メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第56回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2009.7. 4
■マイナーワーカー同盟座談会 その4 変革すべきとき
「おめでとう!!」
「乾杯!!」
「ありがとうございます」
カポネ特製のノンアルコール・カクテル、バージン・マリーを片手にハカセが満面の笑みを浮かべながら、仲間内だけのささやかなパーティーの席上で、その祝福に答える。
場所は例によって「カポネ」の店。
メンバーは、ワシ、ハカセ、テツ、そしてカポネといつもの変わり映えのせん、お馴染みの「マイナーワーカー同盟」の面々や。
7月3日。
思い起こせば5年前の、この日、ホームページ『新聞拡張員ゲンさんの嘆き』が産声を上げた。人知れず、ひっそりと。
開設5周年。そして、先日の7月1日には、ついに100万アクセス突破となった。
これが多いか少ないかは、それぞれで意見の分かれるところやろうとは思うが、ワシらにとっては十分すぎるほど多い数字やと思う。
当初、ハカセからの協力要請を気軽に受けたワシも、まさかここまでのビッグ・サイトになるとは考えてもなかった。
拡張員という胡散臭(うさんくさ)いマイナーなサイトなど誰も見る者はおらんやろうと思うてたさかいな。
それが、予想に反して、今やこの業界で知らん者の方が少ないやろうとまで言われるくらいのサイトになった。
もっとも、それは単にラッキーとか運が良かったというだけやない。
それなりの裏付けと理由がある。
ハカセの書く面白い内容と文章もそうやが、それ以上に、このサイトを支え、協力、励まして頂いた数多くの一般読者、業界関係者の方々の支援、応援があったからこそやと思う。
「本当に有り難いことです。感謝しています」
ハカセは感無量といった面持ちで、何度もその言葉を繰り返していた。
ただ、がむしゃらに突っ走ってきた。何かを計画立ててやったということもない。成り行き任せやった。
そうハカセは振り返る。
その成り行き任せに気がつけば、サイトの文書量はとんでもない多さに膨れあがっていた。
現在、このサイトはファイル数にして、およそ1300ほどもあり、その1ファイル分の文書量は平均して、40字×40行で7ページほどになる。
Q&Aで1回答あたりの平均で4000字前後、メルマガに至っては1回分15000字を超えるという。
それらすべてを300ページ程度の単行本に単純換算すると約60冊分に相当する文書量に匹敵する。
ごくまれに、「すべて読破しました」と言われる方がおられるが、一体、どのくらいの日数、時間を費やして頂いたのやろうかと考えると本当に頭の下がる思いがする。
こう言うては何やけど、やってるワシやハカセにしても、そんな無謀なことに挑戦しようとは思わんさかいな。
言いっぱなし、書きっぱなしというと語弊があるが、正直に言えばそんな感じに近い。
ハカセも原稿をアップするまでは多少の推敲はするが、それ以降はよほどのことでもない限り見直すことはないという。
見直せば、どうしても手直ししたくなるのやと言う。文章としての完成度が低くすぎると。気に入らない表現が目立つと。
それをしだすとキリがない。
前に進めんから、よほどのことでもない限り過去のものは見ないようにしとるということや。
ワシはと言うと、恥ずかしながら、どこで何を言うたか、はっきりとは覚えとらんのが実状や。
何かの拍子に昔のものを読むことがあり、そのとき、ハカセに「ワシほんまにこんなことを言うたんか」と尋ねるほどやさかいな。
「だと思いますよ」
「そうか、ええこと言うなあ、えらいやっちゃな」と、とても自分が言うたとは思えんほど感心するものがある。
笑い話みたいな話やけど、そんなのが幾つも点在しとる。
せやから、たまにQ&Aで、過去にワシが言うたという言葉に対して質問、あるいは反論してくる人がいとるのやが、どこのページのどの発言かというのが示されてない場合、それに辿りつくことさえできんケースもある。
無責任な話やけど、それくらい文書量が多いということになるわけや。
