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第95回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2010.4. 2
■告発の行方……闇に消えた、ある新聞拡張団の不正疑惑
今から数ヶ月ほど前。
入店手続きが終わった後、シゲルは、古株のオオタニから、「昼飯をおごってやるから一緒に来い」と誘われた。
入店後にそう誘われるのはよくあることで、シゲルは、さしたる用心をすることもなく、その誘いに従った。
今は、それを悔いている。
昼飯をおごって貰ったことにではなく、その後の話に踊らされた自分自身に対しての後悔やった。
オオタニの評判の悪さ、いい加減さは承知していた。
信用のできん人間と知っていながら、シゲルに眠っていた、ある思いの強さが、そのオオタニの言うことを真に受ける愚を冒(おか)させてしもうたわけや。
アホなことをした。
シゲルは自身の迂闊(うかつ)さ、浅はかさが恨めしかった。
拡張員が勧誘営業するために指定された販売店に赴(おもむ)くことを業界では「入店」と言う。
原則として、この「入店」をした拡張員にしか、その日、その販売店での営業はできんことになっとる。
拡張員には、その販売店の営業許可証とも言える臨時の「社員証」を携帯して勧誘する決まりがある。
入店手続きというのは、そのためのもので、たいていは昼、正午前後の時間帯に行われることが多い。
新聞販売店の従業員は深夜から早朝にかけて配達をする。
その後、「専業」と呼ばれる販売店の正従業員たちの多くは仮眠を取る。
その彼らが起き出すのが午前11時頃やさかい、その一時間後くらいを入店時間に設定するケースがこの業界では多い。
それには拡張員の入店日、日程というもが事前に分かっとるから、販売店は、前もってその受け入れ準備をしとかなあかんということがあるからや。
受け入れ準備とは、人数分の俗に「カード」と呼ばれる契約帳の用意、拡材の品揃え、拡張禁止などの通達事項書類の作成、バイク、自転車などの乗り物の用意、整備なんかがそうや。
入店者に新人がいとる場合は、その販売店の営業エリアを示した「拡域地図」と呼ばれとる物も必要になる。
契約書自体は、この地域の同じ新聞系列の販売店なら、どこでも一緒やが、入店先の社印が押してなかったら、その契約は認められん場合が多いから、どうしてもそれが必要になる。
拡材も、販売店で用意しとかなあかん決まりになっとる。
一般的な拡張員は販売店の用意した拡材でしか勧誘せん、できんことになっとるから、それがなかったら仕事にならんわけや。
拡禁(拡張禁止)も聞いとかなあかん。通常はその情報がプリントされとるものを入店した拡張員各自に配る。
そこに記載されとる個人、住居、条件の所でカードを上げても成績にも金にもならんと明示しとるさかい、これもなくてはならんものや。
間違うて上げれば、金にならんだけやなく揉め事になるおそれが大やさかいな。
それに記載漏れがあって上げた契約は、原則として販売店の責任で買い上げることになっとるから、それを疎(おろそ)かにすることはできん。
乗り物の準備も重要や。販売店には、拡張員に希望する自転車やバイクの貸し出しなどの便宜を図る義務と責任がある。
それには、ガソリンの補充もやが、整備もちゃんと店が事前にしとかなあかん決まりになっとる。
それらの準備に少なくても小一時間ほどはかかることが多いさかい、昼の正午過ぎに入店時間が設定されるということなわけや。
オオタニとその弟分のコウモト、そしてシゲルの3人で、その喫茶店に入った。
拡張員の多くは、食事とサボリを兼ねて喫茶店やファミリーレストランなどの長居ができそうな店に好んで入る。
マンガ喫茶やネットカフェなどもその候補になる。
昼食が済んですぐ仕事にかかる者が皆無というわけやないが、拡張員で陽の高いうちから仕事をする者は少ない。
昔から、拡張員は陽が西に沈み始める頃からボチボチ動き出すというのが多いと相場が決まっとるということもあり、自然と屯(たむろ)する場所にそういう所が選ばれるわけや。
夜の街灯に群がる羽虫に似とる。
昼間は叩いて(訪問営業)いても在宅率が悪いからというのが、その理由の大半ということでな。
