メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第59回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2009.7. 24
■ゴーストタウンの新聞配達人
「やってられんな……」
ヤマベ販売店の配達人ケイタは、その「海岸通り」に来る度(たび)、そうボヤかずにはおられんかった。
「何でオレだけこんな貧乏くじを引かされなあかんねん」と。
その一帯は、一見すればマンションやアパートが数多く建ち並んでいて、多くの住人が住んでいるように思える。それに伴い、配る新聞も多いはずやと。
実際、半年前までは、この地域だけでも相当数の新聞を配っていた。
それが激減した。
現在、多くの販売店にありがちな部数が減ったというレベルの話とは違う。
通常、この業界の契約切れによる新聞の解約率というのは月平均すると扱い部数の4、5%ほどと言われている。
それを補うために、「止め押し」というて、継続依頼の営業をかけたり、新規の購読者を獲得する拡張に精を出したりする。
それでも、その止め率をカバーできずに下回ったら、「減紙」ということになる。
新聞業界では、この「減紙」という言葉は存在せんと言われとる。言えば、禁句なわけや。
特に、新聞社サイドはそれに対して敏感でうるさい。
新聞社には「増紙」という言葉はあっても「減紙」という言葉はないとまで言われとるほどやさかいな。
それについては裁判(注1.巻末参考ページ参照)の場で、裁判官が「ひたすら増紙を求め,減紙を極端に嫌うY新聞社の方針があり、それはY新聞社の体質にさえなっているといっても過言ではない程である」と、言及したこともあるくらいやさかいな。
それにより、業界内だけの暗黙事項やったものが、事実上、公に認定されたに等しいということになった。
この業界では昔から、例え僅か数部の減少であっても、担当員によれば厭味(いやみ)たらたら言う者がおるのも確かや。
また、取り扱い部数が1割でも減ったら、もうその経営者は能力ないと見られ、その販売店主は改廃(強制廃業)の危機に立たされるのが普通やった。
それが、ヤマベ販売店では、この「海岸通り」を配達区域としている第5区で、その150部の内、実に8割に当たる120部以上が、昨年の2008年10月から今年の2009年3月にかけて大幅に減少した。
もちろん、それにはそれなりの理由がある。
この地域には、大手自動車会社およびその関連の下請け企業が集中している地域で、その従業員も多く住んでいた。
それが、昨年秋の大騒動になった大幅な「派遣切り」により、派遣社員、期間従業員らが大量に解雇、辞職を余儀なくされたことで、当然のように、それに伴って配達していた新聞が激減したわけや。
さすがに、こういう事情での部数減では新聞社も販売店にその経営能力云々は問いにくく、改廃(強制廃業)の理由にもなりにくい。
もっとも、この状態で店主を替えるにしても、その後の引き受け手の人選が難しいやろうがな。
よほど、上手く言いくるめん限り、誰もそんな地域で新たに販売店の経営をしようとは思わんやろうからな。
一般的に、その販売店の経営能力を問題にするときは、その減少した分が他紙に流れた場合で、今回は、その他紙も同じように大打撃を被っているという事情があったからよけいや。
おそらく、こういうケースは新聞業界の長い歴史の中でも滅多になかったことやと思う。
ケイタの配達区域は、その隣の第6区やったわけやが、実質的に5区は消滅したも同然やったから、残った配達軒数をその6区に組み込まれることになったということや。