もっとも、ワシらは、どこやらの総理大臣とは違うて言うてる事にブレたりはしてないつもりやから、何を質問されてもそれほど狼狽(うろた)えることはないがな。
例え、どこで言うた事かは忘れていても、新たに話す事が以前の発言と大きく食い違うというのはないはずやと思うとるさかいな。
5年で単行本約60冊分ということは、単純に計算して300ページ程度の単行本を毎月1冊ずつ書き上げたことになる。
まあ、これは週一のメルマガが月に4回から5回分、月平均12、3程度のQ&Aの回答を合わせただけでも、そのくらいの文書量になるというのは分かって貰えるとは思うがな。
加えて、サイトには掲載していない、またできない内容が含まれている読者とのメールのやりとりも日々相当数ある。
それをハカセは、自身の仕事である執筆活動の合間を縫ってやっとるわけや。
「ただ、がむしゃらに突っ走ってきた」というのも頷(うなづ)ける。というか、それでなかったら、やってられんかったやろうと思う。
「参考までに聞きたいねんけど、ハカセ、あんた1日、どのくらい書いとるんや」
いつやったか、そんな単純で素朴な質問をハカセにぶつけてみたことがある。
「そうですね。推敲で削除する分を別にすれば、40字×40行を1ページとして、平均すると1日40ページくらいですかね。もっとも、私の場合、読みやすさを考えて空行が多いので、字数にして25000字といったところですか」
ハカセは、涼しい顔でそう言い放った。
そのとき、ワシは言葉が出んかったのを覚えとる。とても人間業やとは思えんと。
しかし、「物を書いている人間は、この程度は当たり前ですよ。私なんかより凄い人は吐いて棄てるほどいてる世界ですからね」とハカセは言う。
「それに、書くことに馴れている人間にとって、書くこと自体はそれほど苦にはならないもんなんですよ。問題は、その書く事のできる題材がどれだけあるかということだと思うんです」とも言う。
その点、ハカセは恵まれているのやと。
多くの業界関係者や一般読者から常にその題材が提供されてくる。むしろ、書く事が多すぎて困るくらいやと。
物書きにとって、こんな贅沢で幸せな話はないと言う。
普通は、その題材に苦慮して行き詰まる者が大半やという。俗に言う、アイデアの枯渇というやつや。
当然やが、文章が多く書ければええと言うもんでもない。いくら書いても、それを人に読んで貰えんと話にならんわけやさかいな。
量よりも質の問題やが、その質の方も、その多くの題材の中から選別してこれはと思えるものばかりを書いているためか、申し分ないということになる。
その100万アクセスという結果は、多くの人にそれが面白いと思って読んで頂いた何よりの証やと思う。
もっとも、中には訳も分からず迷い込んだだけの人もいとるやろうがな。
そして、ハカセは、これからも同じことを続けていくつもりやという。その書くべきことがなくならん限りはと。
まあ、それは今の状態ではあり得んと思うから、「命の続く限り」続けると。
そうハカセは誓いを新たにした。
「そろそろ、本題に入りましょうか」と、ハカセ。
たまには、こういう内輪話もしとかなあかんというのは分かっていても、どうもハカセはそういうのは苦手なようや。
もともと、書く事以外で、その存在をアピールするのがヘタな男やさかいな。
まあ、本人の希望もあるので、今回はこの辺で切り上げとくがな。
今日の議題は、「業界関係者が、できる事、するべき事」についてや。
前回、前々回の『マイナーワーカー同盟座談会』(注1.巻末参考ページ参照)では、押し紙の実態について触れた。
また、前回の『第55回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■週刊新潮の押し紙特集記事について』(注2.巻末参考ページ参照)では、それに加えて、販売店側の積み紙の不正についても言及した。
押し紙に苦しめられ廃業を余儀なくされた販売店のケースも希なら、積み紙の不正がもとで経営難に陥った販売店も少ないのやないかというのが、ワシらの結論やった。
いずれの場合も両極端なものは、あまりないと。
その記事を取り上げた週刊誌には、それがすべてでもあるかのように錯覚させるセンセーショナルな内容になっとるがな。
まあ、それが週刊誌特有の報道手法と言うてしまえば、それまでやけどな。
