新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集

第1話 幽霊カード

掲載日 2004.8.15         


季節は夏。

ワシは、その日ワンルームマンションを叩いとった。

午後6時。

7月は、この時間でもまだ暑い。

適当にカードを上げて、喫茶店あたりのエアコンの効いた場所でのんびりしたいのやが、この日は調子が悪かったから、そうもいかん。

まだ、3ヶ月カード1枚しか上がっとらんかった。

ワシがワンルームマンションを叩くのは、顧客の交代読者が目当てなんやが、今日に限ってその客と一人も会えんのや。

古ぼけたマンションの階段から、とぼとぼと降りて来たワシに、茶髪の若い男が声をかけて来た。

「新聞屋のおっちゃん?」

「せやけど……」

「新聞取りたいんやけど、おっちゃんとこY新聞やろ?」と、言うと、その若い男はワシが乗って来たバイクを指さした。

「おっちゃん、勧誘員やろ。専門の……」

ワシは改めて、その若い男を見た。

なかなか鋭い奴や。

ワシは同業者以外で拡張員やと見破られたことはない。

素人には販売所の店員にしか見えんはずや。

格好も店員を装うてるつもりやしな。

「良う分かったな」

その若い男はワシの言葉を無視して続けた。

「店の人はあかん。ケチやしサービスが悪い。おっちゃんらやったら、サービスええんやろ?」

この若い男は多少、調子が良過ぎるが、こういうふうに声をかけて来る客は希にやけどいてる。

「取る期間にもよるけどな」

「おっちゃんの都合のええのは?」

「1年やな」

3ヶ月でもええんやが、この時は調子悪かったから、ちょっとでもええカードが欲しかった。

「ほな、それでええわ。サービスはスポーツ新聞にしてくれる?オレ、巨○のファンやねん」

「毎日は無理やで。土日ならええけど。その代わり余分にビール券なら10枚やるで」

「ほんま、やっぱりおっちゃんらは話し分かるなぁ。この前の店員なんかスポーツ新聞は別に取ってくれ言うてたもんな」

ワシは、契約書を取り出し書き込み始めた。

「新聞代はいくら?」

「ここは統合版やから、朝刊だけの配達で月3000円や」

本当はY新聞の場合、税込みで3007円なんやが、ここらのほとんどの店が3000円にしとる。

サービスやというより、端数の処理が面倒臭いのやろ。

特に集金人は嫌がる。

せやけど、契約カードには購読料3007円と記入してくれと言う店が多い。

本社の方がうるさいらしい。

「オレ、仕事が不規則で集金は迷惑かけると思うから、支払いは銀行の引き落としにしてくれへんかな」

「そらええけど、今、その用紙持ってないけどな。後から、店の者にでも届けさせようか?」

「店の人やったら嫌や。この前、ケチやなぁ言うて断ったから具合悪いわ。おっちやん、今から店に取りに行ってえな」

「そら、ええけど」

「何分くらいかかる?」

「往復で15分ほどやな」

「その間にハンコ取りに上がってここで待っとくから。オレとこ5階やし。ここエレベーターもないからわざわざ上がってもらうのも気の毒やからね。ハンコいるんやろ?」

それは有り難い。

歳のせいか、階段の上り下りはこたえる。

夏の暑い時は尚更や。

それにしても、良う気の廻る男や。

「銀行引き落としいうの、今から頼んだらいつからになる?」

「今は7月やから、8月分は無理やとして9月分からかな」

「それやったら、ついでに今月分と8月分の代金先払いするから持って行ってくれへんかな」

