メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第66回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2009.9.11
■拡張の群像 その4 我、遊軍拡張員となる
遊軍拡張員。
これだけを聞くと「何やねん、それ?」という疑問の声が、一般のみならず業界関係者からも上がってくるのやないかと思う。
「そんなのがおるのか」と。
拡張員というのは多くの場合、その拡張団で班というグループの一員として、その行動を制限されているものと相場が決まっとる。
それが故に、自由に何の制限もなく行動できる拡張員というのは普通では考えられん存在ということになる。
遊軍という本来の言葉の意味は、実際の軍隊において、いつでも出動できるように待機している兵のことで、別名「遊撃隊」とも呼ばれとるものや。
それが転じて、組織の中で決まった任務につかず、必要に応じて活動できるよう待機している者に対してそう呼ばれるようになった。
有名なところではベテランの新聞記者なんかにそう呼ばれとる者がいとるということや。「遊軍記者」と。
まあ、実際には、そういう存在の人間は映画やテレビドラマの中でしかワシは知らんがな。
あまり知られてないが、拡張員の中にも、それに近い者がいとる。
何を隠そう、このワシがそうやったさかいな。
一口に「遊軍拡張員」と言うてもそうなるにはいろんなケースがある。
それがええのか悪いのかは別にして、そう呼ばれるには、ある程度の条件が備わってのことや。
それを列挙する。
1.ベテラン拡張員で、そこそこ営業実績を上げている者。
これはイメージとしては分かるやろうと思う。新人や駆け出しで、こう呼ばれることはまずないさかいな。
2.各班長から煙たがれている。または使いにくいとされる者。
新聞拡張団の班長というのは、その班では他の班員の誰よりも成績がええのが当たり前とされている。
そこに、その班長と同等かそれ以上の成績を上げるベテランがいると、実力優先社会の拡張団ではどうしてもその班長はそれ以外の班員に示しがつきにくい。
たいていの場合、そういう人物は交代もしくは新たな班の班長に抜擢される事が多いが、中にはワシのようにそれを固辞する者もいとる。
やりたくないと。
そういう者が一兵卒にいると、どうしても班長クラスはやりにくく嫌がる。
ただ、そういう者でも応援としての遊軍という立場なら、その班長たちのプライドを傷つけることは少ないから、逆に歓迎されやすい。
3.幹部候補として団長が認めた者。もしくは側近としている者。
肩書きとして部長とか、副部長、もしくはそれに準じる役職の者のことや。
こういう連中は、班長の上やから、当然のように各班をその日の都合により渡り歩くことになる。
まあ、こういう連中は「遊軍」とは呼ばんが内容的には同じようなものや。
4.自由にさせていた方がやる気を見せ成績を上げる者。
どんな組織の中にも多かれ少なかれ、こういうタイプはおる。気むずかしい職人気質の人間で、人から指図されることを極端に嫌がる。
組織の決まり事やからと無理に班に編入すると、ヘソを曲げてまったくやる気を見せんが、自由にさせると水を得た魚のように頑張って成績を上げる。
5.性格的な問題から浮いた存在になっている者。
これが理由としては一番大きいかも知れん。
他者とのなれあいを良しとせず、自分の価値観のみに固執するタイプやな。
その自分の価値観に合わん行動をする者にはどうしても批判的な見方になり、表面的にもぶつかりやすい人間や。
遊軍拡張員と呼ばれる、またはそれに準じた立場の者の特徴を挙げれば、大体、そんなところやな。
それらの要素がワシ自身にも多分にある。特に最後の(5)あたりは、そのまま当て嵌まると自分でも思う。
このメルマガやサイト上では、その方針ということもあって他者への批判、特に名指しでの批判というのは控えるようにはしとるが、実際のワシは少し違う。
場合によれば、そこまで人をこき下ろすかというくらい、辛辣かつ痛烈な批判をすることもあるさかいな。
自慢やないが、悪口の言い合い、詰り合いをさせたら滅多に引けをとることはないという自信がある。
痛烈な批判という表現を文章にすると、それほどでもないと感じられるやろうが、実際は生まれ育った柄の悪いとされる大阪の河内弁丸出しで喚きまくるわけやから、傍から見たら、どこかのヤクザが文句を言うてるようにしか思われんことも多い。