その区域統合がされたのは、今年の4月からやったが、その頃は、その「海岸通り」での配達軒数は激減していても、まだその辺りに人の住んでいる気配はあった。
それが今はゴーストタウン化している。
通常、派遣社員、期間従業員たちの住むマンションやアパートは、派遣会社がそのオーナーと契約している場合が大半や。
派遣先の工場から、派遣社員や期間従業員の解雇、雇い止めという事になれば、派遣会社は当然のように、その宿舎であるマンション、アパートを確保し続けるわけにはいかんから、契約を打ち切るしかない。
普通、その派遣会社が、その契約を打ち切れば住居人であるそこの社員は、直接の契約者やないから、オーナーに居住権云々を主張することができん。
必然的に立ち退くしかないのやが、この辺りは事情が少し違った。
表向きはオーナーたちの好意となっていたが、通常の家賃分の支払い、もしくはその一部の入金さえあれば一定期間の退去猶予を認めるケースが多かった。
派遣社員や期間従業員の多くは、年末、年始の寒空に放り出されるという事になる。そういう事態を盛んにテレビで放映していた。
それをやられると、そのマンションなりアパートなりは、近所の住人にはすぐそれと分かる。
今回の事態については、まったくオーナーたちに責任のない事やとしても、そんな彼らを強制的に追い出すという形になるのは、いかにも見た目と体裁が悪い。
加えて、この地域のマンション、アパートはその派遣社員や期間従業員たちを当て込んで建てた物件ばかりやったという事情もあった。
通常、マンション、アパートというのは、それなりに交通の便のええ所に建てるものやが、ここはその交通機関というものが何もなかった。
あっても、その交通の便がおそろしく悪い。この「海岸通り」に近い私鉄の駅までは歩いて30分以上は悠にかかるという。
バス停も近くにはない。あっても、1時間に1本ある程度やった。それも夕方の6時をすぎるとなくなる。
こういう所では、その送り迎えはたいていの場合、その工場専属、あるいは派遣会社所有のバスというのが多く、日々の不便さは何もなかったから、それで良かった。
しかし、それ以外の一般の人間が、そのマンションやアパートを借りるとなると、まずこんな不便な所を選ぶことはない。
というより、オーナーたちは、その募集すら賃貸業者にする必要が今まではなかった。
その派遣業者の多くが、数室から場合によれば建物丸ごと借り受けとったというさかいな。
オーナーにしてみれば、こういう事態は、まさに青天の霹靂(へきれき)で予想だにできんことやった。
派遣会社との契約が永遠に続くものやと思うてた。未来永劫、安泰やと。
こういう所は家賃の滞納など一切なく、住居人のトラブルも、すべて派遣会社に任せとけばええから、オーナーとすれば、こんな楽な経営はなかった。
それが突如として終わりを告げた。
その派遣会社が手を引くとなれば新たな住居人を募集せなあかんが、それはこの地域では望み薄い。
もともと、それを想定して建てられた物件やないさかいな。
交通の便が悪い上に、その居住空間の多くが単身者向けのワンルーム、1DKばかりやったから、入居者も限られてくる。
現実にも新たな入居者は極端に少ない。少しでも家賃収入を確保したいがための猶予やったというのが本音やった。
世間ではあまりニュースや話題にすらなっていないが、実際にこの辺りのマンション、アパートのオーナー、賃貸業者たちも壊滅的な被害を被っているわけや。
案の定、いくらオーナーたちが猶予しても、仕事をなくした人間にその家賃を払い続けることなどはできんから、月を追う毎に人が減っていき、ついにはゴーストタウン化したということや。
現在、これと類似した状況は全国的にも、かなりな数に上(のぼ)るのやないかと思う。
