メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー

第374回 ゲンさんの新聞業界裏話


発行日  2015. 8. 7


■新聞の怪談 その6 幽霊の存在は5次元時空論で説明できるのか?


暑い。暑すぎる。毎年同じ事を繰り返し言っているようだが、今年の場合は特別や。

現在、各地で記録的な猛暑となっていて、観測史上最長の連続猛暑日を更新中だという。

この暑さを何とかすることはできんが、今年も恒例になっている「怪談話」するくらいはできる。

それで身体の芯から震え上がって貰って、例え一時でも、この暑さを忘れて頂ければと思う。

良う考えたら、昔から、こういった怪談話が延々と語り続けられとるのは、多分に暑さ対策という意味合いがあってのことやないかという気がする。

話を聞くだけで「寒く」なれるというのは、ある意味、究極のエコやさかいな。

昔から夏場に怪談話が多いのは、そのためやと。

そして、その怪談話は新聞配達時に多い。

丑三つ刻というのがある。

江戸時代から語り継がれている古典的な怪談話で最も幽霊の出る時刻が、それやと言われている。

現代の時間で言うと、およそ午前2時から2時半頃になる。一般的には朝刊の配達が開始される時間帯と重なる。

何でそんなアバウトな時間になるのかと言えば、江戸時代の時間が「不定時法」というもので決められとるからや。

この「不定時法」とは、太陽の動きをもとに決められ、日の出と日没を堺に1日を昼と夜に別け、それぞれをさらに6等分し、十二支の干支名がつけられた時刻で表せたものをいう。

