新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集

第2話 男の出会い

掲載日 2004.8.15



その男と最初に会うたのは、2003年の10月やった。

夕方の7時頃。

ワシは、その日、ある住宅街に来ていた。

夏と違うて陽の暮れるのが早い。等間隔に灯った外灯の明かりで、かろうじて辺りの様子が分かる。

「こらっ!! ヤクザなめとんのか!!」

「ボケェ!! ヤクザがナンボのもんや。」

突然、こんな不毛な応酬が聞こえてきた。

喧嘩のようや。

ワシは、乗っていたバイクを怒号のする方へ向けた。

一軒の玄関先で、二人の男が今にも掴み合い寸前になっていた。

「あちゃー!!」

ワシは天を見上げ、思わずそう漏らした。

その一方の男というのは、同じ拡張団のカワダという男やったからや。

あまり、評判のええ男やない。

あちこちで、しょっちゅうトラブッとる奴や。

噂は良う耳にはしていたが、その現場を目の前にするのは初めてやった。

自称、元○○組の構成員とかで、入れ墨をちらつかせながら、肩で風切って歩くタイプの男や。

団の中でも敬遠され、鼻つまみ者になっていた。

もっとも、2、3人の金魚のフン、取り巻きはいてたがな。

「死にたいんかい、ワレ!!」

カワダは、いかにも筋者という風格を見せようと威嚇(いかく)しとる。

「やれるもんなら、やってみぃや。オレは死んでも、生き返っとるんや。死ぬことなんか屁でもないわ。お前もいっぺん死んでみるか? 気持ちええで」

「……」

さすがのカワダが一瞬、気圧(けお)されたようや。

ワシはカワダと言い合いになっとる男を見た。

この家の主人で、歳の頃は40前後というとこか。

中肉中背のどこにでもいてる普通のカタギにしか見えん男や。

ワシも、こんな稼業を続けとるから、極道かどうかは一目で分かる。

多少、気の短い喧嘩早い性質なんやろうが、カワダのようなどこからどう見てもヤクザとしか思えんような男に噛みつく素人というのは、ワシもあまり知らん。

向こう見ずにもほどがある。

それに、言うてることも、無茶苦茶や。

どこかおかしい。

世の中、わけの分からんことを言うたり考えたりする奴ほど怖いもんはない。

本来なら、そういうのとは、あまり関わり合いにはなりたくはない。

そうは言うても、このまま放っとくわけにも行かん。

このままやと、行くとこまで行かな収まりがつきそうにないさかいな。

「カワダ。もうええ。やめとけ。帰るで」

ワシは、カワダの腕を引っ張り、その場から引き離そうとした。

「痛っ。あ、ゲンさん。ちょっと、離してぇな。このガキ、シバかなワシの面子が立たんねや」

「そんな、きたない顔、写真立てにでも立たんで」

その男が毒づいた。

完全に舞い上がって、自分を見失うとるようや。

「何を!!」

ワシは、掴みかかろうとするカワダを強引に押さえ込んで、その男に向かって言うた。

「あんたも、何が気に入らんのか知らんが、このくらいでええやろ。後ろにいてはるのは、奥さんと子供さんたちやろ。あんまり、心配かけん方がええで」

まだ、30代前半のおとなしそうな小柄な奥さんと、小学生くらいのかわいい顔立ちの男の子二人が、怯えた様子でその成り行きを見ていた。

「ほう、えらく説教じみたことを言う拡張員やな」

男の言葉には毒がある。

「拡張員」という言い方に明らかな侮蔑が感じられた。

「……」

ワシも、拡張員がほめられた職業やとは思うとらん。人に自慢も出来んし、嫌われとるのも承知しとる。

それでも、直接、なじられるように言われるのは気分が悪い。

しかし、ワシは、それ以上、何も言わんとカワダを引っ張って、その場を離れた。