そういうこともあり、拡張員たちにとって昼食時というのは、1日の中で最ものんびりできる時間帯ということになるわけや。
何かの悪巧みを企(くわだ)てるには、うってつけの時間帯やと。
「お前、確か、昔、新聞記者をしてたとか言うてたな」
無愛想な中年のウエイトレスに注文を済ませたオオタニが、シゲルにそう切り出した。
「いえ、ボクは雑誌社にいただけでして……」
シゲルは三流雑誌社の契約記者をしていた。
契約記者というのは、記事1本いくらという取り決めで、その雑誌社の望む記事を書く者のことを言う。
フリーライターと混同されやすいが、フリーライターというのは独自に取材した記事を、出版者に売り込む者のことで、契約記者とは少し違う。
いずれも実力次第で評価されるのは一緒やが、契約記者の方がある程度の仕事が保証されとる分、恵まれている。
いや、恵まれていたと言い直すべきかな。
近年、出版業界は新聞業界以上に厳しい環境にあるというのは周知の事実になっていて、実際、シゲルの所属していた三流雑誌社も3年前に倒産の憂き目に遭うたさかいな。
ちなみに、その年、2007年に倒産した出版社はそれまでの過去最多で55社もあったという数字がある。
その翌年の2008年はそれよりは3社ほど少なかったと言うても52社。
それは、これからも増えることはあっても減ることがないとさえ言われとる。
まさに、出版業界にとっては冬の時代が到来したと言える。
冬なら必ず春が来ることは約束されとるが、出版業界にその保証は何もない。
そのまま氷河期に突入する懸念の方が強い。
シゲルもその後しばらくは、フリーライターで食いつないでいたが、結局はそれもあきらめ、仕方なく拡張員をしとるということや。
「そうか、それはどっちでもええが、それならマスコミに顔が利くやろ?」
「どういうことです?」
刹那(せつな)、シゲルは獲物の臭いを嗅(か)いだオオカミのように思わず身を乗り出した。
それは忘れかけていた事件の臭いやった。
その顔、目つきはすでに雑誌記者のそれに戻っていた。
ネタ次第では浮かぶ瀬もある。その期待感があった。
「実はな……」
オオタニが辺りを注意深く見回しながら声を落とす。
それに釣られるように、別に周りに客がいとるわけでもない閑散とした店内の片隅に位置するテーブルの上に、誰の目にもそれとすぐ分かる程度の悪そうな頭が三つ、集まった。
傍目(はため)からは、タチの悪い連中がロクでもない悪巧みをしているようにしか見えんやろうと思う。
そこで語られた話は、ある意味では衝撃的なスクープになる要素は十分にあったが、話を持ちかけてきた人間が人間やさかい、どうしても、その胡散臭(うさんくさ)さを払拭することができん。
シゲルの記者魂を掻き立てる反面、危険な臭いも嗅いだ。
「こいつらを信じて動いてもええのか」と考え、どうするかを決めかねた。
それは、シゲルのコネを使って、その情報(ネタ)をマスコミに売り込めというものやったからや。
その話をどこまで、このメルマガで言うてええもんか判断に迷うところやが、要約すると、シゲルたちの所属する団で「生活保護詐欺まがい」のことが行われているというものやった。
最近、団の別班に、どこからどう見ても使い物にならんような中高年の新人が増えたというのはシゲルも知っていた。
別班というのは、団は同じでも勧誘する地域や入店する店が別のグループのことで実際には一緒に仕事をすることはほとんどない。
ヤサ(住み処)もオオタニやシゲルたちのアパートとは違い、普通では両者が会うこともない。
それがあるとき、オオタニの弟分であるコウモトが、その連中の一人、ニノミヤという男とふとしたことから知り合って意気投合し、話し込んだことで、その情報(ネタ)を仕入れてきたのやという。
もっとも、このときには、コウモトはそれをネタとは思わず、ニノミヤとの話をそのままオオタニに伝えただけやったがな。
そのオオタニが何かあると睨(にら)んだ。
ニノミヤという男は、コウモトが同じ会社の人間ということで、自分と同じような境遇の者やと勘違いして、団の上層部に他言するなと言われてたにも関わらず、その話をしたようや。
コウモトも最初はニノミヤに同情してその話を聞いていた。