余談やが、少々の交通の便さえ辛抱すれば、こういう地域は住むには格安物件ということになる。
特に、職場から自家用車で通勤可能なら申し分ないと思う。
しかも、入居者が極端に少ないから、隣近所に気を遣うのが嫌な者には持ってこいの物件ということになる。静かに暮らせる。
もっとも、入居者が極端に少ないというのは、それはそれで他の悩みや問題もあるがな。
こういった物件は結構、設備が充実しとる所が多いから、それを望む人には至れり尽くせりやと思う。
照明設備、エアコン、ベッド、寝具、家具、テレビ付きというのは珍しくないし、冷蔵庫や洗濯機、ガスコンロ、全自動給湯器、風呂シャワー付きという所すらあるという。
広さは、単身者向けが大半やから6畳から8畳のワンルームマンション、1DKと狭いが、ちょっとしたビジネスホテルよりかは広い。
それも、出入りする毎にクリーニングするという徹底ぶりで総体的に内装はきれいな部屋が多い。
たいていは、カバン一つの簡単な荷物だけでやって来る者が多いから、必然的にそういうのが多いということやった。
ハカセが調べたところによると、東海地域限定ながら、それらの設備が付いて駐車場込みで、現在、月2万円台で借りられるという物件が多かったという。
しかも、今流行の保証金ゼロというシステムが多く、室内クリーニング、火災保険、賃貸業者の手数料、1ヶ月分の家賃込みで、初期費用は10万円ちょっとで済む手軽さやと。
どこの賃貸業者とは言えんが、交渉次第では、さらに安くなるという話や。
しかし、そんな格安物件でも入居者は、ほとんどおらんというがな。
「そのうち、誰もおらんようになるやろな」と、そのゴーストタウンを走りながら、ケイタは思っていた。
むしろ、そうあってほしいと。
ケイタ自身は実質的にいくらか配達部数は増えたが、歓迎できるとはとても言い難い。
通常、新聞配達人はその配達部数によって収入が決まるシステムになっている。
その部数が増えるのはええのやが、その分、配達時間も半端やないほどよけいにかかるからワリが合わん。
そらそうやわな。配達区域1区分をよけいに走り回らなあかんわけやさかいな。
もともとのケイタの区域が180部ほどあった。
但し、そこでも「海岸通り」ほどやないが、隣接しているということもあり、いくらか、期間社員用のマンションもあって、そこへの配達部数が20部程度減っていた。
その5区の残った部数、20数部と合わせて、一応「行って来い」にはなる。
しかし、以前は2時間以内で終わっていた配達が、今は3時間近くかかっとるから、時間給にしたら、実質的には大幅な減給ということになる。
冒頭での「やってられんな……」と、ボヤいていたのもそれがあるからやった。
加えて、ゴーストタウンに相応しく? それらしい出来事が起きとるというからよけいにそう思う。
それには、ある幽霊話が起因していた。
当然のように、それには尾鰭(おひれ)がついて広まる。多くは与太話やが、中には笑えんものもある。
ケイタが配っている「シーサイド壱番館」と呼ばれる5階建てのマンションのケースもその一つやった。
ここを配る他紙の顔見知りの配達人から、「ここには女の幽霊が出る」と聞かされていたのが、それや。
その配達人が「もう、新聞配達は辞める」と言うほどやから、よほど怖い目に遭うていたと思われる。
その「シーサイド壱番館」には部屋数が60室ほどあるが、そのうち入居しているのが2、3室ほどしかないという。
そういうマンションも、この「海岸通り」では特に珍しいほどではなく、むしろ多いくらいやった。
ケイタは、そのマンションに1部だけ配達していた。それも、5階の最上階に。