この騒ぎが続けば、ほぼ間違いなく警察沙汰になる。そうなれば、非はカワダの方にあるとされる確率が高い。

おそらくは勧誘時でのやり取りが原因やろうから、仕掛けたのはカワダということになる。

警察の前では、拡張員に勝ち目はない。良うて痛み分けや。

しかも、カワダは「ヤクザ」云々とそこら中に聞こえる大声で喚いとる。

それも、シャツから入れ墨をちらつかせてや。

救いがない。



ワシは、自動販売機で冷えた缶コーヒーを2本買うて、1本をカワダに渡した。

「ゲンさん、何で止めたんや」

カワダは不満げにそう言いながら続けた。

「あのガキ、このままや済まさん。殺てもうたる」

「アホなこと考えるのはやめとけ」

「ゲンさんには関係ないことや。黙っといてくれ。それに、ええ格好して先輩面せんといてんか」

「カミヤマは、年長者や先輩を立てんような、そんなことをお前に教えてたんか」

「カミヤマて……」

カワダの顔から一気に血の気が引いたようや。

カミヤマというのは、カワダが所属していたという○○組の組長の名前や。

「ゲンさん、オヤジを知っとるんですか?」

カワダは、急に敬語になった。

「ああ、良う知っとる」

「ゲンさんはどこのお人なんですか」

カワダは、ワシも元ヤクザの幹部か何かと勘違いしとるようや。

「変な言い方はやめや。ワシは極道なんかやない。ただの拡張員や」

というても、当たり前やが生まれながらの拡張員やない。

そのカミヤマとは、拡張員をする前からの知り合いや。

ワシは自分の過去について話すのは好きやない。

拡張員を始めてからは特にそうや。

せやから、昔の話は誰にも話すつもりはなかった。

もちろん、このカワダにもや。

拡張員の中にはヤクザの親分クラスの知り合いがいてるのは、一つのステータスやと思うとるアホが多い。

ワシは、はっきり言うがヤクザは嫌いや。

せやけど、ワシの人生は何でか知らんが、その嫌いなヤクザと関わることが多い。

まあ、これもワシの日頃の行いが悪いからやろうとは思うけどな。

このカミヤマ以外にも、付き合いのあったヤクザがいとる。

ヤクザの中にも、まれに本物の男もおる。

ワシが付き合うのはそんな奴らや。

少なくても、ワシはそう思うとる。

カミヤマもそんな一人やった。

カミヤマを一言で言えば、過ぎ去りし古の任侠映画に登場するヤクザそのものの男ということになる。

バクチとテキ(露天商売)以外のシノギは御法度。

喧嘩は同業以外とは認めん。

素人に手をかける組員はえらい目に遇うという。

まあ、ワシがいくら口を酸っぱくして話したところで誰も信じへんわな。

そんなヤクザがいてるわけないと考えるのが普通や。

せやけど、ヤクザにも、ええ奴もおれば悪い奴もおる。

何もあくどいことをする奴ばかりが集まっとるわけやない。

その辺は、ワシら拡張員と良う似とる。

もっとも、その善悪の尺度は普通の人間には理解でけへんのやけどな。

ヤクザのカタを持つわけやないが、どんな無法なことをするヤクザであろうと、その組織の中は厳しい規律に支配されとる。

上下関係は絶対や。

昔は、家庭でも学校でも上下関係の規律は厳しかった。

親の言うことには逆らえんし、教師の教えは絶対やった。

今は見事なまでに、それらは崩れとる。

昔は親に殴られるのは普通やったし、教師にドツかれたと親に言えば、お前が悪いと、さらにシバかれたもんや。

今のように、それで教師に文句を言いに行く親なんか、ほとんどおらんかった。

それがええか、どうかは分からんが、その時分は今より平和な時代やったという気がする。

現在の、この日本で唯一、規律や上下関係が重んじられるのは、このヤクザの世界だけやないかと思う。