針小棒大というのは言いすぎかも知れんが、それがないと面白味に欠け読者を引きつけられんというのも、物書きの端くれとして、ハカセも分かると言うしな。
特に週刊誌の報道は、その過激な発言で物議を醸すことを是とする姿勢も窺われるからよけいや。
事ほど、さように書くという事、それを売るというのは苦労の多い仕事ということになる。
その記事を見て、どういう印象を持たれるかは、読者それぞれの判断に委ねるしかない。
ワシらは他者を批判するつもりはないから、それに対して、ええとも悪いとも言う気もないしな。
ただ、ワシらはこの業界の専門家として、一般の人に正確な情報を知らせたいと思うだけのことや。
ワシらは、新聞社に対しても週刊誌についても、何の利害関係もないから持ち上げることもなければ腐すこともせん。
言えば「しがらみ」の一切ない存在やから、好きな事が言える立場でもある。
それ故に、一方的に偏った見方だけはしてない、そのつもりがないと言い切れる。
その週刊誌の記事の内容がウソとは言わん。おそらくは事実やとワシらも思う。
ただ、それだけがすべてやないというのだけは、声を大にして言うておきたいということや。
それらは、単なる幾つかのケースにすぎんものやと。
何でそんなことが言い切れるか。
簡単なことや。
本当に、その週刊誌にあった内容が業界のすべてやとしたら、全国の新聞販売店自体が今頃、存続しとるはずはないからな。
普通に考えて、そんな悲惨な状態で新聞販売店の経営が続けられるわけはない。
実際、それを訴える販売店のほとんどは廃業を余儀なくされておられることでもあるしな。
まがりなりにも、日々、数千万という多くの家庭に新聞が宅配されとるのは間違いのない事実やから、その一事をもってしても、それらが希なケースやと証明できると思う。
これが、多くの販売店が押し紙の負担に耐えかねてつぶれることにより、契約している新聞が一般購読者に配達されんという事態にでもなっていたとしたら、その週刊誌にあるような本当に深刻な状態やと言えるやろうがな。
もし、そういう事態にでもなれば、間違いなくサイトのQ&Aにその情報なり、相談なりが送られてくるはずや。
例え、それが数軒の事であったとしてもな。
事、新聞販売の最先端、末端での出来事、情報は、読者、業界関係者のいずれからも真っ先に寄せられてくるのがワシらのサイトやと確信しとる。
今や、ワシらのサイトは間違いなくそういう存在やと思う。自惚(うぬぼ)れではなくな。
ただ、以前にも言うたが、そういうケースが少ないから押し紙や積み紙があっても仕方ないと言うてるわけやない。
そのケースの多寡に限らず、押し紙や積み紙に起因するそういった悲惨な事実があるのもまた確かやさかいな。
押し紙や積み紙などという無意味な新聞はなくなった方がええという気持ちには変わりがない。あってはならんことやと。
それに、このままの状態を放置すれば、その希なケースが希でなくなる危惧も生じるわけやしな。
過去においてワシらは『第170回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞社への苦言 Part1 ネット記事について』、『第8回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■MDN醜聞の波紋』、『第11回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞とインターネットの関わり方について』、『第38回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞社の不祥事が引き起こす影響について』(注2.巻末参考ページ参照)など、直接的な表現で新聞社に対して苦言を幾つかしてきた。
「もっとも、その悉(ことごと)くが無視された格好になっとるがな」とワシ。
ワシらのようなサイトの発言などアホらしくて聞く気にもなれんのかも知れんが、ワシらは何も新聞社の批判ばかりをしとるわけやない。
その中には、数多くの建設的な提案もあるはずやと自負もしとる。
ハカセはともかく、少なくともワシは業界の人間やし、新聞社に良うなって貰わんと困る立場の人間やから、よけいそのを気持ちを込めて言うてることでもあるさかいな。