「分かった。せやけど今月分は中途やからええ。8月分だけ預かって行く」

即入の場合、ほとんどの販売店では月の半ばを過ぎるとその月の購読料はサービスしとる。

それにしても、この客は恐いくらいに気の利く人間や。

せやけど、この時にはまだ、ワシもまさか、この後、あんな思いするとは思わなんだ。



店に着くと店長が待っとった。

「ゲンさん、用意出来てるよ」

客からの電話で、封筒に入れて用意をしていたという振込用紙を手渡された。

その男は、5階の部屋までの配達はいらんから、1階の郵便受けに新聞を入れてくれと言う。

朝の6時頃までに配達してくれたら、そのまま職場に新聞を持って行って読めるからということらしい。

ワシは、あの男のこの気配りは何なのかと多少は訝ったが、こういう性質の人間も中にはいとるから、おかしいとまでは思わんかった。

それに、一応、言うことには筋が通っとるしな。

「ゲンさん、その兄ちゃんにこの映画の鑑賞券持って行ったって。2枚あるから、彼女とでも観るようにとでも言うてやって」

店長は機嫌がええ。

例え、1ヶ月分にしろ先払いするような客はそうはおるもんやないからな。



マンションに戻ると、その男は約束通り待っとった。

501号室。若い男の部屋番号や。

名前は森田次郎。21歳。

その男の書き込んだカードにそう書いてあった。

郵便受けにも確かにその名前があった。

この時、ワシは調子の悪い状態でのラッキーやったせいか、多少、気分的にも浮ついとったんやと思う。

せやから、このことは特別におかしいとは考えんかった。

ただ、なぜか意味もなく妙やなという漠然とした思いだけは、あったように記憶している。



その妙やなという思いが変やと知ったのは、それから3ヶ月後の10月に入ってからやった。

いつものように、その販売所に入った時、店長がワシに近寄り言うた。

「ゲンさん。聞きたいんやけど、3ヶ月前の○○マンションのカード、まさか、てんぷらやないわな」

「どういうことや」

「実はあのマンション、501号室はないんや」

「あっ」

その時、ワシは気がついた。

ワシがあの時、何か引っかかるものを感じとったのは、このことやったんや。

思い出した。

ワシはあの日、あのマンションの最上階まで上がった。

その時、部屋番号を癖で見ていた。

確かあのマンションは1階から4階まで4部屋づつあった。
ところが、5階だけは3部屋しかなかった。

そのこと自体は、別に珍しいことやないから気にはならんかったけど、引っかかったのは、3部屋しかないのに、部屋番が504号室で終わってたことや。

普通、家主は部屋番号に4とか9がつくのを嫌う傾向があるから、この3部屋しかないようなケースの場合、501,502,503で終わることの方が多いはずや。

それが、504号室で終わっていたことに違和感を感じていたんやと思う。

「新聞代は?」

「1回目の9月分は銀行から落ちとる」

「それやったらワシがてんぷら出来るわけないやろ。あんた、ワシがそんな男やと思うてたんか?」

「悪い、悪い。気悪うせんといて。ゲンさんは信用してるから。あんまり妙なんで念のためや思うて確認してるだけやから」

「新聞は?」

「毎日、1階の郵便受けに入れとるが、それはちゃんとなくなっとる」

「501号室がないて分かったんは、いつや」

「それが、昨日なんや。実はな、うちの人間に早めに止め押しさせよう思うて、そのマンションに行かせたら501号の部屋がないことが分かったんや。そいつは、念のため5階の住人全員調べたらしいが、みんな別人やったんや」

