メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第99回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2010.4.30
■ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 1
これは、旧メルマガでの『ゲンさんの名言集』(注1.巻末参考ページ参照)の延長で、これを楽しみにしておられる方も多く人気のシリーズになっているものや。
また、このメルマガでも『第54回 ゲンさんの新聞業界裏話 ゲンさんの深イイ話 Q&A編 Part 1』、『第73回 ゲンさんの新聞業界裏話 ゲンさんの深イイ話 Q&A編 Part 2』(注2.巻末参考ページ参照)というのがある。
今回は、『ゲンさんの新聞業界裏話』として衣替えしてもうすぐ100回を迎えるということもあり、メルマガ編のPart 1ということで紹介しようと思う。
例によって、今までの読者からの投稿や希望を参考にさせて貰っているので、そこそこのものになっとるとは思う。
もっとも、ワシらの独断と偏見、勝手な思い込みによる選考も含まれとるがな。
ただ、言葉というものは、受け取る側が、その善し悪しを決めるものやから、ここに掲載されたものが、すべての人の心を打ち、「深イイ」という評価になるとは限らんというのは言うとく。
人によれば「う〜ん」で終わるものもあるやろうしな。
せやから、あまり過度な期待をされても困る。まあ、気楽に楽しんで頂ければええ。
それで、何かの「気づき」や「発見」があれば儲けものやと思うて貰えれば十分やさかいな。
何もなければ「ごめんなさい」と言うしかないけど。
それでは始める。
ゲンさんの深イイ話 メルマガ編 Part 1 67撰
悪事への批判は、あくまでもそれを引き起こした個人に向けられなあかん。(第1回より)
安全と水はタダやという神話は、すでにこの日本にはなくなっているのやと思い知らされた。(第2回より)
その対策は早めに。これは、何にでも有効な考え方や。(第3回より)
正直、新聞社は何を考えてんねんと思う。ワシらには新聞を売れとケツを叩いておきながら、一方ではタダ読みできるようにしとるわけや。
ホンマに新聞を売る気があるんかと疑いたくもなるで。(第4回より)
当たり前やけど「タダなら取ってやる」という人間は、すでに客ですらないわけや。(第5回より)
事故が起こらんという保障はどこにもない。そして、あってから悔いても遅い。(第6回より)
事実にはそれなりの経緯と事情があるとは思うから、それが分かれば、なるほどとなるのかも知れんがな。(第7回より)
何の罪もない人を貶(おとし)め誹謗中傷する正義というのは絶対にない。(第8回より)
哀しいかな、ワシには、いつどこで何をしていても営業員としての性を捨て切れんという因果な性分がある。(第9回より)
良心のかけらと言うと語弊があるかも知れんが、批判分子がある間は救われる可能性がある。(第10回より)
当たり前やが、誰かにその存在を知られな口コミで広まることも少ない。(第11回より)
心の壊れた人間は暴走しやすい。(第12回より)
人が何かの行動をする場合は、必ずと言うてええほど、そこに利害があるからや。どんな人間も、意味のないことや得にならんことはせんもんやさかいな。(第12回より)
販売店は、その客の好意にあぐらをかくようなことをしたらあかん。
文句を言うて来んのやから、それでええと考えとったらそれまでや。そういう姿勢では今後その店には救いがない。(第13回より)
我慢を理解と、はき違えたらあかん。(第13回より)
どんな雨もいつかは上がり、晴れの日が必ずくる。(第13回より)
死んでしもうたら、相手が悪い云々など言うてもどうにもならん。それで、ジ・エンドやさかいな。(第14回より)
新聞配達人は、いついかなる状況にあろうとも、その配達を全うすることしか考えん。(第14回より)
何事も人がやらん間にする。これが人より秀でるための最大の秘訣やと思うのがな。(第15回より)
流行らん店には流行らんだけの理由があるということや。(第16回より)
