メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第90回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日 2010.2.26


■新聞報道とネット社会の今 その3 ネットの危険について


今や、人類にとってインターネットというのは切り離すことのできん重要な存在になったというのは間違いのないところや。

それなくしては、世界中の政治や経済、生活が成り立たんというほどに、その依存度は高い。

それを否定するつもりは、さらさらない。またできん。

ワシらの、このメルマガ自体が、そのインターネットがあってこそ存在しとるわけやさかいな。

インターネットを否定することは、ワシらのサイト、メルマガをも否定することにつながる。

好むと好まざるとに関わらず、これからの世の中、人はそのネット社会の中で生きていくしかない。

ただ、便利で有意義な反面、その歴史の浅さから来る危うさ、欠点が多いのも確かや。

どんなものであっても世の中に完璧なものはなく、またそれを望むのは無理な話やというのは良く承知している。

それは、ワシらが生活の糧にしている新聞についても言える。

新聞紙面の情報はそれ自体、有意義で人の役に立つものが多い。

しかし、その反面、誤報や捏造(ねつぞう)記事があるというのは事実や。誘導や扇情的な報道も皆無とは言わん。

その勧誘、営業手法に問題があるというのも他の誰よりも良う知っているつもりや。

それと同じように欠点や間違いは何にでも言える。人がそこに介在する限り、それから逃れることは絶対にあり得んと。

これから話すネットについても例外やない。

ただ、そのネットにおいてどれだけの人が、その欠点なり危険なりを認識しとるのかとなると、甚(はなは)だ疑問やと言うしかないがな。

特にネット信望者と言われとる人に、それが言える。

このメルマガでも、事ある毎にその警鐘を鳴らし続けてきた。

なくてはならんものだけに、その裏に潜む危険は知っておくべきやと。

それらをまとめたものを今から列挙する。


インターネットの欠点、危険とその脆(もろ)さについて


1.情報の不確かさ

すべてとは言わんが、新聞に比べて、その情報の確かさ、信用度において圧倒的に劣るものが多い。

誤報や捏造の類も新聞の比やない。

なぜ、そう言えるのか。

それは、サイトやブログの発信者の多くが自身の取材以外の又聞き情報を基にしたものが多いということがあるからや。

新聞は、そのニュースソースに関しては記者自らが、その発信元を取材したものしか載せない。

それが仕事であり、誇りでもあるさかい、そうすることが当たり前という感覚がある。

その情報には、「警察発表によると……」、「……の話では」などと、その取材元を示す、または臭わせるケースが多い。

もっとも、これに対しては、その責任の所在をボカすという狙いがあるのやないかという指摘もあるがな。

「……発表によると」としておけば、新聞はそのとおりの記事を掲載したというだけのことで、それが例え誤報であっても言い訳ができると。

まあ、その辺は受け取り方の違いはあるにしても、一般的にはそれがあるために信憑性が高いと評価される。

いずれにしても、伝聞だけで記事になることはまずないということや。その裏付けは必ず取る。

これが、サイトやブログになると、その情報の出所が新聞や官公庁以外のものからとなると、途端に怪しくなるものが多い。

言い方は悪いが、「道聴塗説」の類があまりにも多いということや。

「道聴塗説」というのは論語の「道に聴きて途(みち)に説くは、徳をこれ棄(す)つるなり」からきている四字熟語で、「道ばたで聞きかじったことをそのまま受け売りしていたのでは、みすみす徳(信用)を捨てることになる」という意味の古(いにしえ)からの教訓でもある。

もっとも、これについては、ワシ自身も、客から聞いた面白い話をそのまま雑談のネタとして人に話すことがあるから、あまり偉そうなことは言えんが、それでも一応は「聞いた話やけど」という注釈くらいはつけて言うとるつもりや。

それに、個人間でそう言う分には、例えそれが間違った話、情報やったとしても世間に向かって広言しとるわけやないから、そこで止まり、それはそれで笑い話になることもある。

しかし、ネットでそれをすると、それでは済まんようになる。

その連鎖が止めどなく続くことが多い。いい意味でも、悪い意味でも。

日本人は昔から、活字になったものは無条件に信用しやすいと良く言われる。活字信仰という言葉すらあるくらいやと。

それがために、どこかの不確かな情報、あるいは、ある部分だけを強調して、その発信者の都合のええように書かれたサイトやブログがあった場合、訪問者がそれを見て信用し同調するということが往々にして起きる。

