。

「えっ? 何?」と、一瞬、鷲尾は何を言われたのか分からず、あっけにとられる。

「社長が死ぬなんてことさえなきゃ、こんなことにはならなかった。すべてシナリオどおりに事が運ぶはずだった」と、徳永は一旦言葉を切って、さらに続けた。

「太田垣のオヤジが持ち直したんだよ。ほとんどの奴が太田垣に寝返った。社長派で残っているのは、今となってはジュニアを除いては、谷専務と俺とお前の3人だけだ。俺たちに勝ち目はもうないんだよ」

鷲尾は、茫然自失になって徳永の説明を聞いていた。

「そこで、太田垣のオヤジと話し合うしかなかったんだよ。報復人事なし、添島専務が社長ということで手を打ったんだが、お前のクビだけは添島が意地を張って譲らないんだ」

「お前、それを呑んだのか。お前らだけが安泰で、俺だけがクビか。俺を引っ張り込んだのはお前だぞ。一蓮托生って言ったじゃないか!!」と、鷲尾が徳永に迫る。

「お前の怒る気持ちは良く分かる。気が済むんだったら殴るなり蹴るなり好きにしてくれ」

「俺に、ゴルフ場の支配人をやれって言うのか」

「何年か辛抱してくれよ。俺が責任持ってお前を呼び戻すからさ。ここで、お前が泣いてくれたら、すべて丸く収まるんだ。恩に着るよ」と、徳永。

そして、懐から「おい、ジュニアだって、納得して、こうして辞表を書き、テレビに行くことを納得してくれたんだ」と、岡部恭介が書いたという辞表を鷲尾に見せる。

この1989年頃は、まだテレビ業界は新聞社の付属、下部組織という位置づけでしかなかった。

実際、テレビ局の大半の筆頭株主には新聞社が多いさかいな。

せやから、いくらテレビ局の社長になると言うても、新聞社内では左遷としか当時は考えられてなかったわけや。

鷲尾は、中身を一瞥して、おもむろにその辞表を破り捨てた。

「おいおい、ちょっと何すんだ、おい!!」

「俺は新聞屋だ。ゴルフ場なんか行かない。辞表も書かない。クビにするならしてみろ」

鷲尾は、そう啖呵を切り、徳永と別れる。

太陽新聞社臨時役員会議。

ここで、岡部憲介元社長の社葬での弔辞において、太田垣会長に次期社長の人選を一任し、それを発表するということになり、全員一致でそれが了承された。

それにより、事実上、添島が次期社長になるものと、その場のほとんどの人間がそう信じた。

鷲尾は、岡部邸に出向き、岡部憲介の妻、岡部静子(野際陽子)に会う。

「恭介は、通夜の夜から、赤坂の穂積という料亭に入り浸りで、美津枝とかいう芸者と一緒です。その芸者が夫と、どういう関係にあったか、あなたも良くご存知のはず。その芸者を恭介に引き会わせたのは、あなただそうですね」