せやからと言うてヤクザを肯定はできんがな。

ワシはカミヤマとは友人としてだけ付き合うとる。

ヤクザのカミヤマとは付き合わん。

当のカミヤマもそれは良う知っとる。

せやから、本来なら、カワダにカミヤマの名前は出したなかったが、仕方なかった。

例え、あの場はカワダを力づくで押さえたとしても、その後、あの男に手を出すことを止めさせることはできんと思うたんや。

カワダのような、中途半端なヤクザくずれの男は、些細な面子に異常にこだわる。

相手が怯えれば、その面子が立つから、さほど無茶はせんやろうが、あの男のようにヤクザを屁とも思わんような態度に出る人間とはどうなるか分からん。

血を見な収まらんやろ。

あの男は素人には間違いないとは思うが、何者かは良う分からん。

喧嘩が得意なのか、何か格闘技でもやってて腕に覚えがあるのかも知らんが、それだけでああいう態度に出るのは危険や。

ヤクザ。取り分け、チンピラと呼ばれとる連中の無鉄砲さを知らん。

ワシもあの男だけのことなら、放っとく。後で好きなだけ殺し合いするなり、何なり勝手にやればええ。

せやけど、ワシはあの時、男の奥さんと子供らを見た。

特に、あの、かわいい顔をした二人の男の子を見たら放っとけん。

ワシは無類の子供好きや。

それには、哀しい事情があるんやが、いずれ話すことがあれば、その時、そうする。

ワシは、あの子らのために自身の矜持(きょうじ)を破ることにして、カミヤマの名前を出したわけや。

それが、このカワダを押さえる一番ええ方法やと思うたさかいな。

「ええな。ここはワシの顔を立てといてくれ。それから、ワシがカミヤマを知っとるということを団の人間だけには言わんといてくれよ」

「分かりました……」

カワダも納得したようやった。というより、せざるを得んかったというべきやろな。



二度目にあの男と出会うたのは12月に入ってからやった。

場所は図書館。

ワシは、たまにこの図書館に来る。

別に何かを勉強しようとかいうのやない。

ワシにとって、図書館は息抜きのための穴場なんや。

どういうことかと言うと、喫茶店やパチンコ屋でさぼっとっても、なかなか一人にはなれんからや。

どういうわけか、拡張員は仕事する場所もサボるのも同じような所を選ぶことが多い。

同じ店に夜光虫のように集まる。

必然的にそこでは、いつも同じ顔ぶれが揃う。

まあ、ワシもその中の一人やから、とやかく言えた義理やないがな。

せやけど、ワシはたまには一人になりたいときがある。

その場所が、図書館やった。

ここなら、他の拡張員はまず来ん。

図書館というのは、小難しい本しか置いてない所やと思うてる拡張員が大半や。

そんなところに10分もおったら頭の痛うなる連中ばかりやさかいな。

その上、喋ることも出来んときとる。

喋り好きの拡張員にしたら、海の底で息を止めて我慢せえと言われてるようなもんや。

窒息してしまう。

本当は、図書館にも雑誌や漫画本もあるし、映画のビデオも見ることができる。

しかも、タダや。

喫茶ルームもあるところが多く、安い缶コーヒーを飲みながら雑談もできる。

せやけど、ワシはそんなことを他の拡張員には教えん。

教えたら、そこはもう、ワシの息抜きの場所やなくなるさかいな。

あの男は、ワシのすぐ近くの机に陣取り7、8冊の分厚い本を積み上げとった。

今日は、どこか雰囲気が違う。

穏やかな顔つきや。

まあ、誰でも、いつも険のある表情はしてへんもんやけどな。

人は、最初の出会いで相手の印象が、ほぼ決まる。

その穏やかさを装うてる男が、急に、わけの分からんことを言い出して暴れるかも知れんと、つい思うてしまうもんや。