そこまでなら、それでもまだええ。そこに書かれたことを信用するかどうかは、その人の判断でええわけやさかいな。

問題は、そこから先になる。

それを一目見て「なんちゅうこっちゃ」と考えた人間が、大した裏付けや検証をすることもなく、鵜呑みにしたまま、さらに自身のサイトやブログに、それを書き連ねる。

それがときとして、伝言ゲームと化し、多くの人に大きな誤解を与える結果になる。

もっとも、どこかでそれに気づき、それを恥として改める人間は、まだ救われるが、それに気づくことすらなく、また新たな「道聴塗説」に精を出す者が後を絶たん。

それが危うい。

今から2年ほど前の2008年3月28日発行の旧メルマガ『第190回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■『中国義歯から鉛』報道に見るネット報道の危険について』(注1.巻末参考ページ参照)というのが、そのええ例やと思う。

この年の3月14日、『中国義歯から鉛「安全に問題」』と報じられた記事がヤフーのトップニュースに掲載された。

詳しくは、その回のメルマガを見て頂ければ分かるが、要約すると、


中国製の食品や玩具から毒性が検出されて内外で問題となる中、米国歯科技工所協会(NADL)が中国で製作された義歯修復物から「危険なレベルの鉛が発見された」と報告している。

日本の歯科医療でも安価を売り物にした中国など海外の技工物が広がる状況にあり、歯科医に緊急アンケートを行った青森県保険医協会歯科部は「海外技工物に関しては、法律上の制約も行政上のチェックもないままに行われており、安全性の面から大きな問題がある」と警告している。


というものや。

これに対して、ワシらのサイト、及びメルマガの古くからの読者でT氏という方から寄せて頂いた情報がある。

この方はアメリカ・ロスアンゼルス在住で歯科医療の仕事をされておられる、その道の専門家の方でもある。

その一部分を抜粋する。


実は、この記事には間違いがあります。

単に記事を書いた人が無知だったのか、あるいは意図的に曲げたのか、わかりませんが、原文では内容が微妙に異なっております。

もちろん、鉛が検出されたことは事実ですが、義歯ではないので、まずはご安心ください。

ハカセさん、ゲンさんのご使用されている義歯は、保険で作られたものでしょうか?

それであれば、100%日本製です。

自由診療の場合でも、高品質な物は中国で作成というケースが多く、アメリカのように「安いから中国へ」ということは非常にまれです。

そのため、今お使いの義歯は安心してご使用ください。

尚、中国義歯から鉛「安全に問題」の報道の原文とそのまま翻訳したのが『海外輸入歯科技工物から鉛検出?!』のページ(注2.巻末参考ページ参照)になります。

ここには、いろいろと専門用語が続くので非常に分かりにくいのですが、鉛が含まれていたのは、義歯ではなく、クラウンやブリッジということになります。

実は、ここがこのニュースの大きな誤報のポイントとなり、いたずらに不安にさせているのではないかと思います。

繰り返しになるのですが、保険による治療は100%日本製です。日本国内で作成しないと保険請求ができないためです。

多くの日本人は保険治療をされておられると思いますので、この報道のようなケースはまれです。

用語の解説ですが、義歯はその名の通り、入れ歯を意味します。

クラウンとは、虫歯ができたとき、削り、その歯にかぶせる金属製のキャップのことです。

ブリッジは、歯が完全に抜けてしまった後、その前後の歯を加工して、抜けた部分も含めて金属にしてしまう方法です。

今回検出された鉛はポーセレンとありますが、ポーセレンは、陶器の意味で、金属のキャップのままでは、見た目に美しくないので、金属キャップの上に陶器を焼きつけ、白い歯のように見せる方法です。

今回の鉛騒動ですが、ポーセレンと金属から発見されたというのが真意のようです。

問題は、日本国内で中国製のクラウン、ポーセレンはほとんど流通していないという事実があります。

一方、中国製の義歯は比較的多く流通しております。ただし、自由診療の高級な義歯のみです。

故意にこのような誤報をしたとは思いませんが、昨今の中国の農薬混入事件のなか、このような報道があると多くの方が信じ込みますし、間違いであると知りながらも中国製の義歯は危ないと風潮する日本の歯科技工所があるのも事実かと思います。

