メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第86回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2010.1.29
■社会に貢献できる新聞の営業法について
新聞の営業は、それと知られただけで嫌われる場合が多い。
今までは、多くの勧誘員もその事を熟知しとるからなのか、真正面からの営業に取り組むより、強引、または躱(かわ)す手法の方が主流になっていた。
脅して契約させる「喝勧」しかり、大量の景品で釣る「置き勧」しかり、騙(だま)しによる「ヒッカケ」しかりや。
しかし、現在、それらの手法を使う勧誘員は激減しとるという。
それも、ここ1、2年が特に顕著になっていると。
サイトのQ&Aにもそれらの被害に遭って困っているという相談も、ここのところ激減しとるしな。
ただ、その中にあって、今まではグレーゾーンとして半ば容認されていたようなところもあった「ヒッカケ」と呼ばれる、騙(かた)りの手法だけは根強く生き残っとるようやがな。
それでないと「契約なんか取れん」とまで言い切る勧誘員さえいとるという。
「ヒッカケ」とは、その相手(客)を意図して騙(だま)す、あるいは勘違いさせる営業手法を意味する業界用語や。
それにはいろいろある。
他紙の勧誘員を騙(かた)るもの。
例えばA新聞の読者に、A新聞の販売店の人間やと騙(かた)って安心させ、留め押し(継続契約)を装い、実際にはY新聞の契約書を差し出してサインさせるという類のものや。
その場で、それと気づかん客を文字どおり「ヒッカケ」て騙(だま)すわけやな。
また、コンビで行うケースもある。
この場合、Y新聞の読者にはY新聞の販売店の従業員、または勧誘員を装い、ワザと気分を害する言動をしてその心証を悪くさせ、その直後に、気のええA新聞の勧誘員として訪れた者が、そのY新聞を騙った勧誘員を撃退して、それに喜んだ客から契約を取るというものや。
そこまで凝ったものやなく、単に客を玄関口に出すための口実、テクニックというのも、その範疇(はんちゅう)に含まれる。
「宅急便です」「近所の引っ越しの挨拶に来ました」「古紙回収の者です」、あるいは「町内会の者です」と騙(かた)って客を引っ張り出し勧誘するというのが、それや。
いずれにしても、この「ヒッカケ」というのは騙しには違いないさかい、客とトラブルになることも多い。
しかし、そのグレーゾーンになっていたということもあるのやろうが、それにある種の誇りさえ持ってやっている勧誘員も少なからず、いとるという。
まだ新人やという、ある拡張員の方から寄せられた話がある。
疑問を感じた私は、そのことを団の指導員に伝えました。
「ヒッカケトークの練習やロープレをするつもりもありません」、「自分はヒッカケは苦手でできません。今まで仕方なく我慢してやっていました」と。
そうしたところ、その指導員から「いまさら何言ってんだ。嫌ならもっと早く言え、ヒッカケができないなら○○新聞ですけどって正直に言って入ってみればいいさ、枚数上がらないから。俺らのやり方が一番カードがあがるんだよ」って言われました。
また、「自分達のやり方(ヒッカケ営業)が嫌だったら団の別のチームと何か別のやり方でやってみたらいいですよ。ただしその時に俺らのヒッカケトークを使っていたら怒りますよ」ときつく言われました。
というのがあったが、如実にそれを表していると思う。
しかし、今は去年の2009年12月1日『特定商取引に関する法律』の改正法の施行が開始されたことにより、それもあかんようになった。
法律的にも、この「ヒッカケ」のように偽って勧誘することが禁止されたさかいな。
この改正法の第3条ノ2第1項「勧誘の意志の確認」で、
販売事業者又は役務提供事業者は、訪問販売をしようとするときは、その相手側に対し、勧誘を受ける意志があることを確認するよう努めなければならない。
と規定された。
これにより、これからは、「新聞の勧誘をさせて頂きますけど、よろしいでしょうか」と確認してからでないと勧誘したらあかんということになったわけや。
当然やが、この「勧誘の意志の確認」の中には勧誘する人間の身分を明らかにするということも含まれる。
加えて、「不実の告知」の禁止も強化された。
消費者契約法の中にも同様の規定があるが、それがさらにバージョンアップされたものやと思えばええ。
虚偽や事実と異なる説明をすることで、告げている内容が客観的な事実と異なっていればすべて違反になる。
事実に反する内容すべてがそれに該当すると思えばええ。
この違反例が最も多いと考えられている。
それまでは「ヒッカケ」のような身元を偽る営業手法そのものを直接規制する法律がなかったから、「感心せんやり方やな」で済んでいた部分もかなりあった。
新聞社や販売店が公然とそれを取り締まることもなければ、ペナルティを加えるということもなかったさかいな。
半ば容認されていたようなところがあった。
他には、客からの同情を買う「泣き勧」という手法も昔からあるが、これについては特に法律で規制はされとらんし、業界でも禁止行為には指定されるほどでもない。
ただ、一部では、情けないやり方やとの批判はあるようやがな。
