メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第57回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2009.7.10
■『ヤンキー、弁護士になる』から学ぶ、真の強さとは
ハカセ宛てに一冊の文庫本が送られてきた。
最近になって、こういうケースが増えとるという。
多くは新聞に関連した書籍やが、この本の送り主のようにメールのやり取りから意気投合してというケースもある。
念のため、送り主はその著者やない。その関係者とだけ言うとく。
題名『ヤンキー、弁護士になる』。著者、金崎浩之(かねざきひろゆき)。(注1.巻末参考ページ参照)
「ゲンさん、時間のあるときにでも読んで貰えますか」と、7月3日の飲み会、つまり前回の『マイナーワーカー同盟座談会』が終わった後、ハカセからそう言われて、その本を渡された。
面白いからとか、感動したからという類の感想は一切何もない。
ハカセとはそういう男で、いつも、何の予備知識もなく、その意見を求めてくることが多い。
いきなり「これについて、どう思いますか」と。
ハカセ曰く、「私が何かを言えば、どうしても先入観が入ってしまうでしょ?」というのが、その理由やと言う。
もっとも、何の意味もなく本を渡して読んでくれと言うような男でもないがな。
やっこさんなりの思うところがあってのことやというのは良う分かるから、ワシも何も言わず黙ってそれを受け取った。
著者の金崎浩之氏というのは、ワシも知っていた。
ワシは、毎朝、スーパーモーニングというニュース番組が好きで仕事に行く前に見ることが多い。
確か、2年ほど前の一時(いっとき)、氏はそのスーパーモーニングのコメンテーターとして出演していたことがあったはずや。
若い頃、暴走族をやっていて弁護士になったという異色の存在やったと記憶しとる。
もっとも、そのテレビ画面から受ける印象では、ごく普通の常識的な人物やったがな。
まあ、若い頃、やんちゃをしていて、現在はまともな社会人になったというのはそれほど珍しいとは思うてなかったから、そういうケースがあったと聞かされても「ああ、そうなんや」という程度の感慨しかなかったがな。
せやから、渡されたその本にしても、世間にありがちな苦労話かなという風にしか思うてなかった。
しかし、読み進めるうちにハカセの意図が分かったような気がした。
おそらく、ハカセも最初は、それを渡された人への義理のようなもので読み始めたのやと思う。
読んで、何らかの感想を話せば、それでええやろうと。
しかし、それだけではあかんと感じた。ワシに本を読んでくれと言うたのは、そういうことやないのかと思う。
いつやったか、「小説を書くというのは、自分自身を素っ裸にして人に見せることなんです」と、ハカセが言うてた言葉を思い出した。
そのときには、大して、どうとは思わんかったが、この本を読んどるうちに「なるほど、そういうことか」と分かったような気がした。
「人が自信を持って言えるのは真実の話のみです。そして、その真実とは他でもない自分に起きた出来事なわけです。ときとして、それが人の心を揺さぶることがあるのです」と。
どんな人間にも、自らが主人公のドラマが一つだけ存在する。
それが、一般的には恥ずかしい事、隠したい事、人に知られたくない事ほど人に与えるインパクトは強く、面白いと評価される場合が多い。
「極論すれば、それをすべてさらけ出す事のできる者だけが作家と呼ばれるのです」と、ハカセが言うてたことがある。
逆に言えば、それができんと考えるのなら物書きになるは止めといた方がええと。
作家になるためには、文学的な素養だとか知識、難しい言葉や漢字を駆使できる文章力が不可欠かのように考えとる向きが多いようやが、そんなものは大して重要な要件にはならん。
それに秀でることが大作家になる条件なら大学教授や国語学者は皆、一流の作家になっとるはずやが、現実にはそんな人間の方が少ないさかいな。
却って、分かりにくい文章しか書けん者の方が多い。
文学的な素養などは文章を書く上での最低限度の決まり事くらい知っていればええし、本を読むことが好きで苦にならず、それを読んで素直に感動できる感性があれば、それだけで十分な素質はあると言える。
