メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第94回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2010.3.26
■2010年からの新聞営業講座……その4 工夫は拡材に勝る
ここのところの『正常化の流れ』により、勧誘することが今まで以上に厳しくなったと言われる現場関係者の方々の声が最近、冨に増えてきた。
「もうだめだ」、「やってられん」という悲観的なものが、その大半を占める。
実際に販売店、拡張員を辞めた、辞めたいという悲痛な叫びと共に。
そう訴えたい気持ちはよく分かる。
今まで通用していた事、やってきた事が、ある日を境に突然禁止されるというのは、それまで培(つちか)ってきた「方法」を否定され変更を余儀なくされるわけやから辛い。
しかも、その方法への依存度が高ければ高いほど、戸惑いも大きいやろうしな。
ワシも、この『正常化の流れ』と称する今回の事態には、どちらかと言うと批判的な見方をしとるうちの一人や。
この『正常化の流れ』というのは、今までやり過ぎていた契約者への拡材(景品、サービス)を抑えることが大半の目的とされとる。
それも景品表示法のレベルまでに下げると謳って。
これだけを見れば当たり前のことのように思う。
しかし、これを理由に極端な締め付けをしようとしとる。
その地域毎でのバラツキは多少あるものの、将来的には拡材そのものをなくそうという動きで一致しとるという。
ワシは拡材だけで営業することには異を唱えてきた人間やが、何のサービスもなしにして、どれだけの勧誘員が契約を確保することができるのかを考えた場合、どうしても懐疑的な気持ちになる。
それだけの営業力のある勧誘員をそうしたからと言うて養成できるのかと。
しかも、それを短期間のうちにやろうとしているという背景もある。
『正常化』と言えば、いかにも聞こえはええが、ワシにはその方向が少し違うのやないかと思えてならんのやがな。
現在、新聞の部数が減少傾向にあるというのは最早、周知の事実になっていることや。
さすがにこれを否定することは誰もできん。
また残念やが、事ここに至っては、それをくい止めるというのも不可能で、今後も、その状況が進行していくのは必至やと思う。
理由は、ネットの台頭や長引く不況、人口の減少、広告収入の激減などいろいろあり、そのどれもが新聞にとっては厳しい環境になっとるということが大きい。
新聞社も、ここにきてようやくその現状に気づき、今までの「部数至上主義」による部数を増やすためには何でもアリという考え方を改め、変更する気になったようや。
部数の確保よりも、組織の維持、経営を優先する方が重要やと。
そのためか、評判の悪い「押し紙」、「積み紙」なども徐々に縮小、なくす方向にあるというし、悪質な勧誘員、勧誘方法の排除や改善には今まで以上に積極的に取り組むようになってきた。
もっとも、それらについては長年の積み重ねにより諸々の事情を抱えとるさかい、一朝一夕に解決することはできんが、拡材(契約時のサービス品)を抑制することは、その指令を出せばすぐにでもできる。
新聞各社はもともと、販売店の拡材を多めに渡しての勧誘は快く思ってなかったから、それを抑えるためにも、その流れを推進したいというのは分かる。
しかし、販売各店はそれでは拡張競争に負けるということで、それぞれ独自のサービスに力を入れ鎬(しのぎ)を削ってきたという長い歴史がある。
それが、ここに来て、その考えを一気に改めようとしとるわけや。
いつもは、その手の新聞社の指令には表面上は別にして、なかなか従おうとしなかった新聞販売店が、むしろ率先してその『正常化の流れ』を実行しとるという事実に、それが表れとると思う。
それには、幾つかの理由が考えられる。
一つめは、やはり販売各店の経営が苦しくなったというのが大きい。
たいていの新聞販売店ではここ数年、年を追う毎に部数減に陥っているのが実状で、今後もその流れが進行しこそすれ、好転する望みが持てそうにない。
加えて、その収入の大きな部分を担っていた折り込みチラシが軒並み激減し、その収入が大きく落ち込んで経営難に陥っている販売店が多いという事情がある。