同情を買うために「子供が腹を空かしているので」、「このまま帰ったら叱られる」と訴えるケースが目立つ。
それも嘘臭いから、あかんやろうという批判がある。
しかし、ワシは事、その「泣き勧」に関しては、それほど否定的でもない。
人の情に縋(すが)るというのは、その事でその相手(客)に迷惑や嫌な思いをかけてなかったら、「いいことをした」、「助けた」という気分に客がなれる分、それほど悪い事やないかという気がする。
もっとも、それで成績を劇的に上げた拡張員というのは数えるほどしか知らんし、たいていはジリ貧状態が多く、あまり効率のええ手法ではないようやがな。
まあ、何かの話、参考としてなら、『第46回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■拡張員列伝 その3 ヒッカケ病(やまい)のシンジ』(注1.巻末参考ページ参照)というのがあるから、それを見られたら、その実態が良く分かると思う。
この話に出てくるシンジというのは例外的にそれで成功したが、悲惨な最期を遂げた男でもある。
今まで説明してきたやり方は、いずれも真正面から営業することを避けてきた結果として存在してきた手法なわけや。
何故、そんなことをせなあかんのか。
それには新聞の勧誘が悪質すぎたために嫌われ、相手にされ辛いということがあるからや。
嫌われるから、まともな営業を避けた勧誘をし、さらに不評を買うということを繰り返してきた。
まさに負のスパイラル(連鎖)に陥っとるとしか言いようがない。
自信を持って言えることがある。
それは訪問販売の商品として新聞ほど社会的に貢献してきたものは他にないということや。
その売り込み方には問題があっても、他の悪質な訪問販売のように定価を水増しして売るわけでもなく、むしろ市販の定価より大幅に安い値段で売り、一般の商品よりも破格のサービスまでつけるケースが多い。
商品である新聞の情報価値そのものも、多くの人から認められている。
つい先頃、情報が最も信頼できるのはNHKで次いで新聞やというのが、公益財団法人新聞通信調査会(注2.巻末参考ページ参照)の全国世論調査の発表にあった。
それによると、メディアの情報の信頼度を100点満点で示した場合、NHKが73.5点、新聞が70.9点、民放テレビは63.6点、インターネットは58.2点との結果やったという。
新聞に掲載されたというだけで、その事が事実と信じる人が多いということでも、それが分かる。
加えて、新聞の歴史的役割や意義も大きい。
現在の日刊紙としての新聞が発祥して、およそ120年あまりになる。
その間、様々な出来事がその新聞で報道され続けてきた。
それが記録として克明に残っている。
おそらく、これから人類が存続する限り、その記録がこの地球上から消えることはないと断言できる。
また、国民の識字力向上に貢献してきたという事実も大きい。
昔の教育状況は、今とは格段の違いがあった。
ワシらが、子供の頃には、字が読めんという者が、それほど珍しい存在でもなかった。
読めても、ひらがなやカタカナ、簡単な漢字だけという者も多かったからな。
新聞記事は、端的に分かりやすくを基本にしとるから、本来は読みやすいものやが、それすら満足に読めん者も多かったわけや。
せやからと言うて、馬鹿にされたくはない。
新聞を購読することで、それをカモフラージュしてきたという側面があった。
新聞を取っとるくらいやから、「読める」ということのアピールのために。
ただ、そのカモフラージュということがあったとしても、そこに新聞があれば読みたいと考えるのが、人の心理や。
その当時、勉強するのなら「新聞」でというのが世間一般の普通の考え方やった。
今でも、そう考えとる人が多い。
その当時は「新聞くらい読めよ」と言う大人が多かった。
勧誘員に言われるのやなく、普通のそこらのおっちゃんにそう言われるわけや。
新聞を読むには、字の勉強をせなあかん。人は必要に迫られれば誰でも、その勉強はする。
そうする人が、戦後、その新聞普及率の急上昇と共に爆発的に増えた。
もっと言えば、新聞はそういった人たちにも分かりやすく読んで貰えるようにと、独特の「新聞文字」を使い、難しい表現を極力なくし簡素化する必要に迫られたことで、文章そのものも磨かかれてきたという側面がある。
新聞記者になって最初に教えられることが、その分かりやすく簡潔な文章を書くということやさかいな。
少なくとも、事、新聞に関しては、その文章修行をしてない者に記事を書かせることは絶対にない。
その面だけを捉えれば、ネット上の掲示板やブログで横行しとる酷い文章とはえらい違いや。
そんな連中でも、新聞を読んでその書き方を勉強することで、少しはマシな文章が書けるのやないかと思うのやがな。
くしくも、それは新聞離れが加速している若い世代で、そういう傾向が強くなっとるという気がしてならん。
新聞を読まんようになった弊害の表れとして。
結果、その新聞の普及率の上昇と歩調を合わすかのように、識字率も上昇し続け、ついには現在99.8%という世界トップレベルにまでなっとる。
今の日本で字を読めん人を探す方が困難なほどやさかいな。
もっとも、それを売りにして人気を博している「おバカタレント」なる芸能人もおるようやが、それは、基本的に新聞の字も読めんほど酷い状態の人間が少ないという前提があればこそ、成立するものや。
