メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第65回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日  2009.9. 4


■ある新聞販売店の取り組み その1 哀しき孤独死をなくせ


午前5時。

夏の夜明けは早い。

この時間になると、東の空の朝日はすでにまぶしいくらいに、その存在感を示し始めている。

今年は2003年以来の冷夏とのことやが、その日の日中は暑くなりそうな、そんな予感があった。

朝の配達を終えかけたヤマダ販売店の店長、ジローの携帯の着信音が鳴った。

「店長、つつじヶ丘のオオイシさん宅ですけど、昨日の新聞が入ったままになってます」

専業のリョウタからやった。

「呼びかけてみたか?」

「ええ、でも返事がありません」

「そうか。分かった、こっちはもうすぐ終わるから、終わり次第、オオイシさん宅にはオレが行くさかい、お前はそのまま配達を続けてくれ」

「分かりました」

「ところで、お前、確か今日の当番やったな?」

どこの販売店でもそうやと思うが、ジローの店でも専業が交代で朝の電話番をすることになっていた。

多くは、不配などの配達事故があった場合に備えるためにそうする。

事務員が出社する午前9時までの間ということになる。

「はい」

「店に帰るのは?」

「後、30分くらいで終わると思いますので、その頃だと」

リョウタの受け持ち区域は比較的販売店の近くやから、終わればすぐに店には帰れる。

「そうか、分かった」

そう言うと、素早くその電話を切ったジローは残りの配達を急いだ。

つつじヶ丘のオオイシというのは、今年70歳になる独り暮らしの老人で、ジロー自身が勧誘した客やったから良う知っていた。

ちょっと小太りで糖尿病やと話していたことがある。

それが少し気にかかる。

ヤマダ販売店では、ジローが店長になった1年ほど前から、前日の新聞を取り込んでない家があったら、必ずその家の主に声をかけるようにと指示をしてあった。

全国的にも独り暮らしの高齢者の孤独死が年々増えている傾向にある。

それを防ぐための試みやった。

そうするには、単に地域のご老人方のためにというだけやなく、ジローにとって辛い体験があったからというのが大きかった。

ジローは、あの日の事が未だに忘れられず悔やまれたままやった。

そのときのことは、旧メルマガ『第189回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞販売店員奮闘記 その1 集金秘話』(注1.巻末参考ページ参照)の中で詳しく言うたが、まだそれを読まれていない方のために簡単にその経緯を話す。

