メールマガジン・ゲンさんの新聞業界裏話・バックナンバー
第383回 ゲンさんの新聞業界裏話
発行日 2015.10. 9
■新聞復活への試み……その6 ピンチをチャンスに変える方法とは?
「最早、ここまでです……。もう店を閉めようかと思っています」
長年の読者であり、また良き協力者でもあるA新聞販売店経営者のセキグチ氏がそう観念し、腹を決めたと、ワシらに知らせてきた。
30年続けてきたA新聞の販売店を閉鎖しなければならない時が、ついに来たと。
ただ、自らの経営の失敗、能力不足で、そうなったのなら諦めもつくが、もとを糺せば新聞社の誤報記事が原因の大半を占めるというのでは納得しきれないと、嘆いておられたがな。
去年の2014年に、その誤報記事が発覚した。それも同時に二つ。
一つは、
2014年8月5日発行朝日新聞 より引用
「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断
読者のみなさまへ
吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。
当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。
研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。
「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視
読者のみなさまへ
女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。
当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。
という記事や。
これについて簡単に説明しとく。
『吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言』、俗に『吉田証言』と呼ばれているものや。
1983年にフィクション作家、故吉田清治著の『私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録』(三一書房刊)に書かれていた「昭和18年(1943年)に日本軍の命令で韓国の済州島で女性を強制連行して慰安婦にした」というものや。
この『吉田証言』が、現在の「従軍慰安婦問題」の発端になったと言われている。現在でも、その影響は大きく国際問題にまで発展している。
これを当時のA新聞は真実として報道した。
その後、故吉田清治氏の「体験談」は当時の拓殖大学教授らの調査により嘘であることが判明し、故吉田清治氏本人も一部がフィクションであることを認め、A新聞も「確認できない」という事実上の訂正記事を出している。
ただ、A新聞は「確認できない」とはしたものの依然として「済州島で女性を強制連行して慰安婦にした」という趣旨の記事を、その後も掲載し続けている。
1991年5月22日。A新聞大阪版で故吉田清治氏による「木剣ふるい無理やり動員」発言が紹介され、同年10月10日では「慰安婦には人妻が多く、しがみつく子供をひきはがして連行」したという証言を掲載した。
1991年8月11日「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という記事の中で元慰安婦のK氏が「女子挺身隊の名で戦場に連行」されたと報道した。
しかし、同年8月15日。韓国ハンギョレ新聞でK氏が「親に売り飛ばされた」と報道したことで、その信憑性が疑われ始めた。
また、K氏による裁判での供述の矛盾などもあり、A新聞による一連の報道は誤報である可能性が高まったとされた。
それを、2014年8月5日になって、A新聞は独自検証の結果、『吉田証言』の証拠が見つからないことを理由に虚偽と認定し、それまでの記事をすべて撤回すると発表したのが、上記の記事や。
この記事は、以前からA新聞に対して批判的な見方をする人たちにとって格好の攻撃材料になった。
その記事が掲載されたことで、従軍慰安婦問題に関するA新聞の記事のすべてが誤報だった、あるいは捏造だったと主張する者が現れ、現在、それを信じた人の多くが「A新聞に裏切られた」との思いを深めているという。
A新聞に書かれている記事をよく読めば分かると思うが、いずれも限定した内容についてのみ誤報、誤用したと言うてるだけのことで、すべてを誤報と認めたわけではない。