ハカセの師匠でもあった、今は亡きある高名な作家が、そう言うていたという。
その先生の受け売りやと。
この『ヤンキー、弁護士になる』という本は、厳密に言えば小説ではないが、それに近い要素を含んだ自伝のような構成になっている。
単なる物語として読んでも面白い。
筆者は、非行少年に向けてと言うてるが、ワシを含め大人になり切れん「ワルガキ」のためにもなる話やと思う。
そこで語られている筆者の生き様は壮絶であり、ウソ偽りのない正直な思いが込められているのが良く伝わってくる。
この本には語られていないが、それを書き著(あらわ)すことには相当な葛藤があったのやないかと思う。
それが、ワシやハカセには良く分かる。
ワシら拡張員仲間にも、若い頃、やんちゃをしていたとか喧嘩三昧をしていたと得意げに話す者は多い。
その大半は武勇伝としてで、聞くに耐えん自慢話ばかりやけどな。
そんな話なら腐るほど聞いとるが、いくら体験談やと言うても、それをこのメルマガで話す気には到底なれん。
それに、若い頃、やんちゃをしていたとか喧嘩三昧をしていた結果が、拡張員をしているというのでは、人に共感も与えることはできんし、何の教訓にもならん。
それどころか、「やっぱりな」と納得させるだけのことか、笑い話のネタにされるのがオチや。
良くて反面教師としての話になるくらいやが、そんな話もするだけ無駄で何の意味もないさかいな。
それが、この筆者のように結果として弁護士になったというのなら話は違う。
ワシ自身は、その職業で人を判断すべきやないという気持ちは強いが、世間的には、そういう人に対しての評価は高いから、聞く耳を持つ人も多い。
立身出世と言うと、大袈裟でこの筆者は嫌がるかも知れんが、インパクトとしてはそんな感じがある。
それがあるからこそ、それが本となり、それにより影響を受ける、また受けたという人が少なからず、おられるわけや。
それこそが大事で値打ちのある事やと思う。
この本の「まえがき」での書き出しに、
私は教育の専門家ではない。したがって、私には非行少年を更生させるための特効薬のようなノウハウを提供することはできないし、また、その資格もない。
しかし、私自身が暴走族を経て大学に進学し、司法試験を目指して弁護士になったという自らの体験を語ることはできる。
不良少年から弁護士になるまでの軌跡を赤裸々に語ることによって、不良少年を子に持つ世の中の親たちの一助になればという思いで、2004年1月『ヤンキー、弁護士になる』を著(あらわ)した。
と、ある。
『赤裸々に語る』という決意のとおり、この本には見事にそれが表現されている。
しかも、ワシらのような境遇で生きてきた者には、そこに何の飾りも誇張もないというのが良く分かる。
真実のみの迫力があると。本物やと。
ワシらも、自身の過去を時折、このメルマガで話すことがある。
子供のときのことなら、ワシの場合、『第45回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■親父よ、永久に……』、『第176回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■天国からのクリスマスプレゼント』(注2.巻末参考ページ参照)というのがある。
ワシも子供の頃から喧嘩ばかりしてた。と言うても、ワシの場合は親父にけしかけられてのことやから、本人の意志とは関係なく否応なしにやったがな。
ワシの覚えとる親父は、お世辞にも立派な人間というには、ほど遠い男やった。いつも喧嘩ばかりしとったというイメージしかない。
喧嘩と言うても、子供のそれとは違うから時には命がけやったと思う。
まだ子供やったワシの目の前で、刃物を持ったヤクザ者と立ち回りしてたのを何度も見た覚えがある。
そして、そういう時は、ほとんど決まって警察に連れて行かれて説教を食らうてたようやがな。
ただ、そんな親父でも不思議と刑務所に入れられるようなことはなかった。
親父曰く「ヤクザ者と喧嘩をして何が悪いんや」「ワイは悪いことなんかしとらんわい」と言うのがいつもの口癖やった。
そんな親父を普通やと思うて育ってきた所為(せい)か、ワシも近所では喧嘩ばかりするワルガキとして有名やった。