えげつない事を言う、おっさんやと。
ええ歳をした大人としては、あまり褒められたもんやないが、そういう性格的な一面は、例えそうと分かっていても、おいそれとは治らんもんや。
当然のように、それで痛い目に遭うたことは数知れずある。
もっとも、その反省から他者への批判を避けとるわけやないがな。
単に、そんな話をわざわざホームページに訪問しただけで読まされることになる読者が気の毒やというのと、ワシら自身がそんなことをしても面白くないというのがあるからや。
そんな人を貶(けな)したり批判したりするようなものからは何も生まれんという考えもあるしな。
少なくとも人のためになるようなことは何もないと考えとる。
ただ、サイト以外の実社会ということになると、そこは人間やから、いろいろ不満に思う事や気にいらん事が起きると黙ってられんケースも生じるということや。
それが、この拡張員の世界にはなぜか多い。当然のように、そういう者とはぶつかる。
その相手が班長であろうと、幹部であろうと関係ない。我慢できず好き放題に喚き散らす。
普通、そういう人間は、いくら仕事ができても疎外され、組織の中では生きて行けんから辞めな仕方ないという立場に追いやられる場合が大半やと思う。
しかし、この拡張の世界では、仕事ができるという一点で、その性格を含めたマイナス面が少々あったとしても容認されるという傾向が強い。
特にワシは、どこの団に行っても好きにさせとけという扱いやったから、よけいそう思う。
一度、ある団で班長をしたことがあるが、見事に失敗して多額の借金を抱えたという経験から、いくら要望されてもそれは固辞し続けてきた。
結果、班長待遇の一匹オオカミとして、その団でそれなりの地位を築いたわけや。
それで「遊軍拡張員」ということになった。
今から6年ほど前の話やった。
「ゲンさん、オオモリ班長のこと、どう思われます?」
シンイチという若い団員が、そう言うてきた。
「どうとは?」
このオオモリという男は、過去のメルマガ(注1.巻末参考ページ参照)に数多く登場しとるから古い読者の方なら、「ああ、あいつか」と分かって頂けると思う。
ただ、最近から読み始められた読者の方には「誰のことや」となるから、簡単にその人なりをエピソードを交えて紹介する。
まず、『第24回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんを探せPart 1』および『第25回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんを探せPart 2』(注1.巻末参考ページ参照)から。
オオモリが「ゲン」の正体を探るためにワシらのホームページを初めて見た際の第一声。
「何や、これは、字ぃばっかりやんけ」
オオモリの感想や。
ホームページというのは絵や写真がふんだんにあって、その中にワシの写真でもあると思うたのやろうな。
極めつけは「あかん、どこ見ても字ばっはりや。頭が痛うなる」やった。
その前日、オオモリは、ワシらのホームページをよく見ているという若者から「ゲンさんの仲間なら3ヶ月だけ取ってもええよ」と言われて「それやったら良う知ってるで、アイツのことと違うか」と、デタラメを言うたところカード(契約)になったことで味をしめていた。
その若者の話から、その「ゲン」というのが同じY紙の拡張団にいとると知り、何とかその正体を暴こうとしたわけや。
しかし、ワシの正体を探るのが困難になると、「もう、そんな人間捜すのはどうでもええわ。それより、そのホームページを良う見とるという若い奴を捜して、ワシらは、そのゲンの仲間やと言うて新聞取らせた方が賢いのと違うか」という結論に至った。
もっとも、その目論見(もくろみ)は見事に外れたがな。
当たり前や。
いくら、ワシらのサイトがそこそこ人気があると言うても、誰もが知っとるというメジャーなものやない。
世の中には、その存在すら知らん人間の方が圧倒的に多い。
オオモリが出会ったという若者とは、たまたまの偶然が重なっただけのことやったわけや。
そんな偶然の僥倖(ぎょうこう)に再度期待するというのは『株を守りて兎を待つ』という事と同じで愚の骨頂でしかない。