私自身、日本の歯科技工所には頑張ってもらいたいと思う反面、このような誤報に乗じて、中国歯科技工所の足を引っ張るのは、日本人として恥ずかしい行為だと思っております。

技術と営業力できちんと患者さんに還元するべきだと考えております。


ということやった。

インターネットは、その膨大な情報量において今や完全に新聞を凌駕しとるというのは間違いのない事実として認める。

しかし、その反面、このような一般では絶対に看破できんような怪しげな情報も流れるわけや。

もっとも、それを発信する側は、純粋に自らの立場を主張することを主眼に置くから、都合の悪い情報は隠す、出さないということになるのやろうがな。

報道機関以外からの情報というのは、えてして、そういうものが多いと思う。

そういう意味で言えば、この情報が特別、非難されるものではないのかも知れん。

すべてを言わんというのは、歪曲(わいきょく)でもなければ誤報でないとも受け取れるさかいな。

これを、一つの意見、見解として見る分には問題は少ないと思うが、それがヤフーのような大手のポータルサイトで掲載されると、その記事が真実無二の情報として飛び交う危険が生じることになる。

例え、ヤフーにとっては、その場を提供しとるというだけにすぎんとしてもな。

新聞やテレビの報道と同等、もしくはそれ以上のニュースバリューを持つわけや。

そして、その情報を何の疑いもなくブログで流すブロガーたちの存在が、それと知らずその輪を拡げてしまう結果になる。

彼らは彼らなりに真実の報道に手を貸したという正義があってのことやとは思うが、ネット上で情報を発信するのなら、その真偽を良く確かめた上で何事も記事にしてほしい。

もっとも、この件については難しい面もあったというのは認めるが、例えそうであったとしても、「もしや」という気持ちくらいは持って発信して貰いたいものやと思う。

鵜呑みにするべきやない。

結果として、それが、一次的なものだけやなく、二次、三次と流れていく毎に、まるで伝言ゲームのようにとんでもない結論に到達するケースも珍しくないさかいな。

これは、ほんの一例やが、他にもこれに類似したものは数限りなく多い。

こういうことが続けば、いつかネットの存在意義そのものまで失われかねんと危惧するのやけどな。

少なくとも、その信頼性は著しく損なわれると。


2.誹謗中傷することの危険

ネットの特徴的なものに、個人の書き込みというものがある。

今や、個人の意見を自由に書き込みできるものとして、掲示板サイトは言うに及ばず、個人のブログ、ミクシィー、ツイッター、フェイスブック、バズなど様々なコミュニティやシステム、及びツールが登場している。

それはこれからも際限なく誕生して拡がっていくものと思う。

それらを批判するつもりは毛頭ない。

それらの中に、有意義なものが多いというのは、それらをやっておられる読者の方からの情報で良う知っとるさかいな。

何でもそうやが、上手く使えば、有意義で役に立つものばかりやと思う。

しかし、残念ながら、人の世には、それを悪用する輩がおる。その連中が害をなすわけや。

その最たるものが、その誹謗中傷の書き込みにあると考える。

日本人の多くは面と向かって誹謗中傷することが苦手な民族のはずやった。

しかし、ネット社会ではそれが一変したかのような観すらある。

その内容の「えげつなさ」というのは周知のことやと思うので今更、その具体例を挙げるようなことはせんが、そういうのを見る度に、その心の荒廃を感じずにはいられん気持ちになる。