先月までは、エレベータで行けたのやが、今はそのエレベータも経費節減のためとかで止まっているから、階段を上がるしかない。
面倒やから、よほど下の集合ポストに放り込んで済まそうと何度も考えたが、それは配達人の誇りと矜持(きょうじ)があってできんかった。
そうは言うても、深夜の3時頃、ほぼ無人に近いマンションの階段を駆け上るのは気持ちのええもんやない。
何が出たとしても不思議やない。そう思わせる雰囲気が漂うさかいよけいや。
他紙の配達人が幽霊を見たというのも、この現場に立てば誰でもそれと納得するはずやと思う。
以前は点いていた廊下の外灯も消えている。かろうじて月明かりで見える程度や。
よく見ると、あちこちの部屋の窓ガラスが至る所で割れている。もちろん、部屋の中は暗くて見えない。というか、覗く気にもならんがな。
足下も定かやない。清掃も長いことしていないやろうから、何が転がっているかも分からん。
実際、廊下に転がってた灯油缶を誤って蹴っ飛ばしたことがあり、その音にびっくりして怯えたことすらある。
いくら早く済ませたいと言うても、そんなところを走って行くわけにもいかんから、ゆっくり慎重に歩くしかない。
さながら、お化け屋敷に見立てた廃屋のマンションを恐る恐る進んでいるような感じや。
「肝試しをしとるんやないで」という気にもなる。
いっそのこと、このまま、本当のお化け屋敷に使うたらええのやないかとさえ思える。
そんなことが冗談や洒落やなく真顔で言える。そんな雰囲気が漂う場所やった。
それなら、明け方の明るくなってそこだけ配達すればええやないかという意見があるかも知れんが、この辺りは、その明け方の方がさらに怖い。
しかも、それは幽霊とかお化けという実態のないものやなく、現実の危険を感じさせるものやから始末が悪い。
この辺りは、小さな漁港や魚の加工会社などが点在しとる所でもあり、その魚を狙ってカラスが、夜明けと共に無数に群がってくる。
ちょっと想像してみたら分かると思うが、ゴーストタウンの中をカラスの群れに囲まれて単車を走らせるというのは恐怖映画にありがちなシーンで、あまり気持ちのええもんやない。
襲われたらどないしようという恐怖がつきまとうさかいな。
しかも、以前ならともかく、今や廃墟同然のこの一帯では、そういう事態になったとしても誰の助けも期待できんから尚更、その恐怖心が倍加する。
カラスの賢さは尋常やない。人間を除くすべての動物中、最も賢いのがカラスやと主張する学者も多い。
その根拠として、カラスには食べ残した食料を穴や石の下など様々な所に隠す「貯食」という習性があるためやという。
それをするには何をどこに隠したかを脳にしっかり記憶しておく必要があり、その繰り返しがカラスの脳を発達させてきたのやと説く。
もし、カラスに人間と同じように自由に動かせる「手」があれば、間違いなく人類と匹敵していたか、凌駕していたはずやと。
ケイタは、あるテレビ番組で、カラスが神社の賽銭を盗み自動販売機の硬貨投入口にその分の硬貨を入れ、鳩のエサやジュースを買って、それを飲み食いしていたというのを見たことがある。
また、その同じ番組の中で、貝やクルミなどを道路に落として、それを車に轢(ひ)かせ、割れた中身を食うという場面や、落ちているゴルフボールを拾って仲間内でまるでゲームをするかのように遊んでいる光景もあった。
あるいは、そのテレビ放送とは別に、電線にぶら下がってブランコのようなことをして遊んでいたという目撃談も数多く報告されている。
実際の事件として、平成8年に横浜市内の線路のレールに置き石をしていたというカラスの例もある。
ある学者さんの見解では、敷石の下に「貯食」をしようとして持ち上げた石を、たまたまレールの上に置いたということのようやが、ワシにはそれだけとは思えん。
