新聞勧誘・拡張ショート・ショート・短編集
第6話 危険な古紙回収
掲載日 2004.9.19
新聞関係者と一口に言うてもいろんな人間がおる。
まず、新聞を発行している新聞社の人間。
新聞社関連の雑誌を発行する書籍関連会社の人間。
それを、販売、宅配する販売所の人間。
新聞社から販売所まで搬送する運送業者の人間。
そして、ご存じ、新聞を売るワシら新聞拡張員。
それから、新聞関係者と言うてええのかどうか良う分からんけど、その残紙や古紙となった新聞を集める古紙回収業者もいてる。
その古紙回収業者も問屋と呼ばれる集積業者と古紙を直接集める回収業者がおる。
その中で、トラックで古紙の回収に回る者を、ちり紙交換員と言う。
これは、ワシがまだ京都にいた頃の話や。
ちり紙交換員にテツという男がおった。
ワシは、こいつと良う組んで一緒に仕事した。と言うても、ちり紙交換員に鞍替えしたわけやない。
普通、拡張員が、ちり紙交換員に頼むのは、契約の時、客と約束した古新聞の回収のためやと思うとる人間が多いようやけど、それだけとは違う。
彼らとの付き合い方によったら、かなり大きなメリットがある。
もっとも、付き合う相手次第やがな。
ワシは団の拡張員仲間とは、あんまり、つるんで仕事はせんかった。
特別、仲が悪かったということでもない。少なくとも表面上はな。
腹の中やと、こいつら、たちの悪い極道みたいな真似さらしてからに、と思うても、ワシは、そんなこと、おくびにも出さんからな。
諍(いさか)いを起こすつもりやったら、こんなところにはおらん。
ただ、一緒に仕事をしてても益になることが少ないだけのことや。
もっとも、反面教師ちゅうことやったら、皆、それなりにええ先生たちやがな。
悪い面の多い拡張団やったが、結果さえ出しとったら、どこで何をしていようと、誰も何も言わんし、自由気ままにやれたから、取り立てて不満というほどのもんはなかった。
それに、外からは極悪非道の軍団のように思われとる団やったが、中におると不思議とそんな感じはなかったからな。
仲間として、それぞれの人間を見ると、意外に気のええ奴が多い。
ただ、奴らの仕事ぶりを見てると、やっぱり、こいつらは……と思うんやがな。
ちり紙交換に鞍替えしたわけやなかったが、このテツの仕事ぶりを見とると、ちり紙交換もええなと思うようになった。
世間から蛇蝎の如く嫌われとる拡張員やが、そんな奴らも下には下がおると思うとる仕事がある。
その中に、ちり紙交換員も含まれとる。
人間というのは愚かな生き物やから、常に自分より下の境遇の者を探す習性がある。
自分がどんな立場にいようと、それを探すことで自分のアイデンティティを維持しようとするんや。
せやけど、そのほとんどが、大きな錯覚やとは気づかんもんなんや。
人は、何をしていようと、その価値を決めるのは、あくまでもその人間の本質次第やと思う。もっとも、それに気づかん奴が世の中には多すぎるがな。
人は、相手の人間性ですら、その職業やその地位、名声、知名度のあるなしで決めしまう。
ナンボ、ワシらみたいな者がええことを言おうと、世間はどこかの有名大学の教授のつまらん話の方が、有り難く値打ちがあると思うもんや。
まあ、これ以上は止めとこ。言うてる自分が悲しゅうなる。
つまり、ワシが言いたいのは、人間は、どこで何をしていようとも、素晴らしい人間は存在するということや。
勘違いせんといてや。ワシがそうやと言うてるんやないで。
ワシは、テツがその一人やと思うてるんや。
あんたも、ちょっと、ワシと一緒にテツと付き合うたら、その意味が良う分かると思う。
テツから聞いた、ちり紙交換員の事を話す。
京都は、昔から古紙回収の盛んなところとして、全国的に知られとる。
古紙回収業者、ちり紙交換員も多い。
京都では、ちり紙交換員のことを略して「ちりこ」と言う。
言葉の響きが、あまり良うない。
多分に侮蔑の意味が含まれとると、テツは自嘲気味に話す。
この「ちりこ」になる者も、きっかけはワシら拡張員と一緒や。
ほとんどが、スポーツ紙の求人広告を見てなる。
大阪、京都のスポーツ紙にはこの、ちり紙交換の求人広告が特に多い。
その応募者は、ワシらと同じような境遇の人間が大半や。
働くシステムも、良う似とる。
集めた古紙の量で報酬が決まる出来高制や。
大抵は借金で縛り、売り上げと働く者からの両方から利益を得るんや。
住む場所のない人間に、住居を貸し与える。
拡張員の場合と全く同じ、物件を持たん大家というわけや。
ちり紙交換が、ワシらと違うのは、トラックの賃貸料とガソリン代は自分で払わんとあかんということや。経費だけで言うたら、ワシらよりかかる。
せやけど、1日仕事をすれば、多い少ないはあっても、坊主、ゼロということはない。いくらかは稼げる。
そやから、どっちがええとも言えんが、いずれの場合も儲けとるのは経営者だけちゅう構図に変わりはない。
もっとも、経営者は経営者でそれぞれに苦労もあるやろうとは思うが、少なくとも、働く者ほどの過酷さや悲惨さは感じられんはな。