しかし、結果は今もって、ただの遠吠えにしかなっていないのが実状や。
「新聞社の人たちは、本当にゲンさんたちのホームページは見てないのですか」と、カポネ。
「いや、非公式やが、ある新聞社の上層部の中には見ている人もいとると知らせてくれることもある。少なくとも、販売部の人は見ているケースが多いという話や」
「その意見は何か?」
「ああ、ある販売店の会合の場に来ていたというその新聞社の販売局の人間が『えらいサイトができたな。しかし、言うてることは的を射たものばかりやから表立って反論はできんけどな』と言うてたらしい」
「それでは、認めているということではないですか?」と、カポネ。
「それでも、彼らからの具体的な接触は何もありませんけどね」と、ハカセ。
聞く耳のない者、また無視しようとする者に、振り向かせようと思えば、根気よく訴え続けるしかないわけやが、ただ、それだけではどうしようもないのは確かや。
声や意見は届いてこそ、その価値と意味があるわけやしな。
耳に蓋をし、口を閉ざされたら、ワシらに術はない。目で見ていても何を考えとるのか分からんかったら、それも意味がない。
その点、業界関係者の方々は違う。
すぐに賛否両論、何らかの反応を見せて頂けるし、呼びかけにも応じてくれる人たちが多いさかいな。
確かに、トップが変わらな下も変わらんというのが社会の構造原理としてあるが、下が変われば、上が変わるというのも、逆説的やがあり得ることやと思う。
この場合、上というのは新聞社で、下というのは販売店であり、拡張団ということになる。
新聞社にいくら言っても変わらんのであれば、変えざるを得ないように仕向けるしかない。
それが可能なのは、販売店であり、拡張団やと思う。
まず、押し紙の構造やが、これは新聞社や地域の販売店の事情によって、かなり違うてくる。
同じ新聞社系列の販売店であっても、ある販売店にはその負担が重くのしかかり、別の販売店には、ほとんどないということも現実にあるさかいな。
負担が重くのしかかるところでは、週刊誌の記事にあるようなことが実際に行われてとると思う。
ここ3年の間に新聞販売店は、22000店舗から20000店舗にまで減少し、ここ1年に限って言えば、1000店舗以上も減少しとるという数字がある。
もっとも、それには新聞販売店の大型化が進み、吸収されつつあるという側面もあるが、やはり急激な読者減とその押し紙、積み紙による経営の悪化の二つが最も大きな要因やろうと思う。
もちろん、販売店の経営者にもお粗末な人間もいて自業自得と言える者も少なくはないがな。
ただ、いずれにしても、過去にないほどの勢いで新聞販売店が減少しているのだけは確かやと言える。
その押し紙、積み紙による経営の悪化に悩まされている、あるいは将来的にその危惧があるという販売店も、相当数あるものと思う。
それに輪をかけ、購読者の減少、折り込みチラシの減少が重なったのでは先の展望に希望が持てんというのも良う分かる。
このままやと、いずれ座して死を待つばかりやと考えておられる販売店もあるはずや。
実際、そう嘆く方も多いしな。
今回は、その方々に対して言う。
何も座して死を待つ必要はないと。
「つまり、直談判をしろと言うことですか?」と、カポネ。
「ああ、早い話がそうや」
新聞社も本音のところでは、販売店につぶれてもらっては困るわけや。
当たり前や。そんな事態にでもなったら、新聞の販売網が根幹から揺らぐさかいな。
「もっとも、せやからと言うて、闇雲にそうしても難しいがな」
ただ、彼ら新聞社はその一方で、新聞販売店の経営者などいくらでも募集すれば集まると思うとるというのも確かや。
直談判の度がすぎれば、そんな販売店は切ってしまえということにもなかねん。
事実、その考えのもとで、その新たな経営者の募集をすべての新聞社がしとるとも言えるわけやさかいな。
昔からこの業界には「使い捨て」という悪しき考え方が、はびっこってきたのは紛れもない事実としてある。
これは新聞社もそうやし、販売店も従業員に対してそう考える所もあるし、拡張団に至っては平気でそう広言して憚(はば)からんトップさえおる。
