メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第349回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日  2015. 2.16


■考えさせられる話……その4 裁判員裁判初の死刑破棄確定について


ある常連のメルマガ読者から、


ゲンさん、お久しぶりです。

以前、メルマガで裁判員裁判について触れていたと思うのですが、最近あった「裁判員の死刑破棄、初確定へ」というニュースについて、ゲンさんはどう思われますか?

こんなんじゃあ裁判員裁判なんてやる意味ないと思います。例え、選ばれても僕は行く気にはなれません。

これでは犯罪の歯止めにはならないと思うのですが、どう思います? 

教えて下さい。よろしくお願いします。


というメールを頂いた。

『以前、メルマガで裁判員裁判について触れていた』というのは、6年前の2009年2月20日発行の『第37回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■もしも、新聞拡張員が裁判員になったとしたら』(注1.巻末参考ページ参照)のことやろうと思う。

その年の5月21日から裁判員裁判の開始が決まり、当時関心の高かった問題ということもあり、このメルマガ誌上で取り上げた。

その当時から、裁判員裁判制度については多くの矛盾点が指摘されていた。

その一つが、死刑判決や。

裁判員裁判制度は、司法に対する国民の理解を深め、その信頼を図り市民感覚を司法の場に導入する目的で作られたものやと一般的には信じられている。

確かに、その影響は多少あるかも知れんが、実はそれとは違う理由で裁判員制度が導入されたと言われている。

そのことは、あまり世間には知られていないがな。

裁判員制度ができた裏には、現行の裁判官たちの判決への精神的負担を和らげるためという意図があるという。

裁判官でも死刑判決をためらうケースは多い。そのため被害者の数が基準になっていると言えるほどやさかいな。

一人殺した程度では、どんな凶悪犯でも無期懲役止まり、二人以上殺した場合は死刑判決もあり得るという具合に。

バカげているとしか言いようがないが、人が人に対して「死ね」と言うには、それなりの線引きをする必要があったということなのやろうと思う。

これも死刑判決を宣告する裁判官の負担を軽減するためやと考えられる。

ところが、裁判員制度の導入が決まった頃から、被害者が一人であっても死刑判決が出されるようになった。

これは、明らかに裁判員制度を見据えてのことや。つまり、裁判員にその負担を押しつけやすくなったということやな。

それが故に、殺人などの死刑判決を含む重大な刑事事件に限定されて裁判員制度が導入されているのやと。

つまり、司法や国が積極的に死刑判決を後押ししていたものと考えられる。もっとも、司法や国は否定するやろうがな。

その司法の場で、それと逆行するかのような動きが最近増えている。

それが、今回のメルマガ読者からの投稿やった。この投稿者の方が言われる『「裁判員の死刑破棄、初確定へ」というニュース』というのは、


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150204-00000114-mai-soci より引用

<裁判員裁判>初の死刑破棄確定へ…「市民参加」何のため


.2件の事件の1、2審判断

 死刑という究極の刑罰を前に、市民感覚と公平性のバランスをどう保つのか。死刑と無期懲役で1、2審の判断が分かれた2件の強盗殺人事件の裁判は、最高裁決定により死刑回避で決着した。

死刑を選択した裁判員裁判の判決が否定されたことに、遺族は「何のための市民裁判か」と憤り、審理に当たった裁判員経験者は複雑な胸の内を明かした。

 ◇遺族、強い憤り

 「泣き叫ぶというよりも、涙が出ないくらい怒りを覚える」。2009年に千葉県松戸市で殺害された千葉大4年、荻野友花里さん(当時21歳)の母、美奈子さん(62)は声を震わせた。

 友花里さんは、自宅マンションに侵入してきた竪山辰美被告(53)に包丁で胸を刺され、亡くなった。

 裁判員裁判の千葉地裁は死刑。出所直後から強姦(ごうかん)事件などを繰り返したことが重視されたが、東京高裁で減刑され、最高裁も支持した。

 荻野さんは「娘は殺されて、裸にされて燃やされた。遺族には『公平』の言葉に意味はない」と怒気を込めて語り、「加害者は一人一人違い、被害者もいろいろなのに、結局、プロの裁判官に都合の良い言葉のまやかしではないか」と訴えた。