そんな親父やから、勉強の出来、不出来には文句を言うことはなかったが、喧嘩に負けることは小さい頃から許されんかった。
負けて泣かされて帰って来ると外に叩き出され「勝つまで帰えって来んでええ」という具合や。
せやから、ワシも仕方なく、その喧嘩相手の所に何度でも向かって行っとった。家に入れて貰えんのやから、しゃあない。
勝つまでそうするわけやから、結果的に喧嘩での負けはなかった。喧嘩の実力でワシ以上の者は何人もおったけど、ワシと喧嘩になるのは皆、嫌がっとったな。
変な話やけど、ワシは子供の頃に、あきらめんへんかったら最後には必ず勝てるということを知った。
負けるのは、それを認めてあきらめた時やということもな。
親父が意図してそう教えるためにワシに言うてたのやないとは思うが、結果的に、ワシにその考えが培(つちか)われたのは事実や。
そして、その考え方は、大人になってからも何度も役に立ったと思うてる。
その親父が、ワシが11歳の時、交通事故であっけなく死んだ。
四十数年前のその頃にはまだ珍しいオートバイに乗っていて、後ろから走って来た軽トラックに追突された。
それで、転倒して後頭部を打った。ヘルメットは被ってなかった。その当時はまだ、その着用義務もなかったということもあったがな。
軽トラックの運転手はうろたえとったらしいが、親父は自分で起きあがり、オートバイを押しながら病院に行ったという。
そして、その病院の玄関前で力尽きて倒れた。
その死の間際、「ゲン、ええか……、これは事故や。誰も悪気で起こそう思う者はおらん。運ちゃんを……恨んだらあかんで……」と荒い息を吐きながら言うた言葉は今でも忘れられん。
その親父の死後、ワシは祖母と二人きりの貧しい生活を送ることになる。それもあり高校は定時制に通った。
そこでも、同じように喧嘩ばかりしてた。
それには、どこかで親父をヒーローのように思う気持ちがあったからやと考える。ヤクザと喧嘩していた親父が理屈抜きに格好良かったと。
今にして思えば恥ずかしい限りやが、子供の頃はそうやった。
ハカセも子供の頃の話として、『第18回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■長かろうと短かろうと、それが人生』と『第28回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■クリスマスソングが歌いたい』(注3.巻末参考ページ参照)というのがある。
ワシの生い立ちも人によれば、可哀想にとか気の毒にと同情を買うことがあったが、ハカセのは、そのレベルが違うてた。
生まれてすぐ家庭崩壊があり、形の上でも精神的な面でも両方の親から見放されて育ち、唯一の庇護者であった祖父は、ハカセが10歳のときに死に、それ以降は親戚の家にたらい回しされるという生活が続いたという。
それも筆舌に尽くし難いほどの仕打ちを受けて。
もっとも、ワシには親父、ハカセには祖父という心の拠り所があったから、傍から見るほど本人たちは悲惨と感じているわけでもなかったがな。
ワシの過去は、あちこちで言うてるけど、ハカセのはそれくらいしかない。
これについては「ゲンさんは、このホームページの言えばメインキャスターですから、その生い立ちや生き様を多くの人に知らせることで、その言葉の重みや考え方のバックボーンが分かって頂けると思うのです」ということらしい。
例えば、「世の中、ええ事もあれば悪い事もある」という言葉一つにしても、その人間に悪い方の経験がなく言うてるとしたら、説得力が著しく欠けるさかいな。
どこやらの総理大臣が、消費者目線を訴えるつもりで、普段は口にしたこともないようなスーパーの特売品の試食を食うて「これは美味い」と言うてる場面を考えて貰うたら良う分かると思う。
そんな場面を見せつけられて、納得する、あるいは共感する人間がどれだけいとるかということや。
しかも、その夜、その口直しのためやないやろうとは思うが、高級レストランで食事をしとると聞かされれば、一般市民感情としては「ふざけるな」となるだけやさかいな。
事ほどさように、その人間の辿ってきた境遇や経験は、ええ意味でも悪い意味でもその言葉に重みと影響を与えることになるわけや。
ワシの過去を話すのは、その意味では重要なのやと、ハカセは言う。