静子はそう冷たく言い放つ。

「あなたの顔など見たくもありません。二度とこの家の敷居をまたがないでください」

鷲尾は何も言えず岡部邸を立ち去り、恭介がいるという「穂積」に向かう。

鷲尾は、「穂積」で、芸者の美津枝と遊んでいる恭介に会う。

「私に何の用ですか」と、恭介。

「なぜ、辞表を出したんですか」と、詰問調の鷲尾。

「私の勝手でしょ」

「勝手ですか」

「そうでしょ。私が社長になろうが、なるまいが、あなたには関係のないことでしょ」

「関係があります。あなたを社長にしないと私はクビになる。何が何でも、あなたを社長の座に押し上げなくてはならないんです」

「……」

「あんた、本当のところ逃げたんでしょ。社長としてやっていく自信がないと。要するに、あなたは臆病なだけです。違いますか」

「私が臆病なら、あなたは何ですか。死んだ親父の中国旅行のお伴を仰せつかって、親父のパンツまで洗って重役になった男じゃないですか」

「いけませんか。パンツだってサルマタだって洗いますよ。私には女房子供の生活がかかっているんです」

「それじゃあ、親父が死んだ後、私のパンツを洗いますか」

「洗いましょう。洗って、あなたを社長の椅子に押し上げます。私のクビがつながるなら」

一瞬、場の空気が止まる。

「言い過ぎました。許してください」と、恭介は素直にゆっくりと頭を下げる。

そして、「ただ、あなた、どこまで本当のことを知っているんですか」と続ける。

「今日の役員会で、社長人事は会長の太田垣会長の指名一任と決まっています。誰しも、娘婿の添島専務が指名されると思っているでしょう。ところが、指名されるのは徳永編集局長なんですよ」

それを聞いた鷲尾は驚いた表情になる。

「徳永を社長に……」

「そうです。添島専務の会長昇格と合わせて、徳永の社長指名が社葬の当日、大垣の式文弔辞の中で発表される手はずまで決まっているんですよ」

「分かりません。なぜですか。太田垣のオヤジは徳永を嫌っていたはずじゃないですか」

「裏のからくりまでは私は知りません。ただ、直接、関わり合いがあるかは分かりませんが、徳永絡みで言えば……」

恭介はそう言いながら、自分のカバンから、一枚の降版寸前にボツになったという新聞記事を取り出した。

「その記事をスクープした記者が、私と同期でした。これを私に見せて、男泣きに泣きましたよ」と、言いながら、それを鷲尾に見せた。

それには一面に、『地上げ絡み。三友銀行「不正融資」。法定限度の8倍。首脳部に責任問題波及か』の文字が大きく踊っていた。

「あなたが売らされてきたのは、こんな腐り切った新聞なんですよ。新しいトップの布陣は、太田垣名誉会長、添島会長、徳永社長のトロイカ体制というわけです」

トロイカ体制というのは、一人の指導者に権限を集中するのを避けるために、旧ソ連で独裁者と言われたスターリンの死後、3人の指導者による集団指導体制を布いたことを指す。

名前の由来はロシアの3頭立ての馬橇(ばそり)であるトロイカのことで、当時、この言葉は流行語のように使われていた。

恭介は立ち上がりながら、さらに続ける。

「今更、あなたがどう足掻(あが)いても、私が社長になれる可能性は万が一にもないんです。なれたとしても、今の私には引き受ける気はありませんけどね」

「これをボツにしたのは徳永ですね」

恭介が頷く。

鷲尾は、そのボツ記事を持って徳永に会いに行く。

「お前が社長とはな」

鷲尾は、徳永に会うなり、そう切り出した。

「俺が社長? 誰に聞いた話か知らんが……」

「とぼけるな。何だよ。これは」

鷲尾は、そう言いながら、恭介から預かったボツ記事の紙面を投げ渡した。

徳永は、それを一瞥すると目の前に放り投げた。

「やっぱり銀行が絡んでやがったのか」と、鷲尾。

「おいおい、何言い出すかと思ったら、今度は銀行か。銀行が新聞社の首脳人事に関係あるわけないだろ」

「関係があるかないか。こいつをブラックジャーナルにばらまきゃ、はっきりするやろ」

ブラックジャーナルとは企業や有名人などの不祥事や裏事情が実名で書いてある小冊子のことで、新聞の力のおよばないものとされていた。

その当時の新聞社に対しては、テレビは当然としても、大衆週刊誌でさえ、今ほどの新聞叩きなど、とてもできないくらい厳然たる影響力を持っていたというのは周知の事実でもあった。

その新聞社の力を持ってしても、神出鬼没、ゲリラ的に発生するブラックジャーナルの言論をもみ消すことはできんと考えられてたわけや。

現在で言えば、インターネット上の暴露記事に該当するものやと思えぱええ。

鷲尾はそれを脅しの材料に使った。

「それでどうなる。銀行の融資担当の首が一つ飛ぶだけの話だ。なあ、鷲尾。記事に手加減加えるなんてことは別に珍しいことでも何でもありゃしない。どこの新聞社でも、多かれ少なかれやってきたことだ」と、徳永が開き直る。