それは数年前のある月末の30日のことやった。

月末の30日というのは、新聞販売店の人間にとっては1ヶ月で最も忙しい日とされている集金のピーク時でもある。

集金が開始されるのは月末25日から翌月の5日までの間というのが多い。

まあ、これはほとんどの会社の給料日が25日やから、それ以降の方が集金しやすいというだけのことで他に大した理由はない。

ジローの店では、月末30日までに80%の集金回収をするようにと厳命されていた。

ノルマということになる。

それをクリアすれば、集金手当が余分に貰え、逆に少なすぎるとペナルティが課せられることもある。

そうするには、それなりの理由がある。

ジローの店では、その月末30日に新聞社へ新聞の卸し代金の納入を義務付けられとる。そういう新聞販売店は多い。

集金の集まりが悪いからと言うて、新聞社に納金を待ってくれとは言えん。絶対厳守や。

それが守られんと当然やが、新聞社からの評価は著しく下がる。

月末までに80%の集金ができれば、その新聞社への納金もでき、従業員への給料も支払える。

それもあり、ジローの販売店では、その80%の集金ができた集金人には報奨金として余分に手当が出ることになっているというわけや。

集金くらい簡単やろうと思われるかも知れんが、新聞販売店の集金は、これはこれで結構、難しい事が多い。

それなりの準備をしてへんかったら、予定どおり、おいそれとできるもんやないさかいな。

その当時のジローの集金受け持ちは、自分の配達区域の第5区と、アルバイトが配達する第6区、第7区やった。

全部で450軒ほどにもなる。これだけあるというのは業界でも多い方やと思う。

集金時間は、通常、夕刊配達後の午後4時頃から夜の9時頃までというのが多い。

そのとき、いつも快く支払ってくれる客もいれば、何かと理由をつけて支払いを渋る客といろいろおる。

もちろん、なかなか会えない客もいとる。

ジローは、便宜的に集金客のランク付けをしていた。

Aランク。いつ行っても在宅してて快く支払ってくれる客。

Bランク。会えさえすれば集金できる客。もしくは、集金日時の指定のある客。

Cランク。なかなか会えない客。これは独身者、単身赴任者、学生に多い。

Dランク。何かと理由をつけて支払いが滞りがちの客。当然やが、集金人にとっては、ありがたくない客ということになる。

ジローは、そのランク別に集金のための訪問順路帳を数種類作っているという。

Aランク、Bランクは、それほど問題ない。集金は、簡単にできるところから先に済ますのが鉄則や。

ジローの場合、Aランク、Bランクで全体の8割近い350軒ほどある。

しかし、そのうち、30軒ほどのBランク客は集金日時を月初めの1日から5日までの間に指定しとるから、30日までとなると、320軒になる。

その320軒を、25日から28日の4日間で集金を済ます。

問題は、その30軒ほどの集金日指定のBランクを除く、100軒ほどのCランク、Dランクの客ということになる。

ただ、これも会えれば比較的簡単に集金できるのが80軒近くあるから、残りの29日、30日の2日間で、その他の残りの回収に全力を尽くす。

毎月のことやから、そういう客でも、いつ頃、行けばええのか自然に分かる場合が多い。

たいていは、午後10時から12時までの深夜に及ぶが、それらの客にはその時間、訪問することを了解して貰うとるから、それについてのトラブルは少ない。

通常、ジローたち販売店の従業員の多くは、午後10時から午前2時頃までは就寝時間なのやが、この時期、それはあきらめるしかない。

ただ、新聞の集金というのは、それほど大事やと考えとる人は少ないから、約束していても、なかなかその時間に在宅しとらんケースも多いし、会えんというのもそれほど珍しいことやない。

ましてや、その期間に土日が絡むとよけい難しくなる。給料日のすぐ後の土日となると尚更や。

特に独身者は、金があると遊びたくなるから、新聞の集金の約束のために帰宅して待つという奇特な人間はほとんどおらんさかいな。

集金できんような状況になって初めて慌てる者が多いが、それでは遅い。

早めにそれを予想して対処しとく必要がある。

具体的には、会うのが難しいと思える客には、新聞の配達時、新聞と一緒に事前に集金の訪問予定日時を知らせたチラシをポストに入れておく。

それには「ご都合の悪い場合は、ポストにこの用紙を貼り付けておいてください」と付け加えておく。もちろん、希望集金日時の記入欄もそのチラシにはある。

たいてい、いつも10軒程度の客が、それをポストに貼り出してくれている。もしくは、電話で知らせてくる。

それらを、効率よく廻って回収すれば、予定の80%の達成くらいどうということはない。

ジローは毎回そうして、その予定を下回ることはなかった。また、それを達成することが義務というより誇りでもあった。

販売店の従業員は、「止め押し」と言うて、契約切れの比較的近い客に契約延長を依頼するケースが多い。

実は、新聞販売店が、未だに手集金にこだわり続けるのは、それが大きな理由としてある。

今日び、公共料金や電話代、学校の集金など、あらゆる支払いは銀行引き落としやコンビニ払いが多い。それが常識という感すらある。

未だに手集金主体というのは、この新聞業界くらいなものやないかと思う。

これだけ、集金業務が面倒で煩雑なら、銀行引き落としやコンビニ払いに移行すればええのやが、そうすると購読客とのつながりが希薄になると考える新聞販売店の経営者は多い。

