メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第52回 ゲンさんの新聞業界裏話

発行日 2009.6. 5


■消えた新聞販売店……兵(つわもの)どもの夢の跡


「ゲンさん、ハヤシ販売店が閉店したようですよ」

そう知らせてきたのは、ハカセやった。

「ハヤシの店が?」

それを聞かされたとき、ワシの脳裏には様々な思いが過(よ)ぎった。

哀れを誘う反面、さもありなんという気にもなる。

時代の流れに乗れなかったと言うてしまえばそれまでやけど、昔かたぎの新聞販売店の行く末を暗示しとるかのような象徴的な出来事ではある。

ただ、ワシとハカセにとっては、それだけでは語り尽くせない浅からぬ因縁が、その販売店との間にはあった。

そのハヤシ販売店があったからこそ、ワシらは出会えることができたとも言える。

今から6年前の10月。

その日、ワシはハヤシ販売店に入店して、ある住宅街を叩い(訪問営業)ていた。

ワシの目の前で、その小競り合いは起きた。

そのときの詳しい状況は、サイトの『新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第2話 男の出会い』(注1.巻末参考ページ参照)にある。

その冒頭部分や。


その男と最初に会うたのは、2003年の10月やった。

夕方の7時頃。

ワシは、その日、ある住宅街に来ていた。

夏と違うて陽の暮れるのが早い。等間隔に灯った外灯の明かりで、かろうじて辺りの様子が分かる。

「こらっ!! ヤクザなめとんのか!!」

「ボケェ!! ヤクザがナンボのもんや。」

突然、こんな不毛な応酬が聞こえてきた。

喧嘩のようや。

ワシは、乗っていたバイクを怒号のする方へ向けた。

一軒の玄関先で、二人の男が今にも掴み合い寸前になっていた。

「あちゃー!!」

ワシは天を見上げ、思わずそう漏らした。

その一方の男というのは、同じ拡張団のカワダという男やったからや。

あまり、評判のええ男やない。

あちこちで、しょっちゅうトラブッとる奴や。

噂は良う耳にはしていたが、その現場を目の前にするのは初めてやった。

自称、元○○組の構成員とかで、入れ墨をちらつかせながら、肩で風切って歩くタイプの男や。

団の中でも敬遠され、鼻つまみ者になっていた。

もっとも、2、3人の金魚のフン、取り巻きはいてたがな。

「死にたいんかい、ワレ!!」

カワダは、いかにも筋者という風格を見せようと威嚇(いかく)しとる。

「やれるもんなら、やってみぃや。オレは死んでも、生き返っとるんや。死ぬことなんか屁でもないわ。お前もいっぺん死んでみるか? 気持ちええで」

「……」

さすがのカワダが一瞬、気圧(けお)されたようや。

ワシはカワダと言い合いになっとる男を見た。

この家の主人で、歳の頃は40前後というところか。

中肉中背のどこにでもいてる普通のカタギにしか見えん男や。

ワシも、こんな稼業を続けとるから、極道かどうかは一目で分かる。

多少、気の短い喧嘩早い性質なんやろうが、カワダのようなどこからどう見てもヤクザとしか思えんような男に噛みつく素人というのは、ワシもあまり知らん。

向こう見ずにもほどがある。

それに、言うてることも、無茶苦茶や。

どこかおかしい。

世の中、わけの分からんことを言うたり考えたりする奴ほど怖いもんはない。

本来なら、そういうのとは、あまり関わり合いにはなりたくはない。

そうは言うても、このまま放っとくわけにも行かん。

このままやと、行くとこまで行かな収まりがつきそうにないさかいな。

「カワダ。もうええ。やめとけ。帰るで」

ワシは、カワダの腕を引っ張り、その場から引き離そうとした。

「痛っ。あ、ゲンさん。ちょっと、離してぇな。このガキ、シバかなワシの面子が立たんねや」

「そんな、きたない顔、写真立てにでも立たんで」

その男が毒づいた。

完全に舞い上がって、自分を見失うとるようや。

「何を!!」

ワシは、掴みかかろうとするカワダを強引に押さえ込んで、その男に向かって言うた。

「あんたも、何が気に入らんのか知らんが、このくらいでええやろ。後ろにいてはるのは、奥さんと子供さんたちやろ。あんまり、心配かけん方がええで」