さらに、「俺は俺のやりたいことをやるために社長の座を利用する。綺麗事ばかりを言っても、まず権力を握らなきゃ、何もできはせんのだ」と、本音を吐く。

「ふん、それが東大出の考えか」

鷲尾に学歴はない。この映画の中では、ワシと同じ定時制高校卒という設定になっている。

この当時の世間一般の評価からすれば、東大出と定時制高校卒では天と地、月とスッポンほどの開きがあり、比べること自体が、おこがましいと誰もが言う時代でもあった。

一言で、定時制高校卒とは言うが、4年間も働きながら、夜遅くまで毎日勉強して卒業する難しさは、それを経験した者でないと絶対に分からんと思う。

東大に入学して卒業する者は大半を占めるやろうが、定時制高校に入学して卒業する者は、その半数にも及ばんのが普通やさかいな。

しかも、中学を卒業したばかりの少年が、自らの手で生活の基盤を作り、それをやり遂げるという強靱な意志と忍耐力を兼ね備えるのは考えるほど楽なことやないわけや。

もっとも、そんな視点で誰も見る者はおらんがな。

ワシ自身は、それを誇りにこそすれ、卑下したことなど一度もない。

厳しい受験戦争に打ち勝ち難しい試験を合格して入学したというのは分かるし、それはそれで評価もするが、所詮は親のスネかじりで大学に入っただけの人間と比べて、何でそこまで差別されなあかんねんという思いは常にあった。

それも、大学に入って一生懸命勉学に励んだという者ならいざ知らず、聞こえてくるのは遊び惚けとるという姿ばかりやったから、よけいそんな気になる。

冗談やないで。

何でそんな連中より下に見られなあかんねん。理不尽ここに極まれり。そう思うてた。

しかし、現実社会において、この時代の学歴偏重の前には、いかんともし難い壁が存在していたのも事実や。

どんなに仕事ができん者でも、単に高学歴というだけで出世できた時代やったさかいな。

人間の能力、実力以前に、学歴やと。

今は、やっとそのバカバカしさに気づく人も増えてきたようやけどな。

その当時では、鷲尾のように無学歴で底辺に喘ぐ者が出世しようと思えば、それこそ他人の汚れたパンツでも洗うという気概、気構えがなかったら、あかんかったわけや。

そうして鷲尾はのし上がってきた。

それが「ふん、それが東大出の考えか」という言葉になって表れたということになる。

「まあ、そうだ。しかしな、これだけは信じてくれ。俺は社長になるためとは言っても、お前は裏切ってない。本気でお前の首、つなげようとしたんだ。しかし、添島がどうでも譲らなかっただけだ。今からでも遅くないよ。黙って辞表を書け。ゴルフ場で2年間だけ辛抱してくれ」