『株を守りて兎を待つ』とは、昔、狩人が木の切り株で、たまたま、それにつまずいて動けなくなった兎を見つけて捕まえ儲けたと思い、それに味をしめ、次の日から、その切り株で次の兎を待つ狩人の愚かさを揶揄したという「ことわざ」や。
二度も上手い話はないという教えでもある。
もっとも、このとき愚かやったのは、このオオモリだけやなく、それを真に受けた他の拡張員たちも一緒やったがな。
同じように探し歩いて、その挙げ句、オオモリに「そんな人間どこにもおらんかったで」と文句を言うてたさかいな。
続けて、『第42回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■拡張員の記憶力の果てに?』(注2.巻末参考ページ参照)でも、そのオオモリについて触れとる。
このオオモリという男は、お世辞にもええ人間というわけやないが、それでも取り柄はある。それも並外れた取り柄や。
こいつは何でも良う覚えとる。
自分が客と交わした会話はもちろんやが、他の拡張員と客との会話の内容まで一度聞いたくらいで完璧に覚えとるというのは、単なる記憶力がええというレベルやなく、異常とさえ言える。
それも古い話やと5、6年前まで遡(さかのぼ)って覚えとるというから恐れ入る。
せやけど、こいつにもっと驚かされるのは、それが拡張に関する記憶だけで、普段の記憶は昨日のことすらまともに覚えとらんという点や。
特に自分の都合の悪い事はほとんど忘れとる。
例えば「今、たばこを買う小銭がないねん。明日必ず返すから、300円貸しといてくれ」と言うたことなんか、次の日にはまず覚えてない。
まあ、これは本当に忘れとるのかどうかは怪しいがな。せやけど、昨日、喋ったことを忘れとるというのは事実や。
「ここだけの話やがな、誰にも言うなよ。団長、浮気がバレて嫁はんに散々ドヤされとるらしいで……」という話を何度も同じような調子でワシに言う。
「オオモリはん、それは昨日も聞いたで」
「アホなこと言うな。この話をするのは初めてや」と真顔で言う。
本当にそう思い込んどるようや。他にも似たようなことは多い。ボケが始まったか進行しとるのかも知れん。
しかし、拡張では相変わらずの記憶の冴えを見せる。ほんまにわけの分からん奴や。
次は『第77回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■鬼の霍乱』(注3.巻末参考ページ参照)から。
そのオオモリに関した部分だけを抜粋する。
団にオオモリという男がおる。
こいつも、滅多に風邪のひいたことがない奴やった。もっとも、こいつの場合は、間違いなく『アホは風邪ひかん』というタイプそのものやと思うけどな。
少なくとも、こんなのとは一緒には、されとうはないという奴や。
そのオオモリが風邪をひいたという。
ワシも、一応、アホのひく風邪やからということで、必要以上に警戒はしてた。
せやけど、ワシらの団は、基本的には、1台のワンボックスカーで、7、8人が狭い車内に閉じこめられて現場まで移動することが多い。逃げ場がないわけや。
「オオモリさん、何か辛そうやな。今日は休んどったら良かったのに」と、タケダという仲間が言う。
もちろん、心配ということも多少はあるが、それ以上に、うつさんといてくれよという思いの方が強い。
「いや、こんな風邪なんかで休めん。それに、風邪は、誰かにうつしたら治りが早いと言うしな」
普通の奴が、こういうことを言うても、ただの冗談で済む。
もちろん、オオモリ本人も冗談で言うたことかも知れんが、そのときは誰もそうとは受け取らんかった。
オオモリなら、本気でそういうことを考えかねん。皆の共通の認識や。
皆が一斉に横を向いて、知らん顔をしてたことでも、それが分かる。
当のオオモリはと言えば、これ見よがしに咳を連発しとった。そんなこと、ばっかりしとったら、ええ死に方はせんで。ほんま。
その日は、いつもより多めに、お茶でのうがいをした。
しかし、そんなもので、何とかなると考えてたワシが甘かったということになる。
やはり、アホのひく風邪は尋常やないということや。
ワシ以外にも、その車中に同乗しとった拡張員が全員、インフルエンザに罹ってやられてしもうたからな。
今更ながらに、おそるべき奴やと思う。
幸い、ワシの熱も3日ほどで下がり快方に向かったから良かったようなもんやが、これが、現在、世界中に懸念されとる鳥インフルエンザの変形タイプにオオモリが冒されたら大変なことになるのやないかと思う。