まだ、30代前半のおとなしそうな小柄な奥さんと、小学生くらいのかわいい顔立ちの男の子二人が、怯えた様子でその成り行きを見ていた。

「ほう、えらく説教じみたことを言う拡張員やな」

男の言葉には毒がある。

「拡張員」という言い方に明らかな侮蔑が感じられた。

「……」

ワシも、拡張員がほめられた職業やとは思うとらん。人に自慢も出来んし、嫌われとるのも承知しとる。

それでも、直接、なじられるように言われるのは気分が悪い。

しかし、ワシは、それ以上、何も言わんとカワダを引っ張って、その場を離れた。

この騒ぎが続けば、ほぼ間違いなく警察沙汰になる。そうなれば、非はカワダの方にあるとされる確率が高い。

おそらくは勧誘時でのやり取りが原因やろうから、仕掛けたのはカワダということになる。

警察の前では、拡張員に勝ち目はない。良うて痛み分けや。

しかも、カワダは「ヤクザ」云々とそこら中に聞こえる大声で喚いとる。

それも、シャツから入れ墨をちらつかせてや。

救いがない。


そのカワダの相手の男というのが、ハカセやったわけや。

実は、これには前段の話があった。

そのカワダが来る前、若い拡張員が先に来ていた。

本文中に言うてた、カワダの取り巻きの一人で、ヤスナガという男や。

そのとき、ハカセは、ちょうど、インターネットで拡張員の悪行の数々を調べていたところやったという。

そこに、タイミング良く? そのヤスナガが現れた。

当時、流行っていた茶髪に、いかにもセンスの悪い派手な柄シャツ着込んだ、典型的なチンピラ風のいでたちをしていた。

応対に出たハカセに、そのヤスナガが、ニヤつきながら「おっちゃん、新聞取ってくれへんか?」と馴れ馴れしく言うてきた。

当然のように、そんな物言いをされて、気の短いハカセが黙っとるわけがない。

「新聞の押し売りか? お前みたいなチンピラの話を聞くつもりはないから、さっさと帰れ」とニベもなく追い払うとした。

「何やと、おっさん、誰にもの言うてん……」

凄んだヤスナガが、そう言い終わらんうちに、「やかましいワイ!! お前に言うとんのじゃ、ボケェ!!」と、大音量の怒声を浴びせかけた。

ハカセの地声の大きさは尋常やない。

幼い頃から、剣道の修行で、その発声を鍛えられたということもあるが、学生時代から弁論が得意で大勢の前で話すことが多かったというのもある。

余談やが、ハカセは学生時代、その地声の大きさを買われ、アルバイトで良く選挙の応援演説をしていたという。

街頭などで道行く人に向かって喚いている、あれや。

また、長く工事現場の監督業をやっていたさかい、鳶や型枠大工といった気の荒い作業員たちと渡り合っていたために自然に声が大きくなったのやとも話す。

学校の体育館程度の広さやと演壇に立って話すのに、マイクなんか必要ないと豪語する。

ハカセにとっては、目の前のヤスナガのようなチャラチャラしたチンピラは、一喝すれば終いやという思いが強い。

事実、ヤスナガも、そのハカセの迫力に気圧(けお)され、逃げ帰ったという。

その後に来たのが、カワダやった。

カワダがヤスナガから、その報告を聞いたとき、たまたま、店主のハヤシもその場にいた。

ハカセは、その販売店では、ちょっとした有名人やった。

もちろん、ええ意味ではないやろうがな。

ほとんどの人間が、ハカセに追い返されていたと知ったカワダは、「それなら、オレに任せとけ」と意気込んだ。

そのとき、ハヤシも「どんな形でもええから、その男から契約を取ってこい」と言うて、尻を叩いた。

そこまで言われたら後には引けん。

そう考えたカワダは、是が非でも契約させてやると意気込んで、ハナ(最初)から喧嘩腰でやって来たということや。

素人相手なら、ヤクザやと言えばビビるはずやから造作もないとタカをくくって。

しかし、結果は、前述のとおりということになる。

ハカセにとって、誰であろうが高圧的に出る相手は却ってファイトを燃やすだけの存在にしかならん。

やっこさんには、怖いという感覚が著しく欠落しとるとしか思えんところがあるさかいな。

それは、いろんな場面で感じられることやが、特に、旧メルマガ『第191回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■届いた『ねんきん特別便』で甦った記憶』(注2.巻末参考ページ参照)の中で話していたことでも、それが分かると思う。