その他の「強制連行」に関しては「自由を奪われた強制性あった」としたままやし、軍の関与を示す資料についても「本誌報道前に政府も存在把握」していたとして、現在も当時のままの主張を変えていない。
ただ、その点については、ネット上でA新聞を叩く記事、コメントばかりが氾濫していて、肝心のA新聞側の主張を報じるものはネット上ではどこにもなく、完全に封殺された形になっているため、古くからのA新聞の読者たちも誤解したまま現在に至っているものと考えられる。
それには、誤報を認めたというくだりだけがクローズアップされているからやと思う。誤報を認めとるのやから、すべてが間違いだったというロジックが成立するとして。
ここで、今以てA新聞が変えない主張を新聞に掲載された原文のまま紹介しとく。
2014年8月5日発行朝日新聞 より引用
慰安婦問題を考える「上」
慰安婦問題 どう伝えたか 読者の疑問に答えます
強制連行 自由を奪われた強制性あった
疑問
政府は、軍隊や警察などに人さらいのように連れていかれて無理やり慰安婦にさせられた、いわゆる「強制連行」を直接裏付ける資料はないと説明しています。強制連行はなかったのですか。
慰安婦問題に注目が集まった1991〜92年、朝日新聞は朝鮮人慰安婦について「強制連行された」と報じた。
吉田清治氏の済州島での「慰安婦狩り」証言を強制連行の事例として紹介したほか、宮沢喜一郎首相の訪韓直前の92年1月12日の社説「歴史から目をそむけまい」で「(慰安婦は)『挺身隊』の名で勧誘または強制連行され」たと表現した。
当時は慰安婦関係の資料発掘が進んでおらず、専門家らも裏付けを欠いたままこの語を使っていた。泰郁彦氏も80年代半ば、朝鮮人慰安婦について「強制連行に近い形で徴集された」と記した。
もともと「朝鮮人強制連行」は、一般的に、日本の植民地だった朝鮮の人々を戦時中、その意思とは関係なく、政府計画に基づき、日本内地や軍占領地の炭坑や鉱山などに労働者として動員したことを指していた。
60年代に実態を調べた在日朝鮮人の研究者が強制連行と呼び、メディアにも広がった経緯もあり、強制連行は使う人によって定義に幅がある。
こうした中、慰安婦の強制連行の定義も、「官憲の職権を発動した『慰安婦狩り』ないし『ひとさらい』的連行に限定する見解と、
「軍または総督府が選定した業者が、略取、誘拐や人身売買により連行」した場合も含むという考え方が研究者の間で今も対立する状況が続いている。
朝鮮半島でどのように慰安婦が集められたかという過程は、元慰安婦が名乗り出た91年以降、その証言を通して明らかになっていく。
93年2月、「韓国挺身隊問題対策協議会」は、元慰安婦40人のうち「信憑性に自身が持てる」19人の聞き取りを編んだ証言集を刊行。
「軍人や軍属らによる暴力」があったと語ったのは4人で、多くは民間業者が甘い言葉で誘ったり、だまして連れて行ったりする誘拐との内容だった。
慰安婦たちは、徴集の形にかかわらず、戦場で軍隊のために自由を奪われて性行為を強いられ、暴力や爆撃におびえ性病や不妊などの後遺症に苦しんだ経験を語っていた。
93年8月に発表された宮沢政権の河野洋平官房長談話(河野談話)は、「慰安所の生活は強制的な状況で痛ましいものだった」「募集、移送、管理等も甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」と認めた。
関係省庁や米国立公文書館などで日本政府が行った調査では、朝鮮半島では軍の意思で組織的に有形力の行使が行われるといった「狭い意味の強制連行」は確認されなかったといい、談話は「強制連行」ではなく、戦場の慰安所で自由意思を奪われた「強制」性を問題とした。
談話発表に先立つ7月には、ソウルの太平洋戦争犠牲者遺族会事務所で、日本政府が元慰安婦たちに聞き取りをした。
今年6月に発表された河野談話作成過程の検証チーム報告は、聞き取りの目的について「元慰安婦に寄り添い、気持ちを深く理解する」とし、裏付け調査などを行わなかったことを指摘した。
河野談話の発表を受け、朝日新聞は翌日の朝刊1面で「慰安婦『強制』認め謝罪、『総じて意に反した』」の見出しで記事を報じた。
読売、毎日、産経の各紙は河野談話は「強制連行」を認めたと報じたが、朝日新聞は「強制連行」を使わなかった。
官房長官への取材を担当していた政治部記者(51)は、専門家の間でも解釈が分かれていることなどから「強制連行」とせず単に「強制」という言葉を使ったのだと思う、と振り返る。
「談話や会見、それまでの取材から読み取れたのは、本人の意思に反する広い意味での強制連行を認めたということだった。しかし、強制連行という言葉を使うと読者の誤解を招くと考え、慎重な表現ぶりになった」
