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第89回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2010.2.19
■そこにある危険で身近なトラブル その2 住民紛争の深い闇
ある日の夕方。
「コロシテヤロカ!!」
「やれるものなら、やってみなさいよ!! このクソ外人が!!」
いきなり静寂を破る怒号が聞こえてきた。
場所は、閑静な住宅街にある15棟ほどの五階建てのごく一般的な公団住宅の駐車場やった。
そのうちの一棟に住んでいるオオサキは、何事が起きたのかとベランダに出た。
眼下にその駐車場がある。
この団地の駐車場は、それぞれの棟と棟の間にある。
「バカヤロ!!」と中国系の中年の男が拳を振り上げ、「何よ!!」と負けじと気の強そうな主婦がそれに応じて睨み合っていた。
オオサキは、どちらとも顔見知りで、中国系の中年の男はチョウ、日本人主婦はナツコと言った。
オオサキは、しばらく成り行きを見ることにした。と言うても、その形勢次第で助けに割って入るつもりはなかったがな。
そうしてもロクな事にならんというのも目に見えとるし、そこまでする義理もない。何があっても、ほっとく。
そう心に決めていた。
それには、ここの連中が他人の事には、恐ろしく無関心で、例え隣で殺人事件が起きたとしても絶対に助けに入るようなことはせんと、身を持って知っていたからや。
1年余り前、このメルマガで『第20回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■午前3時の招かざる訪問者』(注1.巻末参考ページ参照)という話をしたことがある。
夜中の午前3時頃。
いきなり鍵をこじ開けた侵入者がいた。
オオサキは、それにいち早く気づいて飛び起き、台所から包丁を取り出し対峙した。
そのとき、警察に連絡した後、ワシにも電話をかけて来た。
近くに住んでいたということもあり、警察より先に駆けつけ、その侵入者を取り押さえることができた。
結果から言えば、言葉の喋れん酔っぱらった外国人が自分の部屋と間違えて侵入してきたというだけのことなんやが、それが、人に与える恐怖というのは相当なものがある。
人は、不意の訪問者というか闖入者(ちんにゅうしゃ)などに対して、普段からそれと用心するようなことはまずないから、パニック状態になる。
相手の目的と正体が分からず、いきなりそういう状況に置かれるのやさかいな。
平時に考えられるものと咄嗟(とっさ)のそれとは大きく違うわけや。ヘタをすればその対応を間違える可能性がある。
実際、怒りと恐怖から、オオサキはその侵入者を刺し殺すことを真っ先に考えたというさかいな。
冷静さを失っていたら、本当にそうしていたかも知れん。
そう考えた自分自身が怖かったとオオサキは後に話していた。
しかし、同時に相手次第ではやむを得んことやと思うとも。
その相手が本当に強盗目的で侵入してきた場合、家人に気づかれると殺害行為におよぶということも十分考えられ、あり得ることや。
そのときには、一瞬の躊躇(ちゅうちょ)が、自身のみならず家族の生死をも分けることになる。
ただ、そうしてしまえば、その瞬間から、平穏な人生が一変するのは間違いない。
大々的なニュースにもなるやろうし、場合によれば過剰防衛の被告人として裁判を受けるということにもなる。
事情が事情やから大した罪にはならんかも知れんが、それで人を殺せば、その事実はこれから先のオオサキの人生に重くのしかかる。
また、そうなった場合、世間からどう見られるかという恐怖もある。
あるいは、その結果、相手を傷つけただけの場合、それを恨みに思い復讐されるかも知れんということも考えとかなあかん。
そういうことを避けるには、やはりしっかりした戸締まりが必要になる。
鍵の施錠は当然としても、ドアチェーンの徹底や補助キーの設置も考える必要がある。
洋画などで、三つも四つも部屋に鍵をかけて厳重すぎるほどの用心をしているというユーモラスな場面を見かけることがあるが、その事件以降、オオサキにはそれを笑うことができんようになった。
犯罪を犯す人間が一番悪いのは確かやが、細心の用心、注意を怠った方にも責任の一端がある。
そういう認識を持たな、これからはこの日本でも生きていかれへんのやないかと痛感した。
いくら大声で周りに助けを呼ぼうが、喚こうが、誰も助けに来て貰えんという寂しい現実があるのやと。