大阪府と奈良県の県境に生駒山というのがあり、その山頂付近に遊園地がある。

ハカセは、若い頃、仕事でその遊園地内にある「おばけ屋敷」のメンテナンスを誰もいなくなった夜中に一人でやっていたという。

この生駒山は、昔から怪談話が多いことでも知られていた。

また、その麓には、生駒霊園と言うて、2万基以上の墓が並ぶ関西最大級の墓地もある。

ここに来れば、幽霊が出ても、それほど不自然やとは思えん雰囲気が味わえるのは保証する。

ある霊能者に言わせると、そこら中に霊がごろごろいて、にぎやかに歩き廻っているのやと言う。

客の中には、「おばけ屋敷」の中に、棒のようなものを隠し持って入る不心得者がいて、おばけの人形などが壊されることも多かったという。

それで、夜遅くまで修理が必要なことがあった。

深夜の2時、3時にまでおよぶのはざらやったということや。

その頃は、壊れたら新しく作り替えるという発想が世間一般にも少ない時代やったから、修理をして使うのが当たり前とされていた。

そのために、ハカセのような人間が雇われとるわけやしな。

もっとも、おばけ屋敷やから、修理してツギハギだらけになっていても、誰も変に思わんし、凄みを増すという利点もあり、却って喜ばれていたという。

「特に、落ち武者の生首は修理する度に迫力が出ると評判でしたね」

「ワシには、その落ち武者の人形の首より、ハカセ、あんたの方が怖いわ」

深夜の薄暗いおばけ屋敷の中で、その生首を抱えて、ニタニタ笑いながら一人で修理しているハカセの姿を想像する方が、よほど不気味で怖そうやさかいな。

恐怖心が欠落しとるとしか思えんという所以や。

ただ、後に、その頃のハカセは、その性質的なことだけやなく、自分を見失っていたところがあったと話していたがな。

半分、自棄(やけ)になっていたようなところもあったと。

その5年ほど前、ハカセは、長男のシン君の小学校での運動会で父兄リレーというのがあり、それに出場した。

走り終わった後、いきなり意識を失って倒れ、搬送された病院で、急性心筋梗塞と診断された。

心肺停止に陥りながらも、その場は何とか一命を取り止めたが、通常の仕事ができる身体やなくなった。

最早、余命いくばくもない。

その後、入退院を繰り返す度、そのことを考えた。

そして、ハカセは今まで何をして来たのかということを考えたとき、愕然とした思いに囚われた。

ハカセの人生は、人のために何かをしたという覚えがない。

自己中心的な男やった。実につまらん人間やった。

そう後悔せずにはいられんかった。

せめて、生きてるうちに、何かの足跡を残したい。人のためになるようなことをしたい。

ハカセは、真剣にそう考え始めた。

そんな折り、友人の薦めもあり、環境問題に取り組んでいた、ある全国的にも有名なNPO組織に参加することになった。

そこに通い詰めるうち、その創始者に感化され、ついには豊中市でそのNPO組織の支部を立ち上げることになり、その支部長にまで収まった。

そのときには、地球環境の現状を広く訴えることが、人としての使命とまで考えていた。

