新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集

第3話 命の笑い

掲載日 2004.8.22


1994年9月。

この頃、ワシは京都のA新聞のある拡張団におった。

ここが、ワシの拡張員人生のスタートやった。

一文なしになって行くアテもなく、転がり込んだだけやから、華々しい門出とは言えん。

心機一転、頑張ったろうと言うほどの気概などない。

とにかく、当面は、めしが食えたらええ、くらいにしか考えてなかった。

この年は、ワシの人生で最悪の年やった。

15年住み慣れた家は、競売で二束三文に買い叩かれ追い出された。

嫁はんは愛想をつかして子供を連れて実家に帰った。

さして珍しくもない家庭崩壊の悲惨な末路がそこにあった。

当事者のワシだけが、人類滅亡の瞬間に立ち会うたような気分になり、世間を恨み、運命を呪うてたにすぎん。

もっとも、一番悪いのは己自身なんやけど、この時は、そんなことを考える余裕もなかった。

ワシは、落ちるところまで落ちたから、これ以上、落ちることもないわいと開き直とった。

この後、落ちるところまで落ちたところに、大きな落とし穴が口を開けとって、更にその下の奈落の底にまで、転がり落ちるとは夢にも思わなんだ。

後で、知ったことやが、そんなワシの境遇など、まだまだ悲惨と呼べるほどのものやなかった。

世の中、上を見ても下を見てもきりがない、とは良く言うが、特に下は底なし沼と一緒で、これ以下はないということがない。

下は際限なく深く続いている。

ワシは、建築屋の営業をしていた。家を売ったり、リフォームが主な業務や。

数十万円〜数千万円の物件の販売や工事の受注をしとった。

自慢やないが営業成績は常にトップクラスやった。

そこは、誰でも知っとる大手の建築屋の子会社や。その経験を生かして住宅リフォームの小さな会社を設立して独立した。

結果がこれやった。

ワシは、過去は人には言いたないんやが、これを言うとかんと先に進めんから、しゃあない。

せやから、営業には自信があった。

月に4000円、1年契約でも48000円の新聞を売り込むのに、何も難しいこともないやろと多寡をくくってた。

ところが、その意に反して、全く売れん。

仕事を始めて3日間、坊主やった。

そんな、馬鹿なと思うた。

ワシのこれまで培ってきた営業テクニックが何の役にも立たんかった。

ワシは、この仕事を選んだのは、一時凌ぎのためや。

1,2年ほど、ほとぼりを冷ましてから、また、以前と同じ商売を始めるつもりやった。

ワシは、大阪の生まれで、商売しとったのも大阪や。

倒産した頃、まだ、ワシはプライドみたいなもんがあった。

一文なしになった不細工なところを知り合いには見せられんと思うてたんや。

それで、知り合いのおらん京都に流れた。

取りあえず、仕事をせんとめしが食えんから、この世界のことは何も知らんと、住み込みの仕事やいうだけでスポーツ新聞の求人覧を見て、この拡張団に入ったんや。

求人覧には、住宅リフォームの仕事もあったが、それは当面する気がなかった。

みじめな気持ちが、よけい増幅すると思うたからや。

それに、サラ金なんかのもろもろの借金も、家も家族ものうなって払う気も失せてしもうたから、踏み倒して逃げようと思うたこともその理由の一つや。

倒産前までは、あれほどしゃかりきになって借金返ししていたのが、無性に馬鹿げたことやったとその時は、そう考えた。

不思議と、罪悪感はなかった。

金を貸して商売するからには、そのくらいのリスクは覚悟しとくことや。

事実、金融屋はそのリスクもちゃんと計算しとる。

回収不能になったら、損金扱いで税金もその分安くなる。

誰が、困るでも泣くわけでもない。

それに、それまでかなり儲けさせてるはずや。

まあ、勝手な言い分やけどな。

ワシは契約が上がらんのは、どうしてかと考えた。

建築屋時代の営業を引きずっていた。

ワシはそれしか知らんから仕方ないんやが、建築屋の営業はお客様第一で考える。

即決出来るにこしたことはないが、それだけに拘ることもない。

落ちる客なら時間をかけてもええ。

大金を使わせる営業はそれでも価値がある。

客とのコミュニケーションや受けを良うしようと考えることから始める。