この当時は、常時300台以上のちり紙交換車が京都市内を走り廻っとったと言う。
一目でそれと分かる。
屋根に拡声器が付いてるだけやなしに、カラフルなトラックが多いためや。
真っ赤なトラックもおれば、ブルーのもいとる。
もちろん、白もやが、グリーンや黄色のトラックも走っとるという具合や。
その辺はタクシーと同じや。
因みに、京都では、タクシーの次に多いのが、このちり紙交換車やと言う。
京都の古紙回収率は日本一を誇り60%を超す。
因みに、全国平均は40%台やと言う。
以外に少ないと思うかも知れんが、一般の人間にとって新聞はゴミの感覚が強いから、本当にゴミの日に他のゴミに混ぜて捨てる者が結構多い。
そのことを考えれば、60%の古紙回収率というのは、かなり高いと評価出来る。
それには京都市などの自治体が力を入れとるということも大きい。
世界の観光都市、京都にはゴミなどあってはならんということやろうと思う。
常に回収して綺麗な街作りに腐心しとるというわけや。
新聞は溜まると、やっかいな代物になる。
1ヶ月もすれば、朝夕刊チラシ込みで約15キログラム近くにもなる。
大抵の家は室外に、括(くく)って置いとく。
1ヶ月や2ヶ月くらいなら、それほど邪魔にもならんが、放っといたらすぐ溜まる。
屋根の下ならまだええが、野晒(のざら)しやと雨に濡れる。
雨に濡れた新聞は、場合によったら、2倍以上の重量になる。
目方が増えるだけやなしに、いらん虫の住処にもなる。
そうなれば、古紙としても利用価値がなくなり、問屋も受付んから、ちりこも回収せんということになる。
せやから、なるべく早よう出さなあかん。
「ご町内の皆様、毎度、お騒がせ致しております、ちり紙交換車でございます……」と、拡声器の付いたトラックで廻るのが、ちり紙交換の仕事やと思うとるやろけど、それだけやない。いろいろとある。
因みに、拡声器で徘徊しながら、集めて廻るのを「流し」と言う。
カセットテープに吹き込んだものを、カーステレオに直結した拡声器で流す。
呼びかけアナウンスは、ほとんどは自前やけど、中には、プロのアナウンサーに頼んだり、音楽に凝ったテープもある。
「ちりこ」になった者は、まず、この「流し」から始める。
基本や。基本やけど、基本通りにやれる人間は少ないと、テツは言う。
テープさえ流してゆっくり走らせれば、誰でも客を拾えると思うとる。
ちり紙交換業者の多くは、ローギアでゆっくり走れと教える。
それだけでは、まだ早いと、テツは解説する。
一般の人間にとって、新聞はただのゴミにしかすぎんということが、良う分かってない。
ちり紙交換員も、その仕事をする前は、一般人やから同じ思いやったはずなんやが、この仕事を始めると、その新聞はただのゴミやなくなる。
集めて、それをめしの種にするわけやから、一気に値打ちが上がる。
せやから、出す側の人間の心理が分からんようになってしまう。
ほとんどの人間にとって古紙は邪魔で不要な物には違いないが、それでも、いつ来るか分からん、ちり紙交換車を待って、玄関口で待機して待つほど、出すことが重要なわけやない。
それぞれ、各自の用事や仕事をしてる。
嫁さん連中やったら、掃除や洗濯もするし、昼になったらメロドラマやワイドショーも見なあかん。
中には、セールスマンと浮気中やと言うのもいてるかも知れん。
タイミングが悪かったら、トイレで気張っとることもあるやろ。
そんなとき、ナンボ、ゆっくり動いてても間に合わん。
急いで外に出ても姿が見えんから、捕まえることが出来んことになる。
テツの言う基本とは、超低速で5メートルほど進むと一時停止して暫く待つ。交差点では、停めたまま、出来るだけ長く待つように心がけることやと言う。
京都では、客は、ちり紙交換車を見つけたら、手を振る。ちり紙交換員はそれを確認したら、軽く片手を上げる。それで、お互いが分かる。
交差点で停めて待つのは、そんな客を見つけやすくするためや。四方の客の確認が出来るからな。
ちり紙交換の回収は、確率の問題や。2、3軒の家の前でしか確認出来ん所で待つよりも、交差点などの見晴らしが良うて多くの家々の見える所で待てば、それだけ、確率が高くなる。
ところが、そんな簡単なことが分からん奴が多い。
しばらく流して、客が現れんと自分の技量のなさを棚に上げて、ここらには、新聞が溜まってないと勝手に思い込む。
そして、さらに急いで他へ移動する。
そんなんでは荷物(古紙類)なんか集められるわけがないと、テツは言う。
しかし、テツはこんな連中がおるから仕事がしやすいとも言う。
ほとんどの、ちりこはその地域に一番乗りした者が、その日、そこで多くの荷物を稼げると思うとる。
せやから、その場所に、他の誰かが流ししてたら、敬遠して他へ行く。
テツは、そんな時は、流してる人間の技量を見て計る。
前出の人間のようやと踏んだら、そのすぐ後から、悠然と流して行くと言う。
すると、前の人間より、後の方が面白いほど荷物が出て来る確率が高い。
前の奴は、テツのためにアナウンスしてくれてるようなもんやからと言う。