徳永は、そう言って、鷲尾にもう一度、頭を下げる。

「お前とは高校時代からの友達じゃないか。分かってくれよ」

「お前とは友達じゃない。絶交や」

鷲尾は、そう言いながら徳永の横面を手にしていたボツ記事の紙面で張って、その場を後にする。

鷲尾は、三友銀行の実力者で前頭取の野々村典正(芦田伸介)に会うため、「穂積」の女将、吉乃に土下座してその協力を頼む。

吉乃は、野々村典正の愛人やった。

「野々村典正に会わせてくれ。電話したが、取り次いで貰えんかった。頼む」

鷲尾は辛かった。本気で吉乃を好きになっていたし、吉乃も鷲尾を真剣に惚れているのを承知していた。

しかし、これを頼めば、その関係は終わる。

これを一般に置き換えれば、浮気相手の旦那に頼み事をしてくれと言うてるようなもんやさかいな。

通常の神経の持ち主なら、そんな関係が続くはずがない。それも愛していたとなれば尚更やと思う。

鷲尾にとっては苦渋の上での決断であり頼みでもあった。

翌日、葬儀の準備をしていた鷲尾に野々村から電話がかかってくる。

吉乃が野々村に頼み込んだと、鷲尾にはすぐに分かった。

さっそく、野々村のオフィスに出向く。

「話は分かった。しかし、人にものを頼むからには手みやげは持って来たんだろうね」と、野々村。

「これに用意してございます」

鷲尾は、そう言いながら、徳永がボツにした記事を見せる。

「あなたも、かつては三友銀行頭取として日本銀行界に君臨されたお方と承知しています。6年前、子飼いの白坂氏を後任の頭取に据え、ご自身は、院政を敷かれるお心づもりだったはず。だが、志と違い、白坂氏に敬遠され、現在は実権のない相談役に貶(おとし)められておられる」

野々村は、そのボツ記事を読みながら、その言葉に反応して、チラっと鷲尾に視線を向ける。

鷲尾は、それに意を強くして、さらに続ける。

「しかし、あなたほどのお方なら、まだまだ人脈を残しておられましょう。その人脈で白坂氏に揺さぶりをかければ、あなたが再び、銀行界のドンに返り咲くことは可能かと思います」

そう、必死に掻き口説いた。

暗に、その記事の真偽を確かめてくれと言うてるわけや。

「しばらく待っていてくれたまえ」

野々村はそう言い残すと、その部屋から出て行った。

鷲尾は、そこでかなり長い間、待たされることになる。

数時間後、野々村が「からくりが分かった」と言って部屋に戻ってきた。

「元はと言えば、添島専務が社長していた子会社、太陽不動産で土地投機に失敗、100億近い欠損を出したことに始まる」

野々村は、その説明をしながら、そこらを歩き続ける。

「その穴を埋めるために、太田垣名誉会長にも内緒で、債券先物相場に手を出し、初めのうちは良かったが、ここでも暴落。結果、トータル230億の大穴が開いて、追い詰められた添島専務は自殺を図り、太田垣名誉会長の知るところとなる」

そこまで聞いた鷲尾は、信じられという顔になった。

何も知らんかった。

「太田垣は徳永を呼び、徳永は社長のポストを得て、代わりに記事をボツにしていたことで恩を売っておいた三友銀行から230億を緊急融資をさせた。担保として太陽新聞社本社ビル。その証文は、現在、唯一の代表権を持っている太田垣名誉会長が取得。ここまで、聞けば十分だろ」

「はい。ありがとうございました」

野々村の話で確証を得た鷲尾は、その足で太田垣の病室を訪れる。

太田垣の枕元に直立不動になった鷲尾が「まず、ご報告申し上げます」と切り出す。

「明朝、三友銀行白坂頭取が病気を理由に辞任。引退を発表されることになりました。理由はお分かりのことと思います」

それを太田垣は目をとじ、無反応を装って聞いていた。

「つきましては、明日、我が社の社葬ですが、次期社長に、ジュニアの恭介君を指名して頂きたく、代わりに多額の損失を出した添島専務の責任追及は致しません。でないと、オヤジさん自身も場合によっては背任容疑で泥にまみえることもあります」

その言葉を聞いた太田垣は、苦しそうに口を開いた。

「鷲尾、き、貴様、俺を脅迫する気か。お前も販売の人間なら分かっているだろう。岡部なんぞ御輿(みこし)にしかすぎんかった。今日の太陽を作ったのはこのワシだぞ」

「私も、これまではそのように考えておりました。販売の鬼と言われたあなたについていけば間違いないと。しかし、この度、そのあなたが、今日の太陽を誤らせたと思うようになりました」

大きく咳き込んだ太田垣は、絞り出すような声で「か、帰れ」と興奮気味に喚く。

鷲尾は、一礼をして病室を後にする。

社葬当日。

葬儀委員長の式文弔辞の読み上げの時間が迫ってくるが、太田垣はまだ現れていない。

このままだと、あらかじめ作成していた徳永を社長に指名するという式文弔辞が、そのまま松崎専務の代行で読み上げられることになる。

待つ。待つしかない。太田垣は必ず来る。

確かな約束を交わしたわけやないが、鷲尾にはその確信があった。

また、そう信じたかった。

「まことに申し訳ありませんが、本日、式辞を読み上げることになっていました弊社代表取締役名誉会長が急病のため、代行の松崎忠行が式文を代読させて頂きます」という進行係りのアナウンスが流れる。