しかし、この新聞営業は、それではあかんと気が付いた。

ドアホンキックがあるのは、建築屋の営業も一緒やから、どうということはなかったが、どうもその質が違う。

建築屋の場合も、大金が絡むから好意的に応対してくれるとは言えんが、少なくとも、建築の専門家と客は思うとるから、見下すような態度の人間は少ない。

特に、ワシは、その風貌で信用され易いということもあって、それなりに話に耳を傾けてくれた。

名前の通った建築屋の子会社で、そこの役職を刷り込んだ名刺を渡して話をするから尚更や。

新聞営業は違う。

そのことに気が付くのが3日もかかったのは、この時、まだ京都人の気質を良う知らんかったこともある。

京都の人間は嫌ということをはっきり言う場合が少ない。

「そうどすな。ほな、考えときますわ」と言われたら、つい脈があるのかなと考えてしまう。

京都人の考えとく、と言うのは、ほとんどが、あかんという意味や。

「堪忍しとくなはれ」と言うのは、よっぽどの断り文句なんや。

それが多い。

しかも、嫌悪感丸出しの蔑むような目で見る者もおれば、明らかに怯えとる者もおった。

これでは、あかんと思うて4日めに、団長に頼み込んで、営業を教えてもらうことにした。

これ以上、プライドを気にしてたらめしが食えん。

それに、こんな状況でどうやって契約を上げとるのか興味もあった。

ここでは、新人研修などというのはやってなかったから、頼むしかない。

古株やという、脇坂という男がついた。この男は、どう見ても極道にしか見えんような奴やった。

ワシの知っとる営業マンとは完全に異質のタイプの男や。

こんな男がどんな営業をするのかと思うた。

団では常に、1,2の成績を争うとると言う。




昼の1時過ぎに、その脇田とラーメン屋に入った。

昼のピークを過ぎたためか、この店自体が暇なのか、店内にはワシらを入れて5、6人ほどの客しかいてへんかった。

「どや、ゲン。この仕事は難しいか?」

脇田は、ズルズルとラーメンをすすりながら訊いて来た。

「はい……」

「最初は、素人はそんなもんや。せやけど、慣れたら、こんな仕事、簡単なもんやで」

「そうですか」

「ところで、ゲンよ。ここのラーメン旨いか?」

「ええ、旨いと思いますけど……」

「どんな舌しとんねん、お前。こんな不味いもんが旨いて」

「脇田さんは、ここへは?」

「今日が、初めてや。ワシは、昼のめし屋は同じとこには行かん」

「何でです?」

「何でやてか? そのわけはすぐ教えたる。これも、仕事や。良う見とけ」

脇田はそう言うと食いかけのラーメンを前に押しだしながら、店の奥に向かって、ドスのきいた声で言う。

「よお、大将、ちょっと、話があんねんけどな」

「何です?」

この店の店主らしい、良う肥えた男がやって来た。

「あんたとこ新聞は何紙入れとるんや」

「はあ、K新聞とスポーツ紙ですけど……」

K新聞というのは、地元紙で全国紙より、京都では人気の高い新聞や。

「A新聞は取ってないんかい」

「はい」

「何でや」

「何でと言われましても、普通紙はK新聞だけにしてますんで……」

「あんた、ワシが誰か分かるか?」

「いえ……」

この頃になると、店主の顔も嫌そうな表情になっとった。

「○○会、知っとるやろ」

京都では有名なヤクザ組織や。

「ワシはそこの縁の者や。今日は、天下のA新聞の普及に来とるんや。ちょっと、協力してんか」

「そう言われましても……。良う考えときますんで、次、お越しになられた時にでも……」

「こらっ!!なめとんのか、ワレ」

不穏を察知した客たちは、一人減り、二人減りして、ついに店内の客はワシらだけになっとった。

「ワシらは、慈善事業で、こんな不味いラーメンを食いに来とるんやないんやで」

脇田は、そう言いながら食いかけのラーメンをこれ見よがしに、指し示した。

この店主は完全に怯え切っとった。

その様子を見ていた脇田は、今度は一転して、猫なで声で言う。

「なあ、大将。ワシは何も無茶言うてるわけやない。ワシらも、あんたとこの店の客になっとんのやないか。世の中、持ちつ持たれつや。3ヶ月だけ、A新聞を取るのを協力してくれたらええのんや。こういう店してるんやから、新聞代くらい経費でどないでもなるやろ」