昼と夜の時間がまったく同じなら、一刻は2時間ということになって問題はない。

しかし、当然のことながら季節により日の出、日没時刻が変化するから同じ時刻名であっても、実際には同じ時間ではないということになるわけや。

つまり、現代の1時間が江戸時代では、その季節毎に1時間未満であったり1時間以上であったりしたということやな。

まあ、そんなウンチクはさておき、幽霊の出没時刻と言われている丑三つ刻というアバウトな時間帯が、新聞の配達時間と重なるということが分かって貰えれば、それでええ。

そのために、新聞配達には怪談話が昔から豊富にあるのやと。

メルマガやサイトへも、時折、そういった話が送られてくる。それをこの時期に恒例化して話しているわけや。

一時の清涼剤になればとの思いで。

今回も、その中の一つを紹介する。


コウスケは、その『Mマンション』で新聞を配るのは好きではなかった。

『Mマンション』は築50年は悠に経っているであろうと思われる古びた5階建ての建物だった。

外壁は、あちこちが剥がれ落ち、中の鉄骨が剥き出しになって見えている部分がある。ひび割れも蜘蛛の巣のように走っている。

その隙間から赤錆が雨水に溶け、流れ出した跡が、いくつも見える。

元は白壁やったと思われるが、今ではカビや赤錆、煤埃(すすぼこ)りなどが複雑に混ざり合い、濃いグリーンともグレーとも言えない色合いになっている。

加えて、階段の手すりも塗料が剥がれて元の色も定かではなく、錆色に支配されていた。

ここ何年も掃除や手入れをされた様子もない。一言で説明すれば、薄汚れたボロいマンションということになる。

それでも都市部に建てられているのなら、まだマシやが、この『Mマンション』は郊外の寂しい場所にポツンと一棟だけ建っているのである。

周りに民家はない。あるのは鬱蒼とした雑草に埋もれた耕作放置地だけや。

何でこんな所に人が住んでいるのかは分からないが、現実に人がいて新聞の宅配を希望している限り、配達人は新聞を配るしかない。

他の選択肢は、新聞配達そのものを辞めるくらいのことや。コウスケは真剣に辞めることを考えていた。

コウスケが、その新聞販売店で配達を始めて3ヶ月ほどになる。

初めの頃は、その『Mマンション』への配達も苦にはならなかった。周りの住宅地から離れているとはいっても、最後の家からバイクで5分ほど走れば済むからだ。

『Mマンション』は20室あるが、そのうち住んでいるのは5室だけ。その5室すべてに新聞を配達していたから、わざわざ出向いているという意識もなかった。

そんなある日、コウスケは地元地方紙の配達員と立ち話をすることがあった。

コウスケが自動販売機で缶コーヒーを買っていた時、その地元紙のヤナギという配達員が近づいて来た。

「兄ちゃん、見かけん顔やな。最近、始めたんか?」

そのヤナギという中年の配達員は、自動販売機にコインを入れながら、そう訊いてきた。

「はい、配達を始めて間がありません」

その時は、まだ始めて1ヶ月ほどだったから、そう答えた。

「そうか。何か変わったことはないか?」

ヤナギは、そう意味深な質問をしてきた。

「別にありませんけど……」

「それなら、ええんや。気にせんといてくれ」

ヤナギはそう言うが、そう言われて気にしない人間はいない。

「何かあるんですか?」

コウスケは詰問するような調子でヤナギにそう訊いた。

「お前、『Mマンション』に配達しているのか?」

「ええ」

「そうか……」

ヤナギは、そう言うと買ったばかりの缶コーヒーを飲み干して、「ほな行くわ」と言ってバイクに跨った。

「ちょっと、待ってくださいよ。気になるじゃないですか。『Mマンション』に何かあるんですか?」

「悪い、よけいなことを言うたようや。忘れてくれ」

「そんな、言い出したことは最後まで言ってくださいよ」

「言うても構わんが、俺から聞いたとは誰にも言わんといてくれよ」

「分かりました。誰にも言いませんから教えてください」

コウスケは、一応、そう約束したが、それはヤナギから話を聞き出すための方便やった。そうでも言わないと教えてくれないと思ったからだ。

「約束やで。誰にも言うなよ」

こういった、「ここだけの話」とか「他言しない」というのは必ず漏れると相場が決まっている。

人は内緒にしてくれと言われれば言われるほど、誰かに話したくなるもんなんや。

ヤナギ自身、誰かに言いたくて仕方がなかったことが、それを裏付けている。

また、約束させる者も本当に、その約束が守られるとは思っていない。というか、この話は多くの人がすでに知っている公然の秘密だから、本当に他で話さなかったとしても、あまり意味がない。

「実はな……」

ヤナギが話し始めた。

10年前、『Mマンション』の5階から投身自殺があった。飛び降りたのは、23歳の独身OLだった。

噂では、失恋を苦にしての飛び降り自殺だと言われていたが、その詳細は警察と身内の関係者以外は知らない。

それから、3年後。また『Mマンション』の同じ5階の別の部屋から投身自殺があった。19歳の女子大生だった。こちらの方も理由は公表されず伏せられたままである。

3年の間に同じマンションで2度の投身自殺事件が起きるというのは珍しい。

ワシらも、そういった事案は知らない。

もっとも、よほどの有名人以外は自殺自体騒がれて報道されるケースはないから、そういうことがあったとしても一般に知られることなど殆どないがな。

『よほどの有名人以外は自殺自体騒がれて報道されるケースはない』と言うたことについては、『第321回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方 その6 報道されない焼身自殺報道の裏側について』(注1.巻末参考ページ参照)の中で紹介した、ある報道記事が分かりやすいと思う。

これは、去年、2014年6月29日に起きた事件やった。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140703-00000025-wordleaf-soci&p=1 より引用

新宿での焼身自殺未遂事件 報道が少なかったのはなぜ?


 多くの買い物客らでにぎわう東京・新宿で6月29日、1人の男性が衆人環視の中、自らの身体に火を放って自殺を試みる事件が起きた。

 この様子は、現場にいた人々が撮影してネットに投稿され、大きな話題となった。

 しかし、大手新聞社やテレビ局では、それほど大きく報じられなかった。

 この男性の行為は、安倍政権が進める集団的自衛権の行使容認に反対したものといわれるが、なぜ新聞やテレビではあまり報道されなかったのだろうか?

 今回の事件は、JR新宿駅南口近くの歩道橋で発生。報道によると、中年の男性が、拡声器で集団的自衛権や安倍首相に関する主張を1時間ほど述べた後、ガソリンのような液体をかぶり、火をつけたという。

 ネットでは現場の生々しい写真や映像が出回り、大きな反響を呼んだ。しかし、ネットでの衝撃とは裏腹に、翌日の月曜日の新聞では、読売、朝日、毎日、産経はいずれも社会面の小さなベタ記事扱い。