全国的に有名なNPO組織ということもあり、地元の学校、会社、婦人会、教会といった様々な団体からの講演依頼を受け、それをハカセは精力的にこなした。

講演の評判もまずまずやった。

もともと、ハカセは選挙演説をしていたくらいやし、論理的に話すというのも得意やったから、それを苦にするどころか、楽しんでやれたというのもあった。

残りの人生をそれに費やしても惜しくはない。

そう信じた。

しかし、あるときを堺に、それに疑念を抱くようになった。

そのNPO組織の創始者にはカリスマ的魅力があった。

話すこと自体は正しいし、訴えにも説得力がある。

一流の人物で本物やというのも間違いない。

それはハカセも認めていた。

しかし、それを崇める取り巻きの多いことが、当初から、気にはなっていた。

ある意味、宗教団体の教祖を祭り上げるような崇め方やと。

ハカセには譲れないところがある。

それは、どんなに心酔する優れた人物であっても、人であるからには、間違ったことも言うし、愚かな行いもするというのが、ハカセの考えの中にあった。

せやから、いくらその人物が好きで評価していても、間違った言動があれば、ハカセは遠慮せず、ずけずけと言うタチやった。

俗に言う「歯に衣着せぬ」というタイプの男や。

それは、ワシについても同じで、ワシの言うことがすべて正しいとは考えとらんさかいな。

「ゲンさん、それはダメですよ」「違うでしょ」と、間違っていると思えば、何の遠慮もなくそう言う。

もちろん、本当の友人なら、そうでなかったらあかんのやけどな。

あるとき、その創始者の講演会の開催が近くの街であり、ハカセはその応援に参加したことがあった。

そのとき、ハカセはその会場内の警備を担当していた。

聴衆は1000人近くいたから、そこそこのホールを借り切っていた。

その聴衆の中に、2歳くらいの男の子を抱いた母親がいた。

当たり前やが、2歳の幼児が、そんな話を面白いと思って長時間、大人しく聴いているはずがない。

当然のようにぐずって泣き出し始めた。母親は懸命になだめようとするのやが、一向に泣き止まない。

そのとき、壇上の創始者が露骨に嫌な顔をしたのを、ハカセは見逃さんかった。

明らかに、講演の邪魔やという風にしか、ハカセには見えん仕草やったという。

次の瞬間、その意を汲んだかのように、同じ場内の警備をしていた他の協会員が、その母親のところに行って、母親もろとも外に連れ出そうとした。

ハカセは、素早くそれに気づき、急いで近寄り「お子さんをしばらくお預かりしますので」と言い、その協会員を制して、男の子だけを抱きかかえて外に出た。

ハカセは、二人の男の子を持っているということもあり、その扱いも手慣れたものやった。

すぐに、その男の子とうちとけ、会場のロビーで、その講演が終わるまで、一緒に遊んでいた。

子守をしていたわけや。

講演が終わり、その母親がやってきて「どうも、ありがとうございました。この子を連れてくると迷惑なのは分かっていたのですが、どうしても先生の話が聞きたかったものですから。本当に申し訳ありませんでした」と、謝って帰って行った。