ニノミヤは、団に来る前はホームレスやったという。
ある日、ニノミヤは公園に作った自前のダンボールハウスの中で寒さを凌いでいたところを、団のナンバー2であるヒサイという部長に声をかけられた。
「うちに仕事に来ないか。寝る場所も食う物にも困らんから」と。
その場で1万円の現金を握らされたということもあり、ニノミヤは喜んでそれに従った。
ニノミヤは、寝る場所と仕事があるのなら、どこへでも行くし、何でもするという気になっていた。
連れて行かれた場所は、4帖半一間のボロアパートやったが、そこには布団もあり約束どおり、その日から食い物も届けられるようになった。
ニノミヤは長いこと住所不定やったが、ヒサイの計らいもあり住民票もそこに移すことができた。
その理由は、住民票がなかったら拡張員登録ができず仕事ができんということやった。
「うちの団は、あれで結構いいところがありますね」と、コウモトはしきりに感心して、その話をオオタニにした。
「アホ、うちの団長や部長のヒサイが、そんな親切なタマなわけないやろう。これには絶対何か裏があるはずや」とオオタニはそう睨み、その理由を徹底的に調べることにしたという。
上手くいけば一儲けできると。
新聞拡張団がピンハネ業界やというのは、百も承知している。オオタニも、それは仕方ないと思う。
しかし、団のそれは程度が酷(ひど)い。酷(ひど)すぎる。搾取(さくしゅ)されるという程度の生やさしいものやなかった。
例えば、オオタニら団員に支払われる3ヶ月契約の拡張報酬は4000円やが、団は新聞販売店から実に12000円も受け取っていた。
報酬額の2倍のピンハネ率というのは業界広しといえども、ここだけやろうと考えた。
アパートの賃料も相場の倍やし、光熱費も普通では考えられんくらい多額の請求をされる。
一事が万事、そんな調子で団は拡張員から搾(しぼ)り取れるだけ取ろうという魂胆がミエミエやった。
そんなに酷(ひど)くて嫌なら、他へ移ればええと考えるかも知れんが、それも簡単な話やない。
仕事のできん人間は、そんな調子でやられたら、あっという間に借金を作ることになる。
その借金に縛られて身動きの取れん者も多い。
何の借金もない者でも、例え辞めたとしても、そうおいそれとは「拡張員登録」を外さんのやという。
そのため、実際に辞めた者で他団に移籍することもままならんと嘆くケースがある。
これについては、ナンボなんでも、そんな真似はできんやろうし、例えそうしたとしても「新聞インフォメーションセンター(旧、新聞近代化セールスセンター)」に、その事実を通報すれば簡単に「拡張員登録」は取り除けるはずやと思うてたが、そうでもないケースもあると最近になって分かった。
サイトのQ&A『NO.870 この体制についてどう思われますか?』(注1.巻末参考ページ参照)という相談の中に、
北海道では団から団へは移ることは出来ません。うちの団長がなんとしてもセールス登録を外せないように手を回しているからです。
というのがあり、それに対しては、
その登録元である「新聞インフォメーション・センター(旧、新聞近代化センター)」では、その在籍確認ができない人間の登録は外さなあかん決まりになっとるから、団を介さずそう申し出れば即座に登録を抹消するはずや。
あるいは、その団にそうするように連絡を入れる。
いずれにしても、そうしておけばその登録が外されるのは、ほぼ間違いない。
当たり前やけど、そこで仕事はしてないわけやから、仕事をしてない者をそのまま登録するというのは登録違反ということになるさかいな。
と回答し、それで問題は解決するやろうと考えとった。
しかし、その相談者とは違う別の人から、『NO.875 どうすれば拡張員登録が外ずせますか?』(注2.巻末参考ページ参照)で、
実は前に居た団から給料貰えなく辞めました。で、知り合いの団に行こうと思ったのですが登録が外ずれてなく移る事ができません。
前の団に電話して話しましたけど意地悪で外してくれません。借はないです。
仕方なく近代化セールスセンターに電話したら、「こう言う風に電話ありましたって事は伝えますけどそれ以上は強く言えない」と言われました。
で、やっぱり外れていません。
次行く団も面倒なので動かないです。
どうすれば外ずせますか?