胸が悪くなるほどに。

誹謗中傷されることで追い詰められた挙げ句、自殺者まで出るというのは、最早珍しい現象ではなくなった。

それも大人だけやなく、子供の世界にまで拡がっている。事は深刻や。

ブログに間違ったことを書くか、誰かにとって気に入らない記述があれば、寄って集(たか)って炎上させるという異常な書き込みが集中するという現象も多い。

なぜ、そんなことが起こり得るのか。

それは、偏(ひとえ)に書き込みをする人間の匿名性が守られていると信じているためやと思う。

何を言うても自分は安全やという気持ちから好き放題に書き込む。誹謗中傷する相手の方が悪い、そうされても仕方ないと信じ込む。

本人は鬱晴(うさば)らしのつもりやろうが、名指しでその対象にされる者は堪ったものやない。

酷いのになると、その事実もないのに、その名前、住所、果ては顔写真まで、そういうところで勝手に公開されて、その賛同者と共に叩くということまでする連中がおる。

当たり前やが、ネットが登場する前までは、こんなことは、ほとんど起こり得んかったことや。

せいぜい、あったとしても「怪文書」の類が出回る程度やった。それもごく狭い範囲に限定されて。

そのネットでの誹謗中傷の程度が行き過ぎれば、罪に問われ逮捕されるという事態もあるが、そうやからといって、それが下火になるようなことは今のところ考えにくい。

むしろ、その場として、さまざまなコミュニティ・ツールの登場と共に、これからも増加していくものと思う。

こういうことが、このまま進めば、確実に人の心は荒廃する。いや、もうすでに壊れとる者も実際に数多くいとるはずや。

そういう連中は、その場があれば必ず集まり群れる。

ワシらのサイトへ、時折、掲示板などの書き込みができるツールを設置してはどうかという意見が寄せられることがある。

もちろん、その人たちは善意のミュニティの場として、そう提案してくれるわけや。

そこで活発な意見交換が交わされれば、業界関係者や読者にとっても有意義な情報が得られるのやないかと。

また、今よりも確実に訪問者も増えるはずやと。

そうなる可能性は高い。

しかし、ハカセは頑(かたく)なに、それを拒(こば)んできた。

「その必要はないと考えています」と。

それには、その書き込みの場がなくても日々相当数のメールが寄せられてくるということが大きい。

一度でもメールを送って来られた方なら分かっておられることやと思うが、ハカセは、よほどの誹謗中傷的な内容のメール以外は、すべて返信しとるという。

その真摯さに驚かれて、何気なく立ち寄っただけの人でも嵌り、そのメールでの交流が深まることも多い。

サイトに掲載することのない個人的な相談を受けることも、一つや二つやない。

もちろん、それは、そうするに値すると判断した場合に限ってやがな。

中には法律サイトと勘違いして新聞業界とはまったく関係のない他業種の人から、場違いな法律相談をされることもあるが、そういった方たちにも丁寧に断っとるという。

特に初めての人についてはな。

送られてきたメールの内容次第で、それが誹謗中傷するものやなく建設的な意見の場合、その関係者に知らせる、あるいはサイトに掲載することもある。

メルマガの場合は、バックナンバーに転載する際に、その意見を掲載するようにしとる。

寄せられた意見なり、情報なりは何らかの形で極力反映するようにしとるという。

「そんなサイト、場所が一つくらいあってもいいのではないでしょうか」と。

少なくとも、それにより書き込みがすぐに反映されんから、誹謗中傷の好きな連中が集まってくることはまずない。

そういう連中にとっては実に面白くないサイトということになるさかいな。

また、ハカセはジャーナリストやないが、その彼らと同等以上に知り得た個人の秘密は絶対に守るという考えに徹しとる。

投稿者が望まない限り、その秘密は墓場まで持っていくと。

言えば、暴露好きの誹謗中傷者たちとは対極に位置する人間ということになる。

それを知っておられる方々からは安心して実に様々な情報を寄せて頂けるという。

それで十分やとハカセは言う。


3.危険なサイトの危ない罠。

新聞や週刊誌、雑誌、書籍、あるいはテレビ、ラジオを視聴する分には危険が伴うことはまずない。

しかし、ネットは見るだけでそこら中に、その危険な罠が張り巡らされている。

地雷原の中を用心しながら歩き、目的のものを探すような状態に似ていると言える。

しかも、それでたどり着いた所が、その目的の場所ではないということも多い。

一目でそれと分かりやすいものに、ポルノや風俗情報などがあるアダルト、出会い系、婚活、犯罪を助長させるような闇サイトやブログなどがある。

それらのすべてが、いかがわしい危険なものと決めつけるわけにはいかんが、それでも確率的には危ないものが圧倒的に多いと思う。

実際にそれらを利用した犯罪も数多く発生している。

また、表面はそれらしく見えなくても、気がつけば騙されていたという詐欺サイト、オークションサイトというのもある。