実際、すべて振り込みやコンビニ払いに移行すれば、そうなるとワシも思う。

購読客とのつながりが希薄になるということは、契約延長も難しくなるということを意味する。

年々、新聞の購読客は確実に減少を続けとる現状でそうするのは、現存の客すら維持するのが難しくなる可能性が高いということや。

一般論として、新聞の勧誘というのは嫌われることが多く、「新聞の勧誘です」と言うて訪問しても、まともに応対して貰えることの方が圧倒的に少ない。

たいていは門前払いか、無視される。

しかし、これが「集金です」と言えば簡単にドアを開けてくれる人が大半や。

実際、ワシら拡張員が勧誘に廻っとるときでも、インターフォン越しに「○○新聞店です」と言うただけやのに集金人と勘違いしてサイフ片手に「おいくら?」と言う客もいとるくらいやさかいな。

長期購読者が、他紙を断る口実として「その販売店とは長年懇意にしとるから」というのが最も多い。

手集金を銀行振り込み、コンビニ払いにすると、その絆(きずな)がなくなるのやないかとおそれるわけや。

それが、新聞販売店が、未だに手集金にこだわり続ける最大の理由ということになる。

そして、運命の30日。

ジローはここまで、順調に集金を済ませてきた。

後、10軒ほど廻れば予定の集金率に達する。

午後10時。

ジローは、スドウという客のアパートに行った。

スドウは仕事の関係で帰宅時間が遅いということもあり、便宜上、会えにくいCランクの客ということにしとるが、実質は楽な部類に属する。

集金予告のチラシを入れとけば、たいてい、いつもその時間に代金を用意して待ってくれている。

スドウは50歳すぎで独身や。10年前に死んだジローの父親と同年配の男やった。

そのスドウの方にも、ジローと同じ年頃の子供がいとるということもあり、集金に行くと、いつも快く歓迎してくれた。

スイカやミカン、リンゴなどの果実や菓子類を貰って帰ることも多い。我が子のように接してくれる。

当然のように、止め押しもいつも快く承諾してくれていた。

その日も、その止め押しを頼む予定やった。

「スドウさん、ジローです。集金に来ました」

いつもは、そう言うだけですぐドアが開くのやが、その日は、何の応答もなかった。

「おかしいな……」

留守ということはない。部屋の電気は点いている。

「お風呂にでも入ってはるのかな」

念のため、ジローは裏に回った。案の定、風呂場の明かりが点いているのが見えた。

ジローは、「やはり」と納得し、先に他の集金を済ますことにした。

午後11時30分。

結局、その時点で予定の80%の集金はクリアしていたが、ついでということと止め押しということもあり、再度、そのスドウのアパートに行った。

「スドウさん、ジローです」

ジローは、そう言うて何度か呼びかけたが応答がない。ドアを開けようとした
がカギがかかっている。

ジローは嫌な予感に囚われた。

すぐ、裏に回ると風呂場の明かりが、まだ点いていた。

「もしや……」

ジローは、このときになって、以前、スドウが言っていたことを思い出した。

「ワシは心臓が弱いさかい、死ぬときはそれやろうな」

「病院に行ってはるんでしょ。それでしたら大丈夫ですよ。何かあったら、僕に電話でもしてください。すぐ駆けつけますから」

ジローはそう言うて、携帯の番号を教えていた。何かあれば、本当にそうするつもりやった。

それくらいの恩義はあると思うてた。

もっとも、恩義以前に、そのスドウが好きやった。死んだ父親の面影とスドウを重ねて見ていたさかいな。