という相談が寄せられた。
それによると、ワシが前の人にアドバイスしたように「新聞インフォメーション・センター(旧、新聞近代化セールスセンター)」に連絡して尚、それやったという。
そんなバカなと思いつつも、その人には、
しかし、その対応には問題があると思う。
当たり前やけど、その団は、すでに辞めとるのやから、そこの所属で登録したままというのは誰がどう考えてもおかしいわな。
それを『それ以上は強く言えない』とは、どういうことなんやろう。
たまたまその担当者が、そういう対応、返事しかできん人間やったのか、センターとしてそれが精一杯の対応ということなのやろうか。
それやったら、そんな組織は、組織としてまったく機能してないということになる。
その場合は、どうしようもないのかと言えば、そうでもない。
方法はある。
その「新聞インフォメーション・センター(旧、新聞近代化センター)」がアテにできんのなら、管轄の労働基準局に「正式に退職しているのに、その扱いになっていなくて転職の妨害をされて困っています」と、その事情を詳しく話すことや。
そうすれば、労働基準局は、その「新聞インフォメーション・センター(旧、新聞近代化セールスセンター)」やその拡張団に、連絡して改善するよう指導するはずやと思う。
さすがに、労働基準局から連絡が入れば、その担当者も『それ以上は強く言えない』などというアホなことは言えんはずや。
「善処します」と答えるしかない。
拡張団も労働基準局から退職手続きを速やかにするようにと言われれば逆らうことはできんと思う。
その拡張団がどんな所かは分からんが、それを無視して問題を拗(こじ)らせるほどバカやないやろうしな。
それでもラチがあかんかったら、今度は、その拡張団の所属する新聞社の販売部に、労働基準局へそう通告したにも関わらず「拡張員登録を外して貰えなくて困っています」と言うのも効果があるのやないかと思う。
と、苦肉とも思える策のアドバイスをした。
いずれもここ一週間という短期間に立て続けに、それがあった。
シゲルの所属する団にも、そういうことが日常化されていたという。
そんな団が、何も裏もなくボランティアみたいな真似をしてホームレスを助けるはずなんか絶対にないと、オオタニは言い切る。
オオタニとコウモトは、調べているうちにある事実を知った。
ニノミヤの話から、その別班に連れて来られた者すべてが、元ホームレスで今は生活保護受給者やということが分かった。
しかも、その生活保護の受給手続きをしたのは部長のヒサイやということも分かった。
臭い。
オオタニは即座に「生活保護の受給」狙いの詐欺やないかと疑った。
そのために住民票を移した。住民票がないと、その生活保護申請を役所が受け付けんさかいな。
厳密に言えば、それは違法行為になり、法的にはすべての申請を受け付ける義務が役所にはあるとされとる。
生活保護法の第19条に、その保護を適用する要件として、
1.その管理に属する福祉事務所の所管区域内に居住地を有する要保護者
2.居住地がないか、又は明らかでない要保護者であつて、その管理に属する福祉事務所の所管区域内に現在地を有するもの
とある。つまり、住民票の有無はその要件にはなってないわけや。
とは言え、窓口で「だめです」と言われれば、たいていは仕方ないとあきらめるケースが多い。
それに異を唱えて申請が受理されたとしても生活保護がそれで受けられると決まるわけでもないから、やはり役所の人間の言うとおりに普通はするしかない。
法律云々で争う前に住民票が必要やというのなら、それを取れるようにしといた方が、やはり賢い選択ということになるさかいな。
住民票がなかったら拡張員登録ができんという理由は表向きのカモフラージュで、狙いはそれに違いない。
オオタニはそう睨(にら)んだ。
生活保護費を受け取るには、直接、本人が役所の窓口に受け取りに行くのと、銀行振り込みの二通りの方法がある。