 一方、伊能和夫被告(64)の裁判の補充裁判員だった女性は「先例重視を理由に結論を変えられたことには納得がいかないが、死刑が確定してもショックを受けていたと思う。どこにも落としどころがない」と心情を吐露した。

 一方で「経験が無駄だったとは思わない。裁判員になったからこそ死刑制度を考えるようになったし、国民が裁判に関わる意義はある」とも語った。

 裁判員裁判の死刑判決は全国で22件。うち今回の2件を含む計3件が控訴審で無期懲役に減刑された。

 残り1件は長野市一家3人殺害事件の被告で、2審は共犯者に比べて「関与が限定的」と指摘。検察が上告を見送ったため死刑には覆らない。3件は東京高裁の同じ裁判長が担当した。

 ◇解説…公平性重視、鮮明に

 殺害された被害者が1人の事件で市民が加わった死刑判断の破棄を認めた最高裁決定は「先例の検討は裁判員裁判でも変わらない」と述べ、特に死刑判断の局面では過去の裁判例との公平性を重視すべきだとの姿勢を鮮明にした。

 司法研修所は2012年の研究報告で、被害者1人で死刑が確定したケースは、仮釈放中の無期懲役囚による例や、身代金目的の計画的事件などに限られており、「裁判員にも先例の理解が求められる」と指摘した。

 さらに最高裁は14年、裁判員裁判の判決が求刑を大きく超えたケースで「他の裁判との公平性が保たれなければならない」とし、先例と異なる量刑判断には「従来の傾向を前提とすべきでない事情が具体的に示されるべきだ」との判断を示した。

 今回の決定もこれを踏襲して「死刑とする根拠が見いだしがたい」とした。

 死刑選択という極めて重い市民の判断が覆される例が相次げば、制度の存在意義が揺らぐ懸念もあるが、裁判官出身の千葉勝美裁判長は「過去の例を共通認識として死刑か否かを判断すれば、健全な市民感覚が生かされる」と補足意見を述べた。

 先例を酌みつつ市民感覚を生かす努力が、プロの裁判官に一層求められる。


のことやと思う。

裁判員の死刑破棄のニュースは、その1週間後、またあった。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150210-00000539-san-soci より引用


死刑破棄がまた確定へ 長野一家3人殺害事件 最高裁


. 長野市の一家3人殺害事件で強盗殺人などの罪に問われ、1審長野地裁の裁判員裁判の死刑判決が控訴審で破棄され無期懲役となった池田薫被告(38)について、最高裁第3小法廷(大橋正春裁判長)は被告の上告を棄却する決定をした。

 死刑を破棄し無期懲役とした2審判決が確定する。決定は9日付で裁判官5人全員一致の意見。

 裁判員裁判の死刑判決が2審で覆ったケースに対する最高裁判断は3例目だが、今回の裁判で検察側は上告していなかった。

 事件では平成22年に建設業、金文夫さん=当時(62)=ら3人が殺害され、現金が奪われた。

 起訴された4人のうち3人が1審で死刑とされ、高裁では池田被告以外の2人の死刑が維持された。うち1人は最高裁で死刑が確定、もう1人は最高裁で継続中。

 1審長野地裁の裁判員裁判の判決では「事件直前に共犯者から呼び出されても犯行を止めさせず、被害者3人のうち2人の殺害を実行した」と指摘。

「共犯者間の刑の均衡などから死刑をもって臨まざるを得ない」と死刑を言い渡した。

 これに対し、2審東京高裁は池田被告の関与について、「首謀者2人の指示に従っただけで、突発的に犯行に巻き込まれた」として従属的立場だったと認定。

 過去に発生した被害者3人以上の強盗殺人事件に比べて、「被告の関わり方など、事情が大きく異なっている。先例は参考にすべきではない」として1審判決を破棄し無期懲役を言い渡した。