実際、殺人事件などが起きた現場でそういう話を聞くことも多い。
もう3年以上も前になるが旧メルマガで話した『第118回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■四国、新聞配達員、殺害事件について』(注2.巻末参考ページ参照)でも、そうやったという報道があった。
その事件の当時の新聞報道記事には、
新聞配達員、雑居ビルで血を流し死亡
11月1日午前7時10分ごろ、香川県丸亀市内にある4階建ての雑居ビルの外階段3階付近で男性が倒れていたところをビルの管理人が見つけ、110番通報した。
丸亀署の調べでは、男性は会社員Aさん(64歳)で、すでに死亡していた。
Aさんはアルバイトの新聞配達中で、頭部や顔に殴られたような跡があり、後頭部から大量に出血した状態で階段に横向きに倒れていた。
司法解剖により死因は外傷性くも膜下出血で、死亡推定時刻は同日午前5時から6時の間と判明した。
Aさんは新聞配達のアルバイトをしており、この日は新聞販売店から1ヶ月分の給与として42000円が入った封筒を受け取った後、午前4時10分ごろに自転車で配達に出発した。
その後、午前5時すぎまで配達した形跡が残っており、同ビルの上階にも配達していたという。
この日渡されたバイト料42000円が入った茶封筒がなくなっていたことから、丸亀署は同日夕、強盗殺人容疑事件として捜査本部を設置した。120人体制で捜査を進めている。
午前5時すぎ、ビル周辺の公園で植木鉢などが壊れる音がした後、男性同士がもめるような声や怒鳴り声を近所の人が聞いており、同署は事件との関連を調べている。
ビルの前には、新聞を積んだAさんの自転車が置いてあったという。
同捜査本部は、Aさんが何らかのトラブルに巻き込まれて殺害された上、金銭を奪われた可能性もあるとみて、現場周辺や関係者の聞き込みを中心に捜査している。
とあった。
ここで特筆したいのは、
午前5時すぎ、ビル周辺の公園で植木鉢などが壊れる音がした後、男性同士がもめるような声や怒鳴り声を近所の人が聞いており
という状況でありながら、
11月1日午前7時10分ごろ、香川県丸亀市内にある4階建ての雑居ビルの外階段3階付近で男性が倒れていたところをビルの管理人が見つけ、110番通報した。
という点や。
つまり、午前5時すぎにその事件が起こった、異常な事態やという認識が、その周囲の住民たちにはあったにも関わらず、その時点で誰も、その現場にかけつけようとせず、警察にすら電話をかける者がおらんかったことになる。
知らんぷりを装い、ほっといた。
その事件のあった場所は、繁華街でも密集した場所で住民も多い。
後の報道でも、その証言をした人は一人や二人やない。相当数いてた。
「もし」とか、「タラレバ」の話をするのもどうかとは思うが、その騒ぎに気づいた住人のうち誰か一人でも、その現場を覗きに行くなり、様子を見るなりしていれば、その事件もそこまでにはなってなかったのやないかという気がする。
どんな凶悪犯でも誰かに見られたという事態になれば、そこで止めるか逃げ出すやろうと思う。
そのアルバイトの新聞配達員の命も助かり、犯人の少年の罪もいくらか軽くなったのやないかと。
結果論やと言われれば、それまでやけど、その可能性はあった。
もちろん、一番悪いのは、そういう事件を引き起こした犯人に違いはない。
何もしなかったということを責められる謂(い)われがないのは百も承知や。
その住人たちを非難するのもお門違いやとも思う。
ただ、ここでそれを例として取り上げたのは、そういう寂しさがあるということを言いたかっただけや。
そういう現実が今の日本にはあると。
その犯人の少年は結局、最高裁までいって無期懲役刑の判決を受けた。
その刑が重いのか軽いのかというのは、それぞれ意見の分かれるところやとは思うが、ワシはけっして軽くはないと見る。
これも、メルマガ『第39回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある拡張員が語る刑務所残酷物語』(注3.巻末参考ページ参照)の中で言うてることや。
それに関連した部分を抜粋する。
この無期懲役刑についての実態を知っている人は少ないのやないかという気がする。
無期懲役刑を受けても、刑務所で真面目にしていたら10年が経過すれば仮釈放で出られるという、実態とはかけ離れた誤解をされている方も多い。