二つめは、法律を守るためという大義名分がある。
新聞業界における「景品表示法」の「6・8ルール」というのは、業界関係者なら誰でも知っとるはずや。
それを新聞社が守るように指導し、強く希望しとる。
新聞社の立場からすれば、各販売店に「新聞業における特定の不公平な取引方法」俗に「新聞特殊指定」と呼ばれとるものに違反したくないという思惑がある。
少なくとも新聞社の姿勢は「新聞特殊指定」の厳守にあるとアピールしたいと。
これの禁止事項の第2項に、『新聞の個別配達をする販売業者(新聞販売店)が、直接、間接を問わず、地域、相手により異なる定価や定価を割り引いて販売すること』というのがある。
つまり、勝手にサービスする行為は「値引き行為」に当たり、その「新聞特殊指定」違反に抵触する可能性があると考えられるわけや。
その違反の先には新聞の「再販制度」廃止がある。現在の状態で、そうなれば完全に新聞は息の根を止められる。
日本以外の外国諸国がそうであるように、新聞の著しい衰退は避けられそうもない。
それを懸念する新聞社にとっては、その行為を放置することはできんとなるわけや。
そもそも、この新聞業界における「景品表示法」の「6・8ルール」というのは、新聞各社の要望、あるいは体裁として生まれた法律という側面、事情がある。
新聞勧誘の場合、客に渡せる景品の上限は業界の自主規制によるものとされとる。
新聞業界の自主規制が、公正取引委員会の認定を受けることで法律になったということや。
それで、景品の上限の最高額を取引価格の8%又は6ヶ月分の購読料金の8%のいずれか低い金額の範囲と決められた。
ただ、どんな経緯で決められたにせよ、法律であることには違いない。
その法律を守るというのは正当な主張になる。それに異を唱える方がおかしいと。
三つめは、拡張員、勧誘員による行き過ぎたサービスを制限、監視するためというのが、それや。
サイトのQ&Aにもよくあるが、極端な例では「タダにするから」と、その新聞代と同等の金額を払ってまで契約しようとする拡張員、勧誘員がいとるという。
そこまでいかんでも販売店の指示、希望する拡材を大幅に超えたサービスを勝手に渡すケースが後を絶たんという現実がある。
拡張員、勧誘員は、その場の1本の契約が取れたらええと考えるが、販売店はそれではあかんわけや。
当然やが、そんな条件で契約した客は、次回もそれを望む。
「タダにする」とか「利益を無視したサービス」をするというようなことができるわけがないから、その希望は断るしかない。
それによりトラブルに発展し、揉めた末、客離れという現象が起きることも珍しくない。
事実、そういうケースは相当数あるものと思われる。
一度でも、その条件で契約した客は、タダ、あるいはそのサービスが貰えんのなら新聞を講読したくはないという気になる。
そんな客ばかりを、せっせと製造されたら堪らんと考えるのは無理もないわな。
百害あって一利なしと。
そうであるなら、それができん仕組みを作るしかないと考えるのが必然ということになる。
それらの理由が、今回の『正常化の流れ』とやらを徹底させようということに、つながったのやろうと思う。
要するに、この状況下では経費節減するしか、販売店の生き残る道はないと考えたわけや。
それが全国的な規模のうねりとなって『正常化の流れ』が拡がっていった。
そういうことやと思う。
新聞業界に限らず、現在、日本の大半の企業が、その経費節減にやっきになっている。
生き残るには、それしかないと。それが一番やと。
果たして、本当にそうか。
その『正常化の流れ』とやらで、拡材をむやみに抑えれば客を確保することが難しくなる。
まあ、それでも大半の地域では、顧客の延長契約の場合は現状維持か微減の拡材を渡すということで凌(しの)いでいるとのことやがな。
それには、「今までのサービスがないんやったら新聞を止める」という客が、あまりにも多いために仕方のない配慮があるのやと。
経営の苦しい新聞販売各店が、そうする以外に生き残る術がないと考えたというのは、分からんでもないが、はっきり言うて、それだけでは後ろ向きの思考にしかならん。
結果も、おそらく悪い方にしか向かんやろうという気がする。
確かに、行き過ぎたサービスによるマイナス面は大きい。