 写真もなく、よほど注意して見ないと記事に気づけない。テレビ民放各局も、1分弱の単発ニュースで淡々と報じただけ。NHKではニュースにもならなかった。

 一方で、アメリカのCNN、フランスのAFP通信、イギリスBBCなど外国メディアは、東京発のニュースとしてこぞってこのニュースを報じた。

 平和主義を掲げる日本の憲法9条と集団的自衛権の問題を説明するなどし、「焼身自殺による抗議は、日本では非常にまれ」と、驚きをもって伝えている。

 外国メディアが報じるほどなのに、国内メディアの報道が淡白なことに対して、ネットでは「言論統制か」「何かの圧力?」「おかしいじゃないか」といった声も上がっている。

 なぜ、今回の報道は抑制的だったのか? 自殺の報道を巡っては、「報道すれば、それが模倣の自殺を生む」という指摘が以前からあった。

 世界保健機関(WHO)は「自殺予防 メディア関係者のための手引き」を発行している。

 その中では、1774年にゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」が出版されてから、主人公に影響を受けた自殺がヨーロッパ中で相次いだことなどを紹介。
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 そのほか、いくつもの研究で「メディアが自殺を伝えることで、真似た自殺を引き起こす」という結論が出たことを示す。

 逆に、ウィーンの地下鉄でのセンセーショナルな自殺報道を減らした結果、自殺率は75%減少できた、という。

 このため、手引きでは、「自殺をセンセーショナルに扱わない」「自殺の報道を目立つところに掲載したり、過剰に、そして繰り返し報道しない」「写真や映像を用いることにはかなりの慎重を期する」といった注意を、メディア関係者に求めている。

 では、国内メディアはあまり報じないのに、海外メディアは積極的に報じているように見えるのはなぜか?

 大手報道機関(時事通信社)出身のジャーナリスト・石井孝明さんは、「海外メディアは、このところ日本ものは派手なニュースでないと伝えません。

 また利害関係もない。奇妙さを軸にニュースを選んだのではないでしょうか。

 私は大手活字メディアにいましたが、自殺の扱いは慎重にすることと学びました。言論統制ではまったくないでしょう」と話す。

 確かに、海外で今回の自殺未遂を報じても、国内事情が違いすぎて、そのまま共感・模倣されるとは考えにくい。

 一方で、石井さんはネットメディアで軽々しくこの事件が拡散されたことを懸念する。

「人の命をネタにして、自分のツイッターやフェイスブックの閲覧数を増やしたいのだろうか。恥ずかしい行為。ただ、誰もが悪い人ではないだろうから気づいてほしい」と苦言を呈する。

 朝日新聞社は、事件報道の指針の冊子「事件の取材と報道 2012」(191ページ)を公表しており、この中で自殺報道にもページを割いている。

 1986年のアイドル歌手の岡田有希子さんの事例などをあげ、自殺を報道することによって「連鎖自殺」が引き起こされる危険性を指摘。

 このため、報道の注意点として(1)自殺の詳しい方法は報道しない (2)原因を決めつけず、背景を含めて報道する (3)自殺した人を美化しない、の3点を示す。

 そして、報道する対象としては、(1)政治家や芸能人などの著名人 (2)時代を色濃く反映するケース (3)手段や動機が特異な場合、などの3つをあげる。

 これを元に、個別のケースに応じてデスクらが判断することになる。

 今回のケースは、通常なら私人の自殺は報道対象ではないものの、(3)に該当するのは明らかで、なおかつ集団的自衛権に言及していたようなので(2)にも当てはまる可能性がある、と判断されたようだ。

 朝日に限らず、各社とも似たり寄ったりの判断基準だろう。また、今回の場合、政治的主張があり、報道することでその主張を広く伝えてしまえば、今後、同様の手口で自らの主張を行う模倣、もしくは同一人物による再発の可能性も考えられる。

 そういう意味でも、報道を抑え気味にした理由があったと言えるだろう。


この記事を見れば、自殺報道がなぜ少ないのかといった理由がよく分かる。

はっきり言って一般の人はメディアの報道がなければ、その地域に住む人以外には殆ど何も知られることはない。

分からないだけで、実際には『Mマンション』と同じようなことはかなりあるものと考えられる。けっして、希なケースではないと。

それ以降、その地域では『Mマンション』を「飛び降り自殺マンション」と呼ぶようになったという。

話は、それだけでは終わらない。

その後も『Mマンション』で自殺騒ぎが続いた。

それから2年後、今度は一人の新聞勧誘員が死んだ。公式には階段を踏み外したことによる転落死だった。

しかし、目撃者の話によると、その新聞勧誘員は、まるで自ら身を投げ出すように階段を転げ落ちていったという。

警察では、結局、単なる転落事故として処理された。

ただ、その目撃者の話があるために、「前に死んだ女性の幽霊が、その新聞勧誘員の背中を押した」とか「霊魂に憑依されて自殺した」といった話が、まことしやかに語られるようになった。