93年以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた。
97年春に中学教科書に慰安婦の記述が登場するのを機に、朝日新聞は同年3月31日朝刊でこの問題を特集した。
日本の植民地下で、人々が大日本帝国の「臣民」とされた朝鮮や台湾では、軍による強制連行を直接示す公的文書は見つかっていない。
貧困や家父長制を背景に売春業者が横行し、軍が直接介入しなくても、就労詐欺や人身売買などの方法で多くの女性を集められたという。
一方、インドネシアや中国など日本軍の占領下にあった地域では、兵士が現地の女性を無理やり連行し、慰安婦にしたことを示す供述が、連合国の戦犯裁判などの資料に記されている。インドネシアでは現地のオランダ人も慰安婦にされた。
97年の特集では「本人の意思に反して慰安所にとどまることを物理的に強いられたりした場合は強制があったといえる」と結論づけた。
河野談話が発表されて以降、現在の安倍内閣も含めて歴代の政権は談話を引き継いでいる。
一方、日本軍などが慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に、「強制連行はなかった」として、国の責任が全くなかったかのような主張を一部の政治家や識者が繰り返してきた。
朝鮮など各地で慰安婦がどのように集められたかについては、今後も研究を続ける必要がある。
だが、問題の本質は軍の関与がなければ成立しなかった慰安所で女性が自由を奪われ、尊厳が傷つけられたことにある。
これまで慰安婦問題を報じてきた朝日新聞の問題意識は、今も変わっていない。
というものや。
現在、A新聞の記事が韓国政府が主張する『従軍慰安婦問題』に与するかのような論調がネット上、および一部の新聞、あるいは週刊誌上に踊っているが、この記事を読めば、必ずしもそうやないということが分かるはずや。
誤報は誤報と認めた上で記事にしているし、過去の出来事も、きちんと報道している。新聞報道としては、至極真っ当なものやと思う。
しかし、現在、世の中の風潮として、韓国政府が主張する『従軍慰安婦問題』は間違った情報(主にA新聞の記事)によって、ねじ曲げられ世界に発信されているという考えが世論の大半を占めているため、そのA新聞の記事は黙殺状態になっているようやがな。
それはそれで怖いことやと思う。批判するのは構わない。ただ、どんな意見であっても封殺、黙殺するのはあかんと思う。
批判するのなら、批判する相手の主張に耳を傾けた上で、そうするべきやと思う。それが正しい主張の仕方やと思うが、残念ながら、それを忠実に行っているは少ない。
ただ、ワシは、せやからと言うてA新聞の記事に間違いがないと考えているわけやない。
正直なところ、真相は藪の中のままで終わるやろうと思うとるし、『従軍慰安婦問題』を解明する証拠を示す書類など、これからも出てくることはないと確信もしている。
そう言い切れる根拠ならある。
『関係省庁や米国立公文書館などで日本政府が行った調査では、朝鮮半島において軍の意思で組織的に有形力の行使が行われるといった「狭い意味の強制連行」は確認されなかった』ということやが、おそらく、それを示す証拠書類など残ってはいないはずや。
それについては、2013年11月8日発行の『第283回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■書籍『蟻地獄の底から』……数奇な運命に翻弄されたある女性の生涯』(注1.巻末参考ページ参照)で知り得た情報があったから言えることでもある。
加えて、拡張時に数多くの戦争体験者の方々から、ワシ自身が直接耳にした情報もある。
書籍『蟻地獄の底から』は、幸運にも最後の1冊が著者の関係者のもとに残っていて、それがハカセに送り届けられたという。
それには、著者、故松本つな氏の目を通して、貧しかった頃の日本の戦前、戦中、戦後の社会情勢や人々の生活が事細かく語られている。
極めて歴史的な資料価値の高い書籍だと言える。その書籍の存在を知っている人は少ないがな。
また、著者は女性の身でありながら、夫の戦死した理由を解明するために女子軍属として軍隊に飛び込むという普通では考えられない行動力を示されている。
その折りに見聞きされた事象や出来事が、書籍『蟻地獄の底から』で語られている。
その中に、「従軍慰安婦」に関する記述があった。
その部分の抜粋や。
昭和19年(1944年)4月、マツモトが戦死したという電報が届いた。