聞けば、わざわざ京都から、この日の講演を楽しみにしてやってきたのやという。

問題は、その後に起こった。

「白塚さん、勝手に持ち場を離れて貰っては困ります。もし、先生に何かあったらどうするんです」と、ハカセが制した協会員がクレームをつけてきた。

「先生に何か?」

その協会員の言い草にハカセはカチンときた。

「あなたは、何のためにこの講演会をやっているんです? 少しでも多くの人たちに環境問題の現状を訴えるためと違うのですか?」

「それは、そうですが、だからと言って、泣いているお子さんがおられると、他の皆さんが迷惑しますので」

「だから、母子ともども追い出そうとしたわけですか」

「仕方ありません」

「それで、子供だけを連れて外に出た私に、持ち場を離れた責任があると言いたいわけか……。それは違うやろ。それを責めるより、そういう客が来ることを予測して、その子供たちを受け入れる準備を怠った、あんたらの運営の落ち度を反省するべきやないのか」

「……」

そのときには、ハカセが例の気の短さを表し始めていて語気も強くなりかけていたということもあり、その協会員は、それ以上、何も言わず黙った。

ハカセは、その足で、その創始者のもとに行って、「先生、あなたはなぜ、お子さんが泣かれたとき、露骨に嫌な顔をされたのです。あれはダメですよ」と、苦言を呈した。

本来なら、気の利いたジョークで言うて場を和ますべきやったと。

少なくとも、ハカセ自身はそうしたはずやという思いがあった。

すると、「私は、何も嫌な顔をした覚えはありませんよ」という答が返ってきた。

それは、ハカセの気のせい、見間違いやと言う。

その事実を認めようとせんどころか、逆にハカセを責めるかのような口調やった。

そこには、「タカが一地方都市の支部長くらいの分際で何を偉そうに説教してんねん」という尊大さが見え隠れしていた。

少なくとも、ハカセにはそう感じられた。

ハカセは、その一言で急速に、その創始者に対する見方が変わり、熱が冷めたという。

環境問題を訴える理念には賛同はできる。

誰かがやらなあかんことやとも思う。

今は、環境のことを語るというのは当たり前という風潮が定着しとるが、その頃は、まだ異端視されていた。

「何を大袈裟に言うてんねん」という批判も多かった。

その創始者は、その逆境にめげず長くその運動に取り組んできた草分け的存在でもあった。

それは素晴らしいことで尊敬に値する。せやからこそ、ハカセは心酔したわけやさかいな。

しかし、他人の諌言、苦言を素直に聞くことのできん人間は、そこまでや。

ハカセにはその思いが強い。

実際、ハカセ自身、誰かにその諌言をされ、間違いやと気づけば素直にそれを受け入れ、直す度量もあるしな。

ただ、取り巻きに囲まれ、そこで必要以上に、もてはやされると人は勘違いするということがある。

それにより、知らず知らずのうちに尊大な態度が身についてしまう。

さして珍しいことやない。

ある意味、気の毒やと思えんでもないが、それでは、人の上に立ち、教え導く人間としてはあかん。

結局、ハカセは、その組織と袂(たもと)を別つことにした。

その後、いろいろなボランティア活動に参加してはみたが、もう一つ、燃えるものがなかった。

それも無理もないことで、今までそんなものに興味を示さずにいて、後、いくらも生きられそうもないからと急にそんなことをしようとしても、できるわけがない。

所詮は、何をやっても付け焼き刃でしかないと思い知った。

すべては偽善やと。

そんな人間に、他人を批判する資格などなかったと。

ハカセは、途方もない無力感に苛まれ落ち込んだという。