字の読めん人間が実際に大勢いてた昔やったら、それは単なるブラック・ジョークにしかならず、ヘタをすれば悪質な差別行為としか見られてなかったやろうと思う。
新聞の利便性ということにも触れとく。
その日の情報を目にするために、一番早くて簡単で手軽な媒体は、間違いなく新聞や。
朝、手にした瞬間から、どこでも見る事ができる。
便所で糞をしながらでも、朝食を取りながらでも可能や。
パソコンが万能と思うてるような者には、インターネットが便利と考えとるやろうけど、それは、それを扱える人間だけが、そう言えることやと思う。
携帯電話も同じで、それを扱えん人間、特に高齢者にとっては、とんでもない代物なわけや。
携帯電話がそこにあるのは当たり前という時代に生きている今の若者には信じ難いことかも知れんけど、その携帯電話は扱えても話すくらいが精一杯で、ネットはおろかメールさえ打てん、またそんなものをする気のない高齢者はいくらでもいとるさかいな。
パソコンにしてもネットにしても急激に流行出してから、まだ10数年ほどにしかならん。
ワシを含めて歳を食った者にとっては、つい最近流行り出したものという感覚でしかないわけや。
その点、新聞は違う。
歴史も古いし、人を選ぶことはない。字さえ分かれば誰でも読めるわけやからな。
ちなみに、テレビはどうか。
テレビはスイッチ一つで点くし、その扱いを知らんという者は皆無に近い。
パソコンに比べて手間も知識も必要ない。ニュース番組などからの情報の入手も容易(たやす)い。
利便性という点では、これが一番ありそうに思える。
但し、これにも欠点はある。
それは、そのニュースの時間帯を待たんと、それが分からんということや。いつでも、どこでもという利便性では、新聞には劣る。
もっとも、コスト面で言えば、これが一番安上がりやけどな。テレビのない家というのはまずないやろうしな。
せやけど、情報は限られる。一部の主要ニュースだけや。
たいていのテレビ局で同じようなニュースが流れとることでもそれは分かると思う。
パソコンやテレビの共通の弱点は、電気がなかったら役に立たんという事と、そのハードの存在にある。
停電や故障という問題があり、有事の際に用を為さんというケースもある。
その典型なのが、地震や台風、洪水などの自然災害時やろうと思う。
その場を逃げるのがやっとという状態のときに、テレビやパソコンなどのハードを持ち出すのは無理やし難しい。
その災害でハードが壊れたり使えなくなったりということは珍しいことやない。
また、災害に停電はつきもので、そうなれば使い物にならん場合がある。
しかし、そういう有事にこそ、人はその情報を欲するわけや。
その点でも、新聞は手にできさえすれば、その情報を得ることができる。
そして、新聞にはどんな過酷な状況になろうと顧客に届けようとする人たちがいる。
過去、メルマガ『第21回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■年の終わりに』(注3.巻末参考ページ参照)の中でも、新潟中越地震の被災者に新聞を届けとるということを、読者からのメールを通じて紹介したことがあるが、新聞配達員は、どんな状況下であっても、その配達を中止するという発想がない。
そういう困難な状況になればなるほど、使命感を持ってそうする。それが、人の介する情報の利点であり、美点やと言える。
もっとも、その考えが嵩じすぎると、『第71回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■悪天候時の新聞配達の見直しについて』(注4.巻末参考ページ参照)で話したように、命を落とすことにもなりかねんのやけどな。
ネット上では新聞批判が圧倒的に多いが、それらの新聞が貢献してきたことについて全面的に否定することはできんはずや。
それを考えれば、もっと堂々と新聞の勧誘をしたらええと思う。
これほど社会に貢献してきた仕事は他にないと胸を張って。
まあ、そうは言うても、それを根底からブチ壊してくれた、過去の悪質な勧誘員たちによるえぐい勧誘があったのも、また事実やけどな。
今はその負のイメージを払拭せなあかんときや。
しかし、それと同時に、新聞の存在意義も、もっとアピールするべきやとも思う。
それが、結果として最良の営業になると信じて。
それには、どんな方法があるか。
ある読者から、
『第84回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■2010年からの新聞営業講座……その2 拡材について』(注5.巻末参考ページ参照)ですが、ここで紹介された「金をかけずに済む拡材サービス方法のあれこれ」を読んでいまして、気づいたことがあります。
それは、過去にもメルマガ『第65回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある新聞販売店の取り組み その1 哀しき孤独死をなくせ』(注6.巻末参考ページ参照)で紹介された、「見守りサービス」を実行することです。