ジローは、いてもたってもいられず、その近くに住むというアパートの大家の家まで行って事情を話すと、大家も心配して、合い鍵を持ってスドウの部屋にかけつけてくれた。

「スドウさん……」

ジローと大家は、恐る恐る部屋に入った。

アパートの部屋は6畳の和室と台所、風呂があるだけで狭い。

その風呂場が半開きになっていた。

そこを覗き込むとスドウが全裸でうつ伏せに倒れていた。

「スドウさん、スドウさん!!」

ジローは必死に肩を揺すって呼びかけるが応答はない。息もしている風はない。

ただ、身体はまだ冷たくはなかったから、死んでいるという感じではなかった。

もっとも、ジローはそれまでの人生で死体などというのは見たことがないから、それも危うい判断ではあるがな。

ジローは、すぐ、携帯電話で救急車を呼んだ。

しばらくして、救急隊員が到着し、手慣れた仕草で素早く全裸のスドウを毛布にくるみ、近くの救急病院に搬送して行った。

しかし、そのかいもなく搬送先の病院で死亡が確認された。

ジローは自分を責めた。

おそらく、ジローが午後10時に行った時、すでにスドウの身に異変が起きていて倒れていた可能性が高い。

そのとき、なぜそれに気づかなかったのか。そのときやったら、まだ助かったかも知れん。

スドウの部屋は狭い。例え、風呂に入っていたにせよ、呼び出しチャイムの音くらい聞こえるはずや。

いつもは、すぐ出てくる。

スドウは連絡のチラシはいつも見ていた。ジローが午後10時に行くことは知っていたはずやから、その時間まで風呂に入っているのは不自然やなかったか。

几帳面なスドウが、それにも関わらず出て来んかったというのは、それだけで異常なことやと察知せなあかんかったのやないか。

またその後、裏に回ったとき、なぜ声をかけなかったのか。

例え、風呂に入っていたにせよ、その近くまで行き、一言声をかけて後で寄るからと伝えることもできたのやないのか。

声をかけて返って来なければ、すぐにおかしいと気づけたはずや。

今、考えれば、「なぜ」「どうして」という後悔ばかりがよぎる。

しかし、結局、ジローは自分の仕事を優先して、その場を離れた。

そのときのジローには、80%の集金を達成させることしか頭になかった。

それはそれで仕方のないことやったと考えようとしたが、すぐにそれを打ち消す思いが湧いてくる。

その悔いが、数年経った今もジローの心に深い傷として刻み込まれていた。

もちろん、このジローの取った行為を誰一人咎める者はいない。

むしろ、大家を呼んだことで適切な判断やったと大半の人から評価されてもいた。

ただ、それでは、ジロー自身が納得できなんだ。

ワシには、正直、そのジローにかける言葉は思いつかん。仕方ないとも良くやったとも言えん。

そのいずれの言葉も、ジローにとっては慰めにはならんやろうし、言えば傷つけるだけや。

ただ、そのジローから、「長年、このことをずっと心の奥で悩んでましたが、ゲンさんやハカセさんに聞いてもらえたことで少し気が楽になりました」というメールを貰ったことが、唯一の救いやったと思う。

ジローは、そのメールをワシらに送った3ヶ月後、その店の店長に抜擢された。

それが去年のことやった。

近年、独り暮らしの老人の孤独死というのが相次いでいて社会問題になっているのは知っていた。

ジローは、そのスドウの件があり、当時の店長に何度か、「独り暮らしのご老人を定期的に見回るというのはどうでしょうか」と提案したことがあるが、結局、それは実現せんかった。