そんな営業は止めさせ、悪質な拡張員、勧誘員を閉め出したいという気持ちも分からんではない。
それについてはワシも賛成する。そうした方がええと。
しかし、そのために規制することしか考えつかんようでは、救いがない。あまりにも芸がなさすぎるのやないかと思う。
新聞は売り込まな売れんという絶対的な事実がある。
拡張員、勧誘員はその新聞を売る事で生計を立てとるわけや。
このままでは冒頭で言うたとおり、『辞めた、辞めたい』という勧誘員が確実に増える。実際に増えつつある。
それが、どんな事態よりも新聞にとっては最大の危機になると考えるのやがな。
『新聞は売り込まな売れんという絶対的な事実がある』ということは、裏を返せば、そのための勧誘員がいれば、新聞はまだ救われる可能性が残されるということになるわけや。
その勧誘員の存続、絶対数が、その『正常化の流れ』とやらで激減して危うくなっている。
良かれと考えた締め付けが、結果として自分の首を締めることになる。
それを理解していたら、勧誘員たちにいかに新聞を売りやすくしてやるかを考えた方がええと思うのやがな。
どんな規制でもそうやが、強化するのなら、それと平行して緩和策も打ち出さな効果は望みにくい。
ワシが時折言うてることやが、そのための具体的な方法が二つある。
一つは法律を「改正」するということや。
「法律なんか簡単に変えられるわけがない」というのは常識やが、事、「6・8ルール」に関しては、あながちそうでもない。
新聞社がその気になれば変えて変えられん性質のものでもないさかいな。
多くの人は、新聞業界の「6・8ルール」というのは、「お上(国)」が決めた「景品表示法」の一部やと思うとるようやけど、それは少し違う。
先にも言うたように、新聞業界の自主規制が、公正取引委員会の認定を受けることで法律になっとるという特殊な事情がある。
業界の自主申告が法律に反映されとるという希有(けう)なケースやと言える。
普通、業界が法律に対して具申(ぐしん)するのは「手心を加えて貰いたい」「その法律を緩和してほしい」という思いから、そうするケースが多い。
しかし、この「6・8ルール」に関しては逆に、本来の法律よりも厳しい内容のものやったから、その法律を運用する公正取引委員会としても、その申し入れを無下(むげ)に却下できんかったのやろうと考える。
それがために、「景品の最高額を取引価格の8%又は6ヶ月分の購読料金の8%のいずれか低い金額の範囲」という例外とも言える法律が加わることになったということや。
この法律で言えば、6ヶ月契約以上はすべて同じ金額相当の景品でないと認められんということになる。
つまり、6ヶ月契約も1年契約も渡す景品は同じやないとあかんということになるわけや。
これだけでも、良う考えたらおかしな法律やというのはすぐに分かりそうなもんやけどな。
何でその契約期間や取引金額が倍ほども違うのに、そのサービスの上限を同じにせなあかんのやてなもんやさかいな。
多くの販売店も今まで、それについて疑問を抱いていたからこそ、新聞社には内緒で、またその法律に違反しとると知りつつも、客にはサービスに差をつけてきたという紛れもない事実があるわけや。
その法律が制定された当時、公正取引委員会が規制する一般的な業種の景品の上限は、取引価格の10%やった。
新聞業界の自主規制8%というのは、単に「新聞社はここまで厳しく規制してますよ」ということを世間にアピールしたかっただけのことやと思う。
そうすれば体裁が保てると考えてな。
その後、その公正取引委員会自体が一般的な業種の景品付与の上限を20%にまで緩和することに決めたが、新聞業界はその後も、その「6・8ルール」に拘(こだわ)り続け、今以て、それを維持しとるわけや。
現在施行されとる他業種での正規の景品表示法に照らせば、取引価格の20%までは認められとるわけやから、新聞の場合なら1年契約、朝夕セット版地域だと、月購読料3925円×12ヶ月分×20%=9420円までの景品サービスが可能という計算式が成り立つ。
これやと、たいていの地域の販売店や拡張員たちが渡している今までの拡材の範囲内で収まるのやないかと考える。