「その点、私の過去の話など何の役にも立ちませんよ」と。
このメルマガやサイトの語り部は、あくまでもワシで、ハカセはどちらかと言うと黒子になる。
「黒子の過去など、知っても意味がないでしょう?」と。
このメルマガでハカセの過去について話したのは、一つは父親の死に少しばかり感傷的になったのと、もう一つは少年の頃に経験したクリスマスの日の感動を伝えるためにやむなくしたことやったにすぎんと言う。
ただ、そこには「小説を書くというのは、自分自身を素っ裸にして人に見せることなんです」という思いがあったから、つい、深入りしてしまったのやと話す。
話が少し逸(そ)れてしもうたが、この筆者が単に、その子供時代から高校時代までにかけて、喧嘩三昧をしていてヒーローじみた活躍をしていたというだけの話をしていたのなら、ワシらも、それほど興味を惹くことはなかったやろうと思う。
しかし、著者の『赤裸々に語る』と言うとおり、子供の頃から、その得意であるはずの喧嘩に幾度となく負けた自身の姿が克明に描かれている。
これはなかなかできることやない。
誰でもプライドというものがあるし、格好つけたいという気持ちがある。それも、喧嘩しか取り柄がないと考えていたときの話なら尚更やと思う。
できれば、ウソでもええから自分を格好良く見せたいというのが、そういう人間の偽らざる心境やさかいな。
それが、ワシの言う『この本には語られていないが、それを書き著(あらわ)すことには相当な葛藤があったのやないかと思う』ということや。
著者もそれくらい自身を丸裸にできんかったら、その訴えなど誰にも届かんという思いがあったからこそ、そうされたのやと思う。
「物を書くことの本当の難しさは、そこにあるんです」と、ハカセも言う。
一口に自分をさらけ出すと言うても、実際にそれができる人間というのはプロの作家にすら少ないと。
特にワシが「なるほどな」と感じた件(くだり)に、こういうのがある。
筆者が小学6年生のとき、本田というクラスのボス的存在と喧嘩をして完敗を喫したということがあった。
その後、その本田はその喧嘩の世界で頭角を顕(あらわ)していくのやが、高志という転校生にその本田があっさりとやられるということがあった。
しかも、それは殴り合いの喧嘩による勝ち負けやなかった。その勝敗には一切の暴力沙汰は関係していない。
殴り合いの喧嘩なら文句なく本田の勝ちやったと筆者は見ていた。
それにも関わらずなぜ負けたのか。
それは高志が、クラスの仲間の大半を味方につけ、その本田を徹底的に無視させるという戦法を採(と)ったからやった。
要するに、仲間はずれという「いじめ」をしたわけや。
本田は、それにあっさりと白旗を掲げた。高志の勝ちがそれで決まったというものや。
その高志が、次にその狙いを定めたのがナンバー2と目されていた筆者やった。
筆者も望むところやとばかり、その高志のやり方に真っ向から挑む決意をする。
それには、喧嘩で負けた本田を見返せる、一面では自分の方が強いということを証明できるという考えもあったという。
高志たちは、徹底して筆者を無視して空気のように扱った。
筆者は、それを逆手に取った。
昼休みや放課後、クラスの連中が校庭で野球をしていると、何の断りもなくバッターの前を横切ったり、サッカーをやれば、ゴールの前を平然と歩いたりした。
当然のように、高志たちクラスの連中は怒る。
しかし、筆者は「何だ、お前ら、ここにいたのか」と、逆に彼らをあざ笑い挑発する。
それには、「お前らがオレを空気と思うのなら、オレもお前らを空気と考えても文句ないはずだ」という理屈があるからやった。
普段から、素行が悪いという評判の筆者は当然のように、それを問題視され、教師からも呆れられる。
その声が頂点に達した頃を見計らい、学級会において、「なぜ、オレがそんなことばかりをしたのか、それにはきちんとした理由がある。それを先生も聞いてほしい……」と筆者が話し始めた。
すると、クラスの連中は、全員で筆者を無視していることを担任に知られるのを恐れ、「金崎が悪い」と、大ブーイングの嵐やったという。
結局、多勢に無勢でその声はかき消されたが、その後、すぐに高志が「オレたちが悪かった」と、謝りにきた。
筆者の意図が分かったわけや。そして、大変な人間を相手にしたと知ったことやと思う。