「それやったら、ワシらの業界と、あまり変わり映えせんな」と、それまで黙って聞いていたテツが、ポツリとそう漏らした。
古紙回収業者の組織でもそういういうケースは多いという。
その中でも最下層の「ちりこ」と呼ばれ虐げられとる、ちり紙交換員の連中がそうやという。
テツは、その中で必死に働いて這い上がってきたが、それができずに挫折していった多くの仲間を見続けてきたと話す。
それには、ちり紙交換員は募集すればいくらでも集まるとしいうことがあるからやと。
つまり、行き場を失った人間など世の中には吐いて棄てるほどいとるから、あかん奴はさっさと切って、補充したらええという、典型的な「使い捨て」の考え方がそこにあるのやと。
そんな「使い捨て」対しては「冗談やないで」と声を上げなあかん。それが正論や。
但し、その声は単独では意味はないがな。
件(くだん)の週刊誌の記事の中に、ある販売店の店主が新聞社に「押し紙をなくしてくれ」と直談判したが聞き入れて貰えなかったという話があった。
そう。単独やとその声は握りつぶされ抹殺されやすい。
これは、新聞業界、古紙回収業界に限らず、世の中すべての組織、仕組みについても言えることやないかと思う。
個人が組織に楯突くのは、所詮「蟷螂(とうろう)の斧」にしかならんさかいな。
経営者にとっても、そんな程度のものは、まさに虫に刺されたくらいにしか感じんやろうしな。
その声を発するのなら、その仲間と結束してそうするしかない。
その地域で、すべての販売店が押し紙に苦しめられ、その経営が圧迫されとるのなら、それほど大した問題もなく、その声を結集しやすい。
実際、本当にそういう事態なら、みんなで新聞社に押しかけてでも、それを止めさせていた公算は大きかったと思う。
いくら新聞社が力が強いと言うても、結束した販売店の意向を無視することはできんさかいな。
2001年11月7日、東京本社のS紙が夕刊の廃止を打ち出した。
今では全国的にもS紙には夕刊はないと思われとるが、大阪本社では未だにその夕刊が存在し、他の全国紙と同じように朝夕セット版というのがある。
これには、大阪の販売店が、それをやられると経営が成り立たんということで決起した結果、新聞社側が折れてそうなったという経緯があるわけや。
つまり、本当に危機感を感じて、そういう行動を起こせば、新聞社の考えを変えさせることができるという何よりの証明やと思う。
それが、事、この押し紙については、そこまでの危機意識がないということなのか、まだその域にまでは至ってないということになるのやと思う。
もっとも、それには各販売店毎の事情がそうさせるというのもあるやろうがな。
ただ、何か事があった場合、この結束するというのは有効な抗議手段やさかい、考えに入れとして損はないと思う。
立場の強い者、強大な組織に立ち向かうには、その弱い立場の人間たちが力を合わせ立ち向かうしかないということをな。
多くの権利は、そうして獲得してきたものが多い。
余談やが、この業界で働く人間には、保険も入れない、有給休暇すら貰えないというケースも珍しいことやない。というか、半ばそれが当たり前という風潮すらある。
確かに、法律ではその権利を有するとはあるが、実際にそれを獲得するには、そこの労働者が立ち上がるしかない。
法律は、その訴えを聞き届けてはくれるが、実際の救いにはなりにくいというのが実状やと思う。
一人だけでそれを主張しても、結局は辞めるしかないということにしかならんさかいな。
これが、集団で立ち上がれば違う。
皆がそれを要求して、配達拒否というストでも起こせば、販売店の店主はそれを聞き届けるしかないさかいな。
「そんなことをメルマガで言って煽ったら、反発があるのと違いますか?」と、カポネが心配げにそう言う。
「あるやろうな。しかし、多くの労働者はそうして権利を獲得してきたわけや」
むしろ、それが今までなかった新聞業界の方が異例とも言える。
もちろん、新聞販売業界の事情を熟知しとるワシにしたら、そうすることが、いかに難しいかというのは百も承知やけどな。
新聞販売店、配達員の第一義は、その日、いかにしてその新聞を配達するかということやさかいな。
台風がこようと大雪が降ろうと、大地震が起きてでさえ、その配達を止めるという発想のないところやさかいな。