一人暮らしの方へのサポートが付いています、というトークは、ゲンさんが以前おっしゃっておられたように、見込み客に対して、インパクトがあると思うのです。
ただしこれは販売店ベースでのサービスの話になりますから、そこがやる気になっていないと成り立たない話ではあるわけですが・・・
でも、もし販売店の店長(経営者)を説得できれば、実に顧客獲得のしやすい「無形の拡材」が手に入ることになります。
朝刊だけの契約から、朝夕刊セットに持っていく交渉もしやすくなるのではないでしょうか?
前にもおっしゃられたかもしれませんが、販売店側にも事務的な負担は少ないないずです。
なぜなら、前に配った新聞が取り込まれていなかったら、配達員が店長に報告し、ただちに本人に連絡、電話に出ない場合は、離れて暮らす家族の誰かに知らせるという手順を踏むくらいなものです。
天涯孤独の人であっても、その人の区域を管轄する民生員や、その他行政の関係者がいるはずで、そういう人との連携をさせていただきますよと説明すれば、「なるほど、助かるね」となりませんでしょうか?
ただし、申込書(家族の同意書)を用意して、配達契約とは別に見守り(通報のための)契約を取り交わす必要があるでしょう。
そのためには手順を読んで理解してもらえるような図解チラシも不可欠です。
その申込書に、営業担当者の名前を書き込むようにすれば、後日契約する気になった場合でも、自分を飛び越して、お客さんが販売店と直接契約してしまうこともないでしょう。
ただ、ここまで書きましたが、全て推測に基づく仮説なので、果たして、どれだけの一人暮らしのお客さんの目に魅力と映るのか見当が付きません。
また、どれだけの販売店が協力してくれるかの見当もつかない話です。
私がお伝えしたいのは、知恵を絞って考えれば、私のような第三者でも、これだけアイディアが浮かぶという姿勢です。
工夫次第でなんとかなるというゲンさんの精神がわからない人達にはついてこれない世界かもしれませんが。
▼参考 高齢者見守りサービス、多彩に
http://waga.nikkei.co.jp/comfort/life.aspx?i=MMWAg3090019022007
という貴重なご意見を寄せて頂いた。
この方の『朝刊だけの契約から、朝夕刊セットに持っていく交渉もしやすくなるのではないでしょうか?』と言われとるのは、独居高齢者の朝夕の確認がより密になるさかい、その効果で販売店の契約アップが望め、双方にとってプラスになるという意味やろうと思う。
ワシも、そこまでは考えてなかったが、言われてみれば、そのとおりや。
『天涯孤独の人であっても、その人の区域を管轄する民生員や、その他行政の関係者がいるはずで、そういう人との連携をさせていただきますよと説明すれば、「なるほど、助かるね」となりませんでしょうか?』というのも、まったくそのとおりで、やるからにはそこまで徹底した方がええわな。
『私がお伝えしたいのは、知恵を絞って考えれば、私のような第三者でも、これだけアイディアが浮かぶという姿勢です』と言われるように、新聞営業の現場では多くの方の意見を取り入れるべきやと思う。
そこには必ず名案、秀策があるはずやさかいな。
これから、社会に貢献できる新聞の営業法について、幾つか、その参考になる話をしたいと思うので、それについてのご意見とか、他のアイデアなどがあれば、ぜひ知らせて頂きたい。
後日、このメルマガ誌上で紹介したいと思うので。
社会に貢献できる新聞の営業法あれこれ
1.独居高齢契約者への見守りサービス。
これについては、先に言及したから、ここでの説明は省く。
2.子供たちの通学路での不審者への監視。
『第70回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■くり返される悲劇!!広島小1女児殺害事件の現場では……』(注7.巻末参考ページ参照)の中で、その頃多発していた小学生への悲惨な事件を撲滅する目的で話して業界関係者に広く呼びかけたことがある。
子供たちが下校する通学時間帯に、その通学コース周辺で子供たちを見守りながら勧誘するというのを考えてみてほしいと思う。
夕刊配りのある販売店の人なら、通学コースを通る場合は、特に子供たちに注意して貰いたい。
但し、そうするには、拡張員には辛いこともあるかも知れんというのは、覚悟しといてほしいと思う。
というのは、そういう変態野郎を監視するつもりのワシらが、一般からは、逆に変質者のごとく見られるおそれがあるということや。
まあ、普通に考えて、子供の下校時にその辺りをうろうろと徘徊しとるようにしか見られんのやから無理もないがな。
それも、傍目(はため)には何の仕事をしとるか良う分からんからよけいや。
どうしても、胡散臭(うさんくさ)く見られやすい。
せやから、ここで、注意せなあかんのは、その子供たちには、一切、声をかけんようにするということや。
それが、一番、問題を起こさずに済み、尚かつ、子供たちにいらん警戒心を抱かせることなく見守ることのできる方法やと思う。
ワシは、本当はこれが一番辛い。ワシは大の子供好きや。つい、声をかけてしまいたくなる。「気ぃつけなあかんで」と。
しかし、今は、子供たちには、よほど、危ないことをしとるか、悪いことをしとるという以外には声をかけんようにしとる。