消費者にとって、それがええか悪いかというより、直接、被害があるかどうかの方が問題やさかいな。(第16回より)
人は大多数の行動に流される。(第17回より)
物事はよほどの悪事以外、一方的に悪いということはない。(第17回より)
正しいと思うことが、絶対に正しいとは限らん。(第17回より)
人間はどんな状況、現場に接しても慣れる。(第18回より)
世の中にはあまりにも無関心で冷たい人間が多すぎると思い、薄ら寒いものを感じたもんや。人はそこまで我れ関せずになれるものかと。(第19回より)
事、営業する上での自慢話は何の役にも立たんと知っておくべきや。ヘタをすれば反感を買い、逆効果になる場合が多い。
この場合、ベストなのは、その自慢したい相手にとことん自慢させてやることや。(第20回より)
営業の仕事というのは相手の懐、特に心に飛び込んでいく姿勢がないとあかん。(第20回より)
昔の日本の至るところにあった村意識、長屋の助け合いといった古き良き時代の風情はすでになくなった、少なくなったと考えるしかない。(第20回より)
荒んだ生活というのは、他の望みや目標があるにも関わらず、自らそれを不可能なものとして放棄することで、自棄になった生き方をした挙げ句、生まれるものやと思う。(第22回より)
いくら世を拗(す)ね、世間を呪って生きようが、人生はその終焉の日まで否応なく続く。(第22回より)
しなりのええ竹はいくら押さえつけられても、それに倍する反発力で跳ね返せるが、根っこの腐った竹はそこで折れて地べたを這いずり廻って生きるしかなくなる。(第22回より)
この業界は、所変われば品変わると言われるほど多様な表現、言い方が存在する。(第23回より)
なんでもそうやが、踊らされるような人間に上手い話など舞い込むわけがない。
(第25回より)
騙す者と騙される者を比べれば、騙す人間の方が悪いのは決まりきっとるが、騙される人間にもそれなりの隙と落ち度がある。(第25回より)
当たり前やが、明日の命も知れん者に、いつ実現するか分からんおいしい話をいくらされても救われんわな。(第27回より)
人は、ある状況に置かれると、なぜかそれがこれから先も続くのやないかと考えることが多い。
ええときは、これからもええことが続くと思い、悪くなればこの先も真っ暗やと考え込む。(第27回より)
どんなに最悪な状況でも、いつか必ず好転するときがくる。
どんな夜でも必ず日が昇り朝がくるもんやし、反対にどんなに華やかな祭りの後であっても静寂の夜は訪れるさかいな。
それと同じで、今は単に夜がきただけにすきんわけや。夜になれば夜のすごし方をすればええだけやと。(第27回より)
生まれや育ちは、その人にとっては、生きてきた証でもあるわけやから、それを卑屈に考える必要はどこにもない。(第28回より)
何でもそうやが、悪い面、悲観的な面ばかり論(あげつら)えばキリがない。(第29回より)
企業、組織は身の丈にあった経営をせなあかん。背伸びすれば無理が生じる。
その無理が矛盾を生み、タブーを作ってきた。
そして、そのタブーを隠すために、さらに無理が生じ、やがては滅びの道を選ぶことになる。(第29回より)
人生、一寸先は闇や。何が起こるか分からん。また、何が起こっても不思議やない。それが面白いところでもあり、怖いところでもあるわけや。(第30回より)
今、この瞬間にさえ生きていれば、『人生の計は今、この時にあり』と考えればええということや。
それが、若かろうと年を食っていようと関係ない。人生の計画を立てるのに、早すぎることも遅すぎることもない。
例え、明日死ぬとしても、その明日の計画は立てられる。(第30回より)
それぞれの立場に立てば、それぞれの論理があり、それぞれが正しいと言える。(第31回より)
直接的な表現をせんでも、それと知って書けば自然とその悲惨さと思いは伝わる。(第32回より)
どんなに立場が違おうと反目していようと、協力し合う所は協力する。それが本物のプロやと思う。(第32回より)
愛が虫歯を治した。そんな気がした。(第34回より)
人は、他人より秀でることを望み、それを人生の目標にすることが多い。(第34回より)