例え、それで命を落とそうともや。実際に、毎年のようにそういう方たちの報道がある。
それでも、その環境を変えたいのやったら、敢えてそうするべきやと言うしかない。
黙っていても誰も手を差し延べてはくれんと。
それができないのやったら、その環境を受け入れ耐えるしかない。
そして、それは新聞販売店が、新聞社に対するにも同じことが言えるわけや。
早い話、販売店が結束して、要求が通らんかったら「新聞の配達はせんで」とストの宣言でもしたら、それでも強行に新聞社が我を通すとも思えんしな。
たいていの事には折れるはずや。
はっきり言うが、新聞業界は外からの圧力では絶対に変わることはない。
その対抗手段なら長い歴史の中で培ってきとるさかいな。生半可な相手やない。
おそらくは、世界で一番強固で難攻不落と言える組織に間違いないと思うさかいな。
言えば、押し紙に限らず、外部からこの業界の不正、不当性を正そうと思えば、それを覚悟した上でかからなあかんわけや。
しかし、内部からやと違う。
過去の歴史を振り返るまでもなく、どんなに強大な帝国を築いていようと、それが崩壊するときは必ず内部から、その崩壊が始まると相場が決まっとるさかいな。
極論すれば、新聞業界を変えることができるのは新聞販売店の店主たちで、その販売店を変えることができるのは、そこの従業員たちということになる。
「もちろん、それが難しいのは百も承知や」と、ワシ。
「でも、前回、積み紙はその販売店店主の責任に負うところが大きいいう話でしたが、それはどうなります?」と、カポネ。
「当然ですが、押し紙を止めさせるということは、販売店自ら積み紙も禁止にしなければなりません」と、ハカセが助け船を出す。
「具体的には、押し紙を止めさせるには、積み紙を含めたすべての余剰新聞を業界の御法度にする必要があるでしょう」と、ハカセ。
現在、新聞社がしているという「必要以上の発行部数は注文しない」との誓約書の提出だけやなく、具体的な罰則規定を設けて実行することがベストやと。
そうすれば、必然的に押し紙も積み紙もなくなるはずや。
ついでに言えば、今まで誰も言及してなかった「背負い紙」(注3.巻末参考ページ参照)もなくなるはずや。
新聞社から販売店に押し紙があるように、販売店からそこの従業員に「背負い紙」というのがあるのも、一部にせよ事実として存在するのは確かや。
世の中の負担は上から下へと流れる仕組みがあるさかいな。最後には、一番最下層の人間が苦しめられることになる。
「今の状況では確かに難しいやろうが、ものの20年ほど前には、そういうものはほとんど存在せんかったわけや。あったとしても少なかった」
理屈とすれば、その時代に戻せばええとなるわけや。
「せやけど、新聞社は、その押し紙は認めてないんやろ? 普通に考えて、認めてないものを変えるとは考えられんがな」と、テツ。
「そのとおりや。外からの圧力なら、必ずそう言うて抵抗するわな」
そうなると、その決着は、まず無理やろうと思う。
普通の企業やったら、そういった不正が明るみに出れば、新聞、テレビといった報道機関が叩くから比較的、それを認めやすい。その事例も多い。
しかし、新聞の場合は、その事実そのものが、報道されず抹殺される可能性が高いさかい、どこまで明るみに出て社会的に叩かれるかは甚だ疑問やと言うしかない。
ヘタしたら、それを叩いた週刊誌側が、逆に叩かれるということも起きるかも知れん。
良くて泥仕合に発展するだけやと思う。
その泥仕合にしても、一般読者にとっては不利益が直接、被る事がないとなれば、よけいその争点が見えにくいということになる。
終わりのない不毛な戦いが延々と続くだけのことやと。
「それが内部からやと違うてくるということや」と。ワシ。
当然やが、販売店相手に「押し紙は存在しない」という論法は通用せんし、そんなアホなことを言う新聞社の人間もまずおらんわな。
「もっとも、ワシらは、そういう方法があると言うだけで、無理にそうしろと煽るつもりはないがな」
それが、ワシらのサイトの姿勢でもあるしな。あくまでも、どうするかは、個別に判断するべきやと。
ただ、あまり、頑(かたくな)な姿勢を新聞社が取り続けるのは、新聞社自身にとっても得策とは思えんがな。