ニノミヤたちは三文判を渡され銀行振り込みらしき書類にサイン、捺印した記憶があった。
直接、役所に行ったことがないと言うから、銀行振り込みになっているのは間違いない。
しかし、その通帳と印鑑、おそらくは作られたであろうキャッシュカードなどは持たされていない。
団がそれを所有している。その理由はアホでも分かる。
どう考えてもそれを搾取する以外にはないと。
オオタニは、その裏を取るために役所の保護課に、ニノミヤを名乗って電話をした。
「もしもし、いつもお世話になっています。○○町1丁目のニノミヤです。前に貰った紙(書類)をなくしたんですが、次に保護費が銀行に振り込まれるのは、いつか知りたいんですが」と。
すると、「この次の振り込み日は来月の3日になります」という返答が返ってきた。
基本的な振り込み日はその月毎の3日やが、その日が土日や祝日の場合は、その前日の平日に振り込まれるという。
そのあたりは、一般の給料日の振り込み日と一緒ということになる。
役所の保護課では被保護者には、その支払い日の一年間の予定を配布しとるので、「それをなくされたのでしたら送りましょうか」と言う。
オオタニは慌てて、「それは結構です。今の話で思い出しましたんで」と断った。
そんなことをされたら、団の人間、特に頭の切れる部長のヒサイに怪しまれる。
その証拠を掴むまでは、団の人間に用心させるわけにはいかん。
しかし、それで、オオタニの睨んだとおりやったということが確定した。
やはり、生活保護費を搾取しとると。
オオタニは、コウモトに、ニノミヤたちからできるだけ話を引き出させて、それを録音するように命じた。
ニノミヤは団から食事は朝と昼、安物の弁当があてがわれる以外には現金は一切貰ってないと話す。
拡張の仕事は毎日やらされ、カードが上がればそれに比例していくばくかの金が貰えるだけやという。
中には、過去に営業の仕事をしていた者もいて、そこそこのカードを上げる者もおるというが、大半はド素人で、しかも半分隔離されとるような連中やから、その勧誘の要領というか技術やテクニックが向上することはまずない。
すべてのホームレスがそうやとは言わんが、仕事に縛られるのを嫌うな者もおって、並の拡張員以上に仕事をサボる者が多いというのもあった。
そんな彼らも寝る場所と食事代はしっかり給料日に差し引かれる。その引かれる額が大きければ赤字、つまり借金になる。
それで身動きできんように縛る。
それは一般の拡張員と同じやった。
ただ違うのは成績が悪くても一般の拡張員に対するほど厳しく団は責めてないということやった。
ホームレスをするくらいの連中は嫌となったら、すぐに逃げ出すクセが身に染みついとる者が比較的多い。そう思われている。
そうされたら団は元も子もないから、ある程度は好きなようにさせて放任しとるという。
オオタニたちからすれば信じられんほどに甘い。
単身者の保護費は、この地域で月7万円から8万円ほど貰える。それに住宅扶助費が月5万円ほど出るというから、一人頭、毎月、計12、3万円になる。
これは調べているうちに分かったことやが、その連中の入っているアパートの所有者は団長の親戚縁者やった。
その住宅扶助費も役所に多めに吹っかけて搾取しとるのは、まず間違いない。
実にえぐい。こんなことが許されてええのか。
オオタニは憤(いきどお)った。
もっとも、オオタニのそれは、「自分らだけ、ええ目しやがって」という妬(ねた)みによるものやとは思うがな。
今回のこの話をシゲルから聞いて思い出したことがある。
ワシが昔所属していた団にも生活保護を受けていた団員がいてた。
しかし、その団はそこまでえぐい関わり合いはしてなかった。
ただ、その団員を利用していたというのはあったがな。
もうとっくに時効になっとるはずやから、それについて少し話す。
その当時の拡張員の中には、国民健康保険にすら入ってない人間も結構いてた。
その金が払えずに保険証が失効して取り上げられとったわけや。