ワシは何となく、この男に興味を覚えた。

粋がってるだけの人間は嫌ちゅうほど見て来たが、この男はそんな連中とはどこか違うと感じたからや。

「論語ですか?」

ワシは、その男のそばにそっと近づき、熱心に読んでいた本を見ながら、そう声をかけた。

「えっ?」

いきなり、そう言われて、その男は若干、戸惑った素振りを見せた。

「どこかで、お会いしましたか?」

男は、こういう場所で親しげに声をかけてくるくらいやから、知ってるはずの人間やと思うたようや。

「いえ、2ヶ月ほど前、うちの人間がえらいご迷惑なことをしましたんで……」

ワシは、話の取っ掛かりとして、あの時のことを、まず謝っておこうと考えた。

「ああ、あの時の……」

男は気がついたようや。

「その節はどうも申しわけありませんでした」

「いえ、私の方こそ、あなたには失礼な言い方をしました」

何や、この男、あの時のことを、しっかり覚えとるやないか。

普通、怒りで舞い上がった素人は、自分が何を言うたか、良う覚えとらんもんなんやけどな。

それにしても、変われば変わるもんやな。

「私」ときたで。

この男、ジキルとハイドやないやろな。

「喫茶ルームででも話しませんか」

男は、そう言うと机の上を片づけ出した。

「そんな、何か調べものをしてはったんでしょ。ワシは別に……」

ええから、と言いかけて言葉を切った。

本当は、この男とちょっと、話がしてみとうなったんや。

「いいんです。もう、終わりましたから、それに、ここへはいつでも来られますから」



「私は、白塚ヒロシと言います」

「ワシは○○ゲン。ゲンと呼んで下さい」

ワシらはサラリーマンやないから、名刺交換なんかはせんけど、形通りそう名乗り会うた。

「それじゃ、お言葉に甘えて、ゲンさんと呼ばさせて貰います。ゲンさんを前に何ですが、私は新聞の拡張員が大嫌いです」

白塚ヒロシと名乗った男は、いきなり、ずばりとそう言い切った。

「そうですか……」

「気を悪くされましたか?」

「いえ、別に、ワシらは人から好かれてるとは思うてまへんから」

「私はね……」

その白塚と名乗った男が語り出した。

白塚は、長いこと拡張員に悩まされ続けていたと言う。

白塚は、自宅で仕事をすることが多い。

妻は近くの会社のOLやから、昼は白塚一人や。

その仕事中に、良くセールスの勧誘が来る。

そのほとんどが、新聞の勧誘で拡張員やと言う。

すぐに帰れば、それほど苦にすることもないが、例によってしつこい者が多い。

あんまり、しつこいと、白塚も気の短い男やから、怒って追い返す。

その場は、それで済む場合がほとんどやが、その後では、いらいらして仕事にならん。

ある時、白塚はその拡張員の実態を知ろうとインターネットで検索した。

かなりの情報があった。

そこで、目にしたものは拡張員の悪行の数々やった。

特に、専門の掲示板サイトでの書き込みがひどい。

脅迫、暴行、詐欺は日常茶飯事とある。

白塚には、それが拡張員のすべてに思えた。

事実、家に来る拡張員もロクな奴はおらん。

白塚は、これは何とかせんとあかんと思うようになった。

ただ追い返すだけやなく、奴らに何か打撃を与えて少なくとも、この界隈には寄りつかんようにしようと考えた。

拡張員に我が物顔で、自分たちの住む町を蹂躙(じゅうりん)させるわけにはいかん。

そんな時に、あの喧嘩騒ぎがあった。

その拡張員は、最初から高圧的やった。

脅迫で新聞購読を迫ろうというのが、見え見えや。

「表に出んかい」と、白塚は最初から喧嘩するつもりやった。

剣道2段の有段者で腕に覚えがあったというだけやなしに、その剣道で培った声の大きさにも自信があったからや。