その学者さんに異を唱えるほどの根拠やデータを持っとるわけやないが、普通に考えて、そんな電車が頻繁に通るような危険なところに食い物を隠しておくものやろうかと思う。
それよりも、単に遊んでいたとした方が説得力があるのやないやろうか。
これなんかは、人間の小中学生レベルと同等の知能と愉快犯的な思考能力を持つ証明になる出来事やないかという気がする。
人間以外で、子供の好奇心旺盛な頃を別にすれば、遊びに興じる動物というのは、このカラスくらいやないかと思う。
ここまでくると賢いというのを通り越して何か薄ら寒い不気味なものすら感じる。
そんな連中の標的にされたら堪(たま)ったもんやない。
お化けが怖いか、カラスが怖いかの選択という事なら、ケイタには実害のまだない、お化けを選ぶしかなかったと言う。
結論として、カラスがまだ眠っている夜中に配達するしかないと。
ケイタは何とか5階に辿り着き、一番奥の部屋である13号室に向かっていた。
「ちょっと、お兄さん……」
突然、その小さな弱々しい声がケイタの後ろから聞こえてきた。若い女の声のようやった。
ゆっくり振り向くが、そこには誰もいない。ただ、暗い闇があるだけや。
「まさか……」
瞬時に、あの他紙の配達人の言っていた「ここには女の幽霊が出る」という言葉を思い出した。
ケイタは幽霊などというものは信じていない。信じてはいないが、その手の話は無条件に怖いし、嫌いや。
テレビや映画などのその手のものは絶対に見ないようにしとる。見てそれが頭にこびりついたら新聞配達はできんさかいな。
「何かの聞き間違いか、空耳やろ……」
この辺りは海が近いということもあり、ごく希(まれ)にやが、サーファーなどに興じる若者が早朝から訪れて騒ぐことがある。
その声が、潮風に乗って聞こえてきた。
ケイタは無理にそう思い込もうとした。
そう思い直して、またしばらく歩き出すと、「ちょっと、お兄さん……」と、今度は、はっきりとそう聞こえた。
振り向くが、やはりそこには誰もいない。
「うわーっ!!」
ケイタは言い知れんほどの恐怖に襲われ、それこそ転げ落ちるように走って、そのマンションから逃げた。
その際、僅かに残った新聞配達人としての誇りと使命感が、かろじて1階にある集合ポストの契約者の所に新聞を押し込ませたと言う。
新聞配達人には、いついかなる状況に置かれようとも、それと知って不配をするべきやないという不文律がある。例え、そこに命の危険があろうともや。
ケイタは愚直なまでに、それを守った。
新聞を配り終えるまでは、そこを離れられんという、ある意味、哀しい性(さが)やと言えんでもない。
もっとも、新聞配達人にとっては、それが「誇り」でもあるわけやけどな。
ただ、このときのケイタは、瞬時にそこまで考えてそう行動したという意識はなかった。
「無我夢中で気がつけばそうしていたというだけのことやった」と、後に語っている。
たまたま、その「シーサイド壱番館」が、その「海岸通り」の最後やったから、そのまま、そこを離れて事なきを得た。
そうやなかったらと考えると、ぞっとするともケイタは言う。
そのケイタから、ワシら宛てに、
ゲンさん、ハカセさん、いつも楽しくメルマガを拝見させてもらってます。
メルマガにも、いくつか幽霊話があり、おもしろく読ませてもらっていましたが、まさかそれが自分の身におきようとは夢にも思っていませんでした。
僕も話には聞いていたのですが。
実は……。(中略)
というわけで、僕と同じような経験を他紙の配達人も経験していると知り、正直、そこへ配達するのがもう怖くてしかたありません。
これについて、お二人はどう思われますか?