危険を回避したいのなら、最初からそういうものには近づかんことやが、人には抗し難い誘惑というものがある。

それが危険であればあるほど魅力的に見えるから始末に悪い。

ただ、それらをそれと知る方法はある。

なぜ、そんないかがわしいサイトを作るのかということを冷静に考えれば、比較的簡単に分かる。

それは、それを作ることで金儲けをしたいからや。それ以外の理由はないとさえ言うてもええ。

そこには必ず金の話が渦巻いている。または金を騙し取ろうとする罠が張り巡らされている。

要するに金が必要とされるものに近づくと、その罠に捕らわれる可能性が高くなるということや。

しかし、昨今は「無料サイト」と謳った詐欺サイトも横行しとるさかい、事はより厄介になっとるがな。

もっとも、これが一番肝心なことやが、ネットには至るところに、その危険なものがあるという認識をしっかり持つということや。

用心していれば、ある程度は、それから逃れられることができる。

罠に落ちるのは、たいてい不用心に近づいた者と相場が決まっとるさかいな。


4.危険なメールの危険な実態

今や、パソコン、携帯電話を問わずメールをしていないという人を探す方が難しくなったと言うてもええくらい日常的なものになっている。

当然やが、その分、それによるその危険も多くなる。

メールによって運ばれる、あるいは介在するという、コンピータウィルス、詐欺メール、ネットストーカーなどがその代表的なものやと思う。

コンピータウィルスというのは、良く聞くものやが、その実態となると意外に知られていない。

コンピュータウィルスは、パソコンなどのプログラムにとりついて悪影響を与える。

一つでもウィルスに感染したプログラムを実行すると、他のプログラムにも感染して、それが瞬(またた)く間にコンピータ中を駆け巡る。

その様が、病原菌のウィルスに似ているため、そう呼ばれるようになった。

現在、コンピータウィルスと呼ばれとるものは数万、数十万種類もあると言われている。

その多くがメールで運ばれてくるという。

そうなると、「コンピュータ内の貴重なデータが破壊される」、「プライバシー情報を盗まれる」、 「他のコンピュータにウィルスを感染させてしまう」、「他のコンピュータを攻撃するための基地になってしまう」ということにもなりかねん。

その本人には何の悪意がなくても、結果的に誰かに迷惑をかけることになってしまう。

ただ、ウィルスは、ちゃんとした対策さえしていれば、それほど恐れる必要はないという。

「コンピュータ・セキュリティソフトを装備する」、「見ず知らずの人間、あるいは来るはずのない人間から届いたメールは読まずに捨てる」というだけでも、かなり防ぐことができるようや。

もっとも、コンピータ・ウィルスの特性として常に先に発生し、セキュリティソフトはそれを防ぐという性質上、どうしても後手後手に回りやすいさかい、それまでのタイムラグ(時間差)という問題はあるがな。

このコンピータ・ウィルスは、インターネットの普及とほぼ同時期に作られている。

つまり、インターネットは、その発生と同時に悪意の対象になっていたというわけや。

今後も、この終わりのないイタチごっこは延々と続けられるものと思う。

詐欺メールというのも多い。

先日、いつも面白い情報を教えて頂くある読者の方から、


カナダの詐欺師からは●●億円当選したという詐欺エアメールが現在も頻繁に届いてる。

次のサッカーW杯開催地である南アからは更に怖いエアメールが届く。

●●億円ブレゼントするから受け取りに来いと故意に英文で印刷してある。

騙されて貰いに行ったら誘拐され母国が身代金を送金させ、その後、足に重りを結わえて海中にドホン!。


というジョークまじりの話が届けられた。

かなり昔になるが、2004年の12月14日発行の旧メルマガ『第18回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 緊急増刊号 ■詐欺メールに注意』(注3.巻末参考ページ)で、その警告をしたことがある。

これは、ある企業の名前でニセの当選メールが送られて来たというものや。

その後も、この手の類、あるいは先の海外の宝くじを装った詐欺メールの類が頻繁にサイト宛てに送り付けられてくる。

そういうものは当然のように無視するが、キリがない。

これも金の絡んだおいしそうな話で釣る手口が多い。

まさか、こんなアホな手口に引っかかる人間がいとるとも思えんのやけど、どうなんやろう。

ネットストーカーというのも結構、深刻な問題のようや。

メール交換していた相手が、ある日突然ネットストーカーに変身するというケースが多いという警察庁のデータがある。

誰でも最初から危なそうな人間とはメール交換はせんやろうが、ある日を境にしつこく交際を迫るメールを出されたり、卑猥なメールを送られたりということが起きるため、その予防、予測がし難い。