これをそのまま、正規の景品表示法に基づいて「6・8ルール」を「20ルール」とでも改正の打診をすれば、ほぼ間違いなく受け入れられはずやから、今までどおりの販売店のサービスで問題はないと考えるのやがな。
そうすれば、わざわざ『正常化』などと言わずとも法律を守ることができる。
新聞社さえその気になって、そう提言すれば、公正取引委員会も否とは言わんやろうから、そうなる公算は大きい。
もともと、公正取引委員会も新聞の景品の渡し過ぎ問題については、それほど大きな違反とまでは考えてないやろうという気がする。
その証拠に、平成14年以降、その「6・8ルール」に違反したからという理由で、新聞販売店がその景品表示法違反に問われて摘発されたという事例がないさかいな。
容認とまでは言い切れんが、それに近い状態やないのかと思う。
まあ、普通に考えて、公正取引委員会全体が20%までの景品付与を認めとるのに、それを8%の違反をしとるからと言うて摘発するというのも変な話やさかいな。
その変な話を『正常化』と称して推し進めようとしとるのが、現在の流れやと考える。
二つめは、それに加えた緩和策として新聞代の値下げといった方向も考慮するべきやないかという点や。
売るためにいかに値下げできるかということに腐心しとるのがあらゆる業種、企業の現状やと思う。
そのコストダウンをして販売力をつけるための『正常化』というのなら分かる。
多くの消費者が困ったときに家計のことを考えた場合、真っ先にその新聞代を始末しようというのは昔からあったことや。
それが、この長引く不況で当然のように相当数増加している。
それも新聞部数の減少の大きな理由になっているのは間違いない。
その『正常化の流れ』を推進するのなら、その客離れを食い止めることを考えた新聞代の値下げも同時にするべきや。
それでないと、今の時代のデフレ傾向には対応できんと思う。
それで、これ以上の部数減を押さえ、新聞離れを食い止められるのやったら、その方がはるかに業界にとってもええはずやしな。
当たり前やが、新聞代が安くなれば『正常化の流れ』でサービスが減少しても契約が取れにくいということも少なくなる。
なぜ、それらのことを先に考えてやろうとしないのか、その方が不思議に思える。
新聞各社、および販売各店は、かつてない苦境に立たされたことで慌てふためいて迷走しとるようにしか、ワシには思えんし、見えんのやけどな。
結果として、自ら客を減らす愚をせっせと冒しているだけやないかと。
それが、ワシの『正常化の流れ』と称する今回の事態には、どちらかと言うと批判的やという理由になる。
しかし、いくら批判しても、上が決めたことには、ワシら勧誘員は従うしかないのもまた事実やがな。
まあ、新聞各社の上層部が、このメルマガを見て、その意識を変えてくれるというのなら、それに越したことはないが、今までの経緯から考えても、それは望み薄いと思う。
つまり、決まったことなら、文句を言うて腐っていても仕方ないということや。
それなりの方法を考えるしかない。
その思いで『第84回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■2010年からの新聞営業講座……その2 拡材について』(注1.巻末参考ページ参照)では、「金をかけずに済む拡材サービス方法のあれこれ」という話をした。
また、『第88回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■2010年からの新聞営業講座……その3 相手(客)に喜ばれる営業とは』(注2.巻末参考ページ参照)の中では、「相手(客)に喜ばれる営業をするための考え方」という話もした。
いずれも、その『正常化の流れ』とやらの規制を守る、経費を節減するという意味では効果的な方法やと自負しとる。
今回は、それらに加えて、「工夫することで、拡材以上の効果的なサービスができる方法」について話そうと思う。
「もうだめだ」、「やってられん」とあきらめる前に、これを見てチャレンジしてみようかと考えて貰いたいという思いもあるしな。
辞めることは、いつでもできる。あきらめるのも簡単や。
しかし、あきらめたら、その先はない。そこで、すべては終わる。
今流行(はやり)の坂本龍馬の名言の一つに、
「業なかばで倒れてもよい。そのときは目標の方角にむかい、その姿勢で倒れよ」