確かに、法制度上は、最も早くて10年で仮釈放を認めることができるとあるから、その点だけを見れば、そのように受け取られるのも無理はないと思う。
また、マスコミなどは、その辺を簡潔に説明しようとするあまり、その部分だけを強調するというのもある。
少なくともその実状を調べた上での報道ではないと思う。
実態は、それとはかなり違うさかいな。
無期懲役で仮釈放された者が刑務所にいた平均期間は、2000年までは、16年〜20年程度やったものが、現在では厳罰化の流れから2007年はおよそ32年になっている。
法務省の資料によれば、2008年4月現在、刑務所に入っている無期懲役囚のうち、30年以上仮釈放を認められていない者は87人で、最長は55年を超えるとある。
そして、それはこれからも年を追う毎に長引く傾向にあると予想されている。
同じく法務省の資料によると、1998年から2007年までのここ10年間で、合計120人の無期懲役囚が獄中で死亡したとある。
2007年末の時点で、無期懲役囚は1670人やから、約6.7パーセントに当たる。
その残りの無期懲役囚も生きて釈放される保証は今のところまったくない。
犯罪を犯した年齢にもよるが、最早、無期懲役囚で生きて外に出られるというのは奇跡に近いと言えるほどの可能性やないかと思う。
例え出られたとしても、完全に「浦島太郎」状態なのは間違いない。
これはこれで、ある意味、残酷な刑やと言えるのやないやろうか。
たまに、凶悪な殺人事件を犯した犯人が「死刑にしてくれ」と訴えるケースがあるが、あれは何も開き直って言うてるだけやなく、過酷な刑務所の実態を良う知っているがために、それなら「いっそのこと死んだ方が楽や」という思いからやないかという気がする。
むしろ、そういう人間には無期懲役刑を言い渡されることの方が辛い裁きやないかと思えてならん。
と。
オオサキの場合は、それだけやなく、その周りから「ないこと」として無視された。
いくら夜中の3時やと言うても、大声で喚いて騒いでいれば、普通はそれだけで苦情の一つも出てしかるべきや。
パトカーのけたたましいサイレン音が鳴り響いとるのやから、何事かとヤジ馬が集まっていてもおかしくはない。
それがない。
それどころか、その近所の連中と翌日顔を合わせても、そんな話すらしようとしない。
明らかに避けているとしか見えん仕草やったとオオサキは言う。
もっとも、助けを求める方は、「何で来てくれへんのや、助けてくれへんのや」と思いがちやが、助ける側にとっても危険を伴うわけやから、一概にそれを責めるわけにもいかん。
ましてや、それを恨みに思うべきやない。その人の善意に任せるしかないことやさかいな。
理屈としては、そうや。
しかし、現実問題として、そうされた側は人間不信に陥る。
何か事があったとしても、そういう仕打ちを受けた周りの住民のために身を挺(てい)してまで助ける気にはなれんかった。
その思いが、ほっとけという結論を下したわけや。
ただ、オオサキは、そうは言うても完全に冷徹にはなり切れん性質の男でもあった。
このまま、この事態を放置していたら、これから先、ひょっとすると世間を揺るがす大事件に発展するかも知れんという危惧があった。
その可能性は、かなり高い。
そう考えて、ワシに今回の話をするのやと言う。
誰かに話しとくことで、何か事が起きた場合、いくらかでもその悔いを避けたい気持ちもあるからやと。
まさか、ワシがその話を聞けば何とかするやろうと考えてのことやないとは思うがな。
この二人が普段から仲の悪いのは知っていたとオオサキは言う。
どっちもどっち。それがオオサキの二人に対する評価やった。
それに、オオサキが割って入らずとも、いつもそうであるように、すぐに双方の応援団が駆けつけてくる。
この日も、そうやった。
ただ、この日は、この後、警察沙汰になったことで、結果としてその団地はもとより、地域の自治会まで巻き込み、ワシを含め新聞販売店としての立場にも苦慮することになったがな。
その原因は、アホらしいほど些細(ささい)なことからやった。
それを、この二人とそれを取り巻く連中が事を殊更(ことさら)大きなものにしていった。
その点だけが、いつもと違うと言えば言えた。
事の発端は、チョウがいつも車を止めている場所にナツコが自分の車を停めていて、それに文句をつけたことから始まった。
「ソコハ、オレノバショ(場所)ダ!!」といつものたどたどしい日本語でそう喚くチョウ。
「何を勝手なこと言うてんの!! ここの団地の駐車場はね、先に停めた者に権利があるのよ」と、ナツコ。