実は、死んだ二人の女性たちは、いずれも自殺する直前に新聞勧誘を受けていて、強引に新聞を購読されていたと。

それが自殺と、どう結びつくのかは分からないが、二人の女性が新聞勧誘員を恨んでいたのは事実のようだという噂が流された。

さらに、その『Mマンション』で事故が続いた。今度は、新聞配達員が配達中、階段を踏み外し転倒して足を骨折したのである。

その配達員は、なぜか治っても再び新聞を配達することなく辞めたという。その時にも、足の骨折は「幽霊に後ろから押されたため」だという噂が流れ広まった。

それを証明するかのように、その販売店では『Mマンション』に配達することを止め、今では「拡禁(拡張禁止)」扱いにしているという。

他の新聞販売店でも同じように『Mマンション』への配達はしなくなったという。今では、コウスケが所属している新聞販売店だけしか配達していない。

ヤナギの話だと、コウスケが所属している新聞販売店でも『Mマンション』への配達している配達員は、すぐ辞め、3ヶ月続くことはないという。

「俺は何となく、お前のことが心配になったから、何もないかと訊いたというわけなんや」

「そうだったんですか……」

「やっばり何か心当たりがあるんやな」

「ええ、実は……」

コウスケは、『Mマンション』で新聞を配達する度に気色の悪い思いをずっとしていた。

具体的に何かがあったというわけではないが、何となく誰かに、じっと見られているような気がするのである。

もちろん、後ろを振り返って見ても誰もいない。最初のうちは気のせいだと思っていた。小心な自分自身に自己嫌悪して落ち込んだこともある。

ただ、その『Mマンション』での配達を終えると、その誰かに見られているという嫌な思いが消えるという。どこかホッとした自分がいると。

そういうのが何日か続いた。薄々何かあるんじゃないかとは思っていたが、店の人間に訊いても「そんなのは気のせいや」と言うて笑い飛ばされたと。

「そら、店の人間は『Mマンション』で自殺者が続いたことや事故が続いたことなんかは、お前には絶対言わんわな」

それは分かる。正直に言えば配達員を辞めると言い出しかねんからや。事実を隠し遠そうとする。

たいていの事件や事故ならネットで検索すれば分かるが、事、自殺となると報道が規制されている分、よほどのことでもない限りヒットするケースは少ない。

口を閉ざして黙っていれば分からない。店もそう考えているはずやとヤナギは言う。

「せやけど、何もないんやったら大丈夫やろ。配達員で、この10年の間、怪我をしたのは一人だけやし、それも幽霊のせいと決まったわけやないしな。気にせず頑張れ」

ヤナギは、そう明るく笑い、その場を去った。

そんな話を聞かされた後、『Mマンション』で配達するのは辛かったとコウスケがワシらにメールしてきた。


そのベテランの配達員さんに言われたからかも知れませんけど、以前にも増して誰かに見られているという感覚が強くなったんです。

それに、この前などは目の前を急に白い影が横切るのを見たんです。

一瞬のことだったんで、それが何だったのは分かりませんが、気のせいでないのは確かです。

それを見た途端、怖くてもう配達人を辞めようかと思いました。でも、幽霊なんか存在しない、すべて気のせいだと考える自分自身もいます。

こんなことを言えばゲンさんに笑われるのは十分承知の上で質問するのですが、幽霊など本当にいるのでしょうか?