白塚は、最初から警察沙汰にするつもりやった。

そうすれば、少なからず問題となり、この近辺では、拡張員も迂闊なことはできんやろうと踏んだわけや。

そのために、声の大きさは役に立つと思うた。

予定通り、その拡張員とはかなり激しい言い合いになった。

ところが、予想と違う事態となり、仲間の拡張員がその喧嘩相手を連れて行ってしまった。

その連れて行った本人が、目の前にいる。

それでも、白塚は、その喧嘩相手の拡張員が復讐戦に打って出ると信じて疑わんかった。

そのため常に臨戦態勢を布いて待っていたが、現在まで何もない。

白塚にしてみれば、完全に肩透かしを食ろうたことになった。

「あの拡張員さん、どうしています?」

「うちの団は辞めました。あの後すぐに。恐らく、お宅には二度と現れんと思いますよ」

事実、あのことがあった次の日、カワダは忽然と姿をくらませた。

ワシはカミヤマに久しぶりに連絡を入れた。

ワシが、カミヤマの名前を口にしたからカワダは失踪した。

そう思うたからや。

案の定やった。

カワダは、組で不義理をして追い込みをかけられとる身やと言う。

そんな男がなぜ、団の中で、堂々と○○組の元組員やと吹聴していたのかという疑問が湧くやろうけど、この世界は、そんな連中の吹き溜まりやから、そういうことも取り立てて珍しいことやない。

○○組と言えば、ヤクザの世界では、そこそこ名の通った組織やから、そこの元組員といのは一つのステータスになる。

それに、そんな組織に直接、話ができるるほどの人間が、こんな団の拡張員にいてるはずはないと考える。カワダにしたら、バレるわけはないと思うわけや。

ワシにしても、たまたまカミヤマという個人を知っていたにすぎん。

それが、○○組の組長やったというだけのことや。

カミヤマとの会話で分かったことやが、カワダというのは偽名やった。

せやけど、ワシにその存在を知られて怖くなって逃げたというところやろ。

「そうか、ゲンさんには迷惑かけたな。せやけど、ゲンさん、あんたいつから拡張員やってたんや。水臭いやないか、そこまで、落ちる前になんで相談してくれへんかったんや」

ワシも、ヤクザにそこまで落ちたと言われたら世話ない。

奴らは、自分たちのことは落ちぶれとるとは思わんが、拡張員はカスやと思うとる者が多いから、そう考える。

特に関西にそういうのが多い。

目くそが鼻くそを嗤(わろ)うとるとは思わんのや。

ワシも、今更、こんな言葉尻を捉えて喧嘩するほど若くはないから、これくらいのことで一々気にはせんがな。

それに、カミヤマはカミヤマなりにワシのことを考えて言うとるのだけは間違いないしな。

「放っといてくれ。ワシは好きでやってんねんから」

ワシは、そう言うのが精一杯やった。

このとき、ワシはヤクザのツレ(友人、仲間の意)の名前は二度と使わんとこと、もう一度自分に言い聞かせた。

「しかし、あんたも無茶なお人や」

ワシは、カワダとのいきさつは何も話さず、白塚にそう言うた。

「そうですか?私は、次も無礼な態度の拡張員には、同じことをしますよ」

白塚は、本当に拡張員憎しで凝り固まっとるようや。

「中には、マシな人間もいてるとは思いませんか」

「あなたのようにですか」

「ワシは、それほど、マトモな人間ではありません。せやけど、中には、不幸にしてどん底に落ちて、そこから這い上がろうと懸命に仕事しとる拡張員もいてるのは事実なんですよ」

「そうですか。しかし、それは、私には分かりません。ゲンさんの言われるとおり、中にはそういう人もおられるのかも知れませんが、現実に、私の前に現れる拡張員は、この前の男のような連中ばかりです」