これに対しては、メールアドレスを変えるということで、ある程度の対策は取れるが、その相手を信用して個人情報を教えてしまった後では、どうしようもない。

これに関しては、そうならんように注意することやとしか言いようがない。

ただ、これらは犯罪として立件できることも多いと思われるので「警視庁ハイテク犯罪対策センター」(注4.巻末参考ページ)に相談されるのも一つの手やと思う。

ちなみに、ここでは、先の項目で挙げたネット上での「誹謗中傷」、「名誉毀損」などの被害についても力を入れとると聞くさかい、それと知っておくだけでもええのやないかな。


5.ネットバブルの崩壊について

ネットでは新聞の消滅について語られることが多いが、現実には隆盛を誇っているはずのネットの方でバブルが弾けているという実態がある。

一頃、IT長者なる者たちが、それこそ雨後の竹の子の如く、そこら中にいてたもんやが、今はその数が激減している。

その彼らの衰退は周知の事実やとは思うが、現在はその多くが多額の借金を抱えて破産し、悲惨な状況になっているという。

現在、ネットで稼ぐのは至難の業やと言われている。

理由はいろいろある。

あまりにも業者やサイトが数多く参入したことによるパイの奪い合いが起きているというのがそれや。

一見、ネットというのは無尽蔵の拡がりを期待させるという印象が強いが、その実、そうでもない。

当たり前や。そのネットの拡がりほど、人間の数が多くなるわけやないさかいな。

人の数には限りがある。その人が介するものには限度が必ずあるということや。

その限度が超えた状況になっているのが今やと言える。

現在、この日本国内に存在するサイト、ブログの正確なページ数は計測困難なようやが、その数、少なく見積もっても数億程度はあると言われている。

そして、それは今後も変わらず増え続けようとしとる。そこに無理が起きんはずがない。

新聞の普及率が94%に達した時点で頭打ちになったことが、今、ネットの世界で起きつつあるということや。

いや、もう起きている。だからこそネットバブルの崩壊が起きていると言える。

それに気づいている人間が、どの程度いとるかは疑問やがな。

加えて長引く不況からネットの世界にも広告費の暴落という事態が起きているということもある。

それは、新聞業界、テレビ業界に起きているものとは比較にならんくらい酷いものやという。

その実態は、現在、ハカセも調査中やということやさかい分かり次第、何かの折りに話したいと思う。

いずれにしても、これからのネットは成長だけを考えてやっていける場では、最早なくなっているのだけは確かや。

それでも一部のトップ企業、オフィシャルサイト、ポータルサイトは生き残っているというか、逆にその弱ったサイト、企業を吸収して巨大化しているという現実もあるがな。


以上や。

これを見られて、どう思われるかは、人それぞれやが、そろそろ、人はインターネットへの幻想を捨てる時代に突入したのやないかと思う。

旨みの薄れた世界で、リスクや危険だけが増大しとるというのでは、その先の展望が見えんさかいな。

ここには書き加えんかったが、ネットの最大の欠点として、電気がなかったら何の役にも立たんという、そのハードの脆(もろ)さという問題もあるしな。

災害時に、ほとんど用をなさんということも起きる。

人類が今まで得てきた文明の利器と呼べるものは、すべからく、その利便さと危うさが同居しとるというものばかりやと思う。

そして、ネットはその利便さの極地にあり、同時に人の心を荒廃させうる最も危険なものやと言える。

人の叡智(えいち)とは、いかにその困難を克服していくかに尽きるし、かかっている。

それに期待したい。

それが功を奏せば明るい未来が訪れるが、一歩間違えば進みすぎた故に滅びるという結末を迎えることにもなりかねん。

今が人類にとって、その分岐点、正念場やと思うのはワシの考えすぎやろうか。



参考ページ

注1.第190回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■『中国義歯から鉛』報道に見るネット報道の危険について

注2.海外輸入歯科技工物から鉛検出?!

注3.第18回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 緊急増刊号 ■詐欺メールに注

注4.警視庁ハイテク犯罪対策センター


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