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第58回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2009.7.17
■不良販売店と闘った、ある女性の話
事の起こりは、梅雨の明けた3年前。平成18年7月のある日に遡(さかのぼ)る。
茹(う)だるような暑い昼下がりやった。
ピンポーン。玄関のインターフォンが鳴った。
暇を持て余し気味だったマエダがその応対に出た。
マエダは当時60歳。長年勤めていた大手電機会社をこの年の3月、定年で辞めていた。
予定では1年くらいはのんびりしてから、何か仕事を見つければええやろうと考えていたが、いざ定年退職すると思っていた以上に暇で仕方がない。
それもあり、今までは相手にすることもなかった新聞の勧誘員の話を、つい聞く気になった。
それには、自分の息子と同じくらいの歳の男が額に大汗をかいて、必死に営業している姿に「この暑いのに良う頑張るな」と思ったというのもあった。
しかし、結局、マエダは、「ワシはええんやが、家内が近所の販売店の奥さん連中と親しいとかで1年おきくらいに交代で新聞の契約をしとるようやから、せっかくやが、うちでは無理やと思うで」と断った。
「ご主人、そんなこと言わずに、うちの新聞もその中に加えてくださいよ」と、シマモトと名乗った拡張員は尚も食い下がった。
シマモトは、押せば落とせる相手やと直感したから必死やった。こんな客を逃がしたら拡張員の沽券(こけん)に関わるという思いも強い。
マエダも新聞など、どこでも大差ないから構わんという気持ちはあるが、いかんせん、妻のアケミがうるさい。勝手に契約したら必ず文句を言う。
仕事をしていた時分なら、その小言に付き合うことも少ないから、「オレの決めたことや」で押し通せたかも知れんが、今はそうはいかん。
四六時中、「何で勝手に決めるのよ」とマエダを責め立てるのは目に見えとる。
タカが新聞くらいのことで、そんな羽目になるのはバカげとる。願い下げにしてほしい。
そう考えると、どうしてもその契約を承知するわけにはいかんかった。
しかし、そのマエダの思いとは裏腹に、シマモトは梃子(てこ)でも引き下がらんという姿勢で粘る。
元来、気の短いマエダは、そのやりとりに業を煮やして「好きにせえ!!」と怒り出し、そのドアを強引に閉めた。
尚も、シマモトはドアの向こうで何やら喚いていたが、マエダはそれを無視した。
しばらくして、近所の嫁さん連中の所に遊びに行っていた妻のアケミが帰ってきた。
そして、「玄関口にこんなものが挟まっていたけど」と言って、「購読契約書」と書かれた黄色いハガキ大の紙切れをマエダに見せた。
それには「平成18年8月〜平成19年7月までの一年契約」とあった。
「これはどういうこと?」と、アケミ。
「知らんで。さっきどこかの新聞屋が来たけど追い返したところや。勝手に置いて行ったんやろ」
「でも、あなたの名前が書かれてますよ。その新聞販売店の人にどうして、あなたのフルネームが分かったのかしら? それも、電話番号まで書いてるし……」
表札には「マエダ」とあるだけや。
マエダ自身が教えたのやないかと、アケミは疑っている。
「そんなこと、オレが知るか」
この疑問には簡単に答えられる。
どこの販売店にもその地域の住宅詳細地図という、家一軒一軒の家主の名前が記載されている地図帳を持っている。
1冊数千円〜数万円と高価なものやが、新聞販売店にとっては必要不可欠なアイテムでもある。
ちなみに、これは一戸建ての住宅だけやなく、アパート、マンションの住民の名前まで記載されている。
これとJP(日本郵便)のハローページを付き合わせれば、ほとんどの人間の個人情報など簡単に分かる。
勧誘員は、その住宅詳細地図の一部分をコピーしたものを持って勧誘に回っとるのが普通や。
それを悪用しようと思えば簡単にできる。
「その新聞屋が勝手に書いたんやろ。それがオレの書いたものかどうかはお前にはすぐ分かるやろうが」
「そう言えば、あなたの字とは違うわね」と、納得するアケミ。
アケミは、その場で、その契約書にある販売店に電話を入れた。
「おたくの勧誘の方、困りますよ。勝手に他人(ひと)の名前を書いて契約書を作らないでくださいね」と。