ヒサコは、東京の本社まで行き、夫が戦死した時の状況を問い質したが、軍の機密ということで何も話してくれなかった。
納得できないヒサコは夫が、どんな死に方をしたのか、どこの海で死んだのかが知りたくて、海軍の女子軍属になって戦場に行こうと思い立ち、応募して採用される。
ヒサコは、上海中支派遣軍第十三方面司令部に配属された。つまり、中国大陸にまでやってきたわけである。
軍属というのは、軍人(武官または徴兵)以外で軍隊に所属する者のことをいう。
主に事務仕事に携わる文官が多い。軍では事務仕事をする者を「筆生」と呼んでいた。
ヒサコの夫、マツモトの階級が海軍予備中尉であったことから、下士官である曹長の階級が与えられた。実質的には将校と同じ扱いやったという。
ヒサコは司令部の管理課に配属されたということもあり、軍のマル秘情報や資料などを見ることができた。
ある日、ヒサコは従軍慰安婦についての書類を目にした。大学ノートくらいの大きさの書類の束で、右肩に慰安婦の写真が貼ってあった。
それには氏名、国籍、住所、本籍、生年月日、親の氏名が縦書きで記されていたという。
ヒサコは、今頃になって「従軍慰安婦は軍の命令ではなかった」などという人がいるが、軍と関係がなければ、司令部の管理課にそんな書類があるはずがないと主張する。
軍は、兵士の間に広がる性病と戦地での強姦を防ぐために従軍慰安婦を管理していた。また、敵スパイを監視する目的でも慰安婦を手なづけていたと。
戦地での戦闘が終わると「宣撫班」というのが出向き、それに従軍慰安婦が連れて行かれたという。
慰安婦の多くは朝鮮半島の人たちだったが、日本人もいた。その多くが女郎屋から連れて来られていたようや。
戦争が激しくなると徴兵により日本国内に若者がいなくなってしまい、女郎屋の経営が成り立たなくなっていた。
従軍慰安婦に参加すれば、客に困らないということで、女郎屋の経営者たちが積極的に参加していたわけである。
朝鮮半島の人たちが軍により従軍慰安婦として強制的に連行されたケースがあるのかどうかまではヒサコには分からない。
しかし、司令部の管理課にあった書類に氏名、国籍、住所、本籍、生年月日、親の氏名が記されていたというところからすると、少なくとも身元の確かな人間だけに限定して集めていたのは確かだったと言える。
その頃、日本国内の状況から、半ば占領されていた朝鮮半島の人たちの生活も楽ではなかったと推測できる。
そのため、家族の生活のために自ら進んで参加した女性もいたのやないかと推測する。むろん、強制的に連行されたというケースも否定はしない。
ヒサコの聞いた話では、女郎屋の経営者たちが朝鮮半島や中国大陸のあちこちに出向き、現地の女性たちに「戦地に行けば金になる。貯金もできる」といった甘い言葉で誘って騙して連れて来たケースもあったということや。
A新聞の記事の中に、『慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていないことを根拠に、「強制連行はなかった」として、国の責任が全くなかったかのような主張を一部の政治家や識者が繰り返してきた』というのがあるが、
その点に関しても、著者である松本つな氏が、書籍『蟻地獄の底から』で興味深い目撃談を語っておられる。
それを原文のまま伝える。
終戦で日本が負けたことを知り、人々はその時を堺にいろいろな行動をしました。
若い見習い士官のなかには、自殺した人もおりました。兵隊や男の軍属のなかで、中国人にひどいことをした人は、逃げかくれしておりました。
司令部では塹壕(ざんごう)が書類を燃やす穴になり、朝から兵隊や軍属が燃やしておりました。
高等官食堂も不都合な証拠になるからといって、箸箱も全部灰にしたのです。それが何日続いたのかわかりません。
この記述で、『慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていない』ことの理由が推察できる。
終戦が決まったといっても、すぐに軍の機能が停止し、相手国に引き渡されるわけやない。若干の余裕がある。
軍のトップ連中は、当然のように戦争責任を問われることを恐れた。そのために証拠となるすべての書類を、まだ余裕のあるうちに燃やせと命令したのは間違いないと思う。
その結果が、『慰安婦を直接連行したことを示す日本政府の公文書が見つかっていない』ということになったと考えれば辻褄が合う。
おそらく、今後も日本政府の公文書が見つかる可能性は皆無に近いやろうな。
その証拠らしきものが見つかるとすれば、松本つな氏のような戦争体験を手記という形で残した書籍や文書だけやないかと考える。