どうも、ワシはあの茶髪の若い男に嵌められたらしい。

せやけど、何のために……。

「そのことを知って配達の人間も気味悪がってな。ゲンさん、悪いけど調べてくれへんかな?」

このケースのように空住所の契約は認められることはない。

不払いがあれば、即不良カードとなって、ワシが責任取らなあかんことになる。

店長も、不払いが発生せん内は問題にせんが、不払いとなれば不良カードにすると暗に仄めかしとる。



ワシは、その○○マンションに住む顧客の交代読者から、大家の住所を聞き出した。

大家はすぐ近くに住んでいた。

「Y新聞店の者ですけど、○○マンションにお住まいの森田さんのことについてお伺いしたいのですが……」

「森田?あのマンションには、森田という人間は住どらんけどな」

初老の前頭部が薄くなった小太りの大家が応対に現れ、そう応えた。

「でも、郵便受けの501号室の所に森田とありますけど……」

「ああ、あの郵便受けのことか。実はな……」

大家の話によると、今から20年ほど前、あのワンルームマンションを建設中に、近所の住民から反対を受けた。

その頃はワンルームマンションの建設が盛んやったんやが、反対運動も多かった。

結局、日照権とかの問題で、付近の住民と手を打つために、5階の一部を減らすことになった。

建築基準法でいう斜線規制というやつや。

外から見ると斜めに削り取られとるように見える。

単なるデザインでそうしとると思うとる者もおるようやけど、ほとんどがこのケースや。

それが、あの501号室やった。

あのマンションの造りは各部屋、似たような広さなんやが微妙に違う。

その時は、工事も進んどって、新たに部屋番号を変えるのもいろいろと金がかかるというので、501号室がないままで工事したということや。

どういうことかというと、微妙に部屋の広さが異なる場合、台所やトイレ、風呂の設備品が違うことがある。

せやから、各部屋毎にそれらの備品を作るか、個別に発注せんとあかん。

この場合、501号室だけが廃止なわけやから、その部屋の分を制作中止か発注中止をすれば、それで済む。

部屋番号の縁起にこだわると、図面の変更やら備品の手配のやり直しやらでいらん経費がかかる。

それで、501号室だけがないということや。

郵便受けもそれと一緒で、注文済みの物を1つだけ減らして造り変えるのは、別注加工料がいるとかでかなり余分に金がかかる。

少ないのは問題やが、多いのは別に何の支障もない。

こういう余分な郵便受けのあるマンションは、他にも結構多い。

それが、3ヶ月前、若い男が訪ねて来て、501号室の郵便受けを使わせてくれと言って来たと言う。

例の森田と名乗る、茶髪の若い男や。

その森田が言うには、最近、近所に引っ越して来たということやった。

両親と同居しているんやが、読みたい新聞があるけど、読めんから新聞受けとしてあの501号の郵便受けを貸してくれないかと持ちかけて来た。

父親が大の中○ファンで家ではC新聞しか取らんと言う。

森田は巨○ファンでY新聞とそこのスポーツ新聞が欲しいんやが、家では取れん。

それで、迷惑はかけんからその郵便受けを使わせてほしいということやった。

大家は、そんなことなら構わんと快く承諾したということやった。

どうせ、長いこと誰も使うてないし、これからも使うことはないからというのがその理由やと言う。

金を貰うたな。

ワシはそう直感した。

あの気の廻り過ぎるくらいの森田が、大家に頼むのに手ぶらということはないはずや。

ワシも仕事柄、この大家のような人間と大勢付き合うてるから、良う分かる。

利にならんことで快諾することは少ない。

反対に僅かでも利になれば、よほどのことがない限り断るとは思えん。

「何か問題でも?」

「いえ、実は、当店のサービス品を持って来たんですが、おられないのでどうされたのかと思いまして」

ワシはその大家には、その森田という客は上客だと説明して安心させることにした。

大家は、その森田から聞いたという実家の住所を教えてくれた。



その住所もそれほど遠い所ではなかった。

教えられた住所には、確かに『森田』の表札が掲げてあった。

ここも、5階建ての賃貸マンションだった。

その部屋のインターフォンを押した。

「どちら?」