「それは、どうもすみませんでした。その人間が帰ってきたら良く言っておきますので」と、電話口に出たその販売店の人間がそう言っていたという。
その後、その販売店から何も言うてくることはなかったので、それで済んだとマエダは思っていた。
ところが、月が変わった8月1日。その新聞が投函された。
怒ったマエダは、血相を変えてその販売店まで出かけた。
販売店の事務所に入るなり、「ふざけた真似するな!!」と、大声で怒鳴った。
そこには事務員らしき若い女性しかおらず、ただ「申し訳ありません」と泣き入りそうな声でそう言うてただけやった。
「もう、二度とうちへは新聞入れんように、店の者(もん)に良う伝えとけよ」と言って、その場は引き上げた。
それが功を奏したのか、翌日から新聞の投函が止まった。
もうそんなことはすっかり忘れていた3年後の今年、平成21年7月初頭。
その販売店から女性の声で、「来月から新聞の配達を開始させて頂きますので」という電話が入った。
「新聞の配達? うちはあんたところの新聞は契約しとらんで。何かの間違いやろ?」
「いえ、3年前の平成18年の7月に契約をして貰ってますが」
「何を言うとんねん。あれはあのとき、違うてそっちに言いに行ったやないか!!」
マエダは興奮気味にそう言い張った。
すると、電話をしてきた女性は「しばらくお待ちください」と言って、電話口の向こうで誰かと話をしているようやった。
しばらくして、「あんたのところとは確かに契約してるで、何を今更、ボケたこと言うてんねん」と、いかにもヤクザっぽい口調の男が代わり、いきなりそう言われた。
「こら、新聞屋!! それが客に向こうて言う言葉か!!」
「何が客や!! 何様のつもりでおんねん。ええか、良う聞けよ。客というのは契約どおり新聞取る人間のことを言うんや。お前のようにした契約を知らんとぬかすような奴は客とは言えんのじゃい!!」
「そうか、客やないと言うんなら、新聞を入れんといてくれ」
「そうはいかん。こっちも、お前の契約には金がかかっとんのじゃ。そう簡単に、はい分かりましたて言えるかい。新聞は絶対入れるからな」
新聞販売店が、おいそれとその契約をあきらめん背景には、拡張員に高額な報酬を支払っているというのがある。
あきらめれば、それをドブに捨てることになる。
「何を!! 新聞を入れても金なんか払わんからな」
「いや、金は絶対払うて貰う。払わんかったら裁判にかけるまでや」
「裁判でも何でも好きにせえ!!」
マエダはそう言うてその電話を叩き降ろした。
マエダは怒りで全身が震えていた。
未だかつて、これほどの罵声を人から浴び、屈辱的な思いをしたことがなかった。
マエダは、勤めていた大手電機会社では課長止まりやったが、社内では「交渉事のマエダ」と呼ばれていて自他共にそれを認めていた。
そのプライドが、タカが新聞屋風情にズタズタにされた。
このままでは済まさん。その販売店に乗り込んで白黒つけてやる。
マエダはそう考えた。
その直後、猛烈な胸の痛みが襲ってきて、その場に蹲(うずくま)った。
「お父さん、大丈夫?」
近くにいてその電話のやりとりを見ていた妻のアケミが急いで近寄った。
マエダは苦悶の表情を浮かべ、額には汗が浮かんでいる。
マエダは、1年ほど前、軽い急性心筋梗塞で倒れ2週間ほど入院したことがあり、今も通院している。
アケミは急いで心臓発作用の薬、二トロールを持ってきてマエダの舌下に押し込み、すぐに救急車を呼んだ。
「そう、大変やったね」
病室にやってきた娘のジュンコは、眠ったままのマエダの傍(かたわ)らにいるアケミをそう慰めた。
ジュンコは、マエダが緊急入院したと聞かされ、大急ぎで車で2時間ほどかけ奈良から駆けつけて来た。
幸い、現在の症状事態は大したことはなく、一週間程度の検査入院で退院できるやろうということやった。
「そう、分かったわ。お母さんは、しばらくお父さんの側にいてあげて。その新聞屋さんとは私が話をつけてくるから、お父さんには心配しないでと言っておいてね」
「そうかい、悪いわね」
ジュンコは、一人息子のヒトシが通う中学でPTAの副会長をしている。
父親譲りでもあるのか交渉事には自信があり、弁が立つ。周りからも一目(いちもく)置かれている存在やった。
「いいのよ。それに話を聞くだけでも、その新聞販売店は私も許せないから」
ジュンコは正義感が人一倍強い。今回のケースはどう見ても非は、その販売店にある。負けるわけはないと考えた。