ここまでは、A新聞を擁護するかのような記述ばかりだと感じられた方がおられるかも知れないが、もちろん、それだけでは話は終わらない。
A新聞は決定的なミスを犯した。
それも二つ。
一つは、この問題でA新聞に対して批判的な記事を掲載しようとしていた週刊誌への新聞紙面での広告の掲載を拒否したこと。拒否しないまでも広告の一部を黒塗りにして掲載したことや。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140903-00000129-mai-soci より引用
週刊新潮広告、一部黒塗りへ
「週刊新潮」を発行する新潮社は3日、朝日新聞に掲載する9月11日号(4日発売)の新聞広告に関し、一部を黒塗りにするとの連絡を朝日新聞から受けたことを明らかにした。
新潮社によると、黒塗りになるのは朝日新聞の従軍慰安婦問題に関する報道などを批判する記事の見出しの一部で、「売国」「誤報」の文言だという。
新潮社広報宣伝部は「(黒塗りを)了承はしていないが、こちらで決められないので致し方ない」と話している。
朝日新聞社広報部は「個々の広告の掲載経緯などについては、取引内容に関わるので公表していない」としている。
朝日新聞は、従軍慰安婦問題報道への批判記事を掲載した先週号の週刊新潮について、広告の新聞掲載を拒否した。
というものや。
二つめは、高名なジャーナリスト池上彰氏がA新聞での連載コラムに「従軍慰安婦問題」を取り上げ「A新聞社は謝罪せよ」との記述があったため、そのコラムを不掲載にしようとしたことや。
結果的に、激怒された池上彰氏が今後A新聞にはコラム記事を書かないと申し入れたことにより、A新聞社はそうしたことの愚に気がつき、慌てて池上彰氏に謝罪したが、遅きに逸した感が強い。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140912-00000003-mai-soci より引用
池上さん「遅きに失した」…社長記者会見
朝日新聞社長の記者会見について、トルコを訪問中の池上彰さんは報道陣に「慰安婦報道の検証報道など紙面でやるべきことをやっていなかったから社長の記者会見に至ったのだろう。
遅きに失したことが積み重なってしまったことが極めて残念だ」と述べた。
コラムを継続するかどうかは「会見や謝罪の内容を詳細に検討したうえで改めて考える」と語った。
これらの行いは新聞社として、ある意味、致命的な失策やと思う。
これは、どう見ても意図的な言論封じと受け取られても仕方がない事案やさかいな。
実際にも、その意図が働いたからこそ、そうした愚に至ったのやろうしな。
二つめは『吉田調書』問題。
『吉田調書』とは、政府事故調査・検証委員会による故吉田昌郎氏(元東京電力福島第1原子力発電所所長)に対する福島第1原子力発電所事故についての聞き取り調査での調書のことや。
福島第一原発事故後のA新聞に、「震災四日後には所長命令を無視し、福島第一原発の所員の九割が逃げ出した」と報じた記事が出た。
しかし、『吉田調書』では、その事実がなかったことが確認された。
事実は、安全のため福島第二原発に一時的に避難、移動していただけで逃げたわけでも撤退(これはA新聞の記事の表現)したわけでもなかった。
これも完全な誤報である。これについてもA新聞社の社長は、『吉田証言』と併せて誤報と認めて謝罪している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140911-00000068-mai-soci より引用
「慰安婦」「吉田調書」…社長、誤報認め謝罪
東京電力福島第1原発事故を調べた政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)による吉田昌郎(まさお)元所長(故人)の聴取結果書(吉田調書)を巡り、朝日新聞が5月20日朝刊で「所員の9割が吉田氏の待機命令に違反し、福島第2原発に撤退した」と報じた問題で、同社の木村伊量(ただかず)社長が11日記者会見した。
「その場から逃げ出したような間違った印象を与える記事と判断した」として記事を取り消すとともに謝罪。自身の進退にも触れ「私の責任は逃れられない。編集部門の抜本改革など道筋がついた段階で速やかに進退を判断する」と述べた。
◇検証後「進退を判断」
過去の従軍慰安婦報道について「慰安婦狩り」をしたとする吉田清治氏(故人)の証言を取り消すなどした検証記事(8月5、6日朝刊)で謝罪がなかったことなどに批判が出ていることについても、木村社長は「誤った記事で訂正は遅きに失したことを謝罪したい」と、この問題で初めて謝罪した。