「分かりました……」

契約カードが出来上がると同時に、脇田は残りのラーメンを一気に平らげた。

「大将、やっぱりここのラーメン旨かったわ。おおきに」と言いながらその店を後にした。




「どや、こんなもんや」

店を出てから、脇田は胸を張ってそう言うた。

こいつ、とんでもない奴やと、ワシはそう思うたが、ここで逆ろうてもしゃあない。

「今の客、大丈夫なんですか」

「何がや」

「いえ、警察に通報というようなことは……」

脅迫による勧誘は立派な犯罪や。

まして、脇田はヤクザ組織の名前まで出しとる。

「そんなん心配ない。あの、おっさんにそんな根性なんかあらへん。もし、そんな真似したら、また行ったたらええだけや。今度は、新聞が10部くらいに増えるがな。それに、ワシらには、天下のA新聞がついとんのや。警察なんか怖がる必要あらへん」

「それじゃあ、他の皆さんも……」

「まあ、みんな似たようなもんやな。ワシほどあざやかな者はおらんがな」

何ちゅう奴らや。

こいつら、法律なんか屁とも思うとらん。

こんなもん、ワシから言わせれば、営業なんかやない。

新聞営業とは名ばかりで、ヤクザのたかり、強請と一緒やないか。

ワシはヤクザが大嫌いや。

その嫌いなヤクザの真似をせんと仕事にならんのやったら、やってられん。

ワシは、どうもえらいところに入ってしもうたようや。

事実、ワシは同じ拡張団を選ぶにも最悪の選択をしたことが、すぐに分かった。

落ちるところまで落ちた後の落とし穴や。

○○サービス有限会社というのが、正式な名称やが、この団は業界では通称、鬼○団と呼ばれとる札付きの拡張団やった。

同じバンク(拡域エリア、主に販売所のこと)に、この鬼○団と鉢合わせた他の団は、仕事をせんと引き上げると言われるくらいやったさかいな。

この業界ですら、鼻つまみもんなわけや。

ワシは、ここからも逃げたろうと思うたが、すぐに考え直した。

今、逃げ出しても、どこに行くというて行くアテがない。

それに肝心な金がもうない。

せめて、当面の金を稼いでおかんことには話にならん。

「脇田さん、良う分かりました。今のを参考に、一人でやってみますんで……」

ワシは、一刻でも早く、この男と離れるためにそう言うた。

「そうか。ほな、頑張れよ」

脇田は意外にあっさりとそう言うた。




ワシに、あの脇田のような営業は出来ん。

せやからというて、何もせんわけにもいかん。

くよくよ考えてもしゃあない。世の中、なるようにしかならんわい。

ここで、仕事が出来ずにめしが食えんと野垂れ死にしたとしても、それが、ワシの運命ならそれでしゃあないやんけ。

ワシの得意な開き直りの考え方や。

取り敢えず、自分のスタイルで、始めようと思い立った。

目の前に巨大な団地があった。

ワシはもう、何も考えんと一軒づつその団地を叩き初めた。

2時間後、ワシは、その団地の公園にあるベンチに座り込でいた。

思い込みだけでは、なかなか契約は上がらん。

それは何の営業でも一緒や。

分かっとるつもりやが、正直、もう、精も根も疲れ果てた。

ベンチで目を閉じると、道端で行き倒れとる己の姿が見える。

もう、これまでか……。

「どないや」

いきなり、そう言うてワシの肩に手を置いて、話かけて来た男がいた。

同じ団の人間や。

団の人間から、仏の善さんと呼ばれとるのを聞いたことがある。

他の奴らとは違うて、もの静かで穏やかな風貌の男や。ワシより5,6歳は年上のはずや。

「あきません。先程、脇田さんに教わったんですけど、僕には無理で……」

ワシは口癖で普段は「ワシ」と言うてるが、目上の者か、客に対してはいつも「僕」と言うてる。

柄やないがな。

「それでええ。あんな、外道のやることなんか真似せんでええ。あんなのは、営業やない」

「え?」

意外な、その善さんという男の言葉に耳を疑った。

「それじゃ、善さんは……」

「私は、あんな営業はせん」