そいつは、さっさと行ってしまうから、急いで出て来た客はテツしか見えんことになるというわけや。
京都では大通り以外は、道幅の狭い通りが多い。
せやから、市内には、軽トラックのちり紙交換車が圧倒的に多い。
そんな狭い道路で後ろから、つつく車があると、どうしても早く走りがちになる。後ろから来る車を上手く避けて運転出来んのや。
中には、いらついてクラッションを連打する後続車もおるから、それに堪えきれん者も多い。
F1レーサーのように、高速で走るのもテクニックが必要やろうけど、超低速で移動するテクニックもそれなりに難しいものがある。
加えて、図太い神経もいる。後ろから、煽る車がおっても悠然と構えられるくらいのな。
その点、テツにその心配はない。
例え、後ろから煽ってクラクションを鳴らす人間がおっても、テツがのそっと、運転席から身を乗り出して睨みつければ、大抵の人間は、それだけで黙る。
テツは体がでかい。185センチで100キロやと本人は言うてるけど、もっとあるように見える。
人間は、おかしなもんで、小さい奴は大きく見せようとするし、大きいやつは小さく見せようとする。どっちも、それなりにコンプレックスになるんやな。
ワシは、この体を見て、テツと命名した。
鉄人28号を連想させる体型やからや。鉄人28号やなんて、ワシらの年代くらいしか知らんかな。
まあ、とにかくでかい男や。後でその仕事ぶりも話すが、力も尋常やない。
大男、総身に知恵は回らずと、誰かが言うた言葉があるが、テツは知恵の方も相当なもんや。
ワシが、テツを評価しとるのは、むしろ、この知恵の部分や。こいつといとると勉強になることが多い。
ちりこの中にも仕事の出来る者と出来ん者の差は歴然としたものになるという。
テツに言わせれば、頭を使わん者は何をしてもあかんということになる。
ワシもその意見に異論はない。拡張員もまったく同じやからな。
拡張員も、ちりこも、なるのは比較的簡単で誰でもなれるが、それでめしを食うていけるようになるには、そこそこ賢い奴やないと難しい。
きつい言い方やが、アホは何をやってもあかん。
アホとか賢いというのは、学校の勉強が出来るか出来んかということとは違う。
もちろん、学歴のあるなしでもない。
人間の賢愚の差は、創意工夫出来るかどうかや。これに尽きる。
その創意工夫するために、知識を身に付け活かすことの出来る人間が、本当に賢い人間やと思う。
せやけど、そんな賢すぎる人間も、拡張員やちり紙交換員には、おらん。
第一、それほど賢い奴は最初の段階で、その道は選ばんわな。
中途半端な賢さ、良う言えば、そこそこ賢い奴でないと、務まらんということや。
それに該当する者も、ほんの一握りしかおらんのやけどな。
ちりこでも、仕事に意欲のある連中は、営業も上手いと言う。
ちり紙交換に営業なんて必要なのかと思うやろけど、これが出来る出来んでは大きな違いを生むらしい。
この営業のことを「飛び込み」と言う。
新聞がありそうな家か溜まっている新聞を外から見かけたら、その家に訪問して出して貰う。
これは、拡張員と違うて断られることは少ない。
大抵は、ちり紙交換が来たと知っても面倒臭いから出さずにいとるだけやからや。
中には、町内回収に出すために置いてるという家もあるが、こういう所でも、うまく言えば町内回収用の分だけ残して後は出してくれることが多い。
テツは、笑顔で接することがポイントやと言う。
くしくも、それは、ワシが普段、強調しとることと同じや。
そして、テツくらいになると、その地域や街並みや家を見ただけで新聞が溜まっているかどうかが分かると言う。新聞の臭いがするんや。
それも、ワシが普段、良う言うてることと似てる。
出来る者の考えることはどの世界でも、そう大差ないちゅうこっちゃ。
このテツやったら、拡張員をやっても、かなりやれる男になるはずや。
ちりこも拡張員も、その考え方は共通した部分が多いが、決定的に違うことがある。
京都では、拡張員は、ほとんどの人間から嫌われとるが、ちりこは客から嫌われることが少ないということや。
この差は大きい。
一般の人間には、拡張員もちりこも、同じような境遇の人間がなるもんやとは思わんからな。まったく、別の人種やと考えとるわけや。
ちりこは、人の嫌がる仕事を汗水流して一生懸命してるご苦労な人たちやと見られる。
拡張員は、人の嫌がることを平気でするヤクザな極悪人と思われとる。
えらい違いや。
しかし、嫌われてはないかも知れんが、ちりこほど、ほとんどの人間から見下げられとる存在はおらんと、テツは言う。
その分、人を見る目が養われるんやけどなと笑う。
人は、見下した相手には、知らずに自分の本性をさらけるもんやと言うのが、テツの自説や。
下から、人を観察すれば、いろんなことが見えて面白いでと言う。
余談やが、ワシの良う知っとる大会社の社長が、たまに清掃員に変装して社内をうろつくことがあると言う。
すると、社員は、相手が、ただの清掃員やと思うて、横柄な態度を取る。