一方で、自身の進退を問う理由は「言うまでもなく吉田調書報道の重みだ」と述べ、慰安婦報道の問題より大きいとの認識も示した。
会見は東京・築地の同社東京本社で行われた。
木村社長らによると、吉田調書を巡る当初の報道では、調書に吉田元所長が「福島第1原発の近辺への退避を指示した」との証言があるのに加え、独自に入手した東電の内部資料には福島第1原発内の線量の低い場所で待機するよう指示したとの記述があったとして、福島第2原発への退避を「待機命令違反」と報じたと説明。
ただし、この指示が所員に伝わったかどうかは、当時の所員から一人も取材で事実を確認できないままだったという。
吉田元所長が調書で否定している「撤退」という言葉を記事で使ったことについては、「約10キロ離れた福島第2からはすぐに戻れないため『撤退』と表現した」と説明した。
しかし、8月に入って他の新聞社が「命令違反はなかった」との報道を始め、社内で検証したところ、吉田氏の指示が多くの所員に伝わっていなかったことが判明したという。
杉浦信之取締役編集担当は「当初は吉田氏の指示があったという外形的な事実だけで報道したが、所員が命令を知りながら意図的に背いて退避したという事実はなかった。秘匿性の高い資料で直接目に触れる記者やデスクを限定して取材を進めた結果、チェック機能が働かなかった」と釈明した。
さらに、慰安婦問題の吉田証言については「虚偽だろうということで取り消した」としたが、強制連行そのものについては「慰安婦自らの意思に反した、広い意味での強制性があったと認識している」と述べた。
朝日新聞は報道部門の責任者である杉浦取締役の職を12日付で解き、木村社長を進退を判断するまでの間、全額報酬返納とする処分も発表した。
社内常設の第三者機関で吉田調書報道を検証。慰安婦問題報道については社外の弁護士やジャーナリストらの第三者委員会を設立し、取材の経緯や影響を検証する。
同社の吉田調書報道は米紙ニューヨーク・タイムズなど多くの海外メディアにも引用された。これについて杉浦取締役は「おわびしなければいけない点。早急に英文で(撤回の記事を)発信したい」と話した。
朝日新聞は11日、杉浦取締役を取締役社長付とし、杉浦氏の後任に西村陽一・取締役デジタル・国際担当、西村氏の後任(執行役員)に大西弘美・役員待遇経営企画室付を充てる人事を発表した。いずれも12日付。
◇記者会見のポイント◇
▽5月20日付朝刊「所長命令に違反 原発撤退」の記事について、社員らが現場から逃げ出したかのような印象を与えたのは間違いで記事は取り消す。
▽杉浦信之取締役編集担当の職を解くなど関係者を処分。木村伊量社長も編集部門などの抜本改革に道筋をつけたうえで進退を判断。
▽従軍慰安婦問題に関する記事について、誤った記事を掲載し訂正が遅れた点を謝罪。
▽社内の第三者機関「報道と人権委員会(PRC)」で誤報の影響を審理するとともに、歴史学者らでつくる第三者委員会を設置し、従軍慰安婦問題に関する記事の訂正の経緯などを検証。
以上が、『吉田証言』、『吉田調書』騒動の経緯や。
正直に非を認めて謝罪したことは買えるが、そうするまでにはあまりにも時間がかかりすぎ、遅きに逸したという感は否めない。
『吉田証言』は31年も経ってからやし、「震災四日後には所長命令を無視し、福島第一原発の所員の九割が逃げ出した」というのも3年以上過ぎてから認めている。
とはいえ、普通なら、誤報はそれと認めて謝罪すれば問題はないと思う。誤報の多くは単なるミス、勘違いによるものやさかいな。
人に間違いやミスは、つきものであるということを考えれば、致し方のない部分もあったと思う。
間違った場合、ミスを犯したことについては謝るしかない。しかし、謝ったくらいでは、なかなか許さない人たちがいる。
そういう人たちが、まるで鬼の首を取ったかのように勝ち誇り非難を浴びせているのが、実状や。
日本の社会は、良くも悪くもムードや風潮に流される傾向が強い。多くの人が悪い、けしからんと言えば、その理由と経緯はどうであれ、批判の対象にされてしまいやすい。
特にネット上に、それが言える。日頃からネット上にはA新聞憎しの論調が蔓延しているが、今回の問題は、その人たちの格好の攻撃材料になっているわけや。
確かに、この件でA新聞は、いくつかの間違い、失策を犯した。それは事実や。
だからこそ、A新聞の社長が謝罪して退陣すると表明し、実際、そうなった。
けっして、一連の出来事が小さいとは言わんが、それでも社長が職を辞す覚悟で謝罪しても許されんほどのことやとは思わんがな。