これらのニュースには大きな矛盾点が垣間見える。

『<裁判員裁判>初の死刑破棄確定へ』では、『死刑判断の破棄を認めた最高裁決定は「先例の検討は裁判員裁判でも変わらない」と述べ、特に死刑判断の局面では過去の裁判例との公平性を重視すべきだとの姿勢を鮮明にした』とあるが、

『死刑破棄がまた確定へ』のニュースでは、『被告の関わり方など、事情が大きく異なっている。先例は参考にすべきではない』という裁判所の判断になっている。

見方によれば正反対の解釈とも受け取れる。

ワシらは過去、民事やったが裁判に関わったことが何度かあったので、同じような事案でも担当する裁判官次第で判決が、まったく違う結果になったというのは経験的に知っとる。

せやから、ワシらは、二審や最高裁で一審の判決がひっくり返っても、違う裁判官が担当しとるわけやさかい、「ああ、そうか」てなもんやが、その犯人に殺害された遺族にとっては、それでは納得できんわな。

裁判員裁判で死刑判決が出ていながら、あっさりとひっくり返されとるのやからな。その無念な思い、やり場のない怒りはいかばかりかと。

『遺族には『公平』の言葉に意味はない』と言われるのはよく分かるし、『加害者は一人一人違い、被害者もいろいろなのに、結局、プロの裁判官に都合の良い言葉のまやかしではないか』というのも実際、そのとおりやと思う。

例えが的確か、どうかは分からんが、裁判官はスポーツの審判に似ている。

同じアウト、セーフでも審判のジャッジによって違うというのは一般常識になっている。

その審判がアウトと言えばアウトで、よほどのことでもない限り、その判定が覆ることはない。それくらいスポーツの審判には強い権限が与えられている。

それは裁判官も同じで、「死刑」と判断すれば「死刑」にできる。

ただ、死刑判決だけは自分たちで出すのは負担やからということで、一審で裁判員制度を導入したわけや。

ところが二審以降になると、裁判官が今までどおり判断することになっている。

すると、当然のように「死刑」判決を出すことに負担を感じる裁判官なら、『死刑破棄』という結論を下すケースも生じてくるわけや。

まあ、実際、そうなのかどうかまでは、その裁判官の深層心理に入り込めるわけやないから確定的なことは言えんが、そう推測することはできる。そんなところやないかと。

裁判所の言う、『公平性』ほど怪しいもんはない。

ワシらは昔、これを判決文を書く際の『枕詞』、『お題目』という程度にしか考えてなかったさかいな。

取り敢えず判決文に『公平性』と謳っておけば世間は納得すると考えとるのやろうな。また見栄えもええと。

実際、その部分に突っ込む者は誰もおらんしな。ワシらくらいのもんや。

近年の犯罪は動機の希薄なものが多いように思う。

「一度殺人をしてみたかったから」とか、「誰でも良かった」といった動機なき殺人、快楽殺人と呼ばれているのが、そうや。狂っているとしか言いようがない。

ただ、それらの凶悪犯人に共通して言えることは、お年寄りや女性、子供といった絶対的に弱い相手を刃物などの凶器を持って襲っている点や。

「一度殺人をしてみたかったから」とか、「誰でも良かった」といった動機なら、暴力団組事務所にでも突っ込んでヤクザを殺して来いと思うが、そういうことをした人間は皆無や。

人を殺すのは構わんが、自分が殺されるのは嫌ということなんやろう。人の痛みには冷徹になれても我が身が傷つくのは怖いと。

そうならんためには弱い者を見つけて襲うしかないと考えるわけや。

ホンマ、愚劣極まりない。人間の皮を被った獣(けだもの)やと思う。いや獣の方が、自身が生き残るために仕方なく殺生しとるだけやから、数段マシや。

それからすると、そんな犯罪者は獣以下の人間ということになる。

そんな愚劣な犯罪者にも法律は人権があると宣(のたま)う。そして、日本の法律は殺された被害者の人権は保護されないものとして扱っている。人権は生きている者だけに存在するものだと。