ワシは、その言葉を聞くと、思わず地べたに土下座していた。

「善さん、お願いします。僕に、営業を教えて下さい」

「分かった……」

善さんは、そう言うと、ワシを抱え上げベンチに座らせた。

「私の営業は半端やない。ついて来られるか」

「はい。頑張ります」

「この仕事は何でもやるというくらいの気構えがなかったら出来ん」

「はい」

「ここで笑え」

「は?」

「ここで、大声を出して笑うんや」

さすがのワシが躊躇した。

公園には少なくとも30人ほどの人間がおる。

「どうした、出来んか?」

「やります」

ワシは半分やけくそやった。

「ははは、ははは……」

「あかん、なってない。良う見ておけ」

善さんは、おもむろに立ち上がるといきなり大声で笑い始めた。

「はっ、は、は、は、はっ、は、は、は、はっ、は、は、は……」

まるで別人のような迫力のある笑いやった。

周囲の人間が何事かと、こちらを見とる。

善さんには、羞恥心とか、てらいというものが、微塵も感じられん。

見ていて、ワシは何でか分からんが、感動した。

「はっ、はっ、はっ、は、は、はっ、はっ、は、は、はっ、は、……」

ワシも思わず、善さんについて大声で笑った。

ワシらは、それを10分以上もその場で繰り返した。

やはり、というか、それまで、周囲にいた人間が遠巻きに離れていた。

男ふたりが、公園の真ん中で意味もなく大声で笑うてるちゅうのは、普通で考えたら不気味な光景や。

気がふれたと思われてもしゃあない。

「どや、気分は」

「ええ、何かすっきりしました」

「ほな、叩きに行こか」

「えっ、これだけですか?」

「せや、これだけや。これが奥義や」

「奥義ですか……」

確かに、大声を出して笑うたから、爽快な気分にはなったが、こんなんで大丈夫かと正直、思うた。

この善さんという男に担がれとるんやないやろな。

「ゲンさん。営業中は笑顔を絶やしたらあかんで。これ貸したるから、笑顔が消えそうになったら、これ見て笑え」

善さんはそう言いながら、小さな手鏡をワシに渡した。

ま、ええか。

ワシはこの人を信じると決めたんや。

言う通りやってみよう。

それで、例え、あかんかったとしても、もともとや。

結果的に言うと、ワシの得意な開き直りが功を奏したようや。




2時間後の午後5時30分。

ワシらは、同じベンチに座って休憩していた。

「ありがとうございます。おかげで、カードが上がりました」

ワシは、心底、ありがたいと思うた。

何と、2時間ほどで3枚のカードが上がったんや。

1枚目は、叩き始めて3軒目やった。

そこは、なぜかすんなりとドアを開けてくれた。

ワシは、言われた通り、笑顔を絶やさんように、客を持ち前のユーモアで笑いを誘いながら、勧誘した。

考えていたよりも、あっけなく契約してくれた。

2枚目は、ラッキーと言えばラッキーやった。

昨日、奈良から引っ越したばかりで、新聞屋がどこも来ないから困っていたと言う。

これも、後に知ったことやが、奈良というところは、A新聞が強く、この客もA新聞を購読していたというから、何の問題もなく成約や。

3枚目は、笑顔のことなど気にしなくても自然に笑うてたと思うから、勢いやろと思う。

この勢いというのは大事で、こちらの思いは必ず客に伝わる。

もっとも、ワシがそのことに気づいたのは、ずっと後になってからやったがな。

今、振り返っても、この時が、ワシの人生で本当の崖っぷちやったと思う。

底知れん落とし穴に嵌って二度と浮かび上がれそうにない時、命綱のロープを投げ入れてくれた善さんには感謝してもし足りないと心底、そう思うた。

「これが、あんたの本当の実力なんや」

「でも、善さんの助言がなかったら、僕は……」

「私は、ちょっと背中を押しただけや。あんたに、その下地や資質があったからこそ、結果が出せたんや。誰に教えても、そうなったんやない」

しかし、それでも、人の潜在能力を知って引き出すというのは、並の人間に出来ることやない。