これを、小学6年生が考え実行したというのは驚く。
そのやり方が、ええかどうかは別にして、この強さを持ち合わせている者は、大人でも、そうはおらんはずや。
筆者の真の強さが垣間見えたエピソードやと思う。
その後、高校に進学してからも喧嘩はやめず、暴走族のブラックエンペラーという巨大グループに入り、それがエスカレートしていく。
結果、ある高校との大がかりな喧嘩が始まる直前、教師たちにその現場を押さえられ、筆者は無期停学処分になる。
これには、その教師たちが、事前にその騒ぎになるのを承知していながら、わざと筆者たちを泳がせ、そう仕向けるよう画策した結果やったという裏があった。
現行犯としてその場を押さえるために。
その後、度重なる教師たちの嫌がらせに嫌気が差し「先生、オレ、学校やめます」と言うと、何と、その担任は「やっと分かってくれたのか」と、安堵の表情を浮かべたという。
すべての学校がこうやとは思いたくはないが、不純分子は追い出せば事足りると考えとる教師がおるのは、残念ながら事実や。
教育とは、その字が示すとおり「教え育てる」ことやが、今の学校の多くは、何か事があれば、その体面を守ることに汲々としとるところが多い。
その体面を保つためには、その不良分子を退学させるのに限ると。
教育者を名乗る資格のある教師があまりにも少ない。
そう思えてならん。
この著書の「まえがき」部分で、
第一に、少年事件の付添人活動を通じて私が痛感したのは、教育の専門家集団であるはずの学校がまったくその役割を果たしていないという点である。
一介の弁護士に過ぎない私は言うまでもなく教育の素人だが、学校の教師たちも教育の専門家とはとても呼べないというのが実態である。
生徒が事件を起こしたときの学校の対応の多くは、退学処分または自主退学の勧告である。
問題のある生徒を学校から追い出すという決断は、教育の素人にもできる。
そのような安易な処分に逃げ込まずに、いかにして非行少年を更生させるかを考えるのが教育者の仕事であるのに……。
結局、父兄や社会に対する学校の体面が優先されるのが学校の行動原理なのだ。まさに教育不在の世の中である。
と、かなり、辛辣に言うておられるが、筆者の経験もその考えが大きく影響しとるのやと思う。
もちろん、法律上の実務においても感じられておられることやとは思うがな。
その後、筆者は一旦、印刷会社に勤めるようになり、すぐ定時制への編入をすることになった。
ワシも定時制を卒業しとるから、良く分かるが、定時制というのは比較的自由な雰囲気というか空気に支配されとる。
教師もそれほどうるさく言うこともない。どんな格好で行こうが、単車や車を乗り回そうが、それについて文句を言う教師は皆無やった。
それには、大半の生徒が昼間は仕事をしていて、半分は社会人ということもあるやろうと思う。
教師と生徒という関係が、全日制のそれと比べると希薄やと言える。
ただ、働きながら夜、学校に通うというのは口で言うほど簡単なことやない。
しかも、生徒に、それほど向学心に燃えてという人間は皆無やないにしても少なかったからよけいや。
高校くらいは出といた方がええなというのが大半やったさかいな。そんな程度やから、ちょっとしんどいとなれば簡単に挫折する人間が後を絶たんかった。
普通に考えて、昼間は他の職場の人間と同じように8時間労働をする。それから、学校に行って午後9時すぎまで授業を受ける。
それから以降でないと、自分の時間が持てんわけや。十代の遊び盛りの若者には正直きつい時間の拘束やと思う。
入学して3分の1も卒業できれば、その学校は優秀な部類やと評価されとったという現実があるのも、そのためや。
ワシの個人的な経験で言えば、続けられたのは仲間との絆が強かったからやと思う。
仲間に会いたいから、連(つる)みたいから学校へ行くという者が多かったと。
筆者も編入した定時制高校に通い始め、その自由さに面食らったようや。
空いている席に私は座った。閑散としている教室で授業が始まった。遅刻した生徒がポツリポツリと教室に入ってくる。
しかし、ほとんどが居眠りを始める始末だ。それでも、教師はなにごともなかったかのような表情で授業を続ける。
中略。