何の罪もない愛する身内を失った人にすれば、これほど残酷な宣告はない。

殺されるのは一瞬やが、その凶悪な殺人を犯した犯人を死刑にするのは限りなく難しいという現実を目の当たりにせなあかんことになるわけや。

そして、殺人犯の弁護士は、ほぼ100%の確率で精神鑑定を申請し、精神薄弱を理由に減刑に持ち込もうとする。あるいは無罪を勝ち取ろうとする。

まあ、弁護士からすれば、それも法廷戦術の一つやから仕方ないのかも知れんがな。単に仕事をしとるだけやと。

その凶悪犯罪を犯した連中が精神異常者かと言えば、そうでもないという精神鑑定結果の出るケースが多い。正常な神経で計画的にやっているというから始末に悪い。

その根底には、どんなに凶悪な犯罪を犯しても滅多なことで死刑にはならんやろうという心理が、その連中に働いているからやないかと思う。

一般的には、裁判員裁判やと死刑判決が多く出ていると考えている人が多いようやがデータ的には逆で、死刑判決は減少している。

理由は先ほど言うたように、死刑判決を宣告することを負担に感じる裁判官が増えたからやと思う。

昔は、もっと毅然と刑を宣告していたが、今はそうではないようや。そのことは過去のデータからも読み取れる。

裁判員裁判が始まって5年で、死刑判決は22件。その前までの2005年から2009年までの5年間の死刑判決は54件。さらに、その前の5年間では69件やから、数字だけを見れば死刑判決は大幅に減っている。

もっとも、殺人事件の件数も1,999年から2003年までの5年間で3,723件。2004年から2008年までは2,897件。2009年から2013年までは2,056件と減少傾向にあるがな。

もちろん、そのすべてが凶悪殺人事件というわけでもないから、一概に比較することはできんが、殺人事件全体からすると死刑判決が出る確率は1%もないのが現実なわけや。

その1%もない確率で死刑判決を勝ち取った被害者遺族にすれば、今回の最高裁の『死刑破棄』の決定は奈落の底に叩き落とされたような気分やったやろうと推察する。

ワシらは死刑肯定論者やないが、誰が考えても極悪非道な犯罪には極刑を以て臨むしかないと思う。

特に、今回のニュースにあるような『娘は殺されて、裸にされて燃やされた』というむごい殺され方をしたにもかかわらず、結果として無期懲役にしかならんというのは、どう考えても納得できん。

死刑やなくても終身刑というのなら、まだ納得できるかも知れんが、なぜかは知らんが日本には、外国に多い終身刑も数十年、数百年単位の長期刑もない。

そして、無期懲役刑は少ない確率であっても、また社会に復帰できる可能性が残さている。

理論上は10年以上刑期を務めれば服務態度次第では仮釈放の芽もあるとされとるさかいな。

もちろん『第39回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある拡張員が語る刑務所残酷物語』(注2.巻末参考ページ参照)で言うてるように、刑務所暮らしも、それなりに過酷だということはよく知っている。

刑務所暮らしの実態を知れば、無期懲役が軽すぎるとは言えんのは確かや。

ちなみに、その話をしたのは今から6年前の2009年3月6日やが、その当時の刑務所内の状況を抜粋して知らせる。

この話は実際に刑務所に服役していたアズマという男から聞いて、それをハカセが裏付け調査したものや。


刑務所の職員は受刑者の増減に関係なく決まった人数が配置される。

火事の多い少ないで消防士の数をその都度増減させたり、犯罪の発生数で警察官の増減をその都度決めたりすることがないというのと同じ理屈や。

それらの人員は、火事の発生、犯罪の発生に関係なく常に配備されてなあかんものや。刑務所の職員についても同じことが言える。

刑務所内での受刑者の基本的な労働は、1日8時間で周5日働くものとされている。

月22日が平均労働日となり、それで月5万円の収入ということになると、284円の時間給という計算になる。

労働者には最低賃金というのが都道府県別に設定されいて、その最も低い最低賃金時間給額は、鹿児島県、沖縄県の627円やから、その半分にも満たない賃金で働いていることになる。

人権や労働法を論じれば明らかに違法や。

もっとも、受刑者と一般労働者を同一に考えてもええのかということになると意見の別れるところやとは思うが、それくらい安い賃金やということが言いたかったわけや。

ただ、ここに示したものはあくまでも机上の計算やから、その実態にどれだけ近いのかは何とも言えんが、少なくとも受刑者が税金で飯を食うてるわけやないことだけは確かやと言える。