普段、その社長の前やと誠実、実直そのものにしか見えんような男が、そうやと言う。
それで、その社員を判断するらしい。
この社長のやり方にも、賛否両論はあるやろうけど、見透かされる人間も思慮が足らん。どんな場所に於いても人の目は必ずあるということを考えて行動せなあかんのやで。
流し以外にも、町内回収、子供会、婦人会、老人会などの地域の回収もする事がある。
これは、単に「回収」と言う。
これも、営業力のあるなしで確保出来る団体が違う。
役所、会社、商店、市場などの業者からも回収する。
こういうのは、ほぼ定期的に行う。
これを「引き取り」と呼んどる。
この場合も、しかりで営業で差が付く。
単に、古紙回収、ちり紙交換と言うても、いろいろなスタイルや、やり方があるということや。ちり紙交換の仕事をマスターしようと思うたら、百科事典並の情報量を覚えなあかんと、テツは言う。
テツは、そのうち、本にして売り出すんやと言うてたけど、未だに、そんな話はない。テツも口だけは達者やから、人に喋ることは出来るが文章を書くというのは別もんや。
ワシも昔、同じことを考えて挑戦したことはあるが、思うたことの10分の1も書けんし、出来上がった文章も読むに堪えんお粗末なもんや。テツも間違いなくその口やと思う。
今は、ワシにはハカセがおるから、こうして、言いたいことを活字にして貰うてるからええけどな。
ワシは、自分がやれんことを、簡単に出来る人間を尊敬する。
もっとも、ハカセも同じようなことを言うとったがな。
テツをハカセに会わせて、その話をさせたらお面白い話が出来るんやないかと思うてるんや。いつのことか分からんけどな。
前振りが長うなったが、今回、ワシがテツと組んでする仕事というのは、そのいろいろあるうちで、今から話す「チラシ回収」というやり方や。
チラシ回収と言うのは、その名の通りチラシを各戸に入れて、チラシに書いてる回収日に古紙を集めるやり方のことや。
これは主に、マンションとかの高層住宅でする。
大抵は、前日の夜に、翌日の朝から回収予定のマンションなどにチラシを入れる。
配る場所にもよるが、大体、500枚くらいを目安にするという。
テツは、長いこと、これをしているから、客も心得たもので、翌日の朝には玄関先に新聞を出しとるんや。
特に、高層のマンションの上階ほど、新聞は出とる。
どのマンションでも、収集日を決めて古紙回収はしとる。
しかし、収集場所は、どこでも1階やから、そこまで持って降りなあかん。
高層階の者は、1階まで持って降りるのが面倒ということで、それに出すケースは少ない。
その点、チラシ回収なら、玄関先に出せばええから楽や。
それに、テツが回収するときは、新聞を結束せんでもええと客に伝えとるから、よけいに出る。バラの状態でええんやからな。結束は、その場でテツがする。
それに、チラシ回収はサービスもええ。
通常、京都では流しの場合、新聞10キログラムに対して、ポケットチィシュ2個というのが相場や。気持ちだけというやつやな。
チラシ回収の場合は、それプラス、サービスカードというのを渡す。
サービスカードというのは、ハガキ大の台紙に回収毎にスタンプを押して、それが5個集まると、サランラップや箱テイシュを景品で渡すサービスのシステムとして考えたものや。
これは、テツが考案したというもんやない。
京都では昔からあるサービスのシステムや。
言い遅れたが、テツは、独立してトラックを2台所有しとる経営者や。と言うても、まだ一人でやっている。
以前は、雇われとったんやが、そこで、頑張って、トラックを手に入れ独立した。
俗に言う、一匹オオカミというやつや。
そのテツの仕事と、拡張員のワシがどう絡んで仕事するのかということを説明する前に、そうなるきっかけの話を簡単にしとく。
ある日、ワシは、あるマンションで叩いとった。
すると、何やら、一軒の部屋の前で揉めとる所があった。
「お客さんが嫌や言うてはるんやから、もう諦めて帰れや」
体のでかい方の男が、その揉めとる相手に言うてた。
「ちりこには関係ないわい。黙っとれ」
いかにもヤクザっぽい格好の男が言い返した。
ワシは、その男に見覚えがあった。
確か、Yの拡張団の奴や。
「奥さん、ここは俺に任せといて、奥に入って」と、でかい男が、無理にその家のドアを閉めた。
「こらっ、このちりこ、何さらすんや」
Yの拡張員は、虚勢を張って喚いた。
せやけど、掴みかかって行く度胸はないみたいや。
でかい男はというと、こっちは悠然たるもんや。
こら、喧嘩にならんな、と思うた。
例え、喧嘩になっても、勝負は見えとる。
「こら、こんな真似さらすんやから、覚悟は出来とるんやろな。ワシらはここに10人ほどで入っとんのや。詫び入れるんやったら、今のうちやで」
チンピラに多い台詞や。
せやけど、こういう奴らは、言うてるようなことも平気でやりかねん。
実際、奴さんらの団やったら、そのくらいの人数はおるやろ。
しゃあないなと思うた。
なんで、ワシはこんなことを見過ごせんのやろ。