そういう人間は病気になっても、当然のことながら医師にかかることができん。その医療費を全額負担せなあかんさかいな。
そこまでになっとる者は仕事もできず食うや食わずのその日暮らしというのが普通やから、その医療費を踏み倒す根性の持ち主以外には医者にかかることができんわけや。
そのため病気になっても、そのままというケースもある。
病気になった者を放置するわけにもいかず、仕事にもならんから団としても困る。
そこで、団の上層部はその生活保護を受けている団員を利用することを思いついた。
その団員に「調子が悪いので病院に行きたいのですが」と、役所の保護課に電話をかけさせる。
その症状は、実際に病院に行かせる団員のものと偽って。
すると、その電話で役所の保護課の人間は、その病院を手配する。
そこへ、実際に病気になった団員が、生活保護を受けている団員の名を騙って診察に行くわけや。
病院は、役所から電話が入っているから、それで来た人間には身分証の提示などを求めてその身元を確かめることもなく信用して診(み)る。
診療が終われば、薬を貰って帰る。
生活保護を受けている者は、基本的に医療費はタダになる。それを利用したわけや。
もちろん、それをするのは犯罪や。発覚したら大変なことになる。逮捕され、今やったら確実に新聞ネタになるはずやと思う。
そのときは、あかんことやと知りつつも、それで助かる者がおるのなら、それはそれでええかと見て見ぬフリをした。
もっとも、ワシは悪事に荷担はせんが、暴くこともせんと決めてたということもあるがな。
本当は、そういう人間ほどその生活保護で助けなあかんのやけど、件(くだん)の住民票がないとあかんという役所が多いため、夜逃げ同然の人間にはどうしようもないという構図にも釈然とせんという思いもあった。
それに、そうしたところで具体的に誰かが傷つくわけでも、困るわけでもなく、国の出費が少し増えるくらいで済むなら、それにより人一人の命が救えるのなら、それでええやないかと。
独立行政法人に天下りをして莫大な税金を食い物にするような輩より、よほどマシやないかと。
しかし、今回の生活保護詐欺をやっているような団が同じようなことをするかも知れんというのは複雑な気持ちにはなるがな。
話を戻す。
オオタニとコウモトは、ニノミヤに「お前たちは団に利用されとるだけや」と吹き込み、彼らにその証拠を集めさせた。
ほどなく、その証拠が揃った。
後にシゲル自身も確認したが、写真や会話の録音テープ、証拠書類など素人にしては十分すぎるほどものを集めていた。
「これをマスコミに売りつけようと思うのやが、どこかええ所を知らんか」というのが、シゲルに声をかけた目的ということになる。
「金になるかどうかは分かりませんが、そういうことでしたら、幾つかテレビ局や大手の週刊誌の担当者を知ってますので当たってみますけど」と、シゲル。
確かに、オオタニは胡散臭い男やが、このネタはいける。
シゲルのジャーナリストとしての嗅覚がそう確信させた。
ただ、このネタが金になるのかとなると何とも言えん。
確かに、テレビ局の製作会社や週刊誌の一部では、その情報に対してそれなりの金を支払うケースも皆無やないというのは知っていた。
シゲル自身も、何度か身銭を切ってスクープをものにしたこともある。
しかし、今は時代が悪い。
その過去において湯水の如く金を使うことで有名やったテレビ局も、今ではその制作費を極端に削られて金のかかる番組を作ろうとはせんという。
週刊誌も、それは一緒というか、もっと厳しいらしい。
それにも関わらず、「いくら少なくでも、このネタやったら最低でも200万くらいにはなるはずや」と、オオタニは皮算用をしてその算盤(そろばん)を弾く。
「何を能天気なことを言うてんねん」とシゲルは思うたが、それはおくびにも出さず、「とにかく当たってみましょうか」と引き受けた。
シゲルは正直、この程度の情報やと、ええとこ数十万円くらい貰えればええ方やないかと値踏みしたが、オオタニにはそれは言わず、「当たってみないことには何とも言えませんね」と言葉を濁した。