子供たちに、いい人もいるんやなと思わせることも、ある意味、危険やからや。
まったく、嫌な世の中になったもんやと思う。
しかし、逆に言えば、子供に声をかけとる人間には注意を払うたらええということになるわけや。
特に、自転車や車でというのは要注意ということになる。
今は、その下校時の通学路で子供に声をかけるということ自体、普通の人間ではまず、差し控えるやろうからな。
こういう子供に声をかけとる人間を見て、怪しいなと思うたら要チェックや。
そして、特徴を克明にメモする。車なら車種とナンバーは必ず控える。
場合によれば、カメラ付きの携帯電話で、こっそりと撮影しとく。その時刻も書いとく。思いつく限りの記録をつけることや。
ワシは、この1週間で1人だけやけど、そういう現場を見て注意したことがある。
その男は、20歳前後のまだ若い男で、ワシの注意に「別に、何もない。ただ、道を聞いただけや」と言うとった。
「お前、そんな小さな子に何で道なんか聞く必要があるんや。今は、そういうことをしとるだけでも、何を疑われても仕方ないんやで。道が分からんかったら、大人に聞くか、近所の派出所にでも行って聞けや。何なら、ワシが教えたろか」と言うと、バツが悪そうに逃げるようにその場から離れた。
それが犯罪に結びついていたかどうかは分からんが、こういう連中が増えとるのは確かや。
どこまで効果があるのかは分からんが、それでも本当に、犯罪を実行しようという人間は、周りを注意するやろうから、ワシらみたいなのがうろついとれば、どうしてもそれは躊躇するはずや。
ライオンが近くにおると知って、ウサギを狙うキツネもおらんやろうからな。
それだけでも、抑止力ということで言えばええのやないかな。
ただ、そうしたからというて、誰からもその行為は、褒められもせず認められることもないやろうけどな。
しかし、本来、誰かを見守るというのはそういうもんやと思う。
人に褒められようとしてするもんと違うさかいにな。それでもええと賛同する人間のおることを期待する。
と。
実際、その呼びかけに応じてくれた業界関係者の方も複数おられたさかいな。
また、実際にそういう取り組みを地域の自治体や警察、町内会などと連携して始めたという報告も貰った。
その呼びかけが功を奏したというわけでもないやろうが、そのメルマガを発行した、2005年12月9日以降、その手の類似した事件が激減したのは確かやと思う。
また、そのページは未だにアクセス数も多く、人々の関心もあるということで、これからも、それが拡がるという期待は持てそうや。
余談やが、ワシらのメルマガは、バックナンバーに掲載してから話題になったり、他サイトやブログで紹介されたりすることが結構多い。
そのため、ワシら自身が忘れていたことでも、未だにその問い合わせがあり、中には、それに対して意見を言われたり、求めたりする方もおられる。
本当に有り難いことやと思う。
3.頼りにされる存在になる。
ワシ自身、顧客から何かを頼まれたり、相談されたりすることが結構多い。結果的に人助けをすることもな。
まあ、人との関わり合いを大事にする営業やから、必然的にそうなるのやとは思うがな。
その手の話も、メルマガ誌上では多い。
その主なものに、
▼第14回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんの拡張実践Part2 経験を役立てろ
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-14.html
▼第26回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■罪な噂話
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-26.html
▼第35回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんのトラブル解決法Part1 隣家トラブル
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-35.html
▼第36回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんのトラブル解決法Part2 泥はねトラブル
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-36.html
▼第69回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■耐震強度偽造問題について
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-69.html
▼第84回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■消えたジゴロ
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-84.html
▼第117回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■悪徳訪問販売 その1 ふとんセールスの場合