ワシが、こんなめに遭うくらいやから、その被害たるや想像を絶するものになるのは間違いない。
万が一、そういう事態にでもなれば、オオモリを消却処分にするしか、人類の助かる道はないのやないやろうか。
そんな気がする。
余談やが、この回のメルマガは、そのインフルエンザ対策についての情報も相当数あるので、ついでに読まれれば某かの役に立つのやないかと思う。
但し、これは3年以上前の話で、現在、流行っている新型インフルエンザに対してどこまでそれが有効かは分からんがな。
まあ、それでも何もせんよりかはマシやとは思うけどな。
他にもオオモリが登場した回は、まだあるが、このくらいでオオモリがどんな人間かは分かるやろうと思う。
「昨日のことですけど……、僕、カード(契約)を作らせているところを見たんです」と、シンイチが言い出した。
「カード(契約)を作らせる」とは、要するに「てんぷら(架空契約)」を作っているという意味や。
その日、シンイチは自身の1ヶ月のノルマが上がったということもあり、早めに仕事を切り上げ、終了予定時刻より2時間早い午後6時に販売店に戻った。
この時間ならまだ誰も帰ってないやろうと思い、その日監査することになっていた販売店の所長にカードを渡して、一足先に引き上げるつもりでいた。
オオモリからは、「班の成績がもう一つやから、時間一杯まで拡張しろ」と言われていたが、それに従うつもりはさらさらなかった。
シンイチは、オオモリを嫌っていた。そのオオモリの班のために仕事なんかアホらしくてできん。
そう考えていた。
その理由は、挙げたらキリがないほどあるが、一言で言えば、オオモリという人間は自分の得になることしか考えず、シンイチたち若い拡張員を使い捨ての駒のようにしか扱わんからやということらしい。
確かに、そういう面はあると思う。人徳ということに関してはこれほどない人間も珍しいくらいの男やさかいな。
当然のように恨みを買うケースも多い。
『第121回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■拡張員列伝 その6 変人、タケシの陰謀』(注4.巻末参考ページ参照)に登場する、タケシなんかはその最たる者やと思う。
ついでやから、そのタケシの抱いた恨みの理由というのを手短に話す。
オオモリとタケシが揉めたというのは聞いて知ってた。
オオモリとワシは、そこそこ付き合いが長いから、根はそれほど悪い男やないというのは知っとるつもりやが、あまり、人に好かれる男やないのは確かや。
特に、自分より明らかに下と思える人間には横柄やと聞く。
ワシらの団では連勧というのを、たまにすることがある。
連勧というのは、グループで一緒に行動する拡張のことや。
主に1台の車に乗り込んだメンバーでする。その日は、オオモリとタケシを含めた4人でその連勧をしていた。
この連勧は、ほとんどの場合、団からの指示、命令でそうする。
拡張員が率先して連勧を希望することは少ない。これは、サボり防止対策用の営業という側面が強いからな。
拡張員がサボるのは個人で廻っとるときが大半や。
個人的になら、それでその日、成績が悪うても調子悪かったで済ませることができる。
その本人が我慢するか、責めを負えば済むことや。怒られて終いということやな。
グループやとそうはいかん。特にその中のリーダーとなる人間は坊主(契約ゼロ)というわけにはいかんから責任重大や。
ある程度、必死になる。団や他の人間の手前、ええ格好もせなあかんしな。サボってられんということになる。
そのリーダーにオオモリがなることが多い。その日もそうやった。
オオモリは「鵜飼い作戦」というのが得意や。というか、それしかせんようやがな。
鵜飼い作戦というのは、他の拡張員を鵜に見立て、データにある客の家の前で一人ずつ降ろし、拡張させるやり方のことを言う。
そのリーダーのオオモリが鵜匠となって、今回の場合やと、他の3人にその拡張先を指示する。拡張員はカードを集めてくる鵜というわけや。
傍目には、オオモリはその車を運転して指示を出すだけやから、楽な仕事をしとるように見える。
事実、そう思うとる人間も多い。タケシもその中の一人やった。
この連勧で上げたカード(契約)は基本的には、そのメンバー全員で公平に分配するのが、暗黙の決まり事になっとる。
オオモリとタケシが揉めたのは、そのカードの分配が原因やった。
暗黙の了解事項は、均一の本数を分けるということやが、これが、結構、難しい。