いないとは僕も思うのですが、現実にいそうな場所で新聞を配達していると、そう言い切る自信もないのです。

こんな情けない僕ですが、何かアドバイスをいただければ幸いです。


「ゲンさんは、どう思います?」と、ハカセ。

「ワシの答えは決まっている」

ワシの信条の一つに「怪力乱神を語らず」というのがある。

これは、2500年ほど前、中国の思想家、孔子について語られた「論語」の一節にある有名な言葉や。

怪力乱神というのは、あり得ない力を誇示したり、みだりに神の存在をほのめかし、世情を混乱させる愚行という意味に使われる表現や。

つまり、幽霊や宇宙人、あるいは怪物といった未確認情報を事実のごとく吹聴する輩のことを言うてるわけやな。くだらない人間の象徴として。

孔子は、人間離れした力や神の存在については議論しないと言うてる。そんなものは信じていないと。

ワシは神や幽霊、宇宙人がおってもええなとは思うけど、信じるにしては、あまりにも、非合理すぎる。

特に、神や幽霊という類は、ワシから言わせれば殆どは、人の心が作り出す幻影にすぎんと考えとる。

しかし、世の中には理屈では説明できん事が起きるケースも、確かにある。

人は、それを合理的に説明できんから、神とか幽霊の存在を作ることで納得しようとするのやないかと思う。

ワシは、物事を合理的に考える主義やさかい、どうしても神様とか幽霊話になると胡散臭く感じてしまう。

起きたことには必ず、それなりの理由と原因、要因がある。何の理由もなく物事は起きない。

少なくともワシは、そう考えるようにしとる。

今回の場合、ヤナギという他紙の配達員が、新米のコウスケに、なぜそんな話をしたのかということを推理すれば、ある程度、見えてくるものがある。

それには、まず『Mマンション』で本当に過去に自殺騒ぎがあったのかという点を探る必要がある。

今のところ、それについては、ヤナギが言うてることしか分かっていない。つまり、嘘の可能性もあるということや。

その話が嘘であれば、ただの愉快犯か、嫌がらせ、あるいはライバル店の配達員を辞めさせ力を削ごうとする作戦の一環なのかも知れないという仮説が成り立つ。

自殺騒ぎが本当であった場合、それを利用して話を膨らませ、幽霊話をでっち上げるというのは、よくある話や。

この場合も、ライバル店の力を削ぐために配達員を不安にさせ辞めさせようとする狙いがあると考えられる。

いずれにしても、ヤナギがわざわざ、そんな話をするからには、それなりの理由があったと考える方が自然やとワシは思う。

したがって、ヤナギの話に信憑性が低いとワシは見ている。それが「ワシの答えは決まっている」と言う所以や。

「私は、あくまでも仮説の段階ではありますが、本当に幽霊のような未知の存在が『見つめている』可能性も否定できないと考えています。それも科学的根拠に基づいて説明できます」

ただ、その説明をするには、一般相対性理論、量子力学、素粒子物理学、ビッグバン概念、超対称性、ひも理論といったことが分っていないと難しいという。

特に、そこから導き出される「余剰次元」の概念を知って貰う必要があると。

「そんな難しい話をしても無駄やで」

これは何も読者の方が無知やからと言うてるわけやない。

そんな話を理解している者の方がワシから言わせれば「気が狂うとる」としか言えんさかいな。

一般の人間はワシも含めて、誰もそんな小難しいことを考えて生きているわけでも研究しているわけでもないさかいな。

「私も、そう考えていますし、私自身、現在勉強中ですので、どこまで理解して話せるのか甚だ疑問に思っています」

ハカセは、一応そう断った上で、持論を展開した。

「余剰次元」というのは、現在、理論上は「11次元」まで確認されている。

点が0次元、線が1次元、平面が2次元、立体が3次元というのは理解できると思う。

一般的に3次元に時間と空間が加わった4次元が、この世界だと言われている。

現在、神や幽霊を、その次の「5次元空間」が存在することで証明しようという試みが物理学者たちの間で為されているという。

物事は次元の多い方から少ない方は見やすい。例えば、3次元にいる者は2次元の世界を見ることは難しくない。想像も容易にできる。

しかし、2次元の住人には3次元の世界は理解できない。

例えば、2次元の世界に3次元の物体である球体が通過したとする。

球体が2次元の世界に接した時点は、単なる点にしか2次元の住人には見えない。

それが次第に大きな円になって最大直径に達した時点から縮小に転じ、やがて点になり、消える。

つまり、2次元の住民には球体は、点から円に成長し点に戻るということしか理解できないわけや。

それと同じことが、物体が5次元から4次元を通過する時にも起こると推察される。

例えば、コウスケが『目の前を急に白い影が横切るのを見た』というのも、その5次元空間の物質の一部だと見ることもできる。

もちろん、それが何であるかは分からない。しかし、「5次元空間」が存在すると考えれば、解明されていない事象も説明できるらしい。

「私が、上手く説明できるように、もっと勉強してから、このことを話すつもりでいます」

結論として、ハカセは、幽霊と思われる物質は、人間の目では見ることも確認することもできないだけで、物質としては存在するということが言いたいわけや。

存在する物質であれば、殊更、怖がる必要はないと。

ワシも科学的に説明してくれるのなら、そういう物の存在を認めてもええと思うがな。


参考ページ

注1 第321回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■報道のあり方 その6 報道されない焼身自殺報道の裏側について
http://siratuka.sakura.ne.jp/newpage19-321.html


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