やはり、この善さんはただ者やない。

後に、この善さんがとんでもない大物やったと知ることになるんやが、この時は、その正体は何も分からんかった。

もっとも、この時、善さんの正体を知っていたら、ここまで素直に、助言に従うてたかどうかは疑問やけどな。

「善さん、これからも、いろいろ教えて貰えませんか」

「あんたさえ良ければ、喜んで」

ワシは、この善さんを師と仰ぐことにした。

結局、この日は5枚のカードを上げることが出来た。

善さんの助言もあり、この日、カードが上がったのは、脇坂のおかげということにしといた。

当然、脇坂は得意満面やった。

アホな奴らはおだてるに限る。




それから、ワシと善さんは団の連中には気づかれんように、一緒に仕事をした。

そのころには、二人して公園で笑い合うのは日課のようになっていた。

この時、二人で、いろいろな営業法を編み出した。

最悪なマイナスの条件を逆手に取り、プラスにする営業法もこの時、考案した。

その内の一つが、苦情聞き取り法や。

これは、結構、効果あった。

何せ周りが悪どいことをする奴らばかりや。

当然、苦情を持っとる人間も多い。

新聞社から派遣されて、その苦情を聞いてると言えば、面白いように情報が集まった。

ワシ自身は喝勧なんかしたことはないけど、その手口をかなりな数、知ることが出来た。

苦情を吐き出せば、客も満足するのか、その場で、ワシらの勧誘に応じることも珍しいことやなかった。

ワシと善さんの秘密のコンビは、それから3ヶ月ほど続いた。

その頃、ワシは、あの脇田と張り合うほどの成績を上げるようになっとった。

もっとも、ワシの方は、あんな奴、ライバルとも何とも思うとらんかったけどな。もともと、奴らのすることは営業やとは思うてないんやから当然や。

ワシは、善さんのおかげで、いつの間にか、この仕事が面白くなり初めて、逃げたろという気がなくなっていた。




その不幸な事故は、そんな時に起こった。

善さんが、トラックに撥ねられて即死した。

拡張中、自転車に乗っとってトラックに巻き込まれたと言う。

ワシは、その知らせを聞いて、男泣きに泣いた。

いつもは笑うてる公園で号泣した。

ワシは、倒産して家を取り上げられ、嫁はんに子供を連れて逃げられた時でさえ、泣かなんだ。

ワシが泣いたのは、子供の頃、歯医者へ行った時以来のことや。

次の日、ワシは仕事する気もなく、寮で寝ていた。

昼頃だったか、郵便配達人の呼ぶ声がした。

出てみると、ワシ当ての小包やった。

差し出し人はない。

開けてワシは絶句した。

善さんからの手紙と小冊子が入っとった。

『豊○商事マル秘営業マニュアル』

その小冊子のタイトルやった。

豊○商事。

ワシはすぐには、何のことか分からんかった。

豊○商事事件というのが、この時の9年ほど前の、昭和60年に起きた。

被害者総数3万人以上という、日本の歴史上最大の詐欺事件や。

マスコミは連日その悪質さを報道した。

ワシも、何ちゅうえげつない奴らやと憤っとったことを良う覚えとる。

そんな中、その会長という男が、暴漢に報道陣やテレビカメラの前で刺し殺されるというショッキングな事件が起きた。

その時の、生々しいライブ中継はワシも見ていた。

その後、グループの破産、解散ということでその事件は一応の幕引きとなった。

しかし、未だに悪徳商法や詐欺に当時の残党が関係しているとの噂が根強い。

その、豊○商事と善さんがどんな関係があるんや。

ワシは善さんの手紙を開いた。




ゲンさんへ

私は、この団を離れようと思います。

その前に、どうしてもゲンさんに言って起きたいと思いまして、手紙で申し訳ありませんがどうか分かって下さい。

私は、あの豊○商事にいました。

ゲンさんに、私が話した営業法は、当時、仲間と作成した営業マニュアルから引用したものなのです。

私たちはあの事件後、マスコミ各社に実名報道され散々叩かれました。