そんな折り、その当時、入退院を繰り返していた病院の担当医の薦めで、三重大付属病院に転院することが決まった。

三重県に来てから、何とか友人のツテもあって、他人の自伝を書く仕事にありついた。

俗に言う、ゴーストライターというやつで、名前が世に出ることはないが、昔から、あこがれていた「物書き」の端くれにはなれたというささやかな自己満足感はあった。

それについては詳しく触れることはできんというから、これ以上は止めとくがな。

ゴースト(幽霊)は、墓場におるべきものやさかい、その秘密は墓場まで持っていくとハカセは誓ったという。

それが、ゴースト(幽霊)なりの信義やと。

ただ、それは生活のためにするという程度のもので、それに打ち込むとか熱中するということではなかったと言うがな。

言えば、その頃のハカセは、悶々とした生活を送っていたことになるわけや。

そんなときに、程度の悪い拡張員が度々訪れることがあった。

追い返すのは簡単やったが、良く仕事の邪魔をされていたというのもあって、当然のようにええ印象は持ってなかった。

それには、近所の評判が悪かったというのも、少なからず影響していた。

あるとき、その拡張員のことをネットで調べて、その実態を改めて知ることになったという。

そこには想像した以上のことが書かれていた。

何と悪辣な者たちかと。

ハカセは、何とかせんとあかんと考えるようになった。

ただ追い返すだけやなく、奴らに何か打撃を与えて、少なくとも、この界隈には寄りつかんようにしたい。

悪辣な拡張員に我が物顔で、自分たちの住む町を蹂躙(じゅうりん)させるわけにはいかんと。

そう考えていた矢先に、カワダがやってきた。

カワダも最初から喧嘩腰やというのはすぐ分かった。

応戦するしかない。

ハカセは、最初から警察沙汰にするつもりやった。

そうすれば、少なからず問題となり、この近辺では、拡張員たちも迂闊なことはできんやろうと踏んだ。

しかし、その予想に反して、仲間の拡張員がその喧嘩相手を連れて行ってしまった。

それが、ワシやった。

結局、カワダは行方をくらまし、二度とハカセの前に現れることはなかった。

それから2か月後。

偶然にも、図書館でハカセとワシは再び出会った。

そこで話し合っているうちに、ハカセが急に発作を起こし病院に搬送され入院する事態になった。

ワシらの付き合いは、そこから始まった。

お互い惹かれるものがあった。

普通の人間にはない何かがある。

ワシにとっても、ハカセにとっても、お互いの存在は過去の誰とも合致しない。

まさに特別な存在やと言えた。

結果的に、その出会いが、その後のお互いの人生を大きく変えることになる。

特にハカセは、あれほど拡張員憎しで凝り固まっていたのが、今ではまるでウソのようやと言う。

何か憑きもののようなものが落ちたと。

サイトのQ&Aに、『NO.573 物事へのとらえかたが急に変わるものでしょうか』(注3.巻末参考ページ参照)というのがある。

その相談者から、


初めてこのHPを見た2年程前に疑問に感じたことがあり、ハカセさんに聞きたいのですが、大嫌いだった新聞拡張員に対し偶然ゲンさんとの出会いがあっただけで物事へのとらえかたが急に変わっていくものなのだろうか? ということです。


という質問があった。

これに対し、ハカセは、


『ハカセさんに聞きたいのですが、 大嫌いだった新聞拡張員に対し偶然ゲンさんとの出会いがあっただけで物事へのとらえかたが急に変わっていくものなのだろうか? ということです』についてですが、私の場合はそうでしたね。