この情報に関心を示したマスコミは、民法のBテレビ局とS週刊誌やった。
新聞社には拡張団の絡んだ事案ということもあり、まず報道はせんやろうと考え、話は持ち込んでいない。
そのうちで、一番熱心やったBテレビ局にその情報をリークしようということで3人の意見が一致した。
Bテレビ局では、ある人気の報道番組で、その特集を組んで追跡調査をしていくつもりがあるというほどの意気込みがあった。
その場で、オオタニは「この情報でいくら貰えるのか?」と切り出した。
すると、そのBテレビ局の番組担当者は「私どもは情報をお金で買うことは一切していません。それでいいのでしたら、とことん追跡調査を行って、真相を白日の下に晒(さら)しますが」と言う。
シゲルは、渋るオオタニをなだめながら、「それで結構ですので、よろしくお願いします」と、その情報のコピーを番組担当者に渡してBテレビ局を後にした。
シゲルもマスコミでは古いから、あんな言い方をテレビ局側はしたが、状況次第ではどう変わるか分からんということも良く知っていた。
テレビ局の言う「とことん追跡調査」というのも、当事者たちとつなぎの取れるシゲルたちに頼らなあかんことに必ずなる。
そのときになって、某かの経費と称して金を引き出ささせ、せびることもできる。
その帰り、シゲルはオオタニにそう口説(くど)いた。
シゲル自身は無報酬でも良かった。その場の中にいれば記事を書くことができる。
それがBテレビ局の人気報道番組での特集に関わったとなれば、上手くすると、また週刊誌業界、マスコミ業界で浮かび上がれるチャンスにもなる。
それを思った。
しかし、いかんせん組んだ相手が悪かった。悪すぎた。
「一銭にもならんのなら、団長に掛け合うてみる」とオオタニが言い出した。
「団長にこの事実を突きつければ、必ず金を出すはずや」と。
「それでしたら、恐喝ではないですか。ボクはそんな片棒を担ぐのは嫌ですよ」
そう言ってシゲルは猛反対した。
しかし、「嫌なら止めとけ」と、オオタニは吐き捨てた。
事は密なるを以て成り、語は洩るるを以て散る。
という中国の戦国時代、今から約2400年前の有名な法家、韓非子(かんぴし)の教えがある。
何かの企てをするのなら誰にもその事を知らさず知られるな。
誰にも喋らず、知られんかったら、その企(たくら)みが成功する可能性は高いが、話したら失敗するという戒めや。
失敗するだけならまだしも、オオタニの行動はどう考えても危険を伴う。
一番内緒にせなあかん相手にわざわざバラしにいくと言うとるわけやからな。
そこまでのことをする団の上層部が、その事実を知られた上、口止め料として大人しく金を払ってまでオオタニたちを黙らせようとするやろうかと思う。
黙らせるのなら、永久にと考えるのやないやろうか。あるいは逆に脅し上げて喋らせんようにするか。
いずれにしても、ええ結果は望みにくい。それがオオタニには分かっていない。
シゲルも、それなりに危険な潜入取材をした経験も多いから、その危険を嗅ぐ力は人よりもあるつもりや。
その嗅覚が、このままではロクなことにはならんと告げていた。
急いで逃げろと。
そう感じたシゲルは、簡単な身の回りの物と全財産を持って、その団からその日のうちに逃げ出した。
早い話が夜逃げや。業界ではこういうのを「飛ぶ」と言う。
オオタニたちが上手くいっていれば、携帯に電話の一本くらいは入るはずやと思うてたが、一週間が過ぎても何の音沙汰もなかった。
シゲルは思い切って二人の携帯に電話をかけた。
すると、「お客様の都合で現在……」という無機質なアナウンスが流れるだけで、その後、その携帯たちが生き返ることは二度となかった。
「やはり、思ったとおり何かあった」
逃げ出して正解やったとシゲルは、今更ながらに思い、同時にロクでもない人間と組む愚かさを再認識した。
それもこれも、自身に這(は)い上がりたいという下心があったためにそうなったのやと。