敢えて望むことがあるとすれば、この平穏な日々がこれからも長く続くようにと願うことくらいや。(第35回より)
その生い立ちに挫折し負ける者もおるが、それを乗り越えた者は、より素晴らしい幸せを手にすることができる。(第36回より)
何でもそうやが、自ら進んでやらん限り、ええ結果なんか望めるもんやないと思う。(第37回より)
主権在民。この国には、こんな素晴らしい言葉があるわけや。それを忘れたらあかん。(第37回より)
人は、それに至るまでの経緯よりも、その結果を重視する。(第39回より)
この世には死ぬより辛い「生」が存在する。そんな風に思わせる刑務所があるのもまた事実なわけや。(第39回より)
自らの業は自ら背負って生きていくしかない。(第39回より)
「悪法も法」と言うのは、当然やが、それが間違った法律と分かった上で吐く言葉なわけや。
少なくとも、その法(規則)を守るように強制する側の人間が言うべき言葉やない。(第40回より)
済んでしもうたことは取り返しがつかんさかい悔やんでも仕方ない。(第40回より)
人生、誰しも一度や二度の失敗はあるもんやと割り切ることや。(第40回より)
人が壁にぶち当たり乗り越えられんと嘆くのは、その壁が存在するからやなく、その壁を自ら作ることによるものやと思う。(第40回より)
想像上の人間は、やはり想像上の世界に止まるべきや。そこらをそれと触れ回りながら徘徊するべきやない。(第41回より)
人の悪口や非難を平気で言う人間が、法を犯すような行為をしとるというのが知れたら、誰もその人間を信用することはないわな。(第41回より)
物事はどちらの立場で考えるのかということでも大きく違ってくる。(第44回より)
加害者になることもあれば被害者の場合もある。そして、それは例外なく、すべての業界に共通して言えることでもある。
犯罪者のいない業界など、よほど特殊で少人数なものでない限り、まずあり得んと考える。(第45回より)
事、新聞の拡張に関して言えば、ブランドはそれほど大きな力になることはない。(第47回より)
やらされる仕事には限界があるが、自ら望んでする仕事にはその限界がない。(第49回より)
人が犯す罪とは、それが犯罪と認識していて、あるいはその行為が犯罪につながると承知して、それでも尚、その行為を実行することや。(第50回より)
気配りというのは客の側に立って考えれば比較的簡単にできることやと思う(第50回より)
どんな事でもそうやが、あかんと思えばあかんし、何とかなると思えばなんとかなるもんや。
あきらめさえ、せえへんかったら道は必ずあるし、開ける。(第50回より)
今回は、このへんにしとく。
どうやったかな。それなりに得るものがあったやろうか。
何度も言うが、言葉というのは、それを受け取る人によって、いろいろやさかい、万人が感激し、納得する、あるいは「深イイ」というものはないと思う。
当然のことながら、人によれば「う〜ん」というのもあれば、もう一つやったなというのもあると思う。
また、ここに掲載せんかったものでも他にも考えさせられた、心を打ったという言葉があったと考えられる人がおられるかも知れん。
それら、どんなものでもええので教えて頂ければと思う。
このメルマガ編の続きは、第100回を越したあたりで「Part 2」として発表したいと考えとるので、第51回から第100回までの間で、これはというものがあれば、それも知らせてほしい。
優先的に掲載したいと思うので。
巻末参考ページ
注1.第196回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんの名言集サイト編Part1
第197回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんの名言集サイト編Part2
第199回 新聞拡張員ゲンさんの裏話 ■ゲンさんの名言集 メルマガ編
注2.第54回 ゲンさんの新聞業界裏話 ゲンさんの深イイ話 Q&A編 Part 1
第73回 ゲンさんの新聞業界裏話 ゲンさんの深イイ話 Q&A編 Part 2
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