僕一人なら、空耳とか勘違いで説明できますが、他の人も同じとなると、どうしても本当に幽霊がいるような気がします。
しかも、聞くところによると何年か前にそのマンションで若い女性の投身自殺があったとのことで、とても怖く感じています。
このままだと配達することもできそうにありません。何かいいアドバイスをお願いします。
というメールが届いた。
「ゲンさん、これをどう思います?」
「どうて言われても困る。ワシは基本的には幽霊なんかは信じとらんしな」
「怪力乱神を語らず」が、ワシの信条でもある。
物語やファンタジーの世界としての神や幽霊、宇宙人がおってもええなとは思うけど、現実として受け入れ信じるには、あまりにも非合理すぎる。
特に、神や幽霊という類はな。そういうものは、ほとんどは人の心が作り出す幻影にすぎんものやという気持ちがあるから、よけいや。
ただ、世の中には、わけの分からん事が起きるのも確かや。それは認める。
幽霊話の大半が嘘臭い与太話やとは思うが、中にはどうにも説明できんものもある。
メルマガにも、そういう話を幾つか紹介もしとるしな。(注2.巻末参考ページ参照)
人は、それらの出来事を科学的、あるいは合理的に説明できん場合、神とか幽霊の存在を作ることで納得しようとするのやと思う。
ワシ自身は、現実に起きたことには現実的な理由が必ずあると常に考えとるけどな。
「私もほとんどはそうだと思います。今回の場合も、私の仮説である程度、説明がつくのではないかと考えていますが」と、ハカセ。
「どういうことや?」
「このケイタさんが言っておられるカラスについてですが、ゲンさんも良くご存知のように私の住んでいる地域にも多くて困っています」
このカラスの被害は全国的なものやと思う。ありとあらゆる地域で深刻な問題になっている。
各地の行政もいろいろと手段を講じて、やっきになってカラスの駆除に乗り出しとるが、一進一退の状況が長く続いていて、これといった決定的な解決策がないのが現状やないかと思う。
カラスと人間は共存共栄という関係にない。むしろ、歴史的にも敵対してきたと言える。
一部の国では神として崇められていたケースもあるが、たいていは魔物の類として忌み嫌われてきた。その手の古文書(こもんじょ)も多い。
他のサルやイノシシなどの野生動物のように、自然への乱開発により、その住み処を追われて仕方なく人間の領域に踏み込んできたというのとは違う。
たいていの動物は人間を危険な存在として認識し怖がるから、よほどの事がない限り人里に近づいてくることはない。
しかし、カラスは何の遠慮もなく人間の生活圏、領域に平気で踏み込んできて、それを自らのテリトリーと重ねて長く生き抜いてきた。
人間に攻撃され続けていながら人間を怖がらん唯一の知能を有する動物やないかと思う。
生半可な相手やない。
太古の昔から人間と関わり合いが深く、その生活圏を共にしてきた犬や猫、馬、牛、豚といった動物はいとるが、彼らは一様に人間に従属することでその関係を保ってきた。
カラスにはそれがない。
むしろ、有史以来、ずっと人間と敵対し続けてきて滅ぶことのなかった種でもある。
ある意味、誇り高き生き物とさえ言える。
もちろん、彼らがそうできた背景には、その知能の高さがあったわけやがな。
その賢さは、一般の人間の想像をはるかに超えとると思う。
その事実を知らされても尚、「そんなアホなことがあるかいな」と言うほどに。
「カラスが物真似するというのは知ってますよね?」
「そういう話は聞いたことはあるが、実際にそういう場面を見たことはないがな」
カラスは、分類上はスズメ目カラス科に属する鳥やが、外見はムクドリ科の九官鳥に近い。
九官鳥が人の声や動物の鳴き真似をするというのは有名やが、それと同じことがカラスにもできると言われている。
「つい最近のことですが……」
ハカセの住む地域の公営団地内で一羽のカラスが生ゴミを漁っているところを、後ろから忍び寄った飼い猫に襲われ殺されたという事件があったという。
もちろん、そのときにはそんな事は人の噂話にもならんかったがな。
ただ、それを目撃した人物、ハカセの知人でもあるセンダという人の話によると、その日を境に公営団地内の犬猫が激減し始めたのやという。
もともと、この団地では犬猫などのペットを飼うのは禁じられてはいた。
それを快く思っていない住民もいたようやが、それまでは特に問題になることもなく半ば容認されてきた。
しかし、最近になって、その犬猫などのペットが異様に騒がしくなり、ついにはその団地内で大問題になって苦情が殺到したことで、住宅公社も見過ごす事ができず、その排除に乗り出した。
そんな騒動の中、センダはある衝撃的な事実を目撃した。
それは、一羽のカラスが団地のベランダの手すりに止まり、何と「ニャーオ」という猫の鳴き真似を始めたというものや。
それを聞きつけた、そこで飼われていた典型的な座敷犬のトイ・プードルが、そのカラスに向かって激しく吠え立て始めた。