その悔いが強い。
その後、Bテレビ局からは何の連絡も入っていない。
シゲルはある新聞販売店で働くようになって、そのことは忘れようとした。
そうは言うても、やはりBテレビ局のその報道番組は気にかかるさかい、毎回見逃さんようにはしていたが、それらしき報道は何もないままに時だけが過ぎた。
それから数ヶ月が経ったある日。
シゲルの携帯に、見知らぬ番号の着信があり、出てみると何とコウモトやった。
「あれから大変でしたよ。オオタニさんからは何か連絡がありましたか?」
「別に何もないけど、あの後、何かあったんか?」
「それがね、社長がヤクザ出してきて逆に金払えって恐喝してきたんですよ。それも一人100万で二人で200万。そんな金、俺らに払えるわけないでしょ」
やはり、そういうことになっていたのか。
「オオタニさんと一緒じゃ俺もヤバイから、一人で逃げたんだけど、オオタニさん、あの後どうなったのかなぁ?」
「連絡がないから俺も分からん。携帯も今はつながらないみたいやしな。ところで、お前、今どこにいとるんや? 生活は大丈夫なんか?」
「ええ、なんとか大丈夫です。住み込みで働ける会社も見つけたし。それとこれ新しい携帯番号だから、オオタニさんからもし連絡があったら教えてください。でもオオタニさんにはこの電話番号は教えないでくださいね。もうあの人と付き合うのはこりごりだから……」
「分かった。まあ、今まで連絡がないから今後もないとは思うけどな。お前も気をつけろよ」
それで電話が切れた。
とにかく、コウモトだけでも無事なことが確認できて良かった。
もともと、コウモトは、オオタニに引っ張られていただけで、それほど悪い男ではない。
おそらく、あの件はコウモトも忘れたかったはずや。
今は拡張員をしてないということからすると、徹底して逃げることにしたのやろうと思う。
よほど恐ろしい思いをしたのやろうというのは容易に想像がつく。
コウモトにしても、できれば、シゲルにも連絡をしたくなかった。
その気があれば、もっと早くに連絡していたはずやさかいな。
しかし、その後、どうなったか気になって仕方なかった。自分が安全なのか、まだ危険なのか、それが知りたかった。
迷った末、その誘惑に負け電話してきた。そういうことやろうと思う。
ワシらも、シゲルからこの話を聞かされても、はっきり言うてどうしようもない。
もっとも、シゲルも何かを期待して、ワシらにこの話をしたわけやないとは思うがな。
「聞いて貰えて少しは肩の荷が下りました」と言うてた。
サイトにこういった種類のメールが時折舞い込んでくるのは、それにより特別にアドバイスがほしいというより、単にその話を聞いて取り上げて貰えるだけでええという人が多い。
それにしても……。
まだ、その拡張団は、今でもそんなことをやっとるのやろうか。
もし、やっていて、その拡張団の上層部の人間が、このメルマガを見ることでもあったら、悪いことは言わんから、もう止めといた方がええと言うとく。
そんなことは、いつかは必ずバレることやさかいな。
事実、ワシらには、もうそれと分かっとるわけやし、鳴りを潜めているとはいえ、いつ何時、そのBテレビが動き出さんとも限らんさかいな。
もちろん、ワシらには、それを暴露する気はさらさらないが、それでも、シゲルやコウモトの身に何かあったら、その禁を破ることもある。
ここで一応、その警告はしとく。
もっとも、オオタニに関しては冷たいようやが、ワシらの関知するところやないがな。
どう聞いても自業自得という風にしか思えんし、見えんさかいな。
この後の展開、続編が何かあるのか、ワシらにもそれは分からん。
分かるときがくれば、このメルマガ誌上で知らせるつもりにはしとるがな。
参考ページ
注1.NO.870 この体制についてどう思われますか?
注2.NO.875 どうすれば拡張員登録が外ずせますか?
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