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-117.html
▼第134回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■拡張員泣かせの人々 Part7 認知症老人のプライド
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-134.html
▼第164回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんのトラブル対処法 Part 5 その処理は早めに
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage13-164.html
▼第5回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■懲りない勧誘の手口 その1 タダ売りの果てに
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage19-5.html
▼第20回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■午前3時の招かざる訪問者
http://www3.ocn.ne.jp/~siratuka/newpage19-20.html
などが、そうや。
こうして振り返ると結構多いもんやなと思う。
しかも、これはワシが実際に関わった顧客の人たちで、業界関係者やサイトに相談してきた事例を加えると相当な数になる。
人により、こういうことは面倒やと思われるかも知れんが、頼りにされるという事実は、単にそれで契約が得られるというだけやなく、有形無形の効果が期待できる。
加えて、某かの役に立った、人のためになったという満足感も味わえる。まさに一石二鳥や。
4.ちょっとした気遣いが差を生む。
ワシは新聞の契約書には必ず、その人の生年月日、もしくは誕生日だけでも書いて貰うようにしとる。
昔は、契約書自体にその記入欄があったのやが、最近は個人情報保護に配慮したためか、そういうのは減ってきとるようや。
それを敢えて頼む。
その理由として「誕生日には、ちょっとしたプレゼントをお持ちしますので」と言うわけや。
これは何も高価なものやなくてもええ。極端な話、映画の割引券やゴミ袋といった捨て材のようなものでも効果がある場合がある。
販売店、勧誘員の考え方には、釣った魚にエサは必要ないというのがあるが、それは違うと思う。
人は、契約時にサービスしてくれたからとか、安くしてくれたからというて、その店を評価する、あるいは好意を抱くということは少ない。
そういうのはサービスとは思わず、当たり前という感覚でしかないさかいな。
しかし、特定の日、つまり誕生日などにさりげないサービスをして貰うと、その物自体の有り難みより、その心遣いに感動するケースが多い。
そして、そういうのは忘れることがない。
つまり、友人知人相手に自然にできることをするだけで、評判も上がり、他と差別化が図れるということや。
騙されたと思うて、それをやってみてほしい。必ず効果が表れるはずや。
それをすれば、客からのウケが良うなるだけやなく、それをする者自身にも自然に顧客を大事にするという気持ちが強くなるさかいな。
今回は、このくらいにしとく。
また思いついたとき、あるいは読者からのアイデアがあれば、続編として掲載していきたいと思う。
何にしても、仕事に意義を見つけ自信を持つことは大切や。
それには、人の役に立っている、人のためになっていると思えることが最上やないかと個人的には考える。
タカが勧誘、されど勧誘。
それを浅くするも深くするも、それをする人間次第やと思う。
参考ページ
注1.第46回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■拡張員列伝 その3 ヒッカケ病(やまい)のシンジ
注2.公益財団法人新聞通信調査会
注3.第21回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■年の終わりにl
注4.第71回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■悪天候時の新聞配達の見直しについてl
注5.第84回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■2010年からの新聞営業講座……その2 拡材について
注6.第65回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある新聞販売店の取り組み その1 哀しき孤独死をなくせ
注7.第70回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■くり返される悲劇!!広島小1女児殺害事件の現場では……
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