白塚は、ちょっと、興奮気味なのか、声の調子がうわずっていた。

さして、暑いとも思えんのに、額にうっすら汗もかいとる。

白塚はさらに続けた。

「それに、全国的に拡張員による被害の実態をご存知ですか。どれだけの人が困っていると思います?」

「ワシも、この道は長いから、ろくでもない奴が悪さしているのは良う知っとる。せやけど、拡張員が悪いと思うのは危険な考え方やないやろか」

「どういうことです?」

「悪いことをする拡張員がいてる、というのが正しい認識やと思う。拡張員が悪いと言うのと、悪い拡張員がおると言うのとでは、まったく違うと思うんや……」

ワシは、いつの間にか熱弁を振るい始めていた。

ワシは、なぜかこの白塚という男にだけは分かってほしいと思うた。話せば分かって貰えると。

拡張員が悪いという考え方は、拡張員を許すな、廃止させろ、やっつけろ、果ては殺せとまで続く発想になりかねん。

ヨーロッパ中世の悪魔狩り、魔女狩りがこれになる。

多くの日本人は、ほとんど気が付いておらんやろうが、実は日本人全体も、世界、取り分け、アジア諸国の人たちからすれば同じような存在に見られているんや。

どういうことかと言うと、日本人イコール、あくどいというイメージやレッテルで見るアジアの人が大勢いとるということや。

ワシは、昔、そういう国の一つで、しばらく仕事をしたことがあるから、そのことは肌で感じて良う分かっとるつもりや。

それは、くしくも、今、拡張員となってワシが感じとるのと同じ種類のもんなんや。

日本人には、当然のことやけど、日本人の中には、ええ人間も悪い人間もおるというのは理解できるわな。

そして、ええ人間の方が圧倒的に多いことも知っとる。

せやけど、日本人憎しで凝り固まっとるアジア人からすると、日本人は悪人なんや。

せやから、日本人が事件なり問題を起こせば簡単に反日運動が起きる。

それには、歴史的なことや、政治的なこと、あるいは日本企業の体質なんかが多分に関係しとるから、彼らから、その考えを払拭させることは不可能に近い。

それに、悪い日本人がおるということは紛れもない事実でもあるからな。

そんな事例を一つ一つ挙げんでも、あんたには分かるやろ。

それと同じことが、あんたの言う拡張員が悪いということなんや。

悪い拡張員がおると言うのなら、問題ない。

悪い警察官。悪い教師。悪い弁護士。悪い裁判官……。

すべて、悪い個人ということで終わる。

「せやから、拡張員が悪いというのは、危険な考え方やと言うたんや」

ワシの話を聞いている内に、白塚は徐々に苦悶の表情を浮かべるようになった。

ワシは、白塚がワシの話を聞いて、自身の考え方を思い直し始めたからかと思うたが、すぐに違うということが、分かった。

白塚がいきなり、よろけて椅子から転げ落ちた。

「白塚さん!!どうしました?大丈夫ですか?」

白塚は胸を押さえて蹲っとる。

心臓発作。

ワシはすぐにピンと来た。

拡張員には病気持ちも多い。

医者にかかる金もなく、薬を買う金もない人間が多いから、良く発作で倒れることがある。

特に年輩の人間にそれが多い。

ワシは、そんな現場に幾度も立ち会うたことがある。

「白塚さん、薬はどこです?」

白塚は、そんな拡張員とは違うから薬は持っとるはずや。

おそらく、持病やと思う。

その時、ワシは咄嗟(とっさ)に出会った日の、あの変な会話を思い出した。

「オレは死んでも、生き返っとる……」

白塚は、以前にも心臓発作で倒れたことがあるのやろ。

その時に……。

「白塚さん、薬は、ニトロはどこです」

通称ニトロ。正式名、ニトロールというニトログリセリン入りの錠剤や。

心臓発作時の特効薬で舌下錠。

心臓病、取り分け発作を起こす狭心症の患者はほとんど携帯しとる。

薬の服用が遅れると、心筋梗塞に移行して危ない。

白塚は意識はまだあるようやが、苦悶の表情が増して来とる。

声にならんが、必死でベルト辺りを指で指し示していた。

ワシは、ベルトを見た。

小さなポーチが取り付けられている。

そのポーチを素早く開けると、小さなスプレー瓶が出て来た。

ミオコールスプレー。

これも、ニトロールと同じ心臓発作時の特効薬や。

ニトロールは舌下に入れ、唾液で溶かすが、唾液の分泌の弱い人間は、このミオコールスプレーを使う。

即効性はこちらの方がある。

ワシは、そのスプレーを取り出すと、軽く3度ほど空噴きした。

白塚が、どの程度の頻度でこの薬を服用しとるのか分からん。