「それに、私にはゲンさんがついているから」と言う。
これは、何もそのジュンコとワシが個人的な知り合いというわけやない。
ジュンコは、昔からのメルマガやサイトのファンで、良く感想や意見を貰ったり、アンケートなどに協力してくれたりしている。
ワシらにとっては有り難い読者の一人でもある。
ワシらのメルマガやサイトから、その考え方を勉強して交渉力も身につけたのやと言う。
また、いざとなれば、ワシらに助言を仰げばええと考えていたとも話す。
このジュンコのような人は結構多い。
実際にそうするかどうかは別にして、心の支えがあるというのは大きいことやと思う。
但し、それを世間に向かって口外せん方がええと、その当のジュンコにも言うたがな。
勘違いせんといてほしいが、そうされると相談事が増えてワシらが困るというのとは違う。
普通に考えて、新聞拡張員を頼りにしとるというのは、あまり聞こえのええもんやないと考えるからや。
サイトの事を良く知っている人ならともかく、そうでなかったら言うた人が変に思われるだけやしな。
口外せずとも、胸の内にしまっておいてくれれば、それで十分や。
ジュンコは早速、その販売店に行った。
「マエダですけど、父が契約したという証拠の契約書を見せて頂けますか」
ジュンコは毅然とした態度でそう言う。
「これやけど」と、言って、その販売店の店主、ウエノが奥の棚から一枚の契約書を取り出し見せた。
「申し訳ありませんが、これのコピーを頂けますか」
3年前、マエダが怒鳴り込んだ際、その後何も言うて来なかったので話がついたと思い、その当時の契約書を捨てたということや。
その契約書が手元にないと動きが取りにくい。
「別にええけど」
ウエノはそう言うと、その事務所のコピー機でコピーしたその契約書をジュンコに渡した。
「これが、父と交わした契約書に間違いないですね」
「ああ、そうや」
「そうだとしたら、この契約書は無効ですよ」
「な、何やと?」
「だって、その契約書の署名欄の筆跡は、父のものとは違いますから。これは、そちらの勧誘員の書かれたものではないのですか?」
「そうや。あんたのお父さんの代わりにこっちで書いてやったものや」
「あきれた……。あなたは契約書の原則をご存知ないのですか」
「何やそれ……」
「契約者の直筆による署名がないと、契約書として法律的には認められないのですよ」
「それは、あんたのお父さんから頼まれたからもそうしただけや。言えば、こっちのサービスで好意でしたものや。文句を言われる筋合いはない」
実際、そういうケースがないこともない。
契約者にしてみれば、どうせ取るのやから、そんなものはいらんやろう、あるいは面倒臭いから、代わりに書いといてくれという人も中にはいとる。
しかし、それは、あくまでもその契約者が異を唱えん場合のみ有効であって、「それは違う」と言えば契約書としては通用せんということになる。
それが分かっていない。
「契約者に無断で署名、捺印しているというのは、刑法第159条に私文書偽造等の法律違反になるんですよ。3ヶ月以上5年以下の懲役に科せられます。それでも、まだその契約書が正しいと仰るのですか」
普通、ここまで言えば、「こらあかん」と考えて、ゴリ押しするのを止める販売店がほとんどやと思うが、このウエノは違った。
「そんな脅しには乗らんで。こっちはこの商売に命を張っとんのや。どうあっても引き下がるわけにはいかんわい」
「そうですか。それでは、これ以上、あなたと何を言っても無駄なようですから、こちらもそれなりの手段を講じさせて頂きますので」
「好きにしたらええがな。こっちは新聞を配達して集金に行くだけやから」
ウエノは、精一杯の虚勢を張って見せた。
少なくとも、ジュンコにはそう見えた。
しかし、この話し合いというか、掛け合いはそれなりの成果はあった。
ジュンコは、当然のように、ボイスコーダーを隠し持っていて、その会話をすべて録音していたからや。
これも、ワシが普段良うアドバイスしとることで、ジュンコはそれらを忠実に守っていたことになる。
今の会話だけでも十分、その契約を解除できる証拠になり得る。
ただ、それには、あのウエノをあきらめさせな意味はないがな。
世の中には、いくら他の人間が、それはおかしいと言っても、頑として自分の考えを変えん者がいとる。
そういう人間は、無茶な論法が無茶とは思わんわけや。それを、自らそう思わせるというのは難しいと思う。