ちなみに、刑務所内での作業収入はすべて国庫に入るというから、その意味では多少なりとも、受刑者は国に貢献しとるとも言えるわけや。

実際、刑務所で作られた様々な商品は広く一般にも流通しとるから、それなくしてはやっていけんという業界も多い。

これを国や刑務所の管轄やなく、一般企業に任せたらかなりの利益を上げることが可能やろうと思うがな。

現在、全国60ヶ所の刑務所の受刑者の総数は2006年で6万8千人超もいとるというから、相当な労働力になる。

この6万8千人超により、刑務所の収容率は116パーセントの状態になっていて、アズマが服役していた13年前と比べると1.5倍ほどにもなっているという。

その頃でさえ、過酷な状況にあった受刑者の生活環境はさらに悪化しとると考えられる。

但し、悪化した反面、受刑者1人当たりの生活費は確実に安くなっとるとは思うから、国庫はそのとき以上に潤っとるはずやということにもなる。

ただ、受刑者、刑務所の職員、双方にとって、この状況は有り難いことやないやろうがな。

この受刑者の増加は、ここ近年の犯罪に対する厳罰化傾向への影響でそうなっているだけで、犯罪自体の発生率は、10年前と比較してそれほど増えとるわけでもない。

ちなみに、10年前と現在を比較した場合、犯罪発生率は微増になってはいるが、2002年以降、毎年、減少傾向になってきていると法務省および警察庁の発表している統計にある。

その10年前でさえ、住空間の悪化によるストレスから受刑者同士の暴行事件が絶え間なかったという。

アズマは、それが原因と思われる受刑者が病死と称されて人知れず葬られていたというケースを数多く見聞きしたと話す。

受刑者の増加により、定数の決まった刑務官1人当たりの負担は確実に増える。

それにより、受刑者への処遇の低下が起きるというのは容易に予想できることや。

それが、受刑者同士の暴行の見逃しであり、刑務官の反抗的な受刑者へのリンチという形で表れるのやと思う。

直接、間接を問わず、それが原因で死亡する受刑者もいとるという。

ただ、その事実は各刑務所にとっては恥部となり責任問題にもなりかねん事やさかい、外部に知られることはない。

そこには、すべての役所と同じ独特の隠蔽体質があるのやろうと思われる。

たまに、それが外部に漏れると大きな事件として報道されることがある。

それが、2002年11月25日のN刑務所の暴行事件であり、2007年11月16日に起きたT刑務所暴動事件やと思う。

但し、それはあくまでも氷山の一角として発覚したものにすぎんとアズマは言う。

「実際、ボクのいた所もひどかったですが、その実態は、ほとんど世間には知られていませんからね」と。

例えば、こんなことがあった。

刑務所の食事にパンが出ることがたまにあるのやが、これがやたらと固い。

アズマと良く話をしていたある年輩の受刑者がこのパンをノドに詰まらせ死亡するという事故があったが、大して問題にされることなく処理されたという。

その後も、何事もなかったかのように、そのパンが食事として出され続けたというさかいな。

雑居房でのリンチなどの暴行行為は日常的にあり、それで死亡した者がいたというのも、それをやったという当事者の受刑者から脅し文句として言われたこともあった。

また、刑務所には「鎮静房」という問題を起こした受刑者の反省を促すための独居房があるのやが、そこに入れられる際、刑務官から袋叩きにあって殺されたというのも普通に受刑者の間で噂されとることやった。

加えて、その刑務所の医者の程度は最悪やったとアズマは言う。

横柄で、診察らしき行為は何もせず、薬なんかも滅多に貰えない。

それどころか「お前らのようなクズを治してやっても世の中のためにならんし、誰も喜ばん」と平気で言う医者さえおるのやという。

アズマは、同室のヤマギシという囚人から「官(刑務官)に寄ってたかって殴り殺された兄弟分の家に出所して行ったことがあるのやが、刑務所からはその家族には心不全で死んだと教えられだけやったらしい」という話を聞かされたことがあった。