言えば、押し紙問題は、新聞社にとってもアキレス腱なわけやから、それを一掃してしまえば、新聞社を攻撃する側もその矛先が鈍るのやないかと考えるがな。
一時的には、そうすることでかなりの打撃になるとは思う。
実質的な部数を発表すれば激減という事態にもなるわけやから、新聞社が思い描く広告収入は激減するやろうしな。
しかし、何でも物は考えようや。
そうすることで、本当の意味での新聞社の公明正大さをアピールできるはずや。
目先の利益に汲々として、どんどん深みに嵌る現況と比べれば、その方がはるかにマシやと思える。
自らを律する者は必ず人から支持される。その支持はやがて大きな利益として返ってくるはずやと信じる。
それに何より、新聞社は、過去において部数も広告収入さえも乏しい中で頑張って言論を支えてきたという紛れもない実績もあるわけや。
昔の人間にできて、今の人間にできんという理由は何もないと思うがな。
それができるうちに自らの判断でそうすべきで、大袈裟やなく、今がそのラストチャンスやと考える。
変革のときをすぎれば、その再生すらおぼんつかんようになるという事に気づいてほしい。
「まあ、それをいくら言うたところで、おそらくは新聞社に届くことはないのかも知れんがな」
その虚しさがある。
「そうかも知れませんが、そうなると、せめて私たちだけでも信じて見守っていきましょう」
そう言いながら、ハカセは、カポネ特製のノンアルコール・カクテル、バージン・マリーと呼ばれる氷の入ったトマトジュースを一気に飲み干した。
参考ページ
注1.第41回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■マイナーワーカー同盟座談会 その2 新聞の闇と戦う人々
第42回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■マイナーワーカー同盟座談会 その3 新聞の進むべき道について
注2.第55回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■週刊新潮の押し紙特集記事について
注3.第170回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞社への苦言 Part1 ネット記事について
第8回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■MDN醜聞の波紋
第11回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞とインターネットの関わり方について
第38回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞社の不祥事が引き起こす影響について
注3.第165回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■背負(しょ)い紙……その哀しき実態
感想 大変参考になりました
投稿者 H.Sさん 新聞販売店専業員 東京在住 投稿日時 2009.7.12 AM 6:12
メルマガのマイナーワーカー同盟の話は、大変参考になりました。
確かに業界正常化には、それしか手がないのかも知れませんね。
しかしそうなるのは、まだ先の話ですね。
いまだに利益を上げてる販売店もかなりあるでしょうから、変革を望む販売店所長より、まだこのままの方がいいと思える販売店所長の方が、人数は多いのではないかと思いますので。
巨大な組織は、システムの末端に従事する圧倒的多数の人間に支えられているものですが、それが変革を望む時は、現状に我慢出来なくなった時であります。
そう思うと、現状の戸別配達による、世界的に見ても異常なくらいの普及率と高コスト。
これが将来的に、諸外国並になるのかも知れませんね。
そうなれば、戸別配達こそ今みたいに早朝のポストに新聞が入らなくなるかも知れませんが、百円で駅の販売店で、新聞とコーヒーが購入出来る、そんな時代が来るような気がします。
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