特に、このウエノのような人間は、いくら法律でそう決まっとるからと言うても、それに大人しく従うとは限らんさかいな。
具体的な強迫や暴力でもない限り、こういう揉め事は民事として扱われ、警察も立ち入るのを拒むケースが多い。
勝手に契約書を書いたという「刑法第159条に私文書偽造等の法律違反」を指摘しても、それを事件化するかどうかは、そこの警察署の判断次第という側面もあるから確実とは言い切れん。
それを、ヘタに法律やからと押しつけると、泥仕合になるおそれがある。
それで長引いたトラブルというのも多い。
ジュンコは、その足で、その地域を管轄する警察署の市民相談係に赴いた。
これもワシがサイトのQ&Aで良く言うてることの一つや。
それを警察に訴えるというのが主目的というのやなく、相談したという事実が、後々(あとあと)有利に働くことがあるさかい、それで良しとすることやと。
もちろん、このケースはあきらかな法律違反やから、警察署によれば動く可能性もあるが、ある程度の裁量権というのもあって不問に付されるということも考えられる。
先に言うた、警察の判断次第というのは、そういうことや。
せやから、ワシはその相談をする場合、あまり過度な期待はせんようにと言うてる。
次に、ジュンコは消費者センターに行った。
「3年前の契約書ですか」と、その消費者センターの担当者は訝(いぶか)りながらも、その販売店に電話した。
「そちらが、マエダさんと契約したという契約書の期限は2年前に終わってますよ」
「それは、そのマエダさんから3年間延長してほしいという依頼があったんで、延ばしてきただけや」と、ウエノが答えた。
「その証拠は?」
「証拠? 何言うてんねん。こっちは、お前らのようなお役所仕事と違うで。口でそう言われたら、オレらはそうするしかないんや」
ウエノは一歩も引き下がらんという姿勢を、その消費者センターの担当員に見せたという。
その担当者も、何度か「そんな契約は無効ですよ」と言うてたが、箸にも棒にもかからなんだと話す。
はっきり言うて、こういうウエノのような男は消費者生活相談センターという所をバカにしきっとるから、そこからの話は受付んという事がままある。
直接的な上部機関、管理機関とは違うということでな。
ちなみに、消費者生活相談センターでは、地域の「消費生活苦情審査会」というのがある。
これは、学識経験者と消費者団体、事業者団体の代表の委員が双方の言い分を聞いて問題解決のための「調停」や「あっせん」を行うというものや。
それをするよう勧められた。
しかし、ジュンコは、それにはウエノは応じそうもないと直感した。
それに、ジュンコ自身にも生活があるから、いつまでもこれに関わるわけにもいかん。
加えて、父親のマエダが一週間後には帰ってくる。
そのためにも、なるべく短期間に決着をつける。そう決めていた。
ジュンコは当然の手順として、次に新聞社の苦情センターに電話した。
その際、警察に相談したこと、消費者センターに相談したこと、そして、その証拠となる会話を録音しているということなどを告げた。
今回のようなケースでは、新聞社にかけ合う方が効果的な場合が多い。
ただ、新聞社は、基本的に契約事にはタッチせんという姿勢があるから、そう受け取られんように注意せなあかんがな。
新聞社に話す場合は、契約事での相談やと持ちかけると、ほとんどがどんな事情であれ、販売店に対しては「こちらから契約解除の話はできない」という対応になることが多いさかいな。
せやから、今回の場合は、
「こちらには、契約した覚えが一切なく、その契約書に書かれている氏名、住所欄は、明らかに父の筆跡とは違います。こちらの○○署の担当刑事○○さんにも確認して頂きましたが、これは、明らかに私文書偽造の法律違反になります。これ以上、当方に無法な言いがかりをするのであれば、再度、警察に行くしかありません」
と、言えば効果的や。
このときのポイントは契約云々の揉め事やなく、その勧誘方法に法律違反があるというのを強調しとくことや。
それなら、新聞社も知らんとは言えんはずやからな。その新聞社の販売部次第やが、場合によれば、直接、調べに来ることもあると聞く。
また、消費者センターにも相談済みやと言えば、この相談者には迂闊な対応ができんなという印象を与えることもできる。