というのがある。
これを、伝説のマンガ『巨人の星』の中で、星一徹が主人公の息子、飛雄馬に、その坂本龍馬の言葉の引用として、
「例え、どぶの中で死んでも、なお前向きで死んでいたい」
とアレンジしたのは、あまりにも有名や。
ワシもマンガ好きやったから、子供の頃から、その言葉が耳について離れんかった。
「絶対にあきらめない」という意志を言い表すには最適な言葉やと。
事実、ワシ自身、物事を途中であきらめるということは、ほとんどなかったしな。
何でもやると決めたら最後までやり通すことにしとる。
中途半端は嫌いや。
そこまで一途(いちず)になれとは言わんが、やるだけのことはやってみる価値はあるのやないかと思う。
特に、販売店の経営者、拡張団の経営者のように、このままやと座して死を待つだけと考えとる人たちにとっては、それしかこの苦境を生き残る術はない。
そう考えるキッカケになってくれたらええのやけどな。
それが、ひいては新聞そのものをこの窮地から救うことにもつながると考えるさかいな。
工夫することで、拡材以上の効果的なサービスができる方法
1.拡材から離れた営業に転換するという意識を持つ。
顧客に拡材を渡して契約を確保するのは、営業の一手段であって目的ではない。
この業界では、「客には拡材さえ渡しておけばええ」、「サービスさえしてたら客は確保できる」と長く信じられてきて、その拡材中心の営業があまりにも多すぎた。
極端なことを言えば、その方法しか知らんという勧誘員すらおるくらいやさかいな。
もっとも、それを望む人、それで心変わりをする人を取り込むには、あながち間違った方法とは言えんのは確かやけどな。
それで通用する人にはそれでもええ。
しかし、それは客がすでに「新聞を取ろう」、「変更しよう」という気になっている場合に効果のあることであって、そうでもない人にとっては、新聞のサービスの多寡(たか)程度のことで心を動かされることの方がまれやと考えてなあかん。
しかも、それは「新聞を読むこと」が当たり前で新聞を講読してないと体裁が悪い、それでしか満足な情報を得られることができんという前提があった時代に効果的な方法やったと思う。
今のようにインターネットが一般にも広く普及し、それを誰もが持つ携帯電話で見ることができるような時代になり、情報を得る手段が手軽で多様化してくると、その「新聞を読むこと」が当たり前という常識はすでになくなっている。
何も新聞に頼らずとも、ネットに接続すれば、いくらでも事件や出来事などのニュースを知ることができるわけや。
それも、その情報の多くをタダで入手できるとなれば、よけい有料の新聞を買う意味が薄れる。
そう考える人が、今後も間違いなく増えていく。
つまり、これからの新聞勧誘は拡材のサービスだけで客を確保することは限りなく難しい状勢になったということや。
拡材から離れた営業、勧誘が必要になると。
まずは、それをしっかりと認識せなあかん。それでないと、拡材以上のサービスを考えることなんか無理やさかいな。
2.思い込みをなくす。
人間は思い込むと、どうしてもそのことに囚われやすくなる。
今回の場合で言えば『正常化の流れ』になって勧誘するのが厳しい、ダメやと考えた時点で、本当にそうなるということや。
これは、勧誘全般にも言えることやけど、勧誘員の多くは、自然に「勧誘できる対象」と「勧誘のできん対象」というのを各自、自分の中で決めつけとると思う。
例えば、アパートなどの集合住宅の方が契約が取りやすく、一戸建ての住宅街は難しいという先入観がそれや。
はっきり言うて、それは単なる個人的な思い込みにしかすぎん。
当たり前やけど、どんなに厳しいという地域でも新聞は購読しとるわけやし、多い少ないの違いはあるにせよ、その地域にしかない地方紙は別にして、それ以外の全国紙は、たいていの地域で購読者がゼロということはないさかいな。
ゼロでなければ、そこで増える可能性があるということや。
人は思い込むと選択肢を狭くする。行動に制限がかかる。
それをなくさん限り、何か事が起きる度に行き場を失うことになる。
3.特別なサービスをアピールする。