30歳前後に聞こえるまだ若い女の声や。

「すぐそこの、Y新聞店の者ですが……」と、ワシがまだ言い終わらん内に返事があった。

「新聞なら結構です」

ワシを新聞の拡張員と間違うとるようや。

もっとも、ワシは本当に拡張員やから間違いとも言えんのは確かやけど。

「いえ、新聞の勧誘ではありません。森田次郎さんのことでちょっとお伺いしたいのですが」

「次郎?誰のこと?」
インターフォン越しにいぶかしそうな声がした。

「お宅は、3ヶ月ほど前に引っ越しされて来たんですよね?」

「うちはここに7年住んでます。変なこと言わないで下さい」

やはりな。

森田次郎という男は実在せん。

こんなことやろうとは予期しとった。

「あっ、そうですか。こちらの思い違いだったようでどうもすみません」

これで嵌められたことが確定した。

あの茶髪の若い男は何者や。

詐欺師か……。

あの若さで、と思いかけたところである男の言葉を思い出した。

「ゲンさん。詐欺師に年齢は関係ないで」

拡張員仲間、ヤスの言葉や。

ヤスは筋金入りの詐欺師やった。

今は足を洗うて真っ当な拡張員やと本人は言うてるが、やってることはほとんど騙しの拡張や。

せやけど、不思議とヤスの客には騙されたと騒ぐような者はおらんかった。

ヤスの言を借りれば「騙されたと気づかれるようなのはまだまだ甘い。本当の詐欺師は騙されたと知られずに騙してるもんや」ということらしい。

ヤスが、詐欺師に年齢は関係ないというのは、名うての詐欺師と呼ばれとる連中は、例外なく若い頃からその片鱗を覗かせとると言う。

ある日、突然、詐欺師に変貌する者はおらんということや。

例え、おったとしても思いつきで詐欺を働く奴はほとんどが捕まるか、失敗する。

詐欺師として生き残れん。

本当の詐欺師は、この男のようにすべてに用意周到やとヤスは力説する。

その能力も、若いからと侮るとえらい目に遭うと言う。

拡張員には、いろんな前歴を持った人間が多いから、あらゆる裏社会の情報が入る。

ワシのようにこの道で10年もやっていたら、普通は知らんでもええことを良う耳にするようになるもんなんや。



「幽霊カードか……」

契約主の分からんカードのことや。

ほとんどは、拡張員による自作自演のてんぷらカードのことを言う。

あの茶髪の若い男の正体は結局、分からず仕舞いやった。

新聞代の滞納があれば、ワシが責任持たんとあかんが、その心配はまずないやろ。

わざわざ、新聞受取のためと称して実際に新聞まで取る念の入れようや。

新聞を職場に持っていくつもりなら、駅の売店かコンビニで買えばええ。

野球ファンでスポーツ新聞が欲しいと言うのなら、尚更や。

野球ファンの気質はワシも良う知とっるが、負けた翌日は新聞なんか見たくもないもんや。

売店かコンビニなら買わんかったら、その日、嫌な思いせんで済む。

良う考えたら矛盾する事が多い。

狙いは架空住所か。

架空住所と名前を何に使うかというのは、ワシにはある程度、見当はつく。

ろくなことやない。

今やったら、あの男を押さえるのはそれほど難しいことでもないやろ。

まだ、ワシがこのことを知ってるということは気づいてないはずやから、早朝、あの男が新聞を取りに来たところを押さえれば訳ない。

せやけど、それをして何になる。

あの男に何かの犯罪の臭いがせんでもないという疑惑の段階で何を言うても無駄や。

警察でもおそらく相手にせん。

ましてや、警察はワシら拡張員の言葉なんか取り合おうとはせん。

言う気もないし、言うだけ無駄や。

ワシは、悪事の荷担はせんが、暴くこともせんというのが、基本的な考えや。

もっとも、身内や知り合いに害をなす奴は叩くけどな。

この程度のことで、正義感ぶってたらこの世界では生きていけん。

これより、えぐいことは他に何ぼでもあるさかいな。

                                                 了

追記

このショート・ショートを見て、ええことを知ったという者は良う考えた方がええで。人のやり方を知って悪事の真似をしようちゅう連中はほとんどが捕まっとる。悪いことは言わん。


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