それを伝えると、その新聞社の苦情センターの受付係員は、少し慌てた感じで「早速、対処しますので」と答えたという。
新聞社の苦情センターでも、このジュンコほど用意周到に、しかも理路整然と説く相談者は珍しいやろうと思う。
たいていは、怒りに任せてというのが多い。
文句を言いたいだけなら、それでもええが、それやと相手に伝わるものは少なく、効果も期待できん。
あまりうるさいと適当に聞いておけで済まされる場合もあると聞くさかいな。
苦情はなるべく冷静に要点だけを絞って伝える。それがベストということになる。
その点、ジュンコの採った方法は完璧やったと思う。
しかし、いくら完璧な対処をしようとも、それで解決するか、どうかは、その相手次第で難しい面もあるがな。
その日、ジュンコは実家に泊まることにした
タイミング良く、今日が金曜日で、長男のヒトシも期末試験が終わった後ということもあって、夫のタケイに仕事が終わり次第、ヒトシを連れて実家に泊まりにきてほしいと伝えた。
もちろん、今日の経緯はすべて伝えた上で。
父親は大したことはないが、この問題を長引かせるのは拙い。
退院したときに同じような揉め事が続いていたら、興奮してまた発作を起こしかねんからとも訴えた。
タケイたちに来てほしいのは、ジュンコたち女だけでは、その販売店の店主、ウエノが来た場合、甘く見られるおそれがあるからとも伝えた。
タケイは快く、それに応じた。たまには遊びに行くのも悪くはないし、マエダの見舞いもしたいと言う。
ジュンコは有り難かった。タケイは夫としては申し分ない。良くジュンコを理解してくれている。
もっとも、そんなタケイがおるからこそ、PTAの副会長をやっていられるわけやがな。
その学校にもよるやろうが、PTAの副会長というのは結構、ハードや。行事が重なれば、家事が疎(おろそ)かになる場合も多い。
そんなとき、タケイは文句も言わず、会社から帰るとその家事を引き受けてくれる。感謝しても、し足りないと言う。
ジュンコは、新聞社に電話してから、近所のスーパーに買い物に行った。
もともと生まれ育った地域やから何ら戸惑うこともない。
その帰り、母親が昔から懇意にしていて、現在、購読している近所の新聞販売店に寄った。
「そう、ジュンコちゃんも大変ね」と、そこの店主の奥さんが言う。
「私は小さい頃から新聞屋さんは、おばちゃんところしか知らんかったけど、ウエノ販売店てどんなところなん?」
「ここだけの話、あまり関わり合いにならん方がええよ。あのウエノという男はヤクザやいう噂があるしね」
ウエノは、前の店主が廃業したのと交代で3年前から、その販売店を経営するようになったという。
ちょうど、マエダのところに勧誘にきた時期とほぼ符号する。
その強引なやり方は、この辺では有名やという。トラブルも多いと。
まあ、それは予想できることではあったがな。
この辺りの新聞販売店は比較的、仲が良く店同士、協定を結んでいたが、後からきたウエノは、その仲間に加わろうとせんかったという。
「実力で客を増やしたる」というのが口癖やった。
そんなんやから、強引な勧誘というのが多く、販売店同士で揉めたことも多い。
ウソか本当かは知らんが、それで喧嘩になると「オレは昔、ヤクザをしていたんや」と言うて喚くという。
「あのウエノというのは、頭がおかしいから今では誰も相手にせえへんようになったんよ」と、その奥さん。
ジュンコは、今更ながらに、つまらん人間を相手にしているという気になったが、両親のためにも、それを聞くと、よけい引き下がるわけにはいかんと考え、気持ちを引き締めた。
「分かったわ。おばちゃん、何とかするわ」
「いくら、しっかり者のジュンコちゃんでも相手が相手やから、無理はせんときや。もし、何か危ないことでも起きそうやったら、うちは近いし、何でも言うてきて」
「ありがとう」
ジュンコはそう言って、その販売店を後にした。
ジュンコは、久しぶりに実家の台所で夕飯の支度に取りかかった。
そうこうしている間に、母親のアケミが戻り、タケイとヒトシもやってきた。
少し遅めの夕飯をしていた午後8時すぎくらいやった。
ピンポーン。と、玄関のインターフォンが鳴った。
「どちら?」
「ウエノ販売店やけど」
やはり予想どおり来た。
あの新聞社の係員の慌てぶりからも、何らかの連絡はウエノのところに行くはずや。
ウエノの性格からすると、それがあればすぐにやって来ると。