「皆、連れて来てどないするつもりや」
ワシは、そう口を挟んでた。
「何? ワレは、どこの……」
Yの拡張員は、そう言いかけて、振り返りながらワシの顔を確認すると声を詰まらせた。
「あんたは、確か……」
「鬼○のもんや」
ワシの所属しとるのは、○○サービス有限会社というのが、正式な名称やが、業界では鬼○団と呼ばれとる拡張団や。
「あ、あんたらも、ここへ」
「せや、どうでもええけど、そこの客は、ワシの前からの見込みや。ワシの客を取るつもりか?」
もちろん、これは、出任せや。
ワシも口を挟む以上、口実はそれなりにしとく必要がある。例えウソでもな。
「いや、そ、そういうことやったら、ワシはええんや」
Yの拡張員は、そう言うと、そそくさと消えた。
ワシの所属しとる団は、最強最悪の団やと言われとったが、その団の名前でも、ええことに役立つこともあるんやなということが初めて分かった。
世の中、何が幸いするか分からんなと思う。
せやけど、いつも、いつも、こんな具合に上手いこと事が運ぶとは限らん。
こんなことに首突っ込む癖は、ええ加減にしとかんと、そのうち命を落とすことになるかも知れんと本気で思う。
もっとも、すべてを無くしとるワシは、命も別にそれほど惜しいとは、この頃は思うてなかったけどな。
その部屋の扉が、恐る恐るという感じで開いて、先の奥さんが出て来た。
「奥さん、もう心配ないですよ。あの連中は、当分来ることはないと思いますから」
「あの、あなたは?」
「Aの拡張員です。あっ、でも、心配せんといて下さい。別に、新聞の勧誘はしませんから」
「いえ、うちは、最近、越して来たばかりで、本当は、新聞取りたいんでけど、主人が○神のファンなもので、さっきの人のY新聞は困るんで、それで断っていたんです。以前はA新聞取ってたので……」
こういうのを、棚ぼたと言うんやろな。
さすがのワシも、こういうケースでのカードは記憶にないから、この時のことは良う覚えとる。
その家での、カードの書き込みと拡材を渡して外に出ると、あのでかい男は、まだ、仕事をしてた。
その様子をしばらく見てて、その怪力ぶりに驚いた。
ワシも、いささかと言うか、腕力には自信がある。
腕相撲なんかやったら、負けたことはほとんどない。
しかし、この男とは、腕力のレベルが違うと思うた。
ただ、体がでかい男は何人も知っとるが、これほどの腕力は見たことがない。
ワシも、新聞屋の端くれやから、新聞の目方(重量)くらいはすぐ分かる。
4つ折りの新聞を大判と言う。
紙受けと言うて、トラックで販売所に搬送される新聞がこれや。
因みに、8つ折りを小判と言う。
大人の手のひらを目一杯広げた幅の大判の新聞が、約10キログラムある。
このでかい男は、その3倍ほどの新聞の量を一括りにし、それを両脇に挟みながら抱え、更に、同じだけの新聞を左右の両手に一つずつ持って運んどるんや。
全部で、ざっと、120キログラムほどもある。
それを、この男は、やっとという感じやなしに、その重さがないかのように、エレベータまでの14、5メートルの距離を、走るようにして運んどるんや。
信じられん怪力や。少なくとも、ワシにはあんな真似は出来ん。
「兄さん、さっきは済まなんだな。同じ、拡張員として、恥ずかしい」
「いや、オレは、あんなことは慣れとるから。それにしても、あんたみたいな拡張員もいてるんやな。拡張員いうたら、あんなチンピラみたいな奴ばっかりやと思うてたわ」
「そんなこと、ないで。大人しい人間かておる。せやけど、大人しい奴は目立たんだけや」
これが、テツとの初めての出会いやった。
この後、ワシらは意気投合して、お互いのメリットを考え、組んで仕事をするようになったんや。
組んで仕事をすると言うても、ちり紙交換員と拡張員では、仕事の形態が違う。
まず、ちり紙交換員は、朝が早い。回収は、朝、8時からや。
拡張員は遅い。早い奴でも、昼過ぎからしか仕事をせん。
それと、拡張員は、バンク(販売所の拡張エリア)の問題がある。
指定の販売所以外でのカードは認められんから、地域が限定される。
これでは、絡み辛い。
まあ、そこはワシのことやから考える。
朝の早い時間は、団長とか幹部、班長に言うとけば何とかなる。
見込み客がおるんやけど、夜が遅いから、朝早く来てくれと、言われとるということにでもする。
バンクの方やけど、その日、入る予定のバンクとテツの回収予定のマンション等を摺り合わせて決める。
テツも毎日、こんなチラシ回収をするわけやない。何ぼテツでも毎日はきついと言う。
500枚のチラシを撒いて、回収出来る古紙の量は平均で1日3トンほどになると言う。
それを、一人で回収してトラックに積み込む。エレベータで1階に降ろす作業以外はすべて手作業や。
午前8時から始めて、休憩なしでも午後2時までかかる。それも、あのテツの仕事ぶりで、それくらいかかる。
他の人間が、それをしたら洒落にならん。下手したら死ぬで、ほんま。
せやから、テツも自分でコースを作り、それを1ヶ月に10コース。つまり、10日間だけ廻っとる。