カード料には、通常、3ヶ月、6ヶ月、1年とある。同じ1本の契約でも、3ヶ月と1年では、拡張料は倍ほども違う。
加えて、契約そのものにも、解約されにくいAランクから、いつ崩れてもおかしくないようなCランク、Dランクのものまで、いろいろある。
それらを考慮して上手くメンバーに分配できれば問題ないが、それが簡単にいかん場合がある。
明らかに損やと思えるカードをリーダーが被るというのなら問題は少ないが、残念ながら、オオモリはそういう配慮のできる男やない。
有利なものは自分のものに、不利なものは他人に押しつける。典型的な自己中心的な男と言うてもええ。
そんなんやから、オオモリは、常に有利なカードを手にすることが多かった。
メンバーに、年下とか、新人がいとる場合にそれが顕著やという。
当然のように、そのことを不満に思う人間も多い。
タケシが、その分配のことで、オオモリに食ってかかった。
「オオモリさん、あんた、前にも『辛抱しろ、この次はちゃんと考えたる』と言うてたけど、いつまで経っても一緒やんか。ええ加減にしてほしいわ。いつも、ええ目しとるのは、あんただけや。カード上げてくるのはオレらやで」
「何を、生意気なこと抜かしとんねん。お前みたいな駆け出しがカードを上げられるのは、ワシの指示があるからやないか。ワシが、おらな、ここでお前にカードなんか上げられるかい」
と、言われ一蹴されたことで恨みを抱き、オオモリに復讐することをタケシは誓った。
その回のメルマガには、その経緯を面白おかしく話しとるが、もし、興味を持たれたとしても、食事前に読まれるのだけは止めといた方がええと言うとく。
確実に食欲をなくすさかいな。
話を戻す。
シンイチは、どうせ月が変われば、すぐ班の編成があるから、そのオオモリとは離れられるということもあり、黙ってその日は引き上げるつもりやったという。
しかし、シンイチが販売店に入ると、事務所の中にオオモリと所長がいとるのが見えた。
一瞬、どうしようかとは思うたが、取り敢えず上げたカード(契約)だけは渡しておこうと考え、事務所に向かった。
その二人は、シンイチには気づかず話し込んでいた。
「所長、後10本でええさかい、何とか頼むわ」と、オオモリ。
それがあれば、班のノルマはクリアできるからと訴える。恩に着るからと。
「オオモリさんには、先月も20本の貸しがあるんやで」と、所長。
「どっちみち、あんたのところは塗り絵だらけなんやから今更、少しくらい増えてもどうってことないやろう」と、オオモリ。
シンイチは、その会話から即座に何を話合うとるのかを察知し、気づかれんようにそっと事務所の扉の蔭に隠れ、聞き耳を立てた。
拡張員の御法度の一つに、てんぷら(架空契約)というのがある。
主に販売店に内緒で拡張員個人がするもので、その当時でも、それが発覚すると大変やった。
良くてその販売店への出入り禁止で、ヘタをするとクビになるというケースまであったくらいやさかいな。
しかし、この販売店では、所長と拡張員が共謀してそれをやっとる。
こういうものは、当事者が、それとバラさん限り発覚することは少ないが、その決定的な現場をシンイチは目撃してしまった。
オオモリが「塗り絵だらけ」と言うたのは、その共謀してカードにした家を塗りつぶすという意味や。
一般的な販売店は、現読、約入りの家は任意の色を、コピーした住宅詳細地図に塗って「契約済み」と分かるようにしとる。
ちなみに、それ以外の未契約の家は当然白く、そこを叩く(訪問)ことを「白叩き」という。
それらが塗り分けられた住宅詳細地図のコピーを拡張員に渡して勧誘させる。
こうしておけば、拡張員はその家を叩く(訪問)ことができんわけや。
その手口は至ってシンプルで、たいていは数年先の約入りということにしとく。
実際の期日が近づけば、解約された事にするか、契約が延長になった事にでもする。
それをするのは、他紙の固定読者というのが多い。
どうせそんな所は誰も勧誘もせんやろうし、したとしても契約を上げることなんかできんはずやと踏んどるから、発覚しにくいということでそうしとるわけや。
シンイチは見たらあかんものを見たということになる。
シンイチは、その場を気づかれんように離れた。
その日、オオモリは勝ち誇ったように、1日で10本の契約を上げたと自慢げに言うてたという。
「腐っとる」
シンイチは、そう思うた。そう考えると、毎日、まじめに叩いているのがバカらしく思えてきた。