むしろ、この時間になってというのが遅いくらいやないのかとジュンコは考えたほどや。
「新聞の契約のことは、うちとそっちとの事やろ。何で本社にまで電話せなあかんねん。おまけに警察や消費者センターにまで行きくさって」
ドアを開けるなり、ウエノはいきなり語気を荒げ噛みついてきた。
「あなたは、これをただの契約のトラブルとでも思っているの? あなたのしている事は明らかな犯罪なのよ」
ジュンコは一歩も引き下がることもなく、そう応じた。
「何が犯罪や。何も悪いことなんかしてへんわい」
「そう思っているのは、あなただけよ。だからこそ、新聞社や警察から連絡があったわけでしょ? それで何の用?」
「誰が何と言おうと、オレは絶対あきらめへんからな」
「そうですか。こちらは、どんな手段を取ってでも契約が無効だということを訴えていきますから」
「そんなことをしたら、ただではおかんで」
「あら、強迫なさるの?」
いつの間にか、ジュンコの背後にはタケイとアケミがいた。
「強迫なんかしてへんわい。正当な権利を主張しとるだけや」
さすがに、ウエノも強迫と受け取られると拙いと考えたようや。
「だったら、それは新聞社や警察、裁判所に判断して貰いましょ。日本は法治国家なんですからね」
「うちが、このまま新聞を配ったら、どうしようと言うんや」
「何度でも、新聞社に電話しますし、警察にも行きます」
ジュンコには自信があった。この言葉には堪(こた)えるはずやと。
ウエノが血相変えて怒鳴り込んで来るというのは、それだけ追い詰められとるというのを意味する。
つまり、ジュンコの行動が効果的やったとウエノ自ら証明しとるわけや。
おそらく、かなりきつい調子で新聞社から叱責されとるはずや。
「何度でも? 本気か?」
「本気です」
「……」
ウエノは、ジュンコを睨みつけたまま押し黙った。
ジュンコも視線をそらすことはなかった。
「分かった。もうええ。お前んとこの契約は、こっちから願い下げや」
「もう、新聞は入れないのね」
「ああ、もうその気がのう(なく)なった。それにしても、あんた何者や」
ウエノにとっては、こういう相手は初めてやった。たいていは、無理にでも、ゴリ押しすればあきらめて新聞を取る。
それがあるからこそ、引き下がったらあかんと頑張ってきたわけや。
しかし、目の前の女にはそれが通用しそうもない。
それが通用せんどころか、何度も新聞社に通報するという。
それをされるのは拙い。新聞社からもこの女が言うように「法律違反」やと言われている。止めろと。
ウエノ自身は、拡張員のシマモトの言うように「勝手にしろ」という言葉を契約するのを承知したという風に受け取ってもええやろうという気持ちがあったが、この女に関してはその言い分は通用せんようや。
「普通の主婦ですけど。中学校のPTAの副会長をしてますが」
「PTAの副会長……、なるほどな」
ウエノはそう納得して帰って行った。
ちなみに、その会話の一部始終もボイスレコーダーに録音しとるから、後で違うと言うても、どうにもならん。
ジュンコの完全勝利ということになる。
この手の揉め事で、ワシが良く言うのは、お互いの根比べ、気持ちの強さというのがあるが、どれだけ不退転の意志を貫けるかが鍵となる。
そして、それは、口で言うほど簡単なことやない。
そのジュンコから、サイトにメールが送られてきた。
そういうわけで無事解決つきました。
これもいつもサイトを参考にさせてもらっているおかげと、ハカセさんやゲンさんにいつも助言していただいているおかげだと感謝しています。
本当にありがとうございました。
と。
このケースに関しては、ワシらは何の力にもなっていない。
すべて彼女の力や。
その意味では、今回の話は一人の女性の武勇伝ということになると思う。
そこにどんなに参考になることが書かれていようと示されていようと、それを活かすことのできる人間は少ない。
ええ事が書かれた書物とそれを参考にして活かすことのできる人間と比べた場合、文句なく後者の方が「えらい」とワシは考える。
また、それを誰かのおかげやと思える、言えるというのも、その人の器の大きさを証明するものやと思う。
なかなかできることやない。
それでも、ワシらのおかげやと言うてくれる気持ちは嬉しいがな。
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