それは事実で、団地の駐車場には決まった所定の場所、つまり占有権というものがない。
団地の住民であれば、誰がどこに停めてもええという決まりになっていた。
言えば早い者勝ちというわけや。
とはいえ、誰がどこに停めるかというのは、その長年の慣習により、暗黙の了解事項にはなっている。
自然に個人の領分というのが決まっていた。
普通は、それを無視してまで他人の領域に車を停める者はいない。
しかし、そのナツコは普通と違うた。
正確には、その一家と言うべきかも知れん。
そのナツコの一家には、この団地の管理事務所も手を焼いているのが実状やった。
ナツコの一家、特にその旦那のタカオは、その団地の駐車場を我が物顔で使っていた。
オオサキが知っている限りでも、数台分のスペースを一家が占有している。
しかも、それはそれだけの車を所有しとるからということやなく、まともに動くのはせいぜい2台くらいしかなく、他はナンバープレートすら付いてないスクラップ同然の車をどこからか持ってきて停めているだけや。
というか、そのスペースを利用して、それらの車をそこで解体作業をしている。
つまり、専用の青空工場として日常的に使うとるわけや。ご丁寧に、ドラムコードを引いて電気工具も揃えるという念の入れようやさかいな。
その車というのが、どう見てもまともやない。
暴走族が乗るような改造車から、右翼の専用車かと思えるようなものまである。
もちろん、そんな使い方が許されるはずはない。
本人たちは仕事か何かのつもりやろうが、見た目にはスクラップのゴミ置き場と大差ない。
団地の管理事務所も幾度となく、それを撤去するように指導しているし、置いてある物が物だけに警察が介入することもしばしばあった。
さすがに、警察が介入してくればしばらくは鳴りを潜めとるが、時が経つとまたぞろ、すぐ元に戻る。
終わりのないイタチごっこや。
それやったら、他の人間からクレームが出そうなもんやという意見も聞こえてくるが、そのタカオは見るからにヤクザぽい格好をして、本人も周りにはそう吹聴しとるということもあり、直接文句を言う者も少ない。
その分、その苦情は団地の管理事務所に持ち込まれることが多くなる。
傍若無人。そうとしか言いようのないタチの悪い一家として知られていた。
誰も、それに逆らおうとはしない。というより、相手にしようとせんかった。
それには、好きにさせとけば、他の住人に対して、取り分け迷惑をかけるということもなかったからや。
それが数年前から、事情が変わってきた。
チョウのような外国人入居者が増加してきたということが、その一因になっている。
すべての外国人入居者がそうやと言うわけでもないが、彼らの中には権利意識の強い者が多い。
普段は大人しい者でも、それを冒されると異常に怒り出す。
この日も、例によってタカオがせっせと車を解体作業した後やった。
妻のナツコは、いつも停めとる場所が、それで塞がったからということで、何の躊躇もなく、チョウがいつも停めている場所に平然と車を停めた。
そこにチョウが帰って来て「ドケテクレ」となったわけや。
ナツコはナツコで、チョウたち外国人に対してええ印象を持ってなかったから、「何をえらそうに言うてんのよ」と反撃した。
よせばええのに、その勢いで「日本人でもないクセに」と言うてしもうた。
それで怒ったチョウと、それに応じたナツコとの間で冒頭の揉め事が起きたわけや。
「ガイコクジン、バカニスルカ」と、拳をふり上げて。
「カス外人はさっさと国に帰れ!!」と、ナツコはそれには意に介せず、さらに罵倒し続ける。
チョウがその拳をふり降ろした。
「痛い!!」
ナツコが顔を押さえた。殴られた。そういう仕草やった。
オオサキのところからは、その振り下ろした拳が当たったかどうかまでは確認できんかった。
「よくも殴ったな!!」
ナツコは、ものすごい形相で睨むと、持っていた携帯電話で「警察ですか。今タチの悪い外国人の男に暴力を振るわれました。すぐに来てください。殺されそうなんです。○○団地です」
そうこうするうちに、ナツコの夫のタカオやチョウの妻、息子たちが集まってきた。
それに味方する一族たちも。
タカオの手には大型のスパナ、チョウの息子の手にはヌンチャクらしきものがある。
その他の人間の手にも何かしら武器らしきものが握られている。
双方で10数人はいとる。
一触即発。
オオサキは今日こそ、大喧嘩が始まると思うた。
血の雨が降ると。
しかし、結果は、その後の双方から、「差別するのか」、「傷害罪で訴えるからな」という不毛な応酬が続いただけで、パトカーが駆けつけるまで際立った衝突はなかった。