悪魔の営業マニュアル。究極の詐欺マニュアルなどと酷評されたものです。

確かに多くの被害者を生み、その中には老人を騙す輩も多くいたため仕方のない報道だったのだろうと思います。

しかし、そのマニュアル本には詐欺を働けとは一切、書いてありません。正当な営業本だと今でも確信しています。

ただ、普通にない突っ込んだ切り口のため、取り方によっては誤解を招くのだと思います。

ゲンさんだけには分かって欲しいのですが、このマニュアル本は、私たちが悪意を込めて作成したものではありません。

しかし、それを悪用されたのは事実です。

そして、あの豊○商事で働いていた営業マンすべてが詐欺と知って営業していたわけではありません。ある意味、私たちや多くの営業員も一部の人間に騙され利用されていたのです。

私はそれが口惜しく、いつか、この営業マニュアルを正しく役立てようと考え、その後も一人で改良しました。

しかし、私のような者を雇うところはどこもなく、仕方なくこの拡張団にいたわけです。

でも、今となっては、これで良かったのかも知れないと思うようになりました。

ゲンさんも知っての通り、他の団員の営業は脅迫と詐欺です。

その中で、正統派の営業で対抗出来ると実証されたのですから。

そして、それは、ゲンさんという人に出会ってより多くの可能性を見ることが出来ました。

実は、私は、ゲンさんが入団して来た時から、注目していました。明らかに他の人とは違うものを持っていると感じたからです。

そして、ゲンさんとの接触の機会を待ちました。

後は、ご存知の流れです。

私は、この営業マニュアルを伝授出来る人材を捜していたのです。

しかし、この世界に流れてくる者には、その資質を持ったものが少ないという現実があります。

いくら、自信のある営業法や考え方とは言え、資質のない者では理解することすら無理です。

ゲンさんは、私の期待通り、いや、それ以上でした。

ただ、一つ問題がありました。

それは、ゲンさんに私の素性を知らせるべきかどうかということです。

私は考えた末、知らせないことにしました。

おそらく、ゲンさんの性格だと、私がゲンさんに教えたのが豊○商事の営業マニュアルだと知らせば、受付はしなかったと思います。

結果的に、ゲンさんを騙すようなことになり大変申しわけなく思っています。

もう、これ以上、ゲンさんに教えるようなものは何もありません。

私は、他でゲンさんのような人間をまた見つけたいと思います。

尚、同封のマニュアル本、役立つようでしたら役立てて下さい。必要なければ捨てて貰って結構です。

ゲンさんとの日々、本当に楽しかったです。

それでは、いつまでもご健勝をお祈りしています。

さようなら。                             

                                        善より




ワシは、その手紙を何度も読み返した。

「何でや、何でや……」

ワシはその言葉だけを繰り返していた。

ワシは言うて欲しかった。

そんなに物わかりが悪いと思われとったのやろか。

確かに、出会った時にそのことが分かっていたら、相手にしてへんかったかも知れんが、それから、3ヶ月もの日があったやないか。

善さんは、昨日、どこかへ行くつもりで、この手紙と小包を投函していたのか、そして、その後に事故が……。

何ちゅうこっちゃねん。

ワシはどうしたらええんや。

善さんの意志を継ぐか。

あかん。そんなもんワシには荷が重過ぎる。

善さんをこれからも師と仰ぐことには変わりはないが、それは無理や。




もう、このことは10年も前の話になる。

あのマニュアル本はどうしたかやて?

心配せんかて、誰にも分からんところに隠してある。

この、ワシの頭の中や。

                                   了


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