定時制高校は、勉強するよりもまず出席することが求められるところだというのが、すぐにわかった。教師もその辺のところは十分に理解しているようだった。
授業がそんな状況だから、休み時間にはもっとすごいことが起きた。生徒の中には成人に達している者も少なくないが、ほとんどは未成年なのに、休憩時間は廊下といわず教室といわず、ほとんどの生徒が堂々とタバコを吸っていた。
確かに、その事実があるのは認めるが、定時制高校としての建前は、そういう行為は禁止されとると言うとく。
もっとも、その建前のために停学や退学になった者は皆無やけどな。
筆者にとって、その自由は悪くないはずやったが、いざそういう環境におかれると物足りなくなり、その定時制高校に通うのも足が遠のくようになる。
ただ、ここで筆者は、実質、最終学歴が中学卒業では、就職できる会社も職種も極端に限られるという現実を知り、せめて高校くらい、いや、できることなら大学を卒業しておかないと好きな職さえ選択できないと考えるようになる。
一念発起。筆者は大学受験を目指す。幸いなことにその定時制高校へは数ヶ月通学していなかったが、学籍は残っていた。
ここら辺は全日制の高校と違い、生徒を除外するという考えがないことが幸いした。
積極的な教育とは呼べんまでも、来る者は拒まずという姿勢はある。
それが例え、どんな悪さをしていたとしてもな。
余談やが、ワシはこの定時制高校時代、他校の不良やヤクザ、チンピラなどと喧嘩沙汰になって、実に二十枚近くの始末書を警察署で書かされた記憶がある。
それでも、一度も退学騒ぎにまではならんかった。
それには、ええ事かどうかは分からんが、定時制高校には、全日制のような体面を気にする所がなかったためやと思う。
言い方は悪いが、守るべきもの、体裁を取り繕うべきものが何もないということやったのやと。
ただ、結果としてそれが生徒を守ったことは確かや。おかげでワシも大した問題もなく卒業できたわけやしな。
いみじくも、この筆者が『問題のある生徒を学校から追い出すような安易な処分では何も解決しない』と言うてる事と符号する。
その後、筆者は人が違ったように勉強を始めて、その面白さと達成感に気がついていく。
先の定時制高校の教師の印象やと、教育熱心な人間はあまりおらんという風に感じるかも知れんが、そうとばかりは言えん。
生徒のやる気次第では、それに応える教師も多いということを言うとく。
この筆者の場合もそうで、大学受験のために勉強したいという筆者に対して、この定時制の多くの教師が全面協力したという話やさかいな。
そのエピソードの一つとして、
数学の女性教師が教室を回りながら授業を進めていた。筆者の横でその歩みが止まった。筆者の机の上をのぞき見ている。
「あら、英語を勉強中なの……」
筆者は注意されると思い、消え入りそうな声で「はい」と答えた。
「頑張るのよ。かならず目標の大学に入れるからね」と、その女性教師はなにもなかったかのように教壇へ戻っていった。
という心温まる話が挿入されている。
このとき、筆者は全日制の高校を退学になって本当に良かったと思ったという。それがなければ、定時制の本物と呼べる教師に出会えてなかったからと。
これも、ワシが常日頃から言うてることやけど、悪いと思えることが必ずしも悪い結果にならんという、ええ見本のような話やと思う。
すべては、本人の捉え方次第で決まるということや。
その後、筆者は偏差値38という劣等生であるという負い目にも負けず懸命に勉強して、京都外国語大学に入学し、卒業後、挑戦すること6回目にして司法試験に受かり、今は売れっ子の有名弁護士になって活躍されている。
この本は、その劣等生であった不良少年のサクセスストーリーとして読むも良し、それを人に語るために読むのでもええと思う。
ワシは仕事柄、ちょっとええ話があると、すぐそれを営業の雑談ネタに使うことが多い。
当然、この話もこれから使わせて貰うつもりや。
今の時代、親子間の断絶のためか、親子で殺し合うという悲惨な事件が後を絶たん。
そこまで、悲惨な状況でなくても、子供との付き合い方が分からんという親も珍しいことやない。
雑談の世間話として、そういった悲惨な事件の話をする延長上で、実はこういう本があるのやけど、と勧めるのも、営業する上で効果的やと考える。
あるいは、この本の文庫本なら税込みで680円ほどやから、拡材として使うのもアリやと思う。