その後の詳しいことは分からんが、それ以降もそれに似た小競り合いが続いているという。
そんなある日。
「ゲンさん、ここの団地の人間は最悪ですよ。どう思います?」と、オオサキが聞いてきた。
「どうと言われても難しいですね」
それが正直な感想やった。
新聞販売店の人間が気をつけなあかんことに、地域の一方の勢力だけに荷担するとか、一方だけを批判するような事を言うたらあかんというのがある。
顧客の苦情や話を聞くのはええ。ある程度の同調は仕方ない。
ただ、その程度に止(とど)めとかんと、それにヘタに荷担しすぎると、その人間は良くても、それに対抗する側にそれと知れる場合がある。
それが、まずい。
新聞は不特定多数が読むものやから、客はどこにでもいとる。また、客をその主義主張、考えの善し悪し、販売店の好みで選ぶことができんというのもある。
一方の客だけに表立って与すると、その対抗組織の顧客が減ることもある。
地域の揉め事は、よほど慎重にせんとヘタをすると販売店の命運すら左右しかねんわけや。
ほどほどにと言うしかない。
この場合は、このオオサキの言うように、どっちもどっちやと、ワシも思う。
救い難い人間たちやと。
ただ、争いの根は、その表面を見るよりも深い。
チョウに代表される外国籍の人間は、ちょっとしたことでも差別を受けていると感じやすい。
事実、その差別をする日本人がおらんとも言い切れん。
今の日本人は昔ほどやなくなったと言うても、外国人に対する偏見とか差別意識というのは根強く残っとるさかいな。
特にワシらと同じくらいか、それ以上の年代の人間は、そういう差別意識の世の中で育ってきたという側面がある。
ワシ自身は人を差別するのは嫌いやし、差別する人間も嫌いや。
個人的には、そういう人間との付き合いは遠慮したい。ごめん被りたいと思う。
況(いわん)や、もう一方のナツコやタカオのような連中は論外や。
どうしようもなく救い難い人たちやと言うしかない。
しかし、営業員の立場では、そういう感情を表に出すのは極力控えるようにしてきた。
おそらく、これからもそうすると思う。
営業員には、自分を殺して寛容にならなあかん場合が多い。
「どっちつかず」と言うと、何か悪いことのように考えやすいが、営業をするのなら、それを心掛ける必要があると考えとる。
もちろん、それがええことなのか、どうかは分からん。
まあ、それが分からんから、このメルマガでそれをボヤいとるわけやがな。
せめてもの鬱憤(うっぷん)晴らしにと。
どっちつかずで静観することがベストやとは言うても、この団地のように、いつ何時、大事件が勃発してもおかしくはない状況をそのままにしとくというのも、どうなのやろうと思うさかいな。
ちなみに、この団地では、その外国人グループも一枚岩ではなく、中国系、韓国系、朝鮮系、ブラジル系など、それぞれの国で、それぞれに別れてその勢力を保っている。
もっとも、日本人も我関せずが大多数で、まとまりというのにはほど遠いから、個々の衝突はあっても、大きな諍(いさか)いにまではならんかも知れんがな。
団地にも自治会というものはあるが、そんなものはまったくと言うてええほど機能していない。
もっとも、それが機能していたら、たいていの団地がそうであるように、車の停め位置程度のことは個人の占有として決めとるはずや。
その気になりさえすれば、部屋数に匹敵する駐車場の数があるわけやさかい、難しい話やない。
ただ、その自治会の集まりにも大半が出て来んし、役員も逃げ回って誰もなり手がないようではどうにもならんがな。
統一的な意志がはっきり見えるのが、「我、関せず」というのでは、あまりにも寂しい。
ただ、そう言うてこのまま放置し続けとると、いつかは何かが起こる。それも近い将来に。そんな気がしてならん。
参考ページ
注1.第20回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■午前3時の招かざる訪問者
注2.第118回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■四国、新聞配達員、殺害事件について
注3.第39回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある拡張員が語る刑務所残酷物語
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