ネット上の過激な発言の中には、A新聞を廃刊にしろというものまである。
今更言うまでもないが、創刊135年におよぶA新聞の功績は歴史上から見て大きなものやと思う。
時の政府を監視する最も重要な地位を占めるA新聞を失うのは、日本にとって大きな損失になるのは間違いない。
もっとも、A新聞がなくなることなど、あり得んやろうがな。
ただ、現実には、こういった不祥事の煽りを真っ先にくらうのは現場の新聞販売店であり勧誘員で、そういう人たちが店を失い、職を失っている。
何にも悪いことをしていないのに、部数減という形で顧客を失い損を強いられるわけや。
実際、セキグチ氏のように、この件がもとで廃業を余儀なくされた販売店経営者も相当数おられる。
それを思うと怒りが込み上げてきて仕方がない。それはA新聞社に対してもやが、ただ何でも叩けばええという連中に対してもや。
やっている者は、それが正義やと考えとるのかも知れんが、そんなものは正義でも何でもない。
ただのイジメと同じや。単にイジメる対象が目の前に現れたから、面白がって叩いているにすぎん。
とはいえ、どんなに不条理であっても生きていく以上は、それを乗り越えて行かなあかんがな。
不運を嘆き、世の中を呪って、人を恨んでいるだけでは何事も好転することはない。
「ピンチはチャンスに変えられる」という言い古された言葉があるが、苦境に立たされた時こそ、その人の真価が問われるのやと思う。
そして、その気になれば、どんな場合も一発逆転の秘策はあるもんや。この件についても例外やない。
具体的に、どうすれば良いのか。
今回、話した内容を購読者に伝えれば分かる人には分かって貰えるかも知れんが、それでは長すぎて聞いては貰えん可能性の方が高いやろうと思う。
こういったケースでA新聞を止めたいという人は、ほぼ間違いなく、それについての苦情を言うはずや。
「今までA新聞を信じてきたのに裏切られた」というのが最も多い。
その場合、「そんなことを仰らずに」といった反論めいた対応はせず、苦情を真摯に聞いて、顧客の思いを吐き出させ顧客の意見に同調することや。
「ホンマに、うちの新聞社も困ったもんですわ」と言えば、顧客は嫌な顔をせず喋り続けるやろうと思う。
それに時間をかければかけるほどええ。
人は、文句や苦情を遮られることなく吐き出した後は気持ちが落ち着くもんなんや。それで気が済むという人も珍しくはない。
その頃合いを見計らって、「実際、今回の不祥事のおかげで、何もしていない私らにとばっちりがくるので嫌になります」と言えば、古くからの顧客ほど同情してくるケースが多いやろうと思う。
「あんたらも大変なんやねえ」と。
その時、間髪を入れず「でも○○さん、ものは考えようですが、今回当社は、これだけ世間から叩かれて懲りたはずですから、今後は二度と、こんなことはしないと思いますよ。もう一回だけで良いのでチャンスを与えてやって貰えませんか。私たち現場の人間も新聞社には、○○さんの思いを必ず伝えますので」と言う。
そう言えば、「もう新聞を止める」と言い出す顧客も減るのやないかと思う。
簡単に言えば、「これだけのことをしたのだから、これに懲りて同じ失敗はしないはず」というロジック(論理)を信用させるわけやな。
実際、A新聞はこの一件で過去にも類を見ないほどの大打撃となる部数減に陥っているさかい、今後こうした「誤報」については、どの新聞社よりも気をつけるやろうから、そう言うてもウソにはならんと思うしな。
言い訳に終始すると、よけい反感を買いやすいが、これからの展望、予測を示せば、根っからのA新聞のファンなら分かって貰えるものと思う。
そういう人を逃したらあかん。
確かに、現状はA新聞の販売店、勧誘員にはピンチやが、そのピンチを経験した分、顧客の大切さが良く分かったはずや。
それに気づけるのは考えているよりも大きなことやと思う。今後、顧客との接し方が変わるさかいな。むろん、ええ方にや。
それがチャンスにつながるとワシは信じている。
そうセキグチ氏に伝えると、「それでは、もう少し、頑張ってみましょうか」という返事が返ってきた。
そういう人たちには、ワシらも全力で応援するので頑張って欲しいと思う。
参考ページ
注1.第283回 ゲンさんの新聞業界裏話 ■書籍『蟻地獄の底から』……数奇な運命に翻弄されたある女性の生涯
http://siratuka.sakura.ne.jp/newpage19-283.html
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