これは、旧メルマガ『第70回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■くり返される悲劇!!広島小1女児殺害事件の現場では……』(注3.巻末参考ページ参照)で言うた、下校時の小学生を見守ることや、『第65回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある新聞販売店の取り組み その1 哀しき孤独死をなくせ』(注3.巻末参考ページ参照)で話した、独り暮らしの高齢者の孤独死を防ぐ取り組みなどがそれになる。
他にも、地域の祭りやイベントなどに貢献するとか、主催するというのでもええ。
あるいは地震などの災害で困っている所へ、新聞代の一部を寄付すると訴え、新聞を購読することでその貢献ができるとアピールするという方法もある。
他にも、その手のことを考えれば、いくらでも思いつくはずや。
キーワードは「社会に貢献」ということやな。
そうすることで、他にない特別なサービスをしている販売店やとアピールできる。
それを営業のトークに使う。もちろんウソはあかんで。
そうすれば、拡材などのサービスが少ないということも理解して貰えやすいから、それによる引け目を感じることなく勧誘できると思う。
4.折り込みチラシを利用したアピールを考える。
販売店が自店のための折り込みチラシと言えば、たいていは「従業員募集」とか「配達員募集」というのが多いが、それだけでそうするのはいかにも勿体ないという気がする。
それなら、そのチラシで販売店の宣伝でもすればええのかというと、そうしても既存の読者にはそれほど効果はないから、それもあまり意味がない。
そうではなく、ここは発想の転換を計って、新聞を売るためという考えは捨て、その販売店にしかない面白いネタ、話題を掲載するわけや。
例えば、エッセイやコラムのような形のものにして載せるという感じやな。
その地域で起こった、ちょっとした出来事、ニュースでもええし、どこかの野球ファンなら昨日の試合結果を書いて、その印象を語るのでもええ。
余談やが、ワシは勧誘しとるとき、たまに、「阪神ファン」やというのを強調することがあるが、そうすると、客の中には「ワシもや」と言うケースがある。
それで一気に、その客との距離が縮まる。
これが若い人になら、サッカーの話題でもいける。Jリーグに関してでもええし、海外の試合についてでもええ。
「昨日、UEFAチャンピオン・リーグでマンチェスター・ユナイテッドのウェイン・ルーニーが2度も見事なシュートを決めてACミランに勝ちましたなぁ」と言えば、それに興味のある若い人から、「おっ、これは話の分かるおっさんやな」と勝手に思うて貰えることがある。
もっとも、そういう話をする場合は、ある程度、それについての知識がなかったらあかんがな。
幸い、ワシにはサッカー好きのハカセの子、コウ君がついていて、その彼から、よくメールでそれについていろいろ教えてくれとるから、大して興味もなかったサーカーの知識が結構豊富になり若い人との会話に役に立っとるがな。
それを単に営業トークとして使うのでもええが、エッセイやコラムのような感じにすると「一風変わった販売店やな」というアピールができるのやないかと思う。
そして、そのネタは、その販売店の新聞を読むことでしか得られないものやと思われたら、それなりに話題にもなり人気も出るのやないかと。
まあ、そうするにはいろいろとクリアせな問題があるとは思うが、一考の余地くらいはあるはずや。
それにそれについての質問なら、ワシやハカセがいつでも受けるさかい、気軽に相談してくれればええ。
5.地域の便利屋を目指す。
ある読者の方から、近所の電気屋さんに、家のリフォーム業者とか弁護士など、その時々で困ったときに、とてもいい人を紹介して貰って助かったという話を寄せられたことがある。
電気製品自体は、大手の電機量販店で買う方が安いのやが、その電気屋さんと親しくしといた方が何かと得やということで、たいていの電気製品はそこで買うのやと言う。
その電気屋さんとやらが、それを狙ってそうしとるのかどうかは分からんが、客とすれば、そういう人とつながっていたいという思いはよく分かる。
それがヒントになって、『地域の便利屋を目指す』という方法を思いついたわけや。
それは、何もその電気屋さんだけの特権やなく、新聞販売店にもできることやと思う。