ジローは、いつの日か自分が店長か経営者になったら、それを実現しようと思っていた。

言えば、長年、温めていたことやったわけや。

もちろん、ジローのことやから、単に構想を温めていただけやない。

具体的な方法も十分考えて研究もしていた。

老人に限ったわけでもないが、独居住人の孤独死がなぜ起きるのか。

ジローはそこから考えることにした。

まず、地域のコミュニティが希薄やということが挙げられる。隣近所の付き合いというのが昔に比べれば極端に減っている。

これが過疎地域で民家がまばらやというのなら、まだ分からんでもないが、都会の人口が密集している地域でその状態になっているケースが多い。

「隣は何をしている人ぞ」ということで、隣近所にどんな住人がいとるのか知らんという人も多い。

その昔、「東京砂漠」という歌謡曲があったが、まさに都会の中にいても実際は砂漠に一人で暮らしている悲哀を歌ったものや。

極端に言えば、そんな状況やと思う。

独り暮らしをしている人間の特徴として、現在は当たり前となった核家族化の影響というのが大きい。

結婚した若い夫婦は、お互いの両親との同居を嫌がる傾向が強い。結婚すれば別居するというのが当たり前という風潮すらある。

ただ、これには若い夫婦が嫌がるというだけやなく、高齢者自身が子供や孫たちに迷惑をかけると考え、同居を遠慮するというケースが多いというのもある。

そんな中、配偶者と死別した高齢者は必然的に独り暮らしになる。

結婚した若い夫婦が、その近くに住むというケースは少ないため親族が近くにいないという高齢者が増える。

配偶者との死別やなくても、今流行(いまはやり)の熟年離婚の急増というのもある。

定年退職または失業により職業を持たない独身者というのも多い。

それらの人の中には慢性的な病気を抱えて生活しているケースも多く、その人たちが潜在的な孤独死予備群となっている。

それが、年々孤独死が増加の一途を辿っている主な要因になっていると考えられている。

突発的な心筋梗塞や脳溢血などの疾病や発作などがあっても誰もそれに気がつきにくいという状況が自然に増えているわけや。

また、それらが直接の死因やなくても、その症状を引き起こすことで日常の生活に困難をきたして動くこともできず餓死するケースや意識不明に陥ったまま亡くなるケースもあるという。

孤独死は現在、日本全国で年間2万5千人から3万人にも上るという深刻な状況にある。

ある団地では5400戸中、約1200戸が独り暮らしで占められ、そのうち孤独死と認定されたのは31人もいたという新聞の報道があった。

その内訳として男性が19人で女性より多く、意外なことにその男性の孤独死は50代以下が最も多かったという。

ちなみに、例のスドウもまだ50歳すぎで独身の男やった。

「うちのエリアのお客さんから、あのスドウさんのような人は二度と出さない」

ジローはそう誓い、長年温めていたその構想に着手した。

まず、独身者のリストを作った。

実配部数1800部のうち独身者は実に950部で半数以上あり、そのうち50歳以上の独身者は730人もいとるということが分かった。

他店の状況を知らんから何とも言えんが、先の新聞報道にあった団地の5400戸中、約1200戸が一人暮らしという事と比較してもかなり多い。

ジローも感覚的には多いやろうとは思うていたが、まさかこれほどまでとは考えんかった。

これも、そのリストを作ったからこそ分かった事やった。

これだけの人数を常に見守るというのは、ジローを含めて5人の従業員スタッフだけではとても無理な話や。

どうするか。

考えた末、アルバイトを含めたすべての配達員に「前日の新聞を取り込んでない客はすべて店長のオレに知らせろ」と指示した。

そして、4人の専業員には「その場で必ず声をかけろ」とも念を押した。

普通、どんな家でも新聞は必ず取り込む。そのままなのは何らかの事情がある場合に限られる。

それには単にその日、たまたま外泊したとか、旅行などに行って休止の連絡を忘れたとかということも考えられるが、スドウのように倒れて深刻な状況に陥っているというケースもあるはずや。