その日程と、ワシの予定を突き合わせて、月に5、6日ほど、組んでやっとるというわけや。
もちろん、他に突発的な用事がお互いに出来れば、連絡を取り合うとるがな。
ワシらは、何も仕事だけで付き合うとるわけやない。
この頃は、今ほど携帯電話は普及しとらんかったから、主な連絡はポケットベルでしとった。
ワシに、こんな自由が認められとったのも、すべてカードの本数が他の者より上がっとったからや。
ワシら拡張員の世界は、極端に言うたら、結果がすべての世界や。
結果さえ、出るんやったら何をしててもええちゅうのが、基本的な考え方や。
ワシは、この頃は、この仕事を始めて1年くらいで、今と違うて、わざと爪を隠すような真似はせんかった。
それから、いろいろと揉まれたおかげで、今のように、ほどほど出来る程度の拡張員になっとるがな。
もっとも、爪を隠し過ぎて、今は、その爪が、ほんとにあるのかどうかも怪しいけどな。
錆ついとらんのは、案外、口だけやったりしてな。
せやから、団でも大きな顔してた。
えらそうに、という意味とは違うで。
思うように仕事をさせて貰うとったということや。
ワシは、もともと借金なんか踏み倒すつもりやったから、団からも金を借りる必要もなかった。
せやから、外では、ヤクザも震え上がらせてたと言う団長も、ワシには気を使うてたな。
もっとも、後日、上手いこと嵌められて、借金を背負わされることになるんやが、その話は今回とは関係ないから、また、別の折りにでも話す。
ワシとテツは、京都でも有名な、公団住宅に来てた。
有名なというのは、誰でも知っているということやが、ここはそれだけやない。
俗に言う、柄が悪いと言う奴や。
そのために、ここは、まだ新しくて外見は綺麗なんやが入居希望者が極端に少なかった。
それで役所は、ある方法で入居者の募集をした。
家賃は、公団やから他との兼ね合いで引き下げるわけにはいかん。
どうしたかと言うと、一軒分の家賃で二軒借りられることにしたんや。
実質は半額なんやが、名目は値下げしとらんという奇妙な理屈になる。
それで、入居率を上げようということや。
それでも、大して、入居率は上がらんかった。
空き部屋が結構ある。
せやから、ここは、入居審査ということには甘い。
現役のヤクザなんかもごろごろおった。
柄の悪い所が、よけい悪い印象を与えることになるというわけや。
断って置くけど、それは10年近く前の話や。
今は、かなり改善されてるはずや。
その改善されるきっかけとなる事件に、これから、ワシとテツが遭遇することになる。
チラシ回収というのは、テツだけがしとるわけやない。
ほかの業者もしとる。競争みたいになっとるわけや。
しかし、何の仕事でもそうやけど、人気のある所とそうでない所の差は、はっきり現れる。テツの回収日は、新聞の出がええ。人気が高いんや。
ちり紙交換員の世界も、拡張員と同じで、ろくでもない奴がおる。
出とる新聞を途中でパク(盗む)る奴がおる。
テツが一人の時は良うやられることがあるとぼやいとった。
特に、何カ所かのマンションを廻るときが危ないと言う。
一つのマンションで回収しとると、当然、他が留守になる。そこをやられると根こそぎパクられることもあるらしい。
ワシの役目は、先行して、そんな奴らを近づけんことや。
ちりこを寄せつけんちゅうのは、そんなに難しいことやない。
トラックにさえ、気をつけとったらええからな。
そのマンションに他のちりこのトラックがなかったら大丈夫や。
まさか、新聞を抱えて走って逃げるわけにはいかんし、そんな奴もおらん。
それらしい、奴を何人か見つけて注意したことがある。
それから、そういう奴は現れんようになった。
注意の仕方は想像してくれたらええ。
ワシはおとなしい奴にはそのように、そうでない奴にはそれなりに注意をするからな。
テツも、ワシと組むようになって、そのパクリが激減したちゅうて喜んどった。
ワシがおらん時でもその効果があると言う。
もちろん、ワシの方にもメリットがある。
例のカードスタンプの役目を引き受けとるんや。
出しとる新聞には、ほとんど、回収カードがある。
それにスタンプを押して行く。
ここまで、やったらまだテツの仕事の手助けのようやが、ハンコが5個めの客に景品を渡す時、新聞の勧誘をする。
これは、簡単やった。
まず、購読しとる新聞は一目瞭然やから、A新聞以外の客に勧誘する。
古紙を出して、景品を貰おうとする人間やから、拡材の話はし易い。
古紙回収を手伝っとる拡張員はどこにもおらんから、それだけでも客に与える印象は違うし、客受けも良かった。
せやから、テツと組んでるときはカードが良う上がった。
少ない日でも、7,8本。多ければ、20本前後というのも、そう珍しいことやなかった。
そして、今、来てるこの公団は、その多い方の部類になる。
ここは、拡張員すら、あまり来ん所や。
せやから、拡張員の存在すら、良う知らん家が多い。
柄が悪く、本物のヤクザもいとるという噂であまり寄りつかんらしい。
うちの団からも、誰も来ん。