もし、長いこと使うてないようだと、規定量の薬が出ない。

規定は1回。口内への2度3度の噴射はなるべく避けた方がええ。

そのためにも空噴きしといた方が安全やと聞いたことがある。

拡張員もこれで、結構、いろんなことを知ることができる仕事なんやで。

ワシは、白塚の口を開け、舌下にスプレーを1回噴射してから、携帯電話で救急車を呼んだ。



翌日、ワシが病院に行くと白塚はベットの上で本を読みながらくつろいでいた。

「元気そうですね」

「ゲンさんのおかげです。ご迷惑をおかけしました」

「そんなこと。それより、ワシの方こそ、あんたにいらんことを言うて、病気を誘発させたんやないかと気にしていたんやから」

「いえ、違います。私が油断していたのが悪いんです……」

白塚の話しによると、5年前、上の子供の運動会で父兄リレーというのに出場して、走り終わった後、いきなり意識を失い倒れ、搬送された病院で、急性心筋梗塞と診断されたと言うことや。

その際、集中治療室で、30秒間ほど、心臓が停止していたと後で担当医師から聞かされた。

その時、白塚は奇妙な体験をした。

人に話すと変に思われそうやから、誰にも話してない。

肉体は死んだように感じたけれど、心は生きてる。

そんな妙な感覚やった。

それまで、白塚は死とは、夢を見ないで寝ている状態が永遠に続くものだと思っていた。

どうもそうではないらしい。

その時の状態は今でもはっきり覚えている。

夢うつつというようなものではなく、現実感の強いものだった。

そして、その時は、体が嘘のように軽く、気分が異常に爽快やったことを覚えている。

医師の診断では、心臓の心筋、4分の1ほどが壊死していると言う。

心臓の血管が詰まり、血が流れなくなったためや。

急遽、心臓の血管を拡げる手術を行い、何とか助かった。

しかし、完治は期待出来んと言うことやった。

これから先は、一生、薬とは縁が切れんということを覚悟せんとあかんらしい。

先は長うないな。

長生きは望めん。

不思議と死ぬことの怖さはなかった。

あの奇妙な体験が、そう思わせていた。

ただ、死ぬことで、妻や子供たちと暮らせなくなるのが、無性に辛いと思った。

白塚は、ええ夫とは言い難い。

ワガママが服を着て歩いとるような男や。

その上、短気やからすぐどなり散らす。

悪いのはすべて妻のせいにする。

結婚して15年、やさしい言葉をかけた覚えもない。

子供たちにとっても、ええ父親とは言えん。

白塚とて子供は可愛いいが、だからといって甘やかすのは子供のためにならんと思う。

子供には厳しい父親やった。

白塚は、死ということを考えると、それらのことを後悔する。

妻には、もっとやさしくするべきやった。

子供は大らかに育てることが必要やと。

甘やかしてもええやないかとも思うようになった。

考えれば考えるほど後悔の念しか湧いて来ない。

そして、白塚は今まで何をして来たのかということを考えた時、更に愕然とした。

白塚の人生は、人のために何かをしたという覚えがない。

自己中心的な男やった。

何かの足跡を残したい。人のために何かしたい。妻や子のためになることをしたい。特に子供たちには父親の生き様を見せておきたい。

白塚は、真剣にそう考え始めた。

そのためにいろんなことに手を染めた。

それは、またいつかの機会にでも話すことがあれば話すという。

そんな時、悪どい拡張員の被害をインターネットで見て、そのことに怒り、何とかしようと思い立ったというわけや。

「それも、今、間違いやったのかなと思い初めています」

「あんたは、何でも思い詰め過ぎや。もっと、気楽に物事を考えた方がええと思うで。世の中、なるようにしかならんねんから」

「そうかも知れませんね」

「それに、世の中、何をしてもそう簡単に変わるもんやない。本当に、自分で世の中変えよう思うたらヒトラーみたいな独裁者になるしかないと思う。しかし、例え、そうなっても、悲惨な末路しかないと思うで」

「……」

しばらく、沈黙が続いた後、白塚が言った。

「ゲンさん、よかったら、これからも話し相手になって貰えますか」

「喜んで」

ワシはベッドに貼り付けられとる患者名を何気なく見た。

白塚博士。

博士と書いてヒロシと読むのかと、漠然とそう思うた。

                                       了


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