その最終確認はジロー自らがするから、とにかく報告しろと。

次に考えたのは、購読者本人に聞き取り調査をすることやった。

過去に心筋梗塞や脳溢血などの急性の疾病に罹って発作などを起こした経験はないかとか、糖尿病などの慢性疾患で気を失って倒れたことはないかというものやった。

それを尋ねると「なぜ、そんなことを聞くのか」と訝(いぶか)る人間もいてた。

そんなとき、ジローは正直に、「実は以前、こんなことがありまして……」と、スドウの件を話して、「販売店として、その防止に努めたいので」と説明する。

そして、「そういう病歴のある方で、新聞の配達時に前日の新聞が取り込んでなければ異変があったと考え、場合によれば救急(119番)に通報しますので」と言う。

「そうすることで助けられるかも知れないですし、少なくとも例え亡くなられていたとしても数日間もそのままという悲劇は回避されるはずですから」とも付け加えた。

すると、ジローも予期せんほどの反響が起きた。

その話をして賛同してくれた客たちが同じ境遇の仲間にジローの販売店を紹介してくれるようになった。

特に、高齢者たちにそれが多かったという。

異口同音に「そうして貰えると助かる」というものやった。

そういう評判が立つのは結構早い。

その評判のためか、いつのまにか「あの販売店の店長さんは立派な人格者やで」と言われるようになった。

もっとも、ジロー本人は、単に昔の罪滅ぼしがしたいという思いだけしかなかっから、それを言われるのは、正直、気が引ける。

しかし、そうなると、新聞の勧誘をするのは楽やった。悪く取られることはまずないさかいな。

勧誘員たちも、こぞってそれをアピールするようになった。

それにより、部数が着実に伸び始めたという。

「オオイシさん、おられますか?」

ジローは、玄関を強めに叩きながら何度か呼びかけたが、何の応答もない。

時計を見た。

午前5時30分。最初の一報を受けてから30分が経つ。

ジローは、リョウタに電話した。

「今、どこや?」

「ちょうど店に帰ったところです」

「そうか、早速で悪いが急いで事務所に行って、リスト帳の中に、オオイシさんの連絡先が書いてあるはずやから、分かり次第すぐ教えてくれ」

「分かりました。ちょっと待ってください」

しばらくして、「分かりました、オオイシさんの自宅の電話番号は……」と、リョウタが言う。

「分かった」

ジローは、その電話を切って、聞いたばかりのその電話番号にかける。

出ない。

2、3度かけて反応がないのを確かめてから、また店のリョウタに電話した。

「オオイシさんは確か携帯を持っていたはずやが、その番号もそこに書いてあるか?」

「ええ、あります。言いますよ」

その番号を控え、またそれに連絡する。

それに出なかったら救急に連絡すると決めていた。

すると、「もし、もし」という聞き覚えのある声が聞こえてきた。

オオイシの声に間違いない。

無事やった。

ジローが真っ先に考えたのは、それやった。

ジローは、手短めに電話をした理由を告げた。

「店長、悪い、悪い。連絡しとくのを忘れてた。ワシは昨日から息子夫婦の家に遊びに来とるんや」

「そうですか。それでしたら安心しました。それでいつ帰られます?」

まだ、この先、泊まるようやったら、その間、新聞の休止をしとくつもりやった。

「今日、帰るつもりや」と言う。

「そうですか、分かりました。それでは、明日から同じように新聞は入れますので。ところで、昨日と今日の新聞はどうされます?」

「息子夫婦のところも同じ新聞を取っていて読んだから、悪いけど店長の方で処分しといてくれんか」

「分かりました。そうしておきます」

こんなこともある。

ただ、こういうことを日頃から心がけとるとは言うても、実際には前日の新聞を取り込んでないというケースは滅多にないがな。

ただ、数は少ないが必要な取り組みなのは間違いない。

現在、全国的にも、これに似た取り組みをしている販売店は多い。

そして、それをしている店は間違いなく、そこそこの顧客を確保しているはずやと思う。

「最近、うちの評判を聞いて、他の販売店でも『同じことをしてます』と言って勧誘してるから、何かやりにくくなってしょうがおませんわ」と、リョウタがぼやく。

「他もやっとるというのなら、ええことやないか」

ジローは心底、そう思う。

いくらジローの店が頑張ってそうしたからと言うても、一軒の販売店がするだけやとタカが知れてる。

万が一の状態に陥ったすべての独身者を救えるわけやないさかいな。

その輪が拡がれば、その分、助かる命も増えるやろうし、寂しく死んだままということも少なくなる。

また、その取り組みをすることで、少しでも多くの購読者に分かって貰え、部数も確保できるのなら、新聞販売店自体も救われる。

そして、それができるは毎日の訪問介護を除く全業種中、新聞販売店くらいなものやろうという自負がジローにはある。

まさに「情けは人のためならず」ということやと思う。

その気持ちで人と接すれば、巡り巡って必ず情けをかけた人間も報われる。

人の世とはそうしたもんや。そう信じたい。



参考ページ

注1.第189回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■新聞販売店員奮闘記 その1 集金秘話


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