まあ、奴らの得意なんは、喝勧やから、本物のヤクザを相手にそれは通用せんやろから、無理もないとは思うがな。
しかし、噂は噂や。
ワシは、実際に勧誘してみて、皆が言うほど、えぐい客に出会うたことはない。
確かに、本物の極道も中にはおったが、扱いにくいとか揉めるようなことはなかった。
対応さえ間違わなんだら、気のええ人間が多いから、簡単に客になってくれる。
この日も順調にカードが上がった。
17本。なかなか、ええもんや。
ワシは、自分の仕事が終わると、いつも、回収を手伝っとった。
終わって、一緒に昼飯を食うて分かれるのが、決まりのようになっていたからや。
せやから、この日も、当然のようにそうしていた。
チラシ回収は、その階毎に集めた古紙を、エレベータ前に集める。
ここの公団は内部廊下の造りになっとる。
両側に20軒ある。そのうち、各階平均して5,6軒程度、古紙が出とる。
その分の古紙を上からエレベータに積み込んで下に降ろす。
それを、トラックに運び積み込む。
口で言うのは簡単やけど、結構、疲れる。
特に、ワシは、普段これと言うて運動もしとらんから堪える。
まあ、運動不足の解消にはええがな。
それが、1棟でもしんどいのに、ここは5棟ある。
1棟が140軒やから、700軒になる計算や。
空き家もあるし、1軒で2軒分借りとる所もあるから、実数はもっと低い。
テツは、その辺を良う知っとるから、500枚程度のチラシを配れば、足りると言う。
実際に新聞を出すのは、1回の回収日に全棟で200軒ほどや。
それでも、4トンから5トンの古紙が集まる。
古紙回収の場合、1軒辺りに回収量を20キログラムと考えるから、大体そんな計算になる。
その、4,5トンの古紙を2トン車で一気に積み込んで運ぶ。
積載違反や。せやけど、京都で仕事中のちりこのトラックが咎められることはまずない。
まず、警察も含めて、一般の人間は新聞紙をただの紙と考えとるから、軽いもんやという思い込みがある。
少々、積んでたとしても、見た目では分かり辛い。
加えて、テツは、トラックのスプリングを補強してたり、後ろのタイヤの空気圧を上げて、車体が沈み込まんようにしとるから、よけいにそう見える。
テツは、最大で6トン以上の古紙を2トン車に積んで、運んだことがある。さすがに、山盛りになる。
しかし、テツは、積み方も一流やから、綺麗に箱形に積み上げとる。
それでも、その量は目立つ。
そのときは、さすがにパトカーが近寄って来たと言う。
しかし、その警官が言うたのは「気をつけて運んで下さいよ」だけであった。
ちりこの技量を計る一つに、この積み方がある。
特に、流しで綺麗に積みながら仕事しとる者は、間違いなく腕はええが、いつ崩れるか分からんような積み方の奴は仕事も出来んと言う。
この下手な奴は、実際に良う荷崩れを起こす。
特に、ちりこが搬入する製紙問屋までの道中の道路に、良う新聞が散乱しとることがある。
京都で紙問屋を探したければ、この新聞が散乱した後を辿って行けばええ。
見つかる確立は高い。
紙問屋みたいなもん見つけてどうするんやてか?
話が横道に逸れたついでに、ええことを教えとこう。
ここに行けば、マンガ本や普通本、専門書なんかが驚くほど安く手に入る。もっとも、欲しい本は自分で探さなあかんがな。古本業者も良う来とるという話や。
ワシとテツが、その団地の第3棟で、トラックに古紙を積み込んどった時やった。
いきなり、パンッ、という乾いた音が近くでした。
ワシは、また、ここの悪ガキが爆竹で遊んどるなと思うた。
「ゲンさん、危ない!!避けろ、かわせ!!」
あの、何事にも動じることがなかったテツが絶叫しとった。
ワシは、そのテツの声に驚いて、新聞を抱えたまま、後ろにひっくり返ってしもうた。
パンッ、パンッ、今度は、立て続けに2回、その乾いた音がした。
ワシは何が起こったのか、すぐには分からんかった。
しかし、ひっくり返ったまま、その音のする方向を見ると、男が一人、一目散に走っとるのが、見えた。明らかに逃げとるようや。
その、反対側にも、男がいて、何かを喚いていた。
「ゲンさん、大丈夫か?」
テツが、心配そうに近寄って来た。
「何があったんや?」
「どこも、怪我してないか?」
「ああ、大丈夫やけど、何でそんなこと聞くんや」
「今な、向こうから、あっちの男を狙うて、ピストルを撃ってた奴がおったんや」
テツの説明だけでは、分かりにくいから解説すると、この団地の中央部は公園になってて、トラックはその公園とこの第3棟の入り口の中間くらいに停めてた。
公園にいてた男が、いきなり拳銃を、ワシらに向かって発砲した。
正確には、その第3棟から出て来た男を狙うたわけやが、その直線上に、ワシらがおったということや。
それに、いち早く気がついたテツが喚いたというわけや。
その直後、ワシがひっくり返ったから撃たれたとテツは思うたらしい。
後で分かったことやが、弾はワシがおったすぐ近くの木の幹にめり込んでいた。
「それで、避けろとか、かわせ言うたのか」