そして、幹部や班長やと言うても、所詮その程度の人間かと思うた。
シンイチが、ワシに「ゲンさん、オオモリ班長のこと、どう思われます?」と言うてきたのは、それを団の誰にも話せんと考えたからやったという。
ワシは、その団では「遊軍拡張員」としてそれなりに皆に認められていたし、そういう事とは縁のない男やと思われていたようや。
それには、団長以外の幹部とは一線を画していたと見られていたからやと。
加えて、万が一、ワシまでその仲間やったら団を辞めるつもりやったとシンイチは言う。
そんなところでやってられんと。
シンイチはワシにその話をすることで、暗に、そのことを団長に話して何とかしてくれと言うてるわけや。言えば、直訴に近いものやな。
それに対して、ワシの返答は「ほっとけ」やった。
ワシも、団長もその程度のことは良う知っとる。知っとるが強いて暴き立てるようなことはせん。
団長にとっては、それは直接の利につながるからや。
この業界、確かに基本は客から契約を上げることや。しかし、それ同じくらいその販売店との付き合いも大事になる。
団に拡張料が支払われるかどうかは、その販売店次第なわけやからな。敵対するより仲良うしといた方が得や。
その販売店のトップが、それと承知でその拡張料を支払うと言うてる限り、団としては文句を言う筋合いやないとなる。
確かに、こういうやり方は間違うとる。するべきやないといのが正論や。
サイトのQ&Aに同じような質問、相談があれば、ワシは間違いなく「そんなことは許されることやない」とは言うやろうと思う。「あってはならんことや」とも。
ただ、それを摘発しろとは言わんし、積極的にそう勧めることもない。もっとも、そうするという者を止めとけとまでは言うつもりはないがな。
この場合は、シンイチがその質問者の立場になるわけやが、そうしても本人には何も得るものがない。
ヘタをすると身を危うくするだけにしかならん。それを暴いても結局は、その人間がそこに居づらくなるだけやさかいな。
ワシが悪を暴けと言う場合は、その本人がそうせな不利益を被ると判断したときくらいなものや。
その悪を暴いて自身が助かるのなら、迷わずそうすればええ。
しかし、それ以外では「清濁併せ呑む」という程度の見て見んフリをする事も必要やと思う。
それが大人の処世術ということになる。ええ悪いやなくな。
それに、このオオモリや所長のようなことをする者は、いずれそれに見合う報いを必ず受ける。
当たり前やが、そんなことばかりやっていて上手くいくほど世の中、甘くはないさかいな。
なぜか。
人間の中には、例え悪い事と分かっていても、それが簡単にできてバレることがないとなれば、自らそのハードルをどんどん下げてエスカレートしていく者がいとる。
そんな人間の行き着くところは一つ、「破滅」しかないということや。
現実に、その所長はその後、廃業を余儀なくされ、オオモリもその団を追われる羽目になったと聞くさかいな。
もっとも、オオモリの方は、そのゴキブリ並の生命力で復活して他団で懲りずに拡張員をやっとるがな。
ワシは、シンイチに「ただそれを反面教師とするか、それならと同じことをしようと考えるかで、その人間の値打ちが決まるがな」とだけ言うておいた。
「分かりました」と、シンイチは答えていたが、ほどなく団を辞めて去って行った。
ワシの言葉に納得したのか、落胆したのかは、結局、分からず終いやったがな。
巻末参考ページ
注1.第24回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんを探せPart 1
第25回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんを探せPart 2
注2.第42回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■拡張員の記憶力の果てに?
注3.第77回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■鬼の霍乱
注4.第121回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■拡張員列伝 その6 変人、タケシの陰謀
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