それをあざ笑うかのように、そのカラスがさらに「ニャーオ」とやる。
それに呼応するかのように、近所の犬たちが一斉に吠え出した。すぐさま辺りはその犬たちの鳴き声で騒然となった。
それに耐え切れん住人の一人が「やかましい!!」と怒鳴る。
すると、こんどは、何とそのカラスが「やかましい!!」と、その場で喋ったという。
そういった光景を一度ならず何度も目撃したと、そのセンダが話す。
そのセンダ曰く、そのカラスはそうすることで、仲間の仇(かたき)となる猫をその団地から排除できると知っていたのやないかと言う。
結果として、現在、その団地では犬猫を撤去するか、さもなくば住民が退去するかの二者択一が迫られていることにより、その犬猫たちは激減していると。
「ほんまかいな」と、ワシ。
できすぎた話に思える。いくらカラスが賢いと言うても、そこまで深く考えて行動するやろうかという気になる。
もっとも、それが絶対にあり得んという根拠もワシにはないがな。
「その真偽は分かりませんけど、私自身、カラスがゴミを漁っている現場に近づいたとき、『あっちへいけ』という声を聞いた事ならあります。その周りには誰もいませんでしたから、今になると、そこにいたカラスが言ったのではないかと思っていますが」と、ハカセが言う。
ここまで聞けば、ハカセの言わんとすることは分かる。
「ということは、今回のそのケイタの話に出てくる女の声も、カラスやと言いたいわけか」と、ワシ。
「ええ、その可能性があるのではないでしょうか?」
「そのマンションをねぐらにしているカラスが、人間を寄せつけんようにするために、そうしたと?」
「ええ」
突飛な話やが、そう考えれば、それなりに辻褄も合い、その怖さも幾分和らぎそうや。
取り敢えず、ハカセは、ケイタにその可能性を伝えたという。
そのケイタから、
そうですか。カラスですか。そんなこと考えてもみませんでした。もし、そうならそんなに怖がることはありませんね。
しかし、そのマンションの最後の読者もすぐに引っ越しするそうですから、もう配ることもないと思いますので、その心配をする必要もなくなりました。
でも、次から他で同じようなことがあっても、カラスのせいだと考えれば怖くないかも知れませんね。
ありがとうございました。やはり、お二人に相談して良かったです。
というメールが返信されてきた。
ただ、この仮説にも問題がないわけやない。
鳥は夜目が利かんし、夜は寝てるもんやというのが一般的な常識やから、深夜の3時すぎにそのカラスが起きて、そのケイタを確認し、わざわざ脅かすためだけにそう言うたのかという点が、疑問と言えば言える。
そこまでするかと思う。
もっとも、犬猫などのペットには人間とまったく同じ食事をするためか、人間と似たような病状、症状が起きるケースも多いと言うから、同じような食環境のカラスの場合でも夜寝られん不眠症の個体がおったとしても不思議ではないのかも知れんがな。
これについては何の根拠も証拠もない事やから、他所(よそ)で話す場合は気をつけて言うてや。
実際のところ、人は何でも知ったつもりなっとるが、身近なカラスのような生き物についてさえ、その正確な生態を知っているとは、とても言い難いのやないやろうかと思う。
今回のことで、昔から語り継がれてきた幽霊の正体が、実はカラスの仕業やったというのも、あながち考えられん事でもないという気にはなる。
ただ、カラスが意図して人の言葉を話すというのも、それはそれで別の意味で怖い話にはなるがな。
参考ページ
注1.第158回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■押し紙裁判の波紋
注2.第52回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 死者との契約 Part 1
第53回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■死者との契約 Part2
第103回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■幽霊配達員の正体を暴け 前編
第104回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■幽霊配達員の正体を暴け 後編
第7回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■新聞の怪談 その1 隧道(ずいどう)の老婆
第34回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■店長の想い出 その5 恐怖の新聞配達
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