「ええ、アドバイスやったやろ」
ワシが、すぐ、ひっくり返ったのは、そのアドバイスのせいやと思うとる。
「……」
マトリックスのネオやあるまいし、人間が、そう簡単に拳銃の弾なんか、かわせるわけないやろ。
まあ、脅かしてくれたおかげで、助かったのかも知れんけどな。
暫くして、パトカーが十数台も来て、それに連れられるように野次馬も相当数集まった。
辺りは、騒然とした雰囲気になった。
「えらい、大事(おおごと)やな」
この時は、まだ、ワシには、一歩間違えば、あの世行きやったというような、実感はなかった。
「どうやろ。いつものことやから、すぐ、片がつくんとちがうかな」
テツの言い方やと、珍しくもないちゅうことになる。
「いつもて、前にも、こんなことがあったんか」
「そんな、ことがあったて聞いたことはある」
「待てや。ワシは聞いとらんで」
「ここは、柄も悪いし、ヤクザもおるて言うたはずや」
テツに悪びれた様子は、何もない。
「……」
それは、聞いたが、柄が悪うてヤクザがおったら、こういうことになるんか、と言いかけたところで、後ろから、誰かに肩を叩かれた。
「ちょっと、話を聞かせて貰いたいんやが……」
そう言うて、小太りで頭の薄い柄の悪そうな男が声をかけて来た。
隣に、制服の警官がおったから、刑事やろうとは分かったが、普通にどこかで遇うたら、ただのヤクザにしか見えん男や。
あ、それから、一つ断っとくけど、奴さんらは刑事ドラマみたいに警察手帳なんか見せたりせえへんかったで。
ワシの知っとる刑事で、そんなもん出す奴もおらんな。
その刑事らしき男は、目撃者ということで、声をかけて来たようやったが、ワシらが、拡張員とちり紙交換員ということが分かると、ろくに話も聞かんと向こうに行きよった。
「何や、ワシらの話はアホらしいて聞けんちゅうことか」
「そうやろうな、ゲンさんが撃たれとったら、もうちょっと違うたやろうけどな」
「……。そういや、あのガキ、撃たれとったら良かったのにちゅうな目で見とったな」
ワシは、ヤクザも嫌いやが、この警察、ここへ来とるのは、暴力犯罪専門の第4課、通称「マル暴」の刑事やと思うが、こいつらも大嫌いや。
嫌いな理由は腐るほどあるが、それは今はええ。そのうち話す。
「あのー、ちょっと宜しいですか……」
貧相な痩せた男が、恐る恐る声をかけて来た。
「何や」ワシは、さっきの刑事に気悪うしてたから、ちょっと、慇懃(いんぎん)な応対をしてしもうた。
「A新聞の者ですけど、撃たれはったとか、話聞かせて頂けませんか」
その男は、名刺を出しながら言うた。
新聞記者や。さすがに、A新聞だけのことはある。もう現場に来とるがな。
「あんた、Aの記者さんか、ワシもA新聞の拡張員や。何でも聞いたって」
ワシは、普段、どんなに一生懸命、A新聞の拡張に日夜努力しているかとか、今日も命がけで拡張してたということを、訥々(とつとつ)とその記者に話して聞かせた。
「ええか、A新聞の拡張員が巻き込まれて被害者になる寸前やったんやで、そのことを忘れんと、ちゃんと書いてや」
「分かりました」
その、記者はその後も、他の目撃者とおぼしき人間に取材しとるようやった。
「テッちゃん、ワシもこれで明日の新聞に載るかも知れんな」
「ああ、載るかもな」
翌日、ワシとテツは、早朝から開いてるファーストフードの店で、ハンバーガーとコーヒーを飲みながらA新聞を見ていた。
「何やこれ、どこにもワシらのことが載ってへんやないか」
昨日の事件のことは載っていた。
昨日、午前11時30分頃。○○区○○町の公営○○団地にて、発砲事件発生。警察の調べでは、最近、頻発している抗争事件との関連もあると見て捜査中。尚、この事件での被害者はなく、警察は逃げた男の行方を追って……。
「これは、どういうことや」
ワシは、一気にA新聞に対して不信感を覚えた。
危険な目に遭うたのは、A新聞の拡張員やで。
「ゲンさんが、無事やからやろ」
「ワシが流れ弾にでも当たっとったら記事になるちゅうことか」
「かもな。それも、恐らく、ただの会社員としてやと思うで」
「……」
テツの言う意味がすぐ分かった。
恐らく、ワシがあの時撃たれとったとしても、新聞記事には拡張員とは載せんやろ。
同情を引くことが出来んからな。
ヘタしたら、犯人が同情されるかも知れん。
それくらい、当時の京都での拡張員の評判は良うなかった。
A新聞社としては新聞にマイナスイメージとなる報道は極力、避けなあかんと思うはずや。
ワシは、この時、初めて真剣に拡張員を辞めようと思うた。
特にA新聞のな。
あの公団にうちの団の連中が拡張に行かんのは、ヤクザが恐いちゅうことやなしに、こういうことが起きるからやと分かった。
「テッちゃん、ワシもう、あの団地は堪忍してや」
「せやな、もう止めとこか」
その後、この事件があってかどうか分からんが、この団地もかなり改善されとるという話や。
2ヶ月後、誓い合ったはずの二人は、また、その団地で回収と拡張をしていた。
どうやら、ワシらには、懲りるという言葉とは無縁のようや。
了