余談やが、ワシらの出版本『新聞拡張員ゲンさんの新聞勧誘問題なんでもQ&A選集』も、いくつかの拡張団で拡材に使って貰い、それなりに成果を上げとるという話や。
拡張員が新聞勧誘の対処本を持っているという意外性とそれくらいの人間なら信用できるから大丈夫というのもあるのやと思う。好感度が高いと。
もっとも、さすがにワシ自身がそれをするのは、気持ちの上で憚(はばか)られるから、その効果のほどは分からんので保証はできんがな。
ワシは、敢えてこの本で語られている筆者の家庭環境や親子間の壮絶な戦いと葛藤については触れんかった。
というより、ワシらには話せんかったと言うた方が正しいと思う。
親という存在とは縁の薄いワシやハカセにすれば、この筆者のように父親は銀行員で教育熱心な母親がいるというのは、ある意味、恵まれた家庭環境で育ったという気持ちがあるからや。
もちろん、そうやからと言うて、人それぞれの抱えとる事情や悩みに大きい小さいなどはないとは承知しとるがな。
他人からはどんなに些細な悩み事のように思えても、その人間にとっては命を捨てなあかんと思い詰めるほど深刻な出来事、悩みというのはいくらでもあるさかいな。
人の悩みの尺度を人が推し量ることなどできん。またするべきやない。
ただ、ワシらの境遇と比べて、無理にそれについて話そうとすれば、変な方向に話が展開していくという危惧があった。それを恐れたわけや。
しかし、現在は、この筆者のような一見して普通の家庭環境でありながら、そういった子供を持って悩んでいる親御さんは多いと思う。
実際にも、良くその手の話を聞くことが多いしな。
そんなとき、ワシは「お子さんも大きくなれば、そんなやんちゃも止めますよ」という当たり障りのないことしか言えんかった。
実際、暴走族や喧嘩沙汰程度やと大人になれば自然に止めるもんやさかいな。
勝手にと言うと語弊があるが、立ち直って真面目な社会人になっとる者が大半やと思う。
たいていの場合は、それほど心配することはないと言える。
そうは言うても、そんな子供を抱えとる親にとっては楽観はできんと考えるのも良う分かる。ワシらも人の親やさかいな。
それを悩みに思う人にとっては、なぜ、筆者が不良少年と呼ばれるようになったか、なぜ、親に反発したかという点についても、それこそ赤裸々に語られているから、その意味でも必ず役に立つ本になるものと確信する。
また、多くの不良少年たち、特に少年院の院生たちが、この本を手にして更正を誓ったというから、何もこの本を読んで理解せずとも、その子供に読ませるようにするだけでも効果があるのやないかと思う。
世に役立つ本は数多くあるが、これほどいろんな意味で使い道のある本も珍しいという気がする。
もちろん、そこまで考えんでも、単に物語として読んでも面白いし、秀逸やというのは間違いないから、ご一読されて損はないと保証する。
少なくとも、ワシらは、ええ本を読ませて頂いたと感謝しとるさかいな。
参考ページ
注1.『ヤンキー、弁護士になる』
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refISBN=9784062811521
http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html/ref=ms_a_2_p1?ie=UTF8&tid=1186110241&a=4062122200
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2122200
注2.第45回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■親父よ、永久に……
第176回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■天国からのクリスマスプレゼント
注3.第18回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■長かろうと短かろうと、それが人生
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