心不全というのは、如何にも、もっともらしい病名やが、良う考えたらおかしなことやと誰でも気づく。

人が死ぬと誰でも心臓が止まる。それを心不全と診断しておけば間違いはないわけや。

昨年、大相撲の新弟子がリンチにより殺害されたという事件があった。

その被害者は明らかに見た目にも暴行の傷が生々しかったにも関わらず、最初にその死亡診断書を書いた医師が、「心不全」と記していたことで物議を醸した件は、まだ人々の記憶に新しいと思う。

それに似た、ええ加減で杜撰(ずさん)な処理が為された可能性が高いということや。

一事が万事。こんな調子で人知れず葬られた命は多いのやないのかという想像はつく。

ヤマギシは憤ったが、結局、その事実を家族には知らせず終いやったという。

医者の死亡診断書にそう書かれてあれば、証拠がない限り、いくらそう話しても、その家族を苦しめるだけやし、万が一、その家族が騒ぎ立て事が公にでもなれば、チク(密告)ったのがヤマギシやと刑務所の官に知れる。

再度、刑務所に収監されるようなことにでもなった場合、それがもとで生きて出られんかも知れんという恐怖もあったと言う。

N刑務所の暴行事件やT刑務所暴動事件などが発覚したのは希有なケースであり、似たような事は多かれ少なかれどこの刑務所でも行われているはずやというのは、ワシの知る限り、刑務所に服役した経験のある者の一致した見解やった。

しかし、それが表面に出ることは少ない。例え発覚しても特別な事件、ケースとしてしか扱われんということや。

出所した受刑者が、その非人道的な現状を訴えるケースもあるようやが、所詮、犯罪者の戯言(たわごと)やとされ、誰にも相手にされずどこにも届くことはない。

アズマはそう嘆く。

長いものには巻かれろ。他人の不運は己の安全。そう考えてな刑務所では生きてはいけん。刑務所で人並みの人権を望む方が愚かやと。


ということや。

この刑務所の状況をよく知る犯罪者の中には、刑務所に入るくらいなら死刑にしてくれと真顔で懇願する者も珍しくないという。

刑務所に収監されるのを嫌がって拘置所内で自殺する者も多いと。

そういった事実を知れば、あながち無期懲役、または20年超の有期刑でも、相当に過酷やというのは想像できるが、一般の人には、それは分からない。

また、そのことを知っていたとしても、どれだけ過酷であったにしろ、生きているだけまだマシやと考えるのが普通や。

むごい殺され方をした被害者より、はるかに恵まれていると。

そう言われると返す言葉がない。

結論として、裁判員裁判で決められたことが簡単に破棄されるのなら、この制度を続ける意味はないとワシも思う。

それも裁判官が死刑判決を出すのが嫌さに国民を無理矢理裁判員にした上で、その決定をひっくり返しとるのやからな。あまりにもふざけた話や。

ここで、どれだけ嘆いても、何をぼやいても今となっては裁判員制度がなくなることはないやろうから、無駄やろうがな。

そして、現在の法律では殺されたら殺され損にしかならんと考えるしかない。死者を救う法律は日本にはないのやさかいな。

結局、我が身は我が身で守るという風に考えな生きてはいけんということや。そう自覚するしかない。

人を見たら殺人者と思えというのは言い過ぎかも知れんが、それくらい用心するに越したことはない。

用心している人間には襲う方でも敬遠するということもあり、実際に被害に遭うケースは少ないさかい、それはそれでええのかも知れんがな。

もうすでに日本には安全神話などなくなりかけていると認識することや。自然界の生き物と同じように一瞬の油断が死を招くと。

ホンマに嫌な世の中になりつつあるが、それを嘆いても仕方ない。人は何があっても生きていかなあかんさかいな。



参考ページ

注1.第37回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■もしも、新聞拡張員が裁判員になったとしたら
http://siratuka.sakura.ne.jp/newpage19-37.html

注2.第39回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■ある拡張員が語る刑務所残酷物語
http://siratuka.sakura.ne.jp/newpage19-39.html


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