中略。

その人間性に触れていくうちに、つまらない偏見に囚われていた自分自身を恥じるようになりました。

正直、こんなすごい人もいるのかと思いました。

私は、ゲンさんが拡張員だから付き合っているわけではありません。

たまたま、そのとき拡張員をされていたというだけのことです。

おそらく、そのゲンさんとの出会いがなければ、今も私は、その偏見に囚われたままだったかも知れません。


と、答えていた。

人は、一つの出会いにより劇的に変わるということがあるというのは事実やと思う。

これは、すべての偉人の伝記などにも書かれていることで、ある人物と関わったことにより道が開けた、人生が大きく変わったというのは枚挙に暇がないほど多い。

ただ、すべての人にそういう出会いがあるかどうかというのは、その人に与えられた運もあるやろうから、絶対にそれがあるとまでは言えんがな。

ワシらにしても、歳も50をすぎて人生も後半に差しかかってからの出会いやったわけや。

おそらく、ハカセ以外では、こんな出会いは望めてなかったと思う。

また、人にその出会いがあったとしても、それと気づかずにいれば、何の意味もないことやしな。

その出会いがあり、それと気づけばラッキーやし、それがないと感じる人生は不幸でしかないやろうと思う。

退院後、ハカセはワシの客になった。

ワシは、当然の事として、ハカセとの関わり合いなど、販売店の店主であるハヤシには話してなかった

せやから、ハカセから契約が取れたということで、「良くあの白塚から契約が取れたな」と、しきりにハヤシが感心しとったさかいな。

その後、暇なときにハカセの家に遊びに行くようになった。

その頃には、拡張員と客としてやなく、友人としてやった。

ハカセは、ワシの話を面白がって熱心に聞いていた。

あるとき、ワシが「こんな拡張の話ばっかり聞いてどうすんのや」聞くと、パソコンを指さして「ゲンさんの話は面白いからインターネットで公開しようと思うんだけど構わないかな」と言う。

「別にええけど」

正直、ワシはインターネットというのは聞いたことはあるが、どんなものかまでは知らんかった。

興味もなかったさかいな。

ただ、それでワシの話が日本中に流されるということらしいことは分かった。

ワシは喜んだ。

拡張員に対する世間の認識まで変えようとは思わんが、言いたいことを言えるというのはええことやと考えた。

ワシは、拡張員人生で培ったノウハウと情報を徹底的にハカセに話すことにした。

ただ、それでも最初は大して誰も見ることもないやろうと思うてた。

こんな拡張話が世間に受けるとは到底、考えられんかったさかいな。

例え、見る者がいたとしてもタカが知れてると。

それが、いざスタートするとその予想が大きく覆された。

あれよあれよといううちに、業界内でも有名になって話題にもなった。

サイトを開設した半年後の2005年1月、旧メルマガで『第24回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんを探せPart 1』(注4.巻末参考ページ参照)という話をしたほどやさかいな。

理由はいろいろやと思う。

他にこの手のサイトがなかったということ。ハカセの書く文章が面白いということ。情報量が豊富やということ。ヤフーなどの大手ポータルサイトで取り上げられたこと等々。

そして、何より長く続けとるということも大きい要素やと思う。

「継続は力なりと言います。頑張って続けてください」

開設当初、そう応援してくれた、他サイトの管理人の方もおられた。

そして、現在は、一般読者や多くの業界の人たちに支えられ、このサイトは存在しとる。

今や、ワシらにとってもなくてはならんライフワークになった。

特にハカセには、やっと打ち込めるものを見つけられたという思いが強い。

ただ、そのキッカケのすべては、そのハヤシ販売店があったからこそやと言える。

店主のハヤシには、いろいろ噂もあって人間的には、けっしてほめられた男やなかったけど、昔かたぎの販売店経営者やったというのは確かや。

部数を伸ばすためには手段を選ばんという人間やったさかいな。

もっとも、それはハヤシなりの一途な思いからやという気はする。

それがええか、どうかは別にしてな。

その販売店が閉鎖された。

ハカセもワシも、その詳しい経緯は知らん。

ただ、その創業が30年に及ぶという話を聞けば、「無情」と言うしか言葉が浮かんでこん。

この業界の厳しい現実を突きつけられた思いがする。

ハカセは、看板をすべて取り払った、その廃屋の前に立ち、うっそうと茂った雑草に埋もれ、壊れて錆びつき放置されたままのバイクを見て、何とも言えん感慨に囚われたと言う。

兵(つわもの)どもの夢の跡……。

ハカセは、静かに一礼して、その場を立ち去った。



参考ページ

注1.新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集 第2話 男の出会い
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage8-2.html

注2.第191回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■届いた『ねんきん特別便
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-191.html

注3.NO.573 物事へのとらえかたが急に変わるものでしょうか
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage10-573.html

注4.第24回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんを探せPart 1
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-24.html


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