万事休す。

しかし、代行の松崎が、今まさに読み上げようとした瞬間、入り口の扉が開き、二人の看護士に両側から支えられた太田垣が現れる。

太田垣は、途中から看護士を制して、おぼつかない足取りでマイクに向かう。

「どうぞ」と言って、松崎の差し出す式文を太田垣は無視する。

「太陽新聞代表取締役、故岡部憲介君の社葬を本日執り行うに当たり、慎んでお別れの言葉を申し上げる。ここで憲介君の御霊(みたま)の前で、後任の太陽新聞社社長として、憲介君の息子、岡部恭介君を推挙するものである」

そう太田垣が場内に宣言した。

徳永、添島、恭介と主要人物それぞれが三者三葉の意外な表情を見せる。

一人、鷲尾を除いて。

勝った……。

そう確信した鷲尾は、ざわめく式場を尻目に外に出る。

外には雪が舞っていた。

鷲尾は、マイクから聞こえてくる社長の指名を受けた恭介の就任の挨拶を聞いていた。

式場では、「今、ここに思いもしなかった社長のご指名を頂き、身に余る大役でありますが、父の霊前にて謹んでお受け致します」と、深々と恭介が頭を下げて、言葉を続けた。

ここから、長い朗読が続く。


新聞がかつての言論の府であり、社会の木鐸(ぼくたく)であった栄光の座から退いて久しいと言われています。

が、問題は、我々新聞人の内部に潜んでいるのではないでしょうか。

新聞は、部数の多きが誇りではありません。申すまでもなく、新聞の命はその記事の内容と質であります。

権威に阿(おもね)って、圧力があっても真実の筆を曲げないという所信の原則を守り、さらには我々自身が権威になることを戒め、他人の加罪を糾弾する前に、自らに対する批判を受け入れ、自らの過ちを正すのに、やぶさかであってはならないと思います。

例え青臭いと言われようと、私は私の若さを武器に新聞のあるべき理想を追い求めながら全力を尽くして闘って行きたいと思います。


と。

冒頭の「日本の新聞はインテリが作りヤクザが売る」のようには、この部分が他で引用されるケースは、ほとんどない。

この映画の制作者が、本当にこれを言いたかったのか、あるいは、新聞業界に配慮した結果、このシーンを挿入することになったのか、または単に最後には正義が勝つとしたかったのか、その思惑までは分からんがな。

ただ、ここまで、この映画では散々、新聞の影の部分ばかりを強調して物語を展開してきた流れからすると、陳腐とまでは言わんが、いささか拍子抜けのするラストやったというのが、正直なワシの感想や。

もちろん、言うてることは正しいし、そのとおりで、そうあるべきやとは思う。

しかし、それだけに、それをラストで強調されると、よけい素直に受け取れんという気持ちになるのはワシが、単にへそ曲がりなタチの人間やからやろうか。


読者感想 メルマガの感想です

投稿者 Jさん  投稿日時 2009.5. 8 AM 9:24


今回のメルマガ(前、後編)の末文(就任挨拶)は、映画制作の年代は古くとも、今こそ、新聞社の関係者に再認識してもらいたい内容だったように思います。

ただ、他の多くの産業でも言えるように、大手企業の場合は、中堅や下っ端の社員が頑張っている裏で、幹部役員のレベルでは、日々、権力闘争にやっきになっているのが普通なのかもしれません。

そして新聞社も、そのご多分に漏れていないというだけの話という気もします。

「学歴はないが、正義感や行動力のある鷲尾」というキャラクターがゲンさんとダブるような気がしたのは、ハカセさんの意図かなあと思いました。

機会があったら、この映画を見てみたいと思います。


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