というか、地域のそうした個人情報を一番多く持っとるのが新聞販売店なわけやから、その気にさえなれば、相当広範囲な職種で多岐に渡ってそれができるはずや。
困っている人に、地域の良い業者を紹介する。
そうすることで、両方の客を確保できるし、それが件(くだん)の電気屋さんのように顧客の信頼を得てその地域で評判になるというのも十分考えられる。
その評判は評判を呼び、客を呼ぶ。
そんな上手いこといくのかという疑問を持たれる人がおられるかも知れんが、ワシは昔から、そういった営業を心掛けとるから、何か困ったことがあったら「ゲンさんに聞けばいい」と紹介されるケースが結構多いので、そうなる可能性が高いというのは身をもって知っとる。
それを個人だけやなく、販売店レベルにすればと考えたわけや。
これなんかは、拡材を必要としない最たる営業やないかと思う。
6.客の心を掴むプレゼントを考える。
これを実際に実行しとる販売店がある。
その方法とは、契約時にその家族の誕生日を契約書の片隅、あるいは別紙のアンケート用紙に書いて貰うというものや。
そうする目的は、その誕生日に、それほど大したものやなくてもええから「プレゼント」として持っていくということをするためや。
その販売店は契約時には、あまりええ拡材を渡せんので、その代わりに、その日が来たら、なるべくその人に合わせた「プレゼント」を贈るのやという。
その販売店の経営者がそれをしようと思いついたのは、地域の激安ショップの経営者と友達で、そこで売れ残った商品の引取先に困っていたということを知って、それを考えついたのやという。
その商品自体は売れ残りやから二束三文の値段で手に入る。
但し、商品とその品数が常には一定んから、一般の拡材に使うことは難しい。
しかし、個人的にならそれを使うことは可能やと、その経営者はそう考えた。
例えば、旦那の誕生日には洒落たコーヒーカップや灰皿。奥さんには、エプロンとかスリッパ。お子さんにはオモチャ類といった感じやな。
その時々でその商品がころころと変わるということが、却って功を奏したのか、その販売店の評判は瞬(またた)く間に上がったということや。
そういう事というのは、口コミで拡がりやすいさかいな。
そのため、このご時世にあって、かなりの部数を着実に伸ばしているのやという。
今回は、このくらいにして、この他にも何かあれば続編として続けるつもりにしとる。
また、読者の方で、そういった情報をお持ちの方がおられ、それを寄せて頂けるようであれば紹介したいと思うので、ぜひお願いしたい。
ともあれ、ワシが常に言うてる、どんな状況になっても工夫次第で営業する方法があるということが、これで分かって貰えたらええと思う。
言うとくが、今回言うたようなことはネットでは絶対に無理やと考える。
デジタルの世界で人と心を通わせるのは、どうしても限界があり難しいが、人と人とが直接触れ合うアナログの世界には、その限界はないさかいな。
心と心は、いくらでも信頼関係、人間関係を築いていくことができる。
新聞の生きる道、活路はそこにある。要はそう信じられるかどうかや。
何度も言うが、まだまだ、この程度の厳しさであきらめるには早いと思う。
少なくともワシは、そう信じて日々の勧誘を続けるつもりにしとる。
参考ページ
注1.第84回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■2010年からの新聞営業講座……その2 拡材について
注2.第88回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■2010年からの新聞営業講座……その3 相手(客)に喜ばれる営業とは
注3.第70回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■くり返される悲劇!!広島小1女児殺害事件の現場では……
注4.第65回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある新聞販売店の取り組